プロローグ1 婚約破棄!...?
「傲慢で悪辣な行いには我慢ができぬ。エリザベス・ラ・モンリーヴル公爵令嬢。君との婚約は破棄させてもらう!」
小説どおりの台詞が、白亜の広間に響く。
たったいま、王立アカデミアのパーティにて衆人環視のもと、わたくしは王太子から婚約破棄を宣言された。
「……意味がわかりませんわ」
「わかるはずだ。君がユリシーにしてきたことの数々を認めれば」
「何もしておりません」
それが悪かったのだろうか、と考える。
妙な噂をかきたてぬよう、ヴィンセント殿下にもユリシー嬢にも、あまり近寄らないようにしていた。
まさか殿下があの小説のとりこになるだなんて。やけに熱心に読んでいらっしゃるとは思っていたけれど、過密な王教育の疲れから、物語の世界に逃避してのめり込んでしまったのかしら。
ヴィンセント・フォン・ワイズワース殿下は、文武のどちらにも秀で、母親譲りの亜麻色の髪に碧眼、父親譲りの凛々しい顔立ちを持つ。誰が言ったか知らぬが「神の造りたもうた奇跡」との呼び声が高い歴代最高の王太子だ。
幼いころからの政略による婚約者であったけれど、全身を捧げ仕えるのに相応しい人だと信じていた――それが。
いまヴィンセント殿下に寄り添っているのは、どこか怯えたような顔つきでこちらを窺っているユリシー・メリーフィールド嬢。
小説を忠実に再現した光景に眩暈がする。
あら、もしかしてこれは夢かしら。呪いで悪夢を見させられているのかしら。
考えれば考えるほど現実とは思えない。
レースたっぷりのスカートに隠れた爪先を、ヒールで軽く踏んでみる。
……痛い。
そういえばわたくしには王太子の婚約者として様々な加護がかけられているのだったわ。
当然ヴィンセント殿下にもわたくし以上に強力な《魔返し》がかけられている。操られたり洗脳されたりという可能性は極端に低い。
つまりこれは現実で、ヴィンセント殿下の行動は殿下本人の意志で行われているということ。
あぁ、なんということでしょう。
「わたくしの一存では判断できかねる御冀望にございます。国王陛下とわたくしの父も交えまして――」
「陛下の了解はとってある。今日この場でこのように発表することも含めてな」
とにかくこの場を離れ体勢を立て直そうとしたわたくしの言葉は、信じがたい発言によって遮られた。
陛下が婚約破棄の許可を。それが真実だとすれば我がラ・モンリーヴル公爵家の没落は決まったようなもの。
だって、そうでなければ――。
ざぁっと身体中から血の気が引く。
ふらふらと揺れる視界の中で、わたくしはユリシー嬢を見た。
これだけの事態を引き起こしながら、何が起きているのかわからないといった顔で殿下の背後に身を小さくしていた彼女。
けれども目が合った彼女は、にんまりと――それはもう嬉しそうに、楽しそうに、わたくしにだけ見える位置から悪女の笑みを浮かべた。
「……!!」
嵌められた。
カッと頭に血がのぼる。
瞬時に、次期王妃として修行していたはずの己のふがいなさを知った。
何もしないではだめだったのだ。
降りかかる火の粉を払うだけではだめだった。
自身の利益しか考えられぬ輩から王国を守るためには、率先して動き叩き潰さねばならなかったのだ。
乱高下を繰り返す血圧に意識がブラックアウトする。
塗りつぶされた世界で平衡感覚を失い、がくん、と身体が崩れ落ちた。
その瞬間。
「
涼やかなお声がふたたび広間に響き渡った。
そして、大理石の床へと激突するはずだったわたくしの身体は誰かによって受けとめられた。
「つらい役目を、すまなかった、リザ」
「……ヴィンス殿下」
二人だけのときにしか呼ばない愛称が囁かれた。そっと頬を撫でられ、目を開ければヴィンセント殿下がやさしい視線で微笑んでいる。
その背後には、わたくしへの嘲笑を浮かべたまま硬直したユリシー嬢がいた。