医学マンガというジャンルは最近数多く見られるようになったが、やはり自らも医師でもありたぐいまれなマンガの才能にも恵まれた手塚治虫氏の畢生の名作「ブラック・ジャック」(以下B・J)を忘れてはならない。
マンガなんぞ全く興味のない方もいらっしゃるだろうから、簡単にB・Jを説明する。
おきまりのストーリーの展開パターンは神の手を持つ天才的無免許外科医B・Jが難病・大ケガの治療を依頼され、自分しか治療できないくらいの重症と判断する(実際ほとんど誰も手術できないくらい重症)
患者の弱みにつけ込んで、法外な治療費を請求する。.が、患者を救ったのちに、シチュエーションに応じて治療費を取らなかったり、イキなはからいをしたりで大団円を迎えるというものである。
最初はピカレスク(悪漢小説)に見え、少年誌というしばりで、どう落とし前をつけるんだ、と心配するところだったが、B・Jはなかなかの名優で、あれだけ金銭に汚い設定なのに、いつのまにかヒューマン仕立てになっているところが驚きである。飽きさせないのだ。
そして、医学の限界に立ち向かうB・Jの姿に当時中学生の私はいたく感動したものだった。
B・Jはそのキャラ設定上、ほとんど失敗することがない。
難手術をこなして、患者の闘病の精神に共鳴を受けた場合、きまぐれで治療費放棄したりもするが、その結果として生ずる人間ドラマの水先案内人となる場合もある。
私はほぼすべての作品を読んでいるが、初出以来ずっと心に残っている作品は実はB・Jの数少ない失敗譚の一つである。
この間、リニューアルで再アニメ化された内の一話なのでご存じの方もいると思う。
ざっとあらすじを紹介するとB・Jの元に恩師でもあり命の恩人の医師からある日謎めいた手紙が来て、B・Jに会いたいと言う。B・Jが訪ねると恩師は死の床についていた。
そこで恩師はB・Jに懺悔めいたエピソードを語るのだが、それは割愛することとして、話を聞き終わった直後、恩師は急変する。
どう年老いていても、どういう恥ずかしい懺悔をしようとも(実は恩師は瀕死のB・Jを救った手術でメスを体内に忘れたのだそうだ)なろうとも恩師は傲岸不遜なB・Jがこの世界でたった一人尊敬する人物である。
もちろん自らの手で救おうとした。恩師宅のそばの病院で緊急手術を施行。しかし「手術は完璧」だったのに恩師は亡くなってしまう。
B・Jはその後も名手ぶりを披露し続けるが、これは連載の割と早い時期で描かれたB・Jの蹉跌である。
手塚の真に発した大きなメッセージをここにかいま見ることができる。
神に近い技量を誇るB・Jは何も慢心しているわけではない。信念を持って自らを信じ、患者を救うことを業としている。そのB・Jの前に「天命」という大きな壁が立ちふさがる。これはもう一つの手塚の名作「火の鳥」と共通していて、また別の啓蒙作品「ブッダ」と共に「大いなる生命のことわり」をうったえているのだと思う。
原作では恩師を死なしてしまって憔悴しきったB・Jが病院の階段の前で頭を抱えているところに恩師の幻影があらわれる。
そして
「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」
と慰めるシーンで終わっている。私は数あるB・Jの作品の中でこのラストシーンが一番好きである。
最近の医学の進歩は移植、クローン人間、遺伝子治療など、「B・J恩師の最後の言葉」に逆らった方向に来ていないだろうか。
人間は「少しでも助かる」と可能性が見えたとき、修羅の道に入ってしまう。
自らの助かる手段のためには愛も憎もすべて関係なく、その結果等しいはずの生命に格差が生じ、差別を生み、得るものと得ないものと間に憎しみを増大させ、果ては人類を滅ぼすのではないかとまでさえ空想してしまうのだ。つまり生命をお金や身分で買えてしまう世の中になってしまうのかもしれないと。
ちなみにアニメ版ではその味のあるラストシーンで終わらず、B・Jが海の波濤を前にして物思いにふけり、恩師の幻影を振り払うようにして
「それでも私は医者だ」
と決意表明してエンディングを迎える。
これでは、原作の意図が台無しではと首をかしげてしまったが、この巨人の星の飛雄馬パターンが当世の流行りだったら私の感性が時代にそぐわないのかとも思ってしまう。
万人に等しく与えられた生命についてはこれだけでは言いつくせないので、手塚氏の作品群に関してはまた触れることもあるかもしれない。
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朝、車を駅そばの駐車場に入れたあと、突然バッテリーがあがってしまった。かかりにくかったとかも気づかず、なんの前ぶれもなくである。マーフィーの法則ぽくいうと「忙しいときに限って、バッテリーと靴ひもはやられる」という風か。何回か無駄な抵抗を試みたあげく、弱っていくセルの音に絶望してJAFを呼んだ。待つこと1時間、このようなときはあせってもしかたないので、コンビニで雑誌を買ってのんびり待つこととした。整備の人が駆けつけると、実にいまいましいことに一発でかかってしまった。バツの悪いことだが法則風に言うと「バッテリーとパソコンとテレビはエンジニアの到着と同時に治る」だろうか。またいつ発作が起こるかも知れない。せっかくなので点検してもらうことにした。
すると静止時電圧は十分だったのだが、起動時にかなり圧が落ちることが判明した。「十分エンジンを吹かしていれば充電はされますけどね、だいぶ弱っているようですね」「走るのには大丈夫ですか?」ときくと「走ってればいいんですが、いつまた止まってもおかしくありませんね」とおどされたのでバッテリーをその場で交換した。確かに取り換えた後の起動時エンジンの回り方は格段にスムースになっており「本当に弱っていたんだなぁ」と実感できた。
強引に人間にたとえるならば車のエンジンが心臓に相当し、バッテリーはさしずめ心臓を動かすペースメーカーか。実は人間の心臓は勝手に動いているのではなく自前のペースメーカーをもっており、心房の上部に埋め込まれている。このバッテリーは車と違ってそうそうへたったりはしないが、そのペースメーカーから心筋にいたるまでの導線の異常で起こる病気が「不整脈」ということになる。不整脈は常に起こすわけではなく、ひとたびその状態になると体は自然に懸命に元の状態になおろうとする。不整脈で脈が早く走ってしまった時などは、休止状態を長くとって心筋の状態を「リセット」するのもその一つだ。心臓は脳を含めてすべての臓器のエネルギー供給装置であるから、いっぺんの異常ではダウンしない。ましてやエンジンが止まってしまうというのはもってのほかだ。このような機構がもし車についていれば、私はJAFさんを呼ばなくてもよいことになるのだが。
逆に不整脈の病気にかかっていても、体はあまり痛痒を覚えないという言い方もできる。そして、私が次第に弱っていた車のバッテリーの異常についに気づかなかったように、少々の不整脈のサインがあっても、「体は慣れてしまって、気にしなくなる」おそれも十分にあるのだ。しまいには自己修復が不可能な点まで堪え忍んでいるのかも知れない。私が医学生だったころ、一時的に意識がなくなって、突然倒れてしまい、2~3分後に何事もなかったかのように意識が戻る、そういう病態を「一過性意識消失発作」と習ったものだ。脳梗塞の一歩手前の状態で頭の血管が血液の固まったものやらコレステロールの残骸やらで詰まりかかったのが、脳細胞が死ぬすんでの所でそれらが溶けてまた血のめぐりが復活した状態、と説明されていた。しかし、こう思われていた病気の大部分が「意識がとぶほどの長い不整脈」だった可能性が高い。同じように脳細胞に血流が行かなくなる病態なのだ。不整脈が自然に戻った後の救急の場では見分けがつかない。血管の詰まったものが溶けるのは運次第だが、不整脈に陥った体は懸命に元の状態に戻ろうと必死になる、結果何とか生還する場合が多いというわけだ。
普段は全く症状がない、こんな時健康診断を受けても全く心電図などは異常がない。この怖い不整脈を捕まえるにはどうしたらよいのか?バッテリーと同じく止まる前はかならず何らかの前兆がある。慣れてしまって気がつかないだけだ。時々息切れがする、一瞬、胸痛があってもすぐなおった、階段を上ったらめまいがしたなどなど、である。病院にはホルター心電図という機械があって、24時間心電図をつけっぱなしにして不整脈を調べる方法もある。とにかく放っておかないことだ。車にはお上が決めた車検があるが、あなたの体を守るのはあなた自身しかいないのだ。
ところで、私の車は一度だけエンジンがかかったが、JAFさんが来るまで懸命に元の状態に戻ろうとしたのだろうか?
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小さいときは天文学者になりたかった。だいたいにして子供時代の夢はそのままかなわない、というのが相場である。しかし、才能を必要とするスポーツ選手などと違って、天文学者になる夢は途中で挫折したといっていい。なにしろ好きだったら勉強を続ければよいのだから、怠慢のそしりは免れない。
去年は火星の大接近の年だったが、ちょうど30年前にブームになったことを思い出す。当時こづかいをコツコツためて買った望遠鏡を庭に持ち出しては火星を始めとして星空をながめていた。去年夏の大接近ではクリニックから帰りが遅くなって夜半近くなると中空にうかぶ赤い大きな星を見上げて、夜ごと星空を見ていた昔のことを思い出した。
月食などのイベントの日には朝から落ち着かず、遠足前のように「晴れてくれ」と祈っていたものだ。そうは言っても子供にとっては夜空の観賞はなかなかキツイものがあって、特に「流星群」の観察は夜明けに多くなるのが悩みの種であった。実際、観測中に寝てしまって夜露にぬれ、ひどい風邪をひき難儀したこともある。雨が降ればゆっくり休んで、晴れれば夜星空をながめ続ける、そんな仕事だったらいいなと真剣に思っていた。だが、中学高校と進むと、興味は薄れていってしまった。実は天文学はほとんど数学と物理学でできあがっておりそれに気づいたなまけものの中学生が「こりゃかなわん」と思ったのが真相のようである。どうやら天文学者ではなくただのスターウォッチャー(星をみる人)になりたかったようだ。
この仕事はストレスなんぞからは無縁なものだろうな、ということは想像に難くない。人を相手にしないから対人で悩むことはないし、好きなことをやっているわけだし、星は逃げないから、締め切りがあるわけでなし、学問が好きでなくてはという条件付きだが、私が子供の頃わくわくした心をそのまま持っていればいい。現代天文学はかなり高等な学問で相対性理論だか量子力学やらもあり、私の理解をはるかに超えてしまっているが、昔のビッグネームたちはやはり晴耕雨読の生活をしていたのだろう。そのためかやたら長寿が目立つ。
ニュートン享年85才(万有引力発見、以下享年割愛)ガリレオ(地動説)78才。カッシーニ(土星の輪のすきま発見)87才。ハレー(ハレー彗星軌道予言)86才。オールト(オールトの雲発見)92才。今聞くと「ふーん、いるよね、それくらい」だが驚くべきことにオールト以外はみな16~19世紀の人々でこの時代先進国でも平均寿命は35~40代であったことを考えると明らかに長寿である。ただし、乳幼児の死亡率が高かったために平均が落ち込んでいるだけで40才まで生きた人の半分は60才まで到達できた。それでも学者たちの寿命は脅威的に長い。
望遠鏡を駆使して惑星を発見した人々は特筆すべきである。天王星を発見したハーシェル86才。海王星を発見したガレ98才。冥王星を発見したトンボー91才。長く生きていたから発見できたのではなく、これらの業績は若い内に成し遂げられた。最もハーシェルは長寿一家で妹も天文学者兼数学者だが98才まで生きた。生命体に比べたら何十億年という星の寿命も桁違いに長い。あくまでも想像で科学的根拠はないのだが、その星々に思いをはせて、思考しつつ、ゆったりと生きていくと体の細胞のサイクルも緩慢になったのだろう。そして、体は元気でも困った状態の代名詞であるボケ防止にもなったのでないだろうか?ちなみに医者という職業はきわめて不健康で、特に外科医の平均寿命はかなりおそまつである。やはりすべてはストレス短命説で説明できるようだ。
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やっぱりこれだけ暑いと地球はどうにかなってしまっているのだろうかと疑ってしまう。
体がヤワになったのか、子供時代の夏の感覚とだいぶ違って「がまんのならない暑さ」と感じてしまうようだ。そこで気象庁の過去100年日本の7月の平均気温というサイトを見てみた。
去年こそは長梅雨で平年を大きく下回っているが長期的には100年で0.8度の上昇ということだった。
たった0.8度?~んなことはないだろ~と思って、8月も見てみると8月も100年で0.8度上昇だった。わずかこれだけの気温の変化で体感的につらくなったのだろうか。いやどうもそうではなさそうである。
われわれ人間の精神はあたかも水が低いところに流れるようで、文明の進歩というものは生活を楽にして便利にすることと同時に「堕落させる」ためにあったかもしれない。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」という至言は死語になったようだ。かくいう暑さに弱い自分も若いときはどんなに暑くてもエアコンがどこにもなければ、我慢ができていた。当たり前のことである。うちわを探し、なければ下敷きで、ぱたぱたと風を送るとなんとか暑さはこらえられた。
ところが、現代の子にそういう精進を強いるのは酷である。皆が享受している文明なのに我が子だけ我慢させるのは虐待ではないのか?と、親が情け心で思えばもう後は何も考えずにまっしぐら。エアコンならまだかわいいものと、ひいては我慢させたい流行のおもちゃなどを与えないようきつく叱ると、子供の反撃の常套句なのだが、「クラスのみんなが持っている」と泣きわめく。それに対してそのグッズを買い与えた覚えはありませんか?こうして子供たちは「ゴネドク」を学習していき、やがて成人になりごねる親となる。ゴネの再生産だ。
一億総中流と言われて久しい我が日本はこのようにして我慢を強いられなかった子供たちが親になる世代に入った。それがいいとか悪いとかではなく、それは歴史の必然である。いたしかたなく、それについて何かを言える立場にもない。暑ければエアコンをがんがんかければいい。夜寝苦しければ、かけっぱなしで寝ればいい。与えられた権利(ここではエアコン)は「なんでウチだけ我慢しなけりゃならないの?みんなエアコンつけてるじゃないの?」と声高に世界の中心で叫ぶ*(はやり言葉ですね)そう、その通り、お説ごもっともである。たかがエアコンではないか。しかし・・・
エアコンとはただ熱を外に捨てるだけの機械である。ベランダの室外機のそばは地獄の暑さであることはご存じだろう。外が灼熱地獄でも部屋の中は冷え冷えの状態はかなりたとえは悪いが自分の庭だけきれいならいいやと往来にゴミを捨てているような感じはしないだろうか?
ひたすら室内の熱を電気エネルギーでもって放散させるのでプラスマイナスでは結局電気で熱を作っていることになる。捨てた熱風のエネルギー熱で湯でも沸かせないものかといつも思うが、どうなのだろう?
さて、各家庭がこぞってそれをする。もちろん私の家もご多分に漏れずかけまくり、外はというとアスファルトで覆われていないところはわずかに猫の額ほどの庭だけだから、水をまいても気化熱はほとんど作れず暑いの何の・・・そうアスファルトによるヒートアイランド状態はエアコンでさらに悪化する。こうして夜は連日熱帯夜、再びエアコンつけなければ寝られない、まるで洪水時にバケツで水をかき出しているようなものだ。どこもかしこも閉鎖された空間はエアコンがついていなければ、絶対に我慢できなくなる。現代はそのような時代の過渡期のような気がしてならない。
唐突なようだがもっとも平均地表温度の高い太陽系の惑星をご存じだろうか?答えは水星でなく、2番目に太陽に近い金星である。金星の表面温度は400度にもなる地獄の釜状態なのである。
金星は地球と驚くべきほどサイズといい密度といいそっくりな双子の惑星で、地球と同じ生命が発生する余地はあった。しかし、金星は大気として持つ二酸化炭素の濃度が高く、温室効果で上に述べたような生命の誕生の余地のない環境になったといわれる。現在、人類は多大なエネルギー(ほとんどが石油などの化石燃料)を消費してすべて熱に変えている。その代償として膨大な量の二酸化炭素を発生させている。このまま、二酸化炭素を垂れ流し続けると、第二の金星にならないとは限らない。いや学者での試算ではそう遠くない未来だそうだ。
「だから、エアコンかけるな、っていうの?冗談じゃない」
そう、その通り。あなたのみ我慢したところで全くなんの足しにもならない。海の塩辛さをとろうとして一杯のコップの水を混ぜるようなものである。
ただ、私達はちょっとした我慢がだんだんできなくなって、そのちょっとした各自のマイナスの精神が積み重なり、数百年の単位で世界を悪くしていってるのではないかと杞憂する次第である。
コンクリートジャングルと呼ばれて久しい東京はほんの少ししか見えなくなった土の上に次々に夏になると熱板になってしまうアスファルトを貼り付け、巨大なエアコンの集積体である巨大ビルを立て続ける。土と緑がどんなに自然の冷却装置であるか、昔の人はちゃんと知っていたようである。
石黒忠悳(いしぐろ・ただのり)という明治維新時代の医師官僚がいた。
医学や文明を日本に根付かせるには教育だ、そして大学だと真剣に思い、大学建設のため首都になった江戸東京に土地を探していた。
明治政府は幕府から大名たちの広大な藩邸跡を巻き上げている。その中の一つに上野の山があった。石黒はここに帝国大学を作ろうと思って、精密な設計図を考えた。
そして、たまたま、長崎医学校の教育医師オランダ人のボードインというDrが上京していて、石黒はその人に意見を聞こうと思って上野を大学の設計図もって案内したそうである。
ボードインは瞬時に言った。
「おやめなさい。この上野にはこんなに緑がある。ヨーロッパの都市がどんなに苦労して人工的に都市に緑を植えているか。都市には緑が必要なのだ」
石黒は直ちにその意味を理解して、政府の高官に説いて、上野の山をつぶすのをやめ、本郷の加賀屋敷跡に大学を作ることにした。これが現在の東京大学である。こうして上野公園にあれだけの緑が残ったわけだが、この都市森林という思想はその後の日本人に受け継がれているのかどうか。
地価が高い東京で誰の儲けにもならない緑をみんなのために植える。こんなことが今後ともあるわけがない。みんなのほんのちょっとずつのエゴが都市を暴走させていく。
誰が悪いわけでもない、いや誰も少しも悪くないのだ。もし東京に土と緑が戻るとすれば、織田信長かヒットラーのような超独裁者があらわれて、東京の土地はみんな公用にする、と宣言してスクラップ&ビルトしないと、引き返せないところまできたのかなと、年間平均気温が少しずつ上昇しているという事実を眺めながら、そして暑さにぼーっとしながら考えた次第である。
今回も医学とは関係なかったが最後にDrがちょろっと出てきましたね・・・
*世界の中心で叫ぶ:2004年映画化してブレイクした片山恭一の「世界の中心で愛を叫ぶ」より。300万部以上のベストセラー通称「セカチュー」
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文明と文化はどう違うかを私の敬愛する故・司馬遼太郎氏は簡単に説明している。
文明とは普遍性なものだそうだ。簡単な取り決めだけで万人が参加できてしかも便利なもの、これを「文明」としたい、という。
たとえば、チケットを買い搭乗手続きをするだけで「だれでも(民族に関係なく)、飛行機に乗れる」のだ。
このことは航空機文明であって航空機文化では決してない。
パソコンも電源を入れOSを立ち上げる、さまざまなアプリケーションを使う、これもコンピュータ文明である。
それに引き替え文化とは「普遍性を失った文明」だそうだ。さらに司馬氏は
「人間とは文化というマユにくるまれて生きている」
という。文化とは民族のくせともいっていい。他から見れば特異でありえない動作も当の民族からしたら当たり前で心地よい。
日本人が畳であぐらをかく、ご飯の後にあつい緑茶を飲む、これが日本文化であって文明ではない。(もっとも最近はそれが居心地が悪い若者も多いのだろうが。)
さらにもっと狭い範囲の文化もあり、それが家庭ごとの漬け物の味だったり、みそ汁の味だったりして、その家族は気持ちいい状態ではあるが、他の家庭ではその味では決して満足しない。文化とはかくも窮屈なのだ。しかし人はあえてそれにくるまれて気持ちのいい生物と司馬氏がいうわけだ。
なぜこんな話をしたかというと、医療というのはまさにかぎりなく文明的でなくてはならないと改めて思うからである。人種、生活レベルを超えて同じ医療を誰でも享受できてしかも便利と信じてくれるもの、それを医療文明とでも名付けなくてはならない。 外科手術はどうだろう?むかし私の上司の外科医はある時こういった。 「俺は手術なんか教えないよ。見て覚えろ。それができないヤツはいつまでたってもダメなんだ」 いかが思われますか?あちこちの大学病院でありがちな話だがこれではあまりにも非文明的ではないだろうか。手術とは誰でもどこでも参加できて、はじめて手術文明になる。
が、この世界にも少しずつだが、機械文明の進出が見られてきた。古くは切った腸同士を丸いホッチキスのようなリングを使って吻合(ふんごう=つなげること)する「自動吻合器」がある。
体の深いところで吻合しなくてはならない骨盤の中の直腸、胃を全部とってしまったときの食道と小腸をつなげる時などはこの器械が導入されてから「文明的な」手術になった。
すなわちちょっとしたトレーニングで誰でも同じようにつなげるようになったのだ。百戦錬磨のゴッドハンドの名外科医と研修3年目のフレッシュドクターでもできあがりはほぼ等しい。それまではこれらの手術は体の深いところでしなくてはならなかったので、まるで井戸の中に手をさしのべてプラモデルを作るような不自然な状態で手術をしていた。従って、できあがりは腕の差で歴然と言ってよかった。うまい人に手術をしてもらいたい、といつの世も願うのはこうした非文明的手術がずっと長かったからだろう。
この自動吻合器が普遍的になろうと広がってきた時代、さらに先輩の医師たちはこういっていた。
「手縫い(文字通り、器械を使わない今までの手技)ができなきゃ、器械なんか使わせられない。もし器械がなかったらどうするんだ。そんなハンパな外科医になるな」
と、あくまでも井戸中手術をさせようとするのだ。 これがいかにヘンな理屈かおわかりでしょうか?器械吻合がすぐれていることが証明されたら、器械がなければその手術はもうやってはいけないのだ。あればたれでも同じように吻合できる、なければある病院に紹介するのが医療人としての良心だろうし、その手術をする前に導入していなくてはならない。
文化から文明に昇格した手術手技を大切にしなくては外科とはかくも野蛮なものなのかとのそしりを受けてしまう。もちろん手縫いの技術それ自体は重要なスキルである、しかしそれが不自然状況(先ほどの井戸中のプラモデル)でうまいということが医療人としての評価になるのがなんともおかしなことではないだろうか?井戸の中のプラモデルをきれいに作りたい、でも井戸から出せないし手もやっとしか届かない。代わりに作ってくれる道具がある。それにやってもらえばプラモはきれいになる。
それを「自分でうまく作らないとこの道具を渡せないよ」
と先輩はいっているのだ。意地悪としか思えないが、後輩のためによかれと思っていっているのだろう、かわいそうな人だなとそのときは我慢した。
私が先輩の立場になったとき、このような底意地の悪い指導は一度もしなかったと断言できる。
「道具には使われず、上手に使え」とはいったと思うが。 繰り返すが私は単純な医療器械礼賛者ではない。基本的外科手技は依然として重要だ。皮膚の切り方から始まって、止血法、剥離(はくり=臓器や血管は何重にも組織で覆われている、それをていねいにはがすこと)結紮(けっさつ=すばやく糸でしばること)などはおろそかにしてはならない。こうした基本的な手技がきちんと正確にできて、不安が残るところを道具で補えばそれがイコール名医だろう。そしてアクロバット的な手術ができたところで少しもえらくない。それを目指して、かつて、出血死させてしまった内視鏡下手術の事件があったが、あれなどは技術うんぬんをいう前に、このままでは、これ以上はあぶないと判断する大局観(「外科と大局観」参照)が欠落しているドクターだったのでは、と単純に思う。要するに医師として不向きなキャラクターだっただけだろう。
外科の世界も遅ればせながら、文明期にようやく入ってきたと考えたい。今まではどの外科教室(大学医局のことをこうよぶ)でも手術はその「教授のしきたり」があった。それこそ各家庭のみそ汁の味である。ご飯はおいしく食べられるのだが、普遍性はなく、それに従わない嫁は離縁された(笑)
この文化村にいることは、しきたりを守るだけで限りなく心地よい。司馬氏が喝破したとおりである。
が、時代遅れの不利益になるしきたりでは患者さんはたまったものではない。医療界のグローバルスタンダードは外科でもっとも遅れていただろう。外科医局文化とはこんなにも封建的であるということを証明したにすぎないが、少なくとも志木南口クリニックでは「少しでも文明的な医療に」と考えている次第である。喜恵会グループは大目標である「大学病院と同じレベルの理知的な医療」を目指しているつもりだ。もちろん文化はひとつも移植したくないが(笑)
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名探偵の代名詞であるシャーロック・ホームズの人気の高さは始めて会ったのにもかかわらず「一目見ただけで」その人のことがわかってしまう能力に一因があろう。
たいていの読者はここで度胆をぬかれる。
たとえば、ホームズが後に親友となる記述者の役回りを受け持つワトソン博士との出会いで握手を交わした瞬間
「最近までアフガニスタンにいらした軍医殿でお体をそこねて帰っていらしたのですね」
と易者のようなセリフでぴたりと当ててしまうのだ。
どうして見抜いたか、ホームズはワトソンにたねあかしをするのだが、これをクサイと感じるか、魅了されるかでホームズファンになるかどうかが決まる。もちろん私は後者で、ポプラ社刊行の少年むけのシャーロック・ホームズ全集をよく読んだものだ。脱線するが、ホームズをまねた風な探偵が活躍するミステリは日本でも多いがどうも英国紳士のきざなまねをしたところでまるで日本人は全くはまらない。やはりホームズの前にホームズなし、後にも先にも、といえよう。
作者のコナン・ドイルは、さっぱりはやらなかった開業医で暇をもてあましてと収入のない生活苦で、ホームズの物語を書き出したのだが、これが大当たりした。
そのホームズのモデルは学生時代ドイルの師であったエジンバラ大学の外科医ベル博士であったことはご存じだろうか。
ベル博士はホームズそっくり(モデルだから当たり前か)に患者さんを一目で見抜いてしまう能力があったらしい。
患者さんが診察室に入って来るなり、
「初めまして、私がベルです。しかし、あなたは自転車がお好きなのはよろしいが、ウイスキーを控えておこりっぽい性格を直さないととんでもないことになりますよ」
といきなり問診表すらなかった時代の患者さんに先制パンチをくらわしていたという。
そのとき居合わせた臨床実習生のドイルは目を丸くしたことだろう。もっとも驚いたのが患者さんではないだろうか、その後きっとベル博士の診察を受けた患者さんたちはみなシンパになったに違いない。
ベル博士はあとで
「診察室に入ってきたときから患者さんの診察が始まる。患者さんの一挙一動をみのがしてはいけない。そこに大きな診断へのヒントが満載されている」
と懇切丁寧にドイルたちに教え、その受けた博士の衝撃的な印象が後々に大探偵ホームズを生み、私達が恩恵を被る結果となったことを感謝しなくてはならない。ホームズの探偵技法はもともとが医学者の目というわけだから、私から見てもどことなく好感が持てるのはそのためだろうか。
が、仮にホームズが生まれなくても、私達はそこから医療に大事な教訓を読み取ることができる。過去はこのようなカリスマ的な医師が多かったような気がするのは私だけではあるまい。診察が「診ることから始まる」というのはごくごく当たり前であってなかなかできないことなのだ。
ジョンズホプキンス大学の伝説的な臨床医学の創始者オスラー博士は
「患者の言葉に耳をかたむけなさい。患者自身が病名をあなた(=医師)に告げているのだ」
と講演した。患者さんの話を聴くということが、精密検査やもろもろの診断技術よりいかに大切であるかを説いた名言である。ひるがえって、現代医療にどっぷりとつかっているわれわれは忙しさにかまけてといういいわけで、あやしい個所があるとすぐに精密検査を・・・と勧めてしまう。オスラー博士が見たら、きっとお嘆きになることだろう。
が、医学はベル博士が活躍したビクトリア王朝時代(まだ馬車が交通機関の時代だ)より予測のつかない進歩が見られた。現代医学では現在の技術を駆使してでも診断を間違えてはならない、というのは当たり前で個人の洞察力にたよった医療ももちろん論外であろう。私達は知る限り「みのがしてはならない」責任を負わされているのだ。以前は「みたて」だけで名医の称号を得ることができた。
まだ発疹も出ていない子供を診察して
「いいですか、お母さん。ヤカンが沸騰するくらい熱が出ますが、明日には一回下がります。その後、頭から足までボツボツが出て、熱もぶり返すでしょう。そのときはこれこれの薬を」
といって「はしか」を診断してしまう小児科の先生の勇姿はお母さんにとって生涯忘れられなかっただろう。
特徴的なはしかは昔も今も教科書に載っているように同じように診断するのだが、さしずめ今なら
「はしかでしょうけど、確定診断をしましょう。血液検査を・・・」
というと、現代医学のアプローチとしては間違っていないのだがどうも医師の値打ちがさがったような気がしてならない。
このたび、久しぶりに、志木南口クリニックにおいでになった患者さんたちはちょっとびっくりなさるかも知れない。このたび電子カルテ*なるものを導入しようとして、現在一所懸命フル稼働に向けて試運転中である。患者さんのため、より正確に、より速く、より効率的に、よりオープンに、と思い導入に踏み切ったのだが、悲しいことに、電子カルテを使いこなす技術がまだ伴わず、「モニタに一生懸命目線がいってしまっているのではないか」と危惧している。もちろん、そんなことではベル博士の教えからして、本末転倒であるので、スタッフ一同日々修練を繰り返してレベルを上げようと必死である。どうかいましばらくの間、温かく見守っていただけたら幸いである。 慢性疾患で継続的に治療が必要な患者さんなどは今までの紙カルテはどんどん分厚くなり、データや大事な記載がどこにあるのかわからなくなりがちであった。が、完全稼働した暁には一目で検索でき、なにより今まで呪文のように謎の言葉で書かれていたカルテが皆さんの目の前でわかるように記載される。カルテは元々患者さんのものであるから当然といえばその通りだが、遅ればせながらカルテ開示をしていきたいのである。
そうは言ったものが、ワタシ的には、実は牧歌的に、患者さんと無駄話をしつつ、
「はい、これで診察はおしまいですね。・・・あ、あ、ちょっと待ってくださいよ。そうそう、もう一つだけ、お聞きしなくちゃいけなかった・・・いえいえ、お時間は取らせませんよ、ほんのささいなことですがね・・・」
といった次第で「病魔」を追いつめていくコロンボ警部スタイルもなかなかいいかな、とも思っているが・・・怒り出す患者さんもいるでしょうね(笑)
*電子カルテ:現在はまだ処方箋のみ電子化です。
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下手の考え休むに似たり」という囲碁将棋の慣用句がある。
初心者が次の手をずっと考え込んでいる様を見て、それでは休んでいる(眠っている)のと同じだと上級者がからかった言葉である。
のっけから余談だがこの世界の言葉が常套句になった言葉は案外多い。
囲碁からは「ダメ」(どっちの領地にも属さないエリア「駄目」から転じて今はNG全般のことをさすようだ)
将棋からは「タカビー」(高飛車→最強のコマである飛車が将棋盤の中央に陣取り、それが高い位置にいることから転じて、居丈高な態度のこと)以外にも「王手」など転用句も多く、古典テーブルゲーム推進派としてはこれからも啓蒙を続けていきたいと思う所存である(タカビではないが・・・)
閑話休題、さて将棋という知的遊戯は世界にある類似のゲームのなかでもおそらく随一と誇ってよいものではないだろうか。世界マッチもある国際的なチェスにくらべかなり知名度は劣るが、ゲームとしての複雑さ、完成度はひけをとらないばかりか優っている部分が多いと思う。
チェスや将棋に全く興味がない方はこらえて欲しいのだが、ルールと目的は要するに運動会でやる(最近は危険だということであまり見ないが)騎馬戦と同じだ。
騎馬戦はとったハチマキの数で決まるが、将棋やチェスは敵の主将の王将またはキングを取れば他が全滅しても勝ちは勝ちというルールである。
しかし、日本の将棋以外のこれらの類似ゲームは達人同士がプレイすると、引き分けがやたら多くなるそうだ。なぜかというと、大将を守るため、他のコマは次々に命を落としていき消耗戦となるので盤上が次第に寂しくなる。しまいにはコマが少なくなりすぎて、どんなに追っかけていっても捕まらないほどなくなるので引き分ける、ということになるそうだ。作戦としてもサッカーのように「引き分け」ねらいなどというものもあるらしい。勝負事としては興ざめな一面だろう。
一方、将棋ではこの引き分けが驚くほど少ない。なぜかというと捕獲したコマを自分の勢力として使えるからだ。だから、盤上は常に一定量のコマがならぶし、好きなところに打ち込めるから、大将を捕まえやすいのだ。
大陸多民族国家と違って、捕虜を殺戮していくと島国ではすぐに人口が減ってしまうので実際の戦国時代も日本では降伏兵の再利用が当たり前であった。その習慣と無縁であるまい。またまた話が脱線したが。
そして、コマを再利用するこの日本特有のルールがあるためにその思考法はおそろしく複雑化した。しかし、チェスではそうではないようである。
2002年のことだが、チェスの世界チャンピオンとコンピュータ世界最強チェスプログラムの「ディープ・フリッツ」と8番勝負を行い2勝2敗4引き分けという人間とコンピュータがまったく五分の結果になった。「ふーん」とお思いになるかもしれない。しかし、チェスの世界チャンピオンは億単位の収入と世界最高の名誉があるのにくらべ、このディープフリッツというソフトはなにもないのに加え(このソフト開発した人が表彰されたということは聞かない)1万円前後で市販されているのだ。(ネットで簡単に確認できる) さらに、「オセロ」「五目並べ」など他のテーブルゲームでは人類チャンピオンですらすでに980円の廉価版パソコンソフトに勝てないのだ。だから、チェスだけでも人間がコンピュータと戦ってフィフティに持ち込んだだけでも人間としては上出来であっただろう。
ところが、日本人のオジたちが好む「囲碁」「将棋」だけはいまだに人間プロはコンピュータに百戦百勝、どんなに手加減してもマシンにはまず負けない。そしておそらくアマチュアでも四、五段の強い人なら最強ソフトといえども簡単にひねりつぶすだろう*。
この強さの違いはどこにあるかというと、最初述べたところに秘密がある。囲碁や将棋は盤上にあった駒や石がとったりとられたりしてなくなったり、また将棋では相手方の勢力となって打ち込める。一つ一つしらみつぶしにいい手を捜すコンピュータはその無限に拡がる手を短時間で選べることはできない。 これはうろ覚えで恐縮だが17文字しかない俳句をすべてコンピュータで作り出すとする。これが1秒間に「1000兆句」詠める(作り出す)能力のスーパーコンピュータだとしたら、この世にあるすべての俳句を詠むのにどれくらいかかるかというクイズがあった。 答えはおおよそだが、10の27乗年ほどかかる計算になるらしい。これは太陽の寿命が100億年だとしたら、太陽が1000兆回生まれ変われなくてはならないほどの長い時間が必要になる。これはもう無限の時間と言っていい。ランダムな組み合わせは17文字といえどもネズミ算的というよりまさに超天文学的なとてつもない数になる。この膨大な数字のわけは、およそ人間なら始めから全く考えない俳句・駄句・呪文のような羅列も全部考えなくてはならない機械の宿命で、同じ経路を人間はたどらず、俳句を作るという人間の思考は大きくショートカットしているのだ。 ここに将棋や碁では思考器械につけ込むスキがある。無駄な考えをしないという高度な脳の働きをコンピュータが今のところまねすることはできない。が、新聞や雑誌に載っている「詰め将棋」という駒が減った状態のパズル的な将棋の練習問題がある。これはコンピュータは大得意で解く能力は人間のプロももうかなわないはずだ。選択肢が減れば減るほど人間は機械にかなわなくなる。
医療の思考法も選択肢が減れば減るほど人間は機械化し、そして機械的になるくせに結局は機械に必ずかなわなくなる。診断法も通り一辺倒になれば、ちまたにある占いマシンではないが、年齢、性別、症状という情報を入力すれば診断が出てくるような「診断機械」の方がましである。(実際にあるらしい)
だが、あらゆる可能性を追求した場合、結局「なにも考えない」か「ずっと考え続ける」状態と同じになってしまうのではないだろうか。
将棋初心者やスーパーコンピュータが次の手を探せずに迷いに迷った状態はハタから見れば何も考えていないのとまさに同じである。
医療では困ったあげく、光明を求めて、じゅうたん爆撃のようにあらゆる検査を組んでしまう。その気持ちはダメ医師としてよくわかるし、見落としを防ぐという点では有効であろうが、やはり格好のいいものではない。「無駄な考えをしない」特権を持つ人間の敗北ではないか。
さらに、格好だけでなく、結局次の手を決めかねている初級者だと名乗っているようなものにも見える。
本日、冒頭の句は患者さんの様子を見ても、なかなか診断がつかないときに、私が自嘲気味にいつも思い出す言葉である。今日も電子カルテをいじりながら「機械に負けるものか」と語りかけながら、精進しなくてはと思うこのごろである。
*簡単にひねりつぶすだろう:と2004年当時はその通りだったがそのごコンピューターはメキメキ実力をつけて、2012年プロ棋士相手に3勝1敗1分けと初めて人間を打ち破った。その後も人間はかなり分が悪い。囲碁では2016年に世界的プロ棋士の韓国のイ・セドルがコンピューターに負け越した。
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日本語は大変むずかしい。
「今日、一日は日曜日です」
をほとんどの小学校高学年なら「キョウ、ツイタチはニチヨウビです」と読めるだろう。
ところが、ここに4回出てくる「日」という漢字がすべて異なった読み方をしているのだ。日本人ならそれを感じさせないほど、上のセンテンスを読むときすんなり読めてしまう。日本語を習う外国人がこれを見たら日本の「日」という字は何通りの発音を持っているのだ、と絶句してしまうかも知れない。言語学者ではないので深く追求したりしないが、ほかの言葉と比べ客観的に見てもわが日本語は複雑怪奇と言わざるをえない。ところが、同じ字で発音がこれだけ違うくせに、一方熟語は同音異義語がやたら多い。われわれ業界用語は日本語でみなさまに話さなければならない言葉が多く、日本語の語彙が少ないとなんどか言い換えをしてもよく伝わらないことがあるのだ。
それとは別に嘘発音でまかり通っているものもある。「腹腔」「口腔」という言葉が代表だ。いずれも医療界では「フックウ」「コウクウ」と発音するが実は「腔」に「くう」という発音はない。フッコウと発音しなくてはならないが、いわゆる「百姓読み」というやつでつくりの「空」の発音に引っ張られて間違って定着してしまったものだ。しかし、よくしたものでフッコウと正音で発音すると大多数の方は「復興」を思い浮かべてしまうらしくよく伝わらないので、フックウと話す場合が多い。この嘘読みはかなり多いらしく、普及して一般化したものは「名目読み」と呼ばれ昇格(?)し辞書にものるらしい。逆に患者さんから多い誤読だが「発疹」もホッシンが正しいのだが、最近は「ハッシン」と発音される人も多くなった。これも程なく名目読みに昇格してしまうかも知れない。
(名目読み=添付(ちょうふ)憧憬(しょうけい)貪欲(たんよく)攪拌(こうはん)などが正音である。しかし、いずれも今はテンプ、ドウケイ、ドンヨク、カクハンとなってむしろそちらが普通になってしまった。)
また医師のみ使う嘘熟語もある。トイレなど何回も行く、という表現に使う「頻回」は意味こそはよく伝わるが、私らが勝手に作った熟語らしい。パソコンなどの基本辞書のままのワープロでは変換されず、広辞苑第五版にも掲載されていない言葉とのこと。推察するに「頻繁な回数」をドッキングさせたと思える。まあ、インチキ読みでも意味が伝われば問題ないと思っているので、嘘でも何でもどうでもよく、これらはただのウンチクにしかならない。 笑い話になるが「それでは病気を探るためサイケツしましょう」というと、とっさにこういわれた患者さんはびっくりする。複数の医師の「採決」が必要なむずかしい病名なのか?と思われるようだ。(笑)採決と採血はもちろん一般社会では使用頻度が違う。われわれしかほとんど使わない「採血」を思い浮かべなくても不思議はないだろう。この場合は「血液の検査」と言った方がよいようだ。
「サイキンカンセンショウですね」と言うと、皆さんは「最近?感染症」と思い浮かべることがあるようだ。もちろん「細菌感染症」のつもりで言っている。かといって「細菌の感染症です」と言ってもますます混乱するし「バクテリア」と言い換えても、そちらの方がなじみがないので、しかたなく「ばい菌です」と言う場合もある。
クリニックでは皮膚科を標榜していないが、皮膚疾患の方もよく来られる。この皮膚科病名がきわめて難解な言葉が多いのだ。いちいちあげてもきりがないのでここでは取り上げないが、実際の外来では病名を発音してもまずぴんとこないことが多いので、「それじゃ紙に書いてみましょう」と言うことになる。しかし、恥ずかしいことに難しすぎて漢字が書けないのだ(笑)苦笑しながらひらがなで書くこともしきりである。というより一度はちゃんと習ったのだから忘れてしまったと言うのが正しい。だから皮膚科病名は「いぼ」だの「たこ」だのと、通り名がとても多く大変助かる。格好をつけようとしてたまに専門語を使ってしまって失敗する好例だ。
余談:いぼの正式病名「尋常性疣贅」たこの正式病名:「胼胝」 普通読めないっすよね
こちらが話すことはもともと専門性が高いものなので、簡単に要約して伝えるという技術=コミュニケーション法を習っていない医師たちは広く浅くいろいろな知識を得て織り交ぜて話さなくてはならない。もっとも最近は大学でも疑似患者を用意してシミュレーションを行って授業の一環としているところが多いらしいが、少なくとも私どもの年齢の医学生はそんな対人教育はなにひとつなかった。私が外来で病気の説明をするとき時々へたくそな例え話をするのはない知恵を絞って考えたものだが、どうもうまくないようである。 意味が通ればそれでよいから、常に患者さんの顔色を見て、話すようにはしている。だが、本当にわかって頂けたか不安である。しかし、話し終えた後「わかりましたか?」と聞くのは失礼そうだし、「何か質問は?」というのも、そう聞かれて話し出す患者さんもあまりいないのでどうしたらよいものか悩んでいる。
医療界での符帳だがムンテラという便利な言葉がある。これは患者さんおよび家族に病状を説明するという意味に使うが、ドイツ語の「Mund Therapy=ムント・テラピー」(口=言葉の治療)から来ている。しかし、「言いくるめる」というニュアンスも含まれているので最近特に英米圏では「patient education」(患者教育)という語に置き換えられているが、日本ではまだ一般的でなく、共通語としてまかり通っている。
言いくるめるという過去の医療体質は好ましくないが、上手なムンテラは薬や医療行為の効果を何倍かに押し上げてくれる。専門用語をいくら知っていても、どれだけすごい医学留学をして英語をしゃべれても、日本語が定かでない医師はみなさんから見ても「どうよ」でしょう(笑)
一般の方も日本語が上手で正確に発音し漢字を間違えない医師の方が信用おけるに違いない。と思って、それなら、思い立ったら吉日とばかりにこっそり漢字検定試験のテキストを読んでいるのだが、いまさら付け焼き刃・泥縄なのでしょうなぁ。残念!切腹!*
*残念!切腹! お笑い芸人、波田陽区の一発ネタ。ギター侍でのセリフ。2004年は「エンタの神様」で大ブレークした。
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100万分の1・・・これを針の穴にらくだを通すほどのむずかしい確率と思うか、いや案外多いことかなと思うか、あなたはどちらであろうか。
卑近な例をあげてみるとサマージャンボ宝くじで1等が当たる確率がこれだという。宝くじがからむとこの数字、一発で不可能な確率に成り下がってしまう印象だ。
なにしろ「宝くじに当たる確率」と日常会話で引き合いに出す時は「ちょーラッキー」というよりもずっと「ありえねーし」のニュアンスが近い。交通事故で死亡する確率が1万分の1と言われているだけに、そのまた100分の1である。やっぱ、ありえねーと感じるのが普通の感性であろう。 さてこの確率、日本脳炎ワクチンをうったとき、ADEMと呼ばれる脳せき髄炎の副作用が出る確率とほぼ同じ(70~200万分の1と厚労省は発表している)と聞いたらあなたはこのワクチンはきわめて危険だと思うだろうか?
