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受精卵を凍結したときの気分は……

ぼやき

スプツニ子!さんが進めているという、卵子凍結事業。いろいろと話題になっていますが、一年半前、35歳で凍結をした時の率直な感想は、「これ、子作りのタイミングで悩んでる人みんなやれたらめっちゃええやん…!」でした。

私が実際に凍結に至ったのはいわゆる「医学的適応」というやつで、抗がん剤治療によって子どもができなくなるかもしれないと言われたためでした。また既婚のため、卵子ではなく受精卵を凍結しました。

私は1人子どもがいますが、その子も不妊治療で授かりました。それが34のとき。でも当時はフリーランスになったばかりで夫も自由業。経済的な不安から子作りになかなか踏み出せませんでした。

迫りくるタイムリミットとキャリア形成の間で揺れる数年を過ごしたため、今回はがん治療のための受精卵凍結となりましたが、本当にほっとした、というのが正直な気持ちで。

子どもをいつ持ちたくなるか、持てる状況になるかはわからない。だから、もしかしたらくるかもしれない「そのとき」に備えてベストを尽くしたい。卵子凍結に想いを寄せる人の気持ちはとてもよくわかります。

私は凍結するまでに一ヶ月ほどしか猶予がなかったので、それまでに今後、子どもを持つのか持たないのかを決めなければいけませんでした(抗がん剤治療を経ても妊娠出来るかもだけど未知数のため)。

タイムリミット短かっ!と泣きましたが、凍結すると決めた途端、霧が晴れたように心が軽くなったことを覚えています。そしてがん経過観察中の今も心穏やかに過ごせているのは、静かに眠っている受精卵の存在があるからだと思います。

がんが寛解となったとき私は40で、夫は50。なかなか厳しい年齢ですが、私はひっそり、「そのとき」を楽しみに毎日生きています。

卵子を凍結したことで安心してしまい、どんどん出産年齢が高齢化してしまうのではないかとか、生物学的な「現実」を直視しなくなってしまうみたいな声も聞きますが、私は「現実」を見ているからこその決断ではないかなと思うのです……。

とはいえ、いつ生んでもキャリアや経済状況が保証され、安心して好きなときに子作りできる社会が一番だと思います。そんな体制づくりと共に、パートナーの不在や仕事、経済面といったことを考えた上での卵子凍結もすすんでいけばいいなと思っています。

小泉なつみって?

1983年生まれの編集者・ライター。TV制作会社を経て出版社に勤務。その後フリーランスとなり、書籍やフリーペーパー、映画パンフレット、広告、Web記事などの企画・編集・執筆をしています。ネタを問わず、小学生でも読める文章を心がけています。

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