はじめに
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すでに《語り伝えられた「東京鑿共同組合」》に書きましたように、鉋台入れ職であった父の残した五段の鑿入れ箱の中に「越孝」・「よし栄」・「海弘」銘の鑿があります。これらの鑿はどこで、誰によって鍛たれたのか、またどのような系統に属するのかなどについて、父は名工・達人といわれる鑿鍛冶のものを使っていましたので、また初代「越孝」の高木孝次郎氏が昭和20年代の中頃から東京に出てくると家に度々泊まっていったと父から昔に聞いていましたので、以前から大変に関心を持っていました。 |
ところが、東京の鑿鍛冶・鉋鍛冶について当店のホームページに記載するために、いろいろと調べて行く過程で、思いも掛けず同時にこれらの鑿が新潟三条鑿鍛冶の主流となる達人たちのものであったと詳しく知ることができました。 |
そこで、これらについて集めた資料に基づいて、「三条鑿鍛冶の系譜――「よし栄」・「海弘」系を中心にして――」と題して書き残して置きたいと思います。 |
尚、この原稿を記述するのに、三条金物ニュース 昭和52年3月15日号「三条の職人 第三回 山田海弘」、昭和52年6月15日号「三条の職人 第四回 高木越彦」、田斎鑿製作所ホームページ「三条 山田よし栄系図」を参考にさせて戴きました。以下、敬称を略させて記述させて戴きます。 |
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