松井市長による「捏造」指摘と大阪市財政局長の謝罪会見

 大阪市を廃止して特別区に再編する、いわゆる「大阪都構想」をめぐる住民投票を11月1日に控えた10月26日に、毎日新聞が「大阪市4分割ならコスト218億円増 都構想実現で特別区の収支悪化も 市試算」と報じた。

 市民にもわかりやすい「大阪都構想が実現した場合の特別区設置後の収支悪化」という報道が行われたことに、都構想推進派の松井市長、大阪維新の会、元市長の橋下徹氏などが大反発し、毎日新聞の記事や、それに追従した他のマスコミの記事に抗議して訂正に追い込むとともに、その根拠となる試算の数字を提供した大阪市財政局側に対して厳しい対応を行った。

 大阪市を4市に分市した場合の基準財政需要額の資料を毎日新聞に提供したことについて、財政局長は、10月27日に記者会見した際は「(都構想の)特別区設置のコスト増とは全く関係ない」としつつ、「試算は妥当だ」との考えを示していた。しかし、29日に再び記者会見を開き、今回の試算が、「いわば虚偽のもので実際はありえないものだ」「誤った考えに基づき試算し、誤解を招く結果になった」と述べて、報道各社や市民に謝罪した。そして、謝罪に至った経緯について、松井一郎市長に試算についての考え方を説明したが、市長から「世の中には存在しない架空の数字を提供することはいわば捏造だ。資料を提供した財政局のガバナンスの問題だ」と厳重な注意を受けたことを明らかにした。

過去に例がない「政令指定都市の解体」

 大阪市財政局長が、市長から「架空の数字を捏造した」と非難されて会見を行い、「虚偽のもの」とまで認めて謝罪するというのは、異常な事態だ。

 上記毎日記事は、

大阪市を四つの自治体に分割した場合、標準的な行政サービスを実施するために毎年必要なコスト「基準財政需要額」の合計が、現在よりも約218億円増えることが市財政局の試算で明らかになった。人口を4等分した条件での試算だが、結果が表面化するのは初めて。一方、市を4特別区に再編する「大阪都構想」での収入合計は市単体と変わらず、行政コストが同様に増えれば特別区の収支悪化が予想される。特別区の財政は11月1日投開票の住民投票でも大きな争点で、判断材料になりそうだ。

というものだが、確かに、現在住民投票で賛否を問われようとしているのは、「大阪市という政令指定都市を廃止して、4つの特別区を創設する」というものであり、「大阪市を4分割して、4つの政令指定都市を作る」というものではない。そういう意味では、この「試算」を、単純に都構想の是非の判断に結び付けることはできない。

 しかし、そもそも、「政令指定都市を解体して4つの特別区を創設すること」に関する住民投票などというのは、過去に行われた例がない。1943年に、東京市が廃止されて特別区となったが、それは、当時、戦時下で統制強化のために、それまで市長が公選されていた東京市を廃止し、住民自治の基盤を奪う政府側の措置であり、言わば「国家総動員体制」の一環として行われたものだった。今回の「市の廃止・4特別区の設置」とは全く異なる。

 「大阪市廃止・4特別区設置」を実行に移した場合に、行政上の収支にどれだけの影響が生じるか、正確な数値を算定することは不可能だ。そこで、何らかの試算を行って、行政上の収支を推測することになる。

「基準財政需要額」による試算には全く意味がないのか

 大阪市が政令指定都市として存続した場合と、4つの特別区となった場合と比較すると、税収や国からの交付金は変わらないが、一方で、スケールメリットが失われることによって行政コストが増大する。それを、4つの市に分割した場合のコスト増の試算をベースに考えようというのが、上記の毎日新聞の記事だ。

 もちろん、今回の住民投票で問われているのは、このような単純な「分市」ではないし、実際に「4つの特別区」が創設された場合には、行政コスト削減や収入拡大の努力が行われるはずなので、そこで示された218億円の収支悪化というのは、そのまま「大阪都構想」による行政上の収支への影響予測を表すものではない。

 しかし、「単純な分市」の場合の行政コスト増を試算し、そこから、どれだけのコスト削減が可能か、或いは、どれだけ収入増が見込めるかを想定して、行政上の収支への影響を予測しようというアプローチ自体には、一定の合理性がある。

 問題は、財政局が提供した「試算」の根拠となった「基準財政需要額」が、総務省が地方交付税を自治体に支払う額を算定する際の指標の一つであり、「各地方団体の財政需要を合理的に測定するために(…)算定した額」(地方交付税法第2条第3号)とされていて、大阪市を4分割した場合の「実際に発生が見込まれる行政コスト」ではないので、そもそも行政コスト増加の「試算」の根拠にはならないのではないかという疑問があることだ。

 しかし、実際に見込まれる行政コストとは異なると言っても、国からの地方交付税の算定根拠とされる金額なのであるから、行政コストを推計する上での一つの目安になることは確かである。大阪市の廃止と特別区設置が行政上の収支に及ぼす影響を考える上で「試算」に意味がないとは言えない。

特別区制度案や財政シミュレーションの「収支予測」が信頼できるのか

 もちろん、大阪都構想に関して、直接的な行政上の収支予測によって信頼できる金額が示されているのであれば、「基準財政需要額」という間接的な数値を用いて試算する必要はない。その点について、特別区制度案や財政シミュレーションにおいて「実態に即して積算のうえ示している」とする金額があり、それによると

イニシャルコスト(最初にだけ発生する初期費用)が241億円、ランニングコスト(毎年発生する費用)が年30億円(大阪府に発生するコストも含めた合計。大阪市域4特別区に限ると、初期費用204億円+毎年14億円)

とされている。しかし、この金額は、事実上の推進派とも言える「大阪市副首都推進局」が算出したものである上、果たして実際の収支を反映するものなのか否かについては多くの疑問が指摘されている。例えば、コロナ禍以前に策定された「大阪メトロ」の中期経営計画を前提とする固定資産税と株主配当金が特別区の収入として算定されており、その後のコロナ禍での大阪メトロの大幅な採算悪化が考慮されていない。また、プール等の市民利用施設の廃止など、サービス低下を前提としていることが、特別区になっても市民サービスが維持されるという前提に反するとの指摘もある。

 このように「実態に即した積算」にも多くの疑問があり、行政上の収支予測として十分に客観性があるものとは言えない。そうだとすれば、4つの市に分割した場合の地方交付税の算定根拠となる「基準財政需要額」に基づく行政上のコスト増の試算を、行政上の収支予測の「出発点」として行ってみることにも一定の意味があると言えよう。

 もっとも、財政局長が謝罪会見で「誤った考え方に基づく試算」と述べたのが、上記のような「基準財政需要額」に基づく試算という方法自体の問題なのか、そのような方法で行った試算の手法や結果に「誤り」があったのか、記者会見の発言だけからは判然としない。

 そして、「基準財政需要額」による「試算」は、あくまで、コスト削減や収入増を考慮しない「出発点」の金額であり、行政上の収支への影響の判断に直接結び付くものではないという意味で、その金額を、住民投票での争点の判断材料であるかのように述べた毎日新聞の記事がミスリーディングであったことは否定し難い。

50日間の独裁期間

 住民投票で「大阪市廃止・4特別区設置」が可決された場合、松井市長は、大阪市を廃止し、特別区の区長が選挙で選ばれるまで、「最後の市長」を務めるのであろう。

 その場合、大都市法施行令13条では、

法第二条第三項に規定する特別区の設置があった場合においては、従来当該特別区の地域の属していた関係市町村の長であった者が、当該特別区の区長が選挙されるまでの間、その職務を行う

とされており、「最後の市長」には、議会によるチェックも全く働かない50日間の「絶対的な独裁者」としての権限が与えられている。

 既に述べたように、財政局の試算のアプローチ自体には意味がないとは言えないにもかかわらず、自ら信頼して任命しているはずの財政局長に対して、「捏造」という言葉まで使って厳しく非難する松井市長の姿勢には、懸念を抱かざるを得ない。

 松井市長は、住民投票で成立をめざしている「大阪市廃止」が可決されることで、短期間ではあっても、このような絶大な権限を持つことになり得るという自らの立場を、十分に認識した上で、対応すべきである。

 大阪市を廃止し、4つの特別区に解体することが、いかに大阪市民にとって不利益なものであるかは、YouTube【大阪都構想は“市滅の刃”か!?絶対に賛成しては「ダメ」な理由】でも詳しく述べている。住民投票での大阪市民の賢明な判断を期待したい。

 

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日本学術会議任命問題、“甘利氏のブログ記述対応”で感じる「空恐ろしさ」

「任命見送り問題」に端を発した、日本学術会議をめぐる問題について、【「日本学術会議任命見送り問題」と「黒川検事長定年延長問題」に共通する構図】で、

黒川氏の定年後勤務延長問題の事後的正当化のための検察庁法改正案国会提出が、安倍政権にとって大きな打撃になったのと同様に、発足したばかりの菅政権にとって、政権の基盤を崩壊させかねない重大なリスクに発展する可能性がある。

と指摘した。

その後、学術会議側やマスコミ、野党から「任命見送り」の理由の説明を強く求められても、政府側は、「総合的、俯瞰的な視野で判断した」と述べるだけで、具体的な説明を全く行わず、任命見送りの判断に「公安、警備系警察官僚出身」の杉田和博官房副長官が深く関わっていたことが明らかになるなど、その判断が、政府に批判的な研究者を排除する政治的目的で行われた疑いが一層高まっている。

甘利ブログ記述の訂正と「傲慢」発言

一方、この問題が表明化した直後から、日本学術会議の在り方に対する批判が、自民党の有力政治家、保守派論客や、いわゆる「ネット右翼」から湧き上がり、自民党では下村博文政調会長が、塩谷立元文科大臣を座長とする「学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム」を立ち上げた。

このような「日本学術会議批判」の大きな原動力になっていたのが、今年8月に、自民党税制調査会長の甘利明氏の「中国千人計画に積極的に協力している」として日本学術会議を批判した自らの公式ブログでの記述であった。

任命見送り問題表面化以降、SNS等で拡散され、日本学術会議に批判的な世論醸成につながったが、「積極的に協力している」との記述には根拠がないと指摘されるや、甘利氏は、何の注記もなく、密かにブログ記述を書き換え、そのことを【「適切でないとしたら…」自民・甘利議員、学術会議の「千人計画」めぐるブログ書き換えを釈明】で指摘されると、直後に、ブログを再び更新して、新たな記事を追加し、「表現が適切でないとしたら改めさせて頂きます」と記述した。

そして、報道陣の取材に応じ、「私にはそう(学術会議が千人計画に協力しているように)見えたが、それが適切でないというならば、そう見えるという風に訂正した」と釈明し、一方で、学術会議側への謝罪はなく、「権威主義国家との研究協力は相当慎重にやってもらわなければ、日本国民のリスクになる」と持論を展開した(朝日【自民・甘利氏、ブログに記述「学術会議は中国に積極協力」指摘受け修正「間接協力にならないか」】)。

また、この取材の際、自身の「最新のブログ」を読まず、書き換えの趣旨を質問した記者に対し、「無責任」などと激昂する場面もあったという(【FNNプライムオンライン】)。

記者側が、会見直前に、取材対象のブログを再度チェックしなかったとしても、それは取材のためにどのような準備をするのかという記者側で判断する事柄である。自らの口で説明責任を果たさず、ブログでの釈明の積極的な周知もしていないのに、記者の側を「無責任」と言い立てるのは、傲慢そのものである。

甘利氏「ブログ説明」で「真実性の証明」は可能か

ブログ【日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に】で述べたように、名誉棄損罪の客体となる「人」には、「法人格なき社団」なども含まれる。日本学術会議は、国の機関ではあるが、独自の名誉権があると認められれば、同会議を客体とする「名誉棄損」が成立する可能性がある。

刑法230条の2は、名誉棄損罪について真実性の証明による免責を認めており、他人の名誉を毀損するような発言があった場合でも、それが、公益性・公共性のあるものであり、真実であることの証明がある場合(「真実性の証明」)、あるいは、真実性を証明できなかった場合でも、確実な資料・根拠に基づいて事実を真実と誤信した場合(「真実と信じるに相当な理由」)には、免責される。

甘利氏は、「積極的に協力」とした根拠について、公式ブログで、

1)アメリカが警告している様に、中国の千人計画は世界中の一流学者の経験と知識を厚遇で中国が吸い取る計画であること

2)日本からこの計画に何人もの学者が招聘されていること

3)中国は軍民融合宣言で民事と軍事を融合させ、民事研究を軍事に貢献させることを強いることで先端科学研究を安全保障の基軸に据えていること

4)そうした中で日本学術会議は2015年に中国の科学技術協会と協力の覚書を交わし、日中の研究者の受け入れについて学術会議が、「本覚書の範囲内で推薦された研究者を、通常の慣行に従って受入れ、研究プログラムの調整や、現地サポートの対応を行う」と積極的な約束をしたこと

5)その一方で、防衛装備庁の科学技術研究費への申請を各大学の自主性に任せるとしながら、実質的にはそれへの不参加を強く要請したこと

6)(我が国の国民を守るための)安全保障研究には歯止めをかけながら、日本のリスクになる中国の千人計画には何ら警鐘を鳴らしていないばかりか、研究者の交流について積極的にサポートすると約束したこと。つまり日本の公的機関でありながら対日本と対中国との対応の落差を指摘したかった

と述べている。

しかし、仮に、千人計画で日本の研究成果が中国に流出するリスクがあるとしても、学術会議として警鐘を鳴らすべきであったとの意見を述べる理由になるというだけだ。警鐘を鳴らさなかったという不作為と、「積極的に協力」という姿勢・行為との間には隔たりがあり、「積極的に協力している」とのブログ発言を正当化する理由になるものではない。

このような甘利氏の説明は、ブログ訂正後の記述のように、「間接的に協力しているように映る」とはいえても、当初のブログの「積極的に協力している」との記述を正当化する根拠には全くならない。甘利氏のブログでの説明の範囲では、「真実性の証明」も、「真実と信じるに相当な理由」の説明も可能とは思えない。

「甘利氏ブログ記述」による重大な影響

しかも、甘利氏のブログ記事には、日本学術会議が「積極的に協力している」とする「千人計画」は「研究者には千人計画への参加を厳秘にする事を条件付けています」と書かれており、「千人計画」が、中国側が隠密裏に行う「スパイ的活動」であるかのような印象を与えるものだった。

甘利氏がブログ記事を公開したのは8月6日であったが、学術会議問題の初報が出た翌日の10月2日に、「5ちゃんねる」「アノニマスポスト」などに引用されて一気に拡散、翌3日には、「千人計画」というキーワードは一時トレンド入りするなどしており、

「アノニマスポスト」などの記事が出た10月2日までゼロだったツイートがその後、一気に増えていることから、世論醸成のきっかけになっていることは明白

と指摘されている(【(buzzfeed.com)学術会議めぐり広がる大量の誤情報、まとめサイトが影響力。政治家やメディアも加担】)。

甘利氏の投稿が、学術会議の社会的評価を大きく低下させるものであることは明らかであり、「真実性の証明」ができないのであれば、甘利氏の法的責任は重いと言わざるを得ない。

