ソウルキャリバーⅤ プロデューサー

夛湖 久治 たご ひさはる

ソウルキャリバーVのプロデューサーをさせていただきました夛湖です。

ソウルシリーズ20周年!おめでとうございます!

ソウルシリーズは「V」に限らず、大変思い出深い作品です。
シリーズ初の作品である「ソウルエッジ」は、当時私が所属していた部署のとなり、VS開発部(※)というところで作っておりました。 (※対戦の「VS」ではなくて「Video Soft」の略です!)

このソウルエッジ開発当時は、私はまだまだ駆け出しで、大きな印象は持っていませんでしたが、
入社して4年目ころでしょうか、そろそろ中堅になってきたかな、などと思い上がっていた時代に、ふと何気なく同期のプログラマの席に遊びに行ったときに見せられたのがソウルシリーズ2作目に当たる「ソウルキャリバー」でした。

そこで目にしたのは、自由度の高い8WAY-RUNと剣撃アクションを組み合わせて、奥行きのある3Dフィールドを活かしつつ格闘を成立させるゲームシステムでした。
これには度肝を抜かれた記憶があります。なぜなら、移動自由度と常に戦いを強いなければならない格闘は相反する要素で、組み合わせは無理だと勝手に思っておりまして、正直ソウルエッジの軸移動がギリギリの解だと思っていたからです。

そんな驚きの出会いから始まったソウルシリーズでしたが、当時はその14年後に「V」のプロデューサーを任せていただけるとは想像もしていませんでした。
前に書いたとおり、開発していたVS開発部は当時は私の隣の部署で、もともと私はゲームセンター用の中大型機ゲームを開発する部署におり、大きな筐体に乗り込んでスキーとか戦車とかロボットとかを操作して対戦するようなゲームを作っていたからです。

話は変わりますが、当時のゲームセンター用のゲームでは「ロケテスト」と呼ばれる、実際のゲームセンターにプロトタイプを置いてテスト稼働するイベントがあり、お客様の反応を見る機会がありました。
このロケテストというのは特殊なハレの場でして、遠路はるばる遊び来られるお客様や、要望を投げかけていただけるお客様とか、熱量を体感する機会に多く恵まれました。

「V」では、プロモーションで世界各地を回らせていただく機会を持たせて頂けましたが、ソウルシリーズのファンは、このロケテストの熱量を大きく凌駕し、まさに掴みかからん勢いの迫真をもって要望を投げかけていただいたのが、今でも大きく記憶に残っております。

私の力及ばずなところもあり「V」には、お客様の想いの全てを詰め込むことは出来ず、これは今でも猛省すべき点と心得ておりますが、兎にも角にも、私にコミュニティの大事さ、ファンの大事さ、また彼らと真摯に正面に向かい合う大事さを、改めて教えてくれた作品でありました。

あらためて、おめでとうございます!
キャリバーについて一番印象に残っている出来事は?

文中にも書きましたが、やはり8WAY-RUNです。これに限ります! プロデューサー視点ではなく、ゲームデザイナー視点となってしまうのですが、移動自由度と格闘ゲームをうまく融合したシステムだと思っています。

いまだから言える(かもしれない)あんな事、こんな事

今でも言えません(泣)。 色々有りますが、墓場まで持っていきたいと思います。

自分をキャラに例えると?

ソウルキャリバーVの、ナイスミドルになったジークフリートですね。 理由は主におでこ周辺の共通性です。他人と思えません。