人吉旅館3代目女将 堀尾里美(孫鐘熙)さんにインタビュー

熊本県人吉市にある創業約80年の歴史を持つ人吉旅館。この旅館の3代目女将(おかみ)は、韓国出身の堀尾里美(韓国名・孫鐘熙=ソン・ジョンヒ)さんである。熊本大の留学生でもあった堀尾さんは日本の民俗学を学び、2000年に同旅館の女将として新たな人生をスタートした。今回は、韓国出身でありながら、日本の伝統的な旅館の女将を受け継ぐ堀尾さんに、女将になった経緯や日本の伝統・文化などについて話を伺った。


“おもてなしの心”で

――「旅館」というのは日本の伝統文化が凝縮している業種だと思いますが、韓国で生まれて日本の伝統的な業種に就くということにどういう思いを持っておられますか?

私はもともと韓国で日本語の通訳の仕事をしていて日本の伝統文化には大変関心がありました。通訳のライセンスを取るには、日本語だけでなく韓国と日本の地理・歴史・文化、そして旅行業務や航空業務まで勉強しなければなりませんでした。

その知識をもとに、日韓ビジネスの通訳や観光客のための観光地の案内などの仕事に務めることができたのです。

つまり、すでに「観光業界」に携わっていたわけで主人との出逢いと結婚による「旅館」という場所はまさに観光業の重要な部分として、私には大変「縁」が合ったと言えるのではないでしょうか。

また、女将(おかみ)という仕事は、自分の性にとても合っていると思います。女将は、来られたお客様に対して「ありがとうございます」とお礼を言う受身の立場だけでなく、自ら地元の観光地や歴史を学び、その魅力をお客様に伝えることも出来る立場だからです。

私自身、旅行が好きで、その地の歴史や文化を勉強するのが好きなだけに、なおさらでした。そのために来日直後、熊本大学に入学し民俗学を専攻しながら、日本の生活や伝統文化を学びました。欲張って、学芸員の資格も取得し、知識を深める努力をいたしました。今、その知識は女将業の上で十分活かされております。

旅館の女将という仕事に就き、「日本の伝統文化が色強く残る純和風旅館の伝統を守っていかねば」という強い使命感を感じました。まずは、先代が残した80年の木造建築を守ること。そして日本のしきたりや礼儀作法などを徹底して自分の体に受け継いで守っていくことに、とても喜びを感じています。

私は日本が好きだし、着物を着るのも大好きです。お客様から「着物が大変似合っているね」とか、「われわれ日本人よりよっぽど日本人らしい」と言われると、恐縮ながら大変嬉しくなります。

――女将をやっていて、喜びを感じる瞬間というのはどういう時ですか?

旅館業において一番大事なことは、来られたお客様にいかに満足していただくかということだと思います。全てのスタッフの円滑な業務の流れや情報交換、もてなしの努力により、お客様は満足し、「また来ますね!」とリピーターになってくださるわけです。女将はそれを統括する役割ですので、いつも緊張感から離れられません。

夕食時間のご挨拶回りの際、そのお客様は大変満足していらっしゃるのか、それとも何かの問題が発生していないかなど、対話の中で感じ取るようにしております。何か問題があれば、大きくなる前に直ぐ対応するようにしています。こうした努力の結果、お客様より「いい旅館ですね」「温泉もいいし、料理も美味しいし、従業員も親切だし、…」と褒められた時が、一番幸せです。また、いろいろなお客様が来られるのでお客様との出逢いが人生の勉強にもなり、一瞬一瞬の出逢いをとても楽しく感じています。

――九州は東アジアからの観光客も多いですが、今後熊本は「観光」において何が必要でしょうか?

私は最初に熊本に来たときから、熊本はとても暮らしやすい町だと感じています。大都会でも田舎でもなく、熊本城を中心に緑が多く、とてもきれいな町です。海外でも、これぐらいのちょうどいい規模で緑が多く美しい町はなかなかありません。

また、熊本は九州の中心に位置しています。観光面においても、今はどの県も観光に力を入れていますが、熊本が九州の中心として各県への橋渡しをして、九州全体を盛り上げていく重要な役割を果たしていってほしいと思っています。

また、熊本には阿蘇や熊本城といった大きな観光資源があります。しかし、私は最も重要なのは「おもてなしの心」だと思っています。有名な観光資源のあるところは、ほったらかしていても最初は観光客が来ます。でも、観光客を「リピーター」にするには、おもてなしの心が必要なのです。そして「おもてなしの基本は人間」だと思っています。

観光客にとって、その場所がよかったという感動は一度や二度で終わってしまいます。しかし、そこで出会った人間との触れ合いを通した感動は、ときには一生忘れない思い出になったりします。そうして、また熊本に来たいと思ってもらえれば、それがリピーターへとつながっていくのです。ですから、これからは旅の中の「おもてなし」が、観光の決め手になっていくと思います。

そういう意味では、観光客に触れ合うのは、観光業の人間だけではなく、そこに住む県民一人ひとりであるので、県民一人ひとりが観光の担い手という意識を持つことが大事だと思います。熊本はよく、「人がいい」と言われるので、その人間の魅力を最大限発揮できればいいですね。

――これから未来を担う学生や若者に一言メッセージをお願いします。

今の社会の状況も影響しているのかもしれませんが、今の日本の若い人たちには「情熱」や「覇気」というものが、やや感じられにくくなっている気がします。韓国では徴兵制があることもあり、その2年間ぐらいの間にさまざまなことを感じたり、考えたりするようになります。そうして、大学の途中で軍隊に行って復学するときには、精神的にも肉体的にも大人として成長して帰ってきます。その一方で、日本の大学生を見ていると、高校の延長線上のように感じることもあります。

やはり、これからの社会と国の発展は若い人の肩にかかっているので、学生や若者の皆さんには頑張ってほしいですし、そのためにも、若い人にはもっと自分を成長させる訓練をしてほしいと思います。

私は「死ぬまで勉強」ということをモットーにしています。やはり、勉強というものは大学時代だけでなく、社会に出てからも続きますし、死ぬまでずっと必要なものです。それは、「人間は死ぬまで成長し続ける」ということでもあります。

学生や若者の皆さんも、ぜひ自分を成長させることに頑張ってほしいですし、そうして、ただ後ろからついていくだけの人ではなく、自ら国を引っ張れるような存在になってくださることを願っています。

――どうもありがとうございました。

 

【財(たから)なキーワード】
「熊本には阿蘇や熊本城など大きな観光資源があります。しかし、最も重要なのは『おもてなしの心』だと思います。そして『おもてなしの基本は人間』だと思うのです」

 

●プロフィール
【ほりお・さとみ】韓国名は孫鐘熙(ソン・ジョンヒ)。1958年、韓国・原州市生まれ。87年、日本語の通訳として旅行会社に就職。91年、人吉旅館の3代目当主(現在の夫)に出会い、結婚と同時に来日。93年、熊本大に留学して民俗学を専攻。学芸員資格取得。2000年、人吉旅館3代目女将に就任。年間のべ2000~2500人の韓国人観光客を誘致している。


約80年の伝統と歴史を持つ風情豊かな人吉旅館


人吉に来た文学者らの作品が並ぶ美しい館内

(熊本人財新聞第12号に掲載)

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