甘利氏は政治家としての「説明責任」を免れられない

一方の日本学術会議側は、10月16日、梶田隆章会長が、首相官邸で菅義偉首相と初めて会談したうえで、「未来志向」で行くことを表明しており、実際に学術会議が甘利氏に対して名誉棄損の法的責任を追及する可能性は高くはない状況になりつつある。

しかし、上記のように、“重い法的責任を問われ得る”ような言動について、政治家として、その道義的責任・政治的責任は避けられない。しかも、甘利氏は、2012年に、自身の原発対応を批判する放送を行ったテレビ東京や記者などを相手取り、損害賠償と謝罪放送を求めて提訴し、勝訴しており、名誉棄損の責任の重さは十二分に理解しているはずである。

URの土地買収問題についての口利き・現金受領疑惑の際は、説明責任を全く果たさなかった甘利氏だが、今度こそ、自分の口で納得のいく説明を行うべきであり、それができないのであれば、政治的責任を取るべきなのではないだろうか。

「千人計画」での学術会議批判の誤謬と飛躍

また、甘利氏をはじめ、今回、学術会議を巡り“誤情報”を拡散している人の多くが、「学術会議」と「千人計画」、「千人計画」と「中国の軍事研究」を結び付け、学術会議を中国の軍事研究に協力する売国奴のように仕立て上げようとしているが、そこには大きな誤謬と飛躍がある。

【(毎日)中国の研究者招致「千人計画」当事者の思い 「学術会議が協力」情報拡散の背景は】では、千人計画に参加した日本人研究者は、「千人計画=軍事研究をしている」というイメージを明確に否定している。

仮に、千人計画について、甘利氏が上記1)から3)で指摘しているように、千人計画と中国の軍事研究の関係性が否定しきれないとしても、千人計画に日本人研究者が参加することが特定の機関の協力によるものと決めつけるには飛躍がある。根本的な問題は、日本の研究者にとっての研究環境の劣悪さであり、それが研究者の海外流出につながり、その行き先の一つが中国だと見ることもできる。

ニューズウィーク日本版【千人計画で「流出」する日本人研究者、彼らはなぜ中国へ行くのか】でも指摘されているように、日本人研究者の海外流出の主原因は、海外における高度な研究環境と、日本国内における研究者の就職難があり、中国はその流出先の一つに過ぎない。

私の事務所でも、日本の大学・研究機関の通報窓口業務や、アンケート業務を受託しているが、そこでも、研究不正の構造的問題として、研究費の慢性的な不足や、翌年ゼロになる不安、成果重視の傾向からくる、ポスドクなど若手へのプレッシャーなどが指摘され、それが不正の動機となっている可能性が指摘されており、不十分な研究環境、研究者の就職難があることは明らかであった。

10月14日のABEMA TIMESでは、「日本全体が“千人計画”に協力していたようなもの。学術会議を悪者にしても解決しない」との議論があり、病理専門医で科学・技術ウオッチャーの榎木英介氏は

研究者にとって中国が魅力的だというのは理解できる。今の日本の若手研究者の悲惨な状況を考えれば、オファーされたら行っちゃうんじゃないかなというくらいの待遇だ。そのくらい、日本の環境は不安定だし、もっと言えばポストが無い。それなのに、倫理観だけで行くのを止めろというのはどうだろうか。若手研究者の待遇の問題も、いわば安全保障の一つではないか

と話し、海外流出を防ぐため、研究環境の改善が急務だと訴えていた。研究者の世界の現状を踏まえた見解として傾聴すべきであろう。

甘利氏の意見は、日本の学術研究を発展させていくための研究環境の問題を認識しその改善を図る政治の責任などの本質的な問題を無視し、日本の研究者の海外流出のうち「中国への流出」だけを「千人計画」に関係づけて問題にし、「積極的協力」などという話を根拠もなく作り上げて、日本学術会議に批判の矛先を向けようとするものである。名誉棄損以前の問題として、議論の方向性自体に根本的な問題がある。

菅政権・自民党の対応で感じる「空恐ろしさ」

日本学術会議は、かつては「学者の国会」などとも言われたようだが、現在は、学者の世界を代表するような存在ではなく、多くの研究者にとっては、「存在自体にあまり関心がない」というのが正直なところのようだ。ましてや、その学術会議の在り方に関心を持つ国民は少ないし、また、私を含め多くの国民は、「軍事目的のための科学研究を行わない」という日本学術会議の理念をあらゆる科学研究において徹底することを全面的に支持するものではない。しかし、業績や研究成果が認められた研究者の組織に対して、国が、国の方針に反対の意見を述べたからとの理由で排除すること、しかも、そのような理由で排除したとしか考えられないにもかかわらず、その理由を明言しないという国の対応は到底看過できない。一方で、国会で絶対多数を占める与党側が、任命排除への国民の批判をかわすべく、その組織運営に対する批判や、組織の在り方の見直しを開始し、その中心となる有力政治家が、批判的な世論を煽るべく事実無根の批判記事をブログ、SNSで拡散させ、その内容が事実無根であることを指摘されても、開き直り、反省も謝罪もせず、尊大な態度で、マスコミの追及も抑え込もうとする、こういうやり方が、政府・与党の間で、何一つ問題にされずにまかり通っている。

そういった与党・有力政治家の姿こそが、戦前、学者の世界で多様な意見が封殺され、政党は「大政翼賛会」に一元化され、戦争に向かおうとする国に批判的な意見が軍靴の音にかき消されていった忌まわしい歴史を想起させ、「空恐ろしさ」を感じるのである。

そういう感覚を、我々は失ってはならないと思う。

カテゴリー: 甘利明, 菅義偉首相, 政治, 日本学術会議 | 1件のコメント

学術会議問題、菅首相「決裁文書」に注目。甘利氏ブログ記事修正の“姑息さ”

日本学術会議の「6人の任命見送り」について、先週末、【(朝日)学術会議問題「会長が会いたいなら会う」菅首相】で

首相が任命を決裁したのは9月28日で、6人はその時点ですでに除外され、99人だったとも説明した。学術会議の推薦者名簿は「見ていない」としている。

と報じられた。

菅首相には任命見送りの経過と、それを「適切」と判断した理由について自ら公の場で説明すべき責任が生じ、この問題は重大局面を迎えたことを【日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に】で指摘した。

10月13日には、新聞各紙で、菅義偉首相は、この6人の名前と選考から漏れた事実を事前に把握していたことが報じられた。【(時事)菅首相、「6人排除」事前に把握 杉田副長官が判断関与 学術会議問題】によると

関係者によると、政府の事務方トップである杉田副長官が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した。首相は105人の一覧表そのものは見ていないものの、排除に対する「首相の考えは固かった」という。

とのことだった。

さらに【(TBS)「任命できない人が複数いる」 杉田副長官が菅首相に事前に説明 “学術会議問題”】では、

政府側は、105人の推薦者名簿は参考資料として決裁文書に添付されていたと説明したほか、政府関係者によりますと、菅総理は杉田官房副長官から「今回任命できない人が複数いる」と事前に説明を受けていたということです。

と報じられた。

一方、加藤官房長官は、菅首相による日本学術会議会員の任命について、

菅総理大臣に、任命にあたっての考え方の説明があって、共有され、それにのっとって作業が行われて、起案された。最終的に菅総理大臣が決裁したというプロセスだ

一人一人の任命を菅総理大臣がチェックしていくわけではなく、考え方を共有し、事務方に任せて処理をしていく。本件にかかわらず、そうした対応をしていて、通常のやり方にのっとって作業が進められた

と述べたとのことだ(NHK)。

加藤官房長官が言っているように、大臣が事務方と「考え方」を共有し、事務方に任せて処理をしていくというのは、官公庁のトップと事務方との「通常のやり方」であり、今回の学術会議会員の任命についても、一人ひとりの任命について総理大臣が具体的に認識していないというのは、その通りであろう。

しかし、今回は、105人の推薦者のうち6名だけを任命から除外するという、過去には行われたことがない任命が行われたのである。そのようなプロセスで、総理大臣が最終判断をして「任命」の決定が行われたとすれば、その「任命の決裁文書」には、(1)105名の推薦者のうち、99名のみを任命すること、(2)任命から除外する場合の総理大臣と事務方とで共有した考え方(「判断基準」)、(3)その考え方を当てはめて6人の推薦者を任命しないと判断したことが書かれているのが当然である。そうでなければ、「日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」という法律の規定にしたがった決裁とは言えない。

そこで重要となるが、「総理大臣による学術会議会員任命」の際の「決裁文書」の記載である。

前記TBS記事によれば、菅首相は杉田官房副長官から「今回任命できない人が複数いる」と事前に説明を受けていたとのことだが、その「任命できない理由」について、決裁文書でどのように記載されているかである。

政府が説明するように、日本学術会議の推薦に基づく、内閣総理大臣の会員任命について、過去に政府側が明確に国会で答弁していたような、推薦者をそのまま任命する「形式的任命」ではなく、総理大臣の権限で実質的に判断して任命するというのであれば、そのための判断基準というのが存在し、それが「総理大臣と事務方とで共有した考え方」ということになるはずだ。

本来であれば、推薦者についての業績、研究成果の評価ということになるはずだが、今回任命を見送られた6人について、いずれも業績・研究成果については申し分なく、その面から除外理由があるとは考えられない。推測される理由は、安全保障法制や共謀罪等に関して政府に反対の意見を述べていたことだが、それを首相の決裁文書に書いているとも思えない。

もし、業績や研究成果の評価に関して、任命除外を正当化するために事実に反することが記載されていたのであれば、決裁文書についての「虚偽有印公文書作成罪」という話にもなる。

もっとも、役人には「違法行為は行わない」という習性があるので、事実に反する記載をするぐらいなら、任命除外の理由は全く記載せず、すべて「口頭」というやり方をとっている可能性が高いであろう。

森友学園問題でも、決裁文書の改ざんが問題となり、それに関して近畿財務局職員の赤木氏の自殺という痛ましい出来事が起き、虚偽有印公文書作成罪での刑事事件の処分に世の中の関心が集まったが、後に検事長定年延長で批判を浴びた黒川弘務氏が法務省幹部として健在であった頃の検察庁の処分は、すべて「不起訴処分」であった。

その問題で、赤木氏の夫人が遺書を公表し、政府に「真相解明」を求めて再調査を要請、国家賠償訴訟を提起している。その動きは、多くの国民の共感を呼んでいる。この事件を受けて、財務省では決裁文書の改ざんが行われないようシステムの整備が行われたとのことだが、それは、内閣官房など他の省庁でも同様のはずだ。

日本学術会議の会員の「6人任命見送り」がこれだけ大きな問題となっているのであるから、任命の決裁文書は、森友学園の際と同様に、国会審議の資料として重要なものだ。その決裁文書には、任命の基準と、6人を除外した理由がどのように書いてあるのか。菅首相が、「総合的、俯瞰的な観点から」と壊れたレコードのように繰り返すより、この決裁文書を開示し、そこに書いてあることも、書かれていない「口頭での報告事項」も含めて、任命見送りの理由をありのままに説明するのが、この問題についての総理大臣としての最低限の義務と言うべきだろう。

この問題をめぐっては、任命問題が表明化した直後から、日本学術会議の在り方に対する批判が、自民党の有力政治家、保守派論客や、いわゆる「ネット右翼」から湧き上がっている。自民党では下村博文政調会長が、塩谷立元文科大臣を座長とする「学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム」を立ち上げた。

そのような日本学術会議批判の中心となっている自民党の有力政治家が、税制調査会長の甘利明氏だ。ネットでの日本学術会議批判の中心となったのが「学術会議が『中国千人計画』に積極的に協力している」との甘利氏の今年8月6日の公式ブログでの発言だった。

このブログ記事は、「ネット右翼」によって広く拡散され、その後、日本学術会議批判が盛り上がった。

ところが、【BuzzFeed Japanの記事】によれば、甘利氏のブログ発言には「根拠がない」、ということなので、甘利氏の発言が名誉棄損の問題になる可能性も否定できないと思い、【前記ブログ】では、日本学術会議が「名誉棄損罪の客体」になるかどうかについての法解釈についても検討し、法人格のない日本学術会議であっても名誉棄損罪の客体(被害者)になり得るという指摘を行った。

この問題について、その後、信じ難い動きがあったことがわかった。

【BuzzFeed Japanの続報】によると、甘利氏が、「積極的に協力している」と書いていた公式ブログ記事が、10月12日までに「間接的に協力しているように映ります」という表現に、こっそり書き変えられているというのである。確かに、甘利氏の公式ブログを見ると、そのとおりに書き変えられている。

甘利氏のブログ発言は必ずしも「名誉棄損罪に該当する」わけではない。甘利氏が「千人計画」に関して批判した日本学術会議も名誉棄損罪の客体になるので、学術会議側が告訴することは可能である。もし、告訴が行われた場合は、甘利氏の側は、ブログ発言がいかなる根拠に基づくものか、それが真実だと信じた理由を述べれば、「真実性の証明」ができるかもしれない。その場合は、名誉棄損罪は成立しないことになる。

国会議員たる政治家であれば、そのぐらい、自分自身の発言には責任を持つのが当然であろう。ところが、甘利氏が、名誉棄損に関する指摘を受けて行ったことは、名誉棄損にならないようにひっそりと発言内容を変えるという、何とも“姑息なやり方”だったのである。

日本学術会議批判を大きく盛り上げる契機となった甘利氏のブログ記事がこのような有り様では、せっかく下村氏が立ち上げた「学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム」での日本学術会議の在り方論も、腰砕けになってしまいかねない。

甘利氏は、URの土地買収問題についての口利き・現金受領疑惑が報じられて経済再生担当大臣を辞任した際、「秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは私の政治家としての美学、生きざまに反します」などと格好の良い言葉で、大臣辞任の理由を語ったが、その後、「睡眠障害」を理由に国会を欠席し続け、不起訴処分となるや、「違法行為はなかった」との名前も明らかにしない弁護士調査の結論だけ説明して、それ以来、一切の説明を拒んでいる。

この甘利氏疑惑に関して、私は、疑惑を報じた文春記事で「あっせん利得罪の該当する可能性」を指摘し、衆議院予算委員会の公聴会で、URを含む特殊法人のコンプライアンス問題に関連して、甘利氏の口利き疑惑とあっせん利得罪との関係にも言及した。

甘利氏は、また「睡眠障害」になりそうだったので、早めにブログ記事の表現を変えたのであろうか。

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日本学術会議任命問題、「改ざん」指摘の当否、首相決裁「虚偽公文書作成」の可能性

