今では当たり前の一眼式距離計付ファインダーも
始まりは二眼式でした。
ライカも距離計は1938年のⅢb以前はファインダーと
距離計接眼部が2センチも離れた二眼式でした。
これはライカコピー機のニッカ3Sのもので、ライカも
このような構造でした。
ライバルのコンタックスⅡの一眼式距離計の出現で
速写性に優れたこのファインダーをライカも採用し
たかったのだと思います。
しかし大幅な構造変更をさけて,プリズムを使うこと
で接眼部を6ミリまで近づけて、これに対抗しました。
この構造が特許なのでライカ似のカメラメーカーは
その特許が切れるまで、これを使えませんでした。
そのことは「バルナック型ライカのファインダー」で触
れました。奥が3Sで手前がライカⅢfです。
上がニッカ3S 下がライカⅢf接眼部

キャノンの場合はライカスタイルで一眼式を採用しま
した。そのため基線長を長くとれない分をレンズを挿入
して倍率を変えることで解決しました。
ライカの距離計視度調整レバーが、キャノンではこの変倍
用になっています。




キャノンの変倍式ファインダー 筒状の接眼レンズが回転する。
ニコンは基線長が長くとれるコンタックスのスタイルを
とりました。
ライカは変更することなくⅢfまでがんばって1954年に
全く新しいM3ですべてを刷新したのです。


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  1. つい最近3-Sを手に入れましたがこの修理日記はとても参考になります。将来カメラが壊れたらこうした記事は闇夜の灯りと同じで頼りになります。

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  2. コメントありがとうございます。趣味で修理されている方が詳細に修理法を発信しています。こちらは商売なので、そこまで詳しく書くことはしていませんが、カメラの解説と修理の中間あたりを狙って書いているつもりです。

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  1. 昔のアサヒカメラをパラパラめくっていて、珍しい写真を見つけ
    ました。今月の入選作品で見開きで掲載してあるこの読者の出品
    作品、懐かしい刑務所のレンガ塀とそこで遊ぶ子供を撮った写真
    です。

    私の卒業した小学校は、駿府城の内堀と外堀の間にあって、
    城内小学校と言っていました。今は、同じく堀の内側にあった
    青葉小学校と合併して、葵小学校と名前が変わっています。
    学校の東側は,堀に沿って刑務所が並んで建っていて、堀の東角
    で曲がり、城外に出る道の所までL字型の刑務所でレンガの塀
    がぐるりと廻っていました。我が家から学校への通学路は、こ
    のレンガ塀沿いに内堀沿いの道を行くか、外堀に沿った道を行
    くかの二通りで、通常、行きは外堀沿いで、帰りはちょっぴり
    遠回りの内堀ぞいの道を選んだものでした。それは楽しい寄り
    道をするためで、石垣の裏側とレンガ塀に挟まれた狭い通路は
    道というわけではなく、だれも通らない陽もほとんどささない
    暗くて(この写真では陽が差して明るく写っていますが)ちょっ
    と冒険心を起こさせる秘密の通路でした。
    刑務所が学校の隣にあるなどということは、
    今どきとても考えられないことですが、時々紐でくくられ、数珠
    繋ぎで虚無僧みたいに頭をすっぽり籠で隠した囚人が歩く姿を
    ごく普通にみていました。
    防空壕の跡や空き地や原っぱや畑があちこちあって、遊ぶ場
    所はそこらじゅうにありました。道は砂利道や未舗装で、雨にな
    れば長靴がないと泥まみれになり、たちまち水たまりがあちこち
    に出来て、雨ん坊がスイスイする時代でした。

