第三章

 次の日。


『山へ行ってください。そこに目立つ形をした石があります。その石を西に向かって約三メートル移動させてください。場所は、その朝比奈みくるが知っています。夜は真っ暗で危険ですから、明るいうちがいいと思います』


 トイレの中でふうを切った手紙の一枚目に書かれていたのはそんな文章だった。二枚目には昨日と同様、全然うまくないひつでひょうたんみたいな絵がいてあり、矢印でわざわざ〝石〟とちゆうしやくしてある。

 決定、今日も帰宅部だ。

「それはいいけどな……」

 しかし何だろう、このばくぜんとした指令は。山に石だと? 何山のどこ石だ? 朝比奈さんが知っている山ってのは……。

 かつん、と頭の中で小石が転がる。

「ああそうか、宝探しとか言ってたな」

 朝比奈さん(みちる)によると、次の祝日に俺たちは宝探しに行くらしい。明後日あさつてだ。鶴屋家の持ち山という話だったな。それにしても、またもや鶴屋さんの登場か。あの人は二人の朝比奈さんのことなんかおくびにも出さず、ハルヒと俺を前にしてもただ笑っているだけだろうが、このままでは俺がじようちよ不安定になりそうだ。古泉にとっても困りもんだろうが、待てよ。

「てことは、そろそろハルヒも元気になるってわけか」

 俺は教室へ向かいながら予測する。宝の地図は鶴屋さんが持ってくることになっていて、実行に移すのが明後日ってことは、ハルヒがそれを手にするのは今日か明日にちがいない。たぶん明日だ。昨夜、鶴屋さんはそれらしいことをにおわそうともしなかった。まだくらとやらからその地図を見つけてないと思われる。見つけてたらハルヒにわたすよう俺に押しつけただろうし。

「よっ、ハルヒ」

 案の定だった。先に教室にいたハルヒは、長門のつめのアカを分けてもらったかのような低エネルギーモードで、ものげな女子高生を演じていたが、

「シャミセンは?」

 俺のほうを見ずに窓を息でくもらせた。

「ああ、まあまあな具合になってきた」

「そう。よかったわね」

 息で白くなったガラスにへのへのもへじを描いている。

 みようすぎる。俺とハルヒの間でこんなまともな会話がかわされるとは、長門が部室で本を読んでいない姿よりめずらしい。さすがに心配……いや不安になってくるぜ。どこかで《神人》とやらを暴れさせているんじゃないだろうな。

「どうした? ここんとこ元気ねえじゃねえか」

 ハルヒはフンと鼻を鳴らして、

「何言ってんのよ。あたしはいつも通りにしてるわよ。ちょっと考え事をしてるだけで、あし……」

 そこからさらに言いかけたのだが、ハルヒは不自然に言葉を切り俺に横目を使った。

「あんたこそ、今日は部室に来るの?」

 来ても来なくてもどうでもいいような顔をしている。俺にしてみりゃ好都合なことだったが。

「シャミセンがまださびしがるんだ。妹には任せておけないし、今日も看病だな」

「うん、それがいいと思うわ」

 おかしなことにハルヒの表情もまた好都合だと言っているような気がする。

「病気の時はひとこいしくなるものだもん。ちゃんと全快するまでついててあげるのよ。あたしも元気なシャミセンと早く遊びたいもの」

 ハルヒ的にはシャミセンも団員の一人みたいなもんだろうからな。ただし世話は俺に任して気が向いたときだけ遊びに来るというあたりがこいつらしい。一週間くらい貸してやってもいいぜ。

「考えとくわ」

 上の空でうなずいたハルヒは、また窓に息はきかけた。



 早く放課後になれと念じるばかりの授業中ほど時間がのろくさく感じられることはない。

 だもので、俺はジリジリしながら教師から解答を指名されることのないよう無言のいのりを続けたり、まんぜんと板書を書き写したりしているうちに、ほとんど何一つ授業の内容を覚えないままの時を過ごし、よく考えたらいつものことで、ああこんなんだから成績がちっともじようしようしないんだなとにんしきを新たにしたものの、それもこれも放課後にすべきことが色々ありすぎるのが悪いのだ。そうに違いない。帰宅部の谷口が俺同様の成績であるのは、この際目をつぶっといてくれ。

 役立たずな教科書どもを机の中に押し込み、おかげで軽々としたかばんげて教室を出ようとしたとき、そう当番の谷口がホウキをかたにして声をかけてきた。

「キョンよぉ」

 どこかうつろな目をしている理由がわからないが、こいつにかまっているヒマはない。朝比奈さんが俺を待っているのだ。その心情を察するに、メロスのかんを待ちわびるセリヌンティウスのごときものだろう。いますぐけつけたい。

 しかし谷口は、俺の行く手をさえぎるようにホウキを差し向け、

「いいよなぁ、お前はよー」

 うらめしい声で何やらからむ気配である。何がいいものか。お前にうらやましがられることなど、一ダースくらいしか思いつかないぞ。

「そんなにあるか。せいぜい三つくらいだ」と谷口はげんそうに答え、はぁとためいきをつく。

 ハルヒのゆううつが谷口にも伝染したのか、さては空気感染するようなヤバい病気なのかと半分疑っていると、

「ああ、谷口ね」

 国木田がひょいと顔をのぞかせ、手にしたチリトリをりながら解答を寄せた。

「最近、彼女と別れちゃったみたいだよ。それで落ち込んでいるのさ。無理もないけど」

「それはそれは」

 と俺は半笑いで谷口の肩をたたいてやる。彼女というと、クリスマス前にできたという女子校のアレか。俺のイブの予定がハルヒなべだというとしみじみ気の毒がってくれたよなぁ、谷口。

「ははぁ、その様子ではお前、振られたな? そうかそうか」

「うっせえ」

 同情すべき友人はホウキを構えるりだけして、力無く下ろした。

「早く帰りやがれ。掃除のじやだ」

 国木田はしようかべながら、

「言っちゃ悪いけど僕は時間の問題だったと思うよ、谷口。僕はキミの彼女さんに会ったことも見たこともないけど、キミの話を聞く限り、どうも相手はしんけんじゃなかったみたいだね」

「おめーに解ってたまるか。いいや解るな。解ってもらいたくねー」

「だいたいさぁ、付き合うきっかけからしておかしいよ。だって、」

「あーあー! もうしやべるな。マジで、忘れたいからよ」

 もうしばらく友人二人によるいかにも高校生らしい会話の一幕をながめていたい気がしたが、何しろ俺は先を急ぐのだ。

「まあそう思いめるな。お前ほどの男だ、いつからしい女に出くわすこともある。そうだな、干支えとが一回りする間くらいにはどっかから降ってくるだろうよ」

 俺はそう言うと、はんげきの言葉を聞く前にろうへ飛び出て、後ろを見ずに歩き出した。せめてもの情けというやつさ。谷口のしつれんを笑いのネタもとにするほど俺は出来ていない人間ではないつもりだ。正直、多少はザマミロという気分でもあるが。何と言っても先に進んでいた友人が同じ序列にもどってきたのは単純に喜ばしい。ともにがんろうじゃないか。

「ん? しかし何でまたあいつは俺を羨ましそうにしてたんだ?」

 ばこふたを開けているときに気づき、ついでに変な連想までしてしまった。もしや、谷口がネガになっているのと同様のプロセスで、ハルヒのダウナー現象も恋愛関係がベースにあるんじゃないだろうかというおそるべき思いつきである。俺はそんな自分の思いつきにせんりつし、次に笑けてきた。

「んなわけないか」

 ハルヒがこいわずらいでおうのうするという本質的ミステイクシーンなど、俺が来年のドラフトでメジャーリーグから一位指名されることよりも想像できない。されてもうれしくないから別にかまわないのだが、ハルヒが何を考えているのかは知りたくあるな。エアコン無しの教室でホッカイロをにぎりしめるのに鬱になっているとは思いがたいが……。

「まあいい」

 俺は俺で今はそれどころではない。それにハルヒならすぐに元気化する。明後日あさつてには俺たちを宝探しに駆り出すくらいになると解っているのだから、解っている俺としては余計な気を回すこともないだろう。つつき方をちがえたあげく、SOS団全員の方向性までもが間違ってしまう事態はつくづくけたい。無害なさいきんに放射能を当てて性の病原体を生み出してしまうような事態は、いかに人類が科学の徒であろうとやっぱり起こさないほうがいいもんさ。分をわきまえないとな。

「さて、まずは小さな未来を何とかするか」

 人類の未来を不安がっていても始まらない。俺にとって、今はもう一人の朝比奈さんが一大けんあんこうだった。



 一度、自宅に帰った俺はすぐさまチャリに乗って一路、鶴屋ていを目指した。

 その間にしたことは、鶴屋さんの家に電話して朝比奈さんを呼び出してもらったくらいである。しかして鶴屋さんはまだ帰宅していなかった。だから鶴屋家のそうろうとなっている朝比奈さん(みちる)に取り次いでもらうには少しは時間がかかるかと思っていたのだが、電話に出た使用人みたいな人は鶴屋さんから言いふくめられていたらしく、自己しようかいなどを省略して俺の名前を告げるだけで朝比奈さんへ取り次いでくれた。まったくこういうところも便利な鶴屋さんだ。打ち合わせを忘れていたのにこっちのおもわくをすっきりと見通してくれている。将来は秘書にでもなればとてつもない有能さを存分に発揮するんじゃないか。

