他にもヒグマの襲撃を受けたグループが……明暗を分けたものは?
では、なぜあのヒグマは学生たちを襲ったのか。
この事件については、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会による詳細な事故報告書(「北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書」)があり、また専門家による検証記事も少なくない。
一方で事件当時、カムエク山には、福岡大学以外にも、北海学園大学、帯広畜産大学、鳥取大学、中央鉄道学園など複数のグループが入っていたことは一般にはあまり知られていない。
とりわけ注目すべきは北海学園大学のグループだ。実は彼らは、福岡大学のメンバーが襲われる前日、同個体と思われるヒグマに遭遇し、やはり襲撃を受けながらも、犠牲者を出すことなく難を逃れているのだ。
2つのグループの明暗を分けたものは、いったい何だったのか。
北海学園グループの元メンバーに直接話を聞くべく取材を続ける中で辿り着いたのが、前出の吉田氏だったのである。
「自分の経験が今後何かの役に立つなら」
冒頭で「封印してきた」と語った通り、当初は取材を受ける気はなかったという吉田氏だが、取材依頼の手紙を読んでいるうちに気が変わったのだという。
「あれから50年経ったのか、と。自分の経験が今後何かの役に立つなら、お話しておこうと思いました」
現在87歳となった吉田氏は脳梗塞の影響で、身体の自由はあまりきかなくなったというが、その口調はしっかりしている。
「私は、北海学園の出身ではありません。事件当時は37歳で、山仲間で北海学園の2部の学生だったAさんに『日高にいくけどどうだ?』と訊かれて、二つ返事でOKしました」
このときの北海学園岳友会は夏山合宿ということで、総勢11名で3つのチームを組み、別々のルートでカムエク山に挑んだ。吉田氏はA氏と3人の学生とともにエサオマントッタベツ岳ルートの班に属すことになった(学生のうちの1人であるB氏は事件後、山岳雑誌「北の山脈」に手記を寄せている。以下の記述は、吉田氏の証言とB氏の手記によって構成している)。