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2月25日(日曜日) テストの○と×について

  • 2017.02.26 Sunday
  • 12:35

 

 子どもたちは私たち大人のまねをする。いいこともわるいこともまねをする。だからなかなか叱れない。昨今、「大人の態度があいまいなのはダメだ、良いことと悪いことを区別してしっかりと叱るべきだ」と、自信をもった顔と声で言われる。しかし、私は、どうもそれが苦手である。子どもの前に立つと、大人を前にしたときにくらべ、迷いがいくつも生じる。なさけない、軟弱なのだろうと思うが、どうしようもない。

 

 テストは作るのも採点するのも嫌いである。自分が小学生のころは、それほどひどい点数を取ってこなかったが、それでも高校生になると悲惨な点数で、及第点やっとのことが多かった。学年順位などがご丁寧に出されて、三桁だったことが一度や二度ではない。学年で135人中ということだ。だが、親は何も言わなかったし、叱られたこともない。それがありがたかった。

 

 かけ算を教えるとき、「一個20円のリンゴを5個買うといくらですか?」という問いに「5×20=100」と書いて、×をつけることがどうなのだ!という意見がネットなどでも話題になっているらしい。×をつけることの是非よりも、私なら……と考える。式には意味があるから、答えさえあっていればいいだろうとは思わない。ただし、本来はこれを×や○の二択で終わらせていいのだろうかということだ。

 

 教えるという行為は○の数を増やすこととは違うと思っている。私は、かけ算を「1あたり量×いくつ分」と教えてきたから、「20円×5個=100円」と書くように指導してきた。もちろん、単位をつけるように指導するのだ。でも上記のような間違いがあったとしても×でなく、説明をするべきだろうと思う。それで、たぶん○にしたと思う。

 

 こうすると、「教えたことと違っていても○ですか?」という人も出てくるが、教えたことと違っていても、考えることはいろいろあっていいし、それをお互い(先生と子ども)で説明したり、反論したりしながらすすめればいいのではないかと思う。あえて言うが、○でも×でも、どうでもいい。そう考えて今までやってきた。その○や×にこだわることはないと思うのだ。むろん、子どもがそれにこだわるのは子どものせいではない。○や×にもいろいろあるのだ。×や○の中には、「可能性を秘めた×」と「安易な○」というものもある。

 

 漢字の書き順などでもそうだし、はね・はらい・とめも同じだ。「許容」という考え方もあるが、大きく言えば、人間の文化に普遍性も絶対性もない。最近では「的を得る」もいいんだよという国語辞典も出ているらしい。「的を射る」だろうと思っていたが、それも絶対ではないようだ。まあ、「やばい」が「いい感じ」という意味でも使うんだから。

 

 テストを返すとき、答えを説明した後、かならず「採点間違いや、この答えはどうかとか、いろいろあるだろうから来てください」と言い、「一週間くらいは受け付けるから、じっくりまた家でも見直してね」と付け加えてきた。

 

 記号で記入の問題を示して、「これは、ケと書きました」というので「これはクとしか読めない」と言って突っぱねると、「そんなぁ、先生、ケと読めますよ」というので、「これは、正しいとか間違っていると言う問題ではなく、社会性の問題ですね。多くの人がケと読めるかどうかです。(ケとクの書き方を板書で説明して)あなたはどう思いますか?」と聞くと、ほとんどは「分かりました」と言うので、「じゃあ、今回だけ、特別ですが、次のテストから、丁寧に書いてくれると、あなたも分かってくれたので○にします」と○をつける。私はそういうふうにやってきた。

 

 正しいか間違っているかを、それほど断定的に自信を持って教えることはできない。受験用ならまた別なのだろうが。

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