 その鶴屋さんと同様に愛すべきもう一人のせんぱい、朝比奈さんには「今からむかえに行きますから待っててください」と伝えて電話を置いた。言葉で説明するよりは実物を見せたほうが早い。俺のポケットの中には例の指令書と、万一のためのかいちゆう電灯が入っている。

 何度も通ったことがあるせいで鶴屋さんの家まで自転車をこぐりようあしもスムーズだ。二月の寒さはこたえるが、雪が降っていないだけまだマシだろう。耳と鼻がカチカチにこおりそうな逆風の中、鶴屋さんとうちやくした俺はりんを鳴らしてしばらく待った。

 通用門からひょこっと顔を出した朝比奈さんは、

「キョンくん」

 俺を見るとホッとしたようながおを作り、ぴょこっと門から出てきた。さすがにセーラー服ではなく、パンツルックの上にもこもこしたコートをんでいる。

「鶴屋さんの服を借りてるの」

 朝比奈さんは俺の目を気にするようにコートのえりをひっぱりながら、

「自分の部屋から衣服を持ち出すわけにはいきませんから」

「部屋から自分の服がなくなった思い出がないからですか?」

 自転車のスタンドを戻しつつそうくと、朝比奈さんはバツが悪そうな顔をした。

「それは、その、覚えてないんだけど……。いつも着る服はあったと思うんです。でも、なくなってても気づかなかったような気も……。いえ、そんなにたくさん服があるわけでもないんです。ええと、その」

 いえいえ気にしませんよ。俺だってたんの奥からパンツの一枚がなくなってても永遠にとうなんとどけを出しに行くことはないでしょう。仮にふんしつに気づいたとしても何かのひようにどっかいっちまったんだろうと気にも留めないに違いない。

 俺はやさしい目をして朝比奈さんを眺めた。借り物だろうが何だろうが激似合っているからコーションオールグリーンだ。

「そんなことないですよー」

 朝比奈さんは照れたように手をった。

すそそでがあたしには長すぎますし、それから……」

 むなもとを押さえようとした朝比奈さんは、少し赤くなって手の動きを止めた。

「いえ、何でもありません」

 俺はますます安らかな気分になる。手足が長くてスラリとしたスタイルを持つ鶴屋さんの服だ、朝比奈さんにあてがうには布地のゆとりが少ない部分があるということだろう。朝比奈さんがどことなくきゆうくつそうにしているのはそのあたりに原因があると推察される。コートで上半身がかくされているのが残念だが、まあそのへんは後回しでいい。

 俺はばこに投げ込まれていた未来便を見せて、

「今日はこういうことをしないといけないみたいですが、心当たりはありますか」

 山に行って石を動かせ、というまるでRPGのお使いプレイみたいな指令である。しかもこの指令には理由が明記されておらず、達成したら何か役立ちアイテムがもらえるのかどうかも不明だから、ゲームなんだとしても出来のいい部類ではない。

「えっ……。あの山ですか? あたしが場所を知っているってことは、そうなんですよね。変な形の石……。あっ、あれのこと……?」

 朝比奈さんは風ではためく手紙をしげしげと読み込みながらつぶやきをらしていたが、やがて巣の場所を見失ったシマリスのように首をかしげ、

「心当たりはあります。ここ、宝探しに行ったところだと思いますから。と言うか、あたしが知っている場所っていうんだったら、そこしかないわ。ううんと、でも、どうして?」

 むろん俺にはわからない。だが見当はつきそうだ。

「朝比奈さん、宝探しでは本当に何も出てこなかったんですよね?」

「え、ええ」

 早くも指先がかじかみ始めたか、朝比奈さんは手紙をおぼつかなくたたんでいる。俺はどことなく不自然な様子を感じつつ、

「おかしくないですか? この指令はどう考えても宝探しがらみだと思うんですが」

「そ、それは」

 朝比奈さんはうつむいて、

「どうなんでしょう。ううん……」

 考え込むような、すぐのどもとまでこみ上げたセリフを出そうかどうかなやんでいるような表情で、ちらっとうわづかいを送ってきた。その目つきにこしくだけになりそうな俺に、朝比奈さんはプルプルと首を振った。

「やっぱり解りません。そ、そうだわ、その場に行けば何か思い出すかも……」

「そうっすね」

 とりあえず行ってみるか。ハルヒには悪いが、先に宝探しのロケハンに行かせてもらうぜ。明後日、俺がしんせんにかける態度でいても許せよな。

 俺は自転車にまたがり、朝比奈さんに後ろに乗るよううながした。ひかえめに横座りする朝比奈さんと腰に回されるおずおずとしたうでそつとうしそうになっている俺を、昨夜のおくが冷静にもどした。

「どうかしたの?」

 走り出す前に左右をかくにんしまくる俺に、朝比奈さんが不思議そうな声で訊く。

「いえ、何でも」

 俺はそう答えただけで、力強くペダルをみしめた。

 ちょっとね、そこらで古泉か、あるいは古泉っぽいだれかが姿を隠しているんじゃないかと思っただけです。鶴屋さんの家を張っているのか、俺たちをつけ回しているのかは知らないけどな。



 鶴屋家の私有山は我が北高から東に水平移動した場所に位置している。山と言うよりは大型のおかという感じで、そんなに標高はない。思いっきりヒネった視点で観察すれば、忘れられたふんに見えなくもないが、天然林にめられた山の表面を見上げてみれば、これがえんぷんであろうと休火山であろうと登る手間にちがいはなく、ちなみに登山道みたいなものもない。あるのはクマでも上り下りに苦労しそうなきゆうこうばいけものみちだ。

「こっちです。うん、ここから登ったわ」

 朝比奈ナビゲーションによって自転車を走らせて坂を上ったり田んぼのあぜ道をとうしたりしているうちに、すでに日がかたむき始めていた。山のふもとは水のかれた田んぼか菜っぱを生やした畑が広がるのみで、人の姿はかいだった。

「人の家の山に勝手に登っちゃっていいんですかね」

 俺がげんなりと山を見上げていると、朝比奈さんがクスっと小さな笑い声を上げて、

「鶴屋さんはいいって言ってましたよ。あ、あたしがそう聞いたのは何日も前……いえ、時間的には明日のことで……、ええ、キョンくんも明日、言われると思います」

 ようやくじようきように慣れてきたのか、朝比奈さんは自分の過去をり返るゆうが出てきたようだ。それって俺には未来のことだが、どうせならもっと教えて欲しい。

「教えられることは、そのう、あまりないんです。やったことって宝探しと市内パトロール……ぐらいです」

 ハルヒしゆさいのクジ引き大会は?

「あ、うん、それも」

 朝比奈さんはあわてたり。ほかに忘れてることがあるんじゃないですか?

「えと、えーと」

 みようにそわそわしているが、俺には言えないことでもあるのかな。いわゆる禁則こうってやつで。

「そ、そうです。禁則なの。うーん、多分、禁則事項だと」

 表情をうかがう限り、朝比奈さんからシリアスなふんはしない。未来人の秘密主義には今さらツッコミを入れようとは思わないが、どうやらこの朝比奈さんも何かを知りつつかくしているように思える。まったく何も知っていないのは現時刻にいる朝比奈さんだけか。ややこしいな。不等号で表すと、朝比奈さん(大)>……中略……>朝比奈さん(みちる)>朝比奈さん(小)くらいのポジションになるか。

 よほど俺が今にもためいきをつきそうな顔をしていたのだろう、朝比奈さんはまた不安そうに、

「あの、キョンくん……?」

 ここで背を向けたら泣き出しそうなひとみであり、こんな目を向けられて平気でいられるほど俺はぎやくしゆにあふれておらず、むしろとつぱつ的な博愛主義に精神を支配されるばかりであって、たちどころに俺の顔面筋肉はシャミセンの腹の肉みたいにやわらかくなる。

「いえいえ。だいじょうぶです、すぐに俺にも理解できると思うんでね」

 この朝比奈さんの話では、八日前にタイムジャンプするように仕向けたのは八日後の俺である。その俺は全部わかっていて朝比奈さんを過去に飛ばした。それは今の俺の未来の姿なのだから、そいつにけば全部のカラクリが解る手はずで、つまり誰かに訊くまでもなくそのうち俺にも解るのだ。でないとおかしいだろ。

「日が暮れる前にこの命令のほうをやっつけちまいましょう」

 俺は朝比奈さんの背に手をえて言った。見上げてくる朝比奈さんは子犬の瞳でうなずき返し、

「あ、はい。あたしが案内するんですね。そんなに上まで登らなかったので、すぐです」

 うつそうたる緑の山へ入っていく。本来なら俺が先導して危険な枝や根っこを残らず山刀でぶった切っておくところなのだが、真冬ではへびや虫もとうみん中だろうし、そう危なくはないと判断する。登っているちゆうで朝比奈さんがすべり落ちないように、後ろから見守る役を自任しよう。

