は じ め に 

 

 われわれ日本人は、日々、朝から晩まで日本語を口にし、耳に聞き、読んだり書いたりしている。今日では、紙によることは滅多になく、パソコンやスマホを通して読み書きし、また話をする人の方が多いのかも知れない。由緒ある”てがみ(手紙)”や”はがき(葉書)”といった優雅な言葉も今や”メール”にとって代わられ、いつか民族の記憶から消滅する運命にあるのであろう。言葉の歴史とはこのようなことの繰り返しなのかも知れない。ともあれわれわれはどっぷり日本語に浸かって暮らしている。

 

 その日本語は、はなはだ唐突であるが、よく知られているように大きく分けて、和語、漢語、外来語からなっている。ところが、われわれが話をするとき、どれが和語か漢語か外来語かなど意識することはまったくない。それらは、まさに渾然一体となって日本語を形成しているのである。本サイトは、その中から「和語」のみをとり出して、整理分類し、その由来をたどり、語の意味するところを追求しようとしている。言うところの「やまとことば」である。

 

 日本語を構成するこれら三種の語のうち、漢語は、シナ語(中国語)をそのまま、或いは多分に日本語化して借用したものであり、外来語は、近世に入って西ヨーロッパ諸語から、新しくは特に英語からとり入れたものである。それに対して和語は、古来西方の大陸や南洋諸島から日本列島に海を渡ってきた人たちによってこの地で作り上げられた言葉である。和語の語彙と文法が日本語の根幹をなしている。そのうちここでは和語の個々の「語」を追及の対象としている。

 

 私は、平成27(2016)年『私家版 和語辞典』(デジタルパブリッシングサービス社刊)を世に問い、続いて平成29(2018)年『私家版 和語辞典(増補版)』(電子版とも)をやはり同社より上梓した。これらは、筆者が長年にわたって書き溜めた大きな文書ファイルの中から比較的目新しいと思われる所論を適宜拾い出してまとめたものである。しかして、本サイトは、両「私家版 和語辞典」の補遺として、そのもとになった乱雑なファイルそのものを整理し、分量的に両書に収載できなかったものをまとめて、広く日本人、日本語人の閲覧に供しようとするものである。ただ、さまざまな理由によって語の蒐集や整理に徹底を欠き、少なからざる欠落や誤りを含んでいるであろうことは認めざるを得ない。その点についてはあらかじめ読者諸兄姉の寛恕を乞うほかない。

 

 筆者の長年の思いは、新しい国語辞典作りである。見識と意欲に富む多くの日本人の参加を得て新型の国語辞典をネット上に展開することである。今や個々の出版社が密室で国語辞典を作り、売り上げを競う時代は終わった。時代は、国民参加による巨大で正確な無料のネット辞書を構築することを可能とし、それを求めている。そこでは新しい知見が得られるたびに即座にそれが反映される。多くの辞書に見られるような無理な語釈を排し、個々の語について根拠にもとづいてその意味するところを明らかにするものでなければならないであろう。

 

 とは言え、勿論、いきなり辞書を作ろうとするのではなく、その前段階として、ここでは和語にかかわるさまざまな言語的事実を整理して網羅的に記述或いは記録しようとしている。われわれに残されたすべての和語を拾いあげ、整理分類し、すべての文字資料からその語をとり込んだ熟語や成句を徹底的に探し出し、可能な限り語の由来や構成を明らかにし、それらを一覧できるようにしようとしている。それを最大限に押し進めることによって、その上に立ってはじめて前記のような国語辞典の構築が可能となるであろう。

 

 本サイトは、そのさきがけとして、ひとえにできるだけ多くの方々に「和語の解き明かしゲーム」への参加をお誘いするためのものである。三千年前の、或いは控えめに見ても二千年前のわれわれの祖先の言葉を探り、個々の語の意味するところを突きとめる作業に加わっていただきたいからである。これにはシミュレーションゲームのような、またパズルを解くような面白さがある。しかも日本語を話す日本人は、ひとりひとりが日本語の専門家であり、だれもが容易に参戦することができる。だがいきなりまったくの手ぶらでは難しい。魚釣りに行くにしても釣竿と餌をもたないわけにはいかない。さらに多少の情報や経験も必要であろう。その意味でここに開陳する資料は、魚釣りの釣竿であり、筆者のささやかな経験であり、それらを参考にしていただくことによってすぐにも日本語に立ち向かっていくことができるであろう。

 

  読者におかれては、このサイトをひとつの踏み台として、日本語の原風景と今日に至るまで連綿と続く長く豊かな歴史に思いを致し、個々の語の意味するところを含めて、今一度日本語を見つめ直していただければ幸いである。このサイトを通してきっと新しい問題が浮かび上がることであろう。それを解明することによってまた新しい日本語の地平が開かれる。新しい知見を得たときは新しいサイトを開いて報告していただきたい。われわれは、好むと好まざるとにかかわらず、この先さらに百年、千年と日本語を将来につなげていく中継ぎの立場にあるのである。国語たる日本語に対する理解を一層深めたいものである。

 

 本サイトは、言うまでもなく、数多くの古今の先達の学恩を受けている。中でも「日本国語大辞典」(小学館 2003年)、「時代別国語大辞典 上代編」(三省堂 昭和42年)及び「新訂大言海」(冨山房 昭和31年)には格別の恩恵を蒙った。本文中ではそれぞれ「日国」「時代別上代編」「大言海」と略記した。ここに記して謝意を表する次第である。

 

  平成31(2019)年1月

 足立晋

 

 

 

 

 

追記

 言うまでもなく、このようなサイトに”完成”はあり得ない。いつまでも加除、修正の連続である。特に立ち上げて間がないため、内容がともなっていない箇所が多々あることについてはご理解をお願いしたい。逐次埋めていく所存である。