老人施設にいる義母に会いに行く。
コロナ禍のため、無常にも小さなモニターを通しての面会。
呼びかけると、何かを心配してるような、問いかけているような、静かにこちらを見つめる義母。
優しい笑顔が急に曇って虚ろに変わる。
娘や息子の名前も思い出せない日々が多くなっていくと言う。
つい先月は確かに「ああ、のり君」と息子の名前を呼んだという。
まるで霞の中に迷った旅人が、その切れ間に、ふと、映しだされた息子の姿を垣間見たのだろうか?
そして、霧の中、誰に再会したのか、楽しそうな笑顔を浮かべて喋りだす、取り留めのない話。
その笑顔に、子供達はほのぼのと、救われていく。
モニターに映る母に向かい、手を振って励まし呼びかける姉弟の姿がいじらしく、辛い。
義母は、少しずつ霞を纏いつつ遠くに離れていくのか。
一体、義母の頭の中で何が起きているのだろう。
側に走り寄り、手を握りしめ母の温もりを感じながら話し掛けたい。
昔の母にもう一度会いたい。
いや、健康でいてくれさえいれば、それで良い。
辛く苦しくなければ、それで良い。
ご飯が美味しいと言ってくれればそれでいい。
それに応えてくれてか、義母は、ただ、ただ、一生懸命生きている。
そんな義母が哀しくて、愛おしい。
生きる事は、それだけで尊いのです。