翌朝、俺は枕元(で鳴り続ける目覚まし時計を止めに来た妹によって起こされた。
「うるさいにゃーあ、ねえシャミー」
妹は俺のベッドの足元で丸くなっていたシャミセンを持ち上げ、その肉球で俺の鼻を押しながら、
「朝ご飯はーあ、どうするのーう?」
節をつけるように唱(っている音(痴(具合がアラームよりも頭を刺(激(する。
「喰(う」
俺は妹に操(られた猫(の手を払(いのけて身を起こし、妹の腕(からシャミセンを取り上げて床(に下ろした。迷(惑(そうにしていたシャミセンは、フンと鼻を鳴らして再びベッドによじ登った。
俺が着(替(えている最中、妹は三(毛(猫(の頰毛をふにふにと摘んでいたが、やがて抗(議(行動としてパタパタする尻尾(をつかみ始め、ついに「ぐふにゃあ」と鳴いたシャミセンが走っていくののを追って部屋を出て行った。朝から俺の部屋で暴れるな。おかげで目は覚めたが。
部屋を出て洗面台に向かう途(中(で、「猫マフラーぁ」とか言いながらシャミセンを首の後ろに乗せようとしている妹と、妹のチルデンセーターに爪(を立てて抵(抗(するシャミセンコンビに出くわしたが、軽(やかに無視することにする。
洗面台の鏡の中で歯を磨(いている自分の冴(えない面(を睨(みながら今日は何の祝日だっけとどうでもいいことを考えつつ、家の外でぴゅうぴゅういってる風の音を呪(いつつ、さっさと春にならんものかと思う。できれば高校一年というニューフェイスなポジションをもうちょっと持続したかったが──留年とかはなしで──、寒いのはもう勘(弁(だ。宝探しだろうが市内徒(然(歩きだろうが暖かい季節ならもっと寛(容(になれるが、二月だぞ、二月。
しかし何月だろうがハルヒが何かを言い出したら、その何かを何が何でもやり遂(げなければならないのである。海底に沈(んだ古代船をサルベージしようと言い出さなくてまだよかったと思おう。うむ、前向きだ。
朝飯を喰い終え、可能な限り登山を意識した上着を羽織って俺は徒歩で駅前を目指した。チャリを使わないのは、鶴屋山まで行くには駅前からだとバスに乗るほかないからだ。現地集合ならもっと早くに着けるのに、いちいち駅前集合ポイントがスタートになるのは、もう理由のあるなしとは無(縁(にツッコミ不要の単なる約束事になっているとしか思えん。
まるで太陽と賭(をした北風がムキになっているかのような横風を浴びながら、マフラーに顔を埋(めるように歩く。特に急ぎ足でもないのは時間に余(裕(があるからではなく、どうせ時間通りに行っても俺が最後の一人になっているだろうから。これも約束事みたいなもんさ。俺が誰かを待つ立場になったのは、あの時だけさ。
そういうわけで俺が駅前に到(着(したのは九時五分前だったが、SOS団の全員がすでに揃(っていて、思い思いの顔を向けてきた。
冬将軍より上の位(を天から授(けられたような顔をしたハルヒが、
「どうしてあんただけいっつも遅(れるのよ。あたしが来たときにはみんなちゃんと待っててくれてるのよ? 団長を待たせて少しは心苦しくなんないわけ?」
俺が心苦しさを覚える先がお前になることは間(違(ってもない。だいたい俺以外の三人がお前より早く来てるってことがどういうことかと言うと、全員に喫(茶(店(で奢(るという役割をお前が負うことはないのは俺のおかげってこったろうが。それこそ少しは心を痛めて欲しいね。
「何言ってんのよ。遅れて来たのはあんたでしょ」
ハルヒはニンマリとした笑(顔(を見せて、
「なによキョン、まるで悩(み事でもあるような顔してるわよ。どうかした?」
どうもしやしない。このせっかくの祝日に、しかもこの寒い日の朝から、見つかるわけのない宝を掘(り出しに行く自分の不幸を嘆(いているだけだ。
「もっとキビキビした顔しなさいよ。それともシャミセンの病気がぶり返したの?」
「いーや」
俺は首をすくめつつ横に振(り、
「ただ寒がっているだけだ」
フフンと強気な顔でハルヒはやれやれとばかりに両手を広げ、
「そういうときは臨機応変に心と体を切り替(えるのよ。今日なら、そうね、寒冷地仕様登山モードにするわけ。簡単でしょ?」
プラモの改造じゃねえんだ、そう安易に変身できるものか。モード選(択(のスイッチなんかたいていの人間にはついていない。ハルヒみたいなオールシーズン全天候型には解(るまいが。
俺とハルヒがひとしきり朝の挨(拶(を繰(り広げている間、他(三名は観衆モードで立っていた。
古泉・朝比奈さん・長門の順に、カジュアル・ベーシック・ナチュラルな格好だ。長門のナチュラルというのは制服にダッフルコートがプラスされただけであり、それのどこが山登りファッションなのだと俺が言うこともないが、長門を鶴屋さんの家に連れて行って置き去りにしたら、きっと鶴屋さんは面(白(がって長門に自分のお下がりを着せてやるんじゃないかと意味もなく思った。機会があったら一度試(してみよう。
古泉はお前どこのチラシから飛び出てきたんだと言いたいくらいに冬用ジャケットを着こなしていて、そのままデパートの衣料コーナーに行ってマネキンと入れ違(ってもいいくらいだ。工事現場に置いてありそうなシャベルを二本も抱(えているところを除けばだが。
朝比奈さんは無難なパンツルックに無難なダウンジャケット姿である。今さらながら、朝比奈さんの私服姿で二回と同じ服を見た覚えがないような気がしてきた。
「お弁当、作ってきましたよ」
すっかり行楽気分なのか、微笑(ましさ百パーセントな顔をした朝比奈さんが持っているのは大きなバスケットのみである。今日はこれを食べに来たと思えばいいか。
それにしても、この朝比奈さんを俺が半ば命じる形で過去に飛ばすことになるとは、どうしても信じられない。あの朝比奈さんは本当に正しいことを言っているのか?
