判例検索β > 平成21年(わ)第879号
未成年者略取、殺人、死体遺棄被告事件
裁判日:西暦2011-03-04
情報公開日2017-10-13 01:35:41
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平成23年3月4日宣告
平成21年(わ)第879号
判決主文
被告人を懲役15年に処する
未決勾留日数中550日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1

平成20年9月21日午前11時40分ころ,千葉県東金市bc番地d付近路上において,a(当時5歳)を見かけるや,同児を略取しようと企て,その体を抱きかかえ,同所から同市ef番地g所在のh被告人方まで連れ去って同児を自己の支配下に置き,もって未成年者を略取した。

第2

そのころ,前記被告人方浴室において,殺意をもって,同児の体を抱きかかえて浴槽内に落とした上,同児の体を手で押さえつけて浴槽内の水中に沈め,よって,そのころ,同所において,同児を溺死させて殺害した。

第3

同日午後零時20分ころ,同児の死体を,前記被告人方から同市ej番地g所在の資材置場付近まで運んだ上,同所に放置し,もって死体を遺棄した。
(証拠の標目)
省略
(争点に対する判断)
第1

事実関係
本件では,被告人の訴訟能力及び判示第2の事実に関する被告人の責任能力の有無が争点となっている。

そこで,これらを検討する前提として,まず,被告人のこれまでの生活歴や発育歴及び本件当日の行動等について検討する。
1
被告人のこれまでの生活歴,発育歴
(1)

被告人は,2歳になっても言葉が出ないなど発達に遅れがみられ,小中学校では特殊学級で過ごすなどした。中学3年生時に寮育手帳の申請をして精神発達遅滞(軽度)と診断され,障害の程度Bの2(知能指数が概ね51以上75程度の者で日常生活において介助を必要とする程度の状態にある者)と判定された。
被告人は,平成17年3月に養護学校高等部を卒業し,リネン用品のレンタル会社に就職した。当初は布団を運んでほどく作業を担当していたが,その後は,布団の積み下ろしをする作業の担当に異動した。被告人の勤務態度は比較的良く,対人交流においても大きな支障はなかったが,担当が機械を操作して布団の中綿を打ち直す作業に変わった3年目ころから,能力的な制約もあって失敗を重ねるようになり,体調を崩して欠勤するようになった。
そして,
上司から

やる気がないなら帰れ。,


ただ寝違えただけだろう,そんなんで休むんじゃねえ,ばかやろう。

などといった罵声を受けたり,暴力を受けるようになったため,被告人は,このことなどが原因で,平成20年8月末ころから勤務先を無断で欠勤するようになった。

(2)

被告人は,勤務先を欠勤するようになって以降は,がんで入院中の父親を見舞いに週三,四回病院に行く以外は,気が向けば駅前のショッピングセンターに行くなどして過ごしていた。

2
本件当日の行動
(1)

被告人は,本件当日である平成20年9月21日の午前,帰宅途中の路上で被害児とたまたますれ違い,テレビの話をしたりする友達になりたいと考え,声をかけようとしたがうまくいかず,被害児のあとを付け
ていった。
(2)

被告人は,交差点付近で被害児にもう一度声をかけようとしたが,うまくいかなかったため,被害児を被告人宅まで連れ去ることとし,周囲に人気がないことを確認した上で,同日午前11時40分ころ,交差点付近で立ち止まっていた被害児の口をハンカチでふさぐなどした上,両手で抱きかかえ,人通りが少ない道を通って被告人宅まで連れ去った。なお,略取現場は,信号機による交通整理が行われている交差点に面しており,交通量は少なくない。

(3)

被告人は,被害児を被告人宅の玄関内に下ろすと,被害児が逃げないように玄関ドアの鍵をかけ,その後,被告人の部屋である洋間に招き入れ,被害児に話しかけた。しかし,二,三言会話を交わすと,被害児が急に泣き始めたため,対処に困った被告人は,リビングに逃げ出した。すると,被害児は,帰りたいなどと言って一層大きな声で泣いたため,被告人は,腹立ちを覚えるとともに,うろうろしながら泣きやませる方法を考えたが,何も思いつかなかった。

