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2015年06月16日

ちょっとした「お宝」公開③ 伝説のダンサー「影山莉菜」

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渋谷道玄坂を上がって、百軒店横丁を入ったところに、今もまだある。

「ちょっとしたお宝」第3回は、伝説のストリップダンサー影山莉菜のお話。

彼女のデビューは1986年9月。
偶然にも私はそのデビューステージを観ています。
そのときは「ひときわかわいいコがいる」という印象は持ちましたが、
それほど強くは気に留めずにいました。

それから一年後、1987年の8月のことだったと思います。
例によって「青春18切符」で松本から東京へ出て、
ブラブラついでに渋谷道頓堀劇場に立ち寄りました。
そこで影山莉菜のステージと再会したのです。

そして、そのステージは一年前とは違い、
私に強烈な印象を残しました。
「光り輝いていた」・・・
月並みですがそのようにしか表現できないオーラに満ち溢れていました。
ダンスのときの明るい笑顔と、観客すべてに注ぎ込む柔和で愛嬌に溢れた視線、
ベッドショーでの切なげな表情、ステージ中央から袖に引き上げるときの、
スポットライトに照らされた背中の凛とした美しさ、
そしてラストダンスでの解放感・・・私の心はあっというまに影山莉菜によって占領されました。

ちなみにこのときの影山莉菜のステージは、
ホームである道頓堀劇場を離れ、長らく地方でのドサまわりを経ての凱旋公演のようなもので、
デビューしたての一年前のステージから大きく成長した彼女の姿を観客の前に初めて披露した、
いわば「影山莉菜伝説」の始まりでもあったわけです。

そのときに実際に受付のおばちゃんに聞いた話では、
ある若い男性が影山莉菜のステージだけ見て帰る際に、
「莉菜ちゃんは、これでかわりますよ」と一言残していったそうです。

しかし、かわったのは影山莉菜だけでなく、その後の道頓堀劇場
そして私そのものでした。

もちろん道頓堀劇場自体は、影山莉菜登場以前からその下地がつくられていて、
他の劇場の動向に逆らうように正統派のショーを続けていて、
そのステージで踊ることに憧れを持つ若い女の子を吸引していました、
そしてその中から結城紗也佳、名鳥優、白鳥舞などの素晴らしいダンサーを生み出していました。
そしてその方向を決定付けたのが影山莉菜の登場だったと言えるでしょう。

私と言えば、そんな妖しくも美しい女神達の虜になってしまい、
足しげく道頓堀劇場に通う(当時学割で入替無し3000円だったかな)ようになりました。
交通手段は「青春18切符」ですので、
松本・長野から2000円で10時間以上かけて日帰り往復していたわけです。

この「衝撃のステージ」の一週後にもすぐ再訪して、
そのときに受付のおばちゃんに「莉菜ちゃんのブロマイドとかないかな?」と訊ねたら、
「せっかくだからサインもしてもらいな」と気を利かせてくれて、
ロビーに本人が出てきてくれ、私の目の前でサインしてくれました。
本日の「お宝」①がこれ・・

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昭和62年8月21日道劇と彼女が書いてくれています。
そして、サインというよりは名前書いただけですが、
この後「山」を意匠化したサインを彼女は使うようになるので、
まだ自分のサインを持っていない時期に貰ったという意味でも貴重な逸品です。

※余談ですが、このときは東京で「野宿」して、朝イチの上越線に乗って、
新潟まで出て、昼間街をブラブラして、越後線・信越線経由で松本に戻ってきた
(もちろんすべて普通列車)のですが、この写真を読書用に持ってきていた、
倉本總の「冬眠の森」にはさんで、
ちょいちょい見てはニヤニヤしていたのを今でも覚えています。
もうひとつついでに言うと、このときの越後線で、新潟から吉田行きに乗ったのですが、
車内で寝てしまい、気がついたときには電車は新潟に向けて折り返しているところでした。
あわててついた駅でとびおりたら幸い吉田のひとつ手前。
しかし、普通列車ではその日のうちに松本には帰ることができなくなり、
止む無く長野から乗車券と急行券を購入して、夜行急行「ちくま」に乗ったのを覚えています。