「どうしました?」
朝比奈さんがキョトンとした顔で見上げている。
「いやいや」と俺はさり気なく、「弁当の時間が楽しみだな、と思いまして」
「あんまり期待しないでくださいね。うまくできたかどうか、自信がなくて……」
照れるような仕草が思いっきり可愛(かったが、俺の心が癒(しに満たされそうなところをいつも邪(魔(するのはこの女だ。
「お弁当もいいけど」
ハルヒが視界に割り込んで来た。
「あんた、今日の趣(旨(をちゃんと解ってんの? 遊びに行くんじゃないんだからね。宝探しよ、宝探し。お弁当に見合った働きをしないと昼食休(憩(は挟(まないからね!」
そんなことを言いつつ、ハルヒは北風との賭に勝利した太陽のような、遊びに出かける直前の子供みたいな笑顔で、俺はその顔を保存しておいていつでも呼び出し可能にしとけよな、と言いたくなったがやめておいた。
よく考えたら、それがいつものハルヒ顔であることに気づかされたからである。二月に入ってしばらくの突(発(的ブルーにあやうく騙(されるところだった。どうして騙された気分になりかけたのかは、俺にだって解りはしないんだが。
例外的に今日は俺のおごりで喫茶店に入ることはなく、ただし免(除(されたわけではなくて繰り延(べされただけ、次回の集合で一番乗りしようが何時に来ようが茶店代は俺持ちだ。そう言い渡(してハルヒが向かったのは駅前ロータリーのバス乗り場である。
一刻も早く宝探しにかからないとタッチの差で誰(かにかすめ取られると思ってでもいるのか、とにかく山登りに行きたくてたまらないらしい。俺は渡されたシャベルを担(ぎながら山の手行きのバスに乗り込み、つり革(を持って古泉と並んで立っている。二人してシャベルを持っているものだから目立って仕方がない。山方面に向かうバスの乗客がまばらであるのが唯(一(の慰(めである。
三十分ほど揺(られただろうか。ハルヒに促(されてバスを降りたのは、駅前の喧(噪(が噓(のような自然のまっただ中だった。同じ市内とは思えないくらいだが、実は小学中学時代の遠足と称(する山歩きのおかげでここら辺は俺にも馴(染(みになっているので意外性なし。ここからさらに北に向かえば本格的な登山遠足だ。幸いなことに鶴屋さんの山はそれよりももっと低いところにあって、意外だったのはこれが鶴屋家の私有地だってことだった。道理で遠足でも一回も登らなかったはずだ。
「こっちから登るのが楽みたいよ」
ハルヒが地図を手にして先頭を切っている。俺は鶴屋山──と言ってるが本当の名前は知らない。いいだろ別に鶴屋山で──の頂上を見上げながら白い息を吐(いた。
一昨日(、俺と朝比奈さんが登ったのとは違い、ちょうど山の反対側だ。どっちが裏道かと言えば、どうやら前回のものが裏道に相当していたらしいな。今ハルヒが目指している山の麓(からは、頂上へ至るジクザグ状の細い道がてっぺんまで続いている。なるほど、こっちからなら割と容易に登頂できるってわけか。うん……?
「キョン! ぼんやり空を見てる場合じゃないわよ、きりきり歩きなさい!」
ハルヒの声が飛び、俺は止めていた足を動かし始めた。なんか引っかかりを感じていたんだが、そのせいで消えちまったじゃないか。
「解(ってるよ」
俺はシャベルを担ぎ直し、山道に踏(み入ろうとする一団の後を追った。野に返されたウサギのように飛び跳(ねているハルヒはともかく、朝比奈さんまでが本当に遠足状態の小学生のようにしていたりするし、長門はいつもとまったく同じだし、古泉はずっと苦(笑(気味だしで、果たしてこのうちの何人が本気で宝を探そうという気合いに満ちているのか、非常に疑問である。自分に満ちていないことは俺が一番よく知っていて、そのため気力も低レベルだ。朝比奈さん(みちる)の俺的未来カレンダーには、掘(っても何も出てきやしなかったという予定が規定事(項(として書き込まれている。そうでなければハルヒのことだ、適当に言い出した宝探しが実現しちまう可能性だってあったんだが、あの朝比奈さんがこんなくだらないことで噓を言うはずはないから、鶴屋家先祖代々の秘宝などどこを探してもなかったのは本当だ。
「どうしました?」
古泉が俺の横を歩きながら無(駄(に爽(やかな微(笑(をたたえて言った。
「まるでこれから僕たちがやろうとしていることが完全に無駄だと悟(っているような顔つきですよ」
俺は無言を通した。こいつに言ってやることはない。
古泉、お前だって悟っているような顔をしているじゃないか。何かが出てこようがこまいが、これが自分の仕事だと割り切っているような、そんな顔だ。
朝比奈さんがこの時間帯にもう一人いることを知っているような気配だが、だったらそう言えよ。俺が相談持ちかけるのを待っているつもりか? だとしたらあいにくだったな。俺は鶴屋さんという無(邪(気(な協力者を得たおかげでお前の力を借りる気にはなっていない。だから情報をこちらからくれてやる気にもならんね。人間、待ってばかりじゃ何事もいい方に進んでくれたりはしねえぞ。回りくどい意思表示なんか、かえって白けるだけだぜ。
俺の無返答をどう思ったか、古泉は持っていたシャベルをひょいと上げてすぐに前に向き直った。微笑顔がそのままなのは余(裕(の表れか開き直りか、まあ通常の古泉であるのは間(違(いない。どこか安心する俺も何なんだが、ともあれ今は山登りだ。
ハルヒが草むらに分け入りながら山の頂(を指差して、
「まずは頂上に行くのよ。あたしがお宝を埋(めるんなら、きっと一番わかりやすいところに穴掘るわね。鶴屋さんの祖先だって同じ人間だもん、発見できやすそうなところに埋(蔵(しているに決まってるわ」
わかりやすさ優先ならば埋める必要もないだろうが、ハルヒが目指すところは何であれトップなのである。だからこいつはSOS団長なのだ。宇宙人や未来人や超(能(力(者(までもを率いる、どうしようもなく上り詰(めた、俺たちの水先案内人なんである。
ふうふう言いながら登る朝比奈さんの背を押すくらいはしてあげたかったが、これはハルヒが手を引くことでフォローしたため俺の出番はなく、そうしているうちに山の頂上までは三十分ほどで着いた。意外にかかったような印象だが、登山道はなるべく登頂者に負担をかけないように作られたもののようで、急(勾(配(を意識することなく歩いているうちに俺たちは小山を一つ制(覇(したわけだ。