「はっ、ふうっ、あう」

 果たして朝比奈さんの山登り姿はかなり危なっかしい。ましてや道ならぬ道である。通常の登山道ならこうしながら進むものだが、見渡す限りそんな便利なものはない。緑を踏みしめ、ゴロゴロしているいわはだに手をかけてのクライミングだ。

「あひゃっ!」

 何度かずり落ちそうになる朝比奈さんを支えてあげるという役得に思わずみをかべつつ、俺たちはほぼ一直線に小型の山の中腹を目指した。よくよく観察してみると、今俺たちが辿たどっているルートは人の出入りがあることを示すように、ところどころがみ固められていた。かといってまともな道でもなく、少し上等な獣道程度だが、それでもまったくの自然のままならこうして朝比奈さんが俺の前を行くことは不可能だったろう。

 登ること十数分、俺の目の前にへいたんな場所が現れた。

「ここ、ふう、ここです。色んなとこをったけど、石があったのはここ」

 朝比奈さんが大きく息をきながらひざに手を当てていた。

 俺はその横に並んで立ち止まった。

「へえ」

 険しいしやめんが続いていた山の中ほど、それほど大きなスペースでもないが平地になっている部分がある。にょきにょき生えていた樹木もそこだけはなく、ぽっかりとした半円形の場所である。よこはばは十メートルもないだろう。そうだな、山を一部けずって造ったような、登山のきゆうけいにはうってつけの空間だ。人工的なものかどうかは解らない。大昔のがけくずれの後みたいなものかな。雑草のしげり方から見ても、最近できたものとは思いにくい。自然の作品と見るのがとうか。

 呼吸を整え終えた朝比奈さんが指を差した。

「石っていうのは、それのことだと思います。絵にあったのとそっくりの……」

 ひょうたん形の石。……石?

「石にしてはデカいな」

 それに朝比奈さんのセリフには一部ちようがある。絵とそっくりだとはとうてい言えないな。朝比奈さん(みちる)がガイドしてくれなかったら、俺は夜明けまで山中をウロウロ探し求めることになったろうぜ。

「そう言われたらひょうたんに見えなくもないですが……」

 石が転がっていたのは平地の手前部分だった。俺の目にはひょうたんよりも水面からき出たかいりゆうの背中あたりに見える。地面にめり込んでいるせいで、白っぽくはあっても周囲の落ち葉や草にまじっていたからで発見するのは困難だった。

 俺は手紙の内容を再かくにんした。

「この石を西に三メートル移動すること、か」

 すでに暗くなり始めている。長居するのは危険だった。下りるときに足を踏み外して二人して転がり落ちるのは、たとえ規定事項でもきよするぜ。

 俺は朝比奈さんにかいちゆう電灯をわたすと、手元を照らすようにたのんだ。さっそく石を持ち上げようとする。

「重いな、このろう

 しかも手をかけて判明したのだが、この石は三分の一くらいが地面にもれていた。こりゃもう石とは言えない。このものいしにしてはデカすぎるずうたいを表現するなら、岩だ。

 やっとの思いで引き出して見る。なるほど。確かにひょうたんと言われればひょうたんに見えんこともない。よこだおしになっていた石を縦にしてみると、まあそんな具合だ。

 俺は石をかかえ、たぶんこっちが西だろうと思える方角へ、えっちらおっちら歩き出した。三メートルか、だいたい通常歩幅で四歩くらいか?

「もうちょっと先でした」

 朝比奈さんが指示する。そうか、この朝比奈さんは移動先にある石の状態を知っているんだ。

「そう、そこ。そこくらいです」

 石を地面に下ろす。ドスンと地鳴りがして石が土にめり込んだ。さらに元通りにかしてやろうとしていると、

「その石、立ててありました」

 朝比奈さんが制止して、ハッとしたように目を大きく開いた。

「まるで……目印みたいに……」

 俺は下ろしたばかりの石を見た。

 目印。

 こうして見ると不自然に目立つところにこの石はある。種類は何なのかは調べないとわからないが、この白っぽさは暗がりでもみように目立つし、形も風変わりだ。白ひょうたん石、とか言ってせきぶつだとしようかいしたら信じるやつが何人かはいそうだ。

「朝比奈さん、ひょっとしてハルヒはこの石の下とかを掘らせたんですか?」

「ええ。掘ったのはキョンくんと古泉くんでしたけど」

 で、何も出なかったと。本当にか?

「ほんとうです」

 朝比奈さんは目をせて、

「宝物が見つかることはありませんでした……」

 ふう、と大きく口で息をして、俺はよごれた両手をはらい合わせた。

 では今、俺がやってることは何なんだ──とは今は問うまい。昨日のイタズラのけと、それに引っかかった男性もそうだが、それらのこうの意味などこの朝比奈さんにも解っていない。確実に知っているのは朝比奈さん(大)なのだ。ならば彼女にいてやる。このまま文章による一方通行だけなんて、今度ばかりは認めないぜ。

 俺は自分が細工したばかりの石をながめ、もっと不自然なことに気づいた。長年横倒しになっていた石は、当然ながら半分ほどが土で汚れている。俺が掘り起こすまで裏面となっていたひょうたん石の、今は背中部分だ。一見してだれかがどこかから持ってきたと解るだろう。

「そっちの地面もだな」

 石が元いた場所である。掘り返されたはだの、そこだけが黒い土で、しかもへこんでいる。

「あなたが来たときはどうなってました?」

 朝比奈さんは思い出す顔となって、

「うーん、誰も何も言わなかったし、あたしは全然解りませんでした。涼宮さんも穴をることしか考えてないみたいです……」

 ならばほうっておいてもいいかもしれないが、一応、やるべきことはやっておこう。

 俺と朝比奈さんは手分けしてちたやらつたやらをかき集めると、むき出しになった地肌にばらまいてみしめた。ついでにひょうたん石にこびり付いた土をこそげ落とす。じゆうぶんとは言えない。なにしろ年季を感じさせる石の風化した部分と、地中でねむっていたしよではやっぱりちがいがありすぎる。

 がんってみたものの、いよいよ空が暗くなってきたため、作業もキリのいいところでしゆうりようせざるを得ない。それに苦労の意味が解らない苦労もなかなかつらいものがあるね。

「帰りましょう、朝比奈さん」

 今度は俺が先を行く。懐中電灯を持ってきてよかった。街灯のない山の暗さは太古の人々がおそれて神聖視しただけのことはあるようを演出する。それに登るより下るほうが身体からだにもこたえるというものだ。

 つまずいて背中にきついてくる朝比奈さんを受け止めること数度、ふもとまで下りたときにはすっかり夜空になっていた。と、ほぼ同時に、

「あ」

 朝比奈さんがあごを反らして天をあおいだ。

「雨だわ」

 ぽつぽつとしたすいてきがしとしとになるまで、五分とたなかった。



 朝比奈さんを乗せた自転車は全力しつそうで復路を行く。帰りはほぼ下りなのでいでる俺も楽である。行きの半分もかからなかっただろう、体力的には三分の一以下だ。

 小雨にたたられながら鶴屋てい辿たどり着いた俺たちを、むかえてくれた人がいた。

「やぁ! お帰りっ」

 昨日と同じ和装の鶴屋さんがカサを片手に、元気に笑いながら門を開けてくれた。

「どこにお出かけだったんだい? いやっ、いいよっ。ワケありみたいだしさっ、あたしは言わざる聞かざる鶴にゃんだからねっ! 見るけどっ。あれあれ、みく──じゃない、みちる! なーんか汚れてるけどっ。すぐさまお入るかい?」

 かんじゆうのようにしやべる鶴屋さんは、

「寒かっただろう! ささ、お風呂お風呂! いつしよに入ろうっ。キョンくんもどうだっ。背中ぐらい流してあげるよっ。ひのき風呂!」

 かんるいしてもいい申し出だが、本気でないのは彼女の顔を見れば解る。ハルヒはじようだんのようで本気なことを言い、鶴屋さんは本気のような顔で冗談を言うのだ。

「俺は自宅で入りますよ。それより朝比奈──みちるさんをたのみます」

 そのままきびすを返しかけた俺を、鶴屋さんが止めた。

「ちょい待ち」

 カサを俺の上に差しけてから、はんてんふところから丸めてひもで結んだ紙を出してきた。

「これさ、ハルにゃんから頼まれてたものっ。キョンくんからわたしといてくんない?」

 どうしてもマジマジと見てしまう。古ぼけた厚手の和紙、所々虫の食った様子が、まさに古文書かまいぞうきんありを記した地図かという感じである。

「何ですか、これ」

「うん、宝の地図」

 鶴屋さんはあっさり答え、ニカカと笑った。

「この前、くらあさってたら昔の葛籠つづらみたいな箱ん中から出てきたんだよねっ。せっかくだからハルにゃんにあげようと思って、そのまま忘れてたのさっ」

 そんなものをもらってもいいんでしょうか。宝ですよ、宝。

「いいよっ。わざわざ掘りに行くのもめんどいっ。なんか出てきたら一割ちょうだい! まー、めたのが何代も前のご先祖様ってことでね! 家に伝わる伝記によるとイタズラ好きなおじいちゃんだったみたいでさっ、きっと孫引っかけだと思うのさ。掘っても何も出てこないか、しょうもないもんが出てくるに違いない!」

