本の学校から
「ピンク=女性」辟易
◆今井書店 小谷裕香
ピンクを投与されると平静でいられない少女だった。
ここで言う「ピンクの投与」とは、カギカッコ付きの「少女的」なものを与えられることで、例えばヒラヒラした服とか恋愛要素満載の少女漫画とかは、私にはみんなピンク色に見えた。しかも善意で与えられるから、きっと私の抵抗はワガママにしか見えなかっただろう。
その時の嫌悪を言語化するなら、ピンクや少女という語にまつわるメンドクサイ事象に辟易(へきえき)していて、少女である自分自身もどう扱っていいか分からなかったのだと思う。なぜか、それらは恋やセックスと容易に結び付けられる。
「ピンク=女性」という図式を現代女児文化から洗い出した『女の子は本当にピンクが好きなのか』(堀越英美、河出書房新社)の、「ダサピンク」論争についての紹介で腑(ふ)に落ちた。女性なら「かわいい」「恋愛要素」が好きなはず、という残念な認識の下、作られるのが「ダサピンク」だという(「ダサピンク」自体はブロガーの宇野ゆうか氏のTwitterから生まれた言葉)。なるほど、私の嫌いなのは「ダサピンク」だな。
ピンク色の「少女」漫画のコーナーを避けてファンタジーの小説を読んでも、冒険の完結が登場人物の恋の成就と共にあったりすると、内心うんざりして本を閉じた。分かりやすい物語は、人と人とを結ぶものに、どうしても名前を付けたいらしい。
今年の本屋大賞に輝いた『流浪の月』(凪良(なぎら)ゆう、東京創元社)は、幼い少女=更紗(さらさ)を、ロリコンの大学生=文(ふみ)が誘拐した「とされる」事件を起点とし、その後の人生でも加害者/被害者として扱われ続ける二人を追った、心をグイグイとえぐってくる快作。本屋大賞の意義を問い直すという意味でも、加害者・被害者に対する過剰な正義が暴力になるところがいかにも現代らしいという意味でも注目されている本作だが、2人を「名づけられない関係」のままにしたことが、最も自分の琴線に触れるところだった。
「世間」で「普通」に生きていこうとすると、なぜか常に説明を求められる。あの人と付き合っているの? 彼氏なの? 結婚するの? 子どもは何人? 結婚して家庭を持つというだけでそうだから、2人が受けた苦痛ははかり知れない。実は誘拐ではなく、2人は男女の関係を持った訳ではなく、ただ一緒にいるだけで安心できる関係。そう言っても、誰にも信じてもらえない。加害者、被害者、ロリコン、少女。いつまでもカテゴライズがつきまとう。そのカテゴライズに埋没することもできたはずだが、2人はそうしないことを選択する。息苦しい世の中で、名前のない関係のまま生きる2人が、希望に見えてくる。
恋愛も、セックスも、家庭も、子どもも、ピンクも無くても、生きられると思えるから。
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朝日新聞鳥取総局
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