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    1. 静岡市の繁華街には谷島屋、江崎、吉見など大型の書店
      が軒を連ねていて、地方都市としては誇りでもありました。
      その後のインターネットの普及で本屋不況が始まり、次々
      とショッピングモール内に移ったり、郊外店へとスタイル
      を変えていき、その後合併前の清水市の戸田書店が駅前の
      ビル内に大型店、丸善書店も私鉄ターミナルビル内に開店
      するなど、世の中の動に抗うような本好きにはうれしい
      状態が続きましたが、戸田書店が撤退し、繁華街の大型店
      としては丸善ジュンク堂のみになってしまいました。
      本の森の中をうろつき背表紙を見て面白そうな本を探す
      面倒なことをしなくても、検索すれば関連本を瞬時に教え
      てくれるので、それで事は済んでしまう実に便利な世の中です。
      そんなご時世の中、小さな本屋が開店です。しかもわが店
      と目と鼻の距離です。

      「ひばりブックス」コーヒーが飲めてギャラリーもある
      素敵な本屋さんです。
      水落交番と常葉学園のある交差点の南、鷹匠中央通りの
      第一藤野ビルの一階です。


       

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    2. ニコンのことはほとんど書いていないなあと思い、
      ニコマートをとり上げようと思い立ちました。
               修理屋の息子でしたから、早くからカメラは持ってて、
               最初はボルダ版のスタート、ベスト版米国製ビーコン、
               その後は親父のカメラを借り出してキャノンⅣSb、
               パールⅡ、アサヒフレックスやっと自分の物になったのは
               ペンタックスS2、キャノンP。
      そして会社勤めになって買ったのがニコマートFTNでした。
      当時ニコンFは憧れでしたが高価で断念、同じレンズが
      使えるニコマートを使っていたので思い入れも強いカメラです。
      このカメラいまだに健在です。

            ニコマートは修理の仕事に入ってから度々手掛けていますが、
            さすがに露出計は感度不良や絞りとASA設定の可変抵抗の劣化
            があり修理不可になりますが、その他の部分は滅多に壊れにくく
            丈夫なカメラだなあと思っています。
      ニコマートには最初からその後当たり前になった金属膜縦走り
      シャッター(メタルシャッター)が搭載されています。
      それまでの横走り布幕シャッターの欠点をカバーできるこの
      方式は以前から研究され、小西六(コニカ)によってコニカF
      (55年)となって先鞭を切ったのですが、この画期的な製品は
      トラブルも多く少数が生産され消えてしまいます。
      しかし、この技術はその後も継承され紆余曲折を経て、コパル
      から単体ユニットのスクエアⅠシャッターとなってニコレックスF
      (62年)に使用され、その後のメタルシャッター発展の始まりに
      なります。
      ニコレックスはニコンらしからぬ出来栄えの製品で売れ行きも芳
      しくはなかったと思われます。これを打開しようと世に送り出し
      たのがニコマートFT(65年)で、スクエアⅠを改良して上下2枚
      から3枚羽根にしたコパルスクエアSを組み込でいます。
      シャッタースピードを設定するダイアルを機構上合理的なマウント
      基部に配しています。


      FTではこの部分に使用するレンズの開放F値と使用する
      フイルムASA感度目盛りを合わせる必要があり、レンズに設けられた
      カニのハサミ形状の部分がこのピンに勘合してボデーに伝達します。
      これを忘れると正しい露出が示されません。

      FTNは半自動解放F値設定機構 いわゆるガチャガチャが付き
      面倒な数値合わせは不要になりました。
      シャッター速度がファインダー内に表示され、平均測光が中央
      重点になり、FT2はシューがペンタ上部に設けられ、シンクロ
      ターミナルがFPとXの二個から一つになり、ASA感度設定ロック
      が付き、巻き上げレバーにプラスチックのカバーが付き、
      更に電池がそれまでのHDから、小型のHCになりました。


      このシリーズの最終モデルFT3(77)は半自動設定機構からAiに変更され
      ガチャガチャさえもしなくてもよくなっています。
      ニコマートにはもう一つ電子製制御コパルスクエアSEを搭載
      したモデルがあり EL(72),ELW(76),がありますが、同じ本体ながら
      別の系列のカメラで77年にはニコンEL2となります。
           同年にさらに小型化されたメタルシャッターを搭載した新シリーズ
           ニコンFE、78年にニコンFMとなって、ニコマートは終焉を迎えました。

