第四章

 翌朝、俺はまくらもとで鳴り続ける目覚まし時計を止めに来た妹によって起こされた。

「うるさいにゃーあ、ねえシャミー」

 妹は俺のベッドの足元で丸くなっていたシャミセンを持ち上げ、その肉球で俺の鼻を押しながら、

「朝ご飯はーあ、どうするのーう?」

 節をつけるようにうたっているおん具合がアラームよりも頭をげきする。

う」

 俺は妹にあやつられたねこの手をはらいのけて身を起こし、妹のうでからシャミセンを取り上げてゆかに下ろした。めいわくそうにしていたシャミセンは、フンと鼻を鳴らして再びベッドによじ登った。

 俺がえている最中、妹はねこの頰毛をふにふにと摘んでいたが、やがてこう行動としてパタパタする尻尾しつぽをつかみ始め、ついに「ぐふにゃあ」と鳴いたシャミセンが走っていくののを追って部屋を出て行った。朝から俺の部屋で暴れるな。おかげで目は覚めたが。

 部屋を出て洗面台に向かうちゆうで、「猫マフラーぁ」とか言いながらシャミセンを首の後ろに乗せようとしている妹と、妹のチルデンセーターにつめを立ててていこうするシャミセンコンビに出くわしたが、かろやかに無視することにする。

 洗面台の鏡の中で歯をみがいている自分のえないつらにらみながら今日は何の祝日だっけとどうでもいいことを考えつつ、家の外でぴゅうぴゅういってる風の音をのろいつつ、さっさと春にならんものかと思う。できれば高校一年というニューフェイスなポジションをもうちょっと持続したかったが──留年とかはなしで──、寒いのはもうかんべんだ。宝探しだろうが市内つれづれ歩きだろうが暖かい季節ならもっとかんようになれるが、二月だぞ、二月。

 しかし何月だろうがハルヒが何かを言い出したら、その何かを何が何でもやりげなければならないのである。海底にしずんだ古代船をサルベージしようと言い出さなくてまだよかったと思おう。うむ、前向きだ。

 朝飯を喰い終え、可能な限り登山を意識した上着を羽織って俺は徒歩で駅前を目指した。チャリを使わないのは、鶴屋山まで行くには駅前からだとバスに乗るほかないからだ。現地集合ならもっと早くに着けるのに、いちいち駅前集合ポイントがスタートになるのは、もう理由のあるなしとはえんにツッコミ不要の単なる約束事になっているとしか思えん。

 まるで太陽とかけをした北風がムキになっているかのような横風を浴びながら、マフラーに顔をめるように歩く。特に急ぎ足でもないのは時間にゆうがあるからではなく、どうせ時間通りに行っても俺が最後の一人になっているだろうから。これも約束事みたいなもんさ。俺が誰かを待つ立場になったのは、あの時だけさ。

 そういうわけで俺が駅前にとうちやくしたのは九時五分前だったが、SOS団の全員がすでにそろっていて、思い思いの顔を向けてきた。

 冬将軍より上のくらいを天からさずけられたような顔をしたハルヒが、

「どうしてあんただけいっつもおくれるのよ。あたしが来たときにはみんなちゃんと待っててくれてるのよ? 団長を待たせて少しは心苦しくなんないわけ?」

 俺が心苦しさを覚える先がお前になることはちがってもない。だいたい俺以外の三人がお前より早く来てるってことがどういうことかと言うと、全員にきつてんおごるという役割をお前が負うことはないのは俺のおかげってこったろうが。それこそ少しは心を痛めて欲しいね。

「何言ってんのよ。遅れて来たのはあんたでしょ」

 ハルヒはニンマリとしたがおを見せて、

「なによキョン、まるでなやみ事でもあるような顔してるわよ。どうかした?」

 どうもしやしない。このせっかくの祝日に、しかもこの寒い日の朝から、見つかるわけのない宝をり出しに行く自分の不幸をなげいているだけだ。

「もっとキビキビした顔しなさいよ。それともシャミセンの病気がぶり返したの?」

「いーや」

 俺は首をすくめつつ横にり、

「ただ寒がっているだけだ」

 フフンと強気な顔でハルヒはやれやれとばかりに両手を広げ、

「そういうときは臨機応変に心と体を切りえるのよ。今日なら、そうね、寒冷地仕様登山モードにするわけ。簡単でしょ?」

 プラモの改造じゃねえんだ、そう安易に変身できるものか。モードせんたくのスイッチなんかたいていの人間にはついていない。ハルヒみたいなオールシーズン全天候型にはわかるまいが。

 俺とハルヒがひとしきり朝のあいさつり広げている間、ほか三名は観衆モードで立っていた。

 古泉・朝比奈さん・長門の順に、カジュアル・ベーシック・ナチュラルな格好だ。長門のナチュラルというのは制服にダッフルコートがプラスされただけであり、それのどこが山登りファッションなのだと俺が言うこともないが、長門を鶴屋さんの家に連れて行って置き去りにしたら、きっと鶴屋さんはおもしろがって長門に自分のお下がりを着せてやるんじゃないかと意味もなく思った。機会があったら一度ためしてみよう。

 古泉はお前どこのチラシから飛び出てきたんだと言いたいくらいに冬用ジャケットを着こなしていて、そのままデパートの衣料コーナーに行ってマネキンと入れちがってもいいくらいだ。工事現場に置いてありそうなシャベルを二本もかかえているところを除けばだが。

 朝比奈さんは無難なパンツルックに無難なダウンジャケット姿である。今さらながら、朝比奈さんの私服姿で二回と同じ服を見た覚えがないような気がしてきた。

「お弁当、作ってきましたよ」

 すっかり行楽気分なのか、微笑ほほえましさ百パーセントな顔をした朝比奈さんが持っているのは大きなバスケットのみである。今日はこれを食べに来たと思えばいいか。

 それにしても、この朝比奈さんを俺が半ば命じる形で過去に飛ばすことになるとは、どうしても信じられない。あの朝比奈さんは本当に正しいことを言っているのか?