厚労省はこのワクチンと因果関係を認めたADEMのうち1名重症者がでたため(もともとADEMは生命予後は比較的よい)中止にはいたらずとも非勧奨というあいまいな処置にでた。もちろんワクチンで重い副作用が出た方達は「恨み骨髄に徹す」という心持ちで、こんなものは撤廃してほしいと願うのも人情だと思う。だが、日本的というか、事なかれ主義というか、すべての判断は最終医療提供者と享受者に(つまりわれわれと患者さん)に任せられ、厚労省は「こっちはちょっとはアブナイって言ったよ。あんた方、よーく考えて打ってね」と丸投げした格好なのだ。 つまり、われわれの「自己責任」として了承し、それでも日本脳炎が怖いから打ちます、という承諾書を書かされた上で接種という手続きを取ることになった。個人情報保護法だので、ただでさえ書く書類が増え、辟易しているところに加え、いったいいつになったらペーパーレスになるのだろう。
私はほぼ1年ほど前このコラムで「日本脳炎ワクチン」を取り上げた。現在でも、自分の意見としては以下の通りだ。
「日本脳炎はここ10年で80人ほどしか発症していない病気です。(単純確率だと1000万分の1以下)関東以北にはほとんどいませんが、発症すると治療法がなく、死亡率20%で助かっても半数は脳症が残る。これを怖いと感じたら打つべきで、その際、ワクチンの重大な副作用の起こる確率は100万分の1です。」
要するに副作用リスクが発症を上回っただけという話だが、そんな数学的に割り切ってもいいものだろうか? 確かに人から人にうつる感染症でない日本脳炎は、ワクチンをやめたからといってすぐに疫病のように広がると言うことはなさそうだ。だが、ワクチンの発症阻止効果は医学的に証明されている。このまま、非勧奨のままでいると確実に発症者は上昇に転じてしまうだろう。100万分の1の不利益ラインはすぐに突破されて、やっぱり打っておけばよかったということにならないかと、私のようなものでも思うが、早ければ来年にも安全なワクチンができるという噂がある。しかし、そこのところはどう調べても新しいワクチンの供給状況ははっきりしない。地下鉄だって平成ナニガシ年開業予定って宣伝するのではないか。(よく工程は遅れるが・・・)人を不安にさせるだけさせておく、という厚労省の思惑はどこにあるのだろう?とりあえず今のワクチンはやめておいて、やめれば副作用はなくなるから文句を言われる筋合いはない。日本脳炎が増えたらそのとき考えよう、と思っているのではないだろうな、まさか。 外科勤務医時代に手術する前、ご家族や患者さんに必ず病状を説明し手術の見通しを言うことをする。これが「ムンテラ」である。その際、ご家族に成功率は?とよく聞かれる。たとえば「この癌の5年生存率は50%です。」などというシチュエーションがあったとしよう。実際ありえる話だが、この場合、聞いた方はなんだそりゃ!と叫びたくなるだろう。生きるか、死ぬかは、50%、その二通りしかない。当たり前じゃないか!まるで今日の降水確率は50%ですと言われて「傘を持っていって損か得か?」と悩むようなものだ。これは調べたわけではないが、そう気をつけてTVを見ていると「50%」と降水確率を出すことはないような気がする。やはり気象庁も突っ込まれたくないのだ。(笑) 雨ならばそれくらいですむが、こと命を問題にするとき確率でものを言うと大変やっかいになるようだ。 また、どんな珍しいたぐいまれな確率でもひとたび起こればそれが100%になってしまう。私は手術の説明の際、成功や予後のパーセンテージを言うのをいつしかあいまいにしていった。考えれば考えるほどわからなくなるからだ。99%うまく行きます・・・といって1%に当たる確率は?・・・これ自体「矛盾」で論理破綻しているが・・・ それとも、99人連続で手術に成功したら次の手術は必ず失敗するのか?(笑)逆に最初に失敗したらあと99人は安泰だ・・・そんなわけはないのは中学生以上の数学を勉強した人はみなわかっているだろう。
もちろん冗談だが文豪ディケンズも次のようなことを言っている。
年末になったある年
「私はこれから年が明けるまで列車に乗らない。なぜなら、列車の年間平均事故数に今年はまだ届いていないからだ」と。 医学は「確率」によって立つものでもあるのだが、それはマスとして見た場合は科学になる、それはおおむね正しい。しかし、個人にとってはとても冷たい、とりつく島のない学問だ。 53枚のトランプから4枚ランダムにひいてすべてエースだったとしたら、その確率は約30万分の1。サイコロを投げて8回連続1が出る確率が約168万分の1。 さてクリニックの待合室にトランプとサイコロをおいておく。
「4枚ひいてください。サイコロを8回転がしてください。すべてエースだったりサイコロが8回とも1が出たら、日本脳炎のワクチンを打つのはやめましょう」とでも掲示しようか(笑)もちろんなんの因果関係もないしジョークである。それほどのわずかな副作用の確率を恐れて、全国で日本脳炎ワクチンをやめてしまったわけだが、このツケはいったいいつごろ回ってくるのだろうか。さて、その確率は?
*結局、旧ワクチンのADEM発生因果関係は明らかにされず、2009年6月より新ワクチンが供給され、現在定期接種として定着している。
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日本のおとぎ話はどうも結末がしっくり来ない、と思う。浦島は亀を助けたばっかりに拉致られ、竜宮城に3年おもしろおかしく暮らしたとはいえ、強制連行だからそのくらいのもてなしは当たり前。つかの間の幸せのあと、現世に戻れば理不尽なタイムスリップさせられ、絶望を味あわせた上に、希望のアイテムと思った玉手箱でじいさんにさせられる。善行をした浦島に対し、どこに救いがある?
舌切り雀は、たかが、(といってはいけないだろうが)のりをなめてしまったために、ばあさんに舌を切られる!たしかにばあさんはやりすぎなのは認めるが、もともと雀が悪かったのに、復讐のためにつづらに化け物を入れる、ってどういう発想とストーリー展開だろうか?
さるかに合戦ではさるは確かに堅い柿をなげて蟹をあやめてしまった(傷害致死)が、その仕返しとして、栗に暴行され、ハチに毒注射、あげく臼に圧死させられるとは、あきらかに3対1のリンチ殺人だろう。目には目を、すら超えているのではないか? さてそんなおとぎ話の中で、残酷な例として、傷に痛いものを塗りたくって恐怖感をいや増す話が2つ思い浮かぶ。
一つはかちかち山。
かちかち山の狸はそれ相応の悪事(ばあさんを殺してしまった←これとて狸側からみたら殺さなければ狸汁にされるので「正当防衛」ではあるが)は働いたが、それにしても兎の多段階復讐には辟易する。
さてこのかちかち山の狸に薪をしょわせて火をつける兎は追い打ちをかけて唐辛子味噌を塗るのだ。狸は当然七転八倒。その後、親切面して狸に近寄りドロ船で沈めるというウサギはいったいサドか?と思うくらいだ。(相当、狸も間抜けだが)しかも自分がやられたのではなく、じいさんに同情したからって、こりゃ、やりすぎじゃありませんか?
もう一つは因幡の白ウサギである。
ウサギはワニをだまして海を渡ったというだけで、とっつかまって皮をむかれてしまう。これだって過剰報復で集団リンチっぽい。そこを通りがかったオオクニヌシの兄さんという神様。傷を塩水でよく洗って、その後、乾かしなさいという嘘っぱちの治療法でウサギをさらに半死半生にさせる。瀕死のウサギを救ったのがオオクニヌシだった。河口の水で傷を洗ったあと蒲の穂にくるまりなさいという。その通りにしたところきれいに元通りに治ったというお話。傷を塩水で洗ってというくだりは子供心にぞっとしたものだ。
傷に消毒液をつけるととてつもなく痛い。これはみなさまもご経験がおありだと思う。ばい菌が入ると化膿するから、ということで泣き叫ぶ子供を、(大人だって涙をこらえているはずだ)押さえて消毒液(有名どころではあの茶色いイソジンだ)をぺたぺたと塗りたくる。そして軟膏を付けてガーゼだ。このガーゼを次の日はがすときがまた痛い!こんな風に毎日傷をひりつかせながらだんだん痛みが遠のいて、ようやく、かさぶたになって傷が治っていく。やれやれだ、という苦い思いを皆さん必ず経験されているはずだ。 私達は外科医なので、傷を扱うときや手術の時は先輩からまず「清潔操作」というのを徹底的に仕込まれる。体の中に細菌を混入させないために、殺菌された(滅菌ともいうがこちらのほうがよりグレードが高い)器具の扱い、ガーゼの取り扱い、皮膚を消毒する際の塗り方までちゃんと作法(?)があるのだ。 だから、ひとたび皮膚が開いて傷になった部はできるだけ細菌を忍ばせてはいけない、と堅く信じ、疑いすら感じなかったというのが正直な所だ。だから、泣き叫ぶ子供に罪の意識を感じることなく、痛い消毒液を塗りつけることができる。それがけが人のために「よい」と信じたがゆえだ。(けっしてかちかち山のウサギではありません)
その根拠は歴史をさかのぼって証明される。 医史学の範疇になるが、人類は外科学を学問にするための最初のステップは麻酔で「痛くなく体を切る方法」を編み出した。しかし、体の奥深くまで麻酔のおかげで切れるようになればなるほど、その後、敗血症(細菌に体が負けてしまう)で命を落とす例が多くなった。消毒法も抗生物質もなかった時代だから仕方がない。 やがて、リスターという英国の外科医が縫った傷を石炭酸を浸したガーゼで覆ったところ傷が膿んでしまうケースが激減した。石炭酸の消毒作用が菌を殺した結果だ。それから人類は試行錯誤をくり返し、消毒液も効果の高く皮膚に影響の少ないものになり、皮膚をしっかり消毒して、無菌の状態で手術をするというスタイルが確立した。これは全く間違っていない。現にこの方式で手術を施行してなんら悪いことはなく、手術後敗血症で亡くなる方は激減した。だから、「創傷も同じ」だと考えられてきた。
しかし、ここ数年来、形成外科、皮膚科のDrたちから「傷は消毒してはいけない」という提言がなされ、それが世界的にスタンダードになりつつある。傷は消毒すると治りが極端に遅くなるというのだ。今までの話と矛盾するではないか?とお思いになるのはもっともである。
傷となって皮膚が破れ出血が止まったあとは、皮膚に近いところは上皮細胞という左官屋さんが出てきて一列に手をつなぎながら薄い膜を張っていく、もちろんこの細胞は乾燥にも消毒液にもきわめて弱く、「オオクニヌシの兄」がやったような海水(消毒液)でこすったあと、乾かす(ガーゼを乗っける)などするといちころで死んでしまう。だから、消毒すると治りが遅いという理由になる。
じゃあ、傷に入ってきたばい菌は殺さなくていいの?確かにその通りである。だが、その役目は消毒液がするのではなく、自らが持つ免疫細胞とDrが出す抗生物質がばい菌を殺す。
第一、正常な皮膚にはばい菌はゴマンとついているので、一日にたった一回傷をぐりぐり消毒するだけで、確かにそこだけはばい菌が死ぬかも知れないが、どんなに清潔にしても回りの皮膚から、すぐにばい菌は入り込むと考えた方がよい。 また、消毒液はウミなどがついたところにつけて、そのウミのタンパク質に触れるとすぐに殺菌力が落ちる。殺菌力はゼロになるが上皮細胞や免疫細胞の活性(活動の指数)も奪う力だけは残る。味方のつもりで援護射撃しようとしても、味方を次々に狙撃しているようなものだ。だから、ウミがついていたら水で洗うのが正しい。水道水でも生理的食塩水でもなんでもよい、その後は消毒してはいけない。オオクニヌシは「河口の水=薄まった海水、汽水」で洗ったあと蒲の穂で傷を閉鎖したら治った、というエピソードはこの傷論争のたとえにいつも引用される枕話である。
当院でも遅ればせながらこの消毒しない「閉鎖療法」を試み始めている。感触は「きわめて速く、きれいに治る」といえる。もちろんケースバイケースで、すり傷自体が古く(自宅で「○ずド○イ」などをつけて数日経過して、回りの傷でない皮膚までまっ赤に化膿して腫れてしまったようなこじらせたもの)なったものは、ダメになった組織の削り取りや消毒がやはり必要となり、すぐさま閉鎖にできないものもある。要は画一的な治療はよろしくないということだ。そして、傷をみたらなにがなんでも消毒しようという姿勢はきわめて保守的な外科医の態度ではないかと思う。
私も医学生時代、やんちゃから(笑)バイクで転倒し、左肘、左膝のかなりの部を挫滅する怪我を負った。(今でも傷が残ってます)医学生だったので、というわけでないが、ちょっと恥ずかしかったので、自分で処置しようと思い、血だらけになって薬局へ行って「消毒液」を買おうとしたら、薬局の人に止められた。「バカなこと言ってないで医者に診てもらえ」と。 医者に行くのは大嫌いだが(笑)仕方なく診てもらったら、当然ものすごく痛い麻酔をうたれ、がっしがっし傷をえぐられ、縫わずに消毒を塗りたくられ、麻酔が切れたらとても痛くて何にもできなかったことを覚えている。 もちろん当時ではまっとうな治療法でそれがスタンダードだったから、感謝こそすれ恨む筋合いはない。それだから、痛い治療は私は大嫌いなのだ。さらに今よりも「痛くなく傷が速く治る」という治療法があればもっともっと研鑽して、それを還元したい、と思っている。
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司馬遼太郎氏の小説で「記憶の化け物」が主人公の物語がある。
「胡蝶の夢」がそれで司馬凌海(しば・りょうかい1839~69)という医師の奇才ぶりが描かれている。が、医師というより言語学者での功績がすぐれ、日本で始めてのドイツ語辞典を作り東京大学医学部の年少教授となった。
司馬凌海は佐渡島の農民の出だったが、記憶力が抜群なので祖父が
「この子は医者にしよう」
と思ったのが彼の幸か不幸か数奇な人生の始まりだった。余談だが人から無理矢理医師にさせられると古今東西ろくなことはない。凌海も決して満足のいった人生でなかった。
江戸時代は身分制度のうるさいシステムでわずかに医師などの特殊業が身分のしばりからはずれていた。農民階級でその才覚を伸ばすためには身分の呪縛があり(どんなに優秀でも支配階級である武士になれない)医師か寺の住職にでもなるしかなかった。
そこで、凌海の祖父はつてをたよって幕府御医師である松本良順(1832~1907)に頼み、凌海を弟子入りさせる。
松本良順は後に明治陸軍の軍医総監を務めることになるが、この頃は一介の幕府御雇い医師であった。良順は凌海の非凡さを見抜き医療を教える。凌海は良順の言いつけだけは必ず守り、その点では理想の師弟関係だったが、良順以外の人とのコミュニケーションが全くとれず、果ては女性問題を起こし良順を困らせる。
ほとぼりをさますため、今の千葉県佐倉にある順天堂(現在の順天堂大学の前身)に送り込むことにした。順天堂の創始者佐藤泰然は良順の実父であった(良順は松本家に養子に出た)からだ。良順のそばを離れた凌海は順天堂でもなじめず、もめ事が頻発し破門同然で佐渡に帰らされてしまう。
一方、江戸の良順はこれからの医学は漢方ではだめだと悟り、海軍医学校ができるおりに長崎国内留学する。長崎では蘭学が盛んでそれを手にするためであった。外国人医学教師ポンペについて西洋医学を学ぶが、立ちはだかるのは言葉の壁であった。良順は「記憶の化け物」凌海を思い出し、わざわざ佐渡から呼び出し、通訳としてそばに置いた。
驚くべきことに凌海は語学教育などは施されたことはないのに、一度聞いた言葉はどんなものも正確に発音し理解することができた。ポンペの講義録を同時通訳し、漢文でノートに記し、そのノートは医学生たちのバイブルとなった。凌海その人は医学を極めた人でなかったが、その速記講義録は後の医学者のための大きな財産となった。
この凌海は作中でも対人関係に破綻を来たし、よくトラブルを起こす。それを凌海の才能を大切に思う師匠の良順が必死にかばう、物語はそのくり返しである。
司馬氏の作ったエピソードであろうか、凌海の異常さを浮き上がらせたくだりがある。
順天堂に凌海が修行中の頃、江戸で大地震があった。これが、安政の大地震である。順天堂のある佐倉(千葉県)ももちろん揺れたのだが、凌海は世の中でたった一人敬愛する「江戸の良順先生は大丈夫だろうか」と思うやいなやいてもたってもいられず、誰にも告げず江戸に向かって走り出した。しかし、順天堂では突然凌海が消えたので大騒ぎになる。
そんなことにかまわない凌海はぼろぼろになりながら一昼夜かけどおしで良順の家にたどり着き、そこで気を失う。良順が地震のけが人の治療を終えて、家に帰ると倒れている凌海を見つける。びっくりした良順は凌海を抱き起こし「しっかりしろ」と声をかける。気がついた凌海は良順が無事なのを見て取ると開口一番、江戸でつき合っていた女の安否を良順に問うたのだ。
良順は「なんだ、女が心配で飛んできたのか」とあきれるが、すぐに凌海の心の動きを理解する。
凌海は本当に良順が心配でかけつけてきたのだ。しかし、目を開けるとその良順は怪我もせず元気に見える、ならば、次に心配なのはあの女はどうしたんだろう、無事だろうか、と考える。それを全部はしょってしまうから、いきなり相手が師匠だろうがなんだろうが「女は無事ですか」と聞いてしまうのだ。
これでは人間関係がうまく行かないのはあたりまえである。人の心が全く読めないのだ。この凌海の病的な心の動きを良順は「こいつは仕方がないのだ」、と度量の大きい所を見せている。
現代ならこの凌海の病名は「アスペルガー症候群」となるだろう。知能が高く、言語能力もあり、集中力もありすぐれた仕事業績を残すことができるが、人とコミュニケーションがとれない。他人が何を考えているか理解できないし、知ろうともしない。頭はいいんだが空気が読めていない、友達には決してしたくない、あなたの回りにこういう人はいませんか(笑)
自閉症児が似たような行動を示すが、こちらは言語能力が破綻し、IQが低い場合が多い。自閉症、アスペルガー症候群は共に近隣疾患といえるが、最近これらの病気を引きおこすかもしれない遺伝子異常が発見された。
「遺伝子」というと遺伝するのか、とお考えの人がまだ多いと思う。いつかも記したが、遺伝と遺伝子は概念からしてもまるで違う。遺伝子異常は基本的には遺伝しない。遺伝する遺伝子病は確かに存在するので、混乱のもととなるのだが、ああややこしい。
さて、この遺伝子は神経と神経をつなぐ重要なタンパク質を作る働きをしているので、自閉症児たちが言語、聴覚において微妙なニュアンスを理解できないのはこれから推測できる。もちろん、この遺伝子異常が自閉すべての原因ではなく、他の要因も関係している。そして、学習障害や難読症(トム・クルーズやアインシュタインがそうだったとされる)もなんらかの神経伝達の不具合で起こる病気といわれているので、自閉遺伝子の周辺を調べると何かわかるかもしれないのだ。
この遺伝子の欠損は高率に自閉傾向がでると考えられているので、もし遺伝子診断できれば出生前に診断がつく可能性がある。赤ちゃんに自閉症になるかもしれない遺伝子があるかもしれない、と聞かされた母親はどう考えるだろうか?おそらく大部分の方が中絶を希望するだろう。その決断を非難することはできない、それが当然である。
だが、史上「孤高の天才」と呼ばれた者たちはこのアスペルガー症候群を始めとして、サヴァン症候群のものも多い。サヴァン症候群とは一般の学習知能的には劣る場合が多いが、なにか天才的な能力を持っている場合だ。たとえば、一度でも聞いたどんな曲も再現できる=モーツアルト。一度でも見た光景をそのまま絵に描ける=山下清。この二人はサヴァンではなかったかと言われる、凌海もこちらの症候群に分類されるかもしれない。
すべての自閉遺伝子を出生させなくすれば、当然これら天才の出現も大幅に減少すると予想される。
一人の天才が世の中を動かし、科学を進歩させることもあれば、芸術面では不朽の名作を残し、われわれ庶民の心を癒し豊かにさせることもある。天才の出現が減った未来はおそらく停滞し陰鬱な世界となると考えるのは悲観的すぎるだろうか。
凌海はその異常性格によって人の世では大変生きにくく、良順の庇護があってようやく世に出ることができた。そして、凌海の速記講義録で勉強できた医学生たちは明治の医学界を牽引していった。凌海の能力は無駄でなく、維新の世で世界に追いついて行かなければならなかった日本に大きく貢献した。もし、凌海がいなかったら、日本の医学界の進歩はかなり遅れをとっていただろう。
私ももし、自分の子がこの自閉遺伝子をもっており、出生前診断がついたら、と考えると悩まざるを得ない。人はいつでも公共の利益のためには自分を犠牲にできないエゴが出るものなのだ。
原子力発電所、ゴミ焼却所、軍事施設、葬儀場・・・どれ一つとっても、世の中に必ず必要であることはわかっているが、いざ自分の町にできるとなると猛然と反対する。それが普通の人間だ。天才は自分の目の届かないところにやって来てほしい、と思わなかった松本良順が私には大変好ましくうつるのである。
医学の歴史にはこうした隠れた庇護者がいっぱいいたはずだ。野口英世も、沢山の理解者・協力者がいなかったらその存在がありえなかったことを思うと、次代の先覚者を見逃さないように気配りをしなくてはなぁ、と凡人の自分は人生半ばにいたって考える次第である。
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私はレインマンである。といっても、ダスティン・ホフマン主演の映画とはなんの関係もない。文字通り何かイベントを組むと必ず天気が悪くなるいわくつきの「雨男」のことである。
夏休みなどの休暇に旅行を計画したりすると、雲一つない晴天から雨雲がどこからともなくやってきて、わざわざ行く先々にありがたく雨を降らせてもらえる。いつもそうだ、と家族から突き上げられありがたいあだ名をちょうだいした。
弥生時代だったら日照り続きの時など、雨乞いの踊りを披露して私はカリスマになれたかもしれない。が、現代ではただただ嫌われるだけの損な役回りである。家では私の先祖はカエルではないかと疑われている。開き直ったわけではないが、ケータイの「自分キャラ絵文字」や車のお守りもすべて「カエル」で統一している。もっとも車のお守りは無事カエルのダジャレで買ってきたのだが。
大学勤務の頃だが当直でも不当な不人気の評判がたつことがあった。もちろん、人気は医師のキャラクタに左右されるところはあったが、それとは無関係に当直ナースを嘆かせるケースがあるのだ。いわゆる「つく(=憑くというのだろうか?正確な漢字は今もって不明である)」と呼ばれる医師は一般に嫌われたのだ。
私もどちらかというとそうだったのだろう。
この医師が当直するとどういうわけか
「入院患者が急変する」「救急車が目白押しにやってくる」「緊急手術になる」
など、みんなが無事に通常の業務を安穏にできなくなることが多い、という迷信を持つ医師がどこの病院でも一人や二人いるはずで、必ずナースたちにいやがられているはずだ。
その日は「○○先生の当直日はツクから大変ね」と、勤務終了間際の日勤ナースは気の毒そうに、だが、自分がその悲劇から逃れられる安堵とほんのちょっぴりの憐憫をこめて当直ナースに申し送る。その当直ナースの落胆ぶりは朝のTV占いで「最悪」と言われるよりもダメージが大きい。
こんなことにもちろん科学的根拠は全くない。当直医は悪魔や死に神ではないのだから、ツクなんてのはちょっと考えればありえないはずだ。だが、高等教育や科学的思考をたっぷりと教えられてきたはずの医療人はかなりの確率でこのたわいのない偶然を信じている。ナースだけでなく、ドクターも。
文字通り「ツイて」寝ずにぼろぼろに働いた次の朝、同じくげんなりしている夜勤ナースに白い目で見られ、「なんでオレが責められなくちゃならないんだ」と、その理不尽さに逆ギレしたことだってあった(もう遠い過去だが・・・)
人はこのような怪しげな言い伝えを簡単に信じてしまう。
UFOだってあれだけの目撃談があればもしかしたらいるかもしれないって思っても不思議ではない。ツク医師、(ツク看護師もいるらしい)が回りに二人ばかりいたら、これはもう信じるしかない。
この間本を読んでいたら「クリティカルシンキング=批判的思考」ということについて書かれていたものだが、思わずこの当直医のツキ(?)を思い出してそういうことだったのかと、うなってしまった。
そこではどんなことも、批判的な思考で物事を懐疑的に見ることから始まり思考を掘り下げていく。
たとえば雨乞いをしなくてはならない日照りに最強のレインマンが登場したとしよう。さて、このレインマンは雨を降らせることができるであろうか?
毎日、数時間おきに気象予報士がTVで天気図を解説する現代では降らない気圧状況のときは、まずレインマンでも雨は降らせることはできないと言いきっていいだろう。
ところが、「雨乞いすると雨が降る」という印象を古代から人は世界各地でいろいろな伝説が証明しているように持ち続けている。それはなぜだろう。
クリティカルシンキングでは簡単にこの謎を解いてくれる。
「雨が降るまで雨乞いをするから」だ。
この答えは拍子抜けだが・・・なるほどその通りだと思った。
一方、雨乞いしてダメだった時の記憶はすぐに風化してしまうのだ。
レインマンが雨乞いの踊りをしたら、晴天だったのが、一転にわかにかきくもり、土砂降りの雨が降ってきたんだぜ、ということが偶然にも起こったら、その記憶は衝撃的で長らく言い伝えられるだろう。
だから、当直でツクなんてのは所詮そんな偶然の積み重ねのものかもしれない。
阪神大震災の被災者にその日の前に何か前兆はありましたかという問いに
「そういえば・・・金魚がはねた、犬が騒いだ、ラジオに雑音が入った。虫が大量に発生した・・・などなど」
実に64%の人がなんらかの予兆現象を思い出して心に残っていたそうだ。これが古来から言われている虫の知らせなのだろう。
それならば、逆に何も起こらないうちにナマズも含めてそういう現象を集めて地震予知になるかというとこれは全くならないことがわかっている。不思議なことに日本以外の他国での火山の噴火だとか大規模な自然災害の前兆を調べるとどこの国でもだいたい6割の人がなんらかの前兆現象を見たと証言するそうだ。
クリティカルシンキングでは「いつも起こっていることは記憶されず、あとから大事件と結びつけられる」となるのだ。
それを実感したかったら一日中、金魚を眺めてごらんなさい。一度くらい跳ねることだってあるでしょう。そしてその日は何も起こらず、金魚が跳ねたことなんて、大事件も何もなければ忘却されるだけだ。
一度起こったことを記憶する、それは我々はいつも経験している。いいことも悪いことも。悪いことは二度と起こしてはいけないと反省の材料になる。「この治療はダメだった。次は絶対にキモに銘じよう」と。
しかし、もう手の施しようがない患者さんがいたとする。自分でできる限りのありったけの知恵を絞って、渾身の治療をした。たまたま、それで好転してしまったとすると、私達はすぐに陥穽におちてしまう。
「この治療が最善だったんだ」と。そうなると、すっぽりとたまたまうまくいった、という思考は排除されて、自分が選んだこの治療が効いたんだと錯覚に身をやつしてしまうのだ。
かくして、普遍性を求めて、同じような状況に常にこの治療を試してしまう。結果はもちろん散々であるにちがいない。一介の医師が発見したような治療法はすでに誰かが検証したと思わなくてはならない。新しい治療法ではないか?と思ったらあらゆる文献を渉猟し、それが全く新しく今までの治療にない効果があると実証できれば、必ず全世界に向けて発信しなくてはならない。
医学は常に文明的で普遍的でオカルティズムを最も排していかなくてはならない学問だからだ。達人や巨匠は必要ない。怪しげな修行を経ないと到達できない、となればそれは医学ではない。
現代のレインマンと同じく、現代の医師は奇跡を起こすことはできない、というかできないことを知っているほうが、良医のあかしではないかと思う。奇跡、僥倖ということは皆さんが思っているよりもこの世界ではずっとずっと少ない、と自覚している医師の方が私は信用できるし、私はずっとそう考えている。
もし、私が今後なにかイベントを計画して、その時土砂降りが降り続けても、「そんなことは何度重なっても偶然である」と言いきる。・・・・言いきってみせる・・・言い切れるといいな・・・言い切れないとは言えない・・・・・・・・・あれ?

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たとえば、電車に乗っているとき、車両が揺れて人の足を踏んだとしよう。会釈はしないまでも、「失礼」または「すみません」と言えばまず角が立たない。だが、足を踏もうが、体を激しくぶつけようが、知らんぷりする人が確実に昔より増えているような気がする。
椅子に座っていても、、どすんと隣に座られた時、人の上着の裾を尻の下に敷いてもなんとも思わないようで、下敷きにされたこちらが「すみません」と言って、上着を引っ張るのだが、これはなにかおかしいのではないか。
これが「近頃の若い者は・・・」という話なら、自分が年を取っただけのグチになるのだが、最近私より確実に上の世代の人もこういう、「口がなくなってしまった人」たちが多い。逆にこちらがこのようなことをしでかしたら、にらまれるか、舌打ちされるか、「何すんだ!バカヤロー!」と怒鳴られることだってあるだろう。
このような無法な人たちも、もしかしたら家に帰れば良きパパなんだろうか。そうだとしても、そうでなくても、日本はいつからこのような国になってしまったのか。
家でも学校でも、あいさつは基本である。あいさつやちょっとした声かけができないと、どんなに仕事ができようと社会人として失格だろう。
さて、以下の話はいつもはトピックスで扱う向きなのだが、あえてこちらのコラムで取り上げる。
今年3/29付けの「メディカル・トリビューン」誌に載っていた記事だが、米国のジョンズ・ホプキンス大学で手術取り違えミスを減らすため、手術直前に簡単な確認作業を行うことにしたという。それは執刀開始前2分間行われる。
患者が麻酔をかけられて、メスを入れる直前にその手術に携わるスタッフ全員が自分の名前と職種を声に出し、主任外科医はその患者が手術予定患者かどうかを確認、手術部位の確認(特に左右確認だそうだ)をするとのこと。
マサチューセッツ州での調べによると、それまで同州では11万件に1例の割合で、患者の取り違え、左右のミスなどの手術事故が起こっており、かの大学でもそれをゼロにしたいために、こうした声かけ確認を始めたそうだ。
ジョンズ・ホプキンス大学というと医療水準も高く、超有名な医療機関にもかかわらず、それまでは
「外科医の多くは手術室に入って来て、看護師などスタッフの名前も知らないまま、一言も交わさずに手術を始めていた」というから驚きだ。あいさつをしなくなった風潮は何も日本だけのことではないらしい。
電車で「出発進行!」の際、運転手によっては指さしで信号やら計器やらいろいろ確認しているのを見ることがある。それと同じように手術の際に
「私は『ナニガシ』で、患者は『誰々』さん。右だか左だかこういう疾患、これこれこういう術式で手術をします。よろしく」
と宣言すれば、患者や左右の取り違えは皆無になるだろう。手間暇かかるわけでもないし、その宣言自体1分もかからない。
皆さんは手術という重大なイベントの前に「え!そんなこともやってなかったの?」とあぜんとするかもしれない。
その通り、していなかったから、今まで手術患者や左右の取り違え事件があったのだ。もう時効だから言わせてもらうが、私もある医療機関で左右取り違えの現場を目撃したことがある。幸い、命に別状のある臓器ではなかったので取り返しのつかないことにはならなかったが、だからといってすまされるわけは到底ない。
今は手術室に入る前に、患者さんの腕に赤ちゃんが巻くようなIDバンドを付けたり、赤字で『右』『左』を大きく記したり、病棟担当の申し送りのナースがそのままオペ室に入って誘導したり、単純なケアレスミスを防ぐ方法をとっているが、それでも屋上屋を架すに近い気もする。そして、これはドクターがするのではなくナースがするのだろうし、ただでさえあたふたする手術前に仕事量の多いナースの負担をさらに増やしてはいないだろうか?
