現住建造物等放火被告事件 - 奈良地判平成15年10月03日

奈良地方裁判所刑事部(奈良県)

事件番号:平成14(わ)342

目次

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◎放火の事案において,精神発達遅滞を理由として心神耗弱が認められた事例
(平成15年10月3日宣告)

主文  主     文
被告人を懲役3年4月に処する。未決勾留日数中310日をその刑に算入する。

奈良地方検察庁で保管中のライター1個(平成15年検領第579号の6)を没収する。

          理     由

(犯行に至る経緯)
被告人は,平成14年8月15日夕方から,奈良県大和郡山市内のパチンコ店でパチンコをし,3万数千円を稼いだので飲酒しようと思い,同日午後9時過ぎころ,同店の向かいにある居酒屋に行ったところ,知人が同店で飲食していたので,同人らと一緒に飲酒するなどしていたが,そのうちに,カラオケがしたくなり,同人らをカラオケに誘い,まず奈良市内にある行きつけのスナックに連絡を入れたものの,満席で入店できないと断わられた。そこで,被告人は,上記居酒屋の近くにある居酒屋「A」にそれまで一度も行ったことがなかったが,同店であればカラオケができるに違いないと思い,同人らと共に同店に行くことにし,同日午後10時過ぎころに同店に入り,酒を飲みながら楽しくカラオケで歌っていた。ところが,同月16日午前零時ころ,同店の経営者B(以下「B」という。)からそろそろ閉店の時間がきたので退店してほしいと求められたが,被告人らは営業時間を1時間延長するように頼み,さらに飲酒やカラオケで歌うのを続けた。しかし,被告人らは,午前1時を過ぎても退店しようとしなかったため,Bから再度退店を求められたので,精算を済ませて同店を退店することになった。この時,被告人は,もう少し酒が飲みたかったので店を出ることに不満ではあったが,とりあえずそれまでの精算を済ませて同店を出てその後にまた同店に戻りBに頼めばまだ酒を飲ませてくれるだろうと考え,同日午前1時40分ころ,ひとまず同店を出ることにした。

被告人は,同店の前で知人らと別れた後,上記パチンコ店に置いてあった自転車を取りに行き,すぐに同店に戻ってきて,同店出入口ドアのノブを何度か回して開けようとしたが,ドアは既にBが施錠をしていたため開かなかった。そのため,被告人は,客が店を出ていってもすぐには出入口ドアを施錠しないのが普通であるのにBから入店を拒まれたのだと思い込むとともに,同人は被告人らが店で飲酒などしているうちから早く店から追い出したかったのだと邪推し,無性に腹を立てた。

(罪となるべき事実)
被告人は,平成14年8月16日午前1時45分ころ,上記のとおり,立腹したことから,Bに対する腹いせのため,居酒屋「A」を営業できないように火を付けて燃やしてやろうと放火を決意し,同店の表で放火するには燃やすものがなく,また人目に付きやすかったため,すぐに同店の裏に回り,同日午前1時55分ころ,同店に隣接する同市a町b番地のc所在のCほか1名が現に住居に使用している中華料理店「D」店舗兼居宅(木造コンクリート葺2階建床面積各階18.61平方メートル)西側勝手口付近において,同店舗兼居宅を居酒屋「A」と誤信して,所携のライター(平成15年検領第579号の6)で上記勝手口軒下に立て掛けられていた簾に点火して火を放って同店舗兼居宅1階外壁に設けられたプラスチック製庇に燃え移らせ,よって,上記プラスチック製庇の一部(約0.24平方メートル)を焼損したものである。

なお,被告人は,本件犯行当時,中等度の精神遅滞のため心神耗弱の状態にあったものである。

(争点に対する判断)
弁護人は,本件犯行当時,被告人は中等度の精神発達遅滞に飲酒の影響も加わり心神耗弱の状態にあった旨主張し,他方,検察官は,犯行の動機の了解可能性,犯行当時の合理的な行動の存在等を指摘して完全責任能力があった旨主張するので,以下,検討する。