このサインを貰ったときと、その前のステージは同じ内容のもので、
そのときのフィナーレのダンスで使った曲
今でも鮮明に影山莉菜の姿とともに脳裏に焼きついています。
中山美穂の「50/50」でした。



今でもこの曲を聴いて、中山美穂の映像は私の中には出てきません。
1987年のあの夏の日の道頓堀劇場の影山莉菜の眩しい輝きだけが記憶に蘇ります。



この後4年ほどは、
影山莉菜が道頓堀劇場にステージに立つときは、
ほぼ必ず見に行っていました。
一人で行くこともありましたが、寮の友人や後輩を引きつれていくこともしばしばで、
合計すると20名くらいは連れて行ったと思います。
これは私の性分で、自分がいいと思ったものはとにかく誰かに教えたいものですから、
「騙されたと思って付いて来い」と連れ出して、「騙されてよかったです」と言ってもらっていました。
一度、福井の芦原温泉の劇場にブッキングされているという情報を得て、
丁度、松本から東京までマンガの原稿を運ぶバイトをしたついでに、
そのまま大垣夜行に乗って、北陸まわりで現地にいったはいいものの、
情報が全くのガセで、止む無く温泉宿に一人で泊まったこともありました。

さて、このように足しげく劇場に通う際には、
花束やプレゼントをステージで渡すようにしていました。
もちろん貧乏学生ですので、出来ることはしれていたのですが、
それでも精一杯気持ちを表そうとしていました。
そして、ある日、その気持ちが少しだけ莉菜ちゃんに届いたのか、
寮の郵便受けにこのようなものが入っていました。

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目の前でサインしてくれたその字体と同じです。
紛れもない本人からの直接のお返事

その中身が「お宝」②です。

12083102.jpg

当時21歳の私が天にも昇る気持ちだったことは言うまでもありません。

影山莉菜引退は1995年、デビューから9年目のことでした。
当時、道頓堀劇場が地権者からの立ち退き要求で一旦閉鎖することを受けて、
「私のダンサー人生は道劇とともにあった」と引退を決意しました。
彼女の引退の頃の道頓堀劇場のステージは、色鮮やかな紙テープが舞い、
タンバリンの音が響く中、観客の声援が沸き起こり
まるでライブステージのような様相になっていて、
やや陰湿な場所というイメージのあったストリップ劇場を、
明るいショーの場所に影山莉菜が変えていった歴史を示していました。

デビュー当初は美しさこそ際立っていましたが、
まだダンサーとしての技量は低く、特にカラダが固かったので、
足をあげたりする所作にぎこちなさがありました。
しかし、年を経るにつれ、本人の努力でそれらを克服していき、
やがてダンスも一級品の素晴らしさを見せるようになっていきました。

私の20代前半の心をときめかせたダンサーとして、
いつまでの胸の中に大事にしまっておきたい女性・・・それが影山莉菜さんです。

※この記事については書こうか書くまいか結構悩んだんですが、
私にとってはとても大切な想い出ですし、
劇場へ連れて行った友人の中には女性もいまして、
その意味においても何ら恥ずべき道楽ではないと思うので、
こうして記事にしてみました。