「どうしました?」

 朝比奈さんがキョトンとした顔で見上げている。

「いやいや」と俺はさり気なく、「弁当の時間が楽しみだな、と思いまして」

「あんまり期待しないでくださいね。うまくできたかどうか、自信がなくて……」

 照れるような仕草が思いっきり可愛かわいかったが、俺の心がいやしに満たされそうなところをいつもじやするのはこの女だ。

「お弁当もいいけど」

 ハルヒが視界に割り込んで来た。

「あんた、今日のしゆをちゃんと解ってんの? 遊びに行くんじゃないんだからね。宝探しよ、宝探し。お弁当に見合った働きをしないと昼食きゆうけいはさまないからね!」

 そんなことを言いつつ、ハルヒは北風との賭に勝利した太陽のような、遊びに出かける直前の子供みたいな笑顔で、俺はその顔を保存しておいていつでも呼び出し可能にしとけよな、と言いたくなったがやめておいた。

 よく考えたら、それがいつものハルヒ顔であることに気づかされたからである。二月に入ってしばらくのとつぱつ的ブルーにあやうくだまされるところだった。どうして騙された気分になりかけたのかは、俺にだって解りはしないんだが。



 例外的に今日は俺のおごりで喫茶店に入ることはなく、ただしめんじよされたわけではなくて繰りべされただけ、次回の集合で一番乗りしようが何時に来ようが茶店代は俺持ちだ。そう言いわたしてハルヒが向かったのは駅前ロータリーのバス乗り場である。

 一刻も早く宝探しにかからないとタッチの差でだれかにかすめ取られると思ってでもいるのか、とにかく山登りに行きたくてたまらないらしい。俺は渡されたシャベルをかつぎながら山の手行きのバスに乗り込み、つりかわを持って古泉と並んで立っている。二人してシャベルを持っているものだから目立って仕方がない。山方面に向かうバスの乗客がまばらであるのがゆいいつなぐさめである。

 三十分ほどられただろうか。ハルヒにうながされてバスを降りたのは、駅前のけんそううそのような自然のまっただ中だった。同じ市内とは思えないくらいだが、実は小学中学時代の遠足としようする山歩きのおかげでここら辺は俺にもみになっているので意外性なし。ここからさらに北に向かえば本格的な登山遠足だ。幸いなことに鶴屋さんの山はそれよりももっと低いところにあって、意外だったのはこれが鶴屋家の私有地だってことだった。道理で遠足でも一回も登らなかったはずだ。

「こっちから登るのが楽みたいよ」

 ハルヒが地図を手にして先頭を切っている。俺は鶴屋山──と言ってるが本当の名前は知らない。いいだろ別に鶴屋山で──の頂上を見上げながら白い息をいた。

 一昨日おととい、俺と朝比奈さんが登ったのとは違い、ちょうど山の反対側だ。どっちが裏道かと言えば、どうやら前回のものが裏道に相当していたらしいな。今ハルヒが目指している山のふもとからは、頂上へ至るジクザグ状の細い道がてっぺんまで続いている。なるほど、こっちからなら割と容易に登頂できるってわけか。うん……?

「キョン! ぼんやり空を見てる場合じゃないわよ、きりきり歩きなさい!」

 ハルヒの声が飛び、俺は止めていた足を動かし始めた。なんか引っかかりを感じていたんだが、そのせいで消えちまったじゃないか。

わかってるよ」

 俺はシャベルを担ぎ直し、山道にみ入ろうとする一団の後を追った。野に返されたウサギのように飛びねているハルヒはともかく、朝比奈さんまでが本当に遠足状態の小学生のようにしていたりするし、長門はいつもとまったく同じだし、古泉はずっとしよう気味だしで、果たしてこのうちの何人が本気で宝を探そうという気合いに満ちているのか、非常に疑問である。自分に満ちていないことは俺が一番よく知っていて、そのため気力も低レベルだ。朝比奈さん(みちる)の俺的未来カレンダーには、っても何も出てきやしなかったという予定が規定こうとして書き込まれている。そうでなければハルヒのことだ、適当に言い出した宝探しが実現しちまう可能性だってあったんだが、あの朝比奈さんがこんなくだらないことで噓を言うはずはないから、鶴屋家先祖代々の秘宝などどこを探してもなかったのは本当だ。

「どうしました?」

 古泉が俺の横を歩きながらさわやかなしようをたたえて言った。

「まるでこれから僕たちがやろうとしていることが完全に無駄だとさとっているような顔つきですよ」

 俺は無言を通した。こいつに言ってやることはない。

 古泉、お前だって悟っているような顔をしているじゃないか。何かが出てこようがこまいが、これが自分の仕事だと割り切っているような、そんな顔だ。

 朝比奈さんがこの時間帯にもう一人いることを知っているような気配だが、だったらそう言えよ。俺が相談持ちかけるのを待っているつもりか? だとしたらあいにくだったな。俺は鶴屋さんというじやな協力者を得たおかげでお前の力を借りる気にはなっていない。だから情報をこちらからくれてやる気にもならんね。人間、待ってばかりじゃ何事もいい方に進んでくれたりはしねえぞ。回りくどい意思表示なんか、かえって白けるだけだぜ。

 俺の無返答をどう思ったか、古泉は持っていたシャベルをひょいと上げてすぐに前に向き直った。微笑顔がそのままなのはゆうの表れか開き直りか、まあ通常の古泉であるのはちがいない。どこか安心する俺も何なんだが、ともあれ今は山登りだ。

 ハルヒが草むらに分け入りながら山のいただきを指差して、

「まずは頂上に行くのよ。あたしがお宝をめるんなら、きっと一番わかりやすいところに穴掘るわね。鶴屋さんの祖先だって同じ人間だもん、発見できやすそうなところにまいぞうしているに決まってるわ」

 わかりやすさ優先ならば埋める必要もないだろうが、ハルヒが目指すところは何であれトップなのである。だからこいつはSOS団長なのだ。宇宙人や未来人やちようのうりよくしやまでもを率いる、どうしようもなく上りめた、俺たちの水先案内人なんである。



 ふうふう言いながら登る朝比奈さんの背を押すくらいはしてあげたかったが、これはハルヒが手を引くことでフォローしたため俺の出番はなく、そうしているうちに山の頂上までは三十分ほどで着いた。意外にかかったような印象だが、登山道はなるべく登頂者に負担をかけないように作られたもののようで、きゆうこうばいを意識することなく歩いているうちに俺たちは小山を一つせいしたわけだ。