1(1)まず,本件犯行の態様等について見るに,上記の「罪となるべき事実」の項のとおり,被告人は,放火を決意するや,誰にも自分の犯行を目撃されないように,人目につかない店の裏手に回り込み,ライターの火が燃え移りやすい簾を認めてこれに点火しており,また,関係証拠によれば,被告人は,簾に点火した後,火が燃え広がり始めたのを確認すると,犯行の発覚を恐れて本件犯行現場から急いで離れたものの,火が燃え広がっているか確認するために再度本件犯行現場に戻っていること,そして,本件犯行現場に戻ったところ,警察官に職務質問を受けると,平成11年に非現住建造物等放火罪等の罪により実刑に処せられて平成14年1月に刑務所を出所したばかりで,逮捕されて再度刑務所に行きたくないとの思いから,自分には関係ないなどと言って本件犯行を否認し,さらに警察官から任意同行を求められてE警察署で事情聴取を受けても当初は本件犯行を否認していたことがそれぞれ認められ,このように,本件犯行の前後にわたって被告人は合目的かつ合理的な行動をとっている。

(2)次に,被告人の普段の生活状況については,関係証拠によれば,被告人は,上記のとおり出所すると,奈良市内の派遣会社にアルバイトとして登録し,何度か引越作業や土木作業員のアルバイトをしたり,仕事のない時はパチンコをして遊び,しかもパチンコで大もうけをした翌日はパチンコに行っても当たりの確率が下げられているために損をするおそれが大きいため,パチンコに行くのを控えるようにしており,またカラオケを趣味とし,行きつけのスナックに飲みに行くなどしていたことが認められ,本件犯行当時の被告人の生活態度には格別異常な点は見受けられないのである。

(3)そして,関係証拠によると,被告人は酒が好きで,日本酒,ウイスキー,酎ハイ,ビール等何でも飲み,酒にも強く,ウイスキー等のボトルでは2本,日本酒では2升は平気で飲み,顔に出ず,明るくなるくらいで,限界は日本酒でいうと3升位であり,文句を言い出しはするが,どこでも寝てしまうこと,本件当時は,一軒目の居酒屋ではビール中ジョッキ1杯,バーボン1杯,酎ハイ1杯位を,居酒屋「A」では酎ハイ10杯位をそれぞれ飲んでいることが認められ,本件当時の飲酒量は被告人の日頃の飲酒量に比較して,多いものではなかった。

(4)さらに,被告人の捜査段階における供述調書によると,被告人は,犯行前後及び犯行当時の行動等について詳細かつ具体的に供述しており,明確な記憶を保持していたことが認められる。

2 しかしながら,他方で,鑑定人F作成の鑑定書(以下「本件鑑定」という。)によると,その内容は,鑑定主文として,「1 被告人は犯行当時,中等度の精神遅滞であった。是非善悪を弁別する能力は十分とはいえず,またその弁別にしたがって自己を制御して行動する能力も不十分であった。すなわち心神耗弱の状態にあったといえる。2 被告人は犯行当時,酒精酩酊の状態にあったが,その程度は軽度で,これによって鑑定主文1で述べたものに加えてさらに累積的に責任能力が減免されるということはない。アルコール依存症でもなかった。3 被告人には現在も中等度の精神遅滞があるが,その他には特別な精神症状もない。」と結論づけており,その主文1の理由として,「被告人は精神科的に精神遅滞(精神発達遅滞)と診断される。精神遅滞とは,先天性または早期後天性(周生期,出生以後)の原因によって,精神機能,特に知能の発達が持続的に遅滞あるいは停止し,生涯にわたって低い状態にとどまるものをいい,情緒や人格面の障害を伴うものが多く,そのため適応行動の欠陥が出現する。精神遅滞は知能の発達の程度により,軽度(IQ50ないし70),中等度(20ないし50),高度(0ないし20)に分けられ,これらはそれぞれ軽愚,痴愚,白痴とも呼ばれていた。国際疾病分類(ICD-10)では境界(IQ70ないし85),軽度(50ないし69),中等度(35ないし49),重度(20ないし34),最重度(0ないし19)に分けられている。被告人の現在のIQはWAIS-R(ウェクスラー成人知能検査)で43であり,これは中等度精神遅滞に属する。