(4)しばらくして,被害児の泣き声が止んだので,被告人は洋間に戻った。しかし,被害児は,被告人の顔を見ると再び泣き始め,「帰る。」などと言ったため,被告人は,徐々に苛立ちを募らせ,被害児の泣き声を外に聞かれないようにするため,被害児を外廊下に面した洋間から内廊下に連れ出し,被害児に「帰るな。」と脅すように言った。しかし,被害児は,更に三,四回「帰る。」などと言ったため,被告人が「帰るな。」と何回も言ったところ,今度は,被害児が大声で「ばか。」と3回言った。被告人は,この言葉に,勤務先での辛い光景を思い出すなどして激しい怒りを覚え,被害児を抱きかかえて浴室に行き,浴槽の中に落として,お腹の辺りを押して水中に沈め,被害児が動かなくなるまで押さえつけた。

(5)

被告人は,被害児が動かなくなると,警察に通報しようかとも考えた
が,怒られるのを恐れて通報はしなかった。そして,溺死させたことが発覚しないように,被害児の服を脱がせてその水滴を拭き,他方で人工呼吸を試みたが,その際に被害児の口から吐瀉物が出たことから,スポンジと洗剤で浴室の床を洗い流した。その後,被告人は,同居する母親に犯行が発覚するのを避けるため,被害児の衣服や靴を脱衣所にあったビニール袋に入れて,被告人宅のベランダから外に投げ捨てた。
(6)

被告人は,略取時と服装を替えるためにシャツを着替えた上,全裸の
被害児をそのまま抱きかかえて被告人宅を出て,同日午後零時20分ころ,被告人宅から約100メートル離れた資材置場にあるコンクリートブロック上に被害児の遺体を遺棄した。被告人は,遺棄現場に向かう際,裸の被害児を抱きかかえている姿を誰かに見られることについては,それほど心配はしていなかった。なお,遺棄現場に向かう道路は住宅街を通る道路で,人と車両の通行は少ない。
(7)被告人は,被害児の遺体を遺棄した後,被告人宅に帰り,風呂に入ったが,シャツに被害児の吐瀉物のようなものが付いているのに気付き,再びシャツを着替え,迎えに来た友人と遊びに出た。
3
精神障害についての鑑定意見
(1)

捜査段階における鑑定の内容(k鑑定)
被告人の捜査段階における精神鑑定を実施したk医師作成の鑑定書及び同人の当公判廷における供述(以下,鑑定書と併せてk鑑定という。)によれば,被告人は,軽度精神遅滞に罹患しており,また,本件殺害行為については,軽度精神遅滞の存在によりストレスに対する耐性が低くなり,短絡的思考により衝動的に本件犯行に及んだと考えられるが,善悪の判断能力及びそれに従って行動する能力は,軽度障害されていたに止まり,著しく障害されているものではなく,さらに,訴訟能
力は損なわれていないとする。
(2)

弁護人依頼にかかる精神科医による鑑定の内容(m鑑定)
弁護人の依頼により鑑定を行ったm医師作成の鑑定書及び同人の当公判廷における供述(以下,鑑定書と併せてm鑑定という。)によれば,被告人が軽度精神遅滞に罹患していることはk鑑定と結論を同じくしつつ,被告人には抽象概念の理解能力やコミュニケーション能力が欠けているため訴訟能力はなく,また,責任能力についても,本件殺害行為は被告人の全人格を通過しない短絡反応によってなされたものであり,被告人は行動制御能力が著しく減退していたから心神耗弱であるとする。

第2
1
訴訟能力の有無
訴訟能力とは,被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当な防御をすることのできる能力をいうと解される(最高裁第三小法廷平成7年2月28日決定・刑集49巻2号418頁参照)。