もともと丘(よりも少しは高いかレベルの山だったから疲(労(感(もそれほどない。高校へ至る坂道を毎朝上っているせいで脚(力(は自然に鍛(えられている。問題はこれから起こることに疲(労(しそうなことだった。
ようするに宝を探さないといかんわけで、ここからがハルヒの本領発揮だ。
「その辺じゃないの?」
とりあえずハルヒが指差すあたりを手当たり次(第(に掘ってみた。埋蔵金なり秘宝を手に入れるには適当すぎるが、解っていたこととはいえ、二メートル掘ってもシャベルの先は固い土や石ころ以外のものに突(き当たってはくれなかった。
そして掘(削(係は男手に限る、という非常に差別的な決めつけにより、掘っているのは俺と古泉の二人だけである。女子三名は完全なるピクニック気分で、エールを送ってくれている朝比奈さんだけが心のよりどころ。
ハルヒは「次、その辺」とか勝手気ままに指差すだけで長門は石仏のようにだんまりだ。拝んだら宝の在(処(を教えてくれそうなものだったが、万一そんなもんがあるんだとしても一発で掘り起こしてしまうのも不自然かと自重した俺は、長門に手を合わせるのを控(えている。
もともと見つけたりしたらまずいのだ。加えて、いくらリアリティを無視してのけて自分の現実感覚を疾(走(させるハルヒでも、さすがに苦労なく秘宝が出てきたりしたら多少は疑問を持つだろう。問題は苦労しているのが俺と古泉だけというところにあるわけだが、古泉は爽やかに土木作業を楽しんでいるようなので、結局労苦を覚えているのは俺だけということになる。
猫の手よりは役に立ちそうな谷口と国木田を人足に雇(いたかったのだが、これはハルヒがNGを出した。
「いい? 目指してんのはお宝よ、お宝。掘り当てた人間に所有権があるわけ。あたしは公平な団長だから、ちゃんと均等割してあげるつもりよ。あいつらまで入れたら七等分しないといけないじゃないの。あたしはそんなもったいないことをするつもりなんて、ぜんっぜんないんだからねっ!」
出てくんのが元(禄(時代の小判なら俺だってそうするさ。しかし、鶴屋さん家(の蔵(の奥から出てきた地図だろ。鶴屋家は太平の世から現代まで生き残って今でも繁(栄(しているって話だが、時代の変(遷(とともにいざというときだってあったろう。祖先が残した埋蔵金なんて、とっくに掘(り起こして使っちまってるんじゃねえか? きっとこの宝の地図とやらは昔の鶴屋家当主が残した落書きか、もしくは子孫へ向けた壮(大(なジョークなんだ。さんざんな苦労して地中から引っ張り出し、入っていたのが「ハズレで候(」なんて書いた紙オンリーである確率のほうが高いと俺は踏(んでいる。なんせあの鶴屋さんの先祖だ、そんくらいのことは暇(つぶしにやってそうだ。鶴屋さんだってそう言ってた。だから宝の地図をやすやすとハルヒに譲(渡(したんだろう。鶴屋さんがその当主の立場ならそんなことをやりそうだしな。そして、未来の誰(かが四苦八苦しているのを想像しながらフフフとか笑っていたりするのだ。ちょっとしたワクワク感をプレゼントして最後に脱(力(系の笑いを誘(おうっていう腹だぜ、こいつは。
……と諭(すように言ってやりたかったのだが、俺は自分の内なる欲求をこらえて黙(々(とシャベルを土に突き立てた。
小さな山だけあって山頂にもそれほどのスペースはなく、そこかしこを掘り返しているうちにそこら中が穴だらけになった。ハルヒの言うがままにせっせと肉体労働に従事する俺と古泉だったが、にこやかにモグラ役を務める古泉と違(って、だんだん俺は虐(待(を受けているような気分になってくる。開けた穴をそのままにしておくと危険なので、掘った側(から埋め戻(すという不毛な作業が加わっているせいもある。どこかの非人道的な収容所か刑(務(所(に入れられているような錯(覚(に陥(るぜ。
「つべこべ言わずに宝を目指しなさいよ」
敷(いたゴザの上にあぐらをかいているハルヒが、合戦の後方で采(配(を振(るう大将のような不敵な笑(みを浮(かべて指示だけ送っている。その右横に小(姓(のような長門がちょんと正座して文庫本を読んでおり、左(隣(に座る朝比奈さんはハルヒと暖を取るように身を寄せ合っていた。
「キョン、あんたはそうやっていい汗(かいてるから暖かいかもしれないけど、見てるこっちはけっこう寒いんだからね。早く見つけてくれないと凍(えちゃうわ。掘りかたが悪いんじゃないの?」
俺はお前の指先通りの場所を当たっているだけだ。身体(を動かしたいんなら自分で好きな場所を掘れよな。
ハルヒに腕(を組まれている朝比奈さんが、おずおずといった感じで、
「あのぅ……。あたしが手伝いましょうか?」
「いいのよ」
ハルヒは勝手に俺の返事を先取りした。
「これもキョンのためよ。将来、土木業のバイトをするときのための練習だと思えばいいわ。経験値は溜(め込んでおかないと、後で苦労するものよ」
同い年のヤツから人生論を聞かされてもありがたくもなんともない。
「いつかそのうち、これやっといてよかったと思うときが来るわよ。因果は巡(るわけ。だから人間、何事もやってみないとね」
じゃあお前がしろ。
「なあ、ハルヒ」
俺はシャベルを止めて、額の汗をぬぐった。
「適当に掘っても宝なんて出てきやせんぞ。この山一つをまるごと平地にするつもりじゃないだろうな。だいたい本当に宝が埋(まっているかどうかもあやしいぜ」
「ない、なんてどうして解(るのよ。まだ見つけてないだけかもしれないじゃないの」
「見つけてないってことは、だから、ないってことじゃないか。まず宝があることを証明して、それから掘らせろよ」
ハルヒは口元をアヒルにして、しかし目は笑っている。
「これが証(拠(じゃない」
その手に握(られているのは鶴屋家伝来の宝の地図である。
「この山のどっかに埋めたって書いてあるんだから、埋まっているのは間(違(いないでしょ。あたしは鶴屋さんのご先祖様をそれなりに信(頼(しているわ。だから宝はあるの、きっと!」
むちゃくちゃな理(屈(をこねるハルヒの顔は風変わりな自信に満ちていた。まるで鶴屋房右衛門さんが埋めている現場を見てきたような確信だ。
「でも、そうね」
ハルヒは考えるように顎(に指をあて、
