プロ野球の話題で酒の席も盛り上がる夏がやってきた。そこで、上司世代は知ってるが…という定番ネタを仕込んでいて損はない。

ただ成績がダメなだけなら戦力外として日本を去り記憶にも残らないが、悪い意味で球史に名を残し、今なおファンの話題となるような“筋金入り”の外国人選手たちを集めてみた、後編!

他人の死球にブチ切れ! シーズン3度退場の暴れん坊バナザード(南海ほか)

貧乏球団だった南海が、当時としては破格の1億円で獲得したプエルトリカンの現役メジャーリーガー。小柄ながら強打のスイッチヒッターで1988年に打率.315、20本塁打。身売りでダイエーとなった89年も、34本塁打、93打点と勝負強さを発揮した。ただ、気性が荒いのが難点で、88年には僚友のライトが死球を受けると、なぜか一目散にベンチを飛び出して大暴れするなど1シーズンに3度の退場処分を食らう。

また、空振りで投手の武田一浩(日本ハム)の足元までバットを飛ばしてしまい、それを取りにゆっくりマウンドに歩み寄るバナザードとビビる武田の映像が珍プレーネタとして放送された。

メジャーの問題児が来日も2度の無断帰国でクビミッチェル(ダイエー)

来日前年の94年にレッズで打率.326、30本塁打。掛け値なしの現役メジャーリーガーだったが、ストライキの影響を受けて95年にダイエー入団。開幕戦の初打席ではライナーでレフトスタンドに突き刺さる満塁弾を放ち、鮮烈なインパクトを与えた。

ただし、メジャー時代から暴行などの逮捕歴が2回あり、試合を無断で欠場して行方をくらますなど素行に問題があった。この年も右手の故障などにより調子が落ちてくると、5月に無断帰国。夏場に再来日したものの、再び無断帰国したのを契機に球団はミッチェルを解雇した。

クビにした後も、年俸の支払いなどをめぐってトラブルが続き、球団には散々な結果となった。

球界の盟主、球団史上最速の解雇

イライラが爆発し、審判にボール投げつけ!ガルベス(巨人)

台湾球界を経て1996年、巨人の宮崎キャンプでテスト入団したドミニカ出身の投手。がっしりした体格から力のあるストレートと、シュート、スライダー、チェンジアップを武器に16勝で最多勝を獲得した。

翌97年以降も活躍したが、球審の判定や走者の揺さぶりでイライラするのが難点。98年7月31日の阪神戦ではストライクゾーンの判定に不満を抱いていた橘高淳(きつたか・あつし)球審に向けてボールを投げつけるという前代未聞の事件を起こし(球審には当たらず)、出場停止と罰金の処分を受けた。

2000年に負けが込んで二軍に降格するとそのまま退団。問題児ではあったが、その活躍ぶりを評価する声も多い。

球団史上最速でクビも浅草観光で思い出づくりミセリ(巨人)

豪快なストレートを武器にメジャーで活躍した実績が評価され、2005年にクローザー候補として巨人入り。だが、広島との開幕戦で1点リードの9回を守れず逆転負けを喫すると、続く横浜戦でも救援に失敗。チームは二軍での再調整を求めたが、本人の同意なしに降格できない契約を盾にミセリは拒否。リードした場面の中継ぎ起用にも不満を漏らすという事態に発展した。

首脳陣と本人の話し合いも決裂し、球団史上最速の解雇が決定。ところが、正式発表される頃に本人は家族とともに浅草見物をしていたことがメディアで大きく報じられてしまう。「なんだ、観光しに来たのかよ」とファンを呆れさせた。

まだまだいる!と語りたい人は…

●まだまだいる!! トラブル助っ人たち

スノー(日本ハム)会社員として来日した際、テストに合格。だが、二軍での初登板日に失踪する。実は勝手に故郷に戻っていたというメチャクチャぶりで「失格選手」扱いに。

レスカーノ(大洋)メジャー通算148本塁打の大物として1987年4月に途中入団したが、5月になると「速球が怖くなった。自分の野球人生は燃え尽きた」と涙ながらに会見し引退。

ディステファーノ(中日)1990年に入団し、オープン戦で死球を受けて乱闘。開幕後も僚友のバンスロー絡みの乱闘に加わり大暴れした。本業の野球はサッパリでシーズン途中に退団。

グラッデン(巨人)闘志あふれる1番打者として1994年に巨人入り。5月のヤクルト戦で西村龍次の内角攻めに激高。制止した捕手の中西親志をボコボコにし、大乱闘に発展した。

チェコ(広島)ドミニカのカープアカデミー出身で1995年に15勝を挙げたが、メジャー移籍か年俸1億円を要求して球団と訴訟になる。結局、97年にメジャー移籍が実現した。

ヒルマン(ロッテほか)1995年から2年間ロッテで活躍し、2年5億円で巨人に移籍。だが、肩痛でほとんど登板せず「小錦(元大関)が肩の上に乗っている」と訴えたのは、もはや伝説的名言?

ロペス(広島ほか)1996年から2年連続打点王を獲得。普段は陽気な性格だが、たまに様子がおかしくなり、2002年には走塁をめぐって前田智徳とつかみ合いの内輪もめを起こした。

ウォーレン(ロッテ)ロッテのクローザーとして1999年に最優秀救援投手となった。ところが、ボールに傷をつける不正疑惑がかかって憤慨。以後は挑発行為など“”悪人キャラ”に。

メイ(阪神ほか)1998年から阪神、巨人で投げた左腕。審判への体当たり、監督批判のビラまき、打席を外した打者への危険球など問題行動が多かったが、野球では実績を残した。

ネルソン(中日)ドミニカ出身の長身投手。来日前の2005年に偽装結婚、中日入団後、沖縄キャンプから移動する際に実弾を所持して銃刀法違反になるなど、トラブルには事欠かず。

(文/キビタキビオ 谷上史朗)