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【大相撲の不思議】関取の四股名から「川」が消えたって知ってた!?

大相撲が象徴する日本の川の衰退
岡村 直樹 プロフィール

「放浪の横綱」男女ノ川登三

作家の宮本徳蔵は、その著『力士漂泊』(講談社文芸文庫/ちくま学芸文庫)において、モンゴルを源流とし、西に東にと伝播していった相撲は放浪芸に本質を持つ、と断じている。そして、放浪性を体現している力士として、「川」の名を四股名に冠した最後の横綱、第34代横綱・男女ノ川登三をあげている。

 

双葉山が当たるべからざる勢いで69の白星を積み重ねていた昭和10年代、西方の横綱を張っていた力士だ。茨城県筑波郡菅間村(現つくば市)の出身。出身地からわかるように、筑波山を源として流れ出す男女川(みなのがわ)にあやかっての四股名である。

男女ノ川が四股名とした男女川は、彼の故郷である茨城県の筑波山に源を持つ

男女川は桜川に合する小さな川だが、男女ノ川は193センチの大男だった。対する双葉山は179センチ。呼吸をはかって両者立ち会うが、双葉山が一発か二発突きをかますだけで土俵際に棒立ちとなって、巨漢はあえなく土俵を割ってしまう。とうてい横綱同士の対戦とは思えぬ相撲ぶりなのである。こんな凡戦が4年間もつづき、双葉山の引き立て役に終始したのだった。

193センチの巨漢ながら、双葉山の引き立て役に終わった第34代横綱・男女ノ川。引退後は、数奇な運命をたどった

引退・廃業して本名の坂田供二郎に戻るや、政界に打って出ようとした。群を抜く知名度を生かすべく、衆議院、町会議員などに立候補するも、いずれも落選。横綱を張りながら、早大夜間部に籍を置き、本場所がはねると会計学の聴講に直行した経験を持つ彼は、今度は実業界での大成をもくろむ。

しかし、これまた思うに任せず、次には私立探偵事務所を開く。あの大男が、尾行や張り込みに従事したという。宮本によれば、「彼の深層意識には、人目に立たない、ちっぽけな人間に変身したいとの願望が棲みついていたにちがいない」となる。打ちつづく失敗にも懲りず、悪漢づらを買われて三流アクション映画に出演。演技力なんて毛ほどもないのである。たちどころにお払い箱となる。

母親の死後は、放浪性に身を任せた。あげく街頭で行き倒れとなり、老人ホームに引き取られた。かつての贔屓(ひいき)の世話で、東京近郊の川魚料理屋に雇われる。客寄せを兼ねた下足番であった。だが、身体はすでに病魔にむしばまれていた。そして、元横綱は門番小屋で生涯を閉じた。看取る家族はなく、まったくの無一物だった、という。世をあげて高度経済成長期を謳歌していた昭和46(1971)年のことであった。

現役時代は無敵を誇り、引退後も相撲協会の時津風理事長として大きな足跡をしるした双葉山に引き比べ、男女ノ川のそれは天と地ほどの開きがある。

どんな名声を得ようと、巨万の富を積もうと、人はあの世には何も持って行けない。最期は、畳一枚あれば充分と達観できる人は稀だろう。門番小屋に臥せっていた男女ノ川は、いかなる思いで最期を迎えたのだろうか。