「山頂に埋めたと考えるのは早計だったかしら。いちいち登るのも面(倒(だし、もうちょっと低いところにあるのかもね。うん、もっと面白いところに埋まってて欲しいし」
朝比奈さんの腕から手を放し、立ち上がったハルヒは靴(を履(き直すと、
「埋めてありそうなポイントを探してくるわ。それまで、キョン。あんたはあの辺を掘ってなさい」
新たな穴(掘(り候補箇(所(を指差して、茂(みに向かって歩き出した。道もないようなところをざくざく進み、登ってきたのとは反対方面に下りていく。
俺は無言でハルヒの後ろ姿を見送った。俺の方向感覚が間違っているのでなければ、そっちから真下に下りると、山の中腹あたりでやや平たい場所に出くわすはずだ。そして、そこにはひょうたんみたいな石が転がっている。ここを掘れと示しているような、まるで目印のような石が。
言われたとおりに穴を掘ったはいいが、さすがにうんざりしてシャベルを放(り出し、埋め戻(しは古泉に一任して俺がゴザに座り込んでいると、
「これ、どうぞ」
朝比奈さんが紙コップに入れたホットティーを差し出してきてくれた。何よりの栄養源である。やたらに甘かったが、この甘さこそが朝比奈さんには似つかわしい。
銀色の魔(法(瓶(を大切そうに抱(える朝比奈さんは、俺がちびちび琥(珀(色(の液体を飲んでいる様子を微笑(んでみていたが、
「ふふ、いい天気ですね、今日。それにいい眺(め……」
木の実のような目が遠くのほうに向けられている。南向きの、山から下界を見下ろす方向だ。遥(か彼方(に俺たちの街が薄(ぼんやりと広がり、さらに向こうには海が見える。
ひゅう、と山風が吹(きすさび、朝比奈さんはぶるっと身を震(わせた。
「春に来たらよかったんでしょうね。二月は寒いです」
朝比奈さんはどこか寂(しそうに言い、殺風景な山頂の風景を見回して微笑んだ。
「お花が咲(いていたら、ここももっと居(心(地(のいいところだったかなぁ」
じゃあまた来ましょうか。今度は花見でね。あと二ヶ月もしたら寒気団もどこかに行って、高気圧がじゃんじゃんやって来てくれますよ。
「あ、それ、いいですね。お花見。一度やってみたいんです」
朝比奈さんは膝(を抱えるように座り直した。
「四月かぁ。その頃(、あたし、三年生になってますね」
それはそうだろう。俺がおそらく二年生になっているように、朝比奈さんも進級すれば三年だ。まさかダブりはしまい。
「ええ、だいじょうぶそう」
そう言いつつも朝比奈さんは吐(息(のような声で続けた。
「でも、もう一度、二年生をやっていてもいいかなって、少しだけ思うんです。キョンくんたちと同じ学年になれるから。今だとあたし一人だけが一こ上で、なのに全然上級生らしくなくて……」
そんなもの、朝比奈さんが気にすることでは完(璧(にない。童顔で背の低いグラマー美少女をマスコット化したいという理由で無理に勧(誘(したのはハルヒであって、言い出したらきかないのもハルヒである。もしあいつが朝比奈さんと同学年になりたいと考えるようなことがあれば、本人の意思など無関係にダブりでも降格でもさせるであろうから、あなたは気にせずSOS団専用メイドをやっていてくれれば俺は満足です。
「うふ。ありがと」
近くで読書中の長門を気にしてか、朝比奈さんはあくまで小声で俺に囁(いた。
「来年度はもっとマシなことができたらいいんですけど……」
俺が発(作(的にもう一人の朝比奈さんについて口走ってしまいそうになったその時、枯(れた茂みをガサガサかき分けてハルヒが戻ってきた。
「何よ、もう休(憩(してんの?」
二時間近くも働かせといてその言いぐさはあんまりだろう。
「ふふん、いいわ。あたしもそろそろお腹(空(いてきたしさ」
ハルヒは何が嬉(しいのか、スキップするような足取りでやって来ると、
「みくるちゃん、お弁当にしましょ」
「あ、はいはい」
すかさずバスケットを開く朝比奈さんの姿が神(々(しい。次々に取り出される手作りのサンドイッチや三角お握(りや総菜の数々、まさに今の俺にとって宝以外の何ものでもなかった。このために今日ここまで来たと言っても過言ではない。
「…………」
長門も読んでいた文庫本をひっそりと閉じ、じっと朝比奈さんの手元を注目している。埋(め戻して柔(らかくなった地面にシャベルを刺(した古泉が寄ってきて、
「実においしそうですね」
穏(やかな事前感想を述べ、
「おいしいに決まっているわよ。運動の後だもん」
ハルヒがまた勝手に決めつけて、自分の紙コップに魔法瓶のホットティーをドバドバと注(いでから空高く掲(げた。
「では、宝探しの成功を祈(って、みんなでいただいちゃいましょう!」
これだけ見れば超(完全なピクニックだ。俺と古泉がところどころ土色に汚(れているのを見(逃(してくれればだが。
昆(布(入りおむすびを頰(張(りながら横目で見る限り、そもそもハルヒにしてからが宝探しというメイン行事を忘れているかのように朝比奈弁当をかっくらっている。俺と古泉がなかなか掘り当てないのに業(を煮(やして自分でシャベル持ってあちこち穴をあけまくってもおかしくないのに、今日のハルヒは妙(に最初から楽しそうだった。山登りとみんな一(緒(の青空ランチが目的だったというふうな楽しみようだ。
朝比奈さん(大)の未来通信と同じくらい最近のハルヒの行動もよく解(らんな。急にメランコリーになったり、かと思えば豆を撒(きだしたり、また大人しくなったと思えば宝の地図で騒(ぎ出したり……。
まあ、いいのか。《神人》のいるバカ空間に引きずり込まれたり、秋なのに桜を満開にさせたりすることに比べたら、ここから月かアンドロメダ星雲のどちらかを選んで行って帰ってくるくらいの違(いがある。なら圧(倒(的に月のほうがマシだ。すでに人間の足が触(れている天体と銀河鉄道に乗らんといかんくらいの前(人(未(踏(の彼方(では大違いさ。もっとも、俺は閉(鎖(空間も秋の異常現象も経験済みなわけだが。
五人そろっての野外の弁当パーティはオツなものだった。遠(慮(なくパクパク食べる長門の食欲も安心感をそそられる。こいつはこいつですっかり新しい長門らしさを所得して、ハルヒは元気満(載(、古泉はいつも通りだ。朝比奈さんも同じと言えばそうなのだが、もう一人が鶴屋家で借りてきた猫(状態になっていることを思うと、そうそう落ち着いてはいられないな。