2
この点,k鑑定によれば,被告人は,前記のように軽度精神遅滞に罹患しており,知能検査においても,単語や理解の項目は平均より劣る点が見受けられるなど,言葉についての知識はあるものの,別の言葉を用いて表現する能力等には,一定の制限があると認められる。
しかしながら,一方で,同鑑定では,被告人について,制限はあるものの,一般的な質問に対する文脈の理解は適切であるとされている。実際の公判廷における各訴訟手続や被告人質問における被告人の応答状況をみても,訴訟関係人からの質問の趣旨を理解し,その内容に応じた答えをし,分からないことや説明できないことについては,その旨を述べたり聞き返すなどしており,弁護人を初めとする関係者とのコミュニケーションに支障が生じているような様子は何ら認められない。
また,被告人の捜査段階での応答状況をみると,逮捕された当初は,本件へ
の関与の供述を拒み,その後,死体遺棄殺人の事実について話すようになった後も,被害児は勝手に被告人宅まで付いてきたと述べるなど,略取の事実は隠していたことが認められる。つまり,被告人は,取調べの中でも,被疑者としての自己の立場を理解した上,自己に不利となる事実か否かをある程度判断し,その判断に基づいた対応を取ることができていたと認められる。そして,被告人は,k医師との面接の際は,裁判官や検察官,弁護人の存在を理解し,裁判官が判決をする役割であることや,被告人自身も裁判を受け,その結果,判決の言渡しを受け,刑事施設に収容される可能性があることも理解したやりとりを行っていたことが認められる。
加えて,被告人の公判廷における供述からも,弁護人が自らの応援者であることを理解していることが明らかであるほか,k医師との面接の際の状況について問われた際には,翌日に実施される予定であった同医師の尋問を聞いてみなければ分からないと回答するなど,弁護人が説明した訴訟の進行状況や証人尋問の予定などを理解し,その状況に応じた対応を取ろうとしている。これらによれば,被告人は,各訴訟行為の内容及び自己の立場を理解するのに必要な能力は十分に備えているものと認められる。
さらに,黙秘権についてみても,被告人は,公判廷において,その内容を平易な表現で説明され,その意味を理解した旨の返答をしている。また,本件各犯行の経過を供述する理由についても,被告人は,自分の心と向き合い,弁護人など応援してくれる人のためにも頑張って,被害児や遺族に謝るためであると述べるなど,自発的に供述していることを明らかにしており,黙秘権が実質的に侵害されているような状況にもない。
3
このように,被告人は,罹患する軽度精神遅滞により,言葉についての理解能力や表現能力に一定の制限があることは認められるものの,刑事手続において自己の置かれている立場や,各訴訟行為の内容については,概ね理解することができているものと認められる。また,個々の訴訟手続においても,弁護人
の援助を得るなどして,手続の趣旨に従い,自ら決めた防御方針に沿った供述ないし対応をすることができており,
黙秘権の意味,
内容も概ね理解した上で,
自発的に供述していることが認められる。
これらの事実に照らせば,被告人は,被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当な防御をする能力,すなわち訴訟能力を有するものと認められる。
4
これに対し,m鑑定は,捜査段階やk医師との面接時,あるいは公判廷における被告人の供述内容の一部を取り上げ,被告人について,抽象概念の理解能力やコミュニケーション能力の欠如を指摘し,弁護人も同様の観点から訴訟能力がないと主張する。確かに,被告人は,言葉についての理解能力や表現能力には一定の制限があり,ある言葉の意味や抽象概念についての説明を求められても,適切に理解,表現できないことがある。しかしながら,訴訟能力の有無については,前記のように,刑事手続において自己の置かれている立場,各訴訟行為の内容及び黙秘権等の意味内容についての理解の程度を,具体的な状況に照らして検討し,判断すべきであると考えられ,必ずしも,その内容につき,一般的・抽象的・言語的な理解をする能力ないし意思疎通能力までは必要ないというべきである。m鑑定及び弁護人の主張は,訴訟能力につき過度に高度の能力を要求するもので,当裁判所と見解を異にし,これらを採用することはできない。

5
以上からすれば,被告人は,被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当な防御をする能力,すなわち訴訟能力を有するものと認められる。
第3

