戦前、戦後、東北の刃物を支えた助川青砥
2012 / 01 / 27 ( Fri ) かつて、阿武隈高地の南端、茨城県の日立で良質の砥石が生産されて
いました。 戦前、戦後、茨城県北や東北の農家、大工、料理人や一般家庭などで 助川青砥と呼ばれ、大変重宝がられていた砥石です。 今は天然砥石を大切に使う人は、一部の職人のような人だけとなったようです。 このため日立の砥石山は、かっての砥石つくりの人はいなくなり、今は 日立市郷土博物館に残された記録と、日立図書館におかれている記録ビデオ のみです。 今日はこの記録されたビデオをもとに、当時の砕石場や作業小屋を探す 山歩きをしてきました。 その場所は注意してないと見過ごしそうなアオキが茂るヤブの中にありました。 石油を燃料とした発動機のようです。これを動力源として カッターで石材を砥石の形に切断したのでしょう。 この大きなプーリーは何に使うのでしょうか。 粘板岩が切り出された跡のようです。 良質の砥石材となる粘板岩は、堆積岩である泥岩が頁岩、そして粘板岩へと 変成作用を受けた岩石です。 ここも切り出されたところ、それとも落石跡?でしょうか。 切り出された砥石の材料が積まれていました。 スポンサーサイト
|
|
| ホーム |
|