コラム

一隅を照らす人。

高倉健 七つの顔を隠し続けた男

高倉健 七つの顔を隠し続けた男 著者: 森 功

出版社:講談社

発行年:2017

昔から自分の両親含め、団塊世代より上の人たちはみんな高倉健に対する愛情がひとしお強い印象がある。強いて言えば、松方弘樹が自伝で少し悪く言っていたぐらいで、あまり否定的な意見を聞いたことがない。誰もが「健さん」と親しみを込めて呼び、日本が誇る伝説の大物俳優として尊敬して止まない。

メディアに頻出せず、映画も自分のペースで出演するので、謎はどんどんと深まりカリスマ性は助長されるばかりである。たまにテレビに出ようものなら世間は大騒ぎ。うちの母はその度に「健さん、素敵!」「カッコいい!」「こういう人間にならないとね!」と惜しみない拍手と賛辞を送る。父にいたっては高倉健にあやかって本名を“KEN”に変えて外国で仕事をしていたほどだ。

その影響力は確実に息子の僕にも及び、いつからか高倉健という男を無意識に追うようになった。奇しくも、彼の俳優人生の転機となった名作『幸福の黄色いハンカチ』は僕が生まれた年の作品であり、40年前の今時分に公開された(77’/10/1公開)後追いで僕は作品を鑑賞し、以後『南極物語』、『八甲田山』や『海峡』など数々の名作を観た。どの作品も重厚で素晴らしいが、おそらく親の世代はそれよりも前の『日本侠客伝シリーズ』や『網走番外地シリーズ』などに高倉健の原体験があるのだろう。強気をくじき弱気を助く。悪徳業者や振興ヤクザに立ち向かう義に生きる侠客。男の中の男。映画館を出たあとは誰もが肩で風を切り、高倉健になりきったという話はあまりにも有名だ。ちょうど僕らがジャッキー・チェンを観たあと強くなった気分になるように。

高倉健、本名小田剛一(おだ・たけいち*ゴウイチと読むのは間違いだそうだ)昭和六年、福岡県中間市に生まれ、炭坑夫を取りまとめる父を持ち、母は教員をしていた。学生の頃はボクシングと英語に情熱を注ぎ、戦歴も6勝1敗と強かった。その後の気骨のある役柄と自分を律する孤高の精神は、荒くれ者が集う炭坑の現場を取り仕切る父と教職につく母によって養われたものかもしれない。福岡から東京の明大に入学し、あまり学校には行かず酒と喧嘩の毎日を送るようになる。高倉はやがて歓楽街で「明治の小田」という異名をとるようになり、その界隈で名が知れ渡っていく。のちの役どころを考えると、すでにこの頃から素質は十分にあった言える。その素質は、俳優“高倉健”の強烈な魅力となっていく。

マキノ兄弟に、岡田茂、それにのちに東映入りする俊藤浩滋……錚々たる日本映画界のビッグネームがみな、学生時代に放蕩を繰り返し、就職すらままならなかった小田剛一のことを、高く評価していた。彼らは、高倉のどこに惚れ込んだのだろうか。礼節を重んじ、義理を欠かさないとされてきた高倉健は、その反面、単なる優等生にない不良性を秘めている。東映の重鎮たちは、そこに共鳴したように思えてならない。

日本映画界のドン、東映の名誉会長、岡田茂はまたこんなことも言っている。

人間は、一遍の道徳や倫理観では語り尽くせない危うさや怖さ、一見すると悪にしか見えない陰の部分にこそ、本性が現れる———。岡田は「映画には『不良性感度』が欠かせない」と独特の表現をして映画製作の陣頭指揮をとり、ヒットを連発させた。人間に潜む「不良性感度」を前面に打ち出して映画づくりに取り組め、そうでないと映画は当たらない、というのが口癖だ。

まさに高倉健こそがこれを体現していた役者だと言えまいか。自分の汚い部分をひたすら見つめ、そしてときに恥じながら、まるで罪滅ぼしするかのように朴訥と演技をしていた。少なくとも僕にはそう映った。しかしだからこそ、これだけ多くの人の心を打ったのではないだろうか。なぜならば誰もが同じように自分の内部に潜む罪意識、汚い部分、不良性を持っているからである。この不良性とは“人間の業”とも置き換えることができるだろう。その業に焼かれながら、それでも真摯に生きる高倉の姿は、おそらく日本人にとってあまりにもいじらしいのだ。やがてその生き様は役者のみならず、そのまま実生活とも同一化されていく。

「泰治、俺は、高倉健という名前を地に落としたくないんだよ」

京都で長年付き人をやっていた西村泰治に言った言葉である。高倉は映画のスタッフと一緒に芸者遊びをし、ソープランドにも足を運んだが、手を出すことをしない独特の美学と潔癖な部分があった。もちろん様々な女優が惚れ、浮き名を流すこともあったが、ほとんど世に出ることはなかった。どこまでも役者“高倉健”を貫いた人生であった。

たとえ相手がヤクザであろうが人として付き合い、恩があれば返す。祖先を敬い、命日の供養は忘れず、信仰に厚い人でもあった。財界の大物から裏社会まで、どの筋からも愛されるということは、つまりそれは“並大抵の人間力”ではないという証だ。それにもかかわらず、この最終章で明かされる十八年連れ添った養女の死後の行動は、さすがに読んでいて不可解に映った。詳しいことは本書に譲るが、それが高倉本人の遺言ならばなんとも整合性が取れず解せない。しかし今ではその真相も薮の中である。

高倉健の生き様は、メッセージである。作品そのものよりも、存在そのものが国宝級の作品となった希有な役者であると思う。そのメッセージは決して特別なことではなく、人間として大切な基本事項であるようにも思う。礼節、恩義、義理、人情。いつでもそうありたいと思うが、ときに道を外れそうになると「お前、それでいいのか」と心の中の高倉健に睨まれる。


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