      FT2の上カバーを外した状態です。マウントの上部にあるのが
      半自動解放F値設定機構です。ネームプレートでカバーされた部分です。



      FT2のミラーボックスを外して、シャッターが見える状態です。
      白いギヤがシャッター速度可変用のもので、縦長長方形がセル
      フタイマーを含んだ機構部で右側のセクター部分と一体で、シ
      ャッターユニットを構成しています。底部のカムがミラーチャ
      ージ 底部右側がミラー解放用。
      ファインダー内シャッター速度表示機構 紐で目盛りのついた
      横長のフイルムを左右に動かしている。
      枠の下側の凹部に速度数字が左右にスライドする。この機構が邪魔になって
      ファインダー清掃は面倒。
      ここに開放F値がガチャガチャすると示される。
      シャッターダイアルつまみの頭にASAロックが追加された。



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    3. アグファのカメラを修理する機会は滅多にありません。
      ドイツ製なので、作りも写りも確かなものですが、感
      材メーカーの印象の方が強く、余技で製造しているよ
      うな印象をもたれているようであまり人気がないよう
      です。
      修理ができますか?との問い合わせがあっても経験が
      ないので、実際に手掛けてからでないと答えられない
      ので、ダメもとでお持ちいただくしかない状況です。
      そのようななか、アンビジレッテを預かりました。
      ずっしりと重く基本的にはジレッテのようですが
      高級感があり、安っぽさはありません。
      前面ファインダーになぜかカバーが付いているのが特
      徴的で奇異に見えますが、それ以外はごく当たり前の
      レンズシャッター式カメラで、ファインダーは薄く緑
      色がかかった明るく見やすいものです。
      ところが上に35,50,90の目盛りがあるスライドするつ
      まみがあり、それを動かすと明解なブライトフレーム
      が切り替わり、レンズ交換式なのが分かります。
      鏡胴の根本、下部に目立たぬ押し釦があり、それを押す
      と、ごく少しの回転でレンズが外れます。
      ビハインドシャッターで、ヘリコイドを回すとレンズの
      カムが距離計のピンを押す構造は、レンズ交換式のフォ
      ーカルプレンシャッタ―カメラと同じです。
      分解は初めてで、外側からはねじが見えないので
      方法を見つけるのに手間取ります。前板がアパー
      チュア左右にある丸穴からビス止めしてあり、こ
      れがわかれば後は簡単に分解でき、ブロックごと
      外れて合理的な作りです。
      コンパーシャッターなので、分解修理は同じ手順
      ですが、シャッターのセット軸が貫通しているの
      で、一枚だけ羽根の形状が異なりその位置を間違
      えて組むと動かなくなります。
      標準レンズは50/2.8でこの他35/4 90/4 130/4
      の交換レンズが用意され、130ミリは外付けファイ
      ンダーを使用します。
      巻き上げレバーに予備角がなくかなり重い、カウン
      ターが自動復元しない、など日本製に比べるといま
      いちの部分がありますが、ファインダーと距離計の
      見え方では魅力あるカメラです。

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    4. 1956年にキャノンはⅣ型の後継機Ⅴを発売しました。
      Ⅴ型の一番機は底部のトリガーレバーでの巻き上げ式
      VTでした。
      54年にライカM3が世に出ていたので、これがキャノン
      による対抗機と思われていますが、開発はその前から
      始まっていたもので、機構自体はⅣ型と同じものです。
      その意味では次のⅥ型がMの対抗機というのが正解で
      はないかと思います。
      外観がガラッと変わったのがVで、それ以後の外観は
      同じで(Ⅳまではさらに型式の特定が難しい)M3の
      発売後に出た機種なのでMに対するキャノンの新型と
      思われるのは当然です。