一般的にIQ50前後の知能を持っていれば,表面的な礼容は保たれ一見して正常人との区別は困難とされている。被告人も,長続きしないものの,一応社会人として仕事をしており,日常会話も可能であり,通り一遍の社会常識は持っているので,一見それなりの知的能力があるように見えるが,放火した動機を家庭内のいざこざのためだと述べたり,ロールシャッハテスト,バウムテストやベンダーゲシュタルトテスト(発達的には7歳0か月程度のレベルである。)の結果が示すように,推理力などの高次の思考力は低く,自己の行動に対する内省は乏しいし,深い洞察もできない。また,人格の統合水準は低く未成熟であり,自己統制も弱い。」と記載されているところである。

そして,本件鑑定の内容については,(1)同鑑定人の手法に問題点が見当たらないこと,また,(2)上記の「犯行に至る経緯」及び「罪となるべき事実」の項のとおり,被告人は,Bから店を出るように求められて一度出た後,再度入店しようとしたところ,同店の出入口ドアに鍵がかかっていたため,同人が自分の入店を拒んで鍵をかけ,同人に店から閉め出されたのだと思い込み,それまでは概ね上機嫌だったにもかかわらず,突如立腹して,同人に対する腹いせとして店を燃やしてしまい,居酒屋を営業できなくしてやろうと考えて放火を決意し(この点,被告人は,第3回及び第6回公判において,家屋を全焼させることまでは考えていなかった旨供述するが,その供述はあいまいであることや捜査段階における被告人の供述に照らして,上記公判供述は信用できない。),何の躊躇もなく放火に及んでいるのであって,上記のような放火の動機の形成過程やその実行は,それまでの出来事と比較して,余りにも飛躍しており,本件鑑定が指摘しているように,被告人の判断能力や行動を抑制する能力がいずれも不十分であることの証左といえること,そして,(3)被告人は,平成9年12月と平成10年9月の2回にわたり実兄と共謀して放火を行い,後記のとおり,その2件の非現住建造物等放火の罪等で,平成11年10月に懲役3年の実刑判決を受けて服役するなどしており,放火の危険性につき何度も説明等されていると思われるのに,今回又しても本件放火に及んでいるものであって,そのことは,放火の危険性について被告人が十分には理解していないことを示していると見られるし,前刑の捜査段階で被告人を鑑定した医師Gも,平成11年2月12日付け精神鑑定書(弁護人請求証拠番号1号)において,「被告人は,WAIS-RではIQ40未満,鈴木ビネー式知能検査ではIQ47,精神年齢7歳6月,人物画知能検査(DAM)ではIQ52,精神年齢8歳2月,ベンダーゲシュタルトテストでは6歳後半程度といった検査結果が出ていることなどから,軽度から中等度の精神遅滞と認められる。被告人は,放火が悪いという認識は持っているが,その理解は浅薄で,放火が如何に大きな結果をもたらすかという洞察は不十分である。また,自己の行動を制御する能力が低い。」等の記載をしており,その記載は本件鑑定とほぼ同旨であり,同鑑定の正確性を裏付けているといえること,以上の諸点に照らすと,本件鑑定の内容は,十分に首肯できるところであって,信用に値するものと認められる。

なお,検察官は,本件鑑定がほとんど被告人に対する知能テストの結果のみを考慮して結論を導き出したとして同鑑定の結果を非難するようであるが,確かに,鑑定人Fの公判廷の供述中には,そのように述べている部分も存するが,その供述全体を見れば,同鑑定人は,知能検査を最も重視しつつ,問診の結果や各種検査結果等を総合して鑑定の結論を出した旨述べているものと認められ,本件鑑定の記載内容に照らしてもそのことが裏付けられているのであるから,検察官の上記非難は当たらない。

3 そうすると,本件犯行当時,被告人は飲酒してはいたが,その量は平素のそれと比較して多量とはいえず,記憶も明確に保持されていることなどから,飲酒が本件犯行に与えた影響は少なかったといえるが,生来の中等度の精神遅滞により,現実検討能力や人格の統合水準が低く,自己統制も弱く,さらに自己の行動に対する反省や洞察が浅薄で,放火に対する違法性,危険性に対する理解が十分でないために,Bに対する鬱憤晴らしとしては飛躍していると思える放火を決意し,行動制御能力も相当程度低下していたことから何のためらいもなく,そのまま実行に移したものと理解すべきであって,したがって,本件犯行当時,被告人は是非善悪の弁別する能力及びこれに従って行動する能力が著しく減弱していたと認められ,心神耗弱の状態にあったというべきである。