日本学術会議の会員任命見送り問題に関して、菅義偉首相が、任命を決裁した時点で、6人がすでに除外され、99人だったと先週土曜日(10月10日)に報じられた。その直後にアップした記事【日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に】では、報道の通りだとすると、誰がどのような理由で、或いは意図で除外したのか、そして、6人の任命見送りの問題表面化直後に、菅首相が任命決裁の際に学術会議の推薦者名簿を見ていないのに「法に基づき適切に対応」と発言したことについて、「適切」というのがどういう意味だったのか重大な説明責任が生じることを指摘した。

 この問題について、学術会議側から、「学術会議は総理に対して105人を推薦している。総理に伝わる前に他の誰かがリストから6人を削ったのであれば、文書の改ざんとなり大きな問題」との指摘が行われていると報じられている【(TBS)学術会議側から「文書の改ざん」指摘相次ぐ】

 学術会議側が指摘するように「文書の改ざん」に当たるのか、それに関して、どのような犯罪が成立し得るかについて考えてみたい。

 まず、日本学術会議が、内閣総理大臣に提出した「推薦者名簿」は、

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。

と規定する日本学術会議法17条の規定に基づいて、日本学術会議会長の名義で作成され・内閣総理大臣に提出された「有印公文書」だ。

 もし、この推薦者名簿の中の6名を除外し、99名の推薦者名簿であるように内容を改変して菅首相に提出したとすると、「作成権限者である日本学術会議会長に無断で、既に存在する公文書である推薦者名簿に手を加えて、新たに不正な推薦者名簿を作り出した」ということになるので、有印公文書変造罪(1年以上10年以下の懲役:刑法155条1項)が成立する。

 しかし、会見での菅首相の発言を確認すると、(任命決裁の際に)「見たのは99人の任命者リスト、推薦者リストは見ていない」と述べている。この説明によれば、学術会議が提出した「推薦者名簿」自体は菅首相に提出されておらず、ニュース等で目にする「黒塗りの推薦者名簿」は、「105人の推薦者名簿」の一部を黒塗りにしたものを、「推薦者名簿」ではなく「99人の任命者名簿」として作成したものということであれば、内閣府側の作成名義による文書ということになり、「公文書の変造」は成立しない。学術会議側が指摘する「改ざん」にも当たらないということになる。

 そうなると、問題は、会員任命の首相決裁の際の「決裁文書」がどのような内容だったかである。「日本学術会議の会員推薦者が99名であった」かのような決裁文書が作成・提出されたのであれば、「事実に反する記載」ということになり、そのような内容の決裁文書を作成し、菅首相に提出する行為は、虚偽有印公文書作成・同行使罪に当たることになる(法定刑は有印公文書偽造・変造罪と同じ)。

 もっとも、菅首相の会見での発言からは判然としないが、任命見送りとなった6名については、「自分のところに任命の決裁が上がってきた段階で6名は任命対象から除外されていたので、除外された6名の名前は知らなかった」という趣旨であり、6名が除外された事実を知らなかったということも考えられる。実際の決裁文書には、推薦者が105名であったことが記載され、そこから選定された99名の「任命者リスト」が添付され、その99名を選定することの決裁を求めたというのであれば、決裁文書に虚偽の記載はないので、犯罪は成立しない。

 しかし、そうだとすれば、菅首相の説明は「舌足らず」であり、推薦者名簿が「改ざん」されたかのような誤解を学術会議側に与えたことについて責任がある。

 ノーカットで公開されている会見映像を見ると、菅首相は、記者の質問に答える際、終始手元の資料に目を落とし、「総合的、俯瞰的に」と言う言葉を繰り返している。そして、この問題について、唯一、自分の言葉で答えたのが、前記の「推薦者リストは見ていない」という言葉である。菅首相の説明能力・答弁能力の致命的な欠如を示していると言えよう。

 菅首相は、推薦者名簿の取扱い、決裁文書の作成経過などについて至急調査を行い、「見たのは99人の任命者リスト、推薦者リストは見ていない」と発言したことについて納得できる説明を行うべきである。

 官僚というのは、一般的には、「首相の意向を忖度するなどして、不当な行為を行うことはあっても、『違法行為』だけは絶対に行わない」という“習性”があるので、意図的に虚偽公文書を作成したとは思えない。しかし、まだ記憶に新しいところでも、森友学園問題での「財務省決裁文書改ざん問題」も発生しているので、全くあり得ないとは言えない。

 もし、その決裁の過程で、虚偽公文書作成などの犯罪が行われた疑いが生じた場合には、「公務員は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」として公務員の告発義務を定める刑事訴訟法239条2項の規定に基づいて、刑事告発を行わなければならない。

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これが「刑事裁判」と言えるのか、“青梅談合事件控訴審逆転有罪判決”

9月16日午後1時15分、東京高裁410号法廷、刑事第三部中里智美裁判長が、青梅談合事件の被告人酒井政修氏に対する控訴審判決を言い渡した。

一審では、検察官の立証は崩壊、求刑を罰金に落とすなど、事実上「白旗」を上げていた。当然の無罪判決に対して検察は控訴したが(【青梅談合事件・一審無罪判決に控訴した”過ちて改めざる”検察】)、控訴趣意書も全く的はずれ、殆ど無意味なものとしか思えなかった。

どう考えても一審無罪判決が覆る余地はないとは思うものの、2017年11月、名古屋高裁での美濃加茂市長事件控訴審判決という「悪夢」が私の脳裏をよぎる。「まさか、しかし、さすがに今回はあり得ない」、そう自分に言い聞かせる。

ところが、中里裁判長が、「主文」に続いて発した言葉は、「原判決を破棄する」だった。

またしても、控訴審での逆転有罪判決を受けることになった。それにしても、この事件の一審無罪判決を、どういう理由で「破棄」するというのか。

判決文の言渡しを聞いても、理由は全く理解できないものだった。

一審の第一回公判で、公訴事実を認めて保釈された直後の酒井氏と初めて会い、弁護人を受任ししてから約2年間、ともに戦い続けてきた。明治から続く地元の老舗の建設会社を経営してきた酒井氏への人望もあって、多くの仲間が弁護活動に協力してくれ、検察官立証を打ち破った末の一審無罪判決だった。

しかし、それは、控訴審判決での「原判決破棄」という言葉で、一瞬にして打ち砕かれた。

読み上げる判決理由もほとんど理解できないものだった。書記官室で受け取った判決謄本を読んで、さらに愕然とした。一審無罪判決を受けての「控訴審判決」などと言えるようなものでは全くない。

午後3時から、被告人の酒井政修氏と、逮捕された酒井氏に代わって、酒井組社長を引き継ぎ、懸命に会社を経営してきた次女の晶子氏とともに、司法記者クラブでの会見に臨んだ。

不当判決について私の説明に続いて、酒井氏が口を開く、「多くの人のおかげで一審で無罪を勝ち取ったのに・・・。悔しい・・・」後は、言葉にならなかった。

不当極まりない控訴審判決に対して、ただちに上告した。

上告審で、この事件での最後の戦いを行うことになる。しかし、そこには、刑事上告審の破棄事件は、年に1件あるかないかという、絶望的な現実がある。

一審で無罪、二審で逆転有罪という経過を辿った事件の被告人にとって、刑事裁判は「三審制」ではない。それどころか、一度たりとも、有罪の判断が正当に行われることなく有罪が確定することになる。

青梅談合事件の経過を改めて振り返り、控訴審判決がどのような理由でどのような判断を示したのか、それがいかに不当極まりないものか、いかに許し難いものかを述べることにしたいと思う。

警視庁捜査2課「青梅市の上の方が狙い」

酒井政修氏は、明治から続く青梅では老舗の地元建設会社の酒井組の社長として、青梅建設業協会会長として地域に貢献してきた。その酒井氏が刑事事件に巻き込まれた発端は、2018年5月、警視庁捜査2課立川分室に呼び出され、青梅市発注の公共工事に関して聴取を受けたことだった。警視庁捜査2課というのは、汚職・経済犯罪の捜査を専門とする部署だ。規模から言っても、「警視庁」という看板を背負っていることから言っても、全国の「捜査2課」のトップに位置する捜査集団だ。

聴取の後、警察官は酒井組の事務所までやってきて、パソコンの提出を求めてきた。一体何をしたいのかと思って、酒井氏が尋ねると、「青梅市の上の方が狙い。協力してくれれば悪いようにはしない」と言われた。しかし、酒井氏は、青梅建設業協会の会長をやっている関係で、市長や副市長や部長クラスと会うことはあったが、警察沙汰になるようなことで思い当たることは何もなかった。

その聴取の中で詳しく聞かれたのが、市の担当者から「緊急でやってくれ」と言われて、契約する前に着手していた災害復旧工事で、手続上必要だと言われて他の業者に頼んで見積書を出してもらい、それを市の担当者に渡したこと、それと、今回の事件になった「幹32号線」という約1億円の土木工事のことだった。

「幹32号線」の1期工事は、約3億円という青梅市では大規模な土木工事だった。O建設という会社が受注・施工していたので、2期工事も、その会社が受注するものと思われていた。ところが、2期工事は、市側が予定する発注金額では採算が合わないということで、そのO社は受注しないようだという話を聞いた。本来有利なはずの1期工事の施工業者が受注しないのであれば、他の業者が受注することはなおさら難しい、そのままでは、入札不調になって工事が大幅に遅れかねない。他の指名業者に確認したが、どこも受注する気は全くないということだったため、建設業協会の会長の酒井氏が、赤字覚悟で受注した工事だった。

「幹32号線工事」については、指名業者に連絡をとって受注する気がないかを確かめたことも正直に話した。すると、警察官は、「それも談合だ」と言って、談合を認める内容の書面を書くように言ってきた。「始末書のようなもので、これを書いてくれたら終わりだから」と言うので、警察官が書いた文面をそのまま手書きで書いて署名した。そこには、工事を受注した事情など全く書かれておらず、「当社が落札できるように協力依頼の電話をかけて協力して頂いた」などと指名業者に連絡をとって談合したことを認めるだけの内容が書かれていた。

その後、何回か聴取を受けたが、特に目新しいことはなく、その書面を書いただけで終わった。酒井氏は、それで警察の聴取は終わったと思っていた。

突然の「逮捕」、その日から全てが変わった

ところが、7月5日、酒井氏の自宅は、早朝から、夥しい数の報道陣に取り囲まれた。数日前に、警視庁担当だという新聞記者が「警視庁捜査2課のことで」と聞いてきたことを思い出した。酒井氏は、一体何が起きているのかわからず、取調べ担当だった捜査官に電話した。「とにかく、車でそこから抜け出して来てくれ」と言われたので、妹の運転する車で立川署に向かい捜査官と合流し、立川分室に連れていかれた。

そこで、談合罪の逮捕状を見せられ、逮捕された。「どうして俺が逮捕なんだ」と警察官に食い下がると、「裁判所で令状が出た」と言うだけで何も答えなかった。「警察の判断ではなく裁判所が逮捕を命令した」かのような言い方だった。

そういう取調官の態度や言動からも、酒井氏の逮捕が「無理筋」であることは警察の現場では十分に認識していて、警察の上層部の判断で逮捕が行われたように思えた。

コストをかけて捜査した以上、「見込み違い」だったとわかっても、潔く撤退しようとしない。面子のために、無理筋の事件を仕立て上げて逮捕を強行する。過去にも警察が繰り返してきたことだ。

酒井氏の逮捕は、NHK全国ニュースでも、「青梅市発注工事の談合事件」として新聞各紙でも大々的に報道された。突然、経営者を失った酒井組、酒井氏も、家族も、従業員も、その日からすべてが変わった。

逮捕の翌日には東京地検立川支部に送検され、その日以降、検察官の取調べも数回受けた。酒井氏は、逮捕当初から、赤字覚悟で受注した経緯や、発注者の青梅市のために入札不調にならないようにするためで、会社で利益を得ることが目的ではなかったことを精一杯訴えた。しかし、検察官は、他の指名業者を被疑者として取調べ、逮捕・起訴のプレッシャーをかけて、「談合の犯罪」のストーリーに沿った供述調書を作成して署名させていた。その供述内容を示して、「みんな談合を認めている」と言って、酒井氏に自白を迫った。

酒井氏は全面否認を続けたが、起訴された。

保釈請求も却下され、接見禁止のまま2カ月も身柄拘束が続いた。

事務所に届いた酒井氏の夫人からのメール

2018年9月初め、私の法律事務所ホームページの「問合せアドレス」に「藁にも縋る気持ちでメールしました」という書き出しの酒井氏の夫人からの長文メールが届いた。

夫は談合罪で逮捕され80日近くも留置されている。前年、癌の手術を受け、まだ十分に体力が回復していない。体調が悪化していないか心配で、一目でも会って様子を確認したいが、面会すらできない。弁護士からは、「本人が、9月19日に予定されている初公判で起訴事実を全て認めると言っている」と聞かされているが、犯罪になるようなことをする人ではないと、切々と訴えるメールだった。

夫人に事務所に来てもらい話を聞いた。一度、勾留中の酒井氏と接見して、私に弁護を依頼する意思があるかどうか聞いてみようと思った。しかし、弁護人の弁護士に本人の意向を確認してもらったところ、「保釈で早く出たいので、公判で事実を争う気はない」ということだった。それが本人の意思である以上、仕方がないと思い、夫人には「初公判で事実を認めるということのようなので、今の弁護士さんに保釈をとってもらってください。」と伝えた。「ただ、初公判で事実を認めても、弁護人が交代して、その後に認否を覆して争う余地もないわけでもない。保釈で出てきたら、証拠や資料を持ってご主人と事務所に来てください。」と言っておいた。

果たして「談合罪」なのか

9月19日の第1回公判で、酒井氏は、起訴事実を全面的に認め、検察官請求証拠がすべて同意証拠として取調べられ、保釈された。

数日後、酒井氏が、夫人と次女に伴われ、証拠の写しを持参して私の事務所に来た。それまでの経過と事件の内容を詳しく聞いた。

刑法は、「公正な価格を害する目的」と「不正の利益を得る目的」で談合した場合を「談合罪」の犯罪としている。いずれかの目的がないと犯罪は成立しない。

通常、刑事処罰の対象となる「談合」は、「受注を希望する業者が話し合った末、受注すべき会社を1社に絞り込み、他の業者は高い価格で入札して受注に協力する。それによって、入札での叩き合いで受注価格が下がらないようにする」というものだ。

そうであれば、談合がなかった場合と比較して、談合による受注価格が高くなるのは当然だ。その分、発注価格は高くなり、その分発注者は不利益を受けることになる。それが、「公正な価格を害する目的」の談合の典型例だ。

酒井氏の事件は、それとは大きく異なる。採算が悪く、赤字になりかねない工事で受注希望業者がなく、そのままだと、入札不調になって、再入札をせざるを得なくなり、工事が遅延する。大型工事の施工が遅れることで発注者の青梅市に迷惑がかかる。酒井氏の地元の後輩だった青梅市の建設部長からも、「何とか地元業者で受注してほしい」と言われていた。建設業協会会長の酒井氏にとって、青梅市と地元業者との信頼関係を損なうことにもなりかねないとの懸念から、いろいろ思い悩んだ末、仕方なく酒井組で受注することにしたものだった。