 どうやら前者みたいですよ。

 俺は出来るだけうやうやしく地図を押し頂いた。と言ってもあたえるほうの鶴屋さんがぞんざいに丸めた紙をむき出しで渡してくれるものだから、ありがたみはそれほどでもない。

「ちぁーんとハルにゃんに渡すんだよっ。いいねっ!」

 鶴屋さんは片目を閉じて喜々としたがおを俺に向け、朝比奈さんはどこかこわった顔で俺と宝の地図とやらをじゆんりに見ていたが、俺の視線に気づくと下を向いた。なんだろう。宝探しに本当に禁則こうなことがあったのか? 理解不能な過去移動でブルーになるのはわかるが、どうも宝探しにこの朝比奈さんのウィークポイントがありそうだな。

「はい、キョンくん、カサ貸したげるっ。気をつけて帰るんだよっ。じゃ、またねっ!」

 バイバーイと手をる鶴屋さん、小さく片手をニギニギする朝比奈さんの姿が閉じた門の向こうに消えた。

 カサとえんとうけいの和紙を手に、雨の中を立ちつくす俺だった。

 今からでも押し入って風呂をよばれようかとも思うくらい、何やらうらさびしい感覚におおわれる。これも鶴屋さん効果だろうか。にぎやかな人のそばからはなれて一人になるとたんに祭りが終わった気分になるというような……。一人人間カーニバルだな。

「寒いし、冷てえ」

 俺はもらったカサをかたにかけて自転車を押して歩き始めた。

 ハルヒといい、朝比奈さんといい、それから長門はいいほうにだが、どうにも俺の調子をくるわせるなぁ。

「あー、腹減った」

 その帰り道、古泉は現れなかった。今なら話を聞いてやってもいい気分だったのに。



 その翌日、もう一人の朝比奈さんがそう用具入れの中から登場して四日目の朝、昨日の雨雲は早々に東へ移動し、今日はひときわ冷え込む放射れいきやくな快晴空模様だ。

 ハイキングコースみたいな山道を登校しているおかげで校門につくころには身体からだも暖まるが、だんぼうナッシングな教室について一時間目の半ば頃にはあせをかいたぶん余計に寒く感じるから身体に悪い。

 校門を通ってげんかんに入り、ばこを開ける前に俺は一度深呼吸をした。俺あての未来指令があれで終わりとは思えないことから、今朝も入っているだろうと予想はしているのだが、いったい今度は何をせよと言ってくるのかと多少のちゆうちよがあるわけで、しかし躊躇したところでしゆんじゆん以上の意味はなく、なぜならこれを開けないと俺はうわきを履けないからだ。

 果たして今日もふうとうは入っていた。

 それも三通も。

「マジか、朝比奈さん……」

 しかもナンバリングされている。それぞれ封筒の表面に♯3、♯4、♯6と手書き文字が小さくおどっているが、三、四、……六?

「ひょっとして前の二通が♯1と♯2だったのか? てことは最初のが♯0か」

 だが、どうして四からいきなり六に飛んでいるんだ。五はどこに行った? 書きちがいかな。

 まとめてポケットにねじ込みトイレに直行するのは、もはや日課と言っていい。

 数字の小さい順番に封を切る。

 れいまで間がないので次々に目を通し、トイレを出るついでに鏡をのぞいた俺は、そこに変な顔をしている自分を見いだした。

 朝比奈さん(大)は俺たちに何をさせたいんだ? いや、この際だから見知らぬ男を病院送りにしたり、石を移動させたりするこうが何だとは言わない。だが、そのことによって何がどうなるのかは知りたいものだ。

 はんな疑念をいだきながら教室に入った俺を、今度はみように落ち着きのない人物が待ち受けていた。

「キョン!」

 俺のたいなニックネームを大声で口にしながらけよってきたのは、昨日までメランコリーだったはずのハルヒだった。

「聞いたわよ、早く出しなさい」

 はち切れんばかりの笑顔で差し出されたてのひらせるべきものとは何だろうと俺が思い出しにかかっていると、

「あんた、忘れてきたんじゃないでしょうね? 鶴屋さんから預かったものがあるでしょ? ほら、とってもいい感じのものよ」

 切りえが早いにもほどというものがある。シックなふんき散らしていた昨日までのお前はどこへ消えた? もしかして、別人がなりすましてたんじゃねえだろうな。

「なにバカなこと言ってんの? あたしはいつだってあたしで、あたし以外のあたしなんてどこにもいないわよ」

 ハルヒは得意のまゆり上げる形のみで、

「それより! 早くよこしなさいよ。もし忘れ物してきたっていうんなら、今からダッシュで取りに帰らせるからね!」

 そう、がなるな。見ろ、クラスのヒマ人どもの注目の的になってるだろうが。俺はあまり目立たない人生を目標にしているんだからな。

「そんなつまんない目標、屋上から紙飛行機にでも乗せて飛ばすといいわ。目立つとか目立たないとかなんて目標とは無関係じゃないの。人生を語るのは大往生をげる三秒前になってからにしなさい」

 三秒で語れる人生もいやだが、仕方がなく……というわけでもないな、俺はかばんを開けて鶴屋さんからわたされたあらかれた和紙のえんとうを取り出した──しゆんかんにそれは俺の手の内から消えた。かっさらっていった手の主が紙を丸めたひもほどきながら、俺にやや小声で、

「あんた、これもう見た?」

「いや、まだだ」

「ほんと?」

「ああ、取り立てて見たいとも思わなかったんでな」

「宝の地図なのに? あんた、そう聞いてワクワクしなかったわけ?」

 するもしないも、俺は宝なんざなかったとすでに聞いて知っているわけで、そうなると骨折り損のくたびれもうけというじようとうがこれ以上当てはまるじようきようもなく、これでどうやってワクワクせよと言うのかこっちが聞きたい。てなもんで、俺は鶴屋さんに持たされたまわしいお土産みやげを鞄にほうり込んだまま見向きもしなかった。それより考えることはほかにあったし、今もある。いっそのこと言われる前に宝探しの中止を進言しようかと思ったのだが、ハルヒは丸まった和紙を乱雑に広げながら、

「まったく、鶴屋さんにも困ったものだわ。あたしに直接くれたらよかったのに、キョンなんかに預けるなんてさ。朝一番にもらえるのはいいことだけど、放課後におどろかせてやろうと思ってたのに……」

 ぶつくさらしつつもうれしそうに、くるりと背を向けて自分の席にもどった。筆箱と教科書をぶんちん代わりにして紙のはしを押さえつつ、じいっと地図とやらに見入っている。

 俺もあきらめて席に着き、そうしてようやく新たな疑問に抱かれた。

「おい、ハルヒ」

「何よ」

 目を上げずにハルヒは適当な返事。

「鶴屋さんがそれを俺に預けたって、それ、お前いつ知ったんだ?」

昨夜ゆうべ。鶴屋さんから電話があったのよ」

 やはり目を上げないハルヒは、

「あんた、シャミセンを連れて散歩してたんだって? 鶴屋さんの家の前を通りがかったときにみっけて、それで押しつけといたからっ! って言ってたわよ。シャミセン、だいぶよくなってんのね。よかったわ」

 鶴屋さんのデマカセには舌を巻くしかねえな。このクソ寒い冬の夜、しかも雨の中を、さらにねこを連れて散歩するやつなんて聞いたこともないぞ。それで信じるハルヒもどうなのかと思うが。

 俺があきれの通過を表現するちんもくに包まれていることなど知ったことではないらしい、ハルヒは節分時のようなきらめかしい目の色をして、

「見てみなさい、キョン。これはまぎれもなく宝の地図だわ。ちゃんとそう書いてあるもん」

 俺はハルヒの机に視線を落とした。

 そくに博物館行きを宣告したい一枚の和紙、そこには一筆書きのような絵と数行の文字、それから署名が入っていた。絵のほうはさすがにわかる。あの山だ。昨日俺が登り、明日また登ることになるらしい鶴屋山である。すみいた簡単なひつだが、山のりようせんをうまいこととらえてある。だが文字の方は読めなかった。にょろにょろした仮名書きらしいとは解るのだが、古文の教科書すら時々宇宙人語に見えるのに、俺に重要文化財みたいな書類が読めるはずがない。

 ハルヒがほんやくしてくれた。

「この山にめずらしいものをめた。わたしの子孫で気の向いたものはってみるといい」

 そしてまつの署名を指でなぞり、

げんろく十五年、鶴屋ふさもん

 まったく、鶴屋さんの何代前の先祖か知らないが、余計なものを残してくれたよな。だいたい何で埋める必要があるんだ? これは鶴屋さんが言っていたとおり、世代をえた遠大なイタズラで合ってるんじゃないだろうか。そうでなけりゃ元禄時代から今までの何百年かの間に鶴屋家のだれかがとっくに掘り出している。

