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白石隼也の映画コラム
『きっと、うまくいく』〜白石隼也・映画コラム〜
2013/07/04
今、ラーメン界では煮干しラーメンがキテいる。
ちょうど一年程前。大のラーメン好きの友人を持つ友人(というか仕事仲間)に連れられ、恵比寿に最近出来たというお店で初めて煮干しラーメンを食べた。昔ながらの中華そばをベースにしたそのラーメンは、見た目こそ普通のラーメンなのだが、湯気と共にやってくる煮干しの香りが食欲を掻き立て、スープを口に入れるとほんのり煮干し独特の風味といつもの中華そばの醤油スープが舌を包んだ。初めての味。
それからというもの、どういう訳か煮干しラーメンが僕の元へやってくる。毎日のように通っている東映撮影所の近くにも煮干しラーメン専門店が出来たかと思えば、自宅から300メートルほど離れた場所にも同じようなお店がやってきた。この日もネット上で話題になっていたある映画のレイトショーを観に新宿駅からシネマート新宿に向かっているとまた煮干しラーメンがやってきた。こうなったら入らない訳にはいかない。あまり時間がなかったのでレンゲは持たずに麺だけを啜って店を出たが20時45分の上映時間ギリギリに映画館に着いた。公開から一ヶ月以上が経っていたし、上映時間が約3時間もある映画だったから大丈夫だろうと思っていたが、すでに劇場内は人で溢れていた。
今回紹介する作品は現在公開のインド映画「きっと、うまくいく」。
正直僕はあまりインド映画に興味はなかった。インド料理屋に行くと流れている民族衣装サリーを身にまとった人々が歌って踊り、最後にセンターにいた男女がキスをして終わる。そんな映像をナンを片手に観ていても、僕の興味はいかにこのカレーとナンを熱々の美味しい状態で食べきるかという方向にしか向かなかったからだ。そういう事情もあり、この映画の下調べは全くせずに僕がポップコーンとコーラを買ってようやく席に辿り着くと本編の上映がすぐに始まった。
舞台は日の出の勢いで躍進するインドの未来を担うエリート集団を輩出する、超難関理系大学ICE。
未来のエンジニアを目指す若き天才が競い合うキャンパスで、型破りな自由人ランチョー、機械よりも動物が大好きなファルハーン、なんでも神頼みの苦学生ラージューの“三バカトリオ”が、鬼学長を激怒させるハチャメチャ珍騒動を巻き起こす。
彼らの合言葉は「きっと、うまくいく!!」(公式HPより抜粋)
ふむふむ。うーん。ほう。ん?
3人のオジサンが出てきたと思ったら、すぐに大学時代の回想に入った。彼らはすぐに大学生になった。
一番成功するのは誰か、それを確かめるために10年後また大学で会う約束をしていたランチョー、ファルハーン、ラージューの3人と成績優秀なランチョーを目の敵にしていたチャトゥル。しかし、そこに集まったのはランチョーを除く3人だけだった。唯一の手掛かりを手にランチョーを探す旅に出た3人と、ランチョーのいた10年前の大学での話が平行して物語が進められていく。
どちらかと言うと、映画のような質感ではなくテレビドラマのようなカット割りでコミックやアニメでありそうなCGや効果音を駆使しコミカルにテンポよく物語が語られていく。インド映画ならではのミュージカルシーンも僕が思い描いていたそれではなく、ずっとスタイリッシュで楽しい。何処かで観たことがあるような気がする話もあるが、クスッと笑ってしまうような斬新なシーンもありとても見やすい。
しかし、完全にフラットな状態でこの映画に向かった僕はまだその世界観に引き込まれることはなかった。途中、随所に盛り込まれる自殺や貧困などのインド国内の社会問題の描かれ方がユーモラスで分かりやすくし過ぎたせいかどうも強引な印象が拭えなかったのだ。いやはや、こうなるともう色んなことが気になってくるもので、「きっと、うまくいく」というタイトルそのままに冒頭のあるシーンを覗けば全てが“うまくいく”ストーリーに、さすがに“うまくいき過ぎだろう”というツッコミを2回ほど心の中でしたところでインターミッションに入った。(この劇場では実際にはインターミッションはなく、すぐに後編が上映されたのだが)
と、ここで収束に向かうと思われた物語が大きく動く。
ランチョーの居場所をようやく探し当てたと思ったら、ランチョーはなんと別人で皆の知るランチョーはその人物の替え玉だったことが明らかになる。振り出しに戻った3人だったが、その人物から彼の本当の居場所を教えられる。
その後も、ランチョーのいた大学でのいくつものハチャメチャなエピソードが出てくるのだが、どれもこれも“うまくいく”。
ヤンチャする。問題になる。怒られる。抵抗する。うまくいく。
これの繰り返しだ。正直言うと、この劇場が満席ではなく僕が席を立っても誰にも迷惑にならない状況だったら途中で帰っていたかもしれない。一度はそこまで凹んでいた僕の心だったが、逆にこの何でもうまくいき過ぎるエピソードの痛快さがツボになってくる自分がいるではないか。おかしい。自分でも信じられないが、徐々に素直に笑えてくるのだ。たとえどんなに大変な事件や問題が起こったとしても、大丈夫だ、こいつらなら絶対に“うまくいく”と安心して観ることが出来て、案の定“うまくいく”。
大袈裟な表現かもしれないが戦時中に国が作るプロパガンダ映画に近いやり方なのかもしれないなぁと感じた。自国が優位にたっている状況だけを伝え、暗示をかけるような。もちろん、第二次世界大戦のときに起こったそれとこの映画は違う。訴えかけるメッセージもそうだが、決定的に違うのは対象が知識と教養を持ち正確な情報を知ることが可能な人々だからだ。この映画で起こっていることがリアリズムでないことを理解した上で、ある種のファンタジーとして楽しむことが出来る。
こんなに“うまくいく”はずがないのは分かってはいるが、映画の中でくらいはうまくいったっていいじゃないか。その方がハッピーだろ。と
エンドロールが流れる頃には、序盤に不満を感じていた自分が哀れに思えるほど、まんまとハッピーな気分でスクリーンを眺めていた。
無理矢理繋げると、初めての味。
いやしかし、映画を観てこういう気分になったのは本当に初めてだ。もうこれ程まで貫き通されると、よくぞここまで徹底した!と賞賛の拍手さえ送りたくなる。こういう映画は、どうしたって今の日本では作られないだろう。仮面ライダーだってもうちょっとリアリズムを追求する。(笑)
ただ、2013年にそれを求めている日本人が少なくなくいるということは、こう捉えなくてはならないのかもしれない。
今、映画界ではインド映画がキテいる。
『きっと、うまくいく』
シネマート新宿・心斎橋ほか 全国順次上映中!!
(C)Vinod Chopra Films Pvt Ltd 2009. All rights reserved.
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