 もともとおかよりも少しは高いかレベルの山だったからろうかんもそれほどない。高校へ至る坂道を毎朝上っているせいできやくりよくは自然にきたえられている。問題はこれから起こることにろうしそうなことだった。

 ようするに宝を探さないといかんわけで、ここからがハルヒの本領発揮だ。

「その辺じゃないの?」

 とりあえずハルヒが指差すあたりを手当たりだいに掘ってみた。埋蔵金なり秘宝を手に入れるには適当すぎるが、解っていたこととはいえ、二メートル掘ってもシャベルの先は固い土や石ころ以外のものにき当たってはくれなかった。

 そしてくつさく係は男手に限る、という非常に差別的な決めつけにより、掘っているのは俺と古泉の二人だけである。女子三名は完全なるピクニック気分で、エールを送ってくれている朝比奈さんだけが心のよりどころ。

 ハルヒは「次、その辺」とか勝手気ままに指差すだけで長門は石仏のようにだんまりだ。拝んだら宝のありを教えてくれそうなものだったが、万一そんなもんがあるんだとしても一発で掘り起こしてしまうのも不自然かと自重した俺は、長門に手を合わせるのをひかえている。

 もともと見つけたりしたらまずいのだ。加えて、いくらリアリティを無視してのけて自分の現実感覚をしつそうさせるハルヒでも、さすがに苦労なく秘宝が出てきたりしたら多少は疑問を持つだろう。問題は苦労しているのが俺と古泉だけというところにあるわけだが、古泉は爽やかに土木作業を楽しんでいるようなので、結局労苦を覚えているのは俺だけということになる。

 猫の手よりは役に立ちそうな谷口と国木田を人足にやといたかったのだが、これはハルヒがNGを出した。

「いい? 目指してんのはお宝よ、お宝。掘り当てた人間に所有権があるわけ。あたしは公平な団長だから、ちゃんと均等割してあげるつもりよ。あいつらまで入れたら七等分しないといけないじゃないの。あたしはそんなもったいないことをするつもりなんて、ぜんっぜんないんだからねっ!」

 出てくんのがげんろく時代の小判なら俺だってそうするさ。しかし、鶴屋さんくらの奥から出てきた地図だろ。鶴屋家は太平の世から現代まで生き残って今でもはんえいしているって話だが、時代のへんせんとともにいざというときだってあったろう。祖先が残した埋蔵金なんて、とっくにり起こして使っちまってるんじゃねえか? きっとこの宝の地図とやらは昔の鶴屋家当主が残した落書きか、もしくは子孫へ向けたそうだいなジョークなんだ。さんざんな苦労して地中から引っ張り出し、入っていたのが「ハズレでそうろう」なんて書いた紙オンリーである確率のほうが高いと俺はんでいる。なんせあの鶴屋さんの先祖だ、そんくらいのことはひまつぶしにやってそうだ。鶴屋さんだってそう言ってた。だから宝の地図をやすやすとハルヒにじようしたんだろう。鶴屋さんがその当主の立場ならそんなことをやりそうだしな。そして、未来のだれかが四苦八苦しているのを想像しながらフフフとか笑っていたりするのだ。ちょっとしたワクワク感をプレゼントして最後にだつりよく系の笑いをさそおうっていう腹だぜ、こいつは。

 ……とさとすように言ってやりたかったのだが、俺は自分の内なる欲求をこらえてもくもくとシャベルを土に突き立てた。



 小さな山だけあって山頂にもそれほどのスペースはなく、そこかしこを掘り返しているうちにそこら中が穴だらけになった。ハルヒの言うがままにせっせと肉体労働に従事する俺と古泉だったが、にこやかにモグラ役を務める古泉とちがって、だんだん俺はぎやくたいを受けているような気分になってくる。開けた穴をそのままにしておくと危険なので、掘ったそばから埋めもどすという不毛な作業が加わっているせいもある。どこかの非人道的な収容所かけいしよに入れられているようなさつかくおちいるぜ。

「つべこべ言わずに宝を目指しなさいよ」

 いたゴザの上にあぐらをかいているハルヒが、合戦の後方でさいはいるう大将のような不敵なみをかべて指示だけ送っている。その右横にしようのような長門がちょんと正座して文庫本を読んでおり、ひだりどなりに座る朝比奈さんはハルヒと暖を取るように身を寄せ合っていた。

「キョン、あんたはそうやっていいあせかいてるから暖かいかもしれないけど、見てるこっちはけっこう寒いんだからね。早く見つけてくれないとこごえちゃうわ。掘りかたが悪いんじゃないの?」

 俺はお前の指先通りの場所を当たっているだけだ。身体からだを動かしたいんなら自分で好きな場所を掘れよな。

 ハルヒにうでを組まれている朝比奈さんが、おずおずといった感じで、

「あのぅ……。あたしが手伝いましょうか?」

「いいのよ」

 ハルヒは勝手に俺の返事を先取りした。

「これもキョンのためよ。将来、土木業のバイトをするときのための練習だと思えばいいわ。経験値はめ込んでおかないと、後で苦労するものよ」

 同い年のヤツから人生論を聞かされてもありがたくもなんともない。

「いつかそのうち、これやっといてよかったと思うときが来るわよ。因果はめぐるわけ。だから人間、何事もやってみないとね」

 じゃあお前がしろ。

「なあ、ハルヒ」

 俺はシャベルを止めて、額の汗をぬぐった。

「適当に掘っても宝なんて出てきやせんぞ。この山一つをまるごと平地にするつもりじゃないだろうな。だいたい本当に宝がまっているかどうかもあやしいぜ」

「ない、なんてどうしてわかるのよ。まだ見つけてないだけかもしれないじゃないの」

「見つけてないってことは、だから、ないってことじゃないか。まず宝があることを証明して、それから掘らせろよ」

 ハルヒは口元をアヒルにして、しかし目は笑っている。

「これがしようじゃない」

 その手ににぎられているのは鶴屋家伝来の宝の地図である。

「この山のどっかに埋めたって書いてあるんだから、埋まっているのはちがいないでしょ。あたしは鶴屋さんのご先祖様をそれなりにしんらいしているわ。だから宝はあるの、きっと!」