「ねえ、キョン。もしお宝を手に入れたら、あんたどうする?」
カツサンドを一口で食べているハルヒが訊(いてきた。そんな妄(想(ならよくするから俺の返答も俊(敏(だ。
「即(行(で換(金(して新しいゲーム機とやり残していたゲームソフトを買って、何年か前にオフクロが古本屋にうっぱらっちまったマンガも全巻買い戻(して、後は貯金する」
「そんなの、ただの小金遣(いじゃん。もっと大きな夢を持ちなさいよ」
あっという間にカツサンドをまるごと飲み下したハルヒは、情けないものを見る眼(差(しを俺に送って憐(憫(のような笑(みを作った。ではお前はどうするつもりなのか、試(しに言ってみろ。
「あたしはお金なんか別に欲しくないわ。換金できそうな宝でも売り飛ばそうとは思わないわね。だってせっかくがんばって手に入れたものなんだもの、大切に保管しておいて、そのうちどこかにまた埋めるわけ。自分の子孫あてに宝の地図を書くのって、お金に換(えられないくらい楽しそうだとは思わない?」
子供のやりそうな宝探しゲームなら楽しみもするだろうが、俺はそこまで小遣いに満ち足りた思いをしているわけではないぜ。もらえるもんならホイホイともらうし、いらないものなら埋めるよりは捨てちまうさ。
「つまんないわねえ」
ハルヒは呆(れたように唇(をひん曲げ、笑みをこぼしながら、
「そうね。キョンみたいにバカな遣(い方するんだったら、宝もお金に換えられないもののほうがいいわね。みくるちゃんもそう思うでしょ?」
「えっ?」
いきなり話を振(られた朝比奈さんは、食べかけの俵むすびを取り落としそうになりつつ、もごもごする口元を上品に手で隠(していたが、大きな目をくるくるさせながら、
「そ……そうですね。いえ、ちが……、ええと、そのほうがかえって喜ばれるような……」
なぜかそこで言葉を切った朝比奈さんは、俺とハルヒをチラチラとうかがうような目をして、
慌(てた素(振(りで手を振った。
「で、出てくるといいですね。たからもの」
「いえ、絶対出てくるわよ。たからもの。あたしには解るの」
ハルヒがいつもの根(拠(のない一言を発し、サラダサンドを一口で頰張った。
ゴザの隅(の方では長門がハルヒに負けじと旺(盛(な食欲を続けていて、その横では古泉が少年アイドルのグラビア写真めいたポーズで片(膝(を立てている。俺の視線に気づくと古泉は紙コップをわずかに傾(けて黙(ったまま微笑(み、朝比奈さんは自分の作ってきた弁当を見る間に片づけていくハルヒと長門を惚(れ惚(れとしたお顔で見てらっしゃる。
一時だけだが、未来人から来た手紙や鶴屋家在中の朝比奈さんのことが俺の脳(裏(から消え去っていた。こうして全員、わいわいと弁当広げていられている今がけっこう楽しかったからだろう。季節はずれの登山も甲(斐(のない宝探しも、上(機(嫌(のハルヒや変になっていない長門や普(通(にしている古泉や朝比奈さんを見ていると、まあしばらくはだいじょうぶかという気分になってくる。
いや……。むしろ、だいじょうぶにしなければならないんだ。
ってところで思い出すわけだ。そのためにすべきことが明日と明後日(に残っているという俺の未来を。
そうして賑(やかな昼食が終わり、腹ごなしのような、あえて描(写(する必要もない俺とハルヒの茶飲み話的バカトークも一段落ついたところで、ハルヒが両手をはたいて立ち上がった。いよいよ来るべき時が来たと心の帯の端(を握(りしめる。
「さ、宝探し午後の部の開始よ」
ハルヒは弁当箱や魔(法(瓶(を片づけている朝比奈さんを尻(目(に、
「さっき、あっちのほうから下に下りてみたんだけどね。この山、木がいっぱい生えてるから掘(れそうなところはあんまりなかったわ。逆に言うと、木の生えていないところに埋(められているってことよ。木の上からじゃ穴掘れないもんね」
シャベルを俺に押しつけて、
「でも、いい具合に開いているスペースを見つけたの。そこに行きましょ。ちょうどそこからまっすぐ下りると、帰るにしても早道だわ。わざわざバスに乗らなくてもよかったくらいよ」
見ると古泉はすでにシャベルを肩(にかけて下山の態勢でいる。長門がゴザをくるくると巻いて手に携(え、朝比奈さんは大切そうにバスケットを両手で持って、ハルヒの言うことに素(直(にうなずいていた。
岩場と木だらけの急(勾(配(をハルヒはカモシカのようにピョンピョン跳(び下りていく。特に急いでいるわけでもないのにスイスイと下っていくのが長門で、
「わひゃっ。ひえ」
何度も転(けそうになる朝比奈さんの身体(をすかさず助けているのも長門だった。俺と古泉は重いシャベルが邪(魔(してそこまで手が届かないのである。こんなシャベルなど今すぐ放(り出して朝比奈さんを背負いたいくらいだったが、ここは長門に任せておこう。支えてもらうたびに頭を下げる朝比奈さん、あなたは気の回しすぎです。
ほぼ直線コースを下りているおかげで、山の裏側を登ってきたときとは比べものにならない短時間で俺たちは目的地に到(着(した。
「ここよ。見て、ここだけ不自然に平らになってるでしょ?」
足を止めたハルヒが俺たちに指し示したのは、間(違(いない。一昨日(の夕方に俺と朝比奈さん(みちる)が来た、例の場所だ。背の高い樹木に囲まれているので日中なのに薄(暗(いが、落ち葉の敷(き詰(められた半月状の空間は見覚えがありすぎるものだった。
ひょうたん石も健在だ。寝(ていた状態から起こして西に三メートル移動させたあの石は、俺がそうしてやった同じ位置に立っていた。二日前より白っぽくないと見えたのは、なるほど雨のせいだ。全体的に湿(っているせいで色がくすんでいる。おまけに余計な泥(を洗い流してくれたらしく、しげしげと見ない限り表裏の色の違いもそんなに目立たなくなっていた。
が、さすがにハルヒがひょうたん石に歩み寄っていった時には肝(が冷えた。カンの異常に鋭(い女なのだ、また変に感づかなければいいのだがと思っていると、ハルヒはひょうたん石に片足をかけ、あっけなく横(倒(しにしてしまった。そして石にそれ以上の関心を払(わず、その上に腰(掛(ける。
「キョン、古泉くん。第二部の始まり。とりあえずそこらへんを掘ってみてくんない?」
