(C) Designroom RUNE 2000-2020
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芥川龍之介『魔術』→
池部 良『風が吹いたら』→
石川善助『亜寒帯』→
石坂洋次郎『海を見に行く』→
稲垣足穂『一千一秒物語』→
井上司朗『証言・戦時文壇史』→
井上 靖『氷壁』→
宇野千代『色ざんげ』→
尾﨑士郎『空想部落』→
片山広子『翡翠』→
川口松太郎『日蓮』→
川端康成『雪国』→
『北園克衛詩集』→
北原白秋『桐の花』→
国枝史郎『神州纐纈城』→
倉田百三『出家とその弟子』→
小池真理子『欲望』→
小島政二郎『眼中の人』→
小関智弘『大森界隈職人往来』→
近藤富枝『馬込文学地図』→
榊山 潤『馬込文士村』→
佐多稲子『水』→
志賀直哉『暗夜行路』→
信濃前司行長ら『平家物語』→
子母沢 寛『勝 海舟』→
城 昌幸『怪奇製造人』→
関口良雄の『昔日の客』→
瀬戸内晴美『美は乱調にあり』→
染谷孝哉『大田文学地図』→
高見 順『死の淵より』→
辻 潤『絶望の書』→
辻 まこと『山の声』→
辻村もと子『馬追原野』→
中原中也「お会式の夜」→
野村 裕『馬込文士村の作家たち』→
萩原朔太郎 『月に吠える』→
萩原葉子『天上の花』→
林 鵞峰 『桃雲寺再興記念碑』→
広津和郎『昭和初年のインテリ作家』→
藤浦 洸『らんぷの絵』→
プロコフィエフ『彷徨える塔』→
堀 辰雄『聖家族』→
牧野信一『西部劇通信』→
真船 豊『鼬(いたち)』→
間宮茂輔『あらがね』→
三島由紀夫『豊饒の海』→
南川 潤『風俗十日』→
三好達治『測量船』→
村松友視『力道山がいた』→
室生犀星『黒髪の書』→
山本周五郎『樅ノ木は残った』→
吉屋信子『花物語』→

“歴史小説、かくあるべし(大岡昇平による井上靖の『蒼き狼』批判)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大岡昇平 井上靖

昭和57年5月14日(1982年。 38年前の5月14日)、 大岡昇平(73歳)が、23年前(昭和34年)に発表された井上 靖(75歳)の『蒼き狼』を再批判しています。*

大岡は、発表当初からこの小説を批判しており、井上からも反論というか釈明があって、これら一連のやり取りは「『蒼き狼』論争」と呼ばれ、戦後の重要な文学論争に数えられています。『蒼き狼』は昭和34年~翌昭和35年にかけて「文藝春秋」で連載され(井上は学生時代、「源 義経=ジンギス・カン」説とそれへの反論に触れ、ジンギス・カンに関心を持つようになったようだ)、翌昭和36年には「『蒼き狼』論争」となりました(最初の論争時、井上53歳、大岡51歳)。大岡は、『蒼き狼』を、「歴史小説」の体裁になっているものの、作者の独断で史実がねじ曲げられていると批判。*

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『蒼き狼』は、モンゴルの遊牧民族をまとめ上げ、周辺国も征服し、モンゴル帝国を築いたチンギス・カンの生涯を描いたものです。井上はそこで、モンゴル族の起源を伝える『 元朝秘史 げんちょうひし 』の一節、「天上の命によりて生れたる蒼き狼ありき」から、ジンギス・カンの旺盛な征服欲は、自らがその“獰猛な狼”たらんとする熱情に起因するとします。大岡はそれを「中世の蒙古人(モンゴル人)の心をありのまま伝えたものでないことはたしかである」と批判したのでした。*

大岡の批判が辛辣だったのは、モンゴル人の誇り・チンギス・カンと、彼らの敵の狼(大切な家畜を食い殺すので)を結びつけるのは不謹慎、とまず考えたからのようです。また、井上は、『元朝秘史』を元に書きながらも、同書で、狼がカッコ良くない箇所は「山犬」と読み替え、また、愚かな動物として書かれている箇所は無視、また、原文で「狗(犬)」であったり、「馬」であったりする箇所が英雄的であれば狼と読み替えて『蒼き狼』に取り入れていることを指摘しました。*

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「『蒼き狼』論争」は“論争”とはいっても、井上は強く反論することなく、概ね大岡の批判を受け入れ、以後の井上の「歴史小説」は客観性が重視されているようです。『風濤』(フビライが出てくる Amazon→)や『後白河院』Amazon→では、不用意に台詞を書いて史実を曲げないよう配慮されているとのこと。大岡の批判が井上の「歴史小説」を一段押し上げたといっていいかもしれません。*

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20年以上もたって、なぜ、大岡は再び『蒼き狼』を批判したのでしょう?*

かつて、『蒼き狼』の「頭を害う山犬」と書かれた部分は「頭口(家畜のこと)を害う山犬」の間違いであると大岡が指摘したところ、昭和39年の新潮文庫版では改められました。ところが、註が付されてないため、読者にはおそらく頭口が家畜のこととは分からず、また、註で大岡の指摘で直したことに触れないのもフェアーでないと批判したのでした。黙って改められたら、それを批判した大岡の批判文が「ありもしないことの批判」になってしまいます。