 むちゃくちゃなくつをこねるハルヒの顔は風変わりな自信に満ちていた。まるで鶴屋房右衛門さんが埋めている現場を見てきたような確信だ。

「でも、そうね」

 ハルヒは考えるようにあごに指をあて、

「山頂に埋めたと考えるのは早計だったかしら。いちいち登るのもめんどうだし、もうちょっと低いところにあるのかもね。うん、もっと面白いところに埋まってて欲しいし」

 朝比奈さんの腕から手を放し、立ち上がったハルヒはくつき直すと、

「埋めてありそうなポイントを探してくるわ。それまで、キョン。あんたはあの辺を掘ってなさい」

 新たなあなり候補しよを指差して、しげみに向かって歩き出した。道もないようなところをざくざく進み、登ってきたのとは反対方面に下りていく。

 俺は無言でハルヒの後ろ姿を見送った。俺の方向感覚が間違っているのでなければ、そっちから真下に下りると、山の中腹あたりでやや平たい場所に出くわすはずだ。そして、そこにはひょうたんみたいな石が転がっている。ここを掘れと示しているような、まるで目印のような石が。



 言われたとおりに穴を掘ったはいいが、さすがにうんざりしてシャベルをほうり出し、埋めもどしは古泉に一任して俺がゴザに座り込んでいると、

「これ、どうぞ」

 朝比奈さんが紙コップに入れたホットティーを差し出してきてくれた。何よりの栄養源である。やたらに甘かったが、この甘さこそが朝比奈さんには似つかわしい。

 銀色のほうびんを大切そうにかかえる朝比奈さんは、俺がちびちびはくいろの液体を飲んでいる様子を微笑ほほえんでみていたが、

「ふふ、いい天気ですね、今日。それにいいながめ……」

 木の実のような目が遠くのほうに向けられている。南向きの、山から下界を見下ろす方向だ。はる彼方かなたに俺たちの街がうすぼんやりと広がり、さらに向こうには海が見える。

 ひゅう、と山風がきすさび、朝比奈さんはぶるっと身をふるわせた。

「春に来たらよかったんでしょうね。二月は寒いです」

 朝比奈さんはどこかさびしそうに言い、殺風景な山頂の風景を見回して微笑んだ。

「お花がいていたら、ここももっとごこのいいところだったかなぁ」

 じゃあまた来ましょうか。今度は花見でね。あと二ヶ月もしたら寒気団もどこかに行って、高気圧がじゃんじゃんやって来てくれますよ。

「あ、それ、いいですね。お花見。一度やってみたいんです」

 朝比奈さんはひざを抱えるように座り直した。

「四月かぁ。そのころ、あたし、三年生になってますね」

 それはそうだろう。俺がおそらく二年生になっているように、朝比奈さんも進級すれば三年だ。まさかダブりはしまい。

「ええ、だいじょうぶそう」

 そう言いつつも朝比奈さんはいきのような声で続けた。

「でも、もう一度、二年生をやっていてもいいかなって、少しだけ思うんです。キョンくんたちと同じ学年になれるから。今だとあたし一人だけが一こ上で、なのに全然上級生らしくなくて……」

 そんなもの、朝比奈さんが気にすることではかんぺきにない。童顔で背の低いグラマー美少女をマスコット化したいという理由で無理にかんゆうしたのはハルヒであって、言い出したらきかないのもハルヒである。もしあいつが朝比奈さんと同学年になりたいと考えるようなことがあれば、本人の意思など無関係にダブりでも降格でもさせるであろうから、あなたは気にせずSOS団専用メイドをやっていてくれれば俺は満足です。

「うふ。ありがと」

 近くで読書中の長門を気にしてか、朝比奈さんはあくまで小声で俺にささやいた。

「来年度はもっとマシなことができたらいいんですけど……」

 俺がほつ的にもう一人の朝比奈さんについて口走ってしまいそうになったその時、れた茂みをガサガサかき分けてハルヒが戻ってきた。

「何よ、もうきゆうけいしてんの?」

 二時間近くも働かせといてその言いぐさはあんまりだろう。

「ふふん、いいわ。あたしもそろそろおなかいてきたしさ」

 ハルヒは何がうれしいのか、スキップするような足取りでやって来ると、

「みくるちゃん、お弁当にしましょ」

「あ、はいはい」

 すかさずバスケットを開く朝比奈さんの姿がこうごうしい。次々に取り出される手作りのサンドイッチや三角おにぎりや総菜の数々、まさに今の俺にとって宝以外の何ものでもなかった。このために今日ここまで来たと言っても過言ではない。

「…………」

 長門も読んでいた文庫本をひっそりと閉じ、じっと朝比奈さんの手元を注目している。め戻してやわらかくなった地面にシャベルをした古泉が寄ってきて、

「実においしそうですね」

 おだやかな事前感想を述べ、

「おいしいに決まっているわよ。運動の後だもん」

 ハルヒがまた勝手に決めつけて、自分の紙コップに魔法瓶のホットティーをドバドバといでから空高くかかげた。

「では、宝探しの成功をいのって、みんなでいただいちゃいましょう!」

 これだけ見ればちよう完全なピクニックだ。俺と古泉がところどころ土色によごれているのをのがしてくれればだが。

 こん入りおむすびをほおりながら横目で見る限り、そもそもハルヒにしてからが宝探しというメイン行事を忘れているかのように朝比奈弁当をかっくらっている。俺と古泉がなかなか掘り当てないのにごうやして自分でシャベル持ってあちこち穴をあけまくってもおかしくないのに、今日のハルヒはみように最初から楽しそうだった。山登りとみんないつしよの青空ランチが目的だったというふうな楽しみようだ。

 朝比奈さん(大)の未来通信と同じくらい最近のハルヒの行動もよくわからんな。急にメランコリーになったり、かと思えば豆をきだしたり、また大人しくなったと思えば宝の地図でさわぎ出したり……。

 まあ、いいのか。《神人》のいるバカ空間に引きずり込まれたり、秋なのに桜を満開にさせたりすることに比べたら、ここから月かアンドロメダ星雲のどちらかを選んで行って帰ってくるくらいのちがいがある。ならあつとう的に月のほうがマシだ。すでに人間の足がれている天体と銀河鉄道に乗らんといかんくらいのぜんじんとう彼方かなたでは大違いさ。もっとも、俺はへい空間も秋の異常現象も経験済みなわけだが。