俺たちに笑いかける顔はイタズラ娘(というにふさわしい。古泉はさっそく「了(解(しました」などと調子を合わせてハルヒの指示に従っているが、俺にはもう一つ気がかりな部分がある。
ひょうたん石が元あった場所、俺と朝比奈さん(みちる)とで擬(装(したはいいが、よく観察したら不自然っぽいところが──と、見ると。
「…………」
まさにその場所に長門がゴザを敷いていた。身をかがめていた長門の横(髪(の隙(間(から無表情な目が覗(いて俺を一(瞥(する。長門は合図らしい合図をしなかったが、ゴザに座って黙(々(と本を開く姿が仏めいて見えた。
隅(っこ好き宇宙人が大半のスペースを余してくれているため、あいたゴザには朝比奈さんが遠(慮(がちに正座した。ジャンルの違う女(神(がペアになっているシーンも貴重である。いつも真ん中に本尊みたいなヤツがメインを張っているからな。
「こらー! キョン、ぼんやりしてちゃダメじゃないの。早く古泉くんを手伝いなさい!」
そのメインたる団長が下請けの怠(慢(を目にした現場監(督(みたいな大声で叫(ぶ。なんだってこう嬉(しそうに命令するヤツだろう。ハルヒを部下に持ったりしたら、その上司はストレスで会社に来なくなりそうだが、俺がその立場になることはないだろうと思いつつ、俺はシャベルを振(って返答に代えつつ、湿った地面を掘り始めている古泉のもとに急いだ。
結果を言ってしまおう。
案の定かつ当たり前のことだが、掘っても掘っても宝はおろか土器の欠片(一つも出なかった。朝比奈さん(みちる)の予言通りなのでちっとも驚(けない。何かの手違いで妙(なもんが出てくることを恐(れていた俺は安心したような肩すかしをくらったような複雑な感情を抱(く。これはこれでいいんだろうが、ちょっと淡(々(としすぎていないか?
「うーん。見つかんないわねえ、埋(蔵(金(」
と首を傾(げてうなっているのはハルヒだった。持参したチョコクッキーを俺に見せつけるようにバリバリ食べながら、ハルヒはひょうたん石の上に腰掛けている。
俺は埋(め戻(し作業の手を休めて付近の状態に目を転じた。自然のままだった地面が見るも無(惨(になっている。掘っては埋めての繰(り返しをあちらこちらでやったせいで、素人(が耕した畑のような有様だ。やっぱり自然は手つかずのほうがいいね。
「しょうがないわ」
ハルヒにしては珍(しく、達観したように肩をすくめて、
「もう掘るとこもなさそうだし、これで終わりにしましょう」
そうして最後に人差し指が突(きつけられたのは、ハルヒの足もと、自分の乗っているひょうたん石の真ん前だった。
命令に従ってまた延々と掘(る俺と古泉。掘っても何も出てきやしない空(虚(な穴ボコ。搔(き出した山土を再び穴に戻していく俺と古泉。
これでは固い地面をミミズが住みやすくするように柔(らかくしているだけである。
宝が未発見に終わったことでハルヒがどんな八つ当たりを見せるかと思えば、
「じゃあ帰りましょ。日が傾(いてきたし、これ以上山の中にいると凍(えそうよ。こっちから下りていくのがいいわ。ちょうど北高の通学路の近くに出るのよ」
さばさばと荷物をまとめ、俺と古泉が朝比奈ティーを飲んで休む時間もそこそこに下山命令を出した。たかたかと獣(道(を下りていく姿には、もはや山にも宝にも未練はないように見えるが、なんだそりゃ。寒中ピクニックのついでに穴掘らせただけかよ。
憮(然(とする俺の肩(に古泉の手が置かれた。
「いいではないですか」
諭(すような口調はやめて欲しい。怒(ったときのウチのオフクロを思い出すからな。
「失礼。ですが、僕だってやや疲(労(気味ですよ。ここに留(まって涼宮さんが次の発(掘(ポイントを見つける前に、素(早(く撤(退(するのが一番だと思いますよ」
そんなん俺だって同意見だ。すでに朝比奈さんと、丸めたゴザだけを荷物とした長門も撤(収(にかかっているしな。俺は自分のやっていることの意味づけを考えているだけなのだ。
「意味ですか?」
歩き出した俺の後を追いながら古泉が声に笑(みを含(ませた。
「涼宮さんの気まぐれでいいではありませんか。毎回そうだったでしょう?」
宝への執(着(を消(滅(させたハルヒがどんどん先に進んでいる。朝比奈さん、長門と続いて、少し離(れたところを俺と古泉は下りていた。
獣道半ばで、古泉は声を潜(めてこんなことを言い出した。
「しかしながら、宝物がなかった、というのは本当ならおかしなことなんですよ」
お前の言いそうなことだ。なぜか今は同意したい。
「いいですか? 涼宮さんがそこに何かがあると真実思ったのだとしたら、鶴屋さんの遠い先祖、房右衛門さんが埋めていようがいまいが、事実としてそこには何かがあるはずなのです。涼宮さんにはそうするだけの力があるのですから」
らしいな。お前の言い分によるとだが。
「にもかかわらず、僕たちは何も発見できませんでした。これは相当不思議なことです。なぜなのでしょうか」
本当はハルヒだって信じてなかったんだろ。あんな当てにならない宝の地図があるもんか。房右衛門爺さんのイタズラ書きだ。
古泉は神(妙(にうなずいた。
「さすが、解っていますね。その通り、涼宮さんは元(禄(時代の宝物を心底から望んだりはしなかったんです。そうとしか思えません。ただみんなでピクニックに行きたかっただけだと分(析(できます」
素直にそう提案すればいいのに、わざわざ宝探しにこじつけなくとも俺だって別に反対ばかりするわけじゃねえぞ。
「そこは微(妙(な乙(女(心(が作用したのではないですか? 冬休み以来、涼宮さんの精神は安定を保っていますが、あるいは安定しすぎることに飽(きてきたのかもしれません」
お前の仕事もヒマになっていいことだろう。あの青い巨(人(を倒(しに出かけようが出かけまいが、古泉のアルバイト代に変化はないだろうし……。
「いや、待て」
俺は片手を挙げて発言を求めた。
「ハルヒの精神が安定しっぱなしだって? 二月に入ってからもか?」
「ええ。微妙な揺(れはありますが、少なくともマイナス方向に向かった様子はありませんね。どちらかと言いますと、割に高(揚(しているほうです」
じゃあ、ここしばらく俺がハルヒに感じていたブルーなオーラは何だったんだ? 俺の気のせいか?