「山のどこに埋めてあるんだ?」

 気乗りのしないこわいろできいた俺に、ハルヒはすいぼくみたいな山の絵をつつきながら、

「それは書いてないわ。印もついてないしね、解るのはこの山のどっかってことだけよ。まあいいじゃないの」

 勢いのある視線が圧力となって俺の顔をおそった。

「適当に掘ってたらそのうち掘る場所がなくなって最後には行き着くわ。ローラー作戦よ、ローラー作戦」

 だからそれを誰がやるんだっていう話だよ。地元の人たちに呼びかけてボランティアでも組織するか。

「しないわよ、バカね」

 ハルヒは地図をくるくると丸めて紐でわえ、机の中にった。

「あたしたちだけでやるに決まってるじゃん! 分け前が減るのはあんただってイヤでしょ?」

 分けて減るのであれば大いに嫌がるところだが、ないものをどうやって減らすのかと俺が内心でたんそくしたとき、チャイムが鳴って担任岡部が入室してきた。

「放課後、部室でミーティングだからね」

 俺の背中をシャーペンの先でつつき、ハルヒは俺のうなじに向かって言った。

「それまでみんなにはないしよにしときなさいよ。驚かせたいから。ついでにあんたも驚きなさい。今まさに初めて聞いたって感じでたのむわよ。ホントに、鶴屋さんたら、もう……」

 以降のハルヒのブツブツ声は担任の張り上げた大声と、クラスメイトたちがいつせいに起立するそうおんき消してくれた。



 さて、授業の内容を確実にのうさいぼうとどめるコツを俺から一つ伝授しよう。実は特別な集中力なんかいらないのである。ぼんやりとでもいいから教師の話が耳に入るようにして、後は黒板なり教科書なりをひたすらながめるだけでいい。ノートをとっておいたほうがいいのは当たり前のことだが、そんなもんを毎時間ちようめんにやる気にもならないからコツも必要になるわけだ。

 解りやすく言うと、「特別授業に集中する必要はない。しかし授業以外のことも何一つ考えないようにする」これだけでいい。なんせほかになんにも考えていなければ、やることを失って退たいくつした脳ミソは目や耳から流れ込んでくる情報を頼んでもないのに勝手に覚え込んでくれるっていう寸法だ。

 まあ、一度ためしてみるといい。ただし俺にこのコツとやらを教えてくれたのはハルヒであり、これが涼宮ハルヒ流学習術であることは忘れないでいただきたい。ようは勉強しなくてもいいが勉強以外に頭を使うこともなーんもするなってわけだ。だが、そんな生活が楽しいわけがなく、実際にハルヒが何も考えていないことなんかあり得ないように思うので、ますますまゆつばであって、つまり全然当てにならないってもんだが、言ってるハルヒが好成績をしてのけている現実をきつけられると一言もない。

 とは言え、現在の俺には無理な話でもあった。ここ最近のハルヒがみよううつうつとしていたのがやや気がかりでもあったのだが、このたび古い和紙一枚でマジックポイントを全回復させてしまったのはかんげいすべき事態だ。おかげで気になることが一つ減った。

 その代わり、朝比奈さん(大)からの未来指令は一気に三つ増え、こっちのほうは俺と八日後から来た朝比奈さんがじつしないと減ることがない。とっとと終わらせたくとも日時指定がされているので、たとえば今すぐ教室を飛び出して行っても作業短縮にはつながらず、かと言って決してノンビリできるような話でもなく…………

 ま、こんなことを考えているせいで授業の中身をまるで吸収できやしないのだが、誰に言えるってわけでもないイイワケさ。



 放課後、俺はハルヒにせき立てられるように部室へ追いやられ、ほとんどカワウの追い込み漁にハメられた小魚のごとき心境だ。鶴屋さんのデマカセのおかげでシャミセンの病気りようようにこじつけた俺の早退理由的デマカセは使用不可となり、そのうえ本日の俺は本当に何の用もない。

 そう、ばこに入っていた秘密の未来指令は今日と明日がフリーであるとめいりように書いてあった。しないといけないことは明後日あさつておよ明々後日しあさつてとのおおせである。三通まとめて今日に届けられた理由は簡単、今日を境にしばらく学校は連休に入るからだ。祝日に土日、中学生受験のための代休という四連休。

 それにしても未来人はよほど下駄箱をポスト代わりにするのが好きらしい。ちよくわたしに来てくれても俺はいっこうにかまわないぞ。朝比奈さん(大)に問いつめたいことが今の俺には結構あるぜ。

 というようなことを授業中に考え、今もハルヒにせっつかれながら考えているうちに文芸部室前に至った。

「ハーイ! お待たせ!」

 むやみにじようげんなかけ声とともにドアを開いたハルヒに引きずられるように俺も部室に入る。なんとなく久しぶりのような感覚を禁じ得ないのは、全員せいぞろいしている現場に居合わせるのが三日ぶりだったせいだろう。なんと、たったの三日で俺はきようしゆうを覚えずにいられなくなるほどこの部室に帰属意識を持っちまっているわけか。

 少しだけしようげきを受けながら俺はハルヒが開け放したままのドアを閉め、あらためて団員たちの顔ぶれを眺めた。

 すみのほうで立方体かと思うくらいの分厚い文庫本を広げているショートカットのセーラー服姿が最初に目に入った。長門はたゆまぬ無表情で俺とハルヒをいちべつし、すぐに活字の海に視線を投じる。余分なことをいつさい言わないがらな有機アンドロイドは、他に余計な動作をすることもなく、いつものように地蔵さつのような無言ぶりで部室の一角に位置をめていた。

「やあ、久方ぶりですね」

 ジグソーパズルを分解していた古泉が意味ありげなしようととぼけたセリフとともにしやくして、

「シャミセン一号の調子はいかがです? よろしければ、いい動物病院をあつせんしますよ。僕の知人のしんせきが経営しているところで、うでのよさで評判の病院をね」

 お前の知り合いはそんなのばっかりか。

「こう見えても僕は顔が広いのですよ。色々とね」

 古泉はジグソーの欠片かけらを指先ではじきつつ、

「ですからつて辿たどっていけばたいていの人に突き当たるわけです。僕の知り合いの知り合いまでの間にいない人種は、」

 ここで古泉はゆうに手を広げてしばっ気たっぷりにタメを持たせ、

「まだ地上に存在しない職種の人くらいです」

 宇宙人や未来人ともすでに知り合っているのに、これ以上交友関係を広げてどうしようってんだ。俺は異世界人なんかに会いたくはないぞ。絶対、ややこしいことになるからな。

 古泉はフッと口先で笑って俺との会話を打ち切り、ハルヒに目を向けた。

「今日はミーティングだとうかがっていましたが」

「ええ、そうよ。きんきゆう特別ミーティング」

 ハルヒはかばんを団長机にほうり投げるように置いて、どっかとこしを下ろした。

「みくるちゃん、お茶ちょうだい」

「はぁい」

 かわゆく返事をしてパタパタとヤカンにけていくメイドしようのその人は、どこからどう見ても朝比奈さんだった。

 当然である。朝比奈さんがここにいて何の問題があろう。しかし……。

「むう……」と俺は舌の中ほどでうなった。

 混乱しそうな頭に活を入れる必要がある。この人は、今現在、鶴屋さんの家でしきわらし化している朝比奈さん(みちる)ではない。俺がよく知る今までの朝比奈さんで、ちょっと未来からやってきた朝比奈さんではないほうの朝比奈さんだ。

 こぽこぽときゆうに湯を注いでいた朝比奈さんは、ふと俺を見上げて、

「あの、キョンくん……」

 心配そうな顔をする。三日前に登場した朝比奈さん(八日後)とまったく同じだ。当然ながら。何を言うのかと俺が身構えていると、

ねこさん、具合よくないんですか? 冬休みに寒いところに行ったからかなぁ」

「いや……」

 俺は口ごもる。この朝比奈さんは本当に何も知ってない。自分が今日から……ええと五日後の夕方になって、そこから今日から三日前に時間移動するとは毛ほども思っていないわけで……なんかもう、ややこしいな。

「シャミセンなら昨日治りました。いまごろは俺の部屋を元気に転げ回ってることでしょう」

「そうなの? よかったぁ」

 朝比奈さんははなやいだがおを作り、俺は今さらにして後ろめたさを覚えた。シャミセンの病気がうそっぱちであることを朝比奈さん(みちる)のほうはもう知ってる。あっちの朝比奈さんは何も言わなかったが、今のこの朝比奈さんを心配させたりあんさせたりした原因そのものが大噓だったことにはもうしわけないと頭を下げたい気分だ。

「また遊ばせてくださいね。猫さん、とても可愛かわいいから」

 あなたより可愛いものなんか銀河中を五百光年さまよってもかいこうしないでしょうが、猫を口実に俺の家に来たいというのならいくらでも用意しますよ。外に出たシャミセンがよくつるんでいる裏の家の黒猫も連れてこさせますが。

「ふふ。それ、いいですね……あっ!」

 朝比奈さんは小さく飛びね、

「お湯、こぼしちゃった」

 急須が湯をあふれさせている。俺と猫話をするのに気を取られていたようだ。これもハルヒによるドジメイド化計画のいつかんかもしれない。テーブルをダスターでく朝比奈さんのあわてた仕草を、ハルヒはうでみして満足そうにながめていた。

 俺は古泉のとなりのパイプを引き出して腰を落ち着け、ハルヒが例のブツを取り出して得意顔で宣言するのを待つことにした。

「お待たせしました」

 朝比奈さんが湯飲みを二つ、ぼんせてハルヒと俺に配ってくれる。これを一口飲む間くらいは待っててくれるだろうとは思っていたのが、しかるにハルヒのヤツ、なぜかなかなか立ち上がる気配がない。熱いお茶をほぼ一気飲みしておきながら、ニヤニヤしたまま団長机にふんぞり返り、パソコンの電源をつけたり置いてあった雑誌をパラパラめくったりしている。時折俺と目が合うと、しゆんかん的に真顔になったり、またニヤリとするという百面相をやっている。こりゃ何の前兆だ?