 五人そろっての野外の弁当パーティはオツなものだった。えんりよなくパクパク食べる長門の食欲も安心感をそそられる。こいつはこいつですっかり新しい長門らしさを所得して、ハルヒは元気まんさい、古泉はいつも通りだ。朝比奈さんも同じと言えばそうなのだが、もう一人が鶴屋家で借りてきたねこ状態になっていることを思うと、そうそう落ち着いてはいられないな。

「ねえ、キョン。もしお宝を手に入れたら、あんたどうする?」

 カツサンドを一口で食べているハルヒがいてきた。そんなもうそうならよくするから俺の返答もしゆんびんだ。

そつこうかんきんして新しいゲーム機とやり残していたゲームソフトを買って、何年か前にオフクロが古本屋にうっぱらっちまったマンガも全巻買いもどして、後は貯金する」

「そんなの、ただの小金づかいじゃん。もっと大きな夢を持ちなさいよ」

 あっという間にカツサンドをまるごと飲み下したハルヒは、情けないものを見るまなしを俺に送ってれんびんのようなみを作った。ではお前はどうするつもりなのか、ためしに言ってみろ。

「あたしはお金なんか別に欲しくないわ。換金できそうな宝でも売り飛ばそうとは思わないわね。だってせっかくがんばって手に入れたものなんだもの、大切に保管しておいて、そのうちどこかにまた埋めるわけ。自分の子孫あてに宝の地図を書くのって、お金にえられないくらい楽しそうだとは思わない?」

 子供のやりそうな宝探しゲームなら楽しみもするだろうが、俺はそこまで小遣いに満ち足りた思いをしているわけではないぜ。もらえるもんならホイホイともらうし、いらないものなら埋めるよりは捨てちまうさ。

「つまんないわねえ」

 ハルヒはあきれたようにくちびるをひん曲げ、笑みをこぼしながら、

「そうね。キョンみたいにバカなつかい方するんだったら、宝もお金に換えられないもののほうがいいわね。みくるちゃんもそう思うでしょ?」

「えっ?」

 いきなり話をられた朝比奈さんは、食べかけの俵むすびを取り落としそうになりつつ、もごもごする口元を上品に手でかくしていたが、大きな目をくるくるさせながら、

「そ……そうですね。いえ、ちが……、ええと、そのほうがかえって喜ばれるような……」

 なぜかそこで言葉を切った朝比奈さんは、俺とハルヒをチラチラとうかがうような目をして、

 あわてたりで手を振った。

「で、出てくるといいですね。たからもの」

「いえ、絶対出てくるわよ。たからもの。あたしには解るの」

 ハルヒがいつものこんきよのない一言を発し、サラダサンドを一口で頰張った。

 ゴザのすみの方では長門がハルヒに負けじとおうせいな食欲を続けていて、その横では古泉が少年アイドルのグラビア写真めいたポーズでかたひざを立てている。俺の視線に気づくと古泉は紙コップをわずかにかたむけてだまったまま微笑ほほえみ、朝比奈さんは自分の作ってきた弁当を見る間に片づけていくハルヒと長門をれとしたお顔で見てらっしゃる。

 一時だけだが、未来人から来た手紙や鶴屋家在中の朝比奈さんのことが俺ののうから消え去っていた。こうして全員、わいわいと弁当広げていられている今がけっこう楽しかったからだろう。季節はずれの登山ものない宝探しも、じようげんのハルヒや変になっていない長門やつうにしている古泉や朝比奈さんを見ていると、まあしばらくはだいじょうぶかという気分になってくる。

 いや……。むしろ、だいじょうぶにしなければならないんだ。

 ってところで思い出すわけだ。そのためにすべきことが明日と明後日あさつてに残っているという俺の未来を。



 そうしてにぎやかな昼食が終わり、腹ごなしのような、あえてびようしやする必要もない俺とハルヒの茶飲み話的バカトークも一段落ついたところで、ハルヒが両手をはたいて立ち上がった。いよいよ来るべき時が来たと心の帯のはしにぎりしめる。

「さ、宝探し午後の部の開始よ」

 ハルヒは弁当箱やほうびんを片づけている朝比奈さんをしりに、

「さっき、あっちのほうから下に下りてみたんだけどね。この山、木がいっぱい生えてるかられそうなところはあんまりなかったわ。逆に言うと、木の生えていないところにめられているってことよ。木の上からじゃ穴掘れないもんね」

 シャベルを俺に押しつけて、

「でも、いい具合に開いているスペースを見つけたの。そこに行きましょ。ちょうどそこからまっすぐ下りると、帰るにしても早道だわ。わざわざバスに乗らなくてもよかったくらいよ」

 見ると古泉はすでにシャベルをかたにかけて下山の態勢でいる。長門がゴザをくるくると巻いて手にたずさえ、朝比奈さんは大切そうにバスケットを両手で持って、ハルヒの言うことになおにうなずいていた。

 岩場と木だらけのきゆうこうばいをハルヒはカモシカのようにピョンピョンび下りていく。特に急いでいるわけでもないのにスイスイと下っていくのが長門で、

「わひゃっ。ひえ」

 何度もけそうになる朝比奈さんの身体からだをすかさず助けているのも長門だった。俺と古泉は重いシャベルがじやしてそこまで手が届かないのである。こんなシャベルなど今すぐほうり出して朝比奈さんを背負いたいくらいだったが、ここは長門に任せておこう。支えてもらうたびに頭を下げる朝比奈さん、あなたは気の回しすぎです。

 ほぼ直線コースを下りているおかげで、山の裏側を登ってきたときとは比べものにならない短時間で俺たちは目的地にとうちやくした。

「ここよ。見て、ここだけ不自然に平らになってるでしょ?」

 足を止めたハルヒが俺たちに指し示したのは、ちがいない。一昨日おとといの夕方に俺と朝比奈さん(みちる)が来た、例の場所だ。背の高い樹木に囲まれているので日中なのにうすぐらいが、落ち葉のめられた半月状の空間は見覚えがありすぎるものだった。

 ひょうたん石も健在だ。ていた状態から起こして西に三メートル移動させたあの石は、俺がそうしてやった同じ位置に立っていた。二日前より白っぽくないと見えたのは、なるほど雨のせいだ。全体的に湿しめっているせいで色がくすんでいる。おまけに余計などろを洗い流してくれたらしく、しげしげと見ない限り表裏の色の違いもそんなに目立たなくなっていた。