      最大の変更点は、普通に裏蓋開閉式になったことで、
      装填が楽になりましたが、一回り大きくなりました。
      画像は57年のトリガーではない普通の巻き上げレバー
      式のL2です。55年のⅡD改と並べています。
      最初は新機構ということでトリガー(T)を採用したも
      のの、それほど使いやすい、速写ができる訳でないの
      にⅥ型でも最初のモデルはTで、一時トリガーなど下側
      での巻き上げにこだわった感があります。一眼でも底
      にレバーを持っていったり、キャノネットも同様でした。
      L2はVから1/1000とセルフタイマーを省き、シンクロ
      はFPのみにしたもので、同時期 L1,L3もあり、セルフ、
      シンクロ、最高速のあるなしでのバリエーションモデル
      です。

      分解してみると、シャッターや変倍式ファインダーの
      機構は変わっていませんが、部品はほとんど作り直さ
      れ材質、形状共に一段と品質と精度が上がったように
      見えます。シャッター幕速も上がり、その為に後幕ブ
      レーキが追加されています。スローガバナーが2階建て
      になっています。独創的な進化ではなく、改良による
      精度アップを極めたものであることがわかります。



      58年のVL2あたりから布幕を辞めて金属膜になりました。
      布幕のゴムの劣化や、太陽光で焼ける心配がなくなり
      耐久性が増しました。




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      1. ペトリカラー35、奥深くまで分解したことがなかったのですが
        シャッター羽根粘り作動不良の修理品でかなり分解すること
        になりました。
        ローライ35と並べてみました。
        両機とも撮影状態(レンズ繰り出してある)です。
        ローライには専用ゴムフード付きで押し込めてあります。


        こうして並べてみるとペトリが、わずかに大きく感じます。

        上カバーはフォーカスダイアルと巻き戻しレバー部を外せば
        後はビス1本で外せます。
        巻き戻し軸受け部とカウンターです。
        巻き上げ側にメーターがあり、指針がファインダーからみえるように
        なっています。絞りとシャッターのダイアルとは突起で勘合します。

        鏡胴も前面の銘環を外すとシャッターがすぐむき出しになります。
        CDS右のギヤで速度調整リングが回ります。この部分にガバナー
        があり、この状態がBです。下のスプリングが羽根の作動用。

        貼り皮の下のビス4本でエプロンが外れます。
        ASA環は載せてあるだけです。

        鏡胴は裏側のカニメ環ではずせますが、画像にある基盤の絶縁用
        テープが張り付いていて、剥すように分離します。
        画像に見えるビス4本で中身が分離しシャッター羽根が現れます。
        3つの軸は絞り、シャッター速度、フォーカス用。


        速度調整リング外してスローガバナーの上板外すと、ガバナーギヤが
        現れます。ユニットにはなっていません。


        ファインダーはビス3本で止めてあります。これを
        外すと奥のコーナーにそってロッドがあり、カウンターを作動させます。
        右のギヤがフォーカス用、中央がシャッター用。
        さらにビス3本でメーターもついたままギヤユニットがはずれます。
        絞りとシャッターの値はメーターの回転で、ASA値はCDS前の穴あき
        円盤で連動させています。
        カウンターはローライが後カバーに追いやられ底部にありますが
        ペトリは巻き戻し側に置き、場所を開けるためギヤを使い、巻き戻し
        軸をオフセットしています。画像はカウンターの文字板円盤を外した
        所です。数字が大きく見えるように窓にレンズがついていますが
        小さい数字で見やすいとは言えません。自動復元します。

        あちこち面白い構造で、小型化に苦心した造りをこの価格19800円
        で良くやったなあと思いますが、上カバ―からのダイアル操作にこ
        だわった作りでギヤで調整するのでバックラッシュがあり、特にフ
        ォーカスはファインダー内の目盛りで合わせるのですが曖昧にしか
        合わせられません。クリックがあればよいのに∞にしかありません。
        この大きさで距離計の組み込みは大変ですが、時代は違いますが
        オリンパスXAはこの小ささの中に組み込んでいます。
        レンズは40ミリF2.8 シャッタースピードは1/8~1/250
        電池室は裏蓋開けた所にあり、ファインダー内指針を中央に合わせれ
        る方式、底にある開閉キーで裏蓋が開き圧版が開くあたりも
        ローライとほぼ同じです。しかしながらペトリ,金額の差もありますが
        ローライの感触にはかないません。