責任能力
弁護人は,判示第2の殺人の事実について,被告人は心神耗弱であったと主張しているので,次に,この点について検討する。

1
生物学的要素
k鑑定は,被告人は,軽度の精神遅滞に罹患していたとする。

k医師は,これまで本鑑定だけでも二十数件の経験を有しており,本件についても,被告人に対する2度の知能検査,器質的・遺伝的な異常の検査,被告人の生活歴や発達歴及び被告人との7回の面接の結果を踏まえた上で,国際疾病分類第10版(ICD-10)を参照して上記の結論を導いており,専門医としての知見や経験はもとより,その鑑定手法や判断の基礎とした鑑定資料の面においても,問題は何ら見られない。
そして,k鑑定によれば,被告人の知能指数は,平成13年に実施された田中ビネー式でIQ60,平成20年12月18日の簡易鑑定の際に実施されたWAIS-Ⅲで全体IQ48(言語性IQ50,動作性IQ55),平成21年2月19日の本鑑定の際に実施されたWAIS-Ⅲで全体IQ54(言語性IQ60,動作性IQ54)であり,上記診断基準による軽度精神遅滞の指標に合致している。また,被告人の生活全般を見ると,被告人は,学業には問題があり,特殊学級や養護学校で対応していたものの,日常的目的に必要な言語を用い,会話を持続し,臨床的面接に取り組む能力を持っている上,摂食,洗面,着衣,排泄の処理など身の回りのことや実際的な家庭内の技能は完全に自立し,高校を卒業した後は就労している。k鑑定は,このような,被告人の知能検査の結果や生活全般を見て,上記の結論を導いており,その内容も合理的で,十分信用に値するといえる。被告人が軽度精神遅滞に罹患していることについては,m鑑定も別の診断基準を用いてはいるものの,同様の結論を導いている。
2
そこで,被告人の精神遅滞が本件殺害行為に与えた影響の程度と責任能力を検討する。
(1)

まず,本件殺害行為に至る経過をみると,本件の動機は,被告人が,被告人のいうことを聞かずに泣きやまない被害児に対して苛立ちを覚え,被害児から三度ばかなどと言われたことを契機に,勤務先での辛い体験を思い出し,突発的に被害児に対する怒りを爆発させたという
ものである。確かに,被告人は,わずか5歳の子どもにばかなどと言われたことに対する怒りから相手を殺害しており,通常の感覚では容易に理解しづらい点もある。また,本件各犯行中の被告人の一連の行為の中には,その方法に稚拙な面がみられることも否定できない。すなわち,略取の場面では,白昼,自動車の通行が多い道路沿いで犯行を遂行するなどし,殺害行為後の証拠隠滅も,被害児の遺留品を被告人宅の窓から投げ捨てたり,白昼に裸の被害児の遺体を抱きかかえて道路上を歩き,
被告人宅から近い場所に遺棄するなどしている。
それぞれの行動は,
本件各犯行の発覚を避けるという目的の下でとられた行為としては,いずれも合目的的であると評価することができるものの,その方法において稚拙であることは明らかである。これは,被告人の精神遅滞に基づく能力の制限により,その認識・判断等の基本的能力が一定程度損なわれている事実を示すものである。そして,この点を考慮すると,被告人がこのような些細なきっかけから殺害行為にまで至ってしまった過程には,殺害行為の結果の重大性や違法性に対する認識を十分に持つことができず,また,ストレス耐性の低下により,怒りの感情を抑制して自己の行動を制御することに一定の制約が伴うという,精神遅滞に起因する認識・判断・制御能力の低下の影響が作用していることは否定できない。(2)