 が、さすがにハルヒがひょうたん石に歩み寄っていった時にはきもが冷えた。カンの異常にするどい女なのだ、また変に感づかなければいいのだがと思っていると、ハルヒはひょうたん石に片足をかけ、あっけなくよこだおしにしてしまった。そして石にそれ以上の関心をはらわず、その上にこしける。

「キョン、古泉くん。第二部の始まり。とりあえずそこらへんを掘ってみてくんない?」

 俺たちに笑いかける顔はイタズラむすめというにふさわしい。古泉はさっそく「りようかいしました」などと調子を合わせてハルヒの指示に従っているが、俺にはもう一つ気がかりな部分がある。

 ひょうたん石が元あった場所、俺と朝比奈さん(みちる)とでそうしたはいいが、よく観察したら不自然っぽいところが──と、見ると。

「…………」

 まさにその場所に長門がゴザを敷いていた。身をかがめていた長門のよこがみすきから無表情な目がのぞいて俺をいちべつする。長門は合図らしい合図をしなかったが、ゴザに座ってもくもくと本を開く姿が仏めいて見えた。

 すみっこ好き宇宙人が大半のスペースを余してくれているため、あいたゴザには朝比奈さんがえんりよがちに正座した。ジャンルの違うがみがペアになっているシーンも貴重である。いつも真ん中に本尊みたいなヤツがメインを張っているからな。

「こらー! キョン、ぼんやりしてちゃダメじゃないの。早く古泉くんを手伝いなさい!」

 そのメインたる団長が下請けのたいまんを目にした現場かんとくみたいな大声でさけぶ。なんだってこううれしそうに命令するヤツだろう。ハルヒを部下に持ったりしたら、その上司はストレスで会社に来なくなりそうだが、俺がその立場になることはないだろうと思いつつ、俺はシャベルをって返答に代えつつ、湿った地面を掘り始めている古泉のもとに急いだ。



 結果を言ってしまおう。

 案の定かつ当たり前のことだが、掘っても掘っても宝はおろか土器の欠片かけら一つも出なかった。朝比奈さん(みちる)の予言通りなのでちっともおどろけない。何かの手違いでみようなもんが出てくることをおそれていた俺は安心したような肩すかしをくらったような複雑な感情をいだく。これはこれでいいんだろうが、ちょっとたんたんとしすぎていないか?

「うーん。見つかんないわねえ、まいぞうきん

 と首をかしげてうなっているのはハルヒだった。持参したチョコクッキーを俺に見せつけるようにバリバリ食べながら、ハルヒはひょうたん石の上に腰掛けている。

 俺はもどし作業の手を休めて付近の状態に目を転じた。自然のままだった地面が見るもざんになっている。掘っては埋めてのり返しをあちらこちらでやったせいで、素人しろうとが耕した畑のような有様だ。やっぱり自然は手つかずのほうがいいね。

「しょうがないわ」

 ハルヒにしてはめずらしく、達観したように肩をすくめて、

「もう掘るとこもなさそうだし、これで終わりにしましょう」

 そうして最後に人差し指がきつけられたのは、ハルヒの足もと、自分の乗っているひょうたん石の真ん前だった。

 命令に従ってまた延々とる俺と古泉。掘っても何も出てきやしないくうきよな穴ボコ。き出した山土を再び穴に戻していく俺と古泉。

 これでは固い地面をミミズが住みやすくするようにやわらかくしているだけである。

 宝が未発見に終わったことでハルヒがどんな八つ当たりを見せるかと思えば、

「じゃあ帰りましょ。日がかたむいてきたし、これ以上山の中にいるとこごえそうよ。こっちから下りていくのがいいわ。ちょうど北高の通学路の近くに出るのよ」

 さばさばと荷物をまとめ、俺と古泉が朝比奈ティーを飲んで休む時間もそこそこに下山命令を出した。たかたかとけものみちを下りていく姿には、もはや山にも宝にも未練はないように見えるが、なんだそりゃ。寒中ピクニックのついでに穴掘らせただけかよ。

 ぜんとする俺のかたに古泉の手が置かれた。

「いいではないですか」

 さとすような口調はやめて欲しい。おこったときのウチのオフクロを思い出すからな。

「失礼。ですが、僕だってややろう気味ですよ。ここにとどまって涼宮さんが次のはつくつポイントを見つける前に、ばやてつ退たいするのが一番だと思いますよ」

 そんなん俺だって同意見だ。すでに朝比奈さんと、丸めたゴザだけを荷物とした長門もてつしゆうにかかっているしな。俺は自分のやっていることの意味づけを考えているだけなのだ。

「意味ですか?」

 歩き出した俺の後を追いながら古泉が声にみをふくませた。

「涼宮さんの気まぐれでいいではありませんか。毎回そうだったでしょう?」

 宝へのしゆうちやくしようめつさせたハルヒがどんどん先に進んでいる。朝比奈さん、長門と続いて、少しはなれたところを俺と古泉は下りていた。

 獣道半ばで、古泉は声をひそめてこんなことを言い出した。

「しかしながら、宝物がなかった、というのは本当ならおかしなことなんですよ」

 お前の言いそうなことだ。なぜか今は同意したい。

「いいですか? 涼宮さんがそこに何かがあると真実思ったのだとしたら、鶴屋さんの遠い先祖、房右衛門さんが埋めていようがいまいが、事実としてそこには何かがあるはずなのです。涼宮さんにはそうするだけの力があるのですから」

 らしいな。お前の言い分によるとだが。

「にもかかわらず、僕たちは何も発見できませんでした。これは相当不思議なことです。なぜなのでしょうか」

 本当はハルヒだって信じてなかったんだろ。あんな当てにならない宝の地図があるもんか。房右衛門爺さんのイタズラ書きだ。

 古泉はしんみようにうなずいた。

「さすが、解っていますね。その通り、涼宮さんはげんろく時代の宝物を心底から望んだりはしなかったんです。そうとしか思えません。ただみんなでピクニックに行きたかっただけだとぶんせきできます」

 素直にそう提案すればいいのに、わざわざ宝探しにこじつけなくとも俺だって別に反対ばかりするわけじゃねえぞ。

「そこはみようおとごころが作用したのではないですか? 冬休み以来、涼宮さんの精神は安定を保っていますが、あるいは安定しすぎることにきてきたのかもしれません」

 お前の仕事もヒマになっていいことだろう。あの青いきよじんたおしに出かけようが出かけまいが、古泉のアルバイト代に変化はないだろうし……。

「いや、待て」

 俺は片手を挙げて発言を求めた。

「ハルヒの精神が安定しっぱなしだって? 二月に入ってからもか?」

「ええ。微妙なれはありますが、少なくともマイナス方向に向かった様子はありませんね。どちらかと言いますと、割にこうようしているほうです」

 じゃあ、ここしばらく俺がハルヒに感じていたブルーなオーラは何だったんだ? 俺の気のせいか?