指名業者の一部に受注意思を確認するという「談合らしき行為」はあったが、それは、談合によって発注者に不利な価格で受注するという「公正な価格を害する目的」が認められない、つまり談合罪が成立しない典型例だと思えた。

酒井氏は、第一回公判で公訴事実を全面的に認めて、弁護人が検察官請求証拠をすべて「同意」していたが、証拠採用された指名業者の供述調書には不自然不合理な点が多々あった。工事指名後、酒井氏から連絡があり、「あれ頼むよ」「幹32号行きたいんだ」などと言われ、酒井組の受注に協力したというものだったが、それらの指名業者側に、もともと受注する気がなかったことは調書にも書かれている。受注する意思が全くなかったのだから、酒井氏と話したことは入札への対応には影響ない。「本件入札で酒井組の受注に協力する」ということはあり得ない。検察官のストーリーを押し付けられた調書であることは明らかだった。このような不合理な供述調書の信用性を否定する主張はできる。また、酒井氏の話を前提にすれば、談合罪の成立要件の「公正な価格を害する目的」がないとして無罪を主張することは十分可能だと思えた。

私は酒井氏の弁護人を受任し、無罪判決をめざして弁護活動を行うことにした。

10月10日の第2回公判で、罪状認否、弁護人意見を変更、「公正な価格を害する目的」がないとして、無罪を主張した。

弁護人の反証活動に協力してくれた指名業者の人達

第3回公判では、被告人質問が行われ、酒井氏は、逮捕以降、警察でも検察でもずっと訴え続けてきた言い分を、公判廷でしっかり供述した。

私は、青梅市に赴き、指名業者のヒアリングを開始した。彼らの話は、概ね酒井氏から聞いているとおりで、検察官調書の内容とは大きく異なっていた。談合罪の被疑者として取調べられ、逮捕・起訴のプレッシャーをかけられ、言ってもいない内容の供述調書に署名を求められて拒否できなかったものだった。

彼らから聴取した内容について陳述書を作成し、署名してもらった。検察官調書と相反する指名業者の陳述書を、検察官調書の弾劾のための「証明力を争う証拠」(刑訴法328条)として証拠請求をした。裁判所は、それを受けて、指名業者の証人尋問を行うことを決定した。

11月26日の第4回公判と12月10日の第5回公判で、4人の指名業者の証人尋問が行われた。談合罪の被疑者で取調べられ、酒井氏から連絡を受けて、工事を受注する気はないと答えただけなのに、「それも談合罪になる」と言われ、起訴プレッシャーの中で検察官が談合に応じたかのように作文した供述調書に署名させられたものだった。酒井氏から「あれ頼むよ」「幹32号行きたいんだ」などとは言われていないことも証言した。

補充立証の「立証準備」に3カ月の期間を要求した検察官

裁判所は、被告人質問や証人尋問の結果を受け、検察官に、「公正な価格を害する目的」があったと主張する根拠を明らかにするよう求めた。

一般的な談合では、「受注を希望する業者が複数いて、それが談合で調整されて、受注者が絞り込まれたこと」で談合がなかった場合より受注価格が高くなったことが立証できる。 ところが、本件では、酒井組以外の業者には受注意思がなかったので、「受注希望の調整による価格の上昇」が立証できない。

そこで、「公正な価格を害する目的」をどう立証するのかが問題だった。検察官は、「どうしても本件工事を受注したいという積極的な意思があったので、他の指名業者に連絡して受注意思がないことを確認していなければ、確実に落札するために予定価格を大きく下回る価格で入札せざるを得なかった」「だから、他の指名業者に連絡しなかった場合と比較して価格が高くなっている」という理屈で、「公正な価格を害する目的」を主張しようとした。

そして、その主張に関して、(ア)本件工事の受注で利益を得ようしていた、(イ)東京都の格付けを維持する目的があった、(ウ)酒井組の経営状況、工事受注状況、(エ)本件工事と同種の擁壁工事の平均落札率を立証する予定で、その立証準備のために3か月間の期間を要すると言い出した。3月末の定期異動まで引き延ばして、無罪判決を受けるのを免れようというのが、公判担当検察官の魂胆だと思えた。

酒井氏の主張からは、もともと「公正な価格を害する目的」の有無が問題になる事案だった。起訴の段階で、その点を十分に検討する必要があったのに、それを行っていなかったことを自ら認めたに等しい。

被告人の主張を無視して起訴しておいて、起訴後接見禁止で勾留を続け、保釈にも絶対反対という姿勢をとっていた検察官が3か月もの立証準備期間を要求するというのは、あまりに厚かましい言い分だった。

しかし、一審裁判所は、翌年3月末までの立証準備期間を与えた。控訴審で審理不尽と言われないようする配慮だと思えた。

 

検察官立証は“無残な失敗”、「白旗」を挙げた罰金求刑

本件では、(ア)~(エ)の検察官の立証が困難であることは明らかだった。

(ア)については、本件工事で利益が見込めないことを酒井氏が当初から覚悟の上で受注したことは、酒井組の積算の経過、入札価格の決定の経過についての工事部長の証言から明らかだった。

また、(イ)の東京都の格付けについては、確かに、数年前まで、Cクラスだった酒井組の東京都の格付けが、大型工事の受注でBクラスとなり、本件工事の受注がなければ、またCクラスとなる可能性があったが、完成工事高3億円程度の零細企業で、それまでの東京都の受注工事の殆どがDクラスだった酒井組にとって、Dクラスの工事の受注が可能なCクラスに格付けされる方が有利であり(直近のクラスであれば入札参加できる)、Bクラスを維持するとDクラスの工事が受注できなくなるのでかえって不利だった。

「酒井組の業績が赤字続きだったので、大型工事を何としても受注したかった」という(ウ)については、酒井組の経営は、概ね順調だったのが、本件工事を受注して赤字となったために、経営上大きなマイナスが生じたもので、本件工事を無理をして受注しなければならない事情など全くなかった。

(エ)は、擁壁工事というのが、手間のかかる困難な工事で利益が見込めない工事であることは、酒井組の工事部長だけでなく、複数の指名業者が証言していた。

検察官は、立証準備に3月末までの期間をかけた上、担当検察官は「狙い通り」、異動でいなくなった。5月から6月にかけて、引き継いだ検察官によって、(ア)~(ウ)についての東京都職員、金融機関の担当者等の証人尋問が行われた。一方で、弁護側立証として、酒井組の工事部長、経理担当者の尋問も行われた。

証人尋問の結果は、上記のとおり(ア)~(ウ)について、酒井氏に「積極的受注意思」があったとは到底言えないことが明らかになっただけであり、検察官立証の「無残な失敗」に終わった。(エ)について、一定期間で「擁壁工事」の入札状況について調査した結果は、大部分が「入札不調」であり、落札された場合も予定価格ぎりぎりだった。

7月19日の論告・弁論。検察官の求刑は「罰金100万円」だった。論告を作成するなかで、審理の結果、証拠全体を見直して、「公正な価格を害する目的」の立証ができていないことを再認識し、求刑を罰金に変更したのであろう。しかし、「罰金100万円」なら、在宅捜査で略式請求すればよかったはずだ。警視庁捜査2課が市役所を捜索したうえで被疑者を逮捕し、80日も勾留した事件ではあり得ない求刑だ。検察官は、有罪立証の大半が崩されたことで半分「白旗」を上げ、求刑を懲役刑から罰金刑に落としてきたということだろう。

そして、9月20日、一審無罪判決が言い渡された。

 

黒川弘務検事長の最終判断で「人質司法による冤罪」回避のための検察官控訴

このような一審での経過を見る限り、無罪判決が、控訴審で覆される余地は全くないと思えた。ところが、控訴期限の前日になって、検察官が控訴を申し立てた。「人質司法による冤罪」の事件が無罪判決で確定することを何とかして回避する目的としか思えなかった。

その検察官控訴を「最高責任者」として判断したのが東京高検黒川弘務検事長だった(その後、検察庁法に違反する「閣議決定による定年延長」で検事長の職にとどまった後、今年5月に、「賭け麻雀」疑惑が報じられて辞任)。

しかし、「検察官控訴」の事実は重い。一審無罪判決が出たことで、金融機関からまとまった金額の融資が再開される予定だったのに、検察官が控訴したことで刑事裁判が続くことになり、融資は見送りとなった。酒井氏に代わって酒井組の社長を引継いだ次女の晶子氏は、指名停止になっても他の地元業者からの工事下請でつないだりして、社員一丸となり歯を食いしばって会社を守ってきたが、それも限界に来ていた。

控訴趣意書は、一審での審理経過を全く無視し、公共入札の実務の基本的な理解を欠いているとしか思えない、的はずれな内容だった。控訴趣意書提出から、1週間で弁護人答弁書を提出。酒井組の経営状況を述べ、少しでも早く第一回公判期日が指定されるよう要請する書面も提出した。しかし、指定された期日は3月11日、控訴申立てから5カ月半も経過していた。

第1回公判で、職権で被告人質問と会社の経理担当者の証人尋問を行うことが決定され、6月10日の第2回期日で尋問が実施されたが、酒井氏も、経理担当者も、淡々と一審同様の供述をし、特に目新しい供述があったようには思えなかった。念のために、被告人側の供述を確認する程度の意味しかないものと思っていた。

ところが、冒頭で述べたとおり、9月16日に言い渡された判決は、「逆転有罪判決」だったのである。

これで「刑事裁判」と言えるのか

刑事の控訴審というのは、一審判決の判断を「事後審査」する裁判であり、最高裁判例でも、控訴審が一審の事実認定を覆すためには、一審判決に論理則・経験則違反があることを具体的に示すことが必要だとされている。ところが、この控訴審判決は、一審での審理を全く無視し、最初から「原判決破棄・有罪」の結論ありきで審理を行ったとしか思えないものだ。

控訴審判決は、

(1)本件当時、酒井組の経営状況は厳しく、年間売上目標の3分の1程度に当たる売上げを計上することができる本件工事を受注することの意味は大きい

(2)被告人のI(相指名業者)らに対する言動をみると、本件工事について、被告人には積極的な受注意思があったと認められる。これに反する被告人の供述は信用できない

(3)30%の数値目標(「外部への支払」を差し引いた金額が受注金額の30%以上となること)との関係では、酒井組が入札した工事価格(9700万円)から、120万円余り金額を引き下げることが可能である

との事実を認定し、そこから、

被告人には、何とかして本件工事を受注したいという「積極的受注意思」があり、しかも、採算を見込める範囲で、入札価格を引き下げることが可能だった。

との判断を導き

被告人が(Iらが所属する5社は、少なくとも本件工事の予定価格以下での入札はしないとの)認識を有していなければ、予定価格の10万円単位以下の部分を機械的に削っただけの価格で入札したとは考え難い。

として、酒井組の入札価格が、談合がなかった場合の価格を下回るとして、「公正な価格を害する目的」を認定し、これを否定した一審判決の判断を覆した。

酒井組の経営状況と大型工事受注の意味

(1)について控訴審判決は、

酒井組は、平成29年5月期に約2058万円の損失を計上し、また、平成28年5月期に約2361万円あった繰越利益剰余金が約303万円に大幅減少していることなどが認められ、本件当時の酒井組の経営状況には厳しいものがあったといえる。また、M(経理担当者)の当審証言及び被告人の当審公判供述によれば、本件当時も、Mは被告人に対し、少なくとも月1回は酒井組の経営状況(財務状況や資金繰り)に関する報告をしており、被告人は平成29年3月頃、Mから報告を受けて、同年5月期の決算が赤字になる見通しであることを認識していたことが認められる。

このような酒井組の経営状況も踏まえると、酒井組の年間売上目標の3分の1程度に当たる売上げを計上することができ、採算を見込むことができる本件工事を受注することの意味は、大きいと認められる。

としている。

しかし、このような判示は、一審の審理や証拠を全く無視したものだ。

一審では、検察官が、「酒井組の経営状況、財務状況が悪化している状況下で本件工事を受注していること」で「積極的受注意思」を立証しようとし、酒井組の会計関係資料の分析報告書や、複数の金融機関の担当者の証人尋問を請求するなど、相当な力を注いだ。しかし、その結果、逆に、酒井組の経営は、概ね順調で、本件工事を受注した当時、無理に大型工事を受注する必要が全くなく、本件工事受注が実質赤字となったために経営上大きなマイナスが生じたものであったことが明らかになった。ちょうど、本件工事の入札の時期が期末であった平成29年5月期に、約2058万円の損失が生じたというのも、大型工事の「期ずれ」によって、利益の一部が翌期に持ち越されただけで、本件工事の売上が見込める平成30年5月期には、むしろ利益の増加する要因だった。

酒井組にとって本件工事の受注が特に意味があったことの立証のために、東京都格付けへの影響まで持ち出し、東京都職員の証人尋問まで行ったが、格付けが何ら受注の動機にならないことが明らかになっただけだった。

「本件当時の酒井組の経営状況には厳しいものがあった」と全く実態に反する認定を行った上、酒井組の年間売上目標の3分の1程度に当たる売上げを計上することができ「本件工事を受注することの意味は、大きいと認められる」として、酒井氏の「積極的な受注意思」を認めた控訴審判決は、一審での審理の経過や検察官立証の結末を完全に無視したものだった。

指名業者の証言は無視

(2)も、一審での証人尋問をすべて無視して、検察官調書だけで認定したものだ。

控訴審判決は、「Iらの各検察官調書等の原審証拠によれば、被告人のIらへの言動等に関して以下の事実が認められる。」とした上、指名通知後に、Iに「今日、指名あったか。ほかの皆さんがよければ、うちにやらせてもらいたいんだけど。」と言った事実、Kに対し、「あれ頼むな。」と言った事実、「その2工事について、うちで行きたいんだけど。」と言った事実、Fに「32号行きたいんだよ。よろしく頼む。」と言った事実を認定している。それらは、酒井氏に「積極的受注意思」があったことを示す発言のように思える酒井氏は、そのような発言をしたことを、捜査・公判で一貫して否認していた。しかし、一審の第1回公判で、保釈のために、心ならずも、検察官調書にすべて「同意」し、証拠採用されたものだった。

私が弁護人を受任し酒井氏が無罪主張に転じた後、相指名業者の人達は、これらの発言を否定し、証人尋問が行われ、最終的には、一審判決は、検察官調書は「積極的受注意思」の根拠となるものではないと判断したものだった。

ところが、控訴審判決は、一審で指名業者の証人尋問の結果それが検察官調書との相反していることは全く無視し、検察官調書に書かれている酒井氏の発言とされた部分を、そのまま認定した。そして、それらの発言を否定する酒井氏の供述は、「信用できない」と理由もなく斬り捨てている。

