私はカネボウに鋤年間お世話になった今ビジネスマンとしての私を鍛え、育ててくれたのがカネボウである。カネボウでの会社員生活なくして今日の私はないといえるほど、いくら感謝してもしきれない。
カネボウは1887(明治別)年に創設された。戦前は第一等の企業に位置づけられ、116年の歴史を誇った名門だった。繊維業からスタートし、ペンタゴン経営で有名となったカネボウは、女子工員が多く「工場のベンチは冬は日当たりよき場所を選び、夏は木陰に移すべし」との理念そのままに、従業員を大切にする「愛と正義の人道主義」を実践する会社であった。
そのカネボウが2004年2月、3553億円の債務超過で再生機構に支援を依頼した。その後粉飾決算も判明。この不祥事は世間を驚かせた。再生機構はカネボウを徹底的に解体することを決める。化粧品部門は花王に売却、再生可能とみなされた食品、日用品、薬品部門だけがクラシエとして再生し、その他の事業部門はすべて売却された。
日本を代表する名門企業の末路が事実上の倒産とは、だれも予想できなかったにちがいない。私が入社した当時、鐘淵紡績は大らかな社風でキラキラと輝いて見えた。素晴らしい先輩にもめぐり会えた。しかしいつしか大らかさは陰をひそめ、経営層は保身と出世のため。
ワンマン経営者の歓心を得ようと汲々とするようになっていった。
私が悩みに悩んだ末にカネボウを退職したころは、会社は芯から腐っていた。8年後、カネボウは倒産したのである。
カネボウが凋落した要因をいくつか挙げてみよう。
●バブル崩壊後の1990年代以降、めまぐるしい経営環境の変化に対応できず、旧来の日本型経営から脱皮することに失敗した。
●企業風土が「機能体」ではなく「共同体」と化し、社交クラブのような居心地のよさが求められ、経営(数字)に対する関心が薄れていった。
●ワンマン経営者が弱年間君臨し、経営層は「会社が永遠に続く」と思いこみ、私利私欲で物事を判断することが多くなった。
やはり会社はトップの品格次第であり、倒産の危機に追い込まれないかぎり改革は難しいように感じられた。その後私は、ある外資系企業の日本法人トップにヘッドハンティングされ、新しい経営の世界を目の当たりにした。企業が果たすべきアカウンタビリティー、コンブライアンス、透明性といった要素を肌で感じ、有望な若手エグゼクティブがコーチングを受けている事実を知った。もしカネボウの経営者がエグゼクティブ・コーチングを受けていれば、あっけなく倒産することはなかったろうにと心底残念に思ったものだ。
結果的には弥縫策に終始し、抜本的な再建策を実行できなかった責任の一端は、企画部長の職にあった私にもある。このじくじたる思いは今でもトラウマになっている。カネボウの経営層は反面教師であり、私を大きく成長させてくれた。
コンサルタントとして独立後、どんなに良い提案をしても、実行するのは社長および経営陣であることを痛感していたため、コーチングの世界に身を投じた。倒産した会社の従業員の末路は哀れである。つまるところ、社長と経営陣がダメな会社は衰退していくのだ。カネボウのような企業を二度と生まないためにも、エグゼクティブ・コーチングの果たす役割は大きい。