なんのことはない、そのようなことをせずとも、ジョンズ・ホプキンス大学のように執刀する外科医が口に出して宣言すればことは足りるのではないか?と私は昔から思っていた。
私はご存じの通り、漫画オタである。私のバイブルである「ブラック・ジャック」でもB・Jは昔から手術の執刀前に、かの大学がやっと始めたような「どういう手術をする」宣言をしていた。
以前、TVでかじりついて見ていた(田宮二郎時代の)「白い巨塔」でも財前教授はやっぱり術式「宣言」していたような気がする。
麻酔がかかり、すっぽり緑の布にくるまれて手術をするところだけ皮膚を出した(これを術野と言います)患者を前にし、手袋をはめた両手を上に向け、おごそかに言うあのシーンである。してみると、「古式」にはみなその「確認」を行っていたのだろうか?術野は菌の感染を防ぐために清潔な布でできるだけ小さくしかあけておらず、もちろん患者さんの顔はのぞき込まない限りは見えない。実際のところ誰を手術しているかわからないというシチュエーションもあり得る。
外科医の真骨頂と言えばかっこいいが、実際の現場では、忙しいためかそそくさと手洗いをして手術着をまとい、麻酔医の方に向いて「それでは、お願いします」の主語と目的語を欠いたあいさつでオペを始めていた。最近はスピード重視なのか、それとも冒頭で述べたように、現代人は「口に出して言わない」のが風潮なのかそれはわからない。
やはり、これではいけない、というのが今回の記事なのだろう。私も全く賛成である。ミスは極力というか人為的なものは絶対に排除しなくてはならない。1~2分程度の確認でそれがなくなるのならこれほど良いことはない。
そのように考えていたら、今週号の「医事新報」という雑誌に「左右取り違え寸前のこと」を書いたコラムが載っていた。
それは「緊張性気胸」という肺に穴があいて漏れて行き場がなくなった空気が肺を押しつぶしてしまう病気があり、緊急的にそのたまった空気を抜かないと命に関わるという疾患を扱ったときのものである。もちろんレントゲン写真で診断がつくのだが、そのレントゲンが左右逆だったという話である。
患者はさぞ苦しそうな息をして治療を待っていたに違いない。当然、そのDrは左右確認はもっとも大事だと十分承知していたので、じっくりレントゲン写真を見たのだが、ミスでレントゲンの「左右」を示すチェッカーが逆になって現像されていたらしい。こうなるとほぼ左右対称の白黒写真であるレントゲンはまるっきり左右が反対になってしまう。
実際には心臓はやや左に位置しており、通常の胸のレントゲン写真では裏返しになると、右に心臓が写ってるように見えるので、すぐに間違いがわかる。
が、左側の緊張性気胸は圧縮された空気の圧力が高いため、心臓の位置が右側まで移動してしまうことがある。緊張性気胸は呼吸困難が強く、一刻も早く脱気しないとそれだけでも命に関わる。
そのDrは急いで準備を進めたのだろう。たいがいミスはこういう状態の時に起こりやすい。気づかずに健康な方の胸に針を刺さんばかりになった時に、見学していた研修医が声をあげた。
「先生!逆じゃないですか?CTでは反対です!」
研修医は当事者でないためか、シャーカステン(レントゲン写真を引っかける蛍光灯つきのパネルである)の胸部レントゲン写真とCTを落ち着いてつぶさに見ていて、その相違に気づいた。
刺そうとしたDrは瞬時にその意味を悟り、すぐにCTをもう一度確認すると、研修医のいう通りである。まさに危機一髪であった。その病気は気胸になった側の胸に空気を抜く管(ドレーンという)を入れれば、助かるが、もし反対の健康な肺の方に管を入れるようなミスがあったら、かろうじて残った肺で呼吸している患者は両方の肺をつぶされて、呼吸不全、ショックで死亡する危険が高い。
左右を絶対に取り違えてはいけない典型的な疾患の一つなのである。そのDrもCTは見たのだろうが、最初に見た胸部レントゲンの印象が強かったのだろうし、「早く脱気せねば」と急いでいたためについついスルーしてしまったに違いない。むしろ冷静な立場にいられた研修医の「声かけ」がこの事故を救ったことは実によかったと言える。
人間はミスをするものである。声を出してミスを防ぐ、これはお金も時間もかからない。これを省略していいことは一つもない。
私もいつも肝に銘じて、レントゲンを撮るときは「痛い方の足はこっちですね」と指さして声をかけて確認する。恥ずかしい話だが、それで取り違えを回避したこともある。診察室でも「こんにちは。○○さんですね」と声をかけるようにしている。これは滅多にないことだがカルテを取り違えないようにするためもある。
だがもっと大事なことは、声を出してあいさつをする、という行動は人間の社会生活のすべての基本になると思っているので、まずはここから、と信じてそう実行している。
どんな優秀な人でもミスをする。ましてや凡人の私どもはミスといつも隣り合わせであると考えていい。ミスは絶対になくすことはできないが、回避できるチャンスは必ずあるはずだ。それが指さし確認であるし、声かけでもあるし、複数の人間のダブルチェックでもある。
足を踏んで、あいさつができない人が、常にレントゲンを取り間違えないで撮影できる、とは到底思えない、と私は以上の点からも確信している。
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5月に入ってすぐ風邪をひいた。咳が止まらず、夜中も苦しくて何度もおきてしまい、昼間はそのためぼーっとして眠く、それでいて咳き込んでの繰り返しだ。本当に閉口した。同時に改めて、健康のありがたさを実感した。
ある日の朝起きたときいきなりのどが痛くなり、鼻水が止まらなくなった。患者さんも風邪が多いし、わたしどもだって風邪をひくことなど当たり前なのだが、最近1~2年の間、どんなに悪質な風邪が流行っていても、一向にもらわなかったところから、かなり油断していたことはいなめない。
とにかく何もする気が起きない。もともとずぼらな性格なので、サイトの更新やチェックなどはまるでできず、そもそも、パソコンに向かうなどもってのほか、うっかりすると咳と分泌物でモニタが汚れてしまう(汚ねぇ!)そこで、仕事以外の時間は極力布団をかぶって、腰が痛くなるほど寝ることにした。
好きな本を読むことや音楽も聴く気がしない、久方ぶりにうつ状態のような生活ぶりになった。薬は飲まなかったかって?もちろん薬は症状にあわせていろいろ飲んでは見たが、ほんの少し効いたかな、といった所から、あと一押しがない。朝、起きるたびに「今日は治っただろうか」と期待するのだが、むせるような咳が出てがっかりする日々が続いた。
いつもなら3~4日すると快方に向かうのだが、今回はどうもいけない。咳が止まらず、喘息のように苦しい。熱はなく、その他の症状はないので、風邪に伴う気道の炎症なんだろうが、それにしても活力を奪われるしなによりも気分がまったく晴れない。
ちょっと風邪をこじらしかけたくらいで、これほど大騒ぎである。慢性の病気の方の病気に立ち向かう精神力は大したものだ、と改めて感心した。
私はかぜの患者さんにいつもえらそうなご託を並べるのだが、自分のことになるとからきし情けない。
「風邪なんて、薬なんかに頼らず、体を休ませなければ治りませんよ」と言っているのだが、確かに私のようなこのくらいの症状で仕事を休む、とは上司には言いだしにくいだろうし、実際アドバイス通り休んだら、この日本社会の中では相当なナマケモノのレッテルを貼られてしまう。私はよかれと思っていながら、いつも無茶なことを口走っているのだなと反省した。
また、自分や身内などを診断して見つくろって処方するということは、勘違いや思いこみ、よく知っているが故に陥りやすいワナがひそんでいる。昔のことだが、知り合いの手術を頼まれたことがあったが、精神的にも肉体的にも5倍ほど疲れた。すべてに冷静に対処しなくてはいけないのだが、こればかりは人間である以上難しい。
かの福沢諭吉が大阪の適塾(蘭学医学塾)にいた頃、腸チフスにかかって生死をさまよった際、師であった緒方洪庵が福沢を診察した。そのとき洪庵はこういった。
「わしはお前の病気を診るが、わしは処方することはできない。なにぶんにも迷ってしまう。この薬、あの薬と迷って、あとになってそうでなかったといって、また薬の加減をする、しまいには何の治療をしたか訳がわからなくなるというのが人情だから、病気は必ず診るが、処方はしない。他の医者に頼むことにする。」
洪庵は信頼する内藤数馬という同僚に福沢の主治医を頼み、洪庵自身は毎日諭吉の容態を診察して、諭吉にいつも声をかけて「養生しろ」と励ますのみだったそうだ。洪庵は内藤に
「福沢へ処方は私はこう思うがどうか」と聞くといつも「あなたと同じだ」と言われた。それなら、洪庵が診ればよかったのだが、福沢はこのことをもっとも感激し励みに思い、生涯忘れず、洪庵を命の恩人と慕ってやまない。
福沢が言うには
「今の学校とか塾とかは、人数も多くとても一人一人目が届かない。師弟と言えども疎遠なものだ。けれども緒方先生がは私を診た際に、薬を迷う、とおっしゃったのは、自分の家の子供を治療する時に迷う、というのと同じことで、私は先生にとって実子と少しも違わないというお気持ちだったのだろう」
と感謝を込めて「福翁自伝」に記している。
福沢は死地を脱した後もなかなか回復せず、洪庵夫妻にずっと世話になっていたらしい。それこそ
「その際は先生夫妻に実の子のように甘えていた」と記している。
余談だが、洪庵が早世したのちの話で、福沢は未亡人となった洪庵の妻八重を他の門人と共に経済的に支援し、さらに八重が亡くなった後は、世に名をなすようになっても、大阪に来るたび真っ先に夫妻の墓参りに向かい、
「これだけは私の仕事だ」
といいながら、付き人が手伝おうとするとそれを止めて一心不乱に墓掃除をし、墓にぬかずいて長いこと何事かを祈っていたそうである。性格的にかなりきついキャラクタの福沢にして心温まるエピソードである。福沢諭吉は生涯ただ一人尊敬する師の緒方洪庵とはまさに実の親子より絆が深かったと言えよう。閑話休題。
緒方洪庵先生にして、身内の診療には「迷い」が出るとおっしゃっている。いわんや私などは自分のことも身内のことも迷いだらけで、おまけに患者さんの治療に迷いが出てしまってはもういけない。(笑・・・うところではない)だが、緒方先生のように「迷い」が自覚できるということは、むしろ幸いだし真の実力者と思わなくてはならない。
勘違いや不勉強で患者さんをさらに悪くしてしまっては、そんな医者はいない方がましだし、見栄などなく、わからないものはわからない、迷うときは迷う、と正直に言える医者は好感が持てる。
が、まず常に万全な判断力を維持できるよう体も精神も鍛えなくてはならないと痛感した。
ようやく、からだが癒えて、咳も減り、いろいろ本を読む力も、体力もよみがえってきた。怠けていた分を取り戻さなくてはならない。(と必要以上に頑張ろうとするのが日本人の悪いところか)
健康に限らず、失われると初めて大事に思い、再び手に入れると感謝する気持ちも失せてしまう。これは悪いくせだ。医学の基本は「予防医学」に尽きる、といつも言っているのに、そのそばから転ばぬ先の杖を忘れてはいけないし、悪くなりそうだったらさっさと休む、これに益するものはない。
今回は反省しきりで、「紺屋の白袴」を笑う「医者の不養生」といったところだ。ぜひ皆様も健康にはご留意を。

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アメ横での買い物の時は水増しに気をつけろ、とは常識である。
正月用品を買おうとする客でごった返すあの路地販売だが、魚や数の子などキロあたりで売られる商品は海水を口から流し込んだり、数の子はふにゃふにゃになるまでつけたりして高く売ろうとする。もちろん、まじめに商売しているところもあるだろうが、疑いのまなこで見つつ買い物をするのが賢明のようだ。
私が少年の頃、神社の縁日でうさんくさいオヤジがルーレットみたいな懸賞で子供たちをつっていた。バラエティTVのアトラクションでやっているようなダーツの的のような円盤に賞品名が書かれて切ってあって(もちろん大当たりは「パ○ェ○」みたいに狭いが赤く塗られている)お金を払ってその釘が垂れているプロペラみたいなルーレットを回すのだ。くるくる回るがやがてあるところで止まりその等に応じて賞品をもらえる。それがどうしても赤い特等に止まらない。止まりそうで行き過ぎる。かくして「もう一度!」となるが、オヤジが磁石でコントロールしていて決して特等や1等に止まらないようにできているから何度やってもムダである。
かといえば、鳥打ち帽をかぶった怪しいオヤジ。誰が見ても簡単そうな、詰め将棋を前に「さあ、一手50円だよ」と道行く人々に持ちかける。
詰め将棋とは「王手、王手」で指して相手の王様をチェックメイト=御用にするパズルのようなものだ。この場合、詰ますと結構な賞品をもらえる。ところが、気軽に指してみると、オヤジの王様が容易に捕まりそうで詰まないのだ。
一手ごとにワナが仕掛けてあって、見事にするする逃げられてしまう。逃げられると
「おや、お兄さん、惜しかったね」とにやにや笑われ、それで頭に血が上るともういけない。7が二つそろってリーチがかかり次は大当たりを出すぞと息巻いてパチスロに万札突っ込むようなものである。
プロがやっても絶対に詰まないインチキものもあったんだろうが、ギブアップした客から答えを教えろ、でないと金を払わないぞ、などとねじ込まれてしまうので、答えがちゃんと用意してあるものがほとんどだ。
だが、複雑な手順を踏まないと詰まないようになっている。それを教えてもらって、初めて青くなり
「とんでもないものに手を出してしまった」とあきらめ、代金を払うということになるらしい。一人カモるとそこでは誰も手を出さなくなるので場所替えしなくてはならないし、効率のあまりよくない仕事だが、一人がアツクなるとそれだけで数千円稼げる。
これが「大道詰め将棋」というもので、やはり私が少年の頃、縁日で見たことがある。後で知ったことだが、最初に挑戦する人はどうやらサクラだったそうで、少しばかり腕に覚えがある将棋指しはそいつが失敗するのをみて、食いついてくるとのこと。
怪しげなものはちょっと考えればわかるようになっていた。
また危うきに近寄る場合はそれぞれが「自己リスク」を背負って近づいた。いやなものは個人の責任においてしなければいい。
だが、最近だましの手口はより巧妙になってきて、振り込め詐欺なんかを見聞きすると
「よくも、まあ、こんな手の込んだだまし方なんだろう」とあきれと同時に感心してしまう。
感心してはいけないのだが、ある方法が有名になって引っかからなくなると、さらにそのうわてを行くといった格好だ。ネットのフィッシング詐欺の手法がどんどん進化しているのと同じだろう。
牛肉に信じられない混ぜものをして「100%ビーフ」というラベルを貼ってばんばん出荷していたという、モラルのかけらもない事件が報道された。
ミンチだから何やってもわかんねーだろ、とばかり豚、鳥、ウサギまで、何でも混ぜくり、それでも足りなきゃ、豚血を混ぜて重量ごまかし、あきれたことに、鳥インフルエンザ騒ぎで暴落したカモを買いまくり、それを混ぜる。
やりたい放題とはこのことである。そりゃ冷凍すれば、ウイルスは死ぬだろうが、もし鳥インフルエンザに感染した鳥を扱っていたら、凍らせる手順でヒトが感染しないとは限らない。
悪事が発覚した社長が記者会見で平身低頭わびるのみかと思いきや、消費者は安い方ばかり飛びつくからそっちが悪いといわんばかりの態度を見て、ここまで開き直られたらあっぱれだと妙なところで感心してしまった。またまた感心してはいけないのだが、考えてみると恐ろしいことである。
こうなったら、表示自体も信用してはいけない、ということだ。牛100%と書いてあっても、遺伝子組み換え作物は使ってないと書いてあっても。メジャーな食品会社ならいいかといえば、それも巨大牛乳メーカーが偽装肉事件を起こして、信用は失墜している。
今回の事件で豚アレルギーの方以外は多少豚の混入物があっても食べて命を落とすことはなかろうが、この間、パナマで中国から輸入した風邪シロップにジエチレングリコールが使われて、服用した幼児がなんと100人以上死亡したということもあった。ジエチレングリコールは廉価にできて、飲むと甘いが毒性が強いから、飲用にはできない。驚いたことに、この猛毒シロップは含有表示に代わりに無毒な「グリセリン」と書いてあったそうだから始末に負えない。
昔は怪しいものは何も表示はなく、安かろう悪かろうという予測がたった。怪しいテキ屋がやっている催し物はやはり怪しかった。
が、現在はよいものが、廉価に店頭にならび、「え?こんなものが?」と驚くくらいのしっかりした作りのものが100円ショップで売られている。だから安いものでもよさそうに見えるものは
「きっと企業努力と大量生産のコストダウンで安くできたんだろう」と勝手に良心的に解釈して安心して買ってしまう。少し冷静でも、だまされないぞ、とばかりに、目を皿のようにして含有物の表示を調べ上げても、こう嘘が書かれてしまってはお手上げである。
皆さんはジェネリックという薬があるのをご存じだと思う。TVでも宣伝をしており、「ああ、クリニックで頼めば同じ成分で安い薬を出してくれるあれだろ」とわかる方もおいでのことと思う。
薬は開発するのに天文学的な費用がかかる。また、理屈ではうまくいくだろうと思って開発を続けていっても、途中で重大な副作用が生じたとわかれば、一発でぽしゃりであるから、販売までこぎつけるのはそれこそ「千三つ(せんみつ)=1000の候補薬から3つ位の完成品」といわれる。そして、さまざまなテストや規制クリアして発売だから、新薬は高く値段が設定される。新薬の特許は20年ほど保護されて、それ以降はどの製薬会社も自由に製造できる。その際は開発費などはかかっていないから安く作ることができるため、ほぼ半額ほどの値段で提供できる。これがジェネリック薬品だ。
同じ効き目で値段が半分なら大変好ましい。政府が目の敵にしている医療費増大に対しての費用削減にも貢献できる。ジェネリックは以前と異なり品質はきびしくチェックされるようになり、文字通り同等の薬に仕上がっている。
大半の薬は同等の手応えがあるのだが、「同じ成分・同じ行程で製造」とうたっているものの、正規の先行販売薬とどことなく効き目が違うこともある。服用する人によっても左右されることもあり、薬とはかくもデリケートなものかと思う。
費用が安く抑えられている後発品は能書と呼ばれる取説も簡略で先行品をなぞっている場合がほとんどだ。副作用などや飲み合わせについてもあまり詳しくないので、なにか気になることがあってもわからないことが多い。評価が定まっている長年使ってきても問題のないもの、短期間使う風邪薬などはジェネリックは非常に便利だが、先行品の特許が切れたばかりの(ジェネリックとしては新規)ものは処方する方もどことなく躊躇してしまう。
新薬と違って何万件も人体実験する義務は課せられていないから、作って成分検査をパスすればそれでOKである。ブランド信仰というわけではないが、薬の剤形や基剤(薬効成分以外の物質)の違いで、胃腸からの吸収が異なってくる。もし、人によって効き目が発動する時間もピークも違ってしまうとしたら、血糖や血圧をコントロールする薬は危険である。そのような薬はさらに評価が定まってから、使いたいと思う気持ちもある。
薬剤の世界では成分表示がそうであっても、実際は違った、ということは絶対にないだろうな、と信じたい。
この業種は信用がすべてである。ワンマンな独裁者がモラルをかなぐり捨てて、安いからと言って混ぜものをする構造にないはずだから、そんなことはないよ、と言い切りたい。だが、薬とおなじかそれ以上、安全衛生に気をつけなくてはならない食産業が賞味期限切れ使用や偽肉混ぜものなど立て続けに不祥事を起こしたので一抹の不安を覚えた。
安全は元々金のかかるものだと思っている。安いものをあくまでも追求すると、とんだしっぺ返しが来ないとも限らない。と、今回の報道を見て考えた次第である。
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人間はナマケモノである。
基本的に個々の部署はなまけるくせがついている。足を骨折したとしよう。ギプスを巻いて数週間松葉杖で不自由を強いられ、ようやくはずせる段になってやれやれ。ところが骨折した方の筋肉はごっそりそげ落ちていることが多い。健康なときはスポーツを積極的にしていなくても、体重を支えているだけとはいえずっと働いていたことがわかる。
筋肉は使わないとどんどんやせ細っていく。なまける部署には栄養を分ける必要がないからだ。筋肉に限らず脳細胞も使わないと劣化していくのはご存じだろう。そのほかの使い減りしないものも例にもれず、コンスタントに刺激を与えた方がよい。
ただし、肝臓にカツを入れようと大酒をくらうのはよろしくない。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしなのはもちろんであるが、ただでさえ肝臓はあらゆる物質の解毒を司っている。アルコールは猛毒で血中0.4%の濃度で致死する。だから、血管内にわずか20ccのアルコールが入っただけで死亡する計算になる。脳細胞はもっともアルコールに弱く、極少量でも直ちに機能停止に陥るので、注射できるとすればほんの純エタノール一滴分くらいで意識喪失させ、死に至らせることができるだろう。(絶対に実験してはいけない)
そうなってはたまらないので飲んで消化管からアルコールが吸収されるやいなや肝臓は血管内に残らないよう猛スピードで解毒する。
が、一部間に合わない分だけ、ごくごく微量漏れ出てしまう。それが酔っぱらう、ということだ。この解毒のスピードが鈍い人は酒に弱い人だし、日本人にはこの解毒酵素の働きを持っていない人が多い。この人に”一気”飲みさせると、本当に死んでしまう、ということがおわかりであろう。
肝臓は体のために不眠不休で働いているので、むしろ一滴も酒を飲まず余分な仕事をさせないことが長寿につながるようだ。とわかっちゃいるけどやめられない・・・
また、ホルモンを産生する臓器もナマケモノだ。
ホルモンは微量で大きく体の働きをコントロールするので、フィードバックと呼ばれる高度なシステムが働いている。何かの理由で少なくなると、視床下部と呼ばれるコントロールセンターから増やすようにと命令が出され、逆に増えすぎるとブレーキをかける。微妙なバランスをとりながらサーカスの綱渡り一輪車のようだ。
だが、そのホルモンを外から与えたらどうだろう。この場合は当然フィードバックが働き、それを体内で作っている臓器に製造ラインを止めるよう命令がでる。すると臓器はこれ幸いとばかりに長期休暇を取ってなまけるのだ。
それだけならば別にかまわないが、もし、ずっと外から補充を続けてしまうと、その補給が切れた時、大事なそのホルモンの体内量が少なくなり、今度は矢のような催促が視床下部から来ても、もはやなまった臓器は元のように働き始めなくなる。結果的にホルモン欠乏症となってしまうこともある。この作れなくなった臓器の状態を「萎縮」と呼ぶ。実際、萎縮に陥った臓器を取り出して調べると、梅干しみたいに小さくしわしわになって、働ける細胞が極端に少なくなっているのがわかる。だから萎=ちいさく、縮=ちぢこまるという字をあてている。
花粉症でたいへん悩んでいる方に強力な免疫抑制作用のある「ステロイドホルモン注射」を打つとかなり楽になるという話をお聞きになったことがある方もいらっしゃると思う。
この注射されたステロイドホルモンは体内でゆっくり分解されるので、効果が1ヶ月くらい保てるから毎日のように花粉の薬を飲む手間より非常に楽だ。
だが、今までの話でおわかりのように、この場合は常に体外ステロイドであふれかえっているためにステロイド体内産生臓器である副腎が萎縮する可能性がある。だから、この注射は諸刃の剣(もろはのけん)である。このような場合、なまけぐせがついた臓器を再び、使い物にするには、欠乏症状を出さないように体外ステロイド使いながら様子を見て徐々に減らしていき、体内臓器が働き出すのを待たなくてはならない。臓器もリハビリが必要なのだ。
最近、真夏に入ってのどをやられ、高熱を出し来院される方が多くなった。聞けば、「エアコンつけっぱなしで寝ちゃって・・・」などと言われる方が圧倒的だ。なるほど、確かにエアコンつけなければとても寝苦しいし、タイマーにしてもこれだけ熱帯夜だと、夜半過ぎに汗びっしょりになって飛び起きてしまうので、ついついつけっぱなしというのも理解できる。
が、夏はもともと薄着で寝ているから、エアコンの乾いた風は汗を蒸発させ、その気化熱で体表温度を著しく下げてしまう。また、鼻が詰まりいびきでもかいて、のどむき出しにしていれば、のど粘膜は乾燥し、粘膜温は下降し、ウイルスは侵入しやすくなる。同時に水際でウイルスを退治してくれる免疫細胞たちは温度が下がるだけで活動を弱めてしまう。かくして、そこだけ冬と同じような環境(低温乾燥)になるので、風邪を引きやすくなるのは仕方のないことだろう。
だが、もともと夏は風邪をひきにくいものだった。どんなに暑くても、汗をだらだらかいてうなされながら寝ていても、寝冷えをするということは少なかった。「夏風邪はしつこい」と昔から言われていたのは、滅多にひかない夏風邪はなにか別の重大な病気を合併しているか、よっぽど免疫能が落ちてしまった時にかかってしまいそのため治りが遅い、などなどの理由があったのだろうと推察できる。現代の夏風邪はしつこいというより、現代人が勝手に弱くなったために頻出しているかのように見える。
食中毒菌に対してだってそうではないだろうか?
人間は過去には殺菌法や抗生剤などの武器を持たなかったから、免疫力で撃退するしかなかった。日本だって江戸時代までは上水はなく、井戸だの川水やたまり水だの飲用に使っていたはずだ。
もちろん赤痢だのコレラだのは罹って命を落とす方は今よりずっと多かっただろう。が、平気の平左でがぶがぶ飲んでいた人も同じかそれ以上いたはずだ。現代人が確実に弱くなっている証拠に同じような環境の開発途上国へ行ってそういった生水を飲んだら、現地人はなんともないのに日本人はたちまち発病することでおわかりだろう。
虫に刺されても全身に発疹が広がって難儀する方も多くなった気がするが、殺虫剤も虫除けスプレーもなかった昔は虫さされが全身に及ぶなんてのはなかったのでは?と考えてしまう。もっとも「つつが虫病」は昔も今でも治療を怠れば死病だが・・・
小児の骨折は日本学校保健会の調べによると10年間で約1.5倍に増加しているそうだ。運動不足や食事の偏りが原因としてあげらているが、やはり、運動量減少がもっとも影響しているだろう。適度に使わないと骨も筋肉もサボるので、もろくなるのだ。不思議なことに、骨折した骨ですら、ぴっちりギプスを巻くと治りが遅くなり、ギプスの中でもわずかながら動かせる環境にあると、治りが早いという研究結果もある。骨が折れてもなお体はサボろうとする。とにかく、過保護にして体はいいことは一つもない。どんどんサボって弱くなる。
麻疹がこの春流行して大騒ぎになった。1歳過ぎに麻疹ワクチンを接種してあった方も多く発病している。「ワクチン打ったのにどうして?」と保護者の方の悲鳴が聞こえる。そう、免疫もサボるのだ。ワクチンを打つと97%くらいの確率で抗体(免疫力)を獲得できる。だから、3%くらいの方は確かに免疫をもたないことになる。それくらいの抗体非保持率なら集団に混じっても流行が起こるはずもなく、単発で発生は抑えられてしまう。それではなぜ大流行したのだろう。
実は、ワクチンで獲得した免疫は、その後、麻疹ウイルスが体内に入ってこないと、サボりいつしか消えていってしまうのだ。敵兵の姿をずっと見ない衛兵は退屈して昼寝をしてしまい侵入を許してしまうということらしい。だから、忘れかけた頃もう一度ワクチンを打つと、強力なカツが入り役立つ免疫としてよみがえる。これをブースター効果という。
遅ればせながら来年から5年間、中学3年生と、高校3年生で二回目の麻疹ワクチンを打つという決定はまさにこれを期待してのことなのだ。こんなことはずいぶん前からわかっていた(欧米では元々麻疹は二回打ちである)のに、大流行が起こるまでそれを指示しなかった厚労省は職務怠慢で、かつ方針は泥縄式と言われても仕方があるまい。
科学の発達は人間を楽させようという欲望の積み重ねだ。そして一度楽してしまえばもう元には戻れない。
新幹線ができれば、在来線には乗れず、携帯が普及すれば固定電話はいらなくなる。乾燥機つき洗濯機があれば洗濯板と物干し竿はいらないだろう。エアコンがあれば風鈴とよしずはいらない、が便利さと引き替えに失ったものは人間に備わる免疫力と基礎体力かもしれない。
一度弱らせた筋肉を鍛え直すというのは大変な労苦がいる。文明の恩恵を十分に浴している人類が免疫を鍛え直すということは意外に難しいことではなかろうか、と考え込んでしまう夏の日の一日である。
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今年の恒例の漢字は「偽」である。
さまざまな偽装疑惑が渦巻いた07年だ。そして今日のこのコラムのオチの言葉は
「まさか偽装ではないだろうな」で決めてみた。
いっとう最後にこの言葉が出てくる。07年最後のセリフとして、うってつけではないだろうか。どうか最後までおつきあい願いたい。
今日の話は私の妄想である。信用されるかどうかはおまかせします。あまり気持ちのいい話ではないけれど・・・
自殺者の数が9年連続年間3万人をこえたそうだ。
一口に3万人といっても実感がわかないが、この死者が地方の小さい市が丸ごと一つなくなるような数というと空恐ろくなる。日本以外の他の国はこんなに自殺しているのだろうか?
調べてみると日本は自殺率を調査している101カ国の中で堂々(?)の9位。
先進国内G7ではダントツの自殺率(人口10万人に対して自殺者の数)を誇っている。たとえば、米国は日本の半分以下、英国・イタリアでは3分の1くらいしか自殺者がいない。(2004年調べ)
戦争もなく、兵役もなく、食料も豊富でテロもなく、経済的にも豊かな、他国から見たら満ち足りた楽園に見える日本でこれだけ自殺者がいるのはどういうことだろう。
遠藤周作氏の名著「沈黙」を読むと、棄教を迫られる宣教師がどんな迫害を受けようが、たとえそれが死よりつらいものでも、決して自殺しないさまがよく描かれている。
キリスト教では自殺を堅く禁じているからだ。
米・英・伊また南米各国のカトリック国の自殺率が低いのは確かにそう言った側面もあろう。どんなにつらくても自ら死を選んでしまったら、神の祝福が得られないのだ。自殺すると、死後神の元に行かれない、と心底信じていたらこれはかなりの抑止力になるだろう。
しかし、仏教国であるタイ(自殺率日本の約1/3以下同)、共産国である中国(約1/2)、ヒンドゥー教国のインド(約1/3)がいずれも日本より遙かに自殺率が低い。反対にロシア正教国ロシアでは日本よりずっと自殺率が高い(世界3位)これを見るとキリスト教の抑止力だけで説明がつかないのは一目瞭然だ。
日本には「死をもって償う」または「死をもって抗議する」という独特の倫理観がある。これが自殺を賞揚しているのではという分析するものもいる。
過去著名人で自殺した作家三島由紀夫・伊丹十三映画監督・新井将敬代議士各氏らはこの「抗議自殺」と思えるのだが、こういった行動も近年の日本人からはあまり受け入れられず
「自分の主張が通らないから死ぬなんてナンセンス、きっとその時は精神を病んでいたんだろう」
と片付けられるむきにある。今後サムライハラキリのようなスタイルは理解を得られずどんどん減っていくのだろう。同時にナショナリズム(私はこの言葉があまり好きでないし、日本には真のナショナリズムはいまだかつて存在せずパトリオシズム=郷土愛が根底であったと思うが、長くなるのでまたの機会に)が消された国日本では特攻隊員のような「利他的」にバンザイアタックをすることもないだろう。
自殺する生物はどうやら人間だけのようである。
文献上は羊やイルカ、鯨などが集団自殺をするという報告があるにはあるが、集団生活する彼らのリーダーの誘導ミスによる痛ましい事故であることが確からしい。また大量発生後のレミングというネズミが集団で移動して川に飛び込んで自殺するという有名な話はディズニー映画「White Wilderness」のでっち上げという説が有力である。そもそも集団自殺ではなく食物がなくなって大挙移動する際、川を渡りきれなかっただけのようだ。実際、泳ぎ切って対岸にたどり着くレミングも多い。
しかし、人間に従順な犬、馬などが主人が死去したのち、墓前から動かず餓死したり、どんなに餌をやっても食べず、死を選んだかのように見えた事件はかなり昔から多く伝えられている。三国志の名将関羽の死後、彼の愛馬「赤兎馬」が餌をいっさい食べず「自殺」した話は有名である。だが、これらも単に偶然にも馬が同時に「消化器系統の病気」を発症しただけもしれないし、主人が死んでも痛痒を感じないペットの方が圧倒的に多いためにこれら積極的自殺には否定的な意見を述べる動物学者は多い。
もともと生物は「利己的な遺伝子」に支配されていると解釈するとわかりやすい。自分の遺伝子を残そうとする、また種を残そうとする行動を無意識下にとるとされる。我々の体は遺伝子が自らのコピーを作り出すための「乗り物」に過ぎない。だから生物は自殺するはずがないのだ。そこで世代間の遺伝子のつながりが断ち切られてしまうので、そのような命令は遺伝子に書き込まれておらず、逆にどのようなことがあっても「利己的」に生き延びようとする。これがドーキンスの「利己的遺伝子」説だ。この説が正しいかどうかは不明だが、いろいろな動物の行動を説明できることから支持する人も多い。
してみると、生物の成り立ちに逆らって自殺する人間の多い日本人はやはり遺伝子を病んでいる(という言い方が正しいかわからないが)のだろうか?
話は唐突に飛んでしまうが、もしも私が殺人を考え完全犯罪をもくろんだとしよう。
私の心がゆがんでいるのではなく、推理作家もいつもこんなことを考えているのだから、犯罪を犯そうとか思ってはいないはずだ。私も同様なので念のため。
それに殺したい相手も「今のところ」いない(笑)
まず、死体が出なければ殺人事件として捜査されないから、死体を完全に消滅させる方法を考えるが、これがなかなか難しい。古典で申し訳ないがロード・ダンセーニ作「二壜のソース」という完璧な死体の隠し方があるが、これはワタシ的には実践が難しい。(この作品は名作です。消し方はナイショにしますから興味のある方はぜひ一読をすすめます)次善の策として、自殺を装って殺人を企てるという段になる。
被害者の遺書をなんとか偽造して、遺留品に気をつける。うまく仕掛けて被害者を引き込む現場はなかなか見つからないところを吟味して、時期はなるたけ夏期を選ぶ。死体の発見が遅いほど、特に夏ほど傷んでいろいろな痕跡が見つかりにくいからだ。そんなことより最大のポイントは現場は指定都市を避ける、その一点である。
なぜなら、自殺を含めて「変死体」でも、東京、大阪、横浜、名古屋、神戸の5都市以外では解剖されないのだ。逆に言うと、以上の5都市(東京は23区)では病院以外の異常死は監察医がいるので解剖されて、ミステリでおなじみの「うーん、おかしい。これは自殺じゃないですよ」と医学的に証明されてしまうケースが生じるのだ。それ以外の市では驚くべきことに、警察官が検視して(文字通り「視て」それだけで書類上スルーして終わり)葬り去ってしまう。穿った言い方だが、死体に不審な点があっても仕事が増えるから、問題にせずわざと目をつぶる警察官もいるらしい。
そんなことはないだろうと思われる方もあるかもしれない。
「チーム・バチスタの栄光」を著した医師でもあり人気ミステリ作家の海堂尊の「死因不明社会」(講談社ブルーバックス)によると上の五都市以外の自治体では「異常死体であっても解剖率は4%にすぎない」と報告している。これは驚くべき数字である。
私はミステリ好きなので「病院以外で亡くなった方」はかなりの確率で行政解剖されていると思っていたのだ。(てか・・・解剖されないと、まともなミステリにならないしな。)
それが、病院のベッドで亡くなった方はともかくかかりつけ医がいて「ああ、大往生ですね」と在宅で診断される方以外の不審死の96%は解剖されないという事実に戦慄を覚えた。
都道府県別の解剖率は監察医制度のない市は恐ろしいほどに貧弱だ。もし、ミステリ好きで並の知能の持ち主が「全身全霊」を傾けて殺人偽装計画を練ったら、地方都市なら簡単に司法の目をすり抜けることができるかもしれない。(あくまでも仮にですよ)
根拠は全くないが、示唆するデータはある。
都道府県ごとの自殺率のグラフ(こちらで見られます→http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7340.html)を見たときに地方で突出して高いのがわかる(秋田・青森・岩手・島根・新潟の順)この5県に限って言えば、いきなり世界のナンバー3くらいに入ってしまうくらい自殺率が高い。
まさかとは思うが監察医制度がないために、本当は事件なのに自殺で片付けられたものが混ざってないのか?という危惧は東京・神奈川・愛知でめちゃくちゃ自殺率が低いのを見ると増幅する。こちらは監察医制度があり解剖されている案件が圧倒的に多いのだ。
これだけ住みやすいと信じられている日本で自殺が多いのは遺伝子が傷つけられているのではなく・・・
本当に全部自殺なのか?まさか「偽装」ではないだろうな?
