化石画像提供:長崎市教育委員会・福井県立恐竜博物館
「恐竜」と名付けたのは長崎人だった!
横山 又次郎(1860年~1942年)長崎市出身の古生物学者
出島の阿蘭陀通詞の息子として長崎に生まれ、東京帝国大学(今の東京大学)の教授として日本の化石研究の基礎を築いた「日本の古生物学の父」と呼ばれる人物。
現在でも使用されている古生物学用語の多くは横山教授の訳語で、「恐竜」もその中の一つ。
イギリスで名づけられた「Dinosauria」を「恐竜」と訳し、広く知られるようになった。
なお、「Dinosauria」を直訳すると「恐ろしいトカゲ」という意味。
太古の長崎はジュラシックパークだった?!
野母崎地区をはじめとする長崎半島に、8,100万年前の恐竜の時代の地層があることがわかり、「三ツ瀬層」と名づけられた。
恐竜時代の地層は、地中深くにあることが多いが、長崎市では地層が海岸沿いに広がり、地表に現れている。国内でも有数の化石産地として研究者の注目を集めていて、これまでにこの一帯から、多種多様な恐竜、翼竜などの化石が発見されている。
驚愕 国内初の大発見!!
10m級のティラノサウルス科の化石が長崎半島で発見された!!
ティラノサウルスの仲間は、ジュラ紀中期には誕生していたとされ、時折陸続きとなっていたユーラシア大陸と北米大陸を行き来しながら進化したと考えられている。
日本からも長崎市以外に9ヵ所から化石が発見されており、それらの多くが比較的小型のものと考えられている。
長崎半島の白亜紀後期の三ツ瀬層(約8,100万年前)から発見された化石は、国内初の発見とされる体長10m級の大型種のものと考えられている。
※写真は、平成27年7月にプレスリリースされたティラノサウルス科大型種の歯化石
(化石画像提供:長崎市教育委員会・福井県立恐竜博物館)