5.薔薇色の週末デート
待ちに待った週末、エリザベスはお忍びで王宮へとやってきた。
お忍びとはいえ家紋のついていない馬車で来るだけのことなので見る者が見ればわかるのだが、まぁ大々的に家を掲げてくるのではないということだ。
「お久しぶりです、ヴィンセント殿下。お呼びいただき光栄ですわ」
優雅に膨らませたドレスの裾をつまみ、エリザベスがお辞儀をする。
膝を深く折って恭順を示しつつもすぐに頭をあげる略式の礼だ。ドレスは流行の可愛らしいデザインで、形式ばったものではない。
今回の訪問がお忍び――つまりうちとけた、プライベートな会であることをエリザベスのほうから示してくれているのだ。
「来てくれてありがとう。どうしても君の顔が見たくなってしまって」
「学園で会えるかと思っておりましたが、なかなか機会がございませんものね」
そう!! そうなんだよ!!!!
エリザベスも同じように寂しく思っていてくれたのだろうか。オレの気分は一気に上昇し、目の前には薔薇が舞いはじめる。やはりあの小説さえなければオレとエリザベスは今頃もっと親密だったのだ。
しかしここで『乙星』の話題を出すと歯止めが利かなくなりそうなので、オレはぐっと我慢して話題を変えることにした。
「思っていたより学問は手応えがあってね。エリザベスが勉強会をしていると聞いて、ぼくも教えを請いたいなと」
「まぁ、わたくしからヴィンセント殿下に教えることなど何もございませんわ。でもそうですね、二人のほうが一人よりも楽しく取り組めるのはたしかですわ」
成績優秀な二人だ。これが半分口実であることはエリザベスもわかっているのだろう。
エリザベスの言うとおり、今日の時間は楽しくすごしてほしい。そしてあわよくばオレへの好感度を上げてほしいし、オレを意識してほしい。
オレはエリザベスをエスコートして庭へと出た。今日は期待どおりのよい天気で、風もない。ノートが飛んでいく心配もない。
池の傍らの東屋に机と軽食を運び込み、そこで勉強をしようと考えていたのだ。
周囲には庭師たちが丹精込めた色とりどりの花が咲き誇っている。エリザベスは一つ一つを笑顔で眺め、ときどきそっと手にとっては香りを嗅いでいた。
あー、天使。
庭を横ぎって東屋へたどりついたオレたちは、さっそくノートを開く。でも勉強は進まなかった。
ケーキスタンドに盛りつけられたお菓子の数々に、エリザベスの視線が釘づけになったからだ。
オレは笑って控えていたメイドにお茶を用意するように言いつけた。エリザベスは甘いものに目がない。そういうところは同世代の令嬢らしくてかわいいのだ。だからエリザベスが来るときは必ずケーキやクッキー、マカロンなど種々の甘味を揃えておく。
「来ていきなりおやつだなんて……」
エリザベスは恥ずかしそうに視線を伏せているが断りはしない。
いいじゃないか、勉強は名目なんだ。それに勉強をしようと集まったのに進まなかった、というのも青春っぽくて甘酸っぱい。
お菓子に舌鼓を打ちながら、オレたちは学園での生活などを語り合った。
「そうそう、エドワードは何か言ってきたかな」
「エドワード様、ですか。ノーデン伯爵の御子息の? いいえ、何もございませんが……」
友人たちの近況に合わせて、気になっていたことをさりげなく尋ねてみる。
エドワードはエリザベスには近づいていないようだった。あの者の性格なら、取り巻きたちがユリシー嬢を責めたことについてエリザベスに一言もの申すかと思った。そこまで首を突っ込めば大きなお世話だというのはさすがに理解できているらしい。
「直接お話したことのない方ですわ」
「ぼくが懐中時計に君の肖像を入れているのを見てね。ぜひ一度お会いしたいと言っていたから」
と、これもさりげなく、あなたの肖像を肌身離さず持っていますよということを匂わせてみたものの、案の定エリザベスには何も響かなかった。
「まぁ、ではわたくしのほうから今度お声かけいたしますわ」
「いやその必要はない」
あ、いかん。つい間髪入れずに否定してしまった。
きつい物言いにエリザベスが驚いた顔で見つめてくる。手に持っていたマカロンはかじりかけのままぽろりと皿に落ちた。あぁ、かわいい……じゃなくて。
咄嗟にごまかそうと思ったものの、よい言い訳は考えつかず、どうせ伝わらない本心を正直に口にする。
「君にあまり他の男としゃべってほしくないんだ」
「そうですね、申し訳ありません。はしたないことを言いましたわ。殿下という婚約者がありながら他の殿方に興味を持つなんて」
やっぱりな!! そう来ると思ったぜ。エリザベスの天然は最大の防御であり、オレにとっては最強の攻撃だった。
体裁が悪いとかそういう話ではなくオレ自身が嫌なのだけれど、甘い言葉を重ねてみてもまったく理解されない未来が見えて、オレはふたたび話題を変えた。
「学園の生活に慣れたと思ったら、もう三か月がたってしまった。時がすぎるのは早いな」
「えぇ、とても」
「ぼくたちももうすぐ成人、……そして、卒業すれば結婚だ」
「はい、残りの時間を余すところなく使って花嫁修業をしなければなりませんわ」
遠回しに将来のことを考えていると伝えてみるが、エリザベスは気負ったところもなく、当然のように頷いた。
いや、ま、そりゃ、もう八年も婚約者やってるんだから、結婚は当然なんだけどね?
花嫁修行も、オレのためと思えば嬉しいんだけど。もう少し婚約そのものではなく、婚約者を……オレ自身を、意識してほしい。
「そうだ、それに、二人の距離を……もう少し縮めるべきだと思うんだ」
「二人の距離を……?」
オレに合わせてつい声をひそめてしまうエリザベス、かわいい。
アメジスト色の瞳をしっかりと見つめ、オレは真剣な顔を作った。昨夜のイメトレ百本ノックの成果を見せるときだ。
いざ。
「今日から……二人のときは、リザ、と呼んでもいいかい?」
なるべく優雅に見えるようエリザベスの顔を覗き込み、首をかしげる。このときのためにテーブルの幅にはこだわったのだ。大きすぎるとオレの表情がよく見えなくなるからな。
入念に準備したムード作りは、しかし、エリザベスの天然防御を打ち破るには至らなかった。
「もちろんですわ! わたくしからも、ヴィンセント殿下のこと、ヴィンス殿下と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」
にっこおおおおお。
輝くような笑顔を受けて、オレは頬が熱くなっていくのを感じた。二人の距離を縮めるという意図も、二人きりのときだけ呼び合う名を持ちたいという意味も、エリザベスにはとことんこれっぽっちも伝わっていなさそうだが――ここ数か月のエリザベス不足で乾ききっていたオレの心は、慈雨を得て息を吹き返しはじめた。
「も、もちろんだ……リザ」
思わず立ちあがって名を呼ぶと、エリザベス、いやリザが、オレを見上げてはにかんだ笑みを浮かべる。
「はい、ヴィンス殿下」
あ~~~~~~結婚しよ! あ、するんだった。
背中にハロルドの憐憫の視線がぐさぐさ突き刺さるがいまだけはまったく気にならない。オレは世界一幸せな男だと思う。
この幸せを守り抜き、邪魔する者は徹底的に排除すると、オレは心に誓った。