突然出てきた「積算内訳書」で「採算が見込める工事」だったと認定

(3)は、酒井組では、「外部への支払」を差し引いた金額が受注金額の30%以上となること(粗利30%)を、工事の採算がとれるかどうかの「目安」としていたという「30%の数値目標」を前提に、本件工事の入札の際に、発注者の青梅市に提出した入札価格の「積算内訳書」に記載された金額で「粗利30%」を僅かに超えていたことをとらえ、入札価格をさらに引き下げることが可能だったとするものだ。

確かに、「外部への支払」を差し引いた金額が受注金額の一定割合以上となる、という「粗利」の確保は、工事による収益を確保するための一応の「目安」だと言える。工事部長も、警察調書で、その「粗利」について一般的な目安の数字として、「30~35%」と述べ、一審でも同意書証で証拠採用されていた。

控訴審判決は、その「30~35%」の数字と、酒井組が、本件工事について入札時に青梅市に提出した「工事費積算内訳書」の金額では、その数字が「30.8%」になっていることに目を付けたのである。入札時の酒井組の積算では「30%の数値目標」を「0.8%」上回っているので、それが30%になる金額まで入札価格を引き下げることが可能だった、上記(1)(2)により、酒井氏には「積極的受注意思」があったと認められるから、他の指名業者に連絡して受注意思がないことを確認していなかったら、もっと低い価格で入札していた、との結論を導いた。

そもそも、「入札時の積算」というのは、発注官庁側が示す積算単価を基本にして算定しているものに過ぎず、「工事費積算内訳報告書」も、そのような発注官庁向けに作成提出するものに過ぎない。実際に工事を受注して施工した場合、工事にかかる費用や得られる利益が入札時の積算のとおりになるわけではない。「30%の数値目標」は、最終的な工事採算に関する数字であり、入札時点での積算価格から、どれだけの費用が実際の工事施工で増えるか節減できるかの見通しを加味して、その目標を実現できるかどうかが判断されることになる。そのことは、公共工事の実務の知識が多少なりとあれば自明なことだ。そもそも「工事費用積算内訳書」は控訴審の被告人質問で突然持ち出されたものだった。その積算内訳書の数字に「30%の数値目標」を当てはめるなどというのは、一審の検察官の主張にも全くなかった。

「30%の数値目標」で、本件工事の採算性と被告人の認識を立証するなどということは凡そ不可能なはずだ.。ところが、控訴審判決ではそれを強引に行っているのである。

その結論を導くための証拠の不足を補うために行われたのが、控訴審裁判所の職権で行われた酒井氏の被告人質問と、経理担当者の証人尋問だった。経理担当者に、「30%の数値目標」が工事収益を見込めるかどうかの基準であることと、それを被告人の酒井氏に伝えていたことを証言させ、酒井氏に、そのように伝えられていたことを認めさせ、工事の収益性を認識していた根拠とすることが目的だった。判決文に引用された2人の供述を見て、職権尋問の目的が初めてわかった。

判決での被告人供述や経理担当者証言の引用も、控訴審での職権尋問で中里裁判長が強引な誘導尋問で、しかも供述の趣旨を歪曲したものだった。経理担当者Mは、「積算は役所に対するものなので、会社内での工事収益の見通しとは異なる」と説明しているのに、それを無視し、入札時の積算で「30%の数値目標」を超えていれば工事の採算が見込めると決めつけた。

被告人質問でも、酒井氏は「30%の数値目標」について聞いた記憶がないと供述しているのに、聞いていたかのような誤った前提で、酒井氏に「工事部長から、本件工事について30%の確保が難しいという話を聞いたか」と質問し、「あまり記憶にない」との供述を引き出した上、判決では、次のように判示している。

被告人は、当審公判で、工事受注に関する話があったときは、当該工事の工事粗利益の報告を受けること、本件内訳書を見たことを認めた上、積算をした段階で、30%の工事粗利益を確保することが難しい場合は、Aからその旨の話が出ると思うが、本件工事について、そのような話を聞いたということは余り記憶にない旨供述していることに照らすと、被告人は、本件工事の入札価格である9700万円が、少なくとも30%以上の工事粗利益を確保できるものであって、本件工事は採算を見込むことができるものであることを認識していたと認められる。

取調べの録音録画の下では、検察官ですら行わないような露骨な「誤導質問」で強引に被告人供述を引き出し、しかも、その供述の趣旨を歪曲して引用し、有罪の証拠にしているのである。

そのような露骨な誤導尋問に対して、異議すら述べなかったのは、弁護人として迂闊だったと言われれば、そのとおりだ。しかし、一審の審理の経過や結果を全て無視し、有罪判決の辻褄合わせのために控訴審職権尋問を行っているなどとは夢にも思っていなかった。

控訴審裁判所の裁判長は、その判断で、刑事裁判の最終結論を事実上確定させる力を持つ。まさに「閻魔大王」のような存在だ。その裁判長に、「誤導尋問です」と異議を述べることは、さすがの私もできなかった。

刑事控訴審とは何のための裁判なのか

刑事の控訴審判決は、上告審で覆されることは殆どなく、一度言い渡されれば、ほぼ確定判決となる。その控訴審の裁判長が、これ程までに露骨な誤導尋問を行い、引き出した供述で一審無罪判決を平然と覆す。それが、日本の刑事裁判の現実なのである。

一審の東京地裁立川支部では、野口佳子裁判長以下3人の裁判官が、第1回公判で起訴事実を全面的に認めながら、第2回で無罪主張に転じた被告人の酒井氏の言い分にも耳を傾け、同意書証として採用済みだった検察官調書についても、改めて証人尋問を行うなどして、信用性を慎重に検討し、「公正な価格を害する目的」の有無という最大の争点について、検察官にも立証の機会を十分過ぎるほど与えた上、酒井氏に無罪を言い渡した。

それにもかかわらず、不当極まりない「検察官控訴」の判断を行ったのが、黒川検事長の下の東京高検だった。

それに対して、控訴審裁判所は、一審裁判所の無罪判決について、審理の経過や判断を評価検討し、刑事事件判決として特に不合理な点の有無を慎重に判断し、不合理な点がなければ、直接審理を行った一審裁判所の判断を尊重する、というのが、同じ裁判所組織に属する一審裁判所が下した判断に対する、控訴審裁判所としての当然の姿勢だと思っていた。

ところが、中里裁判長らが行ったことは、それとは真逆であった。検察という組織の決定に基づいて検察官が行った「控訴」という結論の方を尊重し、それによって否定された一審無罪判決に対して、最初から「破棄する」という「結論ありき」で審理に臨んだのである。

これが、果たして刑事裁判と言えるのだろうか。

「人質司法」を丸ごと是認するのか

日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が逮捕された事件でも、前近代的な日本の刑事司法、とりわけ、無罪主張を行う被告人が長期間身柄拘束される「人質司法」に対して、国際的な批判が高まった。

本件は、そういう「人質司法」に押しつぶされ、一旦は心ならずも起訴事実を認め、有罪判決を覚悟した被告人が、その後、裁判所の公正な判断を求めて無罪主張に転じ、1年近くの審理の結果一審無罪判決を勝ち取ったものだった。それは、日本の「人質司法」に一石を投じる事件でもあった。

ところが、控訴審では、一審の第1回公判で同意書証として採用された証拠だけを証拠として扱い、それ以降の、一審での審理はすべて無視、証拠が足りない部分は、控訴審で被告人らの職権尋問を行って、強引な誘導で引き出した(引き出したことにした)供述で、一審無罪判決を覆し、有罪とした。

それは、

一審で一旦有罪を認めた被告人が無罪主張に転じても、耳を貸す必要はない。無罪主張をしたければ、保釈を認められないことを覚悟して、検察官証拠を争い、その分、身柄拘束が続くことを覚悟しろ、それに耐えられる被告人であれば、無罪主張に耳を傾けてもいいが、保釈で出たいのであれば、無罪主張は諦めろ

と言って「人質司法」を丸ごと是認することにほかならない。

信じ難いことに、このような判決を下した中里裁判長は、司法研修所教官、東京地方裁判所部総括判事、水戸地方裁判所所長などを歴任し、2018年から東京高裁部総括判事を務めている「エリート中のエリート」であり、定年まで4年を残している。今後、高裁長官、最高裁判事などに就任する可能性もある、まさに、日本の刑事裁判所の中核にいる人物である。恐るべきことに、本件の控訴審判決のようなやり方が「日本の刑事裁判のスタンダード」ということなのである。

日本では、検察官が起訴した事件について「推定無罪」ではなく「有罪の推定」が働く。一審で無罪判決が出ても、検察が組織として有罪と判断して控訴すれば、再び「有罪の推定」が働き、一審無罪判決は容易に覆される。残念ながら、それが日本の刑事裁判の現実である。それは、「人質司法」と並んで、憲法上の「裁判を受ける権利」を著しく害するものなのである。

もちろん、このような「凡そ刑事裁判とは言えない判決」に屈することはできない。上告審でも、全力を挙げて戦い続ける。

しかし、その戦意も、そのための気力も、そろそろ限界に近づき始めている。

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「菅首相・推薦者名簿見ず任命決裁」と「甘利氏ブログ発言」で、日本学術会議問題は“重大局面”に!

10月7日にアップした【「日本学術会議任命見送り問題」と「黒川検事長定年延長問題」に共通する構図】で、「日本学術会議任命見送り問題」について、「黒川検事長定年延長問題」と対比しつつ詳述した。2つの重要な事実が報じられたことで、この問題は、重大な局面を迎えている。

菅首相は、推薦者名簿を見ることなく、会員任命を決裁していた

 一つは、この「任命見送り」について、【学術会議問題「会長が会いたいなら会う」 菅首相】と題する記事(朝日)で、

首相が任命を決裁したのは9月28日で、6人はその時点ですでに除外され、99人だったとも説明した。学術会議の推薦者名簿は「見ていない」としている。

と報じられたことだ。

 この問題が表面化した当時、菅首相は、官邸での記者団の質問に対して、立ち止まることもなく「法に基づき適切に対応してきた」と述べ、その後、内閣記者会のインタビューに対して「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から、今回の人事も判断した」と説明していた。

 もし、首相が任命を決裁した段階で、6人の学術会議の推薦者が既に除外されていたとすれば、誰がどのような理由で、或いは意図で除外したのかが問題になる。そして、6人の任命見送りの問題表面化直後に、菅首相が任命決裁の際に学術会議の推薦者名簿を見ていなのに「法に基づき適切に対応」と発言したとすると、この「適切」というのは、どういう意味だったのかが重大な問題となる。

 国会閉会中審査でも、政府側は、日本学術会議会員の任命見送りについて、「憲法15条1項の規定に明らかな通り、公務員の選定・罷免権は国民固有の権利」としている。「選定・罷免権を国民に代わって行使するのが内閣の長である内閣総理大臣なので、日本学術会議の会員の任命権も、その選定・罷免権のうちの一つであり、総理大臣には、学術会議の推薦者を任命する義務はなく、一定の裁量がある」という趣旨であろう。

 そうだとすると、菅首相が、学術会議の推薦者名簿を見ることなく、6名の任命見送りを決裁したことは、「任命権を適切に行使した」と言えるのだろうか。そして、任命の可否を判断すべき立場の人物に「適切に判断させた」、つまり、判断を委ねたというのであれば、6人の任命見送りが問題とされた際に、その判断が適切だったか否かを、自ら確認しなければならないのが当然である。それを行うこともなく「適切に対応」と答えたとすれば、総理大臣としての責任は免れない。

 前記記事によれば、菅首相は、「(日本学術会議の)会長がお会いになりたいというのであれば、会わせて頂く」と述べたとのことだが、会長との面談以前に、まず行うべきことは、任命見送りの経過と、それを「適切」と判断した理由について、自ら、公の場で説明することである。

甘利氏による「中国『千人計画』」に関する日本学術会議批判

 もう一つの重大な問題は、日本学術会議に関する甘利明衆議院議員のブログ発言だ。

 甘利氏が、今年8月6日に、自らの公式ブログ「国会リポート」で、

日本学術会議は防衛省予算を使った研究開発には参加を禁じていますが、中国の「外国人研究者ヘッドハンティングプラン」である「千人計画」には積極的に協力しています。他国の研究者を高額な年俸(報道によれば生活費と併せ年収8,000万円!)で招聘し、研究者の経験知識を含めた研究成果を全て吐き出させるプランでその外国人研究者の本国のラボまでそっくり再現させているようです。そして研究者には千人計画への参加を厳秘にする事を条件付けています。中国はかつての、研究の「軍民共同」から現在の「軍民融合」へと関係を深化させています。つまり民間学者の研究は人民解放軍の軍事研究と一体であると云う宣言です。軍事研究には与しないという学術会議の方針は一国二制度なんでしょうか。

 と述べ、それが、ツイッター等で、広く拡散された。

 この「千人計画」の話がテレビのワイドショー等でも取り上げられたことに関して、BuzzFeed Japanのネット記事【日本学術会議が「中国の軍事研究に参加」「千人計画に協力」は根拠不明。「反日組織」と拡散したが…】は、ファクトチェックを行った結果、学術会議側は、中国の軍事研究への協力について「そのような事業、計画などはありません」と明確に否定し、「実際の事業は覚書が結ばれて以降、行われていないのが実態」「そもそも学術会議の予算面の問題から、国際的な研究プロジェクトなどを実施することは、中国以外の国ともできていない」と説明したとしている。ファクトチェックの結果は、

つまり、軍事研究や千人計画以前に、学術会議として他国との間で「研究(計画)に協力」しているという事実がない

というものだとしている。

 甘利氏は、自民党税調会長であり、過去に経産大臣、経済財政担当大臣等の主要閣僚を務めた自民党の大物政治家である。ブログ発言によって、日本学術会議に関して、根拠のない非難を行ったとすれば、法的、政治的責任が問題になる。

甘利氏ブログ発言の法的責任をめぐる問題

 法的責任に関して問題となるのは、日本学術会議に対する「名誉棄損」の成否だ。

 公的機関の名誉権の有無、名誉棄損の客体になるか否かについては、これまで、主として地方自治体について、名誉権侵害による民事上の請求の是非に関して議論されてきた。

 平成15年2月19日東京高判(判時1825号75頁)は、

地方公共団体の社会的評価を保護すべき必要性があるのみならず、その合理性も認められ、名誉権の侵害を理由とする損害賠償等の請求の余地が全くないということはできない

との趣旨の判示をし、地方自治体にも名誉権の侵害による損害賠償請求の余地があることを認めている。

 日本学術会議は、国の機関であり、独立した民事上の請求の主体ではない。しかし、刑事上の名誉棄損罪の客体が「人の名誉」である。この場合の人とは、「自然人」「法人」「法人格の無い団体」などが含まれるとされていること(大判大正15年3月24日刑集5巻117頁)からすると、それ自体法人格はない日本学術会議も、名誉棄損罪の客体にはなり得ると考えられる。この点については、地方自治体の名誉権に関する上記東京高裁判決の「地方公共団体の社会的評価を保護すべき必要性がある」との判示を参考にすべきだろう。