年末にふさわしい話題ではなかったが、
それでは、みなさまよいお年をお迎えください。
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死刑制度は是なのか。
少し調べただけでも、死刑制度を残している国は少数であることがわかる。2006年までで死刑を採用している国は世界でわずか27国で、日本を始めとして先進国はアメリカのみ、そのアメリカでも州によっては死刑は存在しない*。
EU参加国は「死刑撤廃」が加入の絶対条件であり、ヨーロッパに仲間入りしたいイスラム教国のトルコはEU加入の際、死刑を廃絶させた。イスラム国はその教義の性格上、死刑存続国が多いからトルコの英断は物議を醸した。
ついで、EUは死刑のある国に死刑廃絶を迫り、日本やアメリカなどのG7でEU加入していない国でも欧州評議会のオブザーバー資格は持っているのだが、さもないとそれを剥奪すると言ってやまない。
さらにEUは2007年12月国連総会で「死刑存続国家に対しモラトリアム決議」を可決させた。これは「死刑があるのはその国の法改正を待たないと仕方ないが、そんな悠長なことを待っていられない。だから、現在やっている死刑執行を無期限停止しなさい(モラトリアム)」というありがたいお節介(?)だ。
まあイラク戦争もそうだったが国連決議は物理的拘束力は全くないので、それを破ったところで罰則はないのだが、EUはそれほど死刑に対してアレルギーが強い。だが、日本ではどこ吹く風の感じで現法相鳩山邦夫氏は死刑執行命令書に次々にサインしている。彼は筋金入りの死刑存続論者だからだ。
だからといって日本が野蛮で欧州が文明圏であるとは私も思ってもない。
欧州の歴史をひもとけば、戦乱と革命が絶え間なく続いた。古代ギリシャ・ローマ帝国時代から繰り返される国家間の争いはそれをもろにかぶる民衆の数だけ無数といえる虐殺と悲劇を生んだ。
そして革命は同時に粛清の嵐(死刑)である。フランス革命の時、効率よく死刑を行えるように断頭台(ギロチン)が作られたことは有名である。
二度の世界大戦の直接の火種も欧州であった。こうした苦い経験を経て、人の命を奪うという行為が国家権力でなされるということにアレルギーが生じたのではないか、とも推測される。その考え自体すばらしいことである。
しかし、欧州は戦争放棄をしているわけではないので、(永世中立国スイスだって交戦権を認めている)ひとたび戦争が勃発すれば、「自国民は死刑相当の罪人でも絶対に殺さないが、戦争が起こったら無辜の他国民は殺す」ということになるから、博愛主義でも、人権擁護でも何でもなく、自国中心のただの虫のいい話ではないか。
「死刑を撤廃し、そしていかなる国家権力は他国の人も殺めない」
と高々と他国との交戦権放棄宣言したら、私はその時拍手喝采を送るだろう。
だが、その両輪がそろった憲法を持つ国は今のところ見あたらない。日本は現憲法があるから、もし死刑撤廃したとしたら最も理想に近づける国だ。
が、国民感情から、死刑撤廃はならないだろうし、なによりも9条改憲論に与している私の立場はまるで正反対だ。これはなにも皮肉で言っているわけではない。戦争放棄はともかく、よくよく考えると死刑というのはいかがなものかと思った次第だ。
そのきっかけは死刑になりたくて人を殺した、と言って、なんの罪のない人を殺してしまう事件が頻発しているのをニュースで聞いたからだ。殺された方はこれほど馬鹿らしく、むごいことはない。
こいつらは逃げるでもなく警察に出頭しているから、もし警察が動く前に自首が確認されたら、死刑になんかなりっこない。(刑法42条、自首軽減)
さらに、下手すると最近の弁護の常套手段として「被告は犯行時心神耗弱にあった」とかなんとか精神鑑定に持ち込んで、なにがなんでも無罪に持っていこうとする。
確かに、「死刑になりたくてうんぬん」はまともな人間の発言ではない。だからといって、頭がヘンだから無罪、としても、はいおっしゃるとおりです、と死刑にしても、どちらもすっきりせず国民や人権擁護団体が許さないだろう。
おそらく、このようなケースは無期懲役の判決になるだろうが、模範囚となっておとなしくしていれば10年くらいで釈放されてしまう。こんなことをやってのける人間が10年くらいで野放しになるなんてのは冗談ではない*。そう考えると、死刑制度維持主張派の金科玉条である「死刑は殺人事件の抑止力」になっていないのではないだろうか?実際、死刑制度があるアメリカでどうしてああも銃乱射事件があるのだろうか。銃社会ということをさしおいても、死刑が怖いから人を殺さない、という土壌にはないようだ。
O・ヘンリー作「警官と賛美歌」で主人公はつらい冬をシャバで越したくないため、暖かい(?)刑務所に入りたくて、犯罪を繰り返す。
まさかそのパターンじゃないだろうな。今時「臭いメシ」なんてのはないだろうし、ワーキングプアの世の中、もしかしたら刑務所の中の方が快適かも知れない。安いとはいえ、懲役という名において拘置所内で働けばいくばくかの報奨金ももらえるから、なんたらに追い銭とはまさにこのことだ。
それはさておき、死刑になりたい、は「死刑国」ならではの犯罪である。EU圏内では絶対にありえない動機だ。これは広義の自殺願望だし、破滅願望といいかえてもいい。おとなしく自殺するならまだしも、その勇気がないから、他人を犠牲にするという自己中心的なサイコパスぶりはさらに始末に負えない。こんなやつらは望み通り死刑にしてやるのも腹立たしいので終身刑にして、二度と社会に戻してはいけないと思うのは私だけだろうか?
終身刑は死刑より残酷である、と主張するむきもある。自由になる望みのない生は死よりも苦痛だ、という観点からだ。この死刑擁護派、終身刑導入派は議論を戦わせても永遠に交わることはない。最近、量刑の厳罰化が進んでいる我が国では無期懲役と死刑の落差があまりにも激しいし、なによりも死刑にしてしまってから冤罪が証明されたら、取り返しがつかない。
事実、現代捜査で頻繁に使われるDNA鑑定をもって過去の殺人事件を調べなおしたアメリカの統計ではかつての死刑判決事件にもかなりの冤罪が含まれていた。恐るべきことに死刑執行してしまった例も10数例あるそうだ。これからはそういうことは少なくなるだろうが、相当に恐い話である。死刑撤廃派の論理的支柱がまさにこの「冤罪は取り返しがつかない」であり強い推進力となっている。
しかし、EUがなんといおうと国民が8割も死刑を容認している我が国では死刑はなくなることはないだろう。もし真犯人と誤認したら執行後取り返しがつかないことくらいみんなわかっているにもかかわらずである。この、こと殺人に関する被害者の心理状態の発露にはかなり興味深い。
キリスト教国は「神の裁き」が絶対であるが、絶対神を持たない我が国は「死んで償う」と「水に流す」という他国からみたら特異な罪の浄化システムがあった。しかし、ある意味美徳であったその浄化システムが崩壊しつつあり、被害者が家族を殺され、司直が罪を軽くするなら、自分が復讐すると公言できてしまう世の中の到来にちょっと寒気を感じている。
重大な罪を犯しているときは誰でも「普通の状態にない」といっていい。そのときは非人間の振るまいでも、あとで反省の気持ちが沸き上がるかもしれないのだ。
今回の母子殺人事件*の少年被告(当時)は遺族に対しての謝罪の念があまりにも薄く、そのため重刑判決になったと思う。殺人そのものの行為は憎むべきものだが、人間に生まれたならいつ仏心が芽生えないとも限らない。死刑はその可能性を奪い去ることではないだろうか?
私は死刑制度は条件さえ整えば廃止して欲しいと念じるものである。それには終身刑の導入が絶対条件だが。
それでも、人が人を裁く、そのこと自体、完全ではありえないし、双方が納得できる量刑は絶対にない。終身刑だってそうだろう。だが、国家が行う被害者または遺族の復讐を兼ねた「死刑」は江戸時代にあった仇討ち制度そのものではないだろうか。
そして、なにより、死刑がなくなれば、絶対と言っていいほど望んで就いたのではないだろうと推測される「死刑執行官」が同時になくなる。死刑執行の際の絞首台のボタンは複数の執行官が同時にスイッチを押し、誰が当たったかわからないシステムをとるという。それでも、精神を病む方が多いらしい。もちろん粛々となんにも感じないで務められているとしたら私はその方が怖い。
世の中にはするのは誰もがいやがるが、ないと皆が困るという職業は数多くある。たとえば危険物処理だとか、当直医師(笑)とかである。死刑執行官はその最たるものではないだろうか?
しかし、これ以外は、仕事をすればまず相応に感謝されるたぐいのものだしその使命感が強力な励みになっているが、死刑官はとてもいやなことをしなくてはいけないのに、決して感謝されない。
もし死刑擁護派の方に
「国民の義務として裁判員と同じように死刑執行官をランダムに指名しましょう」
と意地悪な質問を投げかけたらどう答えるだろう?
おれは絶対イヤだよ、と言われることだろう。そうです、私だってイヤです。
こんなことをやらされた日にはずっと夢見が悪い。だからこそ、人にもやらせたくないのだ。私はこれだけを持ってしても、死刑廃止の方に与している。
もし被害者遺族になったとしても、さんざん葛藤はあるにしろ、時間をかけて怒りを封じ
「許そう、だが、絶対に忘れない」
と思うことが加害者と被害者に対する大人の態度なのではないだろうか、と最近の報道を見て思うところである。
*死刑は存在しない:韓国・キューバなど死刑制度は残っていても実質死刑執行を10年以上長らくしていない国もある。
*無期懲役:最近は無期刑の仮釈放は20年くらいしないと出されない傾向にあるそうだ。法律では無期刑は10年以上の服役で仮釈放の条件を満たす。
*母子殺人事件:1999年4月山口県光市で当時18歳の少年が母子殺害した事件。2000年3月地裁は無期懲役の判決。高裁は控訴棄却したが、最高裁は2006年高裁判決を破却。高裁の差し戻し審で2008年4月死刑判決。なお、再上告された最高裁では2012年死刑判決が下され、死刑が確定した。刑の施行は2016年ではなされていない。

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「女を見たら妊娠を思え」
とは遙か昔、腹痛患者を診察する際、先輩医師に教えてもらった金言(?)である。それがどういったシチュエーションで聞きかじった内容だったか、完全には思い出せない。
が、これは今思うと、女性に対してかなり失礼な話ではある。
かつてこの教えを忠実に守って、腹痛で受診した中学生に「妊娠してませんか」と馬鹿正直に聞いて、付き添ってきた親御さんが目を白黒させて激怒して「うちの子に限って」と詰め寄られた研修医がいた。さすがに患者が中学生ではそのものずばりダイレクトに聞くのは、どうかと思う。
とは言っても、ケースバイケースだろう。月経さえあれば妊娠可能年齢であるし、江戸時代までの婦女子は皆これくらいの年で妊娠していた。当然、その「まさか」もあり得るわけで、真面目そうに見える女子中学生でも、きかずにおいてはいけないのだろう。この研修医の医学的に疾患を追求する態度はまことに正しい。
さて、母親にキレられて動転した若い研修医は
「まあまあ、お母さん、皆さん『うちの子に限って』と言われるんですよ」
とさらに火に油を注ぐ発言をしたらしいから、これはもう何をかいわんや、である。このあとどう収拾がついたかは私は知らない。
このケースは医師側も対人関係の修練をした方がいいかもしれない。
私は、怪しい、と思った時は、未成年には「最後の生理はいつでした?」と聞くことにしている。
結局、研修医と同じようなことを尋ねているのだが、これなら角も立つまい。(ただし、患者さんが不正出血を生理と間違えていると不正確になるのだが)
いくらなんでも腹痛で病院に駆け込んでくる女性の中で自ら妊娠がわからない(またはその思い当たることがない)ほどのケースはとりわけ少ないだろう。
というより、滅多にないと言っていい。
しかし、消化器外科、産婦人科、当直をする内科医、などで冒頭のこの金言を知らない医師はいないだろう。それだけ全国津々浦々にこの格言が浸透しているわけは、おそらく
「若い女性の腹痛は消化器疾患より、産婦人科疾患の方を見逃すと危険で大変なことになる」からだ、ということではないだろうか。
その筆頭は子宮外妊娠だ。
この疾患は全妊娠の約1%に起こるから、それほど珍しくない。が、見逃すと確かに大変なことになる。そのほとんどが卵管で着床して発生するから、元々狭い卵管で受精卵が大きくなるとすぐに卵管破裂する。すると腹腔内出血と激烈な腹痛が起こり、ショック状態になり、緊急手術で処置しないと生命の危険が生じる。
私も当直していて、この危険な疾患に遭遇したことがある。その当直は地方の市立病院だったから、外傷だろうが、腹痛だろうが、子供から老人まで何でも来る。
ある時、若い女性が腹痛というふれこみで救急車で搬送されてきた。腹部全体を痛がっており、顔面は「雪のように白い」のだ。出血によるショック状態+貧血に加え、激痛なので顔色が蒼白になる、子宮外妊娠の外見のわかりやすい特徴と言っていい。
この視診に加え尿中の妊娠反応が陽性ならかなり疑わしい。産婦人科のDrをコールする間ベッドサイドでお腹の超音波をして、卵巣腫瘍などはなく、骨盤の下方に液体がたまっていることが確認された。これでほぼ子宮外妊娠卵管破裂で決まりである。
産婦人科のDrも駆けつけてくれて、快く診療をバトンタッチしてもらって、とてもありがたかった。最近は婦人科のDrがいなくなった市立病院も多くなり、受け入れ先を必死に探さなくてはならない現代と隔世の感がある。
私が医師に成り立ての頃の当直は牧歌的でもあり家内制手工業的であった。
虫垂炎(ちまたではモーチョーといった方が通りがよい)疑いの患者さんが当直時間帯に来られると、一通り診察して、白血球数を調べるため採血する。
採血自体はナースがしてくれるが、その血液を検査室に持参し、医師が自分で調べなくてはならない。検査技師の当直はいないからだ。
現在は自動算定機(カウンター)があるから、血液を機械に吸い込ますだけでよいが、当時は目盛りがついたガラス板とメランジュールと呼ばれる希釈器を使って、顕微鏡をのぞいて実際に目で見て白血球を数える。白血球数はご存じの通り正常者でも幅があるが、虫垂炎がひどくなると、数倍に増えてくる。
慣れてくると、のぞいた瞬間「あ、これは多いな」とわかるようになるが、最初は丁寧にカウントしていったものだ。おかげで、時間がかかりすぎて、おいおい当直医、検査室で寝てるんじゃないか、とナースに様子を見に来られたこともあった。
せっかく血を取ったのに、調べることはそれのみである。現代ならば、増えた白血球のうちわけはどうかとか、炎症反応はどうか、だの多角的な情報がすぐに手にはいるが、あのころは運動会の玉入れではないが、白血球を数えてそれで終わり。それでも、十分役に立ったし、また自分の診断に裏付けがとれたときは嬉しかった。田舎であったためもあるのか、夜は患者さんはぽつぽつしか来ない。医師自らじっくり診察も検査もできたよい時代だったのかもしれない。
医学生は今でも実習でやるのだろうし、大事な手技なんだろうが、私は今は全くできません。
コンピュータで言えば緑の画面にドットの荒い字でコマンドを打ち込むfortranも大学時代使った覚えがあるが、今はウィンドウズだし、自動車運転免許もマニュアルで取ったが、もうオートマしか運転できないし、まあ取得技術というのはそんなものである。自転車と水泳くらいは一生もんだが、それ以外は役に立たなくなるらしく、それは医学の分野でも甚だしい。
外科の世界でもメスで切った張ったの時代から、TVゲームさながらの、ビデオデバイス下の手術が激増した。最初は胆石になった胆嚢を切除するというものから始まったが、虫垂も、脱腸も、胃も、腸も、脾臓も、乳ガンも、甲状腺も、肺も思いつくものなんでもかんでもという時代を迎えた。古い時代の外科医としては少し寂しい気持ちでもある。
産業界において普通、技術革新や進歩というものは人手を減らせることと同義だ。つまり、今までは100人がかりでできなかったことがたった1人の管理でできるようになる。設備投資はともかくとして99人の人件費がカットできる。
しかし、医療だけは違う。
進歩すればするほど人手と時間がかかるようになる。事故を起こしてはならないので危機管理のためにさらなる人手を要するようになり、その費用を考えるとそれだけでここ10数年で数倍ではきかないだろう。
先の虫垂炎で例にとると、当直医が診察して白血球数えて、診断し緊急手術。外科医が自分で腰椎麻酔してナースを助手に手術する。「緊急手術で外来止め」にしておく。ここまでの経過で治療にあたる医療者は二人のみ。
だが、今はどうかというと・・・
当直医が診察し、臨床検査技師「当直」(昔はいなかった)に白血球数を依頼、腹部超音波を検査技師「当直」に依頼(昔はいなかった)、腹部CTを放射線科「当直」(昔はいなかった)に依頼、診断確定するとインフォームド・コンセントが義務づけられており、詳しく手術に関する説明を家族と本人にして、手術同意書をもらう(昔はなかった)これだけの人手と手間がかかる。
さらに待機麻酔医(昔はいなかった)に連絡し、病院到着まで待つ。外科医が勝手に麻酔をかけるなんてもってのほかで、麻酔事故が起きたらそれこそ医療訴訟になだれ込む。ここまでの医療者はナースを入れると6人。
こうした分業化が進んでいる。それだけ医療は高度先進化し、また医療者がしなくてはいけないことも激増した。そのわりには虫垂炎を例にとっても「いたんだところは取り除く」という外科治療法はあまり変わっていない。
もちろん子宮外妊娠も緊急手術することにはかわりない。ただ、現代の医療状況で恐ろしいことは「女を見たら妊娠・・・」と、思って、先のように診断はつけたはいいが、産科医がいないため、様々な病院へ転送依頼の連絡している間に急変してしまうことにはならないかということだ。
繰り返し思うことだが、都市圏はまだまだ恵まれている。道路とダム以外インフラにお金をかけない我が国では、産業振興などの見返りが全く見込めない教育と医療は真っ先に切り捨てられていく。道路を造る費用はあってもだ。それも、最もそれらを必要としている地方ほど顕著だ。教育と医療は荒廃させるのはたやすい。だがひとたび失われると、取り戻すのは並大抵のことではない。
このまま産科医療崩壊が続いていっても、冒頭の格言は語り継がれていくのだろうか?
そのうち指導医は
「当直で若い女性の腹痛が来たら、手に負えないかもしれないから診ずに断れ」
と研修医にいうことにならなければいいのだが・・・。あまり冗談ではなく、すでに・・・という感も強いが。

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誰だって平和が好きである。
平和の反対は?と聞けばほぼ全員の方が「戦争」と答えるだろう。
私も読んだことはないが、誰もがそのタイトルを知っているトルストイの「戦争と平和」が有名なだけにそう答えるのが自然だ。事実「反対語辞典」や大出版社の辞書類では平和の反対はすべて「戦争」になっているそうだ。
だが、「ゴーマニスト宣言」で有名な漫画家小林よしのり氏がその著作でかつて面白いことを書いていた。平和の反対は戦争ではない、と。
平和というのは「争いのない状態」をあらわしているから、平和の反対は戦争ではなく「争乱」か「騒動」を当てはめるべきだ。しっくりと来なければ平和の反対は「不和」でもよい。
もともと、平和と違って、戦争とは状態を表す言葉ではない。戦争というのは「武力行使という外交の一手段」をあらわしているから、戦争の反対は「話し合いによる外交」だろう、と。彼は言っている。確かにこれは説得力がある。
なるほど、反対語とはなかなか難しいし、いわれるまで絶対に気がつかないということはいろいろあるものだ。
私達の領域でも定義をめぐって首をかしげてしまうようなことがある。
健康とは何か、と問われれば、「病気でない状態」と万人が答えるだろう。だが、これでは、「~でない」という語が入ってしまうから定義にならない。
一流の大辞書には健康とは「からだや精神に悪いところがなく、丈夫なこと」とある。
おやおや、言語のプロでも、やはり「悪いところがない」という否定語が入ったあいまいな言葉で表すしかないようだ。
それでは病気とはなにか、ということになるとまたこれが結構難しい。
辞書では「生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態」ともっともらしい言葉が並んでいる。が、これは「健康でない状態」と結語で言っているようにこれすらも明確な定義ではない。あちらを決めればこちらが立たない、まさに堂々巡りである。
白と黒と灰色が実は同じ色彩でただ明度の差のみという事実によく似ている。
灰色はどこからどこまで灰色かは誰もわからず、もちろん灰色にはここからここまで灰色などと決まってはないし、黒と白と灰色との境目はない。
人間の状態に完全健康体はあり得ず、すべての人間が「灰色」の状態にあり、それがより白に近い(より健康)か、より黒に近い(より病気、真っ黒は死)かで決まるようなものであろう。すなわち尺度の問題なのではないだろうか。
でなければ、放っておくと死に至ることがある状態が病気さ、と決めれば簡単だが、死なない病気の代表格である風邪をひいたときはもちろん病気であるし、病気でない状態でいきなりぽっくり逝ってしまう場合だってある。
それなら、生きているそれ自体が病気の状態なのか?
もっとも、このような場合はもともと致死的な不整脈を隠し持っていたか、血管がいつ切れてもおかしくないほどの高血圧であったかもしれず、まさに病気の状態を自覚していなかっただけかもしれないが。
哲学者のキルケゴールは「絶望とは死に至る病である」と言ったが、医学の立場から見ると「生きていることそのものは死に至る病である」と言い換えてもいい。
今年から特定健診という妙な名称のそして理解しにくい健康診断が始まった。今までの健診は薄く広く、体のなんらかの異常をあぶり出すものだったが、今度のは平たく言えばメタボリック症候群にねらいを定めたものだ。
その健診ではまず腹囲を測られる。
くびれたウエストではなく、臍上で測るのでいわゆる洋ナシ型肥満は一発で引っかかる。すなわち、内臓脂肪肥満型だ。男性85cm、女性90cmという基準値以上が絶対条件になる。
なぜそんなに内臓肥満をターゲットにするのだろうというと、糖尿病や高血圧の引き金になると説明されるからだ。
内臓脂肪がたまると、その脂肪組織からインスリンの効き目を減じてしまうホルモンが放出され、その結果体内でのインスリンが効きにくくなる。すると、食事などをして血糖値が上がるとインスリンを大量に作動させないと血糖値が下がらないという状態になる。これを「インスリン抵抗性」と呼ぶ。
唯一のインスリン製造臓器である膵臓はフル回転して血糖が下がるまでインスリンを作り続けるが、この状態が続くと臓器も燃え尽き症候群になって、ついには作れなくなってしまう。これがメタボによる糖尿病の発生と考えられている。
またインスリンには中性脂肪を分解する働きがあり、インスリンが枯渇すると脂肪がさらにたまってしまうという悪循環。さらに、内臓脂肪で重くなった体に血液をすみずみまで送るために心臓は血圧を上げて対処しなくてはならない。かくして高血圧も発症すると説明される。
糖尿病、高脂血症、高血圧すべての成人病の原因はメタボだ!ということでこの健診が始まったという経緯だ。
健診の強力な推進者は「メタボを未然に防げば心血管障害(脳卒中や心筋梗塞)の確率がぐっと減る」と主張する。最近は「メタボ」と短く言うだけでその人の体型を想像できるし、流行語にもなっている。
私的にはこの健診はどことなくスキだらけの気がしてならない。去年まであった「基本健診」と比べると血液検査はすかすか骨抜き版の健診で、目立つのは貧血検査は省略され、尿酸値、腎機能検査もカットである。胸部レントゲンは肺ガン検診と分離され、心電図も省略である。
さすがにまずいと思ったのか、腹囲を測るなどと新しめの項目を盛り込んでみたのだろうか?マジックで使う「ミスディレクション」に見える。ミスディレクションとはマジシャンが本当は見られては困る、つまり秘密の動作を行っている場所から、観客の目をそらさせるためのテクニックで、(たとえば右手のタバコを掲げているときに左手がそっとポケットの中のネタを取り出す)それと同じように新しい項目で煙幕を張ったとしか思えない。腹囲を測ることはお金がかからないから、体のいい経費削減なのだろう。
不思議なことに医療者でも疑いをはさまない向きが多い。そもそもこのメタボは病気なのか、というと医学界でも百家争鳴状態だ。まずインスリン抵抗性を持つ人はもちろん存在する、しかし、いくら調べても肥満とインスリン抵抗性の関連は証明されなかった。ということは、先ほど説明した内臓脂肪原因のインスリン抵抗性上昇による糖尿病の発生は関連が薄いとなると、メタボ状態をほっとくと糖尿になるという理論は成立しない。ということはこの健診は土台から理論的支柱を失ってはいないか?
もちろん健診推進者は目の色変えて反駁するが・・・。
この論戦を突き詰めていくと、どれだけ説明してもらちがあかなくなる。古来より、太ると寿命が短くなる、ということはどの地域でも経験則的にささやかれてきた。おそらくそれは正しいのだろう。
病的な肥満(BMIで35以上)は確かに病気の宝庫だ。だが、いわゆる小太りのメタボは寿命を縮めるか?との問いには人類はまだ答えを出し切れていない。
アメリカで2000年に行われた大規模研究では驚くべきことにBMI25~27のいわゆるやや小太りの人たちが最も生命危険度が低かった。これは裏返すと小太りは長生きということである。中国の華僑の方たちは成功者の大人(たいじん)のあかしとして、みな布袋様のような福々しいお腹(見た瞬間メタボ!)をしているが、これはひょっとすると長生きを徳としている中国ならではの経験的知恵かもしれない。
上の報告を信じると、実はメタボの指導対象になる人たちはほっておいても長生き!?というパラドキシカルな結果となる。
むしろ指導して痩せてしまうと早死にするのか?ということになりかねない。それと似たようなデータで総コレステロールもやや高いという(数値にして240前後)人たちの死亡率が最も低い。お役所は「だから今回から総コレステロールの項目を消したのさ」と言いたいのだろう。最近の研究ではHDLコレステロール(善玉)が高い人は長寿である傾向にある、ことがわかったから、HDLが高く、結果少しくらい総コレステロールが高い人で薬を飲んで下げている人はムダなことをしている可能性もある。
それなら正常範囲っていったい何だろう?ということになる。私は1でも逸脱したら即病的という物の考え方は最もきらいだ。健康には尺度があってその物差しの目盛りは個人で違う。そう考えることにしている。
正常範囲を逸脱すると病的と言うなら、そのエリアにある病気状態が最も長生きであるという逆説はどうも理解しがたい。いっそのこと、健康的な小太りは長生きです、って奨励しようってことになるなら、今回始まったメタボ健診は「国民の寿命を縮めよう」という壮大なキャンペーンかもしれない。
メタボの指導を受け、四苦八苦の努力で解消した結果、国民の平均寿命は一体どうなるのか、その答えは20年ほど待たないとわからない。
本当のところ、どういう健康管理が最も長寿なんだろうという疑問に答えられるだけのデータは、医療者も国民も持っていない。それがわからないから、今年から40才以上の全国民を巻き込んだ壮大な実験をしようとしたのかもしれない。
メタボを解消すると寿命が延びるのか?はたまた縮めてしまうのか?非常に興味深いことではあるが、以前にも紹介した「人はきびしい管理下におかれるとストレスで短命になる」という研究結果もあるのでその指導には非常に悩むところである。
病気だと短命、その反対の健康でも短命。ならば「プチ病気状態」を目指すのがいいのだろうか?

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テゲテゲ、という九州南部の方言がある。薩摩や日向(鹿児島、宮崎)地方の言葉らしい。もちろん、これは祭りのおはやしの音などではない。
「いい加減」という意味の「大概(たいがい)」がなまって「テーゲー」となり、これが重ね言葉になったと聞く。
さて、薩摩人たちはこのテゲテゲをどういうときに使うかというと、なにか事が起こって対処を迫られると、「(そげんせんと)テゲテゲでよか」となるらしい。
彼らは深く厳密に考えないで適当にしておけ、というのだ。(鹿児島県出身の方ごめんなさい)こんな風に「ま、テキトーでいいか」というニュアンスで使うらしい。
薩摩からほんのわずか数百キロも離れていない隣の肥後(熊本)では国人気質として「肥後の議論倒れ」といわれるほど、物事を突き詰めて考るとされる。それでいて自己主張が強いため、決して議論がまとまらない、ともいわれているそうだ。
同じ九州でもこれだけ性格が違うのはおもしろいものだ。
関東人はというとやはりテゲテゲという風土にはないようだが、さりとて肥後人ほど自主独立でもないだろう。
私は薩摩人ではなく関東人だが、このテゲテゲの精神は好きである。
そりゃ性格がいい加減ですからね(笑)
薩摩で思い出したが、長州の大立て者、木戸孝允が西南戦争のさなか病死するが、そのもうろうとした意識の中、うわごとのように「西郷、大概にせんか」と言っていたという。明治政府に武力でもって反旗を翻した西郷に対して「いい加減にしろ」と諭したかった意味だろう。
しかし、そもそも、いい加減、という言葉はもともと悪いことではなかったのではないだろうか?
最近はこの物言いはどうも、ずぼらとか、だらしない、とかそんな悪いイメージもまとう。が、風呂のお湯の温度にしろ、料理の塩味にしろ、「いい加減」はちょうどよい、ということを現していたような気がする。もっとも、味についてはよりぴったりする「あんばい(塩梅)」という言葉があるが。
それにテゲテゲの元となった「大概」は木戸が叫んだ「大概にしろ」という慣用句の元になる。木戸が言いたかったのも、それこそ、西郷よ、もう無茶はやめてほどほどにしろという、中庸をすすめているいい言葉ではないか?
近頃の小学生は体格が立派な子が多い。高学年の男の子などは母親の体重をはるかに超えている(肥えている?失礼!)子もいる。
そんなときは頭を悩ませる。
なぜなら、薬の量を決めるのに、体重で考えると膨大な量になってしまうからだ。
10歳の子供が体重で大人を超えている時などから、大人以上の薬を出さなくてはと律儀に(?)考えるなら、体重180kgある関取には常人の3倍の量の薬を出さなくてはならない。風邪薬ならともかく、抗ガン剤でそんなことしたら、きっと具合が悪くなるだろう。
実は薬の量は体重で決めないのだ。
薬がくまなく体に行き渡るにはどのくらいの濃度が必要だろう、と考えたとき、体の面積に比例することがわかっている。体の面積とは、想像しにくいだろうが、リンゴの皮むきのように皮膚を剥がして平らにした面積だ。(グロテスク!)
ハンターのリビングにおいてある「虎の敷き皮」を想像するとわかりやすい。(いや、わかりにくいな・・・)
これを「体表面積」と呼んでおり、この数値は体の水分がどれだけ蒸発するかや心臓が一回に血液を送り出す量もこれによく比例する。
だから、基本的には薬は体重換算するのではなく体表面積で計算することが正しい。子供は体重あたりの体表面積が大きい。だから、水分保持量にくらべ蒸発しやすく、炎天下の熱中症や下痢などによる脱水になりやすいのだ。大人の量から計算すると体重あたりの薬の量が子供だと増えるのはそのためだ。だが、そこで「巨体の子供」がいたら、大人の必要量を軽く超えてしまう、ということになりかねない。いくらなんでも、大人の量を超えてはならないので、そこで計算を打ち切るのが正しい。
身長が大きく左右される体表面積は、関取ですら、大人の2倍にはなかなかならない(身長2m、体重180kgとしても体表面積は約1.7倍である)から、大人だと常識の範囲の薬量になる。
あらゆる薬は肝臓で代謝(分解)され、薬効を発揮したのち、薬の性質によって、肝臓から胆汁に混じって排泄されるか、あるいは腎臓に回って尿の中に捨てられる。だから、結局はこの二つの臓器の力のあるなしで薬の量は決められる。年齢で小児薬量概算できる表がある(Augsbergerの計算式)というのだが、これは何歳は大人の何分の1の量と機械的に決まっている。体重を考えてきっちりする場合もあるが、たいていはこのテゲテゲ表で間に合う。
だいたい15歳で肝臓と腎臓の能力は大人とほぼ等しくなるということから、高校生くらいからは薬的にはもう大人の仲間入りである。だが、小学生ではまだ臓器は発展途上にある。だから体重がそこそこあってもやはり薬は「テゲテゲ」に加減してしまうものなのだ。
ところが、逆にお年寄りは、血液データ上は正常でも腎臓の排泄能力が若い人の半分くらいに落ちているケースも多く、こちらは体重あたりの薬を減量しなくてはならない。
お年寄りで時に両手で足りない位の種類の薬をいろんな診療科から出され、きちんと飲まれている方もたまに拝見するが、これこそこんな薬漬けでよいのだろうか?と疑問を抱くときもある。私が「テゲテゲ」のすすめをしたいのはこんな時だ。
たとえばお年寄りが転居などで以後の治療を任された時など、薬の数にびっくりしたそぶりを見せず「だいぶよくなりましたね」と血液検査などを見せながら次第に薬をカットしていくこともある。が、大抵は半分くらいに減量しても具合がわるくならない。
もちろん本当に飲まなくてはならない薬はしっかりと服用していただくのはやぶさかではない。
薬を減らされると、不服そうな方もたまにみられるが、そういうときは効果の弱い薬に変えていくと薬の数が減らないので、うまくいくことが多い。そして、また様子を見ながら減量する。まるで「朝三暮四」だが、馬鹿にしているわけでない。いきなり薬を減らすと、医療そのものの信用を失うものだ。薬の減らし方も「テゲテゲ」がよいと思っている。
一方、新生児・乳児ももちろん臓器が未熟で代謝能力は低く、血液に入った薬を排泄できずにいつまでも体内にとどめてしまう、となればやはり投与する量は減らさなくてはならない。
ややこしいことに腎臓もその能力が低く、有効成分を残したまま排泄してしまう(雨漏りが多いとたとえてもいい)から、薬のタイプによっては増やしたり減らしたり、これはテゲテゲではいけないようだ。
生まれたばかりの赤ちゃんやせいぜい小学生までに外科手術が必要な時がある。これらを扱う外科は特殊で「小児外科」という専門科がある。子供は大人のミニチュアではない、薬の量に気をつけろ、とその科で勉強させてもらった際にさんざんたたき込まれた。
インフルエンザワクチンの接種シーズンを迎えつつあるが、体格の立派な12歳の子のお母さんが「この子、もう大人の量ですよね」といわれる方もある。そんなときテゲテゲの私なら、決まりですから、とは突っぱねられず、「確かにねぇ」といいたいところだ。
保護者にしてみれば、2回打つとそれだけ費用がかかる。子供にしてみても、痛いことは一回ですませたいのはやまやまで、親子で意見は完全に一致する。しかしここはたとえ70kgある小学生だろうが、2回うちなのだ。
薬は基本的には体重で換算するが、ワクチンは違う考え方をしている。
下手なたとえ話をすると、
武力テロが市街地に発生したとする。通常の警察力で太刀打ちできず、自衛隊の要請をするだろう。
この場合、テロが細菌、警察力が自分の免疫力、自衛隊が抗生物質にあたる。
市街地の規模、テロ組織の強さで自衛隊の投入量が決まる。大都市なら、大軍が必要で、小都市なら自ずから少なくてよいだろう。
ところが、毎年のように必ず手を変えて、なくならない迷惑な「振り込め詐欺」に対しては、都市が大きかろうが、小さかろうが、大軍の投入や見張りは必要がない。
必要なのは相手の手口を知ることだ。
警察=免疫が手口を知ることによって、先回りして対策を打てることができる。
振り込め詐欺で言えば携帯電話で指示して口座に振り込ませる手口が明らかにされると、電波を遮断する妨害波をATMの前で発射する、などがそれに当たる。
もちろん詐欺師をテロのように一網打尽にしてしまえばいいのだが、それができない。ウイルスはステルスのように細胞のなかに潜り込んでしまうからだ。
大人はインフルエンザウイルスを冬を越した数(年齢)だけ、罹ったにしろ免れたにしろ、ウイルスの手口を覚えている。だから、来年の手口を予想してその情報(ワクチン)を一回だけ送り込めば、その情報を今まで対処してきた担当細胞が「ん?見たことあるような手口だ」と認識できるのだ。
しかし、冬を越した回数の少ない子供は手口を警察がまだ知らない。しかも、一度、情報を注入しても、「なんだ?これは?見たことがあるような、ないような」とそれが大事な情報であるということを免疫細胞が認識しない。
時間をおいてもう一度打つと「ああ、これがそうだったのか」と、急いで対策を立て始める。12年というのは、「もう免疫細胞も一人前だろう」の一応の区切りなのだ。だから、体重(町の大きさ)はあまり関係ないということがおわかりだろうと思う。
テゲテゲのようでいて、実はそうでない。
それが、医療の理想だろう、と思うし、理屈の裏付けのあるテゲテゲがもっともよい。
そもそも対象となる人間こそ個人差の振り幅が大きく標準がない。医療の神髄である「さじ加減」とは言い得て妙といえる。
テゲテゲの生みの親、おそらく薩摩人もそうなのではないか。
今年人気の大河ドラマ「篤姫」を見ると、倒幕して明治維新の牽引車となった薩摩は国あげて真性の「テゲテゲ」なら、あれほどの大事業を成し遂げられたはずがないのだから。。

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ニュースなどや政治番組を見ると出演している大物政治家の肩書きに違和感を覚えることはないだろうか?名前の後につける元・ナニガシというあれである。
さすがに、「元首相」は座りがいいのかあまり気にならない。せいぜい元・行革担当相、ぐらいならまだ国務大臣だから許容範囲だ。
が、ただの自民党内の役職である元・政調会長とか、これはあったかどうかわからないが、元・幹事長代理とかになると、それってかえってその政治家をバカにしているのか、とも思ってしまう。
幹事長代理なんて、なんの公的な役職でもないし、政治家たるものそんなもの名乗って嬉しいのか?ましてや「元」でしょ。政治家のお歴々はそんな得体の知れない過去の肩書きを本当に言ってもらいたいのだろうか?