 古泉は素知らぬふりでパズルをのんびり組み立てているし、長門は最初から無反応だし、朝比奈さんは二はい目のお茶のはいぜんにいそがしそうだしで、まあ完全に日常の風景ではあるが、今日ばかりはそれではおかしいのだ。いったいハルヒは何でまたこんな時間のなんてことをしているのか。

 答えは間もなくあきらかとなった。

 まったりとした平和な時にしゆうりようを告げたのは、ハルヒのたけびでも帰宅を強制する放送でもなく、リズミカルなノックの音だった。

「やっほーい! 来たよんっ。入っていいかーいっ」

 聞き覚えのある声が高らかにそう言って、同時にハルヒがはじかれたように立ち上がった。

「待ってたわ。どうぞどうぞ、どんどん入っちゃって!」

 めずらしく団長自らドアを開いて招き入れたそのお客さんは、

「やあ、みくる以外のみんな! 久しぶりねい。ああっ、キョンくんは昨日会ったっけねっ? シャミいいなあシャミ、またつれて来ておくれよ!」

 大声まきまき鶴屋さんが、今にもハルヒとかたを組んでラインダンスをおどらんばかりの笑顔でやって来た。またもや。



「うん、そうだよっ。宝の地図っ。おーよそ三百年前くらいのお宝さっ。きっとげんろく小判とかじゃないかな。だといいよねっ!」

 鶴屋さんはおちやけのエビせんべいをバリバリ食べながら、パイプ椅子の上であぐらをかいた。

「その紙っきれ、家のくらにあったんだけど、その蔵ってのがさ、何だかもー、いらんもんがゴロゴロしている昔ながらの物置なんだけど、五年ぶりかなっ? この前、整理してたらガラクタの下にあった葛籠つづらん中にあったのさ!」

 来客用湯飲みでせんちやをガブガブと飲む鶴屋さんは、ピンと立てた人差し指でホワイトボードを示した。

 そこにはマグネットクリップで四方を留められた古風な地図がり付けになって、その横にハルヒが立って指し棒で肩をたたいている。うれしそうに。

「その山、国有地にしろとか、いっそじようしろとか言われてるんだけどさっ、こればっかはご先祖様のゆいごんで手放すわけにはいかないんだよね。ああっ! そっか、きっとお宝がまってたからだっ。そうだったのか、ご先祖様っ」

 なむなむー、と鶴屋さんはがつしようして夕日を拝み、ハルヒは指し棒をバンバンとホワイトボードに打ち付けた。

「というわけよ」

 どういうわけだ。今のところ鶴屋さんが先祖の遺品の来歴を説明しただけだぞ。

「だから、そのご先祖様が埋めてくれた宝をあたしたちが探しに行くってわけ。この話の流れだとそれ以外にないでしょ」

 ハルヒは大口を開いて白い歯を見せ、

「決行は明日よ。急がないとだれかに先をされるかもしれないわ。明日の朝、午前九時にいつもの駅前に集合ね。山に行きましょう! 道具はあたしが用意して持ってくから、心配はいらないわ」

 言うまでもないことだが俺はおどろきなどしなかった。昨夜ゆうべ、鶴屋さんからこの地図をもらったのはこの俺なんだし、宝探し宣言は三日前に朝比奈さんから聞いていて、今朝になってハルヒからも聞いた。これで驚けと言われてなおにそうするほど俺は演技力に自信がない。しょうがないので中身のほとんどない湯飲みを口に付けてごまかしたが、そんな必要もなかったかもしれん。

 この場で驚いた顔をしているのはただ一人、

「えっえっ。宝探しですか? 明日行くんですか? 山登り? あっ、だったらお弁当作らなきゃ」

 朝比奈さんだけだ。

 長門は文庫本を開いたままハルヒの持つ棒のせんたんを目で追いながらちんもくを保ち、

「それはそれは。考古学的、文化人類学的に興味深い資料となりそうですね。実に楽しみです」

 相変わらずハルヒのしりを支えるようなことを言ってしようしているのは古泉である。

 ハルヒが全員のきようがくを期待していたのなら大ハズレなリアクションだろうが、当のハルヒはサプライズがさほど得られなかったことも気にならない様子で、

「そういうこと。もし見つかったらあたしたちで山分けしちゃっていいのよね? もちろん、これを提供してくれた鶴屋さんも頭数にいれるけどさ」

「いいよっ」

 鶴屋さんはじようなまでに大らかな声を出し、

「出てきたのが金目のものだったらハルにゃんたちに九割くらいあげるっさ。あたしのそう々々々……何代前か忘れたけど、その房右衛門じいさんが子孫を笑かすために残してた私物とかだったら、しかたないなあ、家で引き取るよっ。どのみち、あたしはあなりには参加できないからね! 明日はちょいと用事があってさーあ」

 俺に変な目配せをしてくる。鶴屋さんは俺に向かって目をまたたかせた後、朝比奈さんに目を向けてニコリとした。約束通り、こっちの朝比奈さんには何も言ってないという意味のボディランゲージだろう。

 疑ったりはしてませんよ、鶴屋さん。しかしですね。

 必要以上にかかわらないようにしていると鶴屋さんは言い、古泉がなくてもよさそうな裏設定を教えてくれたりもした。だとしても──だとしたらだ、どうも彼女の行動はあくしにくい。草野球のすけや冬合宿のペンション提供はこっちかららいしたようなもんだが、わざわざ宝の地図なんていうエサをハルヒにあたえるなんて、まるで俺たちと積極的な関わり合いを持とうとしているかのようだ。ひょっとして、ハルヒが希望しそうなアイテムを投げ込むだけ投げ込んでおもしろがっているだけなんだろうか。

 俺の疑念を余所よそに、鶴屋さんはエビ煎にかじりつき、楽しそうな顔をひたすらしている。

 そして、これまた不思議なことに古泉も似たような表情なのである。思えば鶴屋さんが何度も部室に出入りしていた過去のおくをまさぐってみても、古泉が彼女にふくみのある顔を見せたことはなかった。鶴屋さんには手を出すなってのが『機関』とかの上司から出た命令なんだとしたら、こんな身近にしょっちゅういるのはこいつとしては困りもんなんじゃねえのか。

 それとも……。

 俺は古泉の無害っぽいみに目をやって考えをめぐらせた。こいつがあの夜に語った話がどこまで本当なのかはわからん。正しいのだとしたら『機関』と鶴屋家の間には不文律みたいな取り決めがある──と。しかしそれはあくまで『機関』と鶴屋家だ。古泉と鶴屋さんの間でのもんじゃない。この二人がそれぞれ二人とも、そんなもん知ったことかと考えている可能性だってある。それもたがいに示し合わせたわけじゃなくてだ。

 鶴屋さんは古泉や長門、朝比奈さんの正体についてくわしく知っているわけではなさそうで、この三人──とハルヒ──が何かちがうなと気づきつつ、せんさくしようとしないのが鶴屋スタイルだ。俺は一昨日おとといの夜、帰りぎわに鶴屋さんから聞かされた話を全面的に信用するし、オマケとして古泉のことだって少しは信用してやれる。『機関』と長門をはかりにかけるような事態があったら、一度だけでも俺たちのほうを選ぶと言ったあの時の言葉をな。

「……キョン、ちょっと! あんた聞いてんの?」

 えいな声が耳を打ち、指し棒の先がまっすぐ俺にきつけられていて、その延長線上にハルヒがいかめしい顔で立っていた。

「いい? 明日は動きやすい格好で来ること! よごれても平気な服を着てきなさい。あんたと古泉くんは手ぶらでかまわないわ。とりあえずいる物はね……」

 ハルヒは朝比奈さんをうながして、水性ペンを持つように命じた。

 メイドで書記という変な組み合わせの属性を持つことになった朝比奈さんは、微笑ほほえましいまでの子供っぽい字で言われるままの語句をホワイトボートに書き連ねていく。

「まずシャベルが二本ね。これはあたしが用意するわ。それからお弁当。みくるちゃん、お願いね。ゴザもいるわね。それからそうなんしたときのための方位磁石、ランタン、地図も用意しときましょ。この宝の地図じゃなくて、まともなヤツね。非常食としておもいっぱいあったほうがいいわ。はつえんとうはどうしようかな」