 もし、前述の甘利氏のブログの記述について、日本学術会議の会長名で、名誉棄損罪での告訴が行われた場合、同会議が、独立して社会的評価を保護する必要がある機関なのか否かという観点から、告訴の受理の要否が真剣に検討されることになるであろう。

甘利氏に重大な説明責任、菅首相の説明責任にも関係

 重大なことは、菅首相が、6人の会員の任命見送りについて、誰がどのように判断したのかと、甘利氏のブログ発言とが関連している可能性があることである。自民党の有力政治家である甘利氏のブログ発言が、その後、自民党内や政府内部での、日本学術会議の会員任命問題への議論に影響を与え、今回の任命見送りの背景になったとすれば、甘利氏は、日本学術会議に関するブログ発言について、一層重大な説明責任を負うことになる。

 甘利氏は、2016年1月28日、週刊文春が報じたUR口利き金銭授受疑惑の責任を取って内閣府特命担当大臣(経済財政政策)を辞任し、それ以降、「睡眠障害」を理由に国会を欠席し、その後、検察の不起訴処分が確定するや、「名前も不明の弁護士の調査結果」で「違法性はないとの結論だった」としただけで、それ以上の説明責任は果たさなかった。

 発足したばかりの菅政権にとって、重大な問題となっている日本学術会議問題に関する自らのブログ発言について、日本学術会議側からの告訴の有無に関わらず、今度こそ、「十分な説明責任」を果たすべきである。

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「日本学術会議任命見送り問題」、「黒川検事長定年延長問題」と同じ構図で“政権の重大リスク”になるか

菅義偉総理大臣が、日本学術会議の新たな会員候補の一部の任命を見送ったことについて、野党側は学問の自由への介入だとして追及姿勢を強めているが、菅首相を始め政府側は「法に基づき適切に対応してきた」としており、与党の一部からは、日本学術会議の在り方を問題にする意見も出されている。安倍政権時代から繰り返されてきた「二極対立」の様相を呈している。

この日本学術会議の会員任命見送り問題は、今年2月、国会、マスコミでも厳しい批判を浴びた黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題と、多くの共通点がある。

検察が、刑訴法上の権限を持つ「権力機関」であるのに対して、日本学術会議は、「科学に関する重要事項」の審議機関であり、直接的に権限を行使する立場ではない。しかし、いずれも、「独立性」を尊重される組織の人事の問題であり、政府の対応の違法性が指摘され、それに関して「法解釈の変更」があったことに共通性がある。二つの問題の比較を踏まえながら、学術会議問題の今後の展開を考えてみたい。

「独立性」の尊重

まず、重要な共通点は、検察庁も、日本学術会議も、「独立性」を尊重される組織だという点だ。

検察庁は、法務省に所属する行政組織であり、「裁判官の独立」とは異なり、法律上、独立性が保障されているわけではない。しかし、刑事事件に関して強大な権限が与えられ、しかも、日本では、検察官が起訴した事件の有罪率は99%を超えるなど、検察の判断が事実上、司法判断になっている。特に、検察の権限行使は、権力を持つ政治家に向けられることもあり、政権の不正・癒着・腐敗等の監視機能が期待される面もある。政権側は検察の権限行使に介入すべきではないとされ、検察の職権行使の独立性が尊重されてきたことの背景には、「司法の独立性」という憲法上の原則がある。

日本学術会議についても、「内閣総理大臣の所轄」(日本学術会議法1条2項)とされる国の組織であるが「独立して職務を行う」(法3条1項)とされ、独立性が制度的に保障されている。

その独立性の尊重の背景には、「学問の自由の保障」という憲法上の要請がある。6人の会員任命見送りについても、「学問の自由」への介入と批判されている。これに対して、「日本学術会議の会員になれなくても自由に研究は続けられるのだから、『学問の自由』は関係ない」という反論があるが、「学問の自由」には、研究者個人が学問研究を行うことの自由だけでなく、「研究成果を発表する自由」「研究成果を教える自由」なども含まれ、それらが行われる場としての大学・研究機関での研究教育に対する国家の不当な介入が「学問の自由」の問題になることもあり得る。

「検察の独立」は、「司法の独立」そのものでないが、それに関連する重要な要請とされているのと同様に、日本学術会議の独立性・自律性は、実質的に「学問の自由」と密接に関連する問題だと言える。

政府の対応の「違法性」

閣議決定の翌日の2月1日にアップした拙稿【黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い】で指摘したように、国家公務員法が定める一般的な国家公務員の定年後勤務延長の規定を適用して、東京高検検事長の定年後の勤務延長を認めたことは、

検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。

と定める検察庁法22条に違反する疑いがある。

検察官は、国家公務員法による「勤務延長」の対象外であり、検察官の定年退官後の「勤務延長」を閣議決定したのは、検察庁法に違反する疑いが強い。検察庁法が検察官の勤務の「終期」を明確に定めているのに、閣議決定で国家公務員法の規定を適用して「検察官の定年後勤務延長」を認めたことの「違法性」が問題の核心であった。

これに対して、日本学術会議の会員任命について問題とされているのは、菅首相が6人の任命を見送ったことが

日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員をもつて、これを組織する。 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。

との日本学術会議法の規定(7条1項2項、17条)に違反するのではないかという点だ。

同法で「210人の会員で組織すること」とする一方で、「日本学術会議の選考・推薦に基づいて」「内閣総理大臣が任命する」と規定され、210人の会員は、すべて学術会議の選考・推薦に基づいて任命することになっているので、選考・推薦された者の一部を任命から除外することは同法に違反するのではないかという問題だ。

政府の「解釈変更」

もう一つ重要な共通点がある。それは、それが許容されるかどうかについて、政府の「解釈変更」が行われている点だ。

「検察官定年延長」については、昭和56年に、国家公務員法で、国家公務員の定年後勤務延長の制度が導入された際の国会答弁で、人事院は

「裁判官、検察官には適用されない。」

としていた。それが、黒川検事長の定年後勤務延長を認める際に、閣議決定で解釈が変更され、検察官にも国家公務員法の勤務延長の規定が適用されることにされたと説明された。

「日本学術会議会員任命見送り」についても、日本学術会議法の改正で、1983年に会員の公選制から任命制に変更された際、国会答弁で、

「形だけの推薦制であり、学会から推薦された者は拒否しない。」

としていた。少なくとも、その時点では、内閣総理大臣が推薦者の任命を拒否することは認められないという解釈をとっていた。それが、2018年に、任命制のあり方についての内閣法制局と内閣府との協議で、推薦者の任命を総理大臣が拒否することができることを確認したとされている。政府側は、これが「解釈変更」だったことは認めていないが、少なくとも、法改正当時の政府答弁とは異なった見解をとらなければ任命見送りはできないはずだ。

当初の解釈であれば「違法」とされるはずであったやり方を、「解釈変更」によって合法化したという点で両者は共通する。

動機面の問題

検察庁法に違反し、国家公務員法の定年後勤務延長の要件を充たしているとは考えられない「定年後勤務延長」を行ってまで、黒川氏を東京高検に残留させ検事総長に就任させようとした動機は何だったのか。

「安倍政権継承」新総裁にとって“重大リスク”となる河井前法相公判【後編】】の【「公選法違反否定の見解」について「黒川氏見解」が出された可能性】で詳述したように、東京地裁で公判が行われている河井克行前法相夫妻の公選法違反事件と関係している疑いがある。

黒川氏が東京高検検事長の立場にある限り、東京地検特捜部の捜査の動きを抑えること、或いはその捜査情報を官邸に提供することが可能であり、検事総長のポストに就けば、検察全体の動きを抑えることができる。黒川氏を違法な「定年後勤務延長」を行ってまで東京高検検事長に留任させ、さらに検事総長に就任させようとしたのは、克行氏の問題が公選法違反事件に発展しないようにすることと関係していた可能性は否定できない。

では、「日本学術会議会員任命見送り」の動機の方はどうか。

この問題が表面化した当初から、問題視されているのが、任命を見送られた6人は、研究や業績の面ではいずれも申し分なく、「任命見送り」の理由が、「安全保障法制」「共謀罪」等に関する政府案に反対表明していたこと以外には考えられないということだ。

6人の推薦者のうち、立命館大学松宮孝明教授は、私の専門にも関連する分野の経済刑法が御専門なので、よく存じ上げている。最初にお会いしたのは、20年前の法務省法務総合研究所研究官の時代だった。検事時代、研究官時代に、多くの研究者の方々とお付き合いがあったが、法務・検察側に都合のよい学説を提供する「御用学者」とは一線を画し、企業や経済の実態を踏まえた合理的な解釈論を展開される経済刑法学者で、優れた研究・業績を多く残されている。松宮教授は、業績面でも、研究者としての姿勢という面でも、日本学術会議会員の刑事法学者として、最も適任だと考えられる。(法務・検察の「御用学者」ではないこと以外に)松宮教授の任命見送りの理由など考えられない。

任命見送りの合理的な理由が示せなければ、疑念を持たれているような、「政治的な理由による任命見送り」ということになる。結局、6人を任命せざるを得ない状況に追い込まれた場合には、菅首相は、この問題をめぐって混乱を生じさせたことについて重大な政治責任を負うことになる。

黒川検事長の「定年後勤務延長」の問題のその後の展開

黒川検事長の「定年後勤務延長」の問題のその後の展開は、多くの点で共通する「日本学術会議会員任命見送り」問題の今後の展開を予感させるものと言える。

黒川検事長について閣議決定で定年後勤務延長を認めたことに対して、特定の検察幹部の定年延長を認める(しかも、それによって、定年が事実上延長され、検察トップの検事総長への就任を可能とする)ことは検察の独立性を害すると批判され、その理由や経緯について国会でも厳しく追及された。

さらに、検察官定年延長を事後的に正当化するために、内閣の判断で検察幹部の定年延長を認める「検察庁法改正案」が国会に提出され、その審議の過程で、SNS等での批判が盛り上がるなどしたため、政府は法案の撤回に追い込まれることになった。

黒川氏の定年後「勤務延長」の理由について、国家公務員法の規定から「職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由がある」と説明されていたが、その後、黒川氏は週刊誌で「賭け麻雀」疑惑が報じられるや、即刻、辞任した。そのことからしても、「職務遂行上の理由」ではなく、定年後勤務延長を経て、検事総長に就任させることを可能にする目的だった疑いが濃厚となった。

「黒川検事長定年延長」問題は、安倍政権末期において、政権への支持を低下させる大きな要因となったのである。

「日本学術会議会員任命見送り」問題の今後の展開

では、「日本学術会議任命見送り」の問題は、今後、どのような展開になるだろうか。

日本学術会議側は、少なくとも、6人の推薦者の任命見送りについて、納得できる理由が示されない限り、6人以外の推薦を行うことは考えにくい。引き続き、6人の任命を求め続けることになるであろう。同会議にここまで国民の関心が集まった以上、「6人欠員」という「日本学術会議法7条1項違反」の状態を放置することはできず、その問題が決着しない限り、日本学術会議の正常な運営は困難となる。

この問題に関して、菅首相は、5日夕刻、内閣記者会のインタビューに応じ、その中で、

日本学術会議については、省庁再編の際、そもそもその必要性を含めてその在り方について相当の議論が行われ、その結果として総合的、俯瞰的活動を求めることにした。まさに総合的、俯瞰的活動を確保する観点から、今回の人事も判断した。

と述べた。

菅首相が、会員の任命を「日本学術会議の必要性を含めた在り方の議論」「総合的、俯瞰的活動を求めること」に関連づけて説明したことによって、任命見送りの理由も、日本学術会議の在り方論に関連づけて説明せざるを得ないことになる。そうなると、会員の推薦・任命の在り方について政府として何らかの立法が必要となり、同会議の在り方論、同会議の存廃をめぐる国会での議論に発展することになる。

今回の任命見送り問題が表面化するや、保守系の論者から、「日本学術会議の見直し・廃止論」が声高に唱えられている。日本学術会議は、設立以降、「学術研究を通じて平和を実現すること」を最大の使命としてきたのは、戦前、学術研究が軍事に使われることを前提とする研究が進められてきたことへの反省があったからである。そういう日本学術会議の存在は、保守系論者からは、現実離れした「非武装中立論」のように扱われ、攻撃の対象とされてきた。確かに、学術研究の活用について民間と軍事とを峻別することは容易ではなくなっており、「学術研究の軍事利用の否定」が、どこまで徹底可能かについて疑問がないわけではない。しかし、その点は、日本国憲法が掲げる平和主義そのものにも関連し、憲法問題にも関わる問題だ。背景には深刻なイデオロギー対立もあるだけに、議論の収束は容易ではない。コロナ感染対策、コロナ不況に対する経済対策、来年夏東京五輪開催の是非など、多くの重要課題が山積する中で、国会で、そのような問題に時間を費やすことが果たして適切なのだろうか。

何より重要なことは、日本学術会議は、これまで比較検討してきた「検察」の問題とは異なり、「権限」や「強制力」を持つ機関ではないということだ。日本学術会議がどのような基本方針で活動しようと、それが、政府の施策に対して直接的な作用を及ぼすものではない。そのような同会議について、政権が、政治的・イデオロギー的動機で、政府に批判的な研究者を排除する目的で任命見送りを行ったとすれば、学術研究の世界全体を、政府の方針を是認する方向の議論に誘導しようとする「学問の自由」への介入そのものであり、ひいては、研究者全体に政府に批判的な言論を控えさせる「言論の自由」の侵害にもなりかねない。

菅政権が、このまま6人の任命見送りの姿勢を維持し、「学問の自由」への介入を改めようとしないとすれば、日本学術会議の在り方自体について国会で本格的議論や法案提出をすることにならざるを得ないだろう。それは、黒川氏の定年後勤務延長問題の事後的正当化のための検察庁法改正案国会提出が、安倍政権にとって大きな打撃になったのと同様に、発足したばかりの菅政権にとって、政権の基盤を崩壊させかねない重大なリスクに発展する可能性がある。

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「尖閣船長釈放問題」、検察に責任を押し付けた菅政権、総括なくして野党の復活なし

本日(9月8日)付けで、産経新聞が、

前原誠司元外相が、2010年9月7日に尖閣諸島沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる。

と報じている。当時の外務省幹部も「菅首相の指示」を認めたが、菅氏は、取材に「記憶にない」と答えたとのことだ(【船長釈放「菅直人氏が指示」 前原元外相が証言 尖閣中国漁船衝突事件10年 主席来日中止を危惧】)。

この尖閣中国船船長の釈放の問題については、当時、私は、検察の対応と、民主党政権の政府の対応を徹底して批判した。

刑事事件については、警察・海上保安部等の第一次捜査機関が、犯罪の立証のための十分な証拠収集を行い、検察が、犯人の身柄の拘束及びその継続の必要性の判断を含め、事案の重大性・悪質性に応じた刑事処分に向けての対応を総括する。