なんで、ただ○○氏と言わないのか不思議でならない。政治家以外だったら、きっと職業+○○氏と紹介されることだろうから。
いいではないか、衆議院議員、○○氏で、と思うのだ。その方がどれほどの人だかはコメントをしゃべるのを聞いて、見てる方で判断するから、肩書きはいらんのと違うだろうか?
と思えば、医師だの大学勤めのメディア出演者も似たようなものである。
現役ならそのままで、たとえ退職していても、何々大学・名誉教授 ○○博士と非常に重々しい場合が多い。コメンテーターとしてそう書いてもらうと、発言に重みを増すと考えられるのだろうから、存外政治家の肩書きもそんなところかもしれない。
日本人は肩書きや家柄血筋にめっぽう弱い国民なのだろう。
逆に名前だけ、という文化に慣れていないのか、報道でも、なんとか容疑者、なんたら取締役、とどうしても名前の後にくっつけたがる。
確かに会社でもどこでも、直でも名前を呼ばず、「部長」「係長」ですましてしまうものだ。うちわで呼び合うときはともかく、報道ではすべて取っ払って一律「氏」ってわけにはいかないのだろうか。Mr.(ミスター)とか、Ms.(ミズ)ですませる英語圏のように。
名前を呼びつける、という風習は実は明治時代まで日本になかった文化のようだ。
諱=イミナといって名前は目上(主君)・両親のみ呼ぶことができるものだった。
明治になり、通り名を廃止し、一つの名前で統一するようにという法ができてからは諱は消滅したが、明治を見ないで死んだ志士達は当然両方の名前を持っていた。
坂本竜馬も直柔(なおなり)という本名をご存じの方も少ないと思う。大塩平八郎も本名は後素(こうそ)で大塩後素なんて誰だかさっぱりわからなくなる。
また、大名や奉行などの高級武家達は官職でもって名を呼ばないようにした。これは現代の「社長」だのに相当するからわかりやすい。
たとえば忠臣蔵の浅野、といえば内匠頭(たくみのかみ)だし、ドラマの大岡、といえば越前守(えちぜんのかみ)だ。遠山といえば左衛門尉(さえもんのじょう)だ。
あれ?遠山は「金四郎」じゃないの?と言われるだろう。そう、金四郎がそれこその「通り名」で、友人や同輩が呼んでいい名前で、本名は「景元」でだれも本名を呼んではいない。
このめんどくさい制度は元はと言えば中国の風習である。こちらはもっと徹底していて、8代前までの父親の名前を避け、まして実父の名前はそれこそ書いたり、口に出してもいけなかった。
唐代屈指の詩人・杜甫(とほ・712~770)の父は杜閑といい、そのため膨大な詩を残している杜甫の作品の中に「閑」という字はただの一文字も残されていない。父親の名前を避けたためだ。
しずか、という意味は詩にとっては大切な漢字だろうに、と思うのだが、大詩人杜甫にとっては閑の字を使わないくらいはおやすい御用だったのだろう。
ところで、名前が呼べないのでは実生活で不便きわまりないので、誰が呼んでもよい日本では通り名に相当する、字(あざな)が古代から中国では存在した。
三国志で活躍する軍師・孔明はその中でも最も有名なあざなであろう。(本名は諸葛亮)
名前が持つ呪術性は霊的な存在でその人の魂と直結しており、「名を呼ぶ」ということはその人自身を支配すると考えられていたため、主君や両親以外は呼んではいけないとされていたようだ。
ところで、諱とは全く異なる話だが、病気で人名がついているものが多く存在する。病名には何かしら人を威圧するものがある。それが人名がついたりするとなおさらだ。たとえば実質は自己抗体による「甲状腺機能亢進症」である「バセドウ病」は非常に有名だが、なんだか難病のようなイメージを与える。
余談だが英語圏ではバセドウ病は通用せず、英国人研究者でこの病気を報告したグレイブス病と呼ばれる。ドイツ医学の流れをくむ日本では一般的にバセドウ病が優勢だ。
人名をつけるとその研究者を顕彰しているのだろうが、ややこしいことが生じてくる。
原田病という眼科疾患がある。目のメラノサイト(色素細胞)が攻撃される自己免疫疾患だが、後に他病と考えられていた、「フォークト・小柳病」と同じ病気ではないかということで、病名が合体して現在では「フォークト・小柳・原田病」と言われている。
こんな長い病名をいきなり告知されたら、一体全体どんなびっくりな病気にかかってしまったのだろうと患者さんは不安になるのではないか?
それに全くわかりにくいし・・・名前をよせ集めて合併させるくらいなら、その病態を現す病名に変更してもいいのではないかと思う。たとえば色素細胞炎症候群とか・・・(それもよくわからんかな・・・)
また小児科領域で有名な「川崎病」(世界的にKawasaki disease:KDで通用する)がある。
これを川崎→工業地帯→煤煙→喘息→小児喘息の病名と勘違いされている方もある。喘息とはなんの関係もない血管の炎症主体の赤ちゃんの病気なのだが、もっともな話で公害病である水俣病、四日市喘息がその地名からとっただけに紛らわしい。
そこで、初めてこの病気を報告した川崎富作博士のフルネームで「川崎富作病」にしようという動きもあったが、日本のみ混乱しているだけなので、すぐに絶ち消えた。
余談だがどっちかというと世界では工業地帯・川崎よりKawasakiはホンダと並んでバイク・メーカー名で有名だ。だからKawasakiと発音すれば「おお、あのバイクの・・・するとJapanか」とすぐにわかってくれる。
今はその呼称は消えたが古い方なら覚えていらっしゃる「らい病」(現ハンセン病)と小児で劇症肝不全になる「ライ症候群」(人名)は当然全く別の病気である。
最近はクローン技術が発達して、いろんなメディアにもクローンなる言葉がよく使われるようになったが、複製細胞やその遺伝子を指し示すその言葉と全く無関係の難治性腸炎である人名「クローン病」がある。全くもってややこしい。
確かに昔からよく見られた病気ではなく、専門的に診て「これはちょっと違うぞ」という病気を集めて研究して世界に知らしめることは偉業である。過去からずっと見逃されてきた疾患群を新たに定義づけるのだから、その業績を残すためにその病気を研究者の名前で呼んでしかるべきなのだろう。
それは人類が病原菌を探し当てて、それらが引き起こす病気の原因だったとわかったとき、発見者の名前を細菌につけてきたように、当然のことだった。
だから、と言うわけでないが、名前のついた病名には以前のようにどうして「氏」をつけないのだろうか?と私は考えてしまう。
先ほどから出てきたバセドウ・原田・ハンセン・クローンみな最初はバセドウ氏病、原田氏病、ハンセン氏病、クローン氏病とついていた。これなら「ああ、研究者の名前だな」と一目でわかるし、クローンとクローン氏病が関係ないこともわかる。
1970~80年代にかけて、日本語表記では「氏」を取っ払う傾向が始まり、現在ではご存じのように氏はまるでついていない。どうしてなのか?
推測の域を出ないが、ドイツ医学を学んできた日本が最初人名+病を翻訳するとき呼び捨てにするのは心苦しく「敬意を表して」武士の家名尊称である「氏」を入れたと思われる。それが現代、次第に古くさく感じてきたのではないだろうか。
原病名ではMr.(ミスター)もDr.(ドクター)もついていないから、呼び捨てでかまわないんじゃないの?最近は女性研究者いっぱいいるし「氏」は変だろうよ、と思う向きもあってもおかしくない。かくして病名からみな氏が追放されたと私は考えている。
政治家がメディアに出るときだけは沢山肩書きや尊称をプレゼントするのに、病名の「氏」をけちって混乱のもとにするのはどうなんだろうかと思う次第である。
もっとも、私個人としては人名病名は私は一般の人にわかりにくいし、難病イメージが払拭できないので、病態病名に統一し、その上で(人名+氏+病名)を付記し、研究者に敬意を表するのはいかがであろうか?・・・と思ったら、不都合が生じた。
今度は川崎氏病はむしろ川崎市病にいよいよ間違えやすくなりさらに喘息と混同されるかもしれない。原田氏病は腹出し病と間違えられるようになってしまうのではないか・・・(そんなことはないか)
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ついに現れてしまった豚インフルエンザ*。これはただごとではない。まだ遠い異国での出来事で「対岸の火事」とばかり、日本ではどことなくのんきな風情があるが、とんでもないことである。
報道された事実と感染の拡がり方を聞けば、WHOのパンデミックレベルは発表されているフェイズ4からフェイズ5にしなくてはならない(4/28現在)
メキシコで発生した1000人以上の感染者はどう見ても今までの鳥インフルエンザのごとく封じ込められておらず、瞬く間に拡大している。そのうち死者が60人強(さらに増えて120人を越えた、4/28)という確率は感染者対死亡者を見ても毒性が高いと言わざるをえない。
強毒性の新型インフルエンザ、人→人感染、が成立しているにもかかわらず、彼の国の経済的影響を憂慮してWHOの勧告がフェイズ4で止めているとしたらそれはメキシコにとっても角を矯めて牛を殺すことにならないか?(はちょっとニュアンスが違うか・・・)
フェイズ5になると感染源となった国は水路、陸路、空路すべて封鎖されるうえ、(フェイズ4だと封鎖はなく、実際WHOも封鎖はするなと及び腰の通達を出している。)経済活動などもってのほかで、国内の移動すらままならなくなる。
我が国でも感染者の出現次第で国内の移動制限やイベントの自粛が行われ、ゴールデンウイークを迎えているのにかかわらず、もしこのような事態に陥れば、経済浮揚にとってとんでもない冷水になる。それらをふまえてWHOがフェイズをあげられないとしたら、(外国にはGWは関係ないだろうが)組織としての役割を果たしておらず、本末転倒である。パンデミックを甘く見ては絶対にいけない。
発生したメキシコでの死亡率は高い。しかし、今のところ他国に持ち帰りでの感染後死亡の報道はないが、それは一体なぜか?
発表された豚インフルエンザはヒトで流行しているAソ連型H1N1型と同型とされている。だから、発熱と同時にタミフルやリレンザなど抗インフルエンザの治療を開始すれば、致死的にはならないのだろうか?
もし、そうだとすると国内発生の折、それら抗インフルエンザ薬を求めて、パニックが起こることは必定である。
国はいまこそ指導力を発揮して、徹底管理と啓蒙を進めるべきではないだろうか。怖いからと言って、予防投与とか、そのような愚行は十分避けるべきだ。それは私が再三、申し上げているウイルスの耐性化を防ぐためだ。
とるべき手段は感染者が発生したら徹底的な封じ込めを行い、拠点病院をすぐにでも指定し周知させる。決して、自由にクリニックや指定以外の病院の受診をさせないことだ。感染の疑いはすべて拠点病院で行わなくてはならない。病院では免疫力が低下した患者さんが集まるため、感染をばらまいた場合、ほかの病気を持つ人の致命傷になる。隔離や無菌室、高圧ルームが稼働できている病院以外は診察さえしてはいけない。当クリニックも年中無休だが「閉院指令」がくることになるはずだ。
今は情報が少なすぎて何も確実なことは言えない。ただ、メキシコと人口密度が雲泥の差の日本、特に東京・埼玉都市部で一人でも感染し、体調の衰えない潜伏期に移動しウイルスをばらまけばすれば、インフルエンザの感染力の高さから試算通り数時間で数万人単位の感染者を生むことになる。それはこのタイプに免疫をもつ人がいないという前提のもとだ。
ただ、Aソ連型類似というのであれば、ワクチンがある程度効いているのかどうかで、感染ブロックできうる可能性は残ってはいる。もちろん、ワクチンをうっていても、インフルエンザに罹ってしまうことは、皆さんもよくご存じのことであろう。
豚インフルのワクチンも製造ラインをフル回転して作っても、おそらくヒト感染を繰り返していくうち、ウイルスはどんどん変異して、今このウイルスを元に作ったワクチンも国民に出回る頃は役に立たなくなるかもしれない。しかし、このまま強毒性を保持するとは考えにくい。それは、ウイルス変異を繰り返すことによって、次第に無毒化し、死亡率が減っていくこともまた事実であるから、痛し痒しといったところだろう。
大変気になることに壮年者の死亡率が高いことだ。以前、コラムでも触れた、体内の免疫機構が強ければ強いほど、体にとっての毒素が強く反応する「サイトカイン・ストーム」という状態が考えられる(「アステカはなぜ滅んだ」参照)強毒性の変異インフルエンザ感染症は大抵このような形をとって発生することが多い。
20世紀初頭、全世界を巻き込んだスペイン風邪も数ヶ月で甚大な死亡者を発生させた。この時も、若年者の死亡が目立ち、今回の豚インフルエンザと酷似している。拡散するのか?収束するのか?ただ一ついえることは、スペイン風邪の時と違い人間の移動速度と数が莫大に増加している。無処置ならあっというまに蔓延するだろう。しかし100年前と違い、人類は衛生学を進歩させてきた。いまこそ人類のその叡智を結集して、危機を乗り越えるべきだ。日本の政治家もこんな時くらい党利党略を全く考えずに、国会議員として国民の生命を守るためにしっかりと舵取りをしていただきたい。
国の対策やマニュアルが緊急会議で状況に合わせて次々に発表になる予定だという。が、私はいつも思うに、後手後手でしかも泥縄方式なのではないか?ということだ。このような状況がいつか必ず訪れるということはSARSや鳥インフルで大騒ぎしていた頃からわかっていたはずだ。単純にフェイズ4および5になる状況において、各クリニックに水際でどうするべきかすぐに通達してほしい。
先ほど、「メキシコ以外感染者の出ている国からの帰国者で、当院でA型インフルエンザが発生したらどうするべきか」を保健所に問い合わせてみた。従来のA型インフルエンザか豚インフルエンザか区別がつかないためだ。
メキシコからの帰国者は空港に留め置かれるので、それ以外の発生国からの帰国したケースが悩ましい。実は当クリニックでは鼻からスティックを入れる迅速診断しかできない、(というか大学病院クラスでないとどこでも無理である)今までの普通のA型インフルエンザと新型インフルエンザはどちらも陽性と出る。始末におえないことに、豚インフルエンザではこの迅速キットでは陽性率が低いという話も出ている。
実はPCRと呼ばれる遺伝子増幅検査をして、ウイルスの遺伝子診断をしなくては豚インフルエンザかどうかわからないのだ。
保健所の回答は「今厚労省で緊急会議中です。一両日中には通達がくるはずです。それまで待ってほしい。」といわれてしまった。
しかし、このくらいのことは、新インフルエンザ発生の際、十分想定の範囲内だったのではないか、と私にも思えるのだが、いかがだろう。
とにかく情報が少なすぎてよくわからず、私も想像でしかものをいえない、ところがもどかしい。心配しすぎであろうか?
いや、私たちは常に「最悪」の状態を見逃さないように訓練されている。何をみても「ガンではないか」という疑いを持つように指導されてきた。そうでない、とわかるまでは監視を怠ってはいけない。それと同じように、今回のことも心配しすぎてもしすぎるということはない、と思っている。
もし、豚インフルエンザが蔓延せず、しょぼく終わってしまって「あいつ、大変大変って言ってたっけ、しょうがねーなー、騒ぎすぎだよ」と言われてもいい。杞憂に終わってもかまわない。
マグニチュード7クラスの地震は必ず周期的にやってくる。だから、何十年も関東に大地震が来ないからといって、「備えなんかいらないよ」という人は一人もいないだろう。インフルエンザのパンデミックも全くそれと同じだ。必ず周期的に発生する。
開高健氏の初期の名作「パニック」ではインフルエンザではないが、ササの実が120年ぶりに大発生し、それに伴い豊富な食料を得たネズミの大群が人間を襲う、その「パンデミック(?)」の警鐘を初期の段階からずっと鳴らしていた一地方公務員を主人公にした小説である。一つ一つのネズミ大発生の兆候を時系列に積み重ねを描き、それでいて主人公が何度危機を訴えても「いざ、ことが起こる」まで当局に放置され、ついに大「パニック」に至る。
開高氏の抑制をきかした淡々とした筆致がむしろ恐怖感を増す。
現在でこそ、パニックもののハリウッド映画の原作が目白押し状態、また我が国でも亜流の小説が氾濫(小松左京氏「日本沈没」が不気味な前兆を繰り返し書くという同じ手法で大成功している。西村寿行氏「滅びの笛」はネズミの大群が襲いかかるというまんま設定だ)しなにも珍しいスタイルではないが、「パニック」が上梓されたのは1957年とほぼ50年前である。不勉強でなんだが、このジャンルの小説の嚆矢ではないだろうか。短い作だが人間の無力さが浮き彫りにされ、名作だと思っている。
豚インフルエンザがこの「パニック」のような、後手に回って、人類の無力状態を思い知らされることにならないことを願っている。
*豚インフルエンザ:その後、新型インフルエンザと呼び方を変え、2016年現在では季節型インフルエンザとしてH1A1pdm2009と言われる。治療は毒性が低いため通常と変わらない。

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医師による新書本が最近多く出版されている。
医療崩壊、先進医療などキーワード検索すればまさに百家争鳴、百花繚乱などという状態だ。
不勉強な私としてはそれらのジャンルについて、ぱらぱら立ち読みするたびにふむふむ、もっともなことだ、とかうーむ、さもありなんと独りごちている。最近大きな書店ではコーナーに椅子が置いてあり、ぜひ座り読みしてくださいとばかりなサービスもあるので、ついつい数冊抱えて、それではお言葉に甘えて座り込むことも多い。
話は脱線するが、書店に喫茶店が併設してあり、そこでは飲み物を注文すると、売り物の本を持ち込んで、読んでいい、というところにあたったことがあり、それにはさすがにびっくりした。
読んでしまったからといって買わなくてもいいらしい。もちろん、飲み物や手垢で汚してしまってはいけない。出口には図書館の返本棚のようなものがおいてあり、「読み終わったら、直接書棚に戻さずこちらへ」と書いてある。
こんなこと(図書館もどきのこと)をしていて本の売り上げは大丈夫なのだろうか、といらぬ心配をしてしまったぐらいだ。最近は漫画本はすべてビニル包装されているが、私の幼少の頃はむき出しで、立ち読みされ放題だった。そこで、書店の親父は悪ガキたちが来ると、はたき攻撃をかけ追っ払っていたが、なけなしの千円札(もちろん見せ金)を握りしめ、それで買うふりをしたり、身をよじってはたきをかわして、いかにしてタダで読み終わろうかとガキ対店主親父攻防戦を繰り広げていたので、図書館もどきサービスは実にうれしい。しかも、生まれついての「ながら族」の私にとっては飲食禁止の図書館より、本を読むに当たってむしろ「もどき」以上の環境かもしれない。
冷静に考えると、本屋は返本ができる(再販制度というらしい)ので、売れないままならともかく万引きされては、目も当てられないのだろう。さらに買ってもらわぬまでもコーヒー代を徴収すれば損もわずかながらだが取り戻せる。
そして、手に取られ棚に戻される本を調査すれば、どの年齢層がどの本・雑誌を好んでいるかを知ることができる。コンビニの売りもの調整のように、常に売れるものを店頭に出しておけるから、どの本をより入荷すればいいかのデータになるのだろう。そういうことなら私は協力を惜しまないつもりだ(笑)
かなり脱線してしまった。
さて、こうした数少ない私の趣味である読書を続けているものだが、やはり書店で医師の書いたある本を読んだとき(当然立ち読み)、むむむ、これは、と思ったことがあった。
そこでは「医療崩壊だの医師偏在だのかまびすしいが、医師にも責任がある。特に最近は現役の医師が小説や随筆を書いて、書店を賑わしているがとんでもない!そんな物を書く暇があったら、現場に貼り付け!現場に戻れ!そうすれば医療崩壊なんかなくなる。研究者は患者のために研究をし続けろ、一級の医学論文を読め。勉強し続けろ」と書かれている。
私は腰をぬかしそうになった。それじゃ、それを書いているあんたはいったい?
とつっこみたくなり、読み進むと、
「私は一線を退いて、臨床からリタイアしている。それからなら、好きなことをしてもよい。事実、私は現役時代は小説など一本も読まなかった。」ということだった。
さようでしたか。それは、ようございました。
私はこういう説には到底ついていくことができない。どの職種でもそうだが、ご自分のスタイルを強要したがる御仁がいるものだ。特に医師を含め、職人系の職種に多いが。
このような、精神論に言及されると、私のような半端で軟弱な医師でも、不服であり、譲れない一線でもあり、たぶんどこまで議論してもも平行線であろう。
そもそも、寝ても覚めても、仕事のことばかり考えることができる人はいるにはいるだろうが、その姿勢が仕事にプラスにはたらくのはさらに鉄のような精神を持つ希有な人種だけだと思っている。
その道を極め、天才と称される人でも、おそらくクールダウンする時間は必要であり、また俗に言う「気分転換」が一切いらないのであれば、よっぽど本職が集中力を必要としないユルい仕事なんだろうといいたくなる。
24時間戦えば戦うほど、集中力は途切れる。特に医療は集中力の喪失がミスを呼び、ひとたび患者生命に及べばマスコミから「医療ミス」と断罪され、患者医師双方の命取りになる場合が多い。
読書は数多くの人生を疑似体験できる大変貴重なものだ。医師なんて、引きこもりがちで行動範囲も狭く、まとまった余暇もとりにくいので、世間の動向にうとく物事の見方も狭まってしまう。一度しか経験できない人生で、すでに医師となってしまった私の知らない世界をかいま見せてもらえるのは読書だけである。私にとってはささやかな趣味だが、医師たるものはそんな小さな欲すら封印しなければならない、と切って捨てるように言われてしまうと非常に悲しいしとまどってしまう。
この御仁に聞きたいのだが、社会的常識やら人とのつきあい方、人の心の動きなどを洞察することは読書せずに手に入れろということだろうか?
これらは自分の経験だけでは身につくしろものではない。それらこそ、臨床の現場で一番最初に必要なことではないだろうか?それは医学部受験前と大学時代にすべて取得しろということか?はっきりいえることだが、20代前半まででは到底無理だろうなぁ。10代には10代の読むべき本があるのだ。
私の小学生の頃は、読書と言えば江戸川乱歩とアルセーヌ・ルパンとシャーロック・ホームズばかりだった。文芸作品を読むのは悪名高い夏休みの宿題定番の読書感想文を書くためにだけ、といっても過言ではない。しかも、私にはつまらなすぎてどうにも読めなくて、困ったあげく巻末の「解説」だけ読んで、適当に宿題を済ませたこともある。
文芸作品は「どこが面白いんだかわからない」状態で、その結果、健全な精神は育まれることなく、さらに中学生になると日本のものにはあきたらず、黄金時代と呼ばれた戦前の海外のクライム&ミステリをかたっぱしから読みあさった。特に好きだったのがエラリー・クイーンで、おそらく当時手に入る物はほとんど読んでしまったと思う。私はこれらと漫画しか読んでいなかったんだから、かなり脳の情緒系の発達は遅れていたに違いない。まあ、自然科学の本は好きで読んでいたことはあるが、ストーリーがあるものはすべて一般の目から見たら「ジャンク」なものばかりだった。
それでも、高校に進んでからは、さすがに漫画とミステリだけでは友人たちと話が合わなくなるので、意地と見栄で今まで毛嫌いしていた文芸・大衆作品を読み出して見た。
精神の発達と本のマッチングはきっとあるのだろう。あれほどつまらなかったと切って捨てたジャンルを試しに数冊読破して目から鱗が落ちた。
未熟な私でも、「感動した!犯人と名探偵がいなくっても、絵がなくてもこんなに面白いんだ!(笑)」と絶叫した。それからはいろいろそれこそかたっぱしから、がつがつ読み始めた。
世のお母さん方、漫画とミステリだけ読んでいる小学生がいても「犯罪者にならないだろうか」とか、心配ご無用です。かならず、時期が来れば、なんか肥やしになるようなものを読み始めます。
だけど、どうかな、昨今の携帯ゲーム世代はもともと活字文化に触れていないので、ずっと本を読まないままかもしれない。どうなるかわかりませんが・・・
読書はその年その年で、また個人個人でフィットする本が違うだろう。10代ならそれ、40代ならこれ、また君はそっちだが、自分ならあれ。決して万人に当てはまるものはない。20代から60まで、現場にいる医師にだって肥やしになる適正の本は必ず存在する、と信じたい。
話は変わるが、医師の精神論者のなかで不可思議な意見を吐く人もいる。
曰く「外科医は結婚するなとは言わないが、外科修行中は結婚してはいけない。」と言うやつだ。意外にも同調する外科医は多く、根拠はどこにあるのかというと大概はご自身の経験談からものを言っている。
たとえばある本には、自分が休日救急当番の時、緊急手術を必要な患者が来院したので、上司をコールしたが捕まらない。ポケットベルや携帯がなかった頃の話だ。やきもきしながら、待っていると夕方家族サービスから帰ってきたその上司は疲れたのか気乗りしない態度でオペに臨んだと言う話。家族がいるとそれに引きずられ、本業がおろそかになるようだ、といいたいらしい。私には単にその上司が緊急時の連絡手段を明らかにしない危機管理に問題のあるキャラクタのだけだったように思えるが。この医師が「独身で遊び回っていて、休日に捕まらなく」に置き換えてもなんらおかしくない。
医師は「これこれこういう条件で、このような方法で治療したら、そうでないものとこれだけの差が出た」という医学論文の書き方を教えられる。同じ条件の症例を少なくとも10くらいはそろえていなくてはならない。決して「一つうまくいったから、これが正しい」と書いてはいけないのだ。
家族サービスをする医師は何万人もいよう。その医師たちが、ある一定の確率でそうなら、この御仁の言うことも一理ある。しかし、一人の上司の行動をとらえて、敷衍して家庭を持つな、というのは、全く医学的思考回路とはかけ離れているのではないか?私は逆に家族に優しいドクターほど、同じようにしっかり患者さんを診るような印象を受けるのだが・・・
家族を持ったり、子供が生まれたりした医師の論文数や緊急手術数が激減したとかいう大規模な調査結果でも持ってくるならともかく、自己の狭い見聞の中だけで、それもたった一人の経験でものをいうのはいかがなものか。
読書はそう言った視野狭窄を改善してくれると私は思っている。広く見聞を求め、自分の頭で考えることが人間を人間たらしめるゆえんであると考える。
今夏、衆議院選挙が久しぶりに行われる。争点は明らかでなく、この閉塞感あふれる日本の舵取りの「政権担当党」選択選挙となろう。私は各党のマニフェストをじっくり読んで投票したい。そう、これとて読書の習慣なくば、つまらなすぎて読む気にもならないだろう。いろいろマニフェストに対して批判はあるが、ここでは詳しくは触れない。賛同できる点とできない点がどれもこれも混在しているが、使える票は一票だけである。全面的に賛成できなければ、票を分割できるとありがたいのだが、そうもいかないようだ。
私は医師である前に一国民である。今までも、社会人になってからは大学勤務時代をのぞいては国政選挙には必ず投票していた。地方に出張していた勤務医時代は日曜日はなにが起こるかわからないので、大抵はオペのない日の昼休みに事前投票をした。地方病院だと宿舎は病院のそばに住んでおり、大概投票所は病院近くの小学校であったから、歩いて行けたものだ。大学勤務の時は忙しく行けないこともあったかと思うが、国政選挙ですら投票率が60%前後と聞くとなんともったいないことかとなげいてしまう。
投票に行かなければ世の中は絶対に変わらない。今が不満であればあるほど必ず投票に行くべきである。皆さんもぜひ投票へ行きましょう。
それが私が読書で身につけたほんのささやかな「社会的常識」である。(私は結構しつこいようです)

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
以前、20年後というシリーズを記していたが、今後「10年」ということをぼんやりとりとめもないことをお正月に考えていたら、なにやら落ち着かなくなってしまった。
アニメ「サザエさん」は永遠に時間の止まった世界のようで、10年と言わず、かなり長い間いろいろと昭和のレガシー(遺物)を見つけることができる。
黒電話・ちゃぶ台・TVのない一家団らん食事風景・三河屋さんの御用聞き・波平さんの丹前・フネさんの割烹着などなどである。
今の子供たちでもこんなサザエさんの、まるでよその国の不思議ものぶりを見ても、どこも違和感を感じることなく、すんなり入っていけるのが面白い。
畳もない家も増えているが、おそらく、おじいちゃんおばあちゃんの家がこの昭和30年代の文化住宅という世代なのだろう。「サザエさんちって、田舎のおじいちゃんのおうちみたいだよね」というお子さんが多いかもしれない。
このころは高度成長とはいえ10年後も「まあ、ウチの中は変わんないだろうな」といったとしてもあたらずとも遠からじ、だったのではないだろうか。
しかし、翻って今を考えると、10年後も残っている、家の中のアイテムはなんだろうと考えると、少し首を傾げてしまう。
私の机回りから見渡してみる。
私の好きな音楽でもビートルズを始めとしてオールド・ロックというジャンルは残っているだろうが、まずCDは消えうせるだろう。
CDの店頭販売でもアマゾンでも郵送はなくなり、おそらく新譜も旧作もダウンロードになるに違いない。対面販売の必要は人件費のコストからなくなるはずだ。映像面もDVDすら残るかどうか怪しい。10年はぎりぎりだろう。
次世代メディアのブルーレイ・ディスクだってわからない。もっと大容量のものに取って代わられているかもしれない。
現金もなくなるかもしれない。通貨発行は国のシンボルだから、お札そのものなくならないかもしれないが持って歩く必要はないかも。
交通系マネーもかなりの店で使えるようになってきた。これとクレジットがあれば、外出にはお札もコインもいらないのでは?
プリペイド方式のカードが釣り銭のわずらわしさを解放しているのだが、こうなってくると困るのは災害義援金入れと神社の賽銭箱くらいだろうか?
固定電話、これも消滅するだろう。もっとも地デジに移行する際、アンテナを立てず、光ファイバーを使うのなら、生き残りはありかも。
いや、まてよ、地上波なんていうコンテンツは残るのか?コマーシャル収入によって立つ今のTV業界はネットに完全に押されている。画期的な収入源の転換策を考えないと、先細りになるのは明らかだろう。
そうそう、ネットでさらに思い出した。
新聞も消えるだろう。印刷・宅配コストを考えると、ネット配信の方がはるかに優る。記者は作文のプロだから記述者として残るだろうが、おそらく、記者が現場でリアルタイムでヘッドライン記事を打ち込み、アップする。それはソッコー無料配信にしなくてはなるまい。
そして、それを読んだ読者が詳細や論評を知りたい場合は料金を払って契約者のみ閲覧できる方式でネットメディアとして生き残るしかないのでは?
同じように週刊誌・文庫も消えるだろう。国民すべてといっていいほど携帯電話が行き渡った。ミニPCマシンと化したiphone(ネット+電話+メール+PCアプリ+デジカメ+映像端末)を皮切りに、もっと機能の優れた端末が普及するかもしれない。そうすれば、その端末に電子図書としてダウンロード、タッチパネルが一般化しているのでページをめくるようにさわれば本のようで違和感は少ないだろう。読み終われば一発デリートするだけだ。大量にたまった「雑誌ゴミの日」に古雑誌を縛る手間も省ける。
今まで私がさんざ恩恵を被ってきた紙文化はすべて電子に代用される日も近いかもしれない。もっとも高機能になればなるほどネックとなるのが電池問題だ。高パワー長時間の携帯電源が開発されないと今のままではフル充電しても、起動時間はどんどん短かくなってしまう。まあ、それもソーラーだとか、もしかしたら、昔あった「自動巻腕時計」(振動で針が動くゼンマイを巻く)みたいに歩くと充電される電池も開発されるかも(それはムリかな?)
端末を持たないものはどうしたらよい?メディア難民になることは間違いない。私にとっては時事風俗についてはそれでもかまわないが、本が読めなくなるのはちょっと困るかもしれない。
すると、私の机周りのものはすべてなくなる、本棚も、CD・DVDケースも固定電話も、何もかもだ。机の上にはPCとキーボードがちょこん、あとは携帯の端末充電器、という殺風景なことになりそうだ。まあ片づけが苦手な私はそれでもよいが・・・あ、ひげそりは残ってるようだ(笑)
それでは、医療界は10年後どうなるだろう?