また、岩波版の『蒼き狼』(井上 靖歴史小説集第4巻)には「『蒼き狼』論争」のテキストが掲載されましたが、一部割愛されており、井上に都合がいいものにしぼられていると指摘。

かつての批判は著者に対するものでしたが、今回のは出版社や編集者に対するものでした。

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「歴史小説」は学問でないのだから面白ければいい、分かりやすく、感動的に、カッコよく、元気が出るように、癒されるように、ホッコリするように、史実を少しぐらい改変して何が悪い?といった考えは、現在も、作家にも読者にも根強くあるのではないでしょうか。本になればなったで、売らんかなで「よいしょ記事」があふれ、まともな批評が少ない。『蒼き狼』も評論家たちは褒めそやしたそうです。そういった少しづつ改変された「(似非)歴史小説」で国民の歴史観が作られていくことに大岡は強い危機感を抱いたのでしょう。小説を批判的に読める人は限られており、多くの読者はだいたいのところ史実だろうと思ってしまうのではないでしょうか。*

映像化されれば、視聴者は、さらに描かれていることが真実であるかのように錯覚してしまうでしょうか。好感度の高い俳優が演じれば、それだけで感情移入してしまいそうです。『蒼き狼』も昭和55年、テレビ朝日でドラマ化されています。大岡による後年の『蒼き狼』批判の2年前です。ドラマ「蒼き狼」が大岡の批評魂にまた火を点けたということもあるでしょうか。*

「歴史小説」の映像化と言えば、日清日露戦争を描いた『坂の上の雲』も思い起こされます。著者の司馬遼太郎は、戦争が美化されることを危惧してその映像化に反対でしたが、著者の死後、なぜかNHKがドラマ化、国民に広く普及しました。著作権者の夫人が許可したそうですが、釈然としませんね。あのドラマの影響は大きかったのではないでしょうか。*

「史料に忠実」だけでは“史実”にたどりつけないところが難しそうです。昔の(現在も?)史料は権力者に都合いいように書き改められている可能性が大ですし、また、言語そのものの不完全さから「100%正しい」などあり得ません。『元朝秘史』も元は口伝で、すでに原典は失われ、写本を重ねるうちに、誤記、改変が重ねられたと考えられます。“史実”に少しでも近づくために、常に追究のプロセスにあると言えるでしょう。「これが歴史的真実だ!」と謳っている本は用心した方が良さそうです。*

「歴史小説」も、内容が常に検討され続けることによって、健全さが保てると言えるでしょうか。*

社会現象は、自然科学のようには実験できません。その代わりとして、過去の歴史に学ぶことがことのほか重要になります。「歴史小説」で歴史に出会う人も多いでしょう。「歴史小説」は歴史を大切にしてもらいたい。

井上靖 『蒼き狼 (新潮文庫)』 『元朝秘史(上) (岩波文庫)』。訳:小澤重男*
井上靖 『蒼き狼 (新潮文庫)』。昭和55年ドラマ化されたものはこちら→* 『元朝秘史(上) (岩波文庫)』。訳:小澤重男*
野田康文『大岡昇平の創作方法 ~『俘虜記』『野火』『武蔵野夫人~』(笠間書院)* 大岡昇平『歴史小説論 (同時代ライブラリー) 』(岩波書店)*
野田康文『大岡昇平の創作方法 ~『俘虜記』『野火』『武蔵野夫人~』(笠間書院)* 大岡昇平『歴史小説論 (同時代ライブラリー) 』(岩波書店)*
中村政則 『坂の上の雲』と司馬史観』 成田龍一『近現代日本史との対話【幕末・維新─戦前編】 (集英社新書)』(平成31年発行)*
中村政則 『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店) 成田龍一『近現代日本史との対話【幕末・維新─戦前編】 (集英社新書)』(平成31年発行)*

■ 馬込文学マラソン:
井上靖の『氷壁』を読む→

■ 参考文献:
●『井上 靖(新潮日本文学アルバム)』(平成5年発行)P.74-75、P.107* ●「蒼き狼」の周辺(井上 靖) ※『蒼き狼(新潮文庫)』に収録(昭和39年発行 昭和58年38刷参照)P.346-353* ●『歴史小説論(同時代ライブラリー)』(大岡昇平 岩波書店 平成2年発行)P.136-139* ●『戦後文学論争(下)』(監修:臼井吉見 番町書房 昭和47年発行)P.421-424*

■ 参考サイト:
語られる言葉の河へ/【大岡昇平ノート】『成城だより』にみる21年後の改稿、批判の徹底の理由 ~『蒼き狼』論争~→

左手でなぞる/〔井上靖〕蒼き狼→

・ ウィキペディア/●チンギス・カン(平成31年5月7日更新版)→*蒼き狼(小説) (平成30年7月4日更新版)→ ●蒼き狼 成吉思汗の生涯(平成30年9月12日更新版)→* ●元朝秘史(平成30年6月7日更新版)→* ●純文学論争(平成26年12月5日更新版)→ ●大岡昇平(平成26年3月15日更新版)→ ●坂の上の雲 (テレビドラマ)(平成31年5月11日更新版)→**

悠々自適/ただいま学生です(その5)-森鴎外と歴史小説(1)→

※当ページの最終修正年月日
2019.5.14

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