しかし、外交関係に絡む問題については、そのような刑事司法上の判断とは別に、内閣として適切な外交上の判断を行い、それに基づいて最終的な刑事処分を決定することが必要な場合もある。この種の事案に対しては、国家としての主権を守るとともに、他国との適切な外交関係を維持するための判断が求められるが、これは、刑事司法機関の所管外の事項であるため、内閣が政治責任に基づいて判断をすることになる。その場合、刑事事件としての対応や処分に外交上の判断を反映させるために活用されるべき制度が、内閣の一員である法務大臣の検事総長に対する指揮権(検察庁法14条但書)である。検察は、外交上の判断が必要な事件と判断すれば、法務大臣に「請訓」という形で指示を仰ぐことになる。

尖閣の中国漁船の衝突事件は、外交上の判断が必要な事件だったのであるから、刑事司法機関が勾留・起訴という厳正な刑事処分に向けての対応を行う一方、内閣としては、外交関係を踏まえてその刑事処分に向けての対応を変更する必要性を判断し、必要があれば、それを法務大臣指揮権の発動という形で、内閣の責任を明確にして実行すべきであった。

ところが、この事件では、中国船船長の釈放が決定された際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮が、釈放の理由の一つである」かのように述べた。つまり、この事件での「船長の釈放」という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認めたのである。そして、このような、検察が外交問題に配慮したかのような説明に対し、当時の仙谷官房長官は「了とする」と述べた。

この検察の対応が、検察独自の判断だとは考えられなかった。検察としては、厳正な刑事処分に向けての対応を粛々と進めていたはずだ。船長の釈放は当時の内閣の判断によるものであることは、誰の目にも明らかであった。ところが、外交関係への配慮も含めて、すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした。それによって、検察の刑事事件の判断についての信頼が損なわれる一方、内閣が負うべき外交上の責任は覆い隠されてしまった。

しかし、今回、前原氏が明らかにしたところによると、当時の菅首相が釈放を指示したとのことであり、検察の釈放措置は、菅首相の指示によって行われたものだということになる。船長を逮捕した海上保安部を所管する大臣だった前原氏としては、菅首相の指示によって海上保安部としての摘発を無にされたと言いたいのだろう。

尖閣諸島をめぐっては、その後、2012年8月に、香港の活動家らによる尖閣諸島不法上陸事件が発生した。この時の民主党政権の対応も弱腰そのものであった。その際も、民主党政権下の政府と検察の弱腰の対応を批判した。以下は、産経新聞に「【領土を考える】主権侵害は逮捕・起訴を」と題して掲載された拙稿の一部だ。

 香港の活動家らによる尖閣諸島不法上陸事件で、沖縄県警は入管難民法違反(不法入国)容疑で逮捕した中国人を検察庁に送致せず、入管当局に引き渡し、活動家は強制送還された。

 今回の措置は同法65条の「他に罪を犯した嫌疑のないときに限り…入国警備官に引き渡すことができる」との規定によるが、その趣旨は不法就労など単純事案は国内法で処罰するより、早急に国外退去させ違法状態を解消するほうが法の趣旨に沿うためだ。今回のように日本の領土や主権を侵害する目的での確信犯的な不法上陸事案は、極めて悪質な刑事事件として当然、逮捕、起訴すべきだった。

 問題なのは、今回の措置が同法の規定に基づく「刑事事件としての当然の措置」のように説明されていることだ。この種の事件に厳正な刑事処分を行わない判断が「当然の判断」とされるなら、わが国はもはや国家としての体をなしていないと言わざるを得ない。

このような民主党政権時代の、尖閣列島をめぐる中国人の不法事案に対する日本政府の対応は、全くの弱腰で論外であった。しかも、中国人船長の事案については、菅首相の判断で船長を釈放させたにもかかわらず、それが、あたかも、検察の判断であるかのように検察に説明させて「隠蔽」していたのである。それを行わせた菅首相も論外だが、当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ。

一連の不当な対応について、未だに、総括も反省もせず、安倍政権の批判ばかりを行ってきたために、旧民主党出身者を中心とする野党は国民に支持されず、「安倍一強」の政治状況を8年近くも続けさせることにつながったのである。

現在も、菅氏は立憲民主党に所属し、昨日、公示された合流新党の代表選で、枝野氏の選対本部の顧問に名を連ねている。一方の、前原氏は、国民民主党に所属し、玉木雄一郎氏が中心となる新党に加わるとのことだ。

このような野党のままでは、菅義偉氏が総裁となった後の自民党に対抗できるはずもなく、「菅一強」状態になってしまうことは必至だ。

自民党新総裁には、安倍政権の徹底検証が必要であることは言うまでもないが、野党の側も、政権を担当した時の組織の病根を放置したままでは、政権奪還など「夢のまた夢」である。

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河井前法相現金供与事件の真相は、「安倍政権継承」新総裁にとって重大なリスク

8月28日の記事【“崖っぷち”河井前法相「逆転の一打」と“安倍首相の体調”の微妙な関係】で、河井克行前法相、案里参議院議員の公選法違反事件の初公判での検察側、弁護側の冒頭陳述等に基づき、安倍首相が厳しい選挙情勢を認識し、参院選に向けての党勢拡大、案里氏支持拡大のための政治活動の資金を県政界有力者に提供することを了承していた可能性があることを指摘し、その事実が、河井夫妻公判で表面化する恐れがあることが安倍首相の体調悪化の大きな原因になっている可能性を指摘した。

同日夕刻、安倍首相は、持病の再発を理由に首相辞任を表明し、世の中の関心は、次の首相を事実上決めることになる自民党総裁選挙の行方に集中している。今回の総裁選は、党員投票は行わず、国会議員票と都道府県代表票で行うことが決定され、9月8日公示、14日投開票で実施されることが決まっているが、自民党主要派閥が相次いで菅義偉氏支持を表明し、菅氏が新総裁に選出されることは確実な情勢となっている。

しかし、ここで忘れてはならないのは、克行氏と菅氏が深い関係にあることだ。2012年9月の自民党総裁選では、克行氏が事務局長、菅氏が顧問を務める「きさらぎ会」の活動が安倍氏勝利に貢献した。2018年1月には、克行氏が中心となって、菅氏を囲む勉強会「向日葵(ひまわり)会」を立ち上げ、19年7月の参院選当選後に、案里氏にも同会に入会させた。同年9月、克行氏が法務大臣として入閣した際も、菅氏の推薦によるものと言われていた。

第二次安倍政権において、菅氏は官房長官、岸田氏は外務大臣・自民党政調会長として、共に安倍政権を支えてきた重鎮だが、二人の間では、2018年秋頃から、ポスト安倍における権力の争奪が生じていた。

2019年参院選広島選挙区で案里氏が当選し、岸田文雄氏の派閥の重鎮の溝手氏が落選したことは、安倍氏が総裁・首相の座を「禅譲」したい意向だったとされていた岸田氏にとって大打撃となった。それは、今回の自民党総裁選挙で、菅氏が圧倒的に優勢になっていることの伏線の一つと言える。

克行氏が、県政界有力者に対して多額の現金供与を行い、それが刑事事件に発展した背景には、安倍首相の溝手氏への個人的な感情とともに、菅氏と岸田氏の安倍首相の後継をめぐる対立もあったと考えられるが、今後の河井夫妻事件の公判の展開如何では、克行氏が、これらの背景も含めて「事件の真相」を供述せざるを得ない状況に追い込まれる可能性もある。

そういう意味では、今、東京地裁で行われている河井夫妻事件公判は、菅氏優位は動かないとされる自民党総裁選と早期の解散総選挙も取り沙汰されるその後の政局にとって、最大の「攪乱要因」だと言えよう。

案里氏が広島選挙区自民党2人目として参議院選に出馬した経緯

今回の河井夫妻の公選法違反事件というのは、現職の国会議員自身が、参議院選挙で当選を得るため、広島県の議員・首長等の政界有力者等に、直接、多額の現金を配布したという、大胆不敵で露骨な行為が行われたとされる事件である。

なぜ、このような「国会議員自身が」「現金を」配布する行為に及んだのか、そこには、この案里氏の出馬をめぐる「特殊な状況」がある。

自民党本部では、2018年11月頃から、19年7月の参議院選挙で広島選挙区に2議席独占をめざして2人目の候補を擁立しようとする動きを本格化させた。11月28日、自民党の甘利明選対委員長は、党本部で広島県連会長の宮沢洋一元経済産業相と会談し、「何とか2人目の擁立をお願いしたい」と要請した。

同様の参議院2人区は、広島の他に、茨城、京都、静岡があったが、このうち、前回選挙まで自民党と野党が1議席を分け合い、自民党が、野党候補にダブルスコアで圧勝し、共倒れの恐れもないという点で共通しているのが広島と茨城だった。この頃、自民党本部が、広島、茨城の両選挙区で2人目の候補擁立を模索しているかのような報道もあったが、実際には、茨城選挙区では、2人目の候補者の擁立の動きが現実化することはなく、党本部は、2人区での2人目の候補擁立を強く求めていたのは、広島選挙区だけだった。

これに対して、自民党広島県連側は、98年参院選で亀井郁夫氏と奥原信也氏の2人が立候補し、県連の組織が分裂し、大きな禍根を残したことなどもあり、2人目の擁立には強く反対していた。

2019年2月19日、甘利選対委員長は、自民党の岸田文雄政調会長と国会内で会談し、同年夏の参院選広島県選挙区に向けて現職の溝手氏のほか2人目を擁立することについて理解を求めた。この際、広島県選挙区の2人目の候補者として薬師寺道代参議院議員、広島県議会議員の河井案里氏の名前が挙がったが、その後、愛知2区を地盤とする田畑毅衆議院議員が準強制性交容疑で刑事告訴され、3月1日に衆議院議員を辞職したため、薬師寺氏は田畑氏の後任を狙うこととなった。3月2日、自民党は河井を擁立する方針を固め、同年3月12日、案里氏が、参議院選挙の広島選挙区の自民党公認候補としての立候補を表明し、20日に出馬の記者会見を行った。案里氏は、県議を辞めてミラノにファッションの勉強をしに行こうと思っていたとも報じられている。案里氏側は、もともと参議院選に立候補の意思はなく、自民党本部からの要請で、克行氏がこれに応じたという経過だったようだ。

自民党県連応援拒絶で厳しい選挙情勢

案里氏は、2019年参院選の広島選挙区の2人目の自民党公認候補として出馬表明したのであるが、常識的には、この出馬はかなり無謀なものであった。

安佐南区選出の広島県議会議員だった案里氏が2015年の県議会議員選挙で獲得した票数が2万700票余り、その安佐南区を含む衆議院広島3区選出だった克行氏が前の選挙で得た票が約8万票であり、参議院広島選挙区での当選のために最低でも必要となる25万票程度の票には遠く及ばなかった。

しかし、広島県連は、溝手氏支持で一本化されており、案里氏を一切応援しない方針を明らかにしていたため、広島県内の自民党系政治家の支援を得ることは困難だった。

このような状況に関して、克行氏の弁護人冒頭陳述では、以下のように述べている。

通常、広島県連では、参議院議員選挙が近づくと、衆参国会議員が立候補予定者あるいは候補者のもとに、数名の秘書を派遣して、党勢拡大活動や地盤培養活動などの政治活動の支援をし、選挙運動期間中には選挙運動の応援等をしていた。また、県連の要請により、広島県連職員、各種支持団体の関係者なども派遣されて同様の活動を行っていた。

これに対し、案里については、公認が大幅に遅れたため、周知のための政治活動期間・立候補のための準備期間が明らかに不足していたが、広島県連からの上記のような人的な支援が得られなかったことから、後援会の設立や組織作り、後援会員の加入勧誘、政党支部の事務所立上げなどの政治活動や選挙運動に従事することとなる人員確保など体制作り自体に苦労する状況にあり、必然、県議、衆議院議員として長い政治家としてのキャリアを有する被告人が、その人脈を頼って、それら案里のための活動を行わざるを得なかった。

そして、それに続いて、

公認を受けた候補者は、選挙区に該当する支部を割り当てられ、党勢拡大・地盤培養等の政治活動を行うとともに、政党支部事務所を立ち上げて、後援会活動を行うなどして、その存在と人柄を周知し、自らの信条・政見を浸透させていくものであるところ、平成31年3月以降、被告人及び案里らが行ってきた諸活動は、正にこうした政治活動にほかならない。

と述べている。

つまり、参議院広島選挙区の自民党公認候補なのに自民党広島県連の組織の応援が全く得られないという「特殊な状況」にあったことから、県議、衆議院議員として長い政治家としてのキャリアを有する克行氏が、その人脈を頼って案里氏の支持拡大ための「諸活動」を行うにも、大きな制約があったのである。

克行氏の行為について、国政選挙に際して「国会議員自身」が「現金」を供与したことが、「あり得ない行為」と批判されているが、それは、上記のような「特殊な状況」にあったからであり、資金の性格は、一般的な自民党公認候補の選挙の場合と異なるところはないというのが、克行氏の弁護人の主張なのである。

では、なぜ、そのような厳しい情勢であったのに、克行氏が、妻の案里氏を2人目の自民党公認候補として出馬させることを決意したのか。なぜ、国会議員自身が現金を配布して回るという露骨な行為に及んだのか。

その背景として考えられるのは、それぞれ、2人目の候補に出馬させ、当選させることで、現職の溝手氏に対抗馬を立て、できれば落選させようとする動機があった安倍氏と菅氏が、克行氏に、案里氏の出馬を要請したことが推測される。

安倍晋三氏と溝手顕正氏との確執

まず、安倍氏にとっての動機である。

第一次安倍政権下の2007年7月の参院選で、安倍首相率いる自民党は小沢民主党に惨敗した。当時防災担当大臣だった溝手顕正氏は会見で、続投の意向の安倍首相について、「首相本人の責任はある。本人が言うのは勝手だが、決まっていない」と痛烈に批判した。その後の9月に、安倍氏は、突然、首相を辞任する「政権投げ出し」に至る。

そして、2009年9月の総選挙で自民党は民主党に惨敗、民主党政権発足後の、2010年、溝手氏は、参議院自民党幹事長に就任した。

2012年2月、溝手氏は、記者会見で、消費税増税関連法案への賛成と引き換えに衆院選を迫る「話し合い解散」に言及した安倍晋三元首相に関し「もう過去の人だ。主導権を取ろうと発言したのだろうが、執行部の中にそういう話はない」と述べた。

安倍氏は、同年9月の総裁選挙で、自民党総裁に就任し、同年11月の総選挙で自民党が圧勝し、第二次安倍政権が発足したが、上記のような経緯から、安倍氏は、溝手氏に、強い恨みを持っていたとされている。

定員2の広島地方区の選出では、自民党1、野党1で議席を分け合う展開が続いており、2013年7月の参議院選挙でも、溝手氏の当選は確実とみられていた。安倍氏は、その広島地方区に、2人目の候補を立てることを、当時の自民党幹事長の石破茂氏に提案したが、石破氏の反対で断念した。5期目の当選を果たした溝手氏は、自由民主党参院議員会長に選出されたが、選挙後の参議院議長就任が有力視されていた2016年7月の参議院選の直前に、失言問題などを理由に会長を更迭され、同年8月、3期目の伊達忠一が参議院議長に就任した。