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      2. ニッカ3Sの修理をすることになりました。
        シャッター幕のゴムがドラムに張り付いて
        剥すのが一苦労です。かなり削ってあとは溶剤で
        溶かしながらふき取るしかありません。
        組み立てが問題です。
        シャッター周辺の遮光用に筒状の部品が付いていますが
        これが取り付け方によっては、シャッターの走行に
        干渉するのです。
        バルナック型ライカの場合は薄い金属板で3枚に
        分かれていて、付け方で干渉することはないのですが
        ニッカ3Sの場合はかっちりした筒状でその形が良く
        ないので、ビス止めの穴が長穴になっていて、
        干渉しない位置を探りながら取り付けます。
        それでもだめなら、やすりで削ることになります。
        しかもこの筒を止めるビスが一か所ついていません。
        分解の形跡がないので、最初からだと思われます。
        これをビス止めすると、案の定、干渉します。
        さらにスローの作動は外装に組み込んでスローダイアルを
        取り付けてからの確認になるので、もしこれがダメな場合
        また分解してこの遮光用筒を外さねばなりません。
        折角位置が決まったのにまた最初からやり直しです。
        こんなことで思わぬ手間がかかります。
        このような部品の形状、材質、精度がいまいち甘いのが
        修理や泣かせとなります。
        キャノン、ニコンの初期はこの遮光部品を上下に分けていて
        筒状にしていません。
        ニッカやレオタックスはまだマシでそれ以下が
        メルコン、チヨタックス、タナックなどです。
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      3. フランス製だと感じるのは何かと言われれば
        言葉にしにくいし、何かもわかっているわけ
        でもないのですが、カメラでいえばライカタイプの
        オペマとか車でいえばシトロエンだと思っている
        私です。今回初めて修理でお預かりしたテルカⅢ
        にはフランス製を感じさせる何かが、あまりありません。
        製造したのはデュマリエ・ラピエール、1848年創立
        という由緒あるメーカーです。
        このテルカⅢはサジタール95/3.5直進ヘリコイド式焦点調整、
        連動距離計プロンターシャッター、赤窓による巻き上げ、
        二重撮防止機構付き1951年頃の製品でその後シャッターを
        変えたⅢbがあります。
        6X9判のスプリングカメラでずっしりとした重さがあります。





        すっきりしたシンプルなタスキを持ち、折り畳むと蓋に丸く
        突起部があります。上カバーに同じような二つの
        押しボタンがあり右側を押すとカバーが開き、
        左はシャッターレリーズ用で、巻き上げノブも左側です。
        ごく当たり前の姿で、機能もごく普通です。
        カメラ大国の日本でこのサイズのスプリングカメラを
        どこも作らなかったのは不思議ですが、世界を見渡しても
        それほど多くは作られてはいません。




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      4. ペトリカメラの創業は1907年、17年に栗林写真機製作所
        としてカメラ製造を始めているので、コニカの全身 
        小西六、六桜社に次ぐ老舗でした。
        ペトリカメラと改称したのは62年で、1977年10月に倒産
        しています。
        末期の製品は売れ行きも芳しくなく、殆ど修理もないし
        見たこともありません。一眼レフ MF-1は修理で預かっ
        たので、別項で触れましたが、ここに35Mというコンパ
        クト機があります。
        大きさはコニカC35と同じくらい、性能もそっくりです。
        分解してみると、自社製にこだわったペトリのはずなのに
        コニカと同じコパルBマットプログラムシャッターを使用
        しています。そのため機構はそっくりです。
        さらに調べてみるとこの時コシナからコンパクト35という
        カメラが出ており、これとスペックは全く同じです。
        巻上げレバーが上カバーで被われている上部デザインは
        違いますが、もしかするとコシナはOEMのメーカーでもあ
        るので、製造はコシナかとも思われますが、真相は不明です。
        コニカC35と並べると双子のよう。巻上げレバーを上カバーで覆っている分高さが
        少し高く見えるがほとんど同じ。
         底カバーを外して中の機構を見ると、同じシャッター
        を使っているので、とてもよく似ています。
        レンズはコニカがF2.8、ペトリは2.7 焦点距離38ミリ
        なのは同じです。上げ上カバーのせいで一応上部は平に
        なるよう、シャッターボタン、巻き戻しノブ、シューを
        もぐらせています。
         