「そんなものを感じてたんですか?」

 古泉は軽くおどろいた様子で、

「僕にはいつも通りの涼宮さんに見えましたが」

 お前はハルヒの精神的専門家じゃなかったのか? 俺に解ったもんをどうしてお前がらないんだ。分析医の真似まねごとはもうやめにするか。

「それもいいですね」

 簡単に笑みを取りもどした古泉は、人のよさそうな目つきで俺を見た。

「僕よりあなたのほうが涼宮さんの心理を読みとれるというのであれば、僕は自分の役割を喜んであなたにしんていします。へい空間の《神人》退治を含めてね。ずいぶんごでしょう、あちらの世界も」

 いらないね。金輪際行きたくない。色々ひっくるめて俺はここが好きなんだよ。

「それは残念。と言っても僕も長らくご無沙汰ですが」

 せっかくの能力を生かし切れないのはごうはらだろう。いっぺん灰色空間探訪パッケージを売り出してツアーでも組んだらどうだ? 物好きな連中が集まってくるかもしれんぞ。

「考えておきましょう。そのアイデアを上司に提案するのはかなりの勇気を必要とするでしょうけどね」

 古泉相手に言語的キャッチボールをしているうちに、俺は一昨日おとといと同じ畑のあぜ道に辿たどり着く。先に下りていたハルヒが長門と朝比奈さんと並んで待っていた。黄金きんいろの夕焼けに染まった三人がれた田畑のわきに立っている姿は、印象派の画家にしようかいしたらすぐさまデッサンを始めそうなくらいにハマっていたが、ゆっくりかんしようする間もなく、

「駅前に戻ることもないわね。今日はここで解散しましょう」

 ハルヒが俺からシャベルを取り上げて満足そうな笑みをかべる。

「楽しかったわ。たまにはいいわねえ、自然とのふれあいも。宝物はなかったけどしようちんすることないわ。そのうち見つかるって。今日の経験がよかったと思える時がきっと来るわよ。鶴屋さんにはまた言っとく。次はむろまち時代の地図が出てくるかもしんないしさ」

 何時代の宝でもいいが、もう地図はいらない。俺からも鶴屋さんに言っておこう。何が出てきてもハルヒにわたすことはないようにとな。

 しかしシャベルを二本かついで大通りに向かうハルヒの飛びねるような後ろ姿をながめていると、俺の口もにくまれゼリフをたたこうとはしない。こいつが教室でしずんでいたように見えていたのが俺のさつかくだったのかどうかは解らんが、ともかく元気になるのはいいことだ。変におとなしいとばくはつするためにパワーゲージをめているのかとビクビクしちまう。うーむ? どうして俺は自分に言い聞かせるようなことをモノローグしているのだ?

 北高の通学路に出てきた俺たちは、しばらく団子になって歩いていた。そして、いつもの分かれ道に来たあたりでハルヒが思い出したようにり向いた。

「あ、そうだ。明日も駅前に集合してちょうだい。時間は今日といつしよ。いい?」

 悪いと言ったらお前は予定をてつかいしてくれるのか?

 ハルヒは俺を見てニヤリと笑う。なんだ、その笑いは。

「市内の不思議探しをするの。しばらくやってなかったもんね」

 まったく答えになっていないことを言い、ハルヒは全員をチェックするように見回した。

「解ってるわね。みんなおくれずに来るのよ。遅れた人は、」

 冷たい空気を深呼吸するように吸い、ハルヒはいつものセリフを放った。

ばつきんだからね!」



 自分の部屋に帰り着いた俺がまずしたことは、エアコンのスイッチを入れながらけいたい電話を引っ張り出すことだった。

 ほとんど定時れんらくのようにダイヤルした先は、もちろん鶴屋ていである。電話を取ってくれたお手伝いさんみたいな女性のていねいな応対と、朝比奈さんへのスムーズな取り次ぎも慣れてきた。すでに古泉に電話した回数をのべでえているのは確実だ。

「俺です」

『あ、はい。あたしです。みちる……というか、みくるです』

「鶴屋さんは家にいるんですか?」

『いえ……。今日はお出かけみたいです。家族で法事に行くって言ってましたけど』

 鶴屋さんがどこで何してんのか、あまり深くっ込まないほうがいいような気がする。

「朝比奈さん、行ってきましたよ」

『宝探しに……?』

「何にも見つかりませんでしたが」

 朝比奈さんが、ほうっと息をらしたのが聞こえた。

『よかったぁ。あたしが知ってる通りになって……。もし、ちがうことが起こってたらどうしようって思ってたんです』

 俺は電話を耳に当てたまま、意識的にまゆをひそめた。

「違うことなんかになりようがあるんですか? 過去はどこ行っても同じはずでしょう」

『あっ……うん。それは、その、そうなんですけど……』

 受話器を手にしてまどう朝比奈さんが見えるようだ。

『ごくまれに違うこともあるような……。あの、あたしはよくわからないんですが、でも』

 おどおど声を聞いているうちに俺も思い出した。俺が何度か行った十二月十八日。ホワイトボードを使った古泉のダブルループ説なんかを。

 考えてみれば、どこからどこまでが規定こうなのかが今なお解らないのは俺も同じだ。長門が変化させてしまった一年間は、あれはどういうあつかいになるんだ? 古泉予想では十二月十八日は二つあるってことだった。時間がいくつもあっては困るから、再修正されて元にもどった今この時間が正しいものだってのは、まあ合ってるだろうが……。

 あれはどっちだったんだ。先月、俺は小学生の少年を交通事故から救った。あの眼鏡めがねくんが生き延びるのは規定事項だったはずだ。だがあの車は? 規定事項をくるわせるために、だれかがじん的にあの少年をね飛ばそうとしたのだとしたら?