かつてこのコラムで愚作「20年後」というショート・ショートを記したが、あれほどは診療が殺風景になろうとは思えない。
人間の進歩などはゆっくりだろうが、想像もつかない画期的な診断機器や治療機械ができるかもしれない。いままで医師としての地道な研鑽や修練が一発で帳消しになるくらいのものでも誕生する可能性はあるだろう。
10年医師として頑張ってきて能力アップしてきたのに、今年卒業したばかりのフレッシュマンが最新機器を使っての診断能力ともしも同じとなれば、診察に力が入らなくなるのもわかろうと思う。
が、そんな風潮を嘆いてか、
最近の若いDrはなんでも検査検査に頼ろうとする。それではいけない。古典的な診察ありき(理学的所見という)で、それをしっかり見極めた上で必要な検査をオーダーすべきだ。
という、大学病院や基幹病院での指導医のぼやきがあちこちでよく聞かれる。
全く最もなことで、それは間違っていないと私も思う。
が、このことに関連しての論争が医師掲示板で行われていたのが、私には興味深かった。
真っ向から反対意見を述べる者が現れた。
診察(=身体所見)というものは診るものの個人によるトレーニングの差であいまいきわまりない。そんなことを金科玉条とするよりも、なにか疾患を疑ったら、画像(=レントゲン写真やエコー、CTのたぐい)を残せ。画像を見るトレーニングはすればするほど伸びていく。そうすれば診断にぶれがなくなる。
なるほど、それもまた一理あるかもしれない。
たとえば、虫垂炎(ちまたでいうモーチョー)を例にあげよう。
虫垂炎を疑う第一歩は患者の訴えの「腹痛」から始まる。腹痛を診察するさい、医師が患者の腹部に手をあてて、あちこちさわる。
この時、虫垂の位置に一致して、「押すと痛い、また離すと痛い」という所見が得られたり、その部分を押すとお腹の壁が固くなる(抵抗とよぶ)所見を得ると、これはあやしいぞ、と言うことになる。
カルテには「圧痛(押すと痛い)あり、反跳圧痛(離すと痛い)あり、抵抗あり」と記載され、さらに診断を決定づけるため、血液検査や超音波検査にすすむ。
しかし、丁寧に診察しないとわからない微弱なものは、当然、経験の浅いDrや乱暴な(?)Drには見逃される危険があり、この時は次なる検査に進まないため、放置され手遅れや誤診されるかもしれない、という理屈だ。
つまり、この触診は客観性がないことになる。また、冬のこの時期などは医師の手が冷たくなっていたりして、さわるとびっくりしてお腹に緊張を走らす方もいる。
さらに、子供に多いが、くすぐったがりの人はどこさわっても「抵抗あり」という所見をとられてしまう。これでは病状に所見が全く一致しないということがわかるだろう。
病状をオーバーに診ることについては「大やけど」は少ない。うーん、ちょっと怪しいから血液検査をしましょう・・・ああ、大丈夫でしたね。
となるが、その反対に手術を要する重症な虫垂炎でもこの診察所見がほとんど得られない例外もあるから困ったものだ。
腫れた虫垂が大腸の後ろにもぐり込んだケースがこれにあたる。
この場合、患者は腹痛を訴えているものの、先にあげた圧痛、反跳圧痛、抵抗、いずれもないかあっても弱い。腸の後ろ側にある腰の筋肉付近まで炎症が及べば、背中を痛がることがあるし、それを見分ける診察法もあるが、いつも出るというわけでもない。さらに内臓脂肪が分厚い人などはお腹を触ってもまるで所見のないときもある。
これほど「医師の診察所見」は不確実でかつ重症度も反映しないなら、少しでも疑ったら検査をしろ、とこのもう一人の指導医は主張するのだ。
医師としての診断能力を上げる、という命題に対しては一方は「診察を充実しろ。検査に頼るな。」といい、もう一方は「診察所見をスタートにするな、検査で証拠を残せ」という。
どちらが正しい、とはもはや到底言えない。
私が研修医だった昔なら、前者に決まっている。「頭と体は若いうちに使え!いい若い者が楽をするんじゃねぇ」と(笑)
だが、現在はハードルが極めて高いのだ。患者側の要求、および診断が遅れたり誤診した際の医療訴訟も、である。
訴訟ではこれほどの病気なのに「なぜ検査をしなかったのだ」と追求されることだろう。カルテの記載などは二の次にされ、「大変わかりにくい所見だったのです」と叫んでも、「あなたの診察能力が低かったのだろう」と一蹴される。
誤診する確率を極力減らせ、ということなら、悲しいことだが後者であろう。
実際、先ほどの「メタボ体型で所見の極めて弱い手術を要する虫垂炎」のケースは首をひねって様子を見ているより、腹部CTの一発で診断がつく。
何か疑ったら何でもCTを撮れ、というのは暴論に近い。が、患者側の要求として「何が何でも誤診だけは防いでくれ」、というならばこれはある意味、正解なのだ。
もしかしたら、10年後に消えるものは「医師の診察」かもしれない。
診察をすっ飛ばして、腹痛すべてにCTを撮り、胸が痛い患者にすべて心電図と胸部のCTを撮る、頭痛にすべてCTを撮る、医師はその写真を見て、「これは大丈夫・・・これは手術」と仕分け事業するのが仕事となる。なるほど殺風景ではある。
だが、もしこの説を採るとしたら、医療経済という観点から国民保険は崩壊するだろう。あまりにもお金がかかりすぎて保険でまかなえなくなる。
それでは自費にすればよいかというと、それを喜んで負担する国民もあまりいないだろう。また、そうだとしても、手軽に考えてはいけない。
というのは、一生に数回しかCTを撮らないなら、あまり影響はないが、病院来るたびにCTを撮られるとなると、放射線被曝のことも考えなくてはならない。
医療界では「CT被爆」について発ガンも含めかなり活発に討論されている。放射線は分裂する細胞を直撃する。その細胞を多量に持つ成長する子供については、もっとCT被爆について議論すべきだ。子供はよくお腹を痛がるから、そのたびにCTなど撮るなどありえない。
我々は宇宙からの放射線(宇宙線)と大地(地球も放射線を出している)からの被爆量を合わせると、かなりの量の放射線を浴びている。それは胸のレントゲン一枚分の約8倍近くにもなる。飛行機によく乗る人や宇宙飛行士はオゾン層の防護がないため、さらに宇宙線被爆量が多い。飛行機体は軽量化のため鉛などの遮壁がないから、ほぼ無防備に浴びてしまう。飛行時間の長いパイロットの発ガンリスクは高いという報告もあるくらいだ。
逆に言うと、胸のレントゲンはそれだけ放射能が少ないのだ。
だが、一回の腹部CTはその胸のレントゲンの約200倍の被爆(年間自然被爆量の約12倍)となる。だから、CTは「ここ一番」の時にしたい気持ちもわかる。(ちなみに頭のCTはぐっと少ない)
何事もバランスは大事だと月並みだが思う。
私としては今後10年(と言わず、ずっとだが)「医師の診察」を消してはいけないと考えている。
診断にとって検査機器は確かに強力な武器である。が、それに頼りきるとどんどん危険を察知する能力が低下すると信じているからだ。
「風邪を病院で治すことはできないが、風邪を否定することが医師の役目」という名言がある。
風邪はほっておいても自然治癒する。基本的に病院に来る必要がない。
だが、風邪症状の中の発熱、倦怠感は万病の最初の症状でもあるのだ。最も多い風邪の方の中から本当の病気を見つける、そのちょっとおかしいぞ、という直感、それこそが医師にとって必要不可欠の能力ではないかとも思う。それは、医師が検査漬けにしてしまう癖をつけると決して得られることはできない。
病気を察知しなくてはならない医師がその能力を削ってしまうことは、詰まるところ国民の不利益になるのではないだろうか、と改めて考えているところだ。

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以前もこのコラムで「ドラゴン・クエスト(以下DQ)を言及したことがある。確かガン細胞に例えたと思うが今日はちょっと違う話である。
DQは家庭ゲーム機の人気シリーズゲームだ。この世界のビッグタイトルで、もう一方のRPG(ロール・プレイング・ゲーム)の雄、「ファイナル・ファンタジー(以下FF)」と人気を二分している。
二分といったが、両者をともに愛する者は多く、一方だけ肩入れしているファンはむしろ少ないだろう。(ただし、FFの方は最近かなり肩のこる路線に走り出しており、さすがの私もついていけなくなった)
DQはコマンド入力式の冒険物で、世界観はメルヘン路線に統一されており、キャラクタも「ドラゴン・ボール」の漫画家鳥山明氏を起用し、清く正しく明るく楽しいRPGの王道をゆく、といった感じである。
それに対して、FFは映像の美しさを全面に押しだし、プレイは壮大なストーリーと割とシリアスなテーマを追っていくハリウッド映画(最近はまさに映画を見ていて、時々ゲームという雰囲気)のような形式になっている。
どちらもプレイしてみないと、百万言費やしてもその良さがわからないし、またRPGをご存じない方はこのことが何を言っているのか、わからないだろう。
ちょうど、私にとってエヴァンゲリオンやガンダムを真剣に勉強(?)しなかったので、その世界観がよくわからないのと同じように。
一方、よく知っている方にはこんな舌足らずで通り一辺倒な解説では満足できないだろうから、詳しく説明しないが、ここでRPGを話題に出したのはDQとFFを礼賛するためでも宣伝するつもりでもない。
DQもFFも、プレイ中、「敵」と遭遇し、戦うことになる。
相手を倒すと「経験値」呼ばれるポイントを与えられ、一定のポイントがたまるとレベルが上昇する。
すると、もう少し強い敵を倒せるようになる。自身を成長させながら、少しずつ行動できる世界が広がるというところがハマるキモだろう。最初は弱かった自分がだんだんと成長していく。小説の形式でいうところの広義のビルドゥングス・ロマンであろう。
さて、当然、戦いながら、傷つきながら旅をするというわけで、敵にやられて、ほうほうの体で安全地帯に避難すると、やられたところを癒す方法はいく通りか用意されている。
それは、持っているアイテムを使うか、魔法の呪文で治すか、宿屋に泊まるということだ。
DQで例に挙げれば「やくそう(薬草)」を使うか、「ホイミ(回復の呪文、これを唱えると一定のヒットポイント=体力の値が増える)」であり、そこまではともかくとして、驚くべきことにDQではどんなに大怪我をして瀕死状態になっても呪われたり、毒におかされていない限り「やどやにとまる」と全回復(=全くの健康体)に戻ってしまうのだ。
恐るべき「やどや」があったものである。寝なきゃ治らないのは確かだが、寝てるだけで治るのなら、医療関係者である私らはいっさい必要ないわけで世話はない。
この世界観はFFでも同じで、この手のRPGには病院などの医療機関、設備、医師はまずもって登場しない。たとえ出てきたとしても、万能の力を持った魔法使いのような非現実的な人物であろう。
細かい話になるが、FFシリーズの8作目でのオープニングで学生である主人公がクラスメートと戦闘して(ケンカみたいなもんだが)、意識が遠のき倒れた後、学校の保健室で治療され、目を覚ますシーンが出てくる。
FFで登場する医療機関といえばこれくらいだ(笑)
にしても、殺し合い寸前のケンカの後始末でも、治療するところは保健室かよ!ってつっこみたくはなるのだが。
これらのゲームでは人が死んでも教会で祈りを捧げると生き返り、さらにプレイヤーが成長すると、生き返る「呪文」すら手にすることができる。
それを習得する前までは、驚いたことに生き返るグッズはあちこちの「どうぐや」で安価で売られている。(DQでは「せかいじゅのは」というレアなアイテムで一つだけしか持てないが、FFの「フェニックスのお」ではなんと99個所持できる。99回復活できるのだ!)
そんなわけで、この世界では大怪我や命に関わる病気でも「へのカッパ」である。この世界の通貨単位であるゴールドで表現すると「命の沙汰もゴールド(FFではギル)しだい」となるか。
私はDQもFFも好きだといいながら、どうもこの辺のところが自分の職業のためだろうか、引っかかるところだ。たかが、ゲームなんぞにムキになるな、という声が聞こえそうでもある。
私はこれをもって「命を大切にしない風潮を助長している」だとかを力説したいわけではない。ゲームと違って現実とは「不確実性」に支配されており、そのことが最近医療者と患者側で共有されていないのではないかという危惧だ。
これらゲームは絶対的な「確実性」に支配されている。
その確実性とは、成長すれば強くなる、強い武器を手にすれば強くなる、傷ついても宿屋に泊まれば全回復する、などの100%信頼できるお約束ごとだ。
宿屋に泊まったら、麻痺したとか、(ストーリーの中で追いはぎに会うような宿屋もあったかもしれないがそれは例外として)成長しても強くならなかったり、とかゲームが「不確実性」に支配されると、落ち着かなくなって、そんなゲームは誰だって放り出したくなる。
現実世界ではあらゆるものが、そうであるが、特に医療は「不確実性」の代名詞である。数学の公式のような、治療の解答が一つだけということは絶対になく、むしろそれを信じている医療者がいたら、そちらの方がかなり疑わしい。
以前コラムで「超水」を信じている医師の話をした覚えがあるが、それにあたる。
だから、医療者が患者に対する説明は真摯であればあるほど、本当の事を言えば言う程、患者にとっては時にもどかしく、時に信用ならなく、そして時に怒りすら覚えるはずだ。
たとえば、検査を受けるときにあれこれ根掘り葉掘りアレルギーなど聞かれたあげく、そんなことは一度もないよ、と答えたとしても
「この造影剤でまれにショックなどの重大な副作用をおこすことがあります。ごくごくまれに死亡することもあります」
と脅しの文句が満載された承諾書にサインしろ、と迫られ、しないと検査が受けられない、と言われた経験がおありの方もいらっしゃるだろう。
「そこにかかれていることは滅多に起こりませんよ」と医師ににこやかに言われても、「はい、そうですか」と署名するのにためらう気持ちは十分理解できる。
だが、逆に「つべこべ言わず私にすべて任せなさい。必ず安全に、そして1000%治して見せますから」という医師がいたとしたら自信過剰か、性格破綻か、虚言癖か、その医師にとっては勉強・臨床経験不足かどれかであろう。
そのような医師は漫画の世界以外絶対に登場しない、ことは臨床経験をつめばつむほど身にしみて感じる。医療者は手術でも検査でも、症例を重ねれば重ねる程、ヒヤリとした経験に遭遇する。うまくなればなるほど、それは多くなる。名医と迷医の差はこの間一髪の患者を助けられるかどうか、の一点に絞られると言っても過言ではない。
これは腕の確からしさとは別で「一定の確率で起こりえること」である。もし、患者を危ない目に会わせたことがないという医師がいたら、嘘つきであるか、都合の悪いことは忘れてしまう記憶障害者であろう。
そして、患者さんが本当に知りたいことがなんであるかも承知している。
「確率なんかどうでもいい。他の何百の特別な例の話も必要ない。一体この俺はショックをおこすことがあるのか?」である。
残念ながら、おそらく、世界中の名医中の名医でも、それだけはわからない。もし、その方が百万回ショックを起こさなく大丈夫だった、という事実があっても次には起こすかもしれない、という可能性は決して消すことはできない。
ごく最近に至るまでこうした医療の「不確実性」は医師患者双方暗黙の了解事項だった。それを許さなくなった風潮は約束事のみ起こる定型の状態以外認めない感性が育ったか、あるいは冒頭で紹介した疑似世界であるRPGの流行も一役買っているとしたら、ゲーム好き世代が病気年齢になるさらなる3,40年後はどんなことになってしまうのだろう。
こんなに医学が進んでいるのに、なんで自分だけ病気で苦しむんだ、という怒り、遺伝子解析とか先進医療が進んでるんだろう、病気は必ず治るはず、なのに、もし自分の具合が悪くなったら、それは医療従事者のミスだ、という考えがベースにあってこの訴訟天国社会が引き起こされているとしたら、それは双方の大きな不幸である。
皆さんが医学に抱いている過大な期待は幻想だと言い切ってもいい。思いもよらないことは、思いもしないときに起こるものだ。
話は変わるが、私は高校で習う数学のジャンルのうち、整数問題の証明法は結構好きだった。なかでも数学的帰納法と背理法の美しさが好きで、そこらへんは勉強していても余り苦に感じなかった。勉強ができるかどうかはまた別として・・・
背理法は割愛するとして、帰納法とはまず出発点において正しいことを証明して、(だいたいはn=1)その次にn=kが正しいと仮定してn=k+1を証明すれば、すべての自然数nに対して成り立つ、という証明法だ。いわゆる「ドミノ倒し」理論で最初のドミノが倒れると無限に倒れ続けることと似ている。
数学の世界ではこの理屈イコール=証明法はゆるぎない。
しかし、それ以外の世界だといきなり不確実になってしまうのだ。それはこの証明法が
「一つ前までは正しい、一つ先も正しい、だからずっと正しい」という約束だからだ。
反論の典型例が「七面鳥の理論」と言われるものだ。
それは、今年1月1日七面鳥はエサを腹一杯もらいました。(n=1)→それから毎日エサをたらふくもらえています。(n=k)→だから明日もエサをもらえると思ったら(n=k+1)、12月24日の朝にクリスマスなので丸焼きにされてしまいました、というオチである。
これは医学の考え方そのものにもよく当てはまる。「明日のことは誰にもわからない、のと同じくらいこの患者に起こることは予測できない」ということである。
今年の夏は異常とも言えるほどの暑さであった。9月に入っても一向に涼しくならないのはどういうことだろう。台風が通り過ぎたときはさすがに一瞬気温が下がったが、部屋の中で熱中症になり命を落とした、そういうお年寄りも後をたたなかった(くらい頻発した気がする)
まさか部屋の中で熱中症とは、と誰もが想像しにくい。エアコンが「体によくない」と固く信じている老人は残念ながらまだいる。
今年の猛暑で認識がかなり変わっただろうと思うが、少なくともエアコンをつけて死んでしまったという事象は寡聞にして私は知らない。つけっぱなしで寝て、風邪引くくらいだろうか?
エアコンは電気代がかかる、という点で嫌う方も多い。
しかし、そういうお年寄りも冬は暖房を使うだろう。そこでもエアコンよりファンヒーターの方が割がいいと思う方も多いだろう。
別に家電メーカーの宣伝するわけではないが、灯油ファンヒーターよりエアコンの方が圧倒的光熱費が安いのだ。
ちょっと調べてもらえばすぐわかるが、最近のエアコンは省エネ技術革新が進んでいてなおかつCO2排出が少ない。買うときエコポイントもつく。そして肝心の燃費だが電気代と灯油代を比べると、同じ温度を保つためには18リットル1000円を切るくらいにならないと光熱費は逆転しないのだ。
1990年以降、灯油はずっと1000円以上で小売りされているから、(高い年は2000円近くまでなった!)たとえ円高が続いても灯油陣営は苦しいだろう。さらにファンヒーターは着火にさらに電気を使うし、タイマー付きならエアコンと同じように待機電力を使う。加えて、一定の時間ごとに換気が必要で、その時また室温が下がるから、効率から言っても結局エアコンにかなわない。
一台入れておけば冷暖できるからスペースもとらないし、どこも悪いことはないと私には思えるが、たとえ購入しても、それでもお年寄りは夏にエアコンを作動させないのだろうな(笑)
この猛暑で高温多湿で密閉された空間で水分電解質補給なし、ならばどんな若者で屈強なものでも死に至る。真夏のパチンコ店の駐車場に放置された赤ちゃんがものの数十分で命を落とす、という事件がここ数年前まで頻発したことは記憶に新しい。さすがにそのような報道は最近こそなくなってきたのは、店側も市民も放置赤子に気をつけるようになったからであろう。
なあにそんなバカな、これとは違うじゃろ、・・・同じ理屈が居住空間で起ころうとは思えない、とお年寄りが考えてもしかたがない。
なにしろお年寄りにとってそれこそ何十年の間「去年まではエアコンはなくても大丈夫だった」のだから。帰納法がここでも成立しないのがわかる。
気象庁発表の最高気温とは「風通しのよい日陰で地上から1m前後」で測っているのだから、猛暑日の日当たりのいい部屋の温度は少なくとも体温を遙かに越えていたはずだ。
体温より高い気温は体に熱をこもらす「うつ熱」を起こす。うつ熱状態では皮膚からの発汗で下げようとするが多湿高温のため汗が蒸発せず、気化熱が発生しないため表面温が下がらない。よって、ますます皮膚温が上がる。体熱が42度を越えると、組織での細胞活動が停止し、臓器障害を起こす。これが致死的な熱中症だ。
部屋の中でなんかあり得ないことが今年は起こってしまった。現実に生きるということはこんなことの繰り返しである。
9月になったら猛暑日なんかないだろう。もう涼しくなるだろう・・・だが、今年は京都で9/5に39.9度(!インフルエンザか!)と9月の高温記録を更新した。
去年までは北陸に台風が上陸することはなかった。今年も来ないだろう。・・・だが、H22年9/8観測史上初めて台風が福井県上陸があった。東シナ海から九州を巧みにすり抜け、本州にどこもかすらず、対馬を渡り、日本海から本土に突入する台風は確かに初めて見た。
自然界はこれほど不確実性に支配されているのに、自然界の一構成員である人間の、そしてさらにその人間が行う医療だけは確実性を常に求められるのだ。
グチをいくら言ってもしかたがない。が、それならどうしたものだろう。
市中のクリニックでは受診者の多くは風邪である。そしてそうでない病気(自然に治るものかそうでないのか)を見極めるのが我々の最大の仕事だとも思っているので、治療はともかく診断の精度を上げたい。突然起こる大病はともかくとして、難病でもほとんどは最初の体の変調はごくわずかだ。それをこの時点で見逃さないことが使命なのだとも思っている。
でも、本音を言えば風邪と診断したら、「『やどや』に泊まったくらいのような一発で風邪が治る薬」をクリニックに置いておきたい。それこそが一番多くの人に感謝されること請けあいだからなぁ(笑)
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古事記、日本書紀に「国産み神話」がある。
イザナギ、イザナミの両神から、まずヒルコを産まれるが、残念ながら不具の体であったため川に流してしまう。このヒルコが流れ着いたとされる所が全国に数多くある。そのヒルコを祭ったものがヒルコ=蛭子(ヒルコ)=エビスと読み直し、エビス神=恵比須信仰につながったという。
イザナミはヒルコ神の失敗のその後、淡路島を皮切りに本州、四国、九州、佐渡島などなど健康な(?)日本の国土を次々に産み落とすが、最後にヒノカグツチ神を産んだ時、事件がおこった。
ヒノカグツチは「輝ける火の神」の意味で体中火を発している。だから、生まれ落ちる際、イザナミの産道と陰部を焼いてしまった。この火傷がもとでイザナミは死んでしまう。悲しみと怒りでイザナギは十拳剣(とつかのつるぎ)でヒノカグツチを殺してしまう。
イザナミの死のきっかけとはなったが何の責任もない赤子を手にかける父とはいやはや、壮絶な話ではあるが・・・
死んでしまったイザナミに再び会いたいイザナギは黄泉の国へ行く話がそれに続くがそれはまた別の話。
国を産んだ神の最初の子ヒルコ神が不具者であったというのはなんともかわいそうである。だが、この神話は産科学上のある事実を反映している。
重症軽症問わず、赤ちゃんのすべての何らかの異常を見た場合、「奇形」とされるが、2003年度の統計では全出産の1.83%が奇形であった。全出産の約50分の1だから意外と高率に思える。
現代では妊娠中の超音波で診断がつき、かつ生きていくことが困難な重症の奇形(無脳児が代表的)など、24週くらいまでに見つかれば人工流産は可能だ。それなので、結果として生まれてこなかった奇形まで含めれば数はもっと増えるだろう。
高齢出産に奇形率が高いというのはよく知られた事実だ。しかし、逆に一般にあまり知られていないことだが、妊娠可能な女性を5年ごと区切り奇形率を調べると、高齢出産の年齢層よりもっと高い母親世代は10代であることがわかる。
10代(おそらく16~19歳だろうが)では3.3%、対してもっとも低いのは25~29歳の1.8%と10代の出産ではほぼ倍の奇形率になる。
ちなみにダウン症児などの出産の多くなる40代ではトータルで2.8%であった。
なぜ、若い世代に多いのかは明らかではないが、若い母親の妊娠管理におしなべて甘さがあることも影響しているかもしれない。しかし、もともと奇形のほとんどは母体の妊娠環境より胎児の染色体異常で発生するのですべて母体側の責任とするのは酷な話であるが。
イザナミの最初の子が奇形であったという神話はもしかしたらこのような統計を反映し、母の早すぎる出産を戒めているのかもしれない。
そして、ヒノカグツチ神の話は壮絶である。出産するさい、母体が傷つきなんらかの異常で死亡する。これはまさしく「産褥熱」の暗喩ではないだろうか。
出産期数日以内に高熱が出現し、あっという間に敗血症症状がそろいショックで死亡する。かつては「産後の肥立ち」が悪くて母が子を残して死亡する、という表現の大部分がこの産褥熱だったのだろう。
これほど発症するとおそろしい病気だった産褥熱は抗生物質の登場で現在はほとんど治癒してしまう。
世界的な発見や歴史の顛末を知っている後世の我々から見ると、当時の人間がばかばかしいほどのおろかな行動を取っていたことがわかるが、医学の歴史でも例外ではなかった。
1844年ウィーンで一人の若者が医師になった。彼の名はゼンメルワイス。
ゼンメルワイスはウィーン大学の産科医として希望に燃えていたが、そこで目にしたものは多くの悲劇であった。
大学病院という高度な施設でも数多くの産婦が死亡していたのだ。それは元気に赤ちゃんを産んだ後、産婦が原因不明の高熱とショック状態で命を落としていく難病、「産褥熱」であった。
当時、細菌も発見されてなく、食べ物が腐る原因すらわかっていなかったのだからこの難病は悪魔が発する障気(ミアスマ)と呼ぶ気体に含まれる何かよからぬものが原因と考えられていた。
わずか170年ほど前、しかも医学先進国とも言えるドイツでもこの有様であったのだ。
ゼンメルワイスは第一産科学教室に所在していた。第二産科では主に助産婦を養成するためにあったので医師らはこの第一産科病棟で勤務していた。彼はこの二つの産科病棟を見比べて一つの発見をした。第一産科病棟ではこの産褥熱の発生が第二に比べてきわめて多かったことに気づく。その差約4倍である。この差は何によるものだろうか?ゼンメルワイスは科学的に思考した。
空気に含まれるミアスマが原因というなら、病棟での換気や採光など窓、扉、建築、温度、湿度、そして土も分析して徹底的に調べてみた。しかし、二つの施設で差は全くなかった。
彼がそうしている間も、産褥熱で次々に産婦が倒れていく。死亡した遺体を親友の病理学者と共に解剖して隅から隅までその原因を追求した。しかし、子宮や臓器が腐敗して膿にまみれているのを見るにつけ、それが何によっておこされているのか見当もつかず彼らは落胆した。
皮肉なことに彼が熱心に解剖をすればするほど産褥熱は増え、第二病棟に比べ猖獗(しょうけつ)をきわめたと言っても過言ではなくなってきた。
親友の病理学者はゼンメルワイスに休暇を取るようすすめた。まじめな性格の彼ははた目にも憔悴しきって、このままでは精神を病んでしまうと判断したからだ。
ゼンメルワイスもわかっていたのか、これまで一日も休まなかった体を休めるため病棟から離れて、1週間ほどリフレッシュするためウィーンを離れた。
休暇を終えて大学に戻ったゼンメルワイスは悲劇を知る。休暇をすすめてくれた親友の急死の知らせであった。
彼は突然高熱に倒れ、そのまま意識を失い、あっという間に亡くなったという。死に至る経過を詳しく聞いたゼンメルワイスは彼の死の課程が産褥熱と全く同じことに愕然とした。さらに親友の発病数日前に解剖の際、あやまって腕に傷をつけてしまったことを知らされた。
当時、傷が原因で起こる急性発熱の後にショック状態まで陥ることは破傷風も含めて「創傷熱」と呼ばれていたが、実はそれが産褥熱と同じであることに世界で初めてゼンメルワイスが気づいた。
細菌の概念がない時代である。産婦ではない親友に障気(ミアスマ)が原因だとしてそれがどうやって体に入ったかは彼もすぐに考えついた。
産褥熱で死亡した産婦→遺体を解剖したメス→解剖者の傷口→「創傷熱」発症
これに違いない。しかし、それでは産婦はどうして?と、さらに深く思考したゼンメルワイスは驚愕に震える。
私だ・・・私が原因なのだ。と。
産褥熱を解き明かそうと毎日のように解剖をしていた自分、手もろくに洗わず、すぐに産科病棟に戻り、産婦を内診し、出産させる。それが出産時、膣や産道を傷つけた産婦の中に入り産褥熱を発生させていたということに間違いないと確信した。
第二産科は助産婦養成のため産褥熱死の解剖は行われていなかったために発生がすくなかったのだということも同時に気づく。
生真面目なゼンメルワイスはこの考えにいたり自殺をも考えた。犯人を捕まえてみれば自分であった、こんなばかばかしい話はない。絶望にうちひしがれても不思議はない。
しかし、ゼンメルワイスはかろうじて正気を保った。そして、医師である自分の使命を思い直し、かたく誓った。「産褥熱を自分がなくしてみせる」と。
何かはわからないが、ミアスマは空気に含まれている気体のようなものではない、少なくとも病者から傷口を求めて入り込む、ならば病者から「ついたもの」を洗い流せばよい、と考えたゼンメルワイスは解剖した際のルールを作った。
すなわち、産褥熱死の遺体解剖後は直ちに石鹸で手を洗う、それではまだ臭いが取れないためカルキを使って手をひたす、さらに爪を短く切りその隙間までブラシでこすることを実行した。
これはまさに近代までなされていた「手術時の外科医の手洗い法」にほかならなかった。(現代は手洗い法は少々異なるが脱線するので割愛)
結果はどうなったかというと、第一産科での産褥熱の発生率は激減した。あれほど(ゼンメルワイスが解剖をすればするほど)蔓延していた産婦の死亡はほとんど見られなくなった。細菌の存在も知られず、消毒が全くなされていなかった時代に彼の先見性と洞察力には驚かざるを得ない。この業績をもって教授にでもなったかというと、さにあらずで、事実は小説より奇なり、を地でゆく彼の人生であった。
ゼンメルワイスは上司にその成功をねたまれ、大学を追われる。故郷のブダペストに戻った彼はやはり産褥熱が席巻していた地元の病院から彼の考案した手洗い法でほとんど撲滅することに成功する。
彼は自分の方法に確信を持ち、本を執筆し全欧州の産科を扱う大学病院に送った。産褥熱が少しでも減ればと純粋に念じたからだ。
しかし意に反して共感は皆無であった。反応どころか完全に黙殺されたのだ。
確かにゼンメルワイスは論文や本の書き方がうまくなく、繰り返しや意味がとれにくい文も多かったが、内容それよりも権威者が地方都市の一介の産科医の意見など聞けるものか、という封建的かつ感情的なわけが大半であった。
苦悩するゼンメルワイスは公開質問状も差し出したが、これも握りつぶされた。今ならネットもマスコミもありそれらを動かし議論することもできる。しかし当時は学会や大学に無視されたら治療法の改良などを提案しようともなすすべもなかった。
ゼンメルワイスが必死に訴えていた説はなんと「欧州産褥熱学会」で取り上げられた。ところが、それは彼抜きの「欠席裁判」であった。
当時最高の病理学者と尊敬を集めていたウィルヒョウが徹底的にゼンメルワイス説を罵倒した。彼こそは「ミアスマ発生説」の大家だったためだ。
この後も欧州では手を洗う、というたったそれだけのことで救えた産婦たちが次々に産褥熱で命を落としていった。彼はこの事実に耐えきれず、後精神を病んで廃人同様の生活を送る。
彼の死の原因すら悲劇的であった。階段からふらついて転落した際負った傷から感染した「創傷熱」であったとされている。
ゼンメルワイスは早く生まれすぎた。あと30年待てば、彼の説が正しかったことをコッホとパスツールという細菌学の二大巨人が証明してくれたからだ。その時、ゼンメルワイスを医学界からほうむった人々は一体どんな顔をしていたことだろう。
大家の意見がいかに「ゼンメルワイスの悲劇」を生むかは、後世も繰り返される、
わが日本でも脚気論争で真っ向から対立した森鴎外と高木兼寛(→コラム「医師の信念」)も同じ様な図式だ。
実は森鴎外は単独で高木と戦ってたいのではなく、鴎外の学閥である東大教授練はみな鴎外の後押しをしたのだ。その理由はただ一つ、高木が東大閥でなく、また当時医学メッカであったドイツ留学をしていなかったからだ。
東大卒でなく一軍医のたわごとなどきけるものか
と書き残してはいないものの東大教授陣は高木を「麦飯博士(白米は脚気を起こす、主食に麦や玄米を混ぜろ、と高木は主張していたため。脚気の原因であったビタミンB1が穀物の被殻に含まれていることを後に鈴木梅太郎が証明)」と陰口をたたいていた。
これは古事記ではないがギリシア神話にカサンドラの悲劇が伝わっている。
トロイの王女であったカサンドラはアポロン(太陽神・予言の神でもある)に愛され予言能力を授かっていた。しかし、アポロンの愛がさめる未来が見えてしまい、アポロンの愛を拒絶した。アポロンは怒り、カサンドラが正確な予言をしても誰も信じてくれなくなる、という意地悪な条件をつけられてしまった。
ギリシアがトロイを滅ぼそうと戦争を仕掛けた際(トロイ戦争)戦線の膠着状態を打破しようと「トロイの木馬」作戦をとる。すなわち、戦場でわざと負け、神に捧げる巨大木馬を残して逃げた、と嘘の情報を流し、木馬は戦利品としてトロイに収奪された。
カサンドラは「この木馬を市内に入れるとトロイは滅びる」と予言したが、誰も信じてくれなかった。
周知のごとくトロイの木馬にはギリシア戦士が入っており、夜に密かに木馬から脱出し、城門を内側から開け、ギリシア兵を誘導した。戦勝気分で酔いつぶれていたトロイ兵士は戦闘にならず、これがもとで10年もの頑強にギリシアの猛攻をはね返していたトロイ(不死身の英雄アキレスも倒していた=たった一つの弱点アキレスの踵をトロイ王子パリスが射抜いて)はあっけなく滅亡する。
医学界にもこのカサンドラを笑うトロイ市民がいつもいた。
自分が信じている方法を頑として曲げない、それが地位があればあるほどプライドが邪魔をする。今まで紹介してきた産褥熱、脚気論争、ヘリコバクターピロリの発見、どれもみな最初は冷笑をもってあしらわれた。
だが、これは医学界だけのものではあるまい。
あなたの職場、地域、そして国を動かす政治の世界でもそれまでの常識を破ろうとするとすぐに反対をする人々のことである。既得利益があるわけでもない(あればなおさらだろう)、ただただ、プライドを傷つけられたくないゆえである。
ゼンメルワイスの時も提言を飲み込んでしまえば「手を洗わない今までの産科医=自分たちは殺人者」と認めたことになるからだ。だからこそ、ゼンメルワイスを拒絶した。ひどい話である。
学会でのあまりのゼンメルワイス反対論が多いため、「もしかしたらそうかも」と思っても何も発言せず、家に帰ってこっそり手を洗って診療をしてみた産科医もきっといただろうな(私なんかその口である)と思うと、よけいゼンメルワイスがあわれである。
歴史にはイフがないが、いつも「こいつらはどうしてこんなバカな行動をとるのだろう」と後で生きている私は思ってしまうが、一歩深く考えると、「そういうことだったのか」と妙に納得することが多い。歴史の人物の行動を追うと自分が生きていく上でサジェスチョンを与えられて人間の幅ができるのではないかとまでしょった考えをしている。
え?その割にはまだまだ?・・・その通りですね。だから日々勉強です(笑)
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暑いと何もする気力がおきない。と、いつか記した覚えがある。去年はとにかく暑い夏だった。今年はというと、例年の酷暑に慣れたせいかまた、意外に早い秋雨前線の到来で、「短いけど暑さもひどかったなぁ」という感想である。
そこで、眠っていた気力が少しずつまた帰ってきたようだ。しかし、まだまだ日中は蒸し暑い。そんなわけで少しコラムも間隔が開いてしまった。パソコンが発する熱ですら不快で、前に坐ることすら嫌気がさしていたとも言える。いいわけになってしまうが・・・
大震災の3月以来、節電の夏、と恐れられてきたがふたを開けると、そこにあったのは「通常の夏」だった気がする。ただ、公共施設やデパート、駅などは照明を落としており、どことなく薄暗く、エスカレーターも動いていないものもあり、そこへ来て初めて「ああ、今年は節電だったなあ」と思い至るくらいだ。自分と言えば暑ければエアコンだし、扇風機も全力だし、いつも偉そうなことを言っていたのを反省せねばなるまい。
しかし、おそらく、まじめな日本企業は東電の言うとおり懸命に節電をしており、電力消費が集中しないように夜間や休日に工場を開け、輪番制で稼働していたに違いない(あくまでも印象で未確認だが・・・)
そうでなければ、発電している原発が次々に定期点検に入っていき、再稼働していない状況では絶対に電力は足りなくなり、日本は電力不足で経済も物づくりも先細り、閉塞していくだろう。
そういうことを踏まえてかどうも新政権は原発容認、(遠い将来は廃止と行ってるが、これは今やめないよ、と同じ意味だろう)らしい。日本国民の特技である「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」という性根に期待している証左になろうか。
私的には少なくとも、原発のゴミ(使用済み燃料)の最終処理はどうするのか、を決めてから、それから稼働するかどうかを決めて欲しいものだ。(だとしても私は原発反対だが、それすらまともに議論していないところを見るとお話しにならない)
たとえは悪いが下水処理のないトイレをいっぱい作るものと同じだ。それがどういう異臭を放つか想像してください。(食事中、前の方は申し訳ありません)異臭ならまだ慣れ食事もできるようになるが、放射能の垂れ流しは何万年も続き健康被害も続くのだ。いい加減に気づいて欲しい。
さて、話はがらっと変わるがウイルス感染というのはなかなか興味深い。
ある感染症が猛威をふるうと他のウイルスや細菌はその勢いを恐れてか、どこへ行ってしまったのかと思えるくらい、おとなしく息をひそめたように我々の目に触れなくなる。
今年の夏は驚愕するほど(は大げさか)手足口病が乳幼児の間で大流行した。その分、いつもは定期的に現れるアデノウイルス(プール熱)、溶連菌感染症などがほとんどお目にかかれなくなった。ヘルパンギーナも一瞬流行しかけたが、手足口病が爆発的に増えだしたら、取って代わられたようだ。もっとも、ヘルパンギーナと手足口病は同系列のコクサッキーウイルス(CA16)が原因だから、もともと症状もやや似ていて、もしかしたらオーバーラップしていたかもしれない。だが、今年はやや違ったようだ。
やや専門的になるが、手足口病とは数種類のウイルス感染の総称である。典型的な手足口病のパターンをとるのがコクサッキーウイルス(CA16)で、もう一つの主力ウイルスはエンテロウイルスである。名前を特に覚える必要はないが、どちらも臨床症状で区別することはむずかしいし、治療法はどちらにしてもなく、推移を見守るしかない。
ただ、今年大流行の牽引的役割を果たしたのがコクサッキーA6(CA6)である。患児からのウイルス検査で大多数からCA6ウイルスが検出されたとのこと。今年の手足口病は一見水ぼうそうか、と見まごうくらいの大きな水疱が密集して、足なら膝回りまで、手なら肘くらいまで多発した「派手な」手足口病だった。実際、水ぼうそうと誤診される例も多かったらしい。
手足口病は髄膜炎などの重症合併症を起こすことがあると言われているが、幸いその確率はごく低く、通常は自然経過で何事もなく治癒する。だが、保育園や幼稚園の登園する際、一悶着があった。
手足口病は急性期に発熱するがだいたいは1~2日くらいで解熱する。ほぼ同時に手足に赤い小水疱と口に口内炎様のアフタが多発する。
しかし、そう見えても、患児が元気で、かつ口内炎が軽度で何でも食べられていれば、登園は可能である。
ウイルス自体は患児の唾液中や便に約1ヶ月にわたり排出し続け、従って感染能力は長い間有するのだが、そんなに長く登園停止させるわけにはいかない。
だから、急性期でも(発疹が目立っていても)発熱がなく元気で食事も普通にとれていれば、例え感染源になっていても登園は停止しなくてもよいのだ。「急性期の登園禁止は不要」これは小児科学会でも国立感染研究所でも手足口病に対しては共通の公式の意見である。
さて、そこで登園にいたっての提出書類である。園によってテンプレートは異なるのだが、「登園許可書」これは問題ない。しかし「治癒証明書」を持ってこられたときは困った。
なにしろ水疱が目立っていて、元気であってもどこから見てもまだ「病中」である。園の先生方はことさら園児の湿疹系の疾患には敏感である。だから、治癒証明などできっこない。治癒はしていないが登園は可能です、という当方の見解であるから、治癒を証明できないのだ。
実は水ぼうそうでもそれは言える。水痘ではすべての発疹が痂皮加(かひ・か=かさぶたになった)状態を登園許可としているが、これだって誰が見たってまだ水痘は「治癒」していない。
手足口病をどの時点で治癒した、と言うならば、発疹がすべて消えてからであろう。それは10日くらいかかることもある。ところがその時点でも「感染能力」は有しているのだ。こんな治癒証明は必要なかろうと思うのは私だけだろうか?