しかしながら,他方で,本件各犯行中の被告人の行動をみると,略取の現場においては,着手前に周囲に歩行者がいないことを確認したり,声を出されないようにハンカチで被害児の口をふさぐなどしている。また,本件殺害行為の際,浴槽の水中に沈めれば被害児が死亡することを認識していたことはもとより,被害児が動かなくなった後も,一度は警察への通報を考慮し,これを考え直すと,本件の発覚を恐れて,浴室の床を清掃し,被害児の遺留品を屋外に投棄し,また略取時とは異なる服に着替えた上で被害児の遺体を屋外に運び出すなどの行為をとってい
る。このように,被告人は,自己の行為の意味内容や,置かれた状況を認識し,犯行の発覚を防ごうとしており,方法において稚拙ではあるものの,合理的な思考の下,一貫してその目的に即した行動を取っているのであって,被告人は,これらをなし得るに十分な基本的能力を備えていたことが認められる。そして,被告人のこのような能力は,殺害行為の前後で変わるものではなく,本件殺害行為時にこれを変容させるような一時的な精神症状も存在していなかったものと認められる(弁護人は,m鑑定を根拠に,被告人には,本件当時,短絡反応が生じていたとするが,後述のようにこの見解は採用できない)。
また,本件の動機についてみても,被告人は,被害児の泣き声に苛立ちを募らせる中で,被害児からばか等と言われたことから,就労当時の辛い体験を思い出し殺害行為に至ったもので,その際に被告人が覚えた怒りの大きさは,被告人の勤務先における体験の供述内容を考慮すれば,相当なものであったことも理解することができ,この感情を突発的に爆発させて被害児の殺害に至ったという経過については,概ね了解が可能である。
以上で指摘した被告人の能力や本件動機の形成過程に加えて,被告人のこれまでの生活歴や当公判廷での応答状況をも考慮すると,本件殺害行為に精神遅滞に伴う判断能力や行動制御能力の低下の影響があったことは否定できないものの,その程度は限られたものであると認められる。すなわち,被告人は,本件殺害行為当時,行為の違法性を判断し,自らの行為を制御する能力が著しく低下していたとはいえず,これと同旨のk鑑定の結論も信用に値するというべきである。
(3)

m鑑定について
m鑑定は,本件殺害行為は,生物学的要素としてみれば短絡反応によるものであり,心理学的要素を検討しても,被告人は,本件当時,心神
耗弱であったと結論づけている。m医師は,短絡反応か否かの判断は,体験刺激に対する反応行為が,ただ刺激に基づく感情のみに関連する人格,すなわち断片的な人格しか通過していない行為か否かによるとし,その区別は,理由と行為との間の著しい不均衡の有無が基本となるとする。その上で,m医師は,本件殺害行為において,ただ被害児の言動を中止させたいという気持ちだけから,ハンカチで口をふさぐなどの行為を取らずに殺害に至った点に,著しい不均衡があるとする。しかし,そもそも,m鑑定によっても,短絡的な行為と短絡反応の区別が明確でない上,被告人が述べるところによれば,本件殺害行為の動機形成の経過は,被害児の泣き声に苛立ちを募らせていた最中に,被害児にばかと言われたことを契機に,被告人の過去の辛い体験を思い出し,怒りを爆発させたというものであり,了解可能な部分が多く存在すると認められるのは前述したとおりである。
一部の人格しか通過しておらず,
また,
著しい不均衡があるとのm医師の評価は首肯しがたい。そうすると,そもそも本件殺害行為時に,被告人に短絡反応が生じていたとの点について疑問を抱かざるを得ない。さらに,m医師は,心理学的要素の検討も行っているが,その詳細を見ると,2(1)(2)で指摘したような検討すべき事実について言及がなく,被告人の精神遅滞の程度及び元来備えている能力の程度についての検討もないまま,短絡反応の存在を前提とした心理学的要素の検討をしているものである。
その結果,
m鑑定は,
当裁判所が前提とする事実関係とは前提を異にするとともに,評価の点でも合理性を欠くものであると評価せざるを得ない。
以上からすると,m医師が,本件殺害行為時の被告人は,短絡反応により心神耗弱の状況にあったとする点は,採用できないというべきである。
(4)

弁護人は,本件殺害行為時の弁識・制御能力の判断において,殺害行
為前または殺害行為後に被告人が認識した内容を判断の資料とすることは適当ではないとして,k鑑定を批判する。この指摘が,本件殺害行為時における被告人の思考内容・動機を直接認定するための資料として,上記の認識内容を用いることが不適切であるとの趣旨であれば,首肯することができる。しかし,本件殺害行為前後の事情は,被告人の精神遅滞の程度,すなわち,認識・判断・制御の基本的能力の程度を推察させる資料としては重要なものであり,このような観点からこれらの事情を考慮することは正当であると評価することができるのであって,k医師がこれらの事情を考慮しているとするのも同様の趣旨と考えられる。よって,弁護人の主張は採用できない。
また,弁護人は,平素の被告人はおとなしく優しい性格であったのであり,本件殺害行為時の攻撃的な被告人とは人格異質性があるとする。しかし,精神遅滞の程度は犯行前後で大きく変動するものではないから,被告人の認識・判断などの基本的な能力自体が本件当時に変化するものではなく,幻覚・妄想などといった精神症状が伴わない本件においては,人格異質性が問題となる余地はない。
3
以上のとおりであり,被告人は,本件殺害行為時には,罹患する軽度精神遅滞の影響により,認識・判断・制御の能力が一部損なわれていたが,著しく減退している状況ではなかったと認められる。