 どこの山に登るつもりだ。この高校があるところより低い頂上しかない山だぞ。おかしな現象が発生でもしない限り遭難などありえんし、しかも、もしそのおかしな現象が発生したりすると磁石や発煙筒なんぞ何の役にも立たないというのは年末に身にみている。

 長門の冷静な黒いひとみが、朝比奈さんの下手な字を見つめているのをかくにんして俺はそっといきらした。

 一週間ほど先から来たあの朝比奈さん情報では、俺たちはつつがなく宝探しに行き、無事にもどって来たことになっている。それも探したなく帰りも手ぶらでだ。そこで重大な事件に出会っていれば朝比奈さんだって注意をかんするようなことを伝えてくれただろう。

 登って弁当って下山する。ただのピクニックだ、それは。肉体労働係を任命されることが決定している俺と古泉を除けばだが……。

 ここにきて長門が同期をふういんした理由を再認識したように思う。確かに自分のすることやハルヒの言い出すことが解っているようなこの状態、正直言って全然おもしろくない。聞かなきゃよかったよ、朝比奈さん。

 まあり合いが取れていると言えばそうなのかもしれない。SOS団が実行するこの週末の予定は解っている。しかして、朝比奈さん(大)から下された俺と朝比奈さん(みちる)がやるべき行動の意味はさっぱり解らないという、損得かんじようすれば差し引きゼロ──って言っていいものかね。

 なんか損ばかりしているようだと、俺のひかえめな感情がつぶやいているんだが。

 すっかり登山気分のハルヒが次々に持っていくものを増やし続けたために、書き記すスペースがホワイトボードから失われ、とうとうひざまずいたメイドな朝比奈さんがちっちゃな文字でしたすみの方にシェルパとかテントとか書くことにもなったが、

「ハルにゃん、てんざん山脈を徒歩で縦断するんじゃないんだからっ。山ったってちゃちいもんだしさっ、けいたいの電波だって入るし、遭難しそうになったられんらくしてくれたらいいよ! そうさくたいけんするからっ」

 鶴屋さんがケラケラ笑いながら注進してくれて、

「あたしが子供のころに走り回って遊んでた山だよっ。クマもいない!」

 ハルヒも笑い返した。

「ありがと。遭難したときはたのむわ」

 もとより本気ではなかったのだろう、ハルヒは指し棒をくるんと回して、

「みんな、いいわね。こう言ってくれている鶴屋さんのためにも、お宝を絶対テイクアウトするのよ。気合い入れて行きまっしょう!」

 なんだろう、俺は手ひどくあんしている自分に気づいてろうばいしそうになった。ハルヒがいつもの調子に戻って、あのかがやく瞳を俺に見せつけている。ただそれだけで、すべての不安がっ飛んでいく気がして、そんな気がしたことによって安心したというか何というか……。

 まあ何だ、だれであろうと気が晴れることはいいことだ。理由が何だってさ。



 一方的に宝探し計画をぶち上げた後、ハルヒが学校図書室から借り出してきた時代のかんやら資料やら歴史小説を広げて、鶴屋さんの先祖(しようだか問屋だかだったらしい)がめてかくしそうな物を推理しようという、それは推理ではなくて単なるアテ物だろうと言いたくなるような展開が小一時間ほど続いて、今日の特別きんきゆうミーティングはしゆうりようだ。

 ちなみにハルヒは、

「小判なんかつまんないわ。もっと面白グッズが出てきて欲しいものね」

 などと言って無い物ねだりをしていたが、長門が文庫本を閉じるのを合図に、自分がながめていたなわじゆうの図鑑を閉じた。終業時刻がすぐそこまでせまっている。

 そこから全員で集団下校となった。坂を下っている最中、俺は何とかして鶴屋さんと二人で話せないかと機会をうかがっていたのが、なかなかチャンスがおとずれない。最前列をハルヒと鶴屋さんが風を切って行進し、その後ろに朝比奈さんが続き、もくもく歩きの長門と来て、さいこうは俺と古泉だ。俺としては朝比奈さん(みちる)がちゃんと鶴屋さん家で平和に生活できてんのかをきたかったが、ハルヒの耳に届くようなことがあってはならない。

 まあいいか。どうせ後で電話することになる。あっちの朝比奈さんとは今後の予定を話し合わないとな。今朝の三通の手紙のうち、一つの指令はちょっとした準備が必要らしいのだ。事前に手に入れなくてはならない物がある。ますますしようのお使いロールプレイになってきた。

 にしても鶴屋さんには感心させられる。ハルヒや朝比奈さんとのけ合いを見ていると、自宅に朝比奈さんのそっくりさんかふたの妹かドッペルゲンガーがいるなんてりはいつさい見せず、本当にそのままの鶴屋さんだ。何とたよりになるせんぱいだろう。

「また明日! こくばつきんだからね」

 長門のマンションが見えてきたあたりで俺たちは三々五々に道を分かち合い、ハルヒの声に手を振ってから、あとは自分の家に帰るフリをするだけだった。



 いかにも帰り道をダラダラと歩いている高校生の姿をよそおいつつ、俺は全員の姿が見えなくなったのを見計らってけいたい電話を取り出し、念のために細い路地のすき身体からだひそめながらコールする先は鶴屋さんのていたくである。

 お手伝いさんみたいな人に名を告げると、そう待つことなく朝比奈さんに取り次いでくれた。

『はぁい。キョンくん? あたしです』

 俺ははなれの小部屋で小さく正座している朝比奈さんを思いかべながら、

「今日も入ってましたよ、例の手紙」

『ううーん、今度は何をすればいいんでしょうか……』

 はほとんどいきのようである。

「そのことで相談したいことがあるんですよ。今日明日はどうやら自由時間のようですが、明後日あさつてあたりからいそがしくなりそうな感じと言うか」

『あ、はい。なんだかわかるような……』

 それはまた、どうしてだろう。

『土日に市内パトロールをしたって言いましたよね。あたし、じっくり思い出そうってがんばってみたんです。そうしたら、あの時のキョンくん、ちょっと変だったような……』

 これも聞かなかったほうがよかったかな。無理にでも変な振るいをやらないといけないってのはつかれそうだ。ただでさえ明日は疲れそうだってのに。

「その話は後で聞きますよ。今からそっちに行きます。鶴屋さんはまだ帰ってないですよね。俺は今から向かうので、鶴屋さんのちょい後くらいにとうちやく予定で」

 からかぜだんまねばならない季節だ。俺は電話を切ると小走りで歩き出す。



 りんに出てきてくれたのは今日も鶴屋さんだった。俺とはほとんど頭か首差だったようで、えもまだのセーラー服姿である。

「来ると思ったよっ」

 門を開けながら鶴屋さんは楽しげに言い、俺に手招きした。

「で、どうなんだい? あのみちるちゃんは、いつまでウチのしきわらしをやっててくれるんだい?」

 そいつはちょっとまだ解りませんね。ですが、あと数日でいいはずですよ。

「あたしだったらいつまでも置いときたいからいいよっ。いやぁもう可愛かわいい可愛い! 同じ家にいると学校じゃ解らなかったみくる……じゃなかったね、あのの可愛さを新しく十二個くらい発見しちゃったさ! いてねむりたいくらいだねっ」

 まさかやってんじゃないでしょうね、そんなうらやましいことを。

「いんやっ。いつしよなのはおくらいさ。みちる、何か言おうとするたびに、これ言っていいのかなっ、てなやむ顔するんだよ。それがまた大層可愛いんだけどっ。ちょっとかわいそうでもあるね。気にしなくていいのにさっ」

 鶴屋さんに導かれて俺は離れの小屋まで行く。想像通り、朝比奈さんはたたみきの部屋で所在なげに正座して待っていた。つむぎみたいな和服の上にはんてんという姿がしんせんで、

「あ、キョンくん……」

 俺が来たのを見てあんの表情を浮かべるところも、またいいね。今にも三つ指ついてくれそうなシーンだ。

 勇んで引き戸を閉めようとしたところで、俺の後ろにいた鶴屋さんのねこわらいにぶつかった。何か問いたげな目つきをしているが、確かに言うべきことがあるな。

「鶴屋さん、すみませんが俺と朝比奈──みちるさんと二人にしてもらえませんか。すぐにすみますんで」

「ふふふううん?」

 鶴屋さんは俺のかたしに朝比奈さんをのぞき込み、

「二人っきりに? このせまい部屋でっ? いいけどねっ」

 朝比奈さんが顔を赤らめるのをおもしろそうに見やって、鶴屋さんは俺の肩をはたいた。

「じゃあ、あたしは着替えてくるよ。うふふふん? ごゆっくり~ん」

 ステップを踏むような足取りでおもへと去る鶴屋さんだった。それを見届けてから俺は小部屋に上がり込む。しゃちこばったような朝比奈さんが畳の目を数えるように顔をせているが、まあそう、固くなんないでくださいよ。困るじゃないか。