そもそも新型インフルエンザの時もそうであったが、治癒証明を持ってこなければ会社に来るなと決められていた企業もあった。これも無駄であろう。インフルエンザは抗インフルエンザ薬で熱が下がり治癒したように見えても、解熱後48時間経過しなければ感染能力を有していると判断するため、本人は治った、と思っても足止めをくらう。
それがイヤで病院に来て実は今さっき熱が下がったばっかりなのに「一昨日からもう熱はありませんよ」と嘘の申告をされたら、入院させて朝から晩まで見張ってない限り、私らは見抜けるすべがない。善意の申告を疑うべくもなく、治癒証明を書いてしまうことだろう。
だから、治癒証明を書くことはとてもイヤなものなのだ。証明なんかできっこないことを書かされる。診断書は見込みを書くために修正が可能だし、医師として確実なものはなんだときかれた「死亡診断書」くらいのものだ。
いつかも記したとおり、医療とは不確実性に常に支配されているのだが、一般の方たちはその反対に常に我々に確実を求められる。それが苦痛とは言わないが、少なくとも園児の「治癒証明」はやめてすべて登園許可書にして欲しいと思う。
そもそも、感染症の治癒判定は医療機関でもだいたいがマニュアル化しているので、あまり高等な技は必要ない。一般の方の判断でも十分である。
新型インフルエンザの騒ぎでの「保護者が解熱後確認し48時間で隔離解除」、みたいに、各園で作ってもらって、それに従い登園してもらえば、わざわざ医療機関に何度も足を運ばなくてもよいのではないかとも思う。
そうはならない背景はいろいろあるのだろう。保護者が感染症に対して敏感になっているケースもアルだろう。また、園側の背景として
「登園許可を医療側に判定してもらえば、たとえ異常な流行や重症化などのトラブルが生じても医師が判定しているからそれは園のせいにならない」という責任逃れの体質が根底にあるのかとも思ってしまう。
少し話はそれるが、薬局や通信販売で手に入る市販薬、またはサプリの注意書きに「~の症状が現れたら医師に相談すること」と一筆書かれていることが多い。
なぜ売りつけた「当社に相談」ではないのか?と思う。どんな製造物だって作った企業が責任を持つものではないだろうか?PL法というのは企業の製造物責任法ではないか?
製薬会社だって医師免許や薬剤師免許を持つ責任者も勤務しているだろう。その方がいろんな市販後副作用を取りまとめた方が、もし重大な副作用が製品にあったならその情報だってすぐに本社に集まるだろうに。あっちこっちのプライマリケア医師が単独で診るより、絶対に効率がよい、と考えるのは私だけではあるまい。
売るだけ売ってあとは知ったことではない、ということなのだろうか。これに関しては今まで誰も教えてはもらえなかったので、今度製薬会社の方に尋ねてみようと思っている。それで私が重大な勘違いしていたことがわかったら素直に頭を下げよう。閑話休題。
さて、一歩ゆずって、目くじらたてずとも手足口病くらいの軽い病気なら発疹があっても園に行かせようが構わないが、これが麻疹だとかだとシャレにならない。さすがに麻疹の予防接種施行率は年々上がってきており、例え患児が出ても大流行にはならないが、一昔は水痘だのおたふくだの友達に発病するとわざわざ「もらいに行く」保護者も多かった。
これがどれだけ危険な行為か、いまだわからない方もいるので改めて言いたい。
なるほど自然にかかって治った感染症ほど強い免疫を手に入れることができる。まだ予防接種が満足になかった40才以上のはしかを経験して治癒した方(私などもその仲間だ)はほぼ終生麻疹に二度とかかることはない。
それに引き替えワクチンではせっかく打ったのにかかってしまう方もたまに経験する。効いていないじゃないか、と言われれば「天然ものより弱い免疫」と言わざるを得ない。だが、この自然に罹るという行為は「ものすごい副作用を持つ強力かつ危険なワクチン」を打つことと同じなのだ。
麻疹にかかるとほぼ全例、40度くらい高熱にあえぎ、全身真っ赤になる発疹が出て、咳に苦しみ、数百人に一人は重症肺炎を起こし、1000人に一人は髄膜炎を発症する。もしこんなワクチンがあったとして毎年100万人近くの1歳児に打とうものなら、100%高熱で1週間ほどダウンし、そのうち数千人死亡する勘定になる。あなたが保護者ならそんなワクチンを打とうとしますか?ワクチンなら声を大にして反対するくせに、感染者に接触したがるというのは私にはまるで解せない。
だから自然に罹ってしまったならばしかたがないが、もらいに行くということは絶対にやめてもらいたい。水痘やおたふくも軽い病気と思われているがやはり数千に一人は重症化する。重症化してからは有効な治療手段はほとんどない。なってから後悔しても遅いのだ。
最近はワクチンに対する考え方が行政やマスコミひいては保護者もようやく前向きになってきており、それはありがたいことなのだが、乳児に打つワクチンが増えすぎて悲鳴をあげたくなるスケジュールだ。
三種混合は従来通りだが、BCG、Hibワクチン、肺炎球菌ワクチン、ポリオ、それに加え今度は飲ませるロタウイルスワクチンまで登場しそうである。赤ちゃんの腕は休む暇もない。
公費でワクチン接種をどんどんバックアップしてくれるのは大変ありがたいが、同時に混合ワクチンをぜひ作って欲しい。
三種混合ができているなら、同じ理屈で四種、五種だってできるはずだ。実際、フランスでは五種、シンガポールで採用されている六種混合ワクチンはすでに作られて接種励行されている。
日本のお母さんたちは我慢強いから、単ワクチンでせっせと何回も病院がよいしても文句一つ言わないので、行政もあまり本腰ではないのかもしれない。
ただ、早期に乳児期から保育園などに赤ちゃんをあずけるケースだと、他の園児から毎月のように風邪をもらってくるお子さんもいるので、ワクチン延期延期を繰り返し、あっという間にワクチンを打たなくてはならない月齢が過ぎ去ってしまう。
なんども言うが現政権がこれほど子供手当てに固執するなら、現物支給でいいから全員にワクチンが打てる体制と環境を整えて欲しい、と切に願っている。学費だの給食費だのは二の次だ。
転ばぬ先の杖、我が国のすべての国民はこのたびの大震災で骨身にしみたはずである。そして、ワクチンこそがその格言の体現であろう。
新厚労相はタバコの値上げを早速ぶちあげたが、それもともかく、こちらもぜひ目を向けて欲しい。手足口病のワクチンはないが、今まで息をひそめていたとんでもないウイルスの流行はすぐそこにあるのかもしれないのだ。
人の知識や予測なんてものは、自然界は簡単に乗り越える、それも今年の大震災や12号台風で立証済みだから。

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今年の大河ドラマは「平清盛」である。去年の「江」は歴史事実をねじ曲ぎ、かつあまりにファンタジー仕立てだったので早々に見るのをやめてしまったが、今度の清盛は時代背景も好きであるし、骨太だし、仕事帰りが間に合わない時も録画してでも楽しんでいる。
どこかの県知事が「画面が汚い」といって物議をかもしているが、ほこりっぽい平安末期はこんなもんだろうし、いちいちTVの演出に門外漢がつべこべ混ぜくるな、と言いたい。
さて、ストーリーはまだそこまで進んでいないが、清盛の最大のライバル、源義朝と後白河上皇をはさんで正面切ってぶつかる「平治の乱」の時のことである。
後白河上皇を味方につけるということがジョーカー並に大切だったこのとき、上皇側の主戦力であった平清盛が熊野詣でで京を留守にした際、機敏な動きを見せた反清盛の源義朝が上皇を確保。清盛なき京は簡単に制圧できた。
しかし、義朝と組んだ公家の藤原信頼の不手際で上皇と二条天皇を逃がしてしまう。ジョーカーとスペードのエースを切られたらどんなトランプゲームも負けである。京に戻った清盛と戦うが、当然信頼と源義朝は惨敗した。
義朝が都を落ちようとする際、信頼が義朝に一緒に逃がしてくれと頼んだ。が、義朝は上皇・天皇をまんまと手放した信頼を「日本一の不覚人」とののしる。
平治物語にのっているお話である。
不覚人とは軽率・考えが足らないことを指す。申し訳ない。全然歴史とはなんの関係もないが、大河ドラマの人気にあやかったくだらない前振りである。
今回は私が「日本一の不覚人」という気分であるからだ。
インフルエンザA型に罹ってしまったのだ。こんな不祥事はクリニック勤務してから初めてのことである。しかも今回全職員中トップを切っての感染である。もちろん、なんの自慢にもならない。ただの自虐である。
いいわけがましいが、ワクチンは去年から打ってあったし、寝不足はしないように気をつけている。なにしろ、そんなに酒も飲まないように(本当か?と疑う声あり)している。
まさしく、ミイラ取りがミイラになったといえる。
土日は当クリニックですさまじいほどのインフルエンザ患者が受診した。のべではおそらく150人ほどはカウントしただろう。翻って、2日ほどの潜伏期があると考えるとその時のどなたかから感染したのかと見るのが普通である。
濃厚接触したからなぁ、と嘆いても後の祭りである。
明けて、月曜日は何となく朝からだるいと感じていた。その日は他院でオペ予定があったので、車のハンドルを握り、高速を走らせていた。
時間が10分ほどあったので、サービスエリアでコーヒーを飲んだのだが「なんだか今日はやけにのどが渇くなぁ」と感じるのみで、別段眠気がひどいとか、頭痛・関節痛があるとかそのような前兆を覚える由もなかった。
前日ものどに少々の違和感と時々の咳があるのみで、「ちょっと風邪気味なのか」と自覚していたくらいの異変しかなかった。
オペ室というところは意外に暑いところである。
オペ患者さんは薄手のオペ着一枚羽織るのみでストレッチャーで入室する。スタッフもみな軽装であるので、年中暖かい。
と、いうより熱気でむっとすることもある。暑がりの私はいつもこの熱気が苦手である。オペが始まってしまえば、患者さんは麻酔がかかり寒さを覚えて震えることはないから、室温を下げることになるので、気にならないのだが。
通常なら不快なオペ室温がこの日は逆に寒さを感じた。ゾクとしたほんのちょっとの不快感である。まだオペが始まっていないので、念のため体温計を借りて測ってみた。36.9度という誠に「ビミョー」なところである。
なるほど風邪気味だからなと、この時は全くのんきな反応であり、最もあてにならない自己診断であった。
オペが始まって手術着を羽織り、「完全武装」してもいつものように「暑く」はない。
スタッフに「エアコンもう入れたの?」と聞くと、否との答え。これはやはりオレだけのさむけなんだな、さっさとオペして早めに引き上げるに限るワイと思い、「それではお願いします。」とメスを握った。
手術はいつものようになんの障害もなく進んだ。オペレーターが風邪気味でも別段変わりない。(変わったら困る)
患者さんには申し訳ないが、終わり間際には緊張も解けスタッフ同士少し雑談もでる。
もちろんオペの手を止めずにだが、
「なんか今日寒気を感じるんだよね。」と助手を務めてくれた若いDr.に話しかけた。
「そりゃ、先生、ヤバイですよ。時期も時期だし。そうだ、外来寄ってってインフル調べてください。」
と至極まっとうな医師としての意見。
「そんなん大げさでないんだよね。熱も6.9だし、関節痛も咳も鼻もほとんどないし・・・」
でも、どうせオペ記録書かねばならないし、その間の時間で念のため調べておこうと思い、オペ終了後、記録用紙をひっつかんで外来に向かった。
頭も痛くない、のども痛くない、寒気だけなんですよ、と外来の内科医師に話し、わかりました、インフル調べてみましょうね、ということになり、例の「鼻グリ」である。大騒ぎするほどの痛さではないが、自動的に涙腺が緩む。これは子供にはやはり不人気だろうな。
「それにしてもノドが渇くなぁ」まだオペ着、マスク、着帽の外来では怪しげな格好であり、例の寒気は継続中なので暖かいお茶のペットボトルを持ってきて空いている外来の机を借りてそれを置く。
さらさらオペ記録を書き出し、マスクをずらし時々お茶を飲む。のども全く違和感なし。さあ、さっさと帰ろう。
そこへナースがやってきたので「あ、どうだった?」とまだまだ牧歌的な私。
「センセ!マスクしてください!インフルAでしたよ!」と、およそ信じられないことを言う。私はきょとんとしてしまった。
「は?オレ?・・・嘘でしょ、ガチでありえないし」 いやいやガチでないぞ、そんなインフルくさくないのいっぱい南口でもいたし、と一人突っ込みし
「ちょっと見せてよ、簡易検査」と初めてあせる私。
無情にもくっきりとAインフルのラインが見える。
「これ、オレだよね」と無駄な最後の抵抗を試みるが、あっさり間違いないですよ、と引導を渡された。ラインが見えなくてもインフルはあり得るが、こんなによく見えるのであれば97%以上の確率で「御用」である。かくして私は感染者の一人にカウントされてしまうことになった。
それからが大騒ぎ、というほどでもないが、薬を処方してもらう間、噂を聞きつけていろんな部署の人が珍しい動物でも見に来るように顔を出してくる。いやはや、仕事に来て、返す刃で患者になるとは・・・さらし者になった気分だ。お大事にと言ってくれるのはありがたいが、情けないやら、恥ずかしやら。
帰路に着く時に、オペ患者にうつってなければよいが・・・と頭をよぎったが、ずっとマスクはしていたし、と素人的ななぐさめを自分でしていた。ついでながら、私の目の前の至近距離に数時間いたオペ助手Dr.は2日後あたり要注意だ。罹ったらゴメンな。
それも心配だが、翌日からのわがクリニックも心配である。スタッフと連絡をとって、翌日、翌々日は残念ながら申し訳ないが代診ということになった。
私がいくら『ほとんど症状ないんだ!大丈夫だ!』と言っても、クリニックにはインフルエンザ以外で具合の悪い人も多く来院する。その方たちにインフルエンザをうつしてしまっては(特に赤ちゃんと高齢のかた)それこそ罪悪である。第一、患者さんには仕事に行けるのは絶対に解熱後2日ですよ、さんざん言ってきたので、それをもってしても、アウトである。誠に面目ない次第だ。
自宅にこもり、さらに自宅でも隔離され、座敷牢にでも入れられた気分だ。文字通り、仏壇の間の座敷に布団を敷かれて、ふすまを閉められ、ノートパソコンと本、薬、水を与えられている。全く気が晴れない。
結局、体温MAXは抗インフルエンザ薬投与後、その日一瞬だけ37.3度であとは平熱である。鼻水は少々出た。咳もほんの少し。かたい布団で寝過ぎて腰が痛いくらいだ。これではズル休みしている錯覚にとらわれる。この2日はとてつもなく長い。楽しい休暇はあっという間に終わってしまうのに・・・いつも「解熱後48時間ルール」を口酸っぱく言ってたらもろ自分に跳ね返ってきた。くやしい・・・秦の商鞅の気持ちが初めてよくわかった。(商鞅について文末注釈)
布団の中であれこれ考える。
私がもし通常の勤め人なら、この症状でクリニックには決して行かないだろう。平日は無理、土日に並んでまでして病院に行きたくない。今やコンビニと同じくらいの開店時間のドラッグストアで会社帰りに市販薬を買って飲むのが関の山だ。
まあ私は早期に抗インフルエンザ薬を投与したので後は軽くすんでいる可能性も高いが、今回は寒気が出てから、いろんな症状に至るまでのインフルの足取りが重かった気がする。
ほっぽらかしても「ザ・インフルエンザ」と呼ばれる、突然の高熱、関節痛、風邪症状が出現したかどうかは疑問である。
このような存在が実は最も迷惑なのではないか?
本人は(私である)症状はほとんど軽いため、気づかずあちこちでまき散らす。
張本人は比較的元気で自分の回りだけ、ばたばたなぎ倒す。やられた人は高熱に倒れ「ザ・インフル」とな」ることもあろう。
「みんなだらしねーな。俺を見ろよ、風邪気味だけど丈夫じゃん。日頃の心がけだよ。」おいおい、それは違うだろって。
学校で突然インフルが大発生するのは、こんな風なクリニックに行かないで、 「ちょっと風邪気味だけど実はインフル。でも元気に登校しているけなげな子」が感染を拡大させているのではないか?とも想像できる。
大人でも今回のような私の症状でたまたまクリニックに行きインフルと診断され、医師に『熱が下がってからも2日は出社してはダメですぞ』と釘をさされて、オレそんな大げさな病気?と腑に落ちず、家に帰ってネットで検索。インフルエンザの症状とオレは遙かに異なることを突き止めてほくそ笑む。
「あのクリニック『やぶ』だぜ、ただの風邪をインフルと診断して儲けようと思ってんじゃないの?インフルって高熱って書いてあるし。さっきは36.9度だし今だって37.3度しかないのにな、明日は休めないし、会社、行こっと」いやいやダメでしょ。
でも、私が医療従事者でなければ、ひねくれてるので当然やっちまう思考回路です。
そして私自身といえば、今後クリニックに復帰してからが、今度は診断に迷うことになろう。
もはや、症状でインフルエンザを診断するのは今回の私の経験から言って不可能である。正直に言って自分のあの寒気だけで簡易検査をされたとき、99.9%インフルエンザではないと確信していたからだ。
だからといって、何から何までインフルエンザを調べる、というのも情けない話ではあるが。だが、見逃したら周りも迷惑だ、やっぱり調べるか・・・堂々巡りである。
スーパーのレジで使ってるバーコード読み取り機みたいなインフル診断機、誰か作ってはくれぬものか、と無茶とは知りながら思う。
発熱ですか、わかりました。受付で、事務さんが、おでこにピ、・・・はいインフルAですね。タ○フルセット、リ○ンザセット、イ○ビルセットどれになさいますか?咳止めおつけしますか?いかん、これじゃ、ドライブスルーだ。
志木南口で勤務してから今の今まで一回もインフルエンザに罹ったことがなかった。(もしかしたら、罹っていても気づかなかっただけ?という疑心暗鬼も・・・)シーズン前にワクチンも打つし、患者さんに相対して、数多くの免疫力と抗体を手に入れてそれで罹らないと信じていたのだが。その神話も崩れ、砂上の楼閣であることが暴露されたということになる。今後、一層健康管理には気をつけねばならない。
今回、誠に反省しております。面目なきこと。
注釈:秦の商鞅(しょうおう)(B.C.390~B.C.338年)古代中国・戦国時代、秦国の政治家。
きびしい法律を整備し、それまで田舎国だった秦の国力を大幅にアップさせた。その公正さは群を抜き、高級官僚でも王太子が違反しても相応に罰した。そのため誰も法を破ろうとしなかったという。
しかし、信頼篤かった現秦王が崩じると、王太子を始め遺恨のあるグループが商鞅の暗殺を画策。
商鞅は亡命しようとし、その途中、身分を隠して宿に泊まろうとするが、宿の主人に「商鞅様の法律で身分証のない人はお泊めできません」と断られる。
「法を為すの弊、一にここに至るか」と嘆息した。(法律を整備した結果、ついにこんなことになるとは)
商鞅は捕まって、反逆罪とされ彼の作った刑のなか最も残酷な車裂(くるまざき)死刑となった。
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ロンドン五輪が始まって、決勝戦が明け方未明になり、寝不足の方も多かろう。連続する熱帯夜も相まって、体の調子が悪いことこの上ない。
アスリートの勝負ごとは見るたびに「強い方が勝つ」のだな、と妙に納得してしまう。素人目にも残念ながら「これは向こうが上だ」と思ってしまうケースも多い。当事者であるプレー中の選手はそれをもっともっとよくわかっているはずだ。それでもあきらめずにぶつかっていく姿はあっぱれですがすがしい。金メダルこそ少なめだが、団体戦で上位に食い込む日本選手にも団結する心と勇気をもらった。メダルを取れなくても下を向くことはない。すべての代表選手は胸を張って帰ってきてください。
五輪で勝つには運が介在することは少ない。
運悪く勝ちを逃すことはあっても、運がよくて頂点をつかみ取ることはほとんどないと言っていい。
また、私たちが今ここにこうしてのんびりと五輪を見ている、これも運がいいと言えそうである。
日本は治安もよい、怪しい人も少ないなか、深夜に街中に集まって五輪で盛り上がれる。以前も記したが、夜ふらっと町に出られる国はそう多くない。私は日本に生まれたことを素直に感謝している。
その昔、自動車にはシートベルトがなかった。
だから、車にはいきなり乗り込み、キーを回してエンジンを始動したらすぐに発進できた。しかし、昭和60年秋から自動車の前席はシートベルト装着しなければ道交法違反となった。私はこのときすでに運転免許を持っていたから、この法令の前後の期間、うっかり装着せず、ハンドルを握り車を滑り出してしまい、途中交番を見て走行中慌ててベルトをつける、なんてこともよくあった。
そのわけは増え続けた交通事故死である。高速道路が相次いで完成に向かっていた昭和40年代は交通事故死者数が急増し、昭和45年には16,765人とそれまでのピークに達した。
交通法はあったが反則や罰則がはっきりせず、違反したからといって現在のように免許取り消しなどの罰がなく、スピード違反などはやりたい放題、車は凶器と化していた。
昭和43年にようやく違反点数で処分が決まるように改正され、昭和46年よりやっと事故死者数減少に転じる。しかし、昭和55年度より再び死者数上昇が始まり、もはや罰則だけでは死者を減らすことはできないと判断された。その結果、運転者を守るシートベルト法制化となったようだ。
このシートベルト、私もだが最初は全くしっくり来ず、高速に乗って初めて締めるなんてこともざらだった。短距離である街中では、つけたりはずしたりが、めんどくさくうっとうしかった。世間でも同様でシートベルト義務化となっても、装着率は低く、死者数が減少に転じたのは数年経過した平成5年からだった。
行政と警察の大々的な啓蒙とキャンペーンのため、この頃にはシートベルトを締めない運転者、助手席乗車はほとんどいなくなったようだ。
かくいう私もどんな短い距離だろうとも今は必ずベルトを締める。逆にベルトを締めていないと落ち着かない。慣れるということは恐ろしいこともあるが、こんなことはありがたい。
その甲斐あってか以後平成22年度まで事故死数は一貫して減少の一途をたどる。現在は歩行中の事故死が最も多く、車の運転中は加害者にこそなれ被害者になりにくい状況となった。シートベルト、エアバッグが死者数減少に大きく寄与したのは間違いないだろう。
法制化の過渡期に免許を取った私などは確か教習所ではシートベルトしていたようだった覚えがあるが、その後車を運転するときは装着無視し、さらに驚いたことに「車で一杯飲みに行く」ということが、私だけでなく市民も普通に常習していた。
それは当時東北の田舎にいたときのことだったが、思えば相当おっかないことである。事故らず、また人をはねなかったのは運がいいだけだった、としかいいようがない。道交法がやたら厳しくなる前から運転していた人は今なら犯罪にあたるハンドルさばきを一つや二つきっとしていたに違いない(私だけ?)
怖さを感じていなかったら、とんでもないことでもやらかしてしまう。それはなにも運転だけではない。
予防接種に来られる方はまず母子手帳を見せていただくことにしている。たいていのお母さん方はきちんとお子さんのワクチンを打っている。年齢ごと相応に接種欄が埋まっており、ワクチンに積極的な方であれば、毎年インフルエンザまでしっかり打っており、欄外まではみ出て、付箋までぎっしり日付印があり見ていて気持ちがいい。子供にとっては痛くて大迷惑であろうが、これだけ愛情たっぷりの母子手帳は子供にとってひと財産でありお宝である。
ところが、ごくたまに真っ白な母子手帳に出会うことがあり、大変面食らう。どうしたものか、と尋ねるとばつの悪そうな保護者の方がほとんどである。「風邪ばっかりひいてて、打つタイミングが・・・」といった理由が大半だ。
しかし、時折「ワクチンの副反応が怖くて、むしろ打たないんです、でも大病せずに成長しました」と胸を張られる(?)お母さんもいらっしゃる。なるほど、確かに目の前のお子さんは立派に育っている。おそらく大病などとは無縁だったのだろう。ワクチンは怖いものだと刷り込まれている方の説得ほど難しいことはない。マスコミのせいだとは言わないが、新しいワクチンが出る度、それをつぶそうとする勢力があるのか、「死者がでた!」「失神する!」と報道すると接種率にブレーキがかかることうけあいである。
私はこのような保護者に会うといつも
「運がよかったんですね」
とつぶやく。
たとえば、結核だってまだまだ日本で感染者が出る。破傷風も確率は低いが、どろんこ遊びを好む子供はいつ何時かかってもおかしくない。麻疹・風疹ではそうそう命を落とすことはないだろうが、髄膜炎を起こすこともある。おたふくや水ぼうそうだって同じだ。
ワクチンはこれらの発症を止めてくれる唯一の方法なのだ。そりゃ、江戸時代だって平安時代だって怖い感染症に罹らず長寿を全うした人はいただろう。だが、その一人が成人になるまでどれだけの同胞が幼少時に命を落としていることか。
明治天皇には15人の皇子皇女がいたが、成人になるまで存命したのはわずか5人。大事に育てられた宮中でもかくの如しである。
抗生剤もワクチンもない時代だから、大病せず運がよいものだけ、次代を担う。魚や虫ではないが、幼虫の間にほとんどが命を落としてしまうのだ。そのことは食物連鎖の下位にいる彼らは捕食されるという不幸ではあり種を保存するためには「多産多死」で対抗するしかない。しかし、幸い人類は一応ピラミッドの頂点に位置している。防げる病気なのに幼少で落命するなどは愚の骨頂ではないか?
運がいいという事例はこれだけではない。
第二次大戦後日本はゼロに帰し、「国破れて山河あり」状態から、日本国復興に国民すべてが邁進し戦後10年にして「もはや戦後ではない」と言わしめる急成長を遂げた。私はこの後さらに飛躍する日本で生まれ、高度成長の恩恵をもっとも多く受けた世代だった。
急速にコンクリート化する東京のあちこちでも緑は残り、原っぱもあり、自動車も今の数十分の一しかなく大通り以外の生活道は子供の遊び場であった。ドラえもんの風景を思い起こしていただけば、私が見た少年時代はほぼ同じだ。
世界でもっとも平和な国に属し、戦争、紛争、テロなどは無縁で「明日はどうなるんだ?」と不安を一切考えなくてよい時代だった。その後、オイルショックだのバブルだのオウムだのいろいろあることはあったが、それでも日本は世界の中でかなり住みよい国であることには間違いない。
私は歴史が好きでいろいろ読んでいるがその日本でも庶民が平穏無事に暮らしていたのは平安時代と江戸時代のごくひとときしかなく、たいがいの時代は5~60年生きていたら、全国的な何かしらの戦乱とは無縁ではなかった。
平和な時といっても、過去はそれでも追いはぎ、夜盗のたぐいの個人の犯罪は今よりとんでもなく多かったろう。
「今の日本」に生きている、ということが本当に運がいいと私は思う。
必至に生きてきた先祖のお陰様としかいいようがない。皆さんもそう思いませんか?
さらに公費で打たせてくれるワクチンがふんだんにあるのにその権利を施行しないとすれば、その運をただ消費してしまってまことにもったいない。
運が悪くて勝負に負ける人はいくらでもいた。しかし、運がよいだけで栄光を勝ち取ったものがいない、のならば、現代でもワクチンで体を守る努力くらいは必要ではないだろうか?
あと2日でロンドン五輪閉会である。出場者のみなさん、大変お疲れ様でした。4年後もまた応援します。(が、今度のリオ五輪は時差12時間、決勝は朝ですね・・・見れるかな)

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日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃滅し日本の完勝で終わった日本海海戦後、ポーツマス条約をへて戦争は終わった。戦時体制であった聯合(連合)艦隊は解散するがそれにあたって、司令長官東郷平八郎は「解散の辞」の結びでこう言った。
「神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前にすでに勝ちを約束された者に勝利の栄冠を授ける。
と同時に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。
古人曰く、勝って兜(かぶと)の緒を締めよ、と」(一部現代語訳)
その格調の高さ、絶妙な調子で、武人軍人のいましめを説いた訓示は、たちまち各国語に翻訳され、世界中に紹介された。
なかでもアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領はこの辞を一読して、大いに感動した。
直ちに筆を執って陸海軍長官に書簡をしたため、これを配下の陸海軍人すべてにすぐに教示するよう促した。
さらにおせっかいにも英国王エドワード7世にも英文を送り、ぜひとも読むようにとすすめている。ルーズベルトはポーツマス条約でも大いに骨を折った親日派とはいえ、その無邪気な感動ぶりはほほえましい。
ここで結ばれている誰もが知っている有名な成句
「勝って兜の緒を締めよ」
と言った古人(昔の人)とは誰であろう。
史上よく取り上げられているエピソードがあの「関ヶ原」での徳川家康の言動である。
徳川軍の圧勝がほぼ確定した関ヶ原の午後、本陣の床几に坐ったまま、家康は
「兜をもて」
と言った。
家康はこのいくさの間中、ずっと兜をかぶらなかった。西軍なにするものぞ、こわっぱ相手に兜など不要だ、という示威行為もあっただろう。それが戦闘終了後、兜をかぶるという。旗本たち皆、不思議がった。家康は兜を受け取るとかぶって緒をきつく締めた。
「かねていう、勝って兜の緒を締めよ、とはこのことよ」
回りの皆は、さすが上様よ、と感心したのだが、家康にとっては関ヶ原に午後より降り出した雨が夕方からしのつく雨になってきたので、傘の代わりに兜をかぶっただけに過ぎない。しかし、実際、浮かれている場面ではなく家康の天下取りにはこれから難所続きであることは間違いなかった。確かに家康の言うとおり緒を締めなくてはならなかったのだ。
ともあれ、そのおかげで、いかにも、の場面で吐かれたこの成句は瞬く間に有名になり後世に残った。だが、実はこれは家康自身の造語ではなかった。
出典は家康より50年ほど先輩の戦国大名、小田原を本拠地とする相模の北条氏綱(ほうじょう・うじつな)が上杉氏の河越城(現在の川越)を陥とした時の話がそれである。
関東の覇者を願っていた北条氏は北武蔵国の要所、河越を押さえることが悲願であった。その後の話になるが、この河越はこれより何度となく北条氏と関東管領上杉氏と死闘を繰りひろげることになる。ともあれ、初めて河越を奪取し、戦勝に沸き返る北条軍、そこに23歳の若武者である北条氏康(うじやす=氏綱の長男)が戦勝の軍議に現れたときのことである。
父親である氏綱が氏康の出で立ちを見て、言った。
「氏康、これへ」
険しい顔の氏綱を見て、皆はいぶかしがった。
氏綱は氏康の兜が曲がっているのを手ずからまっすぐに直し、緒を締め直した。
「よいか、勝利したときこそ驕りが生まれ、敵をあなどったりする。それが衰亡の始まりである。勝って兜の緒を締めよ」
このひと言で回りの戦勝気分は一気に引き締まり、ますます士気が上がったという。
北条氏綱は氏康に同様の戒めをかたく遺言で記していた。北条早雲(伊勢宗瑞)の子であった氏綱は領民をきわめて大切にし、その遺言でも「侍から農民に至るまですべてに慈しむこと」と残している。
兜を締め直された北条氏康、のちに「相模の獅子」と呼ばれる関東の覇王になるが、本分はその戦闘力ではなく、たぐいまれな内政能力であり、日本初の上水道を作り、都市整備、開発を行い、税負担を軽減した。小田原城下はごみ一つ落ちていないとまで賞賛される東国一の都市にまで成長した。
その善政で民衆に慕われ、氏康の死が小田原の城下に伝えられると領民は皆泣き崩れ、その死を惜しんだという。徳川時代になって、小田原城下の領民が何百年も元の領主・北条氏を慕うため徳川氏はじつに治めにくかったそうだ。
父の遺言をずっと守ってきたであろう北条氏康は戦闘に勝とうが、うまく領国が治まっていようが、常に兜の緒を締め続けていたに違いない。
この度の衆議院総選挙で政権党の民主党は歴史的敗退を喫した。自民党が大勝したと言うより、民主の自滅であった。勝った自民の陣営では前回政権交代の自民の得票数はむしろ減ったくらいだから、小選挙区で議席を得るというのは一つの選挙マジックであろう。政治のシロウトでもわかる「消極的選択」による大勝である。それが自民議員にも当然わかったのか、万歳ムードはあまりなく幹部こそみな険しい表情であった。
さもあろう、それでこそ勝って兜の緒を締めよである。
医療界でも、これと似たような戒めの言葉がある。
「二つ目の骨折」という。
患者さんの痛いという箇所を数方向からレントゲンを撮れば、まずたいていの医師ならば骨折を発見できる。実際にご覧になった患者さんも医療関係者でなくても、ああ、ここが折れているのだ、と視覚的にもわかるくらいのものも多い。が、そこで骨折点に目を奪われ、他の箇所が盲点となって見えなくなるのがまずい。
痛い場所が離れていれば簡単だが、近接していればその二つ目の骨折を見逃すことがある。それを戒めた言葉なのだ。一つ病変を見つけて有頂天になるな、という「兜の緒を締めよ」とどこか似てはいまいか?
内視鏡を自ら繰って見つけた消化器癌は外科医なら
「よし、俺が絶対治療するぞ」と勢い込む。
そこには功名だの、達成感などはない。あくまでも「敵影発見」した哨戒中の軍人の感覚だ。なにしろ、研修医の頃から、「癌を扱うときは親のかたきだと思え」とまで教えられている。いざ発見したときは緊張するものだし気負いは確かにある。だが、そこでそれ以外何も見えなくなるとまずいのだ。
外科的に切除するべきほどの食道癌自体は重病である。内視鏡で発見する場合は当然口か鼻からのファイバースコープである。そこでの発見に小躍りしてはいけない。なぜなら、食道癌を手術する際は、その食道の代わりを務める代用消化管は胃袋であることがほとんどだからだ。
だからその際食道に加え同時に胃に癌がないことをしっかり見なくてはならない。見落とすと根底から治療法が覆るからだ。
胃も食道も同時に癌ができる、そんな不幸なケースはほとんどないだろう。
だが、発癌のもっとも危険な因子(条件)は「癌の既往」が真っ先にあげられるのだ。残念ながら人間は平等にできておらず、発癌しやすい、しにくいは紛れもなく存在する。すると、発癌者はもう一つ癌を隠しているかもしれない、と常に疑う姿勢が必要になってくる。
また、本当の意味するところの胃の重複癌、胃の中で離れた位置にある二つ以上の癌も見落とされやすい。見つけやすい位置にある癌を最初発見した場合こそ、「もう一つはないだろうな」と目をこらさなくてはいけない。
宝くじとは言わないが滅多にそれはない。だが、見落としてしまい、取り残してしまえば命に関わる。また、よしんば手術の時に気づいても、根治のための手術法だって変わってくるからことは重大だ。
手術、そのものも「常勝」を強いられる。失敗は絶対に許されないからだ。しかし、100%成功する手術はないから、必ず敗北した手術は存在する。
昔、手術の巧みな先輩が言ったことを思い出す。
「医局でオフレコの話を聞き逃すな。あまり、手術の上手くない先輩の話こそ真剣に聞け。上手い奴の手柄話は参考にならない。失敗例の中にこそ一番知りたい手術のコツがある」
なるほど、勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし、といったところであろう。どんなことがらでも負けた場合、敗因は必ず存在する。勝ちに勝因はないか、あっても参考にならないのだ。
手術こそ、「勝って兜の緒を締めよ」である。石橋を叩いても叩いても大丈夫か、それでやっと慎重に渡る。しかし、当然のことながらのんびりはできない。その慎重さと素早さを同時に求められるのが手術である。
家康ネタで何度も恐縮だが、
徳川家康は馬術が巧みだった。大名の身分になっても馬術と鷹狩りを好み、それは皆の知るところであった。もっとも、家康自身は武士のたしなみというより「運動が長寿にいい」ともっとも早く気づいた戦国大名で、健康増進のスポーツ気分でやっていたに過ぎない。それはさておき、家康の馬術技巧は天下にとどろいていた。
秀吉の天下統一事業で、冒頭に出てきた小田原の北条氏攻めの時のことである。
秀吉配下の上方大名は小田原に集結する。軍を率いて東海道を下る際、小川に板きれが渡してあるような通称一本橋があった。
戦国時代の生き残り大名たちはやはりみな馬術がうまい。名だたる大名小名が、馬の肩幅より狭い板橋をひょいひょいと渡っていく。時におそるおそるの者もいたが、それなら
「内府(家康)の腕前をぜひ拝見しよう」と、渡った大名たちも家康の馬術を見たがり小川の前に居残った。
ところが、家康は一本橋を見るやいなや、すとんと馬を降り、くつわを引きつつ、馬を渡らせながら小川をジャブジャブ歩いてしまった。皆拍子抜けし、ある者がおそるおそる家康に、なぜ橋をわたらなかったのですか、皆内府の馬さばきを見たがったのですが、と聞いた。
「たわけが、落ちたら何とする」
この言葉を聞き得意がって一本橋を渡った大名たちはしゅんとした。家康の慎重ぶりは鉄板であろう。
彼こそが兜の緒を締めよ、の発言者としてふさわしい、と私は思う。
来年の抱負、ということではないが、この言葉を肝に銘じて日々努力しようと思う。(別に何に勝ったというわけではないが)
よいお年になりますように。

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旧約聖書に「ヨブ記」という物語がある。
穏やかな神道信仰の日本人にはちょっと理解に苦しむ説話である。
ヨブは牧畜を生業とし、資産家でもあり、妻子にも健康にも恵まれ、人柄もよく敬虔なユダヤ教徒であった。神に対して感謝の念を忘れず、礼拝も事欠くことなく、申し分のない人生を送っていた。
ヨブを天界から見ていた天使長サタンはあるとき、神にささやいた。
「神の恩恵がこれだけあればこそ、ヨブはあなたを敬うのです。与えたものを奪えば、すぐにでも神を呪うでしょう」
天使長サタン(=ルシファーとも呼ばれる)後に天界から落とされ、堕天使悪魔と化すが、この時は神の一番の側近だったようだ。
神(ヤハウェ)はサタンの申し出を承知して(するなよ!)、ヨブのすべてのヒツジ、家来を蛮族に襲わせ奪い、また幸せに暮らしていた子供たちを屋根を落として圧死させた(なんと!)。
ヨブはあっという間に財産と子供を失った。ヨブは絶望したが、すぐに地にひれ伏した。
「おお、神よ。私は裸で母から生まれた。また裸に戻ろう。神は与え、神は奪う。神の御名を誉め称えよ」と叫んだ。
サタンはそれでもヨブの心を疑い、
「苦痛を感じていないから、あんな上っ面の言葉を吐くのです。肉体が痛んだらすぐに神を呪うことでしょう」
「よろしい。ただしヨブの命を奪ってはいけない」と神はサタンの提案を承諾した。(するなよ!)
