4.ユリシーの接近・後
聞き捨てならないユリシー嬢の言葉に、オレは彼女の訴えを確認するよう繰り返した。
「身の回りの物がなくなる、と……」
「そうなのです。ロッカーに入れたはずのノートや教科書が消え、ゴミ箱に捨てられていたり、酷いときには切り裂かれていたり……」
思い出してつらくなったのかユリシー嬢は口元を手で覆うと涙を浮かべた。
その姿はまさに、田舎領地から出てきて貴族たちの陰湿な洗礼にさらされた憐れな少女といったふうで、小説の主人公にふさわしかった。
彼女を慰めるようにエドワードがそっと肩をさすってやる。
「彼女が星の乙女であることを快く思っていない者がおります。彼女たちによる嫌がらせではないかと」
「……そうか」
「はい」
うーんちょっと何言ってるかわかんないぞ。エドワード君、お前なんでそんなに自信満々に「ここまで言えばわかりますよね?」って顔で頷いてるんだ。
熱狂的ファンってこんな感じなのかぁ。そりゃ金払って『乙星』の舞台化とかしちゃうなぁ。
ハロルドをちらりと見ると無表情でやりとりを聞いていた。オレももちろん王族のたしなみとして感情を表に出してはいないが、正直いまにも顔が歪んでしまいそうになる。こういうときはハロルドの鉄面皮と氷の視線がありがたい。ちょっと心が落ち着く。
ユリシー嬢は潤んだ瞳のままオレをじっと上目遣いに見つめてきた。オレはさりげなくその視線をかわしながら、重々しく見えるように眉を寄せた。
「この学園にそのようなことをする者がいるとは驚きだ。由々しき事態であると、ぼくも思う」
遠回しに言ったけど、お前のことだぞ、エドワード君。
そしてユリシー嬢もだ。ここで突っぱねるのは簡単だが、何をするかわからない。それよりは目に見える範囲で泳いでいてもらったほうが安心だろう。
「ユリシー嬢」
「はい」
名を呼べば、ぷるぷると震える手を握りしめ、ユリシー嬢は小動物のように可憐で儚げな表情を向ける。
うん、まぁたしかに、可愛らしい顔立ちをしている。それによくも悪くも貴族の令嬢でここまで感情をあらわにする者はいないのだ。騎士道精神にあふれたエドワードなどは、これほどに傷ついている女性を放ってはおけない。
申し訳ないがオレにはその優しさはない。
視線で合図を送ると、ハロルドは進み出てオレの隣に並び立ち、一礼した。
「これはぼくの付き人のハロルドです。何か困ったことがあればハロルドに言ってください」
「ハロルドと申します。以後お見知りおきを」
「……ありがとうございます」
一瞬ユリシー嬢の藍色の目によぎったのは、おそらくは落胆だった。抜本的な解決をしてもらえると期待していたことに対する失望か、それとも……。
まぁいい。いまはあまり悪いほうへ考えすぎるのはやめておこう。
「よかったですね、ユリシー嬢」
気づかないエドワードはオレの協力を取りつけられたことが嬉しいらしくにこにことしている。
「では、これで失礼する」
「まことにありがとうございました」
腰を折る二人に頷いてさっさと廊下へ出た。これ以上話しかけられたら表情が保てない。
エリザベスは学園内で令嬢たちとともに勉強会をしているらしい。帰りがけに偶然を装って姿だけでも見れないかと思っていたが、もう今日は疲れたので帰ることにした。
校舎を出て馬車に乗り込む。オレを乗せたあとハロルドも向かいに腰を下ろした。
馬車が走りだし、誰にも聞かれる心配のなくなったところで口を開いた。
「エリザベスに見張りをつけろ」
「ついにストーカーですか」
「主をなんだと思ってるんだ」
「婚約者にベタ惚れの王太子殿下です」
「……」
それは否定できない。
「エドワードはともかく、ユリシー嬢はキナ臭い。シナリオを進めようとしているならエリザベスに害が及ぶかもしれん」
「シナリオというと、殿下がぼろくそに言っていたあの小説の?」
「そうだ」
「ユリシー嬢がエリザベス様に直接的な行為をとるということですか。そんなことが書いてあるのですか」
首をかしげるハロルドに驚いた。
いつもオレの愚痴を受け流して聞いていたから、内容については知っているものだと思い込んでいた。むしろ内容をまったく知らずに主の苦悩に適当な相槌を打っていたのか。
「お前、読んだことないのか?」
「ありません」
「……」
建前ではなく、本当に『乙星』を読んだことのない人間がいるとは。
流行に敏感な貴族なら、斜め読みでもいいから一度は見ておくものだ。
「読んでおけ。オレのをやる」
「承知しました」
王宮に戻ったらオレも確認のために読み返すか。それからハロルドにやろう。まさか本気で小説のシナリオを現実に持ち込むやつがいるとは思えないが、エドワードに『星の乙女』だと紹介されて否定しないユリシー嬢は怪しすぎる。
馬車の窓から外を眺め、ため息をついた。
王立アカデミアは王都の中心部にあり、王宮と近い。王族の金で建てたのだからと、王族がもっとも通いやすい場所に設置したのだ。とはいえ馬車で通うほどの距離はある。町を通らず学園の裏庭から木立に囲まれた道が、王宮の東門へとつながっていた。
季節は初夏で、目に飛び込んでくる景色はすがすがしい。
エリザベスとこの景色が見たいなぁ……。というかエリザベスが見たいなぁ。
本当ならオレはもっとエリザベスと会話ができていたんだ。入学してからの数か月で、一日一時間としても百時間近くの機会損失をしている。妄想じゃなくて。
オレには癒しが必要だ。
「ラ・モンリーヴル公爵家へ、お忍びでの王宮訪問を打診してくれ。週末に……そうだな、名目は勉強会で」
「承知しました」
何か小言が飛んでくるかと思ったが、意外にもハロルドは素直に頷いた。
そろそろご褒美を用意しないとオレのメンタルがくじけることを察したらしい。
デキる男だよ、こいつは。