(累犯前科)
被告人は,平成11年10月22日奈良地方裁判所で非現住建造物等放火,詐欺,窃盗の各罪により懲役3年に処せられ,平成14年1月24日その刑の執行を受け終わったものであって,この事実は検察事務官作成の前科調書(乙14)によって認める。

(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法108条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,前記の前科があるので同法56条1項57条により同法14条の制限内で再犯の加重をし,判示の罪は心神耗弱者の行為であるから同法39条2項68条3号により法律上の減軽をし,その刑期の範囲内で被告人を懲役3年4月に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中310日をその刑に算入することとし,奈良地方検察庁で保管中のライター1個(平成15年検領第579号の6)は,判示現住建造物等放火の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号2項本文を適用してこれを没収し,訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)
本件は,現住建造物等放火の事案1件であるところ,上記のとおり,被告人は,居酒屋で知人らと共に飲酒するなどしていたが,同店経営者から閉店することを告げられたため,勘定を済ませて同店を出たものの,すぐに一人同店に戻ってきて再度入店しようとしたのに対し,同店が既に施錠されており入店できなかったことから,自分が店から閉め出されたものと思い込んで立腹するなどし,その腹いせに同店を燃やしてしまおうと決意し,判示のとおり放火に及んだというもので,その動機は,短絡的,かつ身勝手であって,酌量の余地は全くない。また,犯行態様も,人目に付かないように同店の裏側に回り,ライターで被害店舗兼居宅の葦製の簾に点火し,燃え出したのを確認するや,その場から離れるなど,手慣れたものがある上,上記居酒屋の経営者は,被告人らの退店後,後片づけをしていたところ,同店出入口から不審な物音がするのに気付き,不安に思って知り合いに連絡をとって同店まで呼び出したことから,偶然にも同人が本件火災を発見し,上記経営者と一緒に消火活動を行った結果,火勢が拡大する前に鎮火できたものであって,もし,消火活動が遅れていれば,被害店舗兼居宅が木造の長屋の一角にある建物で,周囲は商店や民家が軒を連ねた住宅街であったこと,犯行時刻が午前1時55分ころという深夜であったこと,本件犯行当時,被害店舗兼居宅内では二人が就寝中であったことからすると,人命にもかかわる重大な結果が生じていた可能性があったもので,本件犯行は危険極まりなく,犯情は悪質である。そして,被害店舗兼居宅の住人はもちろんのこと,被告人に危うく放火されそうになった上記居酒屋の経営者においても,被告人によって店舗だけでなくその生命も奪われそうになったものであり,その処罰感情には厳しいものがあり,また本件犯行が付近住民に与えた不安感もまた大きかったと推察される。

さらに,被告人にあっては,上記累犯前科の項のとおり,平成11年10月に非現住建造物等放火の罪等により懲役3年に処せられて服役までしたにもかかわらず,出所後わずか半年余りしか経たないのに再び同種の犯行に及んでおり,規範意識の希薄さは顕著である。

このような事情に照らすと,被告人の刑責には重いものがある。そうすると,被告人が罪を認め,反省していること,中等度の精神遅滞によって心神耗弱の状態にあったこと,上記のとおり,火災の早期発見による迅速な消火活動の結果,被害店舗兼居宅のうちプラスチック製トタン屋根の一部を焼損するに留まっており,幸いにも被害が比較的軽微であったこと,被告人の母親が今後の監督を約束していることなど,被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,主文の程度の刑に処するのはやむを得ないものと考えた。

よって,主文のとおり判決する。(求刑・懲役5年,奈良地方検察庁で保管中のライター1個の没収)平成15年10月3日奈良地方裁判所刑事部
裁判長裁判官    東   尾   ・   一
裁判官    御   山   真 理 子
裁判官    実   本       滋


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