(法令の適用)


判示第1
判示第2

刑法199条

判示第3

刑法224条

刑法190条

種の選
判示第2


有期懲役刑を選択

併合罪の処理

刑法45条前段,47条本文,10条により最も
重い判示第2の罪の刑に法定の加重

未決勾留日数の算入

刑法21条

訴訟費用の処理

刑事訴訟法181条1項ただし書(不負担)

(量刑の理由)
本件は,被告人が,路上で被害児を略取して被告人方に連れ帰り,被告人方で泣きやまず,被告人をばかにする発言をした被害児に対し怒りを募らせ,浴槽の水中に沈めて同児を溺死させて殺害し,さらに,被害児の遺体を自宅近くの路上に遺棄した事案である。
被害児は,ただ日常と同じように,家の付近の道路を歩いていただけであり,単に友だちが欲しいという被告人の身勝手な欲求から,突如として,見ず知らずの被告人宅に連れ去られた。被害児は,被告人宅の中で,漠然とした不安や恐怖を感じ,また,母親をはじめとする家族を思って帰りたいなどと必死に泣き叫び,被告人に対する抵抗を試みていたであろうことは想像に難くない。
それにもかかわらず,
そのような被害児の言動に一方的に怒りを募らせた被告人の手によって,一瞬にして,その生命を奪われている。被害児には,暖かい家族の下,多くの将来が開けていたはずであり,また,被害児が感じた不安,恐怖,苦しみには相当なものがあったと考えられる。わずか5歳の被害児の生命が奪われる結果となったことは,誠に痛ましく,憐憫の情を抱かざるを得ない。しかも,その後,裸の状態で路上に放置された状態で発見されることとなっており,一層の痛ましさを感じざるを得ない。本件により生じた結果は極めて重大である。
上記のような本件各犯行に至る経緯や犯行動機については,被告人が罹患していた精神遅滞の影響があったという事実はあるものの,独りよがり以外の何ものでもなく,少なくとも同情の余地はない。殺害態様も,浴槽の水中に沈めて溺死させるという残忍なものである。
殺害後に,
被害児を全裸にした上で路上に放置するなど,
犯行の発覚を防ごうと画策している点にも本件の悪質性が表れている。
被害児の遺族は,事件から約2年以上を経過した今も,被害児を失ったことへの悲痛な想いや,空虚感,喪失感を抱き,生前の被害児の面影を追う日々を過ごしている。また,現在に至るまで,遺族に対して特筆すべき慰謝の措置はなされていない。遺族が被告人に対して厳しい処罰感情を有しているのももっともである。そして,本件は,白昼,幼児が突如として街中から連れ去られ,殺害・遺棄されたというものであり,同世代の子を持つ親や地域に大きな衝撃と不安を与え,社会に及ぼした影響も大きい。量刑上,この点も無視はできない。
これらの事情からすると,本件における刑事責任は重大である。
しかしながら,本件各犯行には,被告人が生来より有する精神遅滞による認識・判断・制御能力の低下の影響が認められる。被告人についてはこれらの能力を著しく損なうところまではいかないまでも,通常の能力を有する一般人と比べれば,被告人に加えられるべき刑事責任の非難の度合いには限りがある。また,被告人は,被害児及び遺族に謝るためとして,当公判廷で一連の経緯を語り,被害児や遺族に対してお詫びの言葉を述べている。これは,被告人なりに慰謝の念を抱き,それを表しているものと評価することができる。これらの事実は,被告人のために斟酌すべきものである。
そこで,以上を総合して考慮し,被告人に対しては,主文掲記のとおりの刑を科するのが相当であると判断した。
(求刑

懲役20年)

平成23年3月4日
千葉地方裁判所刑事第3部

裁判長裁判官

栃木力
裁判官

水上
裁判官

奥田周惠美
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