そして、ヨブは原因不明の皮膚病に悩まされ、痛くて眠ることさえできなくなった。顔も体もぼろぼろになり、妻に「あんなに神に感謝して、その結果がこの姿ですか。神を呪って死んだ方がましでしょう」とまで言われる。あまりの仕打ちではないか。
ヨブは妻に「情けないことを。私たちは神から幸福をいただいたのだから、不幸も同じようにいただこう。」とあくまでも敬虔な心を捨てない。
しかし、日増しに皮膚の痛みの苦痛が強まっていく。そこへヨブの友人が数人訪ねてくる。ヨブの変わり果てた姿に驚きつつ、やはり神を信じる友人は「あまりにもひどい。このような罰を受けるなんて、神に対して信心が足りなかったのではないか」と慰めるどころか、ヨブをくさす始末。
ヨブは「なんてことを言う。私は神に対してほんの少しも疑念を抱いたことはない」と反論する。
しかし、そのあと
「神よ、私に至らぬところがあるなら、どうか教えてください。何の罪があったのか。そして、この身を打ち砕いてください」
と祈った。
ところ友人たちは
「あなたは神を試すのか?(神がヨブを試しているのだから始末に負えないと突っ込みたいが・・・)そういう心だからこうなったのだ」と心ない助言を繰り返す。
エリフという友人が最後に来てそのやりとりを見てヨブを叱る。
「なんということだ。全知全能の神は決して誤らない。神は不正を行わない。神は正義だ。それを恐れず神を試そうとするのは。その思い上がりが罪ということに気がつかないとは」
痛くもかゆくもない第三者は好き勝手なことを言うなぁ、と聖書となんの関係もない一読者の私なんぞは鼻白む個所だが、ユダヤ教的にはエリフの言うとおりなのだろう。
苦痛を与えられたからといって、自分に何の罪がある?と自問すらしてはいけないとは・・・
友人たちが去ったあと、ヨブはひたすら神の声をせがむ。「おお、神よ。なぜ声を聞かせてくれないのですか?」
ある嵐の日ついに神がヨブに答える。
「知識もないのに言葉を重ねて神の経綸を暗くするのは何者か」ヨブはあまりのことに沈黙する。
「全能者と争う者よ、引き下がるのか。神を試すもの、答えるがよい」
勝手な神だこと・・・試したのはあなたでは?と私は思ってしまう。そして、恐れおののいたヨブは罪を認め神にひざまずく。
結局、ヨブは神の言葉を聞き、喜びに満ち、改めて罪を悔いて終わる。
これがヨブ記の顛末である。サタンはどうしたの?と突っ込んではいけない。
無謬性(むびゅうせい)という言葉がある。絶対確実な正しさ、間違いのないこと、をさして言う言葉だ。この場合のヤハウェ神が「無謬」であることがわかるだろう。
そしてその言葉こそ、医療と全くかけ離れた語であることは論をまたない。
医療の一分野である予防医学のそのまた一手段であるワクチン接種が「無謬」であるはずがないことは医療人でなくとも常識ではないか。私はこのコラムでもそうだが、どんなものでも絶対はない、と固く信じている人間だからなおさらなのだろう。(一神教徒でないので・・・)
唐突に感じるだろうが、私はワクチンに関しての無謬=神のようなもの、を求める姿がどうしてもわからないから、長々とヨブ記を引用した。
といいたいのは、いつも新しいワクチンが定期接種化へ、となると必ずどこからか現れる「ワクチン定期化反対」の団体だ。
今回はやり玉に上がったのがあの「子宮頸がんワクチン」である。
HPやブログでもすぐに検索をかけるとヒットするので、ざっと反対者の意見を読んでみた。ネットというのは恐ろしいもので、誰かがもっともらしいことを発信すると、それを引用してまた広める、元をたどるとただ1つの発信源だったなんてのはざらである。
どうやら、反対論者がこぞって引用する文献とは2007年マイク・アダムス著「HPV great hoax exposed(子宮頸がんワクチンの大嘘を暴く!)」というレポートであった。私は原本は読んでないが、内容は皆が要約して、これでもかとアップしているから、わざわざ求めなくても良さそうだ。
さまざまな角度から検討して、結論から言うと、これはまゆつばもので「トンデモ本」とほぼ等しい。
ワクチンはどういうわけか日本では「無謬性」を要求される。副反応(ワクチンでの不利益は副作用とは言わず副反応と呼ぶ)は頭ではわかっているが日本では許されざるものらしい。日本以外ではワクチンの副反応は許容される不幸な出来事と理解されている。だから、ワクチンを受けること自体教育を受けるのと同じレベルなのだ。
余談だが、不思議なことにあれほどワクチンに反対している親がいざ子供がアメリカ留学する段になると、手の平を返したようにワクチンを打ちまくりに来て「間に合わないんです!」と金切り声を上げて、過密なスケジュールを組む。子供はたまったものではない。物心つく前に打っておけばよいのに。
当然ながら、そこまで趣旨替えを余儀なくされるのは、言うまでもなく米国には「ワクチンを打ってないものは入学させない」という決まりがあるからだ。
日本の保護者がどんなにワクチンが非人間的なものだと主張しても無駄である。
ワクチンの重要性を徹底させ、さらに強権をもって例外を許さない。海外の行政の力強さは日本の比ではない。
そもそも、日本ではマスコミや反対団体の意見を聞きすぎ、びびった厚労省が「勧奨接種」だの、慎重に同時接種せよ、だのワクチン行政そのものが腰が座ってないやら、引けているやら。
「打ってもいいけど慎重にね」
などと言ったらシロウトでなくたって
「もしかしたら、ワクチンは危ないものかも」とか「打たなくてもいいなら、いいんじゃね」
と考えるのは当たり前だ。こんな態度だから、もっともらしい「ヨタ本」の主張につけ込まれるのだ。
同じような目にあったのがかつてのインフルエンザワクチンである。
「インフルエンザワクチンは無効」との前橋市医師会研究報告が、マスコミで紹介され、大反対の運動で学童の集団接種は1995年より中止になった。市民運動がワクチンに勝利した瞬間である。
今でもネットでこの「前橋スタディ」という語句で検索するとごまんとヒットする。この研究はワクチン反対論者のよりどころとなっており、なにかと必ず引用される。なにしろワクチンを廃する旗頭となったわけだから。
だが、結論を申し上げると、この「前橋研究」は疫学方法論からして誤っており、現在では科学的根拠が乏しいとされている。
なぜそんな基本的なことが最初から指摘できなかったかというと、マスコミの力はとてつもなく大きいからだ。
「庶民の味方」のマスコミ様が民衆の「感情」を刺激して、「民意」で行政を圧倒することなど、理屈は必要ないのだ。インフルエンザにかかることを防ぐ力が弱かった。それなのに、手間ひまかけ、人も費用もかけ、副反応もおこすじゃないかと、この論拠をもって、中央突破し接種を廃止させた。
詳しくは割愛するが、現在までのさまざまなインフルエンザワクチンの確からしい研究報告をまとめると、
「ワクチン接種は集団として罹患率の低下は期待できない(ここまでは前橋報告とほぼ同じ)が、免疫低下および重度の合併症を持つ方、妊婦の重症化率は低下させる。小児の死亡率(インフルエンザ関連死)を減少させる。」
とのこと。
だから、集団接種をやめたあと、日本で小児のインフルエンザ関連死が増加したのは言うまでもない。これは誰が責任とってくれるのか?
国立感染研による日米共同研究で2001年に発表されたが、未だに前橋スタディ(またはレポート)の呪縛が強く、医師仲間ですら、前橋スタディを信じてインフルエンザワクチンは無駄だ、と言い切るものも多い。(ネット上医師を名乗るブログでいくつも確認できる)
インフルエンザワクチンを打ったところで罹ってしまうことは統計上防げ得ない(わずかな差)が、罹ったときの肺炎や脳炎を減らせるという。私はこちらを支持しているので毎年せっせと打っているのだ。
さて、もしも子宮頸がんワクチンが「アダムス氏」の論ずる通り、癌を予防せず、副反応は致命的、ひいては接種者の不妊症や逆に発癌を引き起こす恐ろしい陰謀の毒物だと仮定しよう。または、製薬会社の利益のみによって、行政に賄賂を送って定例化させたものとしよう。
あれほど、健康被害に敏感なアメリカ行政(「ボストン赤潮事件」および神の火(下)「サリドマイド」参照、毅然とした態度がわかるだろう)が自国内で母国語で出版された「真実が暴かれた」本を無視して強引にワクチン事業を推進するものだろうか?
常識で考えて、少なくとも行政府は「荒唐無稽のヨタ本」と考えてほったらかしにしていると考える。
私が米国で善意の施政者なら「あの本の言うとおりなら、即刻ワクチンは回収させろ」と言うだろうし、悪意の独裁者なら「あの本をなんとかして始末しろ」と命令するだろう。
まあ、実に巧妙だがその本はFDAの発表やいろいろな研究論文を引用して、都合のいいところだけ強引に解釈しているところが多い。つまりはじめからワクチンは恐ろしい、の結論ありきで作られた本のようだ。
ネットは便利だが、その気の人を誠に上手に(それと気づかせることなく)誘導するものだ。そのようなデマにひっかかってはいけない。
ネット選挙法というものが成立したらしいが、人の意見に流されやすい人が多いわが国では少々危惧している次第である。
わが国の子宮頸がんワクチン反対運動家はどうやら、健康被害にあった方が中心になっているようである。確かにそれは悲しむべきことで、その方に全く罪がないどころか、お気の毒としか言いようがない。だが、その怒りのやり場を「接種反対」に持って行くのはいかがなものか?
もし、その方の熱意が通じて、頸がんワクチンは接種しない、自己判断で自費で行うようにと、運動家の全面勝訴状態になったとしよう。
それでも、頸がんワクチンの効果を期待して、自費接種したい人たちはたくさんいるだろう。
その際、もし副反応被害が生じたら、補償がなくなってしまうのだ。(正確には薬剤被害として届け、認められたら製薬会社の救済になる)それに比べ、わが国のワクチン被害は定期接種ならば、国の救済制度が適用になる。お金で解決はできないが、補助があるとないとでは、もし介護など必要になったら雲泥の差である。そのことを運動家たちはご存じなのだろうか?
ワクチンをやめるともっと根本的に困ることはいくらでも出てくる。
わが国はかつて新三種混合ワクチンがやはり副反応の件でつぶれ、仕方なく代替の風疹ワクチンを女子中学生に限って接種するとい暴挙をしてきた。
風疹や麻疹など感染力の強い伝染病は人口の95%以上の免疫保持者およびワクチン接種でないと流行を止めることができないとわかっているのだ。最初から人口の半分だけ(女子だけ接種)およそ疫学的にはなんの封じ込めもできないことはわかっていたのにも関わらずである。
だから、去年から首都圏を中心とする成人男性の風疹禍が巻き起こったのは必然であった。これはどう責任とるのだろう?先天性風疹症候群のかわいそうな子供も生まれてしまった。先進国なら防ぎ得た病気なのに・・・
だが、ワクチン反対者は聞く耳は持つまい。
「健康被害にあった?だから、打たなくていいの!って言ってるじゃない!風疹にかかった?あら、いいじゃない。もうかからないんだし」と叫ぶだけだろう。頸がんワクチンは日本以外100ヶ国以上定期接種化しているワクチンであるが・・・
被害者たちは「他の子はぴんぴんしているのに、なぜ自分の子だけがこんな目にあうのか」と思い、やるせないのはわかる。そして、こんなワクチンお蔵入りにしてやろうと思う気持ちもわからないでもない。
だが、そこで欧米圏はヨブ記なのだ。
神は無謬である。自分の子に起こった不幸なことは神の思し召しなのだ。神のお心のもとに受け入れよう。
私は宗教にはうといが、旧約聖書を心のよりどころにしている民族はおそらく最終的にはそうして心を静めているのだろうと思う。それがいいとも悪いとも思わないが、受け入れることができない、よりは安寧が得られるだろう。
それにくらべ日本の神様たちは御利益しか与えてくれないから、我々はそれを常に期待し「神を試す」行動ばかり私たちがとってしまうのかもしれない。
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英国の有力な医学論文誌「British Medical Journal」(略してBMJ)の年間最終号にはいつも楽しい研究論文が発表される。権威あるお堅い医学誌なのだが、大まじめにジョークを載せてくるのがほほえましい。
今年の目玉論文タイトルは「病棟におけるチョコレートの生存期間」である。
論文の筆者が自身の務める病棟のステーションに2種類のボックス・チョコレートを置いた。そしてチョコレートが食べられていくのをこっそりと観察していった。
その結果をもろ医学論文にしたて、表やグラフまで載せて本気度満載である。
いわく、「チョコレート消費は非直線的で,初期に急速に消費され,時間とともに緩やかになった。指数関数的減衰モデル(モデルR2=0.844,P<0.001)がこれらの所見にもっとも合致し,半減期(50%のチョコレートが食べられてしまうまでの時間)は99分だった。
病棟にチョコレートのボックスが出現してから、開けられるまでの平均時間は12分(95%信頼区間0~24)だった。Quality StreetチョコレートはRosesチョコレートよりも生存期間が長かった(Roses対Quality
Streetの生存のハザード比0.70,95%信頼区間0.53~0.93,p=0.014)。チョコレートを消費したのがもっとも多かったのは,医療補助員(28%)と看護師(28%)で,医師(15%)がそれに続いた。」とある。
バカバカしい話だが、思わずにんまりしてしまう。
「指数関数的減衰モデル」まで持ち出し、(これは病気に対する治療効果の生存曲線でよく用いられる)分析するものだから、ぱっと見なんかの治療効果論文に見えるから大したものだ。
そのほかの論文も「ジェームズ・ボンドのアルコール消費量について」というものもあった。
007の作品中、確かにボンドはしょっちゅう酒を飲んでいる。映画でもいつもバーに行くと「ドライ・マティーニ、シェイクで」と注文しているし、スコッチもがぶ飲みしている。
そこで、彼が飲んだアルコール量を計算し、敵に拘束された日数は飲めないとした結果、ボンドは成人がアルコール摂取してもよい量の推奨量の4倍以上毎日摂取していたとし、このままではアルコール中毒発症するとして、即入院し精査が必要と結論していた。
忙しいと思える一流の病院からの投稿なので、びっくりするが、当人たちはjokeのつもりかあるいは忘年会の隠し芸のネタくらいにしか思っていないのだろう。
これが日本の大まじめな論文誌だと、「ふざけるんじゃない」とお叱りを受けるのではないだろうか。
そもそもクリスマス特別号のような位置づけの巻だから、みなも大目に見ているのだろう。このjokeの風習を知らなかった大手のメディアがタイトルだけ読んで「スクープ!大発見」の誤報を打って出たこともあるらしい。
そういえば、英国の超一流論文誌の「Nature」も4月電子版で「長寿マウス誕生」と発表したこともある。
長寿コイに常在しているある大腸菌の一種類を分離し、マウスに与えたところ長寿マウスが誕生したという論文。
その中で「冷凍魚の内臓を食す日本の北海道地方の漁師が長寿」であるという論文も引用してあった。笑えることにその引用論文の著者がDr.Furo&Dr.Chojuとクレジットされていたことだ。この辺で怪しいと感づくべきだろう。(フロウ医師とチョージュ医師、合わせて「不老長寿」)
この「Nature」の発行日が4/1だったのがオチ。言わずもがな、「エイプリル・フール」である。嘘っぱちの論文をさも本当のように見せかけ、大まじめに載せるのだ。ブリティッシュ・ジョークは筋金が入っていることがこれでもわかる。やるならとことんやる。中途半端はよろしくない。
論文誌ではないが、かつて、英国BBC放送(わが国のNHKのようなもの)がラジオで突然「火星人が襲来しました」とアナウンスしたから大変。
もちろん4/1に放送したのだが、ロンドン中がパニックになったそうだ。
が、そこはjokeの国民、抗議もせず、笑ってあきらめたそうだ。海の向こうのアメリカではこの騒ぎを冷笑したらしいが、その12年後、ハロウィーン企画で俳優のオーソン・ウエルズがH・G・ウエルズ原作の「火星人襲来」をベースに米国のラジオ放送局がニュース仕立てでもっともらしく朗読し放送したので、200万人ものの米国人が「宇宙戦争だ!」と信じ、大パニックを起こした。
翌日、jokeだとわかると市民は安堵すると同時に恐怖から怒りにかわり、企画したCBS放送局に暴徒が乱入し、大事件になったそうだ。
米英ではjokeの受け取り方がまた違うのがおもしろい。
日本ならきっと暴徒にならずに、放送局へは投書やお叱りの電話が殺到するのだろうな。
これが1938年ということだから、その後米英ではTV、ラジオなどがハロウィーン、クリスマス、エイプリル・フールにとんでもないウソをついてもだいぶ市民権を得てきたようだ。
ビートルズ・ネタでまたまた引っ張ってしまうのが恐縮だが、彼らがデビューして間もないまだ駆けだしの頃、アメリカ公演のさいバカな質問を受けた。
曰く記者が「ベートーベンをどう思う?」
記者はきっとにやにやしながら聞いたのだろう。
「このただのチンピラもどきが!ポピュラー界最高の作曲家などとおだてられて、いい気になるなよ。ベートーベンを批判するようなら、けちょんけちょんにやっつけてやる」と息巻いたに違いない。
おどけた顔をして、大きくうなずき答えたのがリンゴ・スター。「いいね。すごく好きだよ」
記者は面食らっただろう。ベートーベンはおよそ古典派の重鎮にしてクラシック界最大の作曲家だが、とても彼らが聞いているとは思えない。何しろ、アルバムの中で「Roll
over Beethoven(ベートーベンをぶっ飛ばせ!)」なんて曲も歌っているくらいの奴らだ。
リンゴはすかさず「特に彼の詩がね」と続けたから、皆は大笑い。
この時リンゴ25歳。
嫌味な記者を軽くいなす恐るべき若僧である。
ビートルズの4人は皆このようなインタビューにはいつもjokeで返すことが多い。(やはり、ジョン・レノンが一番多く痛烈な皮肉を返すのが常だったが・・・)このくだりは司馬遼太郎氏「街道をゆく(アイルランド紀行)」にも引用されていた。氏はビートルズの4人が生まれながらのjokeや風刺、皮肉を理解する能力はアイルランド系に多く、ジョナサン・スイフトやバーナード・ショウのそれに比して言及している。
ひるがえってわが日本はどうだろう?芸能人が記者に嫌味な質問されてむくれたら、生意気だと言われ、まじめに返したらおもしろくない奴だと言われ、もしも、軽妙に返答したら果たして記者は大笑いしてくれるのだろうか?どん引きされて空気が凍るような気もするが・・・
芸能人はともかくとして、日本の医学論文誌で大まじめで冗談を掲載したものを浅学の私はいまだかつて目にしたことがない。
インテリ集団と自負している日本人はこういうjokeはお嫌いで、おそらくだが、そのようなものを仕事ではなく遊びとして一段低いものと認識しているのだろう。そんなことをしている暇があったら、まともに仕事をしろ、よい仕事をする人間は決して遊びにうつつを抜かさない、とでも真剣に考えているに違いない。
そんな日本でも今様(いまよう=平安時代中期~末期の流行歌)を現在に伝える功績大である後白河法皇もその熱中した有名な歌の中
遊びをせんとや 生まれけむ
戯れせんとや 生まれけむ
遊ぶ子どもの 声聞けば
わが身さえこそ 揺るがるれ
(遊びやいたずらをするために生まれてきた元気いっぱいの子らの声が聞こえる。自分もその声にひかれ遊んでみたい)
最終句はいろいろ解釈の余地はあるが、だいたいはこんなところである。
やんごとなきに生まれた方では遊んでいたいのはやまやまだろう。だが、後白河法皇の生涯は源平の戦いの真っ最中で劇的に多忙なものであった。喉を痛めるほど今様に熱中していたという逸話が残っているくらいだが、そのくらいの遊びはいたしかたない、認めるべきであろう。
明治に活躍した大山巌はぼっけもん(木強者=無口大胆)の多い薩摩藩士の中で冗談を言うのが大好きであった。
まだ弥助と名乗っていた頃より
「また、弥助どんがチャリ(冗談)を言う」
と周囲を笑わせていた。
西郷隆盛のいとこにあたり、大山は西郷の実の弟のように可愛がられていた。大山はただの軽薄な少年でなく、頭の回転も速く、特に計算に強く西郷に勧められ、ヨーロッパに留学し砲術を学んだ。カミソリのように切れ者だが見た目は茫洋としており、壮年以降はその外見から「ガマ(ガマガエル)」とあだ名をつけられていた。
陸軍の重鎮になってもチャリはやまず、皆を和ませる絶好のアイテムだった。遣欧使節団の岩倉具視がジュネーブ留学中の大山と会談した際、岩倉は大山のチャリに笑いっぱなしだったという。
日露戦争では大山は陸軍総司令官として行軍した。
陸軍は苦しみながらもロシアを撃退しつつ北上、しかし、沙河会戦は予期されなかったロシアの強襲を受けた時に発生した。一瞬の油断で日本軍前線は崩壊しつつある。
参謀長の児玉源太郎は対ロシア戦の作戦をすべて立案していたが、この時ばかりは参謀室はてんやわんや上へ下への大混乱の様相を呈していた。怒号を発する児玉、その下で働く若き参謀たちは前線からの報告を次々に言上。
しかし、日本を代表する作戦家であるさすがの児玉といえども、パニックに陥っていた。
そこへ半寝間着状態でのそっと参謀室に現れたのが大山だった。
「児玉サン、おおづつの音がウルサくて起きてしもっそ。どこかでユッサ(戦)始まりマシタカ」
大山のあまりの緊迫感のなさに児玉は吹き出し、その瞬間、参謀室は我にかえった。パニクっていた児玉たちはたちどころに情報を整理し、次々に前線に命令を出し、ようやくロシアの強襲に耐え、前線は崩壊せず持ちこたえた。後に児玉は回想する。
「あの時の大山さんには本当に助かった」
日露戦を戦い抜いた大山も戦後述懐する。
「(総司令官は)何がつらいかと言えば、何もかも知っていながら、何も知らないふりをしなくてはいけなかったことだ」
大山は司令官室で昼寝などしていなかっただろう。遭遇戦が始まったことなど、音を聞けば砲術家で百戦錬磨の大山ならすぐ気づいたはずだ。自分のいない参謀室の状況を想像し、むしろ軍服を脱いで私服に着替えて、のんびり向かったとしか思えない。
戦前、大山は児玉とタッグを組むとき
「いくさはすべて児玉サンにお任せします。私は負けいくさになった時だけ前に出ます。」
と言って児玉を感動させた。理想の総帥というのはまさにこうであろう。
オペで例えれば、トラブルが発生した際、術者がパニクって手が止まったその瞬間、
「どこか、まずいところを切ってしまったのかの?」
とのんびり聞いて、落ち着かせたようなものだ。
日本人のjokeにはこういった実用性を求めるきらいがあるが、毎日が緊張の連続なら、やはりガス抜きが必要だ。
忙しい年の瀬にjokeのすすめもなかろうが、来年はよい意味でもっと肩の力を抜いて、頑張りたいと思う
(その実用性を求めるのがやはりダメなのだろう)
それでは皆さん、よいお年を。
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前回の理由で厨房に立つことが多くなった。
今までも、インスタント・ラーメンはともかくギョーザや焼きそばなどの焼き物にこだわりがあって、自ら調合して作っていたが、さすがにそれだけでは家族の胃袋は満足しない。レパートリーを増やさないとブーイングがあがるので、自分も少し食べたいものをピックアップしクックパッドで予習。
いやあ、これは無数といっていいほどのレシピ情報の海だ。
それはともかく、皆様、人にレシピを紹介できるほど料理が堪能でうらやましい。私も大学生時代は自炊も結構やったが、当時は当然ながらすぐできて、安くて大量に食べられるカレーだの野菜炒めだのくらいのものだったからとてもひとさまに講釈を垂れるほどの腕前はない。
今回はパソコンで「これは」と思う料理を少し書き出し、一応、メモしてスーパーに食材を物色に行く。
まず魚だ。私は肉よりなにより魚なので、自分も当然食べるから、作る以上はこのくらいのわがままを言ってもバチは当たるまい。
とりあえず、フィッシュコーナーの冷蔵スペースに向かう。サクに「脂のってます」「今が旬」などのシールが貼ってある切り身を手に取る。魚も野菜も旬のものが最も安くかつ最も旨いのは言うまでもない。
セール中の食材には声を張り上げて客寄せしている威勢のよい魚屋さんの若者が、いろいろ教えてくれる。なるほどカツオの脂のノリはそこで見るのか、勉強になった。だが、今回はカツオでなく、イサキのいいのがあがっているのでこれを洋風に調理することにした。
レシピ通りに作ろうとして、食材をそろえると他の料理ではではあまり使わないハーブ類が大量に余る。さて、どうしたものか。もったいないので、ここは壜入りのパセリを「なんちゃって香草」で勘弁してもらおう。
そして、メモ片手に野菜売り場を行ったり来たり。迷惑なことに人の流れに沿わず、動線がまるでなってない。
主婦は偉いものだ。いかに無駄な動きをせず、かつ買い物に最大の効果を生み出すかを実践している。
これは医療もそうでなくてはならない。いかに無駄な検査をせず、診断にたどり着けるか、そんなことを思いつつカートを転がす。
さてまた、魚売り場に戻ると魚屋さん監修の旬の食材を使った写真入りのレシピカードが置いてある。ふーん、これいいな。次はやってみよう、と数枚拝借。これをベースにまたクックパッドで勉強してみよう、と。
自宅に帰り、冷蔵庫にまずレシピを貼り付け、下ごしらえ。おっとその前に米を仕込まなくては。いちいち、考えながらの調理の動きはやはり鈍くさい。外科医なら体が手術の手順を覚えねば、そんなことも考えつつ(んなわけないが)シャカシャカ米を洗う。
まあ、すったもんだでなんとか数品を平行に調理する。一応、全部暖かいままテーブルに出せるくらいになればと、調理時間を逆算したが、手際がよくないのかバタバタ感は否めない。枝豆を茹でるくらいは簡単なのだが。
さて、問題の味だが、レシピ通りに作ったら塩辛く感じるのだ。そういえば、我が家はかなり前から減塩醤油を使っており、家内に塩加減も味噌汁も薄味に調理してもらっていたことを忘れていた。我が家では薄味が基本の味だったようだ。
慣れというのは恐ろしいもので、「高血圧ですから減塩しましょう」と患者さんに勧めても、じゃあ早速薄味にしようか、とおかずを食べたら「こりゃ味がしねーや。旨くねーな」と顔をしかめるに違いない。そんなときはさすがに塩をぶっかけて食べないだろうが、醤油など垂らして食べてしまうのではないかなどと心配してしまう。そんなこんなで体に入る塩分は塵も積もれば山となる、減塩は慣れないと一朝一夕にはムリだ。
これをきっかけに様々な食材の塩蔵量をネットで調べてみる。
加工食品はつまみにもなるので割と好きだが、なんと含有塩分の多いこと。
ちくわ・かまぼこはさることながら、意外とも思えるが、「はんぺん」の塩分はばかにならない。一枚で1.5g、普通は三角形に真っ二つにするからそれでも淡泊な味の割には、はんかけ0.7gはその味からして多い。その量はしょっぱいぞ、とかなりな塩蔵かなと思えるベーコン2枚の量または6Pチーズ一つくらいに相当する。ましてや、はんぺんは煮込んだ汁までたっぷり吸い取っているので、おでんだったらいったいどれだけの塩分か、想像すると恐ろしい。
梅干しはたった1個で3gくらい塩が入っているので、さらに手に塩つけて、おにぎりにしたらどれだけか、とも思う。
が、体を動かす体育祭やハイキングではびっしょり汗をかくので最近の日本の亜熱帯気候を考えると熱中症予防に「梅干し塩おにぎり」は必需品かもしれない。
一方、ポテチや塩せんべいは表面に塩を振りかけているので思ったよりは塩分は少ない。カロリーはともかく一袋食べても塩分1gに届かないのだ。
また、塩味がしないのに、はんぺんのように含有量がやたら多いのはそうめんだ。
ただし、茹でると大部分の塩分がゆで汁に溶け出すので実際に体に入る量は麺一人前0.7g程度、だがめんつゆを普通に絡めて食べると、2gくらいは摂取してしまう。
わかっちゃいるけど、そうめんこそは盛りそばと違って食べてる途中から、やたらつけ汁が薄くなるからつゆ足したくなるんですよね。
サラダ、サラミこれらは「塩」が語源だ。ラテン語の「salarium」が塩を意味することより、現代語の「サラ~」はほとんど塩に関係する。発音は異なるが英語の「salt」ももちろんこの仲間だ。ソールトから転じたソーセージ、ソースも塩の遠い親戚関係にある。
古代ローマ帝国の兵士が給料の一部を塩で支給されたことより、サラリウム=サラリー=給料という語源なのは有名だ。それだけ塩はお金同様、世界津々浦々で重要不可欠であった証拠にもなる。
日本での戦国時代も沿岸領地を持たなかった甲斐・信濃国(山梨・長野県)の領主武田信玄が塩の調達に苦労している。同盟国の駿河(静岡県)の今川氏真が相模(神奈川県)北条家と謀り「塩止め」をしたため、信玄とライバル関係だった上杉謙信が「敵に塩を送った」のはこの時だ。
また、織田信長が京料理の名人が作る料理を「こんな水っぽい料理が食えるか」と激怒し、首をはねようとした。名人が今一度料理させてくれという懇願を聞き届け、再調理した皿を食べた時、「うむ、満足である」と納得した逸話が残っている。
その名人は再チャレンジの時、通常よりも塩と味噌を大量に使ったらしい。商人や公家の多い京都では運動量の多い武士と異なり、薄味を好むので、京料理はあのようなほんのりとした味なのだろう。一方、田舎では(といっても今の尾張=名古屋は十分に都会だが)、塩蔵食材が多く、また武士は半端ないほど塩分を摂取していたという研究もされている。信長は怒りっぽいがそのためか?(一説によると一日30~50gというとてつもない量)
私の好きな「北方・水滸伝」でも梁山泊の連中の資金源は塩の密売で得られた「塩の道」を設定していた。これは作者の創作やまた事実無根の妄想ではなく、前近代中国の各王朝は非政府組織の塩の密売に頭を悩ませていた。当然ながら、塩は生活必需品であるため、国家の専売とし、割と法外な税金を上乗せしていた。次第に財政が逼迫すると、取れるところからとろうとするのは消費税アップのわが国の状況を見てもよくわかる。
塩は海沿いならば原料は無尽蔵にあり、また製法も難しくない。国の売る塩は税金のかたまりでバカ高く(最近のタバコも似たようなものだが)原価に上前をのせただけの脱法塩=密売がはびこったのはムリもあるまい。
これほど古今東西必要とされた塩がいまや高血圧の目の敵とは。
だが塩が関係している高血圧はほんの一部である。いわゆる食塩感受性高血圧と呼ばれる人たちは減塩すると驚くほど血圧が下がる。だが、非感受性の人は残念ながら減塩の効果はほとんどみられない。
その性質を持つ人は黒人では80%以上と多く、黄色人種である日本人は約半数の高血圧が食塩感受性だというので、高血圧と診断されたら減塩は試すべき最初の治療である。また、感受性がなくてもメタボリック体型の高血圧はおしなべて減塩は降圧に有効という報告があるので、塩分はやはり高血圧の目の敵といってもいい。
日本にとってW杯は残念な結果になってしまった。冬のブラジルで行っているので気候がマッチしなかったのか。まあそれは相手も条件は一緒だし、ヨーロッパも状況は同じなのに勝ち抜いているチームもあるから言い訳にならない。
そのW杯開催しているブラジルの北端にベネズエラとの国境をまたいでヤノマミ族という民族が生活している。
彼らは調味料として塩を持たないので、肉、魚に含まれているわずかな塩分だけ、そう塩分必要量ギリギリで生きている。そのため、最も低血圧な部族として有名である。(民族の平均最高血圧100mmHg程度)さらに、特徴として我々なら必ず現れる加齢に伴う血圧上昇が全く見られないことから、塩分感受性が例えないとしても、長年の減塩は血圧を下げる効果があるに違いない。
我々はつい、何にでも気軽に「塩コショー」してしまう。レシピにもそう書いてあるし、「味塩コショー」などという無精な私から見たら、味付けの魔法のグッズも売っている。はたしてそれで臭みが取れ、うまみが増しているかわからないが、健康のため一度はコショーだけで塩抜きで、肉は炒めてもいいのではないか?とも思う。
以前何かの本で「ゆで卵に塩やマヨネーズをつけるのはいかがなものか」という主旨の文を読んだことがある。
ハード・ボイルドにしたゆで卵は、なんか調味料つけないと喉につまってしまうが、その文では
「黄身と白身は受精卵の栄養である。21日で目に見えないほどの受精卵から鶏の雛になるのだから、完全無欠の栄養食であろう。」
と、塩をかけてはいけない、と結んでいる。だから、卵を食べるには何も足さない何も引かない(どこかで聞いたような・・・)のが最も体の成長や細胞の修復によいはずだ、という理屈である。まあ、それを言ったら、牛乳も原乳で、肉でも野菜でもそのまんまがいいということになるが、それではやはり料理としては味気ない。
私たち関東人は塩辛いことを「しょっぱい」と平気で使うが、これは方言で、関西圏の人はまず使わないそうだ。最近はこの形容詞、味の表現ではなく、至るところで「しょっぱい=つまらない、ふがいない」という意味に使われ出したそうだ。「しょっぱい結果となった」「しょっぱい試合」などがそれでこの間、スポーツ誌の「Number」読んでたらその表現に出くわしたので驚いた。私どもの年代ではちょっと違和感ありありなので。
しかし、もともとは大昔からの大相撲の隠語で、しょっぱい=塩ばかり舐めているヤツ=土俵には塩がいっぱいまかれている、それを這いつくばってなめてばかり=相撲に弱いヤツ、というつながり。従って、相撲部屋で「しょっぱい奴」というのは昔から「弱い力士」という意味らしい。
なるほど、高血圧をめぐる塩のマイナス・イメージが最近とみに高まったわけではないのですね。
塩は救世主と悪魔の両面の顔を持つ。
これから、ますます熱中症に気をつけなくてはならない気候になった。湿度が高く汗が蒸発しないため、体温が体にこもる。
そして、塩分のない水(お茶・麦茶などだ)ばかり摂ると、「水中毒」になり、頭痛・嘔吐・痙攣、ひどければ意識障害を起こす。塩が足らないと恐ろしい症状を引き起こす。
乳幼児の下痢の際、スポーツドリンク多飲でも起こりうるから注意が必要だ。これはスポドリはおいしく飲んでもらうため、必要塩分であるナトリウム濃度が低すぎるのことが原因で結果それを摂りすぎて水中毒が起こる。
健康なときのスポーツ時でスポドリがぶ飲みはなんの問題もない。汗や尿の脱水でなく下痢などの体液強制脱水時が危険なだけだ。
脱水時の補給は「経口補水液」がベストである。だが、これは紛れもなく「しょっぱい(残念な)味」だ(笑)
薬だと思ってぜひ飲んでください。
この時期だけは高血圧の人もそうでない人も、塩分の取らなさ過ぎ(?)に気をつけましょう。
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