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この記事へのコメント
こんにちは。のんべんとした正月休みに偶々拝見しました。
すごいですね。あの大スター影山莉菜さんと交流があったとは。おっさんの自分にとっては羨ましいにもほどがあります。私も片手くらい彼女のステージを観てファンになったものの、時既に遅く、わずか1ヵ月後に引退でした。ストリッパーが天職の人なんて生まれて初めて観ましたし、天才ダンサーって彼女の為にある言葉だと今でも信じています。彼女の引退後、幻を求めて劇場巡りをしたものの、なんとも空しい記憶しか残りませんでしたし、それから20余年、彼女の幻影も薄れ掛けてきたときに、田牧さんのお宝を拝見して、一気に心が揺り戻されました。大切な想い出を語ってくださり、本当に感謝いたします。文面には田牧さんと彼女のまごころがよく表れていると感じました。たぶん彼女ももっと田牧さんのことを知りたかったんじゃないかと思いますね。許されるものでしたら、差し支えない程度に後日談を伺いたいものです。もしかしたら、その後の彼女が才能あるダンサーのプロデュースをするやもと期待しましたが、あまりそれらしきニュースも聞かれませんね。お元気ならば、それだけでファンとして満足すべきなのは承知のうえですが。
正月早々、駄文長きにわたり、すみません。この嬉しい想いと、どうしても御礼を述べたくて。
今年もどうぞお元気でお過ごし下さいませ。
<richna15@gmail.com>
Posted by ベリー at 2016年01月02日 19:38
ペリーさんコメントありがとうございます。
同じ時期に影山莉菜に熱い思いを持っていた人に、
この記事を読んでいただいて嬉しい限りです。
残念ながら期待されるような後日談はなく、
私は「いち」ファンとして劇場に足を運んでいただけですし、
彼女が最も売れっ子になっていた頃は、
むしろ私が道劇に足しげくはかよえなくなっていたので、
彼女のステージがイチバン盛り上がっていたころは知りません。

ただ、私やペリーさんのように、彼女を 「永遠の女神」として、
心の中に残し続けている人もたくさんおられると思います。
そのような方がこの記事を見て、
影山莉菜の輝きを懐かしく思い出していただければ幸いです。
Posted by gotamagotama at 2016年01月03日 00:44
久しぶりに影山莉菜で検索したら、ここに来ました。世の中には同じような感性を持った人もいるもんだと、あらためて思いました。
彼女を初めて見たのはデビューしたての頃だったけど、いっぺんに好きになりました。横浜にいる頃は年間50回くらいは都内で観たと思います。僕も友達を連れて行きましたよ、やはり感動を伝えたくて。舞台の上で躍動する彼女の笑顔と流れる汗に幾度感動させてもらったやら。花束など誰にも渡したことないのに、ドキドキしながら舞台の彼女に手渡したことも懐かしい思い出になってしまいました。91年に神戸に帰ってからは回数は減りましたが、渋谷に行ったり大阪、京都で観たりしてました。引退興行は最終日ではなかったけど、渋谷まで新幹線で日帰りで観に行きました。今日で彼女を見るのは最後なんだなあ、と思いながら。
神様が一つだけ願い事を叶えてくれるなら、僕は90年頃の渋谷道頓堀劇場に時計の針を戻して、あの人熱れと喧騒のなかで舞い踊る影山莉菜の流れる汗と笑顔をみせて下さいとお願いします。彼女は本当に素敵な踊り子さんでしたね。出会えたことに感謝してます。
最終回の大阪11PMとかテレビに出てる映像とか幾つか持ってるのですが、いつか勉強してYouTubeにアップ出来たらいいんですけどね。
Posted by Dr.よすけ at 2016年03月30日 19:33
Dr.よすけさんコメントありがとうございます。
あの時代、影山莉菜に魅了された男性は、
ほんとうに大勢いたと思います。
そんな人たちがこの記事で往時を懐かしんでいただければ嬉しいです。
動画のアップ、是非テクニックを身につけてお願いします。
Posted by gotamagotama at 2016年04月02日 01:19
お久しぶりです。先日発見しました。ユーチューブで、大阪イレブンありがとう25年、で検索してみて下さい。
Posted by 元影山ファン at 2016年12月14日 17:04
お久しぶりです。拝見しました。
画質はかなり劣化してましたが、
莉菜ちゃんのインタビューシーンがあるのが貴重ですね。
Posted by gotamagotama at 2016年12月16日 00:54
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