        倒産した77年のカメラショーのカタログを見ると
        一眼レフがMF-1、FA-1、FTE、V6Ⅱの4機種の他に
        コンパクト35ミリカメラ 35E が掲載されていて、
        35Eが、一眼レフ以外では最後の製品ということに
        なります。現物を見たことはないのですが、スペック
        を見るとCDSメーターEEオート ペトリプログラム
        シャッター1/30~1/200 フラッツシュマチック 
        目測式ペトリ40/2.8 ブライトフレーム 露出警告有
        となっていて、サイズは101X64X56 340g
        注目するのは大きさで左右が101とは、当時のコンパクト
        カメラが110~112位なのでかなり小さい。高さも
        4ミリほど小ぶり。距離計なしとしてもかなりの小型です。
        ペトリはカラー35という超コンパクトなカメラを作って
        いるのでこれも見てみたいカメラです。
        末期のコンパクトには他にニューコンピューター35
        があり、4~1/250プログラムJ3型電子シャッターと
        なっています。
        この時期の、他社の製品を見ると、オリンパス35EC,
        ミノルタハイマチックFフジカGE、リコーエルニカ35、
        ミランダセンソレットなどが同じセイコー製
        電子シャッターを使っていますが、セイコー製は
        4~1/800で、このJ3というのは自社製なのかと思います。
        しかもこれらコンパクト機よりひと回り大きなカメラ
        なので、その点からもオリジナルだと思います。



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      5. ミノルタの千代田光学は中版のカメラメーカーで
        戦前はスプリングカメラや二眼レフを製造してい
        ました。戦後になって35ミリカメラ開発を始め、
        その最初は1948年のフォーカルプレーンシャッタ
        ーのライカタイプカメラでした。
        翌年にレンズシャッターカメラの最初のモデル、
        メモを発売しますが、生産台数も少なく、輸出が主
        で国内での流通少なく、今では入手が難しいカメラ
        になっているようです。当時のドイツ製にはない
        厚くて丸みのあるスタイルと機能を持っていて、
        その後のAシリーズの原型になりました。
        メモから6年後55年にAが発売されます。
        底部レバーから上部のレバー巻き上げに変更され
        距離計連動ファインダー付きの当時としては最高の
        機能を持つカメラとなりますが、厚みのあるボデー
        にメモの名残りがみられます。
        これがすぐ改良されファインダーがブライトフレー
        ム付きになったのが画像のA2(55年)です。
        厚みのあるボデーはシャッターをレンズユニットの後ろに置くビハインド式
        としてボデー内に収めたため。シャッターダイアルは上部アクセサリ―シューの横にある。


        ダイアルを回すとギヤを介してシャッターに伝わる。
        本体から前板ごとシャッターを外したところ。シチズンウォッチ製の銘がある
        シャッターがそのままつけられている。



         レンズはそっくりヘリコイドにねじ込まれていて、最初は45ミリF3.5
        そのあと2.8付きも発売され、100ミリF4.8の望遠専用カメラもある。
        底板を外すと、セットと巻き止め機構が見える。シンプルな構造である。
        カウンターは外してある。
        カウンターは手動セット、底カバーにあり上からは見えないのは不便。
        57年のレンズ交換式のユニークなスーパーAで,このシリーズの最終機となります。





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