 余計なぼんのうを脳内スプレーでき消して、通学かばんに意識を集中させることにしよう。

「電話でも言いましたが、これがその手紙です。今日届いたぶん」

 俺は朝比奈さんに二通のふうとうを差し出した。♯3と4だけを。♯6は見せずにおく。この六通目は俺だけにてられたものらしいからだ。そしておそらく、この♯6が最後の手紙なのだ。これ以上はないと見ていい。♯5があるのだとしたら別だが、取り急ぎその二通の中身をしようかいしよう。

 まず♯3、

『明後日、土曜日。南に向かい、夕方までに**町**丁目にある歩道橋に行ってください。歩道橋の手前にパンジーの植え込みがあります。そこに落ちている物を拾い、以下の住所にとくめいで郵送してください。落ちているものとは、小型のおくばいたいです』

 二枚目には、やたら遠くの住所が書いてあり、記憶媒体らしき物の絵がえられてあった。この絵からはメモリースティックを連想させるが自信はない。なんにしろ上手うまいとは言えない絵なのでね。

 次の♯4が、

『川沿いの桜並木、あなたと朝比奈みくるがよく知っているベンチがありますね。日曜日。午前十時四十五分までにそこに行き、午前十時五十分までに川にかめを投げ込んでください。亀の種類はお任せします。小さいもののほうがいいでしょう』

 これにも二枚目があった。可愛い顔をした亀が丸い吹き出しの中で「よろしくね」と俺に呼びかけているマンガタッチのイラストだ。

 ♯3にも4にも共通しているのは、『P.S.必ず朝比奈みくるとともに。二人だけで』とついしんがあることと、朝比奈さんにしか読めない記号の一行が最後をかざっているところだ。

 朝比奈さんはしんけんな顔で手紙を読んでいたが、♯4の二枚目を見終えてからためいきをついた。

「わかんないです。カメさんですかぁ……」

 この寒気団押し寄せる真冬に、川へ亀を投げ込むこうに何の意味があるのか、わかるほうがおかしいな。解るのは書かれているベンチってのが、去年の春に朝比奈さんから未来人告白を受けたやつだというくらいだ。

「でも、やらないといけないです」

 朝比奈さんはコードを指でなぞり、決然としたおもてを上げた。

「今のあたしたちには解りませんが、これはきっと意味のあることなんです。そうじゃないと……」

 ふと朝比奈さんの目元が悲しげにらいだ。

 そうじゃないと──に続く言葉なら容易に思いつく。そうだ、でないとここに朝比奈さんがいる意味がない。二人もいる意味は、もっとない。

 思わずにじり寄って抱きしめたくなったが、やっぱり俺はそんなことをしない。鶴屋さんからくぎされていることもあるしさ。俺の心情的にも、おいたはダメだね。

「それより朝比奈さん」

 どう修正をはかる。

「土日は市内パトロールをするんでしたよね? だったら、その指令の時間とかぶるんじゃないですか?」

 土曜は夕方までというあいまいさだが、日曜は午前十時四十五分という指定がある。SOS団のだれといてもおかしな具合になりそうだ。俺一人だけ姿をくらますわけにもいくまい。

「ひょっとしたら、俺は何か理由をつけて欠席したんですか?」

「いいえ。キョンくんも来てました」

 朝比奈さんは大切そうに手紙を封筒にしまいながら、

「けど、クジで二手に分かれたんです。いつもみたいに。さっきも思い出してたんですけど……土曜の午前はあたしは涼宮さんと長門さん、キョンくんは古泉くんとで、午後はあたしと涼宮さんと古泉くん、キョンくんと長門さんで……」

 おくかくにんするように朝比奈さんは小さく頭をうなずかせ、

「確かです。日曜の午前もあたしと涼宮さんと古泉くん、キョンくんは長門さんとでした。それで、日曜は午前だけで解散だったんです。……え、あれ?」

 言いながら気づいたらしい。たぶん俺も同じ思いをいだいている。

 ぐうぜんにしてはけっこうな確率的低空飛行だよな。

 俺と、この朝比奈さんが未来指令に従って動いている時間帯に限り、俺は必ず長門とペアを組んでいることになる。五人の人間がいてそのうち特定の二人がペアになり、それも三回中二回を実現する確率を求めよ。めんどうなので俺はそんな計算をしないが、割に希少なんじゃないかと思うぜ。

 そして、長門は事情を知ってくれているのだ。クジの行方ゆくえを操作することくらいなら、今の長門でもお茶の子だろう。たのめばそうしてくれる。これはその結果か。

「どうなんでしょう」

 朝比奈さんは自信がなさそうだったが、

「でも、あたしの覚えているとおりにならないと困りますよね? 長門さんが協力してくれたの?」

 思案に暮れる問題だな。朝比奈さんの記憶にある組み合わせは規定のものだ。なんたってわずか一週間後から来た未来人の情報で、そうなってないとおかしい。ほうっておいても俺は長門と組むことになるのか、それともじん的なものなのか……。

 だがなやむのもわずかだった。

「長門に頼みましょう」と俺は言った。「インチキすんのは気が進まないですが、万が一ちがうことになったら大事だ。あいつならわかってくれますよ」

「あたしもそう思います」

 朝比奈さんがいやにきっぱりと同意した。

「パトロールの時、キョンくんの様子がちょっと変だったのって、それだと思うんです。長門さんにクジの組み合わせを頼んでたからだと思うの」

 いったい俺はどんな様子を見せればいいんだろう。ちょっと変ってどんなだ?

「それは……ええと、なんとなく変としか」

 歯切れの悪くなる朝比奈さんだった。具体的に変さが解るようなものならよかったんだがな。

「ごめんなさい。うまく言えなくて」

 謝らなくてもいいですよ。特に重要なことでもないでしょうから。

「でも……、あ、そうだ。日曜、あたしと涼宮さんと古泉くんがデパートの本屋さんにいたとき、」

 思い出すことがあったらしい、朝比奈さんは額を指でっつきながら、

「涼宮さんの電話にイタズラ電話が入ったの」

 誰からです。

「キョンくんから」

 俺が? いまさらハルヒのけいたいにわざわざイタ電をするって?

「うん、涼宮さんはそう言ってました。えっと、キョンくんから変な電話があったって。全然おもしろくないじようだんだわって、すぐに切っちゃいましたけど。十一時になったかどうかのころだったかなぁ」

 こうしてまた一つ不可解な行動予定が付け加えられた。何か知らんが、俺はかめを川に投げ込んだ後、ハルヒに電話してつまらん冗談を言わねばならんらしい。

「何て言ってたとか、ハルヒは言いませんでしたか?」

「ええ、あたしには、そう何も。でも、そのあとお昼にみんなで集合したときに、キョンくん、涼宮さんに謝ってましたよ」

 不可解以上に不条理になってきた。なんで俺があいつに謝ることがあるのだ。

「つまらない冗談言ってすまん、って」

 不条理をえた難解さである。俺がそんななおにハルヒに頭を下げるのは……まあ、そんなにないことだぞ。

 くわしく聞こうにも、朝比奈さんもそれ以上のことは知らないのだとおっしゃる。俺とハルヒの会話は二言ほどでしゆうりようして、次の話題に移ったかららしい。

 知れば知るほど未来の俺は理解不能なことばかりしてくれているようで、推理できるんならだれかやって欲しい。俺はあきらめた。

「それより亀だな」

 俺は♯4のふうとうつまみながら、

「この時期、どんな亀でもそこらの道をひょこひょこ歩いてるはずはありませんから、どうにかして用意しないと」

 とうみん中の野生亀をり起こしてやるのもしのびない。だいいち穴掘りは明日の宝探しでじゆうぶんだろう。まさか宝の代わりに亀を掘り当てるとか、そんなオチが待っているのか?

「いえ、宝物も亀も出てきませんでした」

 そうでしたね。俺たちの宝探しはただの山登りで終わるという話でした。どっちにしろえんのよさそうな物が出てくるとは思えんな。

「しかたない。買ってきますよ」

 近所のホームセンターにペットコーナーがあるのを思い出す。シャミセン用のかんづめをまとめ買いするのによく利用しているが、ゼニガメがのそのそしてたすいそうがあったはずだ。そいつで手を打とう。この帰り道にでも寄ってくか。ああ、でも日曜にSOS団集合場所に亀を持っていくわけにはいかないから、事前にこの朝比奈さんに預けて──と。

 やれやれ、予定が目白押しだ。この週末、のんびり羽をばすことは無理らしいな。

 その後、朝比奈さんと土日に落ち合う場所や時間を相談し、だいたいのことを決めたあたりで俺はこしを上げた。

 はなれの戸口まで朝比奈さんが送ってくれ、とびらを引くとだんころもえした鶴屋さんが寒そうに待っていた。

「やぁやぁっ。ずいぶんゆっくりだったね! ほんとにキョンくんっ、なんかしてたんじゃないだろうねえっ」

 ニコニコ顔が逆にあやしい。この人、すきから中をのぞいてたんじゃないだろうな。よかったよ、おいたをしなくて。この気のいい女子せんぱいにボコられるのは本意じゃないからさ。

 俺は適当な生返事をして、ほおしゆに染めかける朝比奈さんの表情をもうまくに焼き付けつつ、鶴屋家から退散した。

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