「そんなものを感じてたんですか?」
古泉は軽く驚(いた様子で、
「僕にはいつも通りの涼宮さんに見えましたが」
お前はハルヒの精神的専門家じゃなかったのか? 俺に解ったもんをどうしてお前が気(取(らないんだ。分析医の真似(事(はもうやめにするか。
「それもいいですね」
簡単に笑みを取り戻(した古泉は、人のよさそうな目つきで俺を見た。
「僕よりあなたのほうが涼宮さんの心理を読みとれるというのであれば、僕は自分の役割を喜んであなたに進(呈(します。閉(鎖(空間の《神人》退治を含めてね。ずいぶんご無(沙(汰(でしょう、あちらの世界も」
いらないね。金輪際行きたくない。色々ひっくるめて俺はここが好きなんだよ。
「それは残念。と言っても僕も長らくご無沙汰ですが」
せっかくの能力を生かし切れないのは業(腹(だろう。いっぺん灰色空間探訪パッケージを売り出してツアーでも組んだらどうだ? 物好きな連中が集まってくるかもしれんぞ。
「考えておきましょう。そのアイデアを上司に提案するのはかなりの勇気を必要とするでしょうけどね」
古泉相手に言語的キャッチボールをしているうちに、俺は一昨日(と同じ畑のあぜ道に辿(り着く。先に下りていたハルヒが長門と朝比奈さんと並んで待っていた。黄金(色(の夕焼けに染まった三人が荒(れた田畑の脇(に立っている姿は、印象派の画家に紹(介(したらすぐさまデッサンを始めそうなくらいにハマっていたが、ゆっくり鑑(賞(する間もなく、
「駅前に戻ることもないわね。今日はここで解散しましょう」
ハルヒが俺からシャベルを取り上げて満足そうな笑みを浮(かべる。
「楽しかったわ。たまにはいいわねえ、自然とのふれあいも。宝物はなかったけど意(気(消(沈(することないわ。そのうち見つかるって。今日の経験がよかったと思える時がきっと来るわよ。鶴屋さんにはまた言っとく。次は室(町(時代の地図が出てくるかもしんないしさ」
何時代の宝でもいいが、もう地図はいらない。俺からも鶴屋さんに言っておこう。何が出てきてもハルヒに渡(すことはないようにとな。
しかしシャベルを二本担(いで大通りに向かうハルヒの飛び跳(ねるような後ろ姿を眺(めていると、俺の口も憎(まれゼリフを叩(こうとはしない。こいつが教室で沈(んでいたように見えていたのが俺の錯(覚(だったのかどうかは解らんが、ともかく元気になるのはいいことだ。変におとなしいと爆(発(するためにパワーゲージを溜(めているのかとビクビクしちまう。うーむ? どうして俺は自分に言い聞かせるようなことをモノローグしているのだ?
北高の通学路に出てきた俺たちは、しばらく団子になって歩いていた。そして、いつもの分かれ道に来たあたりでハルヒが思い出したように振(り向いた。
「あ、そうだ。明日も駅前に集合してちょうだい。時間は今日と一(緒(。いい?」
悪いと言ったらお前は予定を撤(回(してくれるのか?
ハルヒは俺を見てニヤリと笑う。なんだ、その笑いは。
「市内の不思議探しをするの。しばらくやってなかったもんね」
まったく答えになっていないことを言い、ハルヒは全員をチェックするように見回した。
「解ってるわね。みんな遅(れずに来るのよ。遅れた人は、」
冷たい空気を深呼吸するように吸い、ハルヒはいつものセリフを放った。
「罰(金(だからね!」
自分の部屋に帰り着いた俺がまずしたことは、エアコンのスイッチを入れながら携(帯(電話を引っ張り出すことだった。
ほとんど定時連(絡(のようにダイヤルした先は、もちろん鶴屋邸(である。電話を取ってくれたお手伝いさんみたいな女性の丁(寧(な応対と、朝比奈さんへのスムーズな取り次ぎも慣れてきた。すでに古泉に電話した回数をのべで超(えているのは確実だ。
「俺です」
『あ、はい。あたしです。みちる……というか、みくるです』
「鶴屋さんは家にいるんですか?」
『いえ……。今日はお出かけみたいです。家族で法事に行くって言ってましたけど』
鶴屋さんがどこで何してんのか、あまり深く突(っ込まないほうがいいような気がする。
「朝比奈さん、行ってきましたよ」
『宝探しに……?』
「何にも見つかりませんでしたが」
朝比奈さんが、ほうっと息を漏(らしたのが聞こえた。
『よかったぁ。あたしが知ってる通りになって……。もし、違(うことが起こってたらどうしようって思ってたんです』
俺は電話を耳に当てたまま、意識的に眉(をひそめた。
「違うことなんかになりようがあるんですか? 過去はどこ行っても同じはずでしょう」
『あっ……うん。それは、その、そうなんですけど……』
受話器を手にして戸(惑(う朝比奈さんが見えるようだ。
『ごく稀(に違うこともあるような……。あの、あたしはよく解(らないんですが、でも』
おどおど声を聞いているうちに俺も思い出した。俺が何度か行った十二月十八日。ホワイトボードを使った古泉のダブルループ説なんかを。
考えてみれば、どこからどこまでが規定事(項(なのかが今なお解らないのは俺も同じだ。長門が変化させてしまった一年間は、あれはどういう扱(いになるんだ? 古泉予想では十二月十八日は二つあるってことだった。時間がいくつもあっては困るから、再修正されて元に戻(った今この時間が正しいものだってのは、まあ合ってるだろうが……。
あれはどっちだったんだ。先月、俺は小学生の少年を交通事故から救った。あの眼鏡(くんが生き延びるのは規定事項だったはずだ。だがあの車は? 規定事項を狂(わせるために、誰(かが人(為(的にあの少年を撥(ね飛ばそうとしたのだとしたら?
