広島に原爆が投下されてから、70年。
原爆や戦争の記憶を証言できる方が年々減るなか、戦争を体験していない若者が、その役割を引き継ごうと動き出しています。
試行錯誤を続ける日々を取材しました。
■“体験していないこと”を語る難しさを実感
世田谷区に住む宮地大祐さん、33歳。
去年からボランティアで原爆の語り部をしています。
語り部を志したきっかけは、広島で被爆した祖父母から当時の話を聞いたことでした。
宮地さんは「人の死体の臭いですとか、そういった話を聞いたのは衝撃的でした」と話します。
宮地さんは4人の被爆者から聞き取った話を自分なりにまとめて、平和を考えるイベントなどで発表してきました。
しかし、体験していないことを語る難しさを実感したと言います。
「事実のみをお話しするという、そこに集中していたんですが、被爆者の方が話す内容と、もし私が同じ内容を話したとしても、伝わらないことがたくさんあると思うんですよね」。
■国立市が開講「原爆伝承者養成講座」に参加
悩んだ宮地さんは、1月から、国立市が開いている「原爆伝承者養成講座」に参加しています。
「広島で経験したこと、これは大変な地獄でした」と語る講師の被爆者の男性。
宮地さんは、被爆した人が何を感じ、何を訴えたいのかを交えた内容にしなければ、語り部は務まらないと考えるようになりました。
■これからも悩みながら「語り部」を続けていく
自分の語りで伝わっているのか、宮地さんは戦争を知らない同世代の友人に聞いてもらっています。
宮地さんは「倒壊したがれきの下から『助けてくれ』という叫び声がいっぱいしたそうなんです。ただ、しばらくしないうちに火の手が回ってきてしまって、現場を離れた。それが今でも悔やんでも悔やみきれないとおっしゃっています」と、被爆者から聞いた話を語っていました。
説得力を持って戦争を語る方法は、まだ見つかっていません。
これからも悩みながら「語り部」を続けていこうと考えています。
「原爆で未来ある人たちの命が一瞬でなくなったんだと。しっかりと今生きる人たちが語り継いでいって、未来永ごう、戦争のない社会をつくっていくことが大事なんじゃないかと」。
■中学3年生が「戦争体験記録集」の取材に
千代田区に住む、横山嶺州多(ねすた)さん、中学3年生です。
去年、区が主催した広島などへの研修旅行に参加。
被爆者との交流を通じ、平和の尊さを語り継ぎたいと考えるようになりました。
千代田区が来年発行する「戦争体験記録集」のインタビュアーとして、お年寄りから話を聞くことになりました。
横山さんは「戦争を体験された方が、もうみんな高齢でこれから減っていくので、まずは自分たちが彼らの意志を受け継いで、後世にも悲惨な戦争を伝えていけたらと思っています」と話しています。
横山さんには、どうしても聞きたいことがありました。
それは、敗戦から日本を立ち直らせた人たちの情熱や苦労です。
戦争の経験から何を学んで、復興のエネルギーにしたのかを知りたいと考えたのです。
■戦争体験者への初めてのインタビュー
先週、横山さんは初めてインタビューに臨みました。
協力してくれたのは千代田区に住む角田実さん。
終戦を迎えたとき16歳でした。
角田さんは「米軍は焼い弾を落とした。焼い弾は焼くためにある」と当時を振り返ります。
今の自分くらいの年で体験した戦争をどう受け止めたのか、横山さんは質問しました。
「午後は軍需工場で働いたということですが、学生なのに働いているという、そのときの気持ちを聞きたいです」。
角田さんは「それは国の方針なんだ。みんなそういうふうに、子どもでも少年でも。国民が犠牲になる、戦争ということはね」と答えていました。
■最も聞きたかった質問をためらった理由とは
角田さんは、当時の社会の様子や東京大空襲の被害について克明に話してくれました。
しかし横山さんは、最も聞きたかった戦後の復興への思いについて質問することをためらってしまいました。
横山さんは「急に未来志向の話をするのは申し訳ないような気持ちも持ったんです」と明かします。
横山さんは、今後更に3人の体験者からインタビューする予定になっています。
どうすれば彼らの思いを聞き出せるのか、今も考え続けています。
「聞くのは難しいです。自分が聞きたいことをちゃんと聞いて、これからも後世の人に戦争の悲惨さもですけど、戦争から学んだこと、今につながることを聞きたいと思います」。