 規定事項を破ろうとする何者かと、守ろうとする朝比奈さん的未来人がいることになる。そして前者もまた未来人であったとしたらどうだろう。それにたいこうできるのは──やはり同じ未来人だけだろう。

 なんとなく読めてきたぜ、朝比奈さん(大)。あなたが俺にさせようとしていることが。

『ごめんなさい、キョンくん』

 しょんぼりした声の朝比奈さんだった。

『禁則がかかってるから言いたいことは言えないし、役に立ちそうなことは全然知らないし……。キョンくん、あたし……』

 しくしく泣かれそうな気配が伝わり、俺はあわて気味に言った。

「それより明日のことなんですが」

 朝比奈さんのくれた行動予定通り、ハルヒは市内パトロールをすると言い出した。明日、土曜日には♯3の指令を実行しなければならないから、どこかで落ち合う場所を決めないといけない。それもハルヒと朝比奈さん(小)に見つからないようなところでだ。

「朝比奈さん、できれば変装してきてくれませんか」

『変装ですか?』

 鼻にかかった声がきょとんとしている。これも目に見えるよう。

「サングラス……は不自然か。この季節だ、マスクをしてても目立たないでしょう。そのくらいなら何とかできません?」

『あ、はい。鶴屋さんにたのんでみます』

「後は時間ですね。明日、俺たちが解散したのは何時ごろでした?」

『うーんと』

 朝比奈さんが思い出す時間はわずかだった。

『ちょうど五時でした。三時頃に集合して、それからみんなできつてんに行って……』

 俺は机の引き出しから♯3のふうとうを取り出し、中身を広げた。指示された住所は集合地点の駅前から歩いて十分くらいか。十五分だとしても往復三十分。

 午前中は鶴屋家でじっとしてもらうことにして、午後の市内パトロールが始まってしばらくしてから落ち合うのがベストだろう。

 細かいタイムスケジュールを聞き出してから、俺は合流する場所と時間を指定した。

「んじゃ明日、よろしくお願いします。なるべく目立たない格好で。ああ、それと」

 俺の胸中にあるわずかなくもり空がこう言わせた。

「できれば鶴屋さんと来るようにしてもらえませんか? 俺がたのんでたと伝えてください。えーと、ああいや、巻き込もうとしてるんじゃないんですよ。そこは心配いりません。ただ、朝比奈さんの送りむかえをやってくれないかなと……」

 鶴屋家から待ち合わせ場所まで、この朝比奈さんは一人で往復しなければならない。取りし苦労だと思うが、なんとなくの危機意識が俺に注意せよと言っている。一人歩きはさせないほうがいいような。

『はあ。言ってみます』

 鶴屋さんのことだ、俺の言いたいことなどいつしゆんく。期待しておこう。

 俺は電話を切ると、すぐまた長門のところに電話した。またまたらいすることがあるからな。

 だが。

「んん?」

 おどろくべきことに、話し中だった。

 長門が誰かと電話をしているだって? キャッチセールスでもなければがいとうしやが思いつかない。俺は長門の家に電話してしまったオペレーターに同情しつつ、いったんけいたい電話を置いてえることにした。どろまみれのパンツをせんたくたたき込み、戻ってきて、かけ直す。

 今度は出た。

「俺だ」

『…………』

 おなじみの長門的ちんもく

「明日のことでちょっと頼みたいことがあるんだ。パトロールのメンツをいつもクジで決めてるよな? 明日と明後日あさつて、その割り当てを細工して欲しい」

『そう』

 ひんやりととうめいの高い声が答える。

「そうなんだ。明日の午後の回と、明後日の初っぱな、俺とお前が組むようにしてくれないか?」

『……………………』

 じやつかん長めのような気がする沈黙の後、

『そう』

 いいってことなんだろうが、いちおうかくにんする。

「やってくれるんだな?」

わかった』

「ありがとう、長門」

『いい』

「ついでにかせてくれ。さっきかけたら話し中だったが、相手はだれだったんだ?」

 再び時が止まったような沈黙が続けられた。もしや俺の知らない誰かとひそやかなサイドストーリーを進行させていたのかと心配になりかけたとき、

『涼宮ハルヒ』

 よほど知らないヤツのほうがマシだったかもしれん。

「あいつがかけてきたのか?」

『そう』

「なんでまた、あいつがお前んとこに」

『…………』

 三度目の沈黙。俺がちようかくをとぎすませて受話器ごしの気配を感じ取ろうとしていると、長門はポツリと答えてくれた。

『教えない』

 この何日か、長門には驚かされっぱなしだ。このセリフを俺相手に聞かされるとは。

 俺はコンセントをかれたラジオのようにだまり込む。

『知らないほうがいい』

 そらおそろしいことを言わないでくれ。世界で一番なぐさめにならない言葉だぞ、それは。

『…………心配はない』

 ためらいを感じさせるような声だった。言おうかどうか迷ったあげくのような、確かに心配だけはいりそうにない気配だけは感じ取れる。ははあ、ピンと来た。

「ハルヒに口止めされてんのか?」

『そう』

 つまりハルヒがまたみようなことをくわだてて、それに長門を引っ張り込もうとしているのだろう。で、それは俺には秘密だと。何かは知らないが、この長門の口ぶりだと知ったところでどうということのないもんにちがいない。宝探しだいだんとか、まあそんなのだろう。

 俺は息をひそめているような長門に、明日のことを念押しし、電話を切った。

 やれやれ、こんないそがしい一週間は数学と物理と世界史が同じ日に重なったテスト期間中でもないぜ。

「ハルヒのヤツ、今度は俺たちに何をさせる気だ……?」

 このままでは俺の仲間は古泉だけになっちまいそうだな。ハルヒも長門も朝比奈さんも俺の予想をえたことをやり出すようになりつつある。ああ、鶴屋さんもだな。どうも生命体として本質的に男は女にかなわないようになっているんじゃないだろうか。恐るべしX染色体。その本質とやらを教えてくれ。

 来週が心おだやかに過ごせるようにいのりつつ、俺はころんだゆかの上で大きく手足をばした。

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