規定事項を破ろうとする何者かと、守ろうとする朝比奈さん的未来人がいることになる。そして前者もまた未来人であったとしたらどうだろう。それに対(抗(できるのは──やはり同じ未来人だけだろう。
なんとなく読めてきたぜ、朝比奈さん(大)。あなたが俺にさせようとしていることが。
『ごめんなさい、キョンくん』
しょんぼりした声の朝比奈さんだった。
『禁則がかかってるから言いたいことは言えないし、役に立ちそうなことは全然知らないし……。キョンくん、あたし……』
しくしく泣かれそうな気配が伝わり、俺は慌(て気味に言った。
「それより明日のことなんですが」
朝比奈さんのくれた行動予定通り、ハルヒは市内パトロールをすると言い出した。明日、土曜日には♯3の指令を実行しなければならないから、どこかで落ち合う場所を決めないといけない。それもハルヒと朝比奈さん(小)に見つからないようなところでだ。
「朝比奈さん、できれば変装してきてくれませんか」
『変装ですか?』
鼻にかかった声がきょとんとしている。これも目に見えるよう。
「サングラス……は不自然か。この季節だ、マスクをしてても目立たないでしょう。そのくらいなら何とかできません?」
『あ、はい。鶴屋さんに頼(んでみます』
「後は時間ですね。明日、俺たちが解散したのは何時頃(でした?」
『うーんと』
朝比奈さんが思い出す時間はわずかだった。
『ちょうど五時でした。三時頃に集合して、それからみんなで喫(茶(店(に行って……』
俺は机の引き出しから♯3の封(筒(を取り出し、中身を広げた。指示された住所は集合地点の駅前から歩いて十分くらいか。十五分だとしても往復三十分。
午前中は鶴屋家でじっとしてもらうことにして、午後の市内パトロールが始まってしばらくしてから落ち合うのがベストだろう。
細かいタイムスケジュールを聞き出してから、俺は合流する場所と時間を指定した。
「んじゃ明日、よろしくお願いします。なるべく目立たない格好で。ああ、それと」
俺の胸中にあるわずかな曇(り空がこう言わせた。
「できれば鶴屋さんと来るようにしてもらえませんか? 俺が頼(んでたと伝えてください。えーと、ああいや、巻き込もうとしてるんじゃないんですよ。そこは心配いりません。ただ、朝比奈さんの送り迎(えをやってくれないかなと……」
鶴屋家から待ち合わせ場所まで、この朝比奈さんは一人で往復しなければならない。取り越(し苦労だと思うが、なんとなくの危機意識が俺に注意せよと言っている。一人歩きはさせないほうがいいような。
『はあ。言ってみます』
鶴屋さんのことだ、俺の言いたいことなど一(瞬(で見(抜(く。期待しておこう。
俺は電話を切ると、すぐまた長門のところに電話した。またまた依(頼(することがあるからな。
だが。
「んん?」
驚(くべきことに、話し中だった。
長門が誰かと電話をしているだって? キャッチセールスでもなければ該(当(者(が思いつかない。俺は長門の家に電話してしまったオペレーターに同情しつつ、いったん携(帯(電話を置いて着(替(えることにした。泥(まみれのパンツを洗(濯(機(に叩(き込み、戻ってきて、かけ直す。
今度は出た。
「俺だ」
『…………』
おなじみの長門的沈(黙(。
「明日のことでちょっと頼みたいことがあるんだ。パトロールのメンツをいつもクジで決めてるよな? 明日と明後日(、その割り当てを細工して欲しい」
『そう』
ひんやりと透(明(度(の高い声が答える。
「そうなんだ。明日の午後の回と、明後日の初っぱな、俺とお前が組むようにしてくれないか?」
『……………………』
若(干(長めのような気がする沈黙の後、
『そう』
いいってことなんだろうが、いちおう確(認(する。
「やってくれるんだな?」
『解(った』
「ありがとう、長門」
『いい』
「ついでに訊(かせてくれ。さっきかけたら話し中だったが、相手は誰(だったんだ?」
再び時が止まったような沈黙が続けられた。もしや俺の知らない誰かとひそやかなサイドストーリーを進行させていたのかと心配になりかけたとき、
『涼宮ハルヒ』
よほど知らないヤツのほうがマシだったかもしれん。
「あいつがかけてきたのか?」
『そう』
「なんでまた、あいつがお前んとこに」
『…………』
三度目の沈黙。俺が聴(覚(をとぎすませて受話器ごしの気配を感じ取ろうとしていると、長門はポツリと答えてくれた。
『教えない』
この何日か、長門には驚かされっぱなしだ。このセリフを俺相手に聞かされるとは。
俺はコンセントを抜(かれたラジオのように黙(り込む。
『知らないほうがいい』
そら恐(ろしいことを言わないでくれ。世界で一番慰(めにならない言葉だぞ、それは。
『…………心配はない』
ためらいを感じさせるような声だった。言おうかどうか迷ったあげくのような、確かに心配だけはいりそうにない気配だけは感じ取れる。ははあ、ピンと来た。
「ハルヒに口止めされてんのか?」
『そう』
つまりハルヒがまた妙(なことを企(てて、それに長門を引っ張り込もうとしているのだろう。で、それは俺には秘密だと。何かは知らないが、この長門の口ぶりだと知ったところでどうということのないもんに違(いない。宝探し第(二(弾(とか、まあそんなのだろう。
俺は息を潜(めているような長門に、明日のことを念押しし、電話を切った。
やれやれ、こんないそがしい一週間は数学と物理と世界史が同じ日に重なったテスト期間中でもないぜ。
「ハルヒのヤツ、今度は俺たちに何をさせる気だ……?」
このままでは俺の仲間は古泉だけになっちまいそうだな。ハルヒも長門も朝比奈さんも俺の予想を超(えたことをやり出すようになりつつある。ああ、鶴屋さんもだな。どうも生命体として本質的に男は女に敵(わないようになっているんじゃないだろうか。恐るべしX染色体。その本質とやらを教えてくれ。
来週が心穏(やかに過ごせるように祈(りつつ、俺は寝(ころんだ床(の上で大きく手足を伸(ばした。