2019年7月の参議院選挙で、溝手氏が6期目の当選を果たせば、伊達氏の後任の参議院議長就任は確実とみられていた。その時点では当選7回の山東昭子氏が最多だったが、山東氏は比例区選出で、「比例区の70歳定年制」の関係で公認困難とみられていたのが、同選挙で定年制が棚上げされて山東氏も公認されたもので、溝手氏が当選すれば、山東氏が参議院議長に就任することはなかった。

参議院議長は、内閣総理大臣にとって「同格」とも言える地位であり、積年の恨みのある溝手氏が、参議院議長に就任することは耐え難いことであり、何としても阻止したかったものと思われる。

菅義偉氏と岸田文雄氏との確執

次に、菅氏にとっての動機である。

菅氏は、第2次安倍政権の官房長官を務めたが、安倍首相の後継候補としては、岸田氏が筆頭と目されていた。2018年9月の総裁選挙でも、岸田派内では岸田氏に出馬を求める声も強かったが、それを抑えて、出馬を断念したのも、安倍退陣後の後継指名を狙ったものとされていた。一方の菅氏は、2019年4月1日、官邸での記者会見で、「新しい元号は『令和』であります」と発表したことで、「令和おじさん」として注目され、5月上旬には、官房長官としては異例の訪米を行い、アメリカ政府首脳と会談したことで、安倍後継候補の一人として注目されるに至った。この頃から、岸田氏と菅氏の対立が取り沙汰されるようになった。

2019年7月の参議院選挙で、案里氏が広島選挙区の2人目の候補として出馬表明をし、選挙に向けての活動を開始したのが、ちょうど同じ時期であり、現職の溝手氏が、岸田派の重鎮、案里氏の夫の克行氏が、前記のとおり、「きさらぎ会」を通じて菅氏と関係が深いことから、この選挙戦は、菅官房長官VS岸田政調会長の「代理戦争」とも言われ、その結果、案里氏が当選し、溝手氏が落選したことで、岸田氏はポスト安倍の争いで大きく後退したと言われた。

そして、同年9月の内閣改造では、克行氏が法務大臣、菅原一秀氏が経産大臣として入閣し、菅氏の政治権力は一層高まったとみられていたが、同年10月に、いずれも週刊文春の記事による疑惑追及によって大臣辞任に追い込まれた。この菅氏と親しい大臣の連続辞任の背景には、岸田氏と開成高校の同窓の北村滋氏の暗躍があったなどとの憶測もあった。

そして、この菅氏と岸田氏の安倍後継をめぐる争いは、安倍首相辞任表明の後、二階自民党幹事長が、いち早く「菅支持」を打ち出し、安倍首相が岸田氏への後継指名をしなかったことから、総裁選では菅氏優位は動かない情勢となっている。

案里氏当選をめざすために何が必要だったのか

安倍氏には、溝手氏に対する積年の恨みがあり、その溝手氏が、それまでの選挙と同様に、野党と2議席を分け合う楽な選挙で当選し、参議院議長にせざるを得ない事態は何としても避けたかったはずだ。一方の菅氏は、案里氏を出馬させ、岸田派の重鎮の溝手氏を落選させれば、安倍首相後継争いで岸田氏に対する優位を強烈にアピールできる。そういう意味で、安倍・菅両氏には、案里氏を2人目の候補として出馬させて当選させ、溝手氏を落選させようとする十分な動機がある。

県連の応援が一切受けられないという厳しい状況で、克行氏が、妻の案里氏に参院選出馬に応じさせることにしたのは、安倍氏、菅氏からの要請があったからであり、また、そのような厳しい状況において、案里氏をどうやって当選させるのかについて、具体的な方法についても、安倍氏・菅氏それぞれと十分な話合いが行われ、可能な限りの支援の約束が得られ、当選の見込みも十分にあると判断したからこそ、案里氏に出馬させることを決意したはずだ。

では、案里氏が参院選に出馬表明したこの時点で、当選をめざす活動を行っていくことに関して、どのようなことが必要だったのか、実際に、どのようなことが行われたのか、当時の状況を踏まえて考えてみよう。

案里氏が出馬表明した2019年3月の段階で、当選をめざすための実質的な活動として、以下のようなことを行う必要があった。

(1)選挙に向けての政治活動の拠点の設置、案里氏の知名度を高めるためのポスター、パンフレット、チラシ等の印刷配布

(2)克行氏の選挙区である広島3区で、自己の地元支持者の案里氏への支持を確実なものとし、参議院選挙に向けての支持拡大のための集会・会合を開くなどの活動してもらうこと

(3)広島3区以外の県内の議員・首長等の政界有力者に、案里氏への支持・支援を要請すること、県内全域での案里氏の支持拡大のための集会・会合等の政治活動に協力してもらうこと

(4)県内の有力な企業・団体に、案里氏支持・推薦を依頼すること

(5)公示日以降の「直接的選挙運動」のための選挙事務所の設置、選挙運動用の車両の確保、電話等の設置、運動員の雇用

克行氏・案里氏の支持票だけでは、当選に必要な票数とはかけ離れており、広島県連から案里氏の応援が一切受けられないという状況で、当選をめざすためには、上記(1)~(5)は最低限必要であり、これらが実際に行われたからこそ、案里氏が当選できたはずだ。 それに加えて、

(6)自民党と連立を組む公明党の組織票を、案里氏に重点配分してもらうこと

が、当選のために極めて有効だった。前回の参議院選では、公明党支持者が投票する自民党候補者は溝手氏しかいなかった。公明党側で何の指示も行われなければ、公明票の多くは溝手氏に投票したはずだが、マスコミの出口調査では、広島選挙区の公明党支持者の7割以上が案里氏に投票したとの結果が出ており、自民党側から公明党側に案里氏に投票するよう要請が行われたことが推測される。公明党側への案里氏の支援の要請も、極めて重要な意味を持つものであった。

では、案里氏の選挙では、(1)~(6)に関して、どのような問題があったのか。

まず、広島県下全域で(1)~(5)を十分に行うためには多額の費用がかかったはずだ。それをどのようにして賄ったのか。

選挙管理委員会に提出された選挙運動費用収支報告書によれば、公示日以降のこの直接選挙費用だけでの総額は約2689万円である。それより長期間にわたる公示日までの「政治活動」を県全域で行おうと思えば、その数倍の費用がかかったものと考えられる。後に法務大臣に就任した際の克行氏の資産公開では、二人にめぼしい資産はなく、選挙の際に借りたと思われる総額およそ5000万円の借入金があった。

そして、上記のように広島県連の応援が一切受けられないという状況において、(4)の推薦依頼の実行を効果的に行える人的体制の確保という「ヒト」の問題に加えて、(2)(3)の「政治活動」を依頼するための資金を、誰がどのように提供するかという「資金提供の方法」の問題があった。

要するに、(1)~(5)について、多額の資金をどう確保するかという「カネ」の問題、 (4)の推薦依頼の実行を効果的に行える部隊の確保という「ヒト」の問題に加えて、(2)、(3)の「政治活動」の資金を県内の有力政治家に提供するという「資金提供の方法」、という3つの問題を解決する必要があった。

このうち、「カネ」については、自民党本部から十分な選挙資金を提供することになり、溝手氏の選挙資金の10倍の総額1億5000万円が克行氏、案里氏の政党支部に選挙資金として送金された。「ヒト」については、県内の各所に所在する企業・団体を訪問して支持・推薦を呼び掛けるために、安倍首相の秘書4人が広島に選挙応援に派遣され、案里氏への推薦依頼状を持って、県内の企業団体を回った。

残る問題が、党本部から潤沢に提供された選挙資金を活用して、県内の議員・首長等の有力政治家に資金を提供する「資金提供の方法」だった。広島選挙区の自民党公認候補であれば、通常は、広島県連が中心となって、所属の国会議員、地方議員等に支援・応援を呼び掛け、そのための活動資金を、自民党本部から県連を通じて政党支部や資金管理団体というルートで提供する。しかし、県連が案里氏を一切応援しない方針を明らかにしていたため、案里氏の選挙のための資金ではそのルートは使えないということになる。では、どうやって資金を提供するか。「案里支持拡大に向けての政治活動のための資金」という趣旨を認識して受け取ってもらうためには、克行氏自身が直接現金を手渡す以外に方法がなかったのである。それが克行氏本人が多額の現金を配布するという今回の事件につながった。

案里氏選挙への安倍氏の関与

では、安倍氏と菅氏は、このような案里氏の選挙に向けての活動に、実際に、どのように関わったのか。

「首相動静」によれば、安倍氏と克行氏は、案里氏の参院選出馬が決まる前後の2月28日と3月20日、首相官邸で単独で面談している。ここでは、安倍氏の重大な関心事であった案里氏の参議院選立候補のことが話題に出ていないとは考えられない。当選に向けて最低限必要となる(1)~(5)の活動をどのようにして行っていくかについても話し合われたからこそ、1億5000万円の党本部からの選挙資金の提供が行われ、安倍氏の秘書の広島への選挙応援が行われたものと考えられる。

弁護人冒陳に書かれているように、克行氏の議員・首長等への現金供与が「党勢拡大・地盤培養等の政治活動を行うとともに、政党支部事務所を立ち上げて、後援会活動を行うなどして、その存在と人柄を周知し、自らの信条・政見を浸透させていく」ための活動として、行われたのだとすれば、県連の応援が一切受けられない状況においては、「資金提供の方法」として、そのような方法しかとり得なかったことを、安倍氏も認識していたはずである。その上で、何とかして案里氏を当選させることに協力し、1億5000万円の選挙資金を提供し,秘書を選挙応援に行かせていたと考えられる。

案里氏選挙への菅氏の関与

一方、菅氏については、「首相動静」のような情報は公開されておらず、選挙期間中に案里氏の応援のため2回も広島を訪れたこと以外は、案里氏にどのような支援を行い、それについて、克行氏とどのような接触の場があったのか詳細は不明だ。

しかし、当選の決定的な要因となった(6)の公明票の案里氏への重点配分に関しては、現代ビジネス【首相のイスは見えた…菅官房長官がふるう「圧倒的権力」の全貌】によると、菅氏が、昵懇の仲と言われる創価学会佐藤浩副会長に案里氏の支援を要請、佐藤氏は広島の学会及び公明党に、案里氏を支援するよう指示を出したことで、広島での公明票の大部分が案里氏に投じられたとされている。同記事によると、

広島での案里氏支援の見返りに、公明党が苦戦していた兵庫選挙区で、菅氏が、公示前後に3回も神戸入りしたほか、本来は自民党支持である住宅や運輸・港湾関連の業界団体票を公明党に回した。その余波で自民候補は最下位の3位当選。肝を冷やした自民党の兵庫県連内からは、「菅長官は自分の利益のために党を公明党に売り渡した。長官を処分してもらいたいくらいだ」といった菅批判の声が沸き起こった

とされている。

上記の記事のとおり、菅氏が、広島選挙区で公明票を自民候補者の一方の案里氏に重点配分するよう依頼したとすれば、広島県連の応援が一切得られない状況での厳しい選挙中で、上記の(1)~(5)について、どのような活動が行われているかを確認した上で、最終手段として(6)の公明票の支援の要請を行ったはずだ。その点について、克行氏から説明を受けていたはずである。

そうであれば、克行氏自らが、案里氏への支持拡大・地盤培養のための政治活動のための資金供与を行っていることなど、選挙情勢や選挙活動の状況についても十分に認識し、あと一歩で当選が可能になると認識していたからこそ、公明党側への案里氏への投票の依頼を行ったとの推測が合理的に働く。

「公選法違反否定の見解」について「黒川氏見解」が出された可能性

克行氏という当選7回の国会議員が、なぜ、「自ら」直接多額の現金を配布して回るという「大胆不敵」で「露骨」な行動に及んだのかという点について、【“崖っぷち”河井前法相「逆転の一打」と“安倍首相の体調”の微妙な関係】では、急遽、妻の案里氏を参院選の候補として公認したものの、極めて厳しい状況を打開するためには、現金を配布して党勢拡大・地盤培養を図るしかないとの認識を、安倍首相と共有していたからではないか、との推測を述べた。

それに加えて、もう一つ考えられるのは、克行氏の側に、「公示から離れた時期の議員・首長等への現金配布が公選法違反で摘発されることはない」との「法務・検察幹部」の見解を聞かされていた可能性が考えられる。

具体的には「官邸の守護神」と言われ、官房長官の菅氏に様々法律的な助言をしていたとされる黒川弘務氏であれば、菅氏の側に、そのような見解を伝える可能性がある。

これまでの記事でも再三述べてきたように(【河井前法相“本格捜査”で、安倍政権「倒壊」か】など)、公示から離れた時期の克行氏の議員・首長等への資金供与は、現金によるものであっても「地盤培養行為」としての政治活動のための寄附と主張される可能性があるということで、これまでは、公選法違反の摘発の対象とはなって来なかった。仮に、黒川氏が官房長官の菅氏に尋ねられれば、同様の見解を述べた可能性が高い。それが、克行氏に伝わっていたからこそ、相当な自信を持って「大胆」かつ「露骨」な現金配布を行ったのではなかろうか。

克行氏にとっても、検察ナンバー2の東京高検検事長の職にあり、官邸の意向で検事総長就任が予想され、しかも、前任が法務省事務次官で法務省も事実上コントロールできる黒川氏の見解ほど心強いものはなかったはずだ。

そういうことでもなければ、「大胆不敵」「露骨」な克行氏の行動を理解することは困難なのである。

しかし、その後の展開は、克行氏の想定とは全く異なるものとなっていった。

2019年10月案里氏の「車上運動員買収事件」が週刊文春で報じられ、克行氏が法務大臣を辞任した後、同年末に、案里氏の公選法違反事件での捜査が始まり、2020年1月中旬には、克行氏の議員会館事務所も含めて捜索が実施され、克行氏の現金配布も捜査の対象とされていることが明らかとなった。

しかも、その捜査の主体は、広島高検管内の広島地検特別刑事部であり、東京高検検事長の黒川氏は「蚊帳の外」だった。2月初めまでには、稲田検事総長が勇退して、黒川氏が後任の検事総長に就任するというのが官邸の意向だったが、その意向に反し、稲田総長は勇退せず、黒川氏のために「前代未聞の検事長定年延長」という「禁じ手」まで使われた。しかし、そのような政権の検察人事への露骨な介入に対して、世の中からは激しい批判が浴びせられ、それでも、官邸は黒川氏の検事総長就任にこだわっていたが、官邸と対立する検察当局は、克行氏の事件の捜査の手を緩めなかった。そして、黒川氏は、「賭け麻雀問題」が週刊文春に報じられて辞任に追い込まれ、黒川氏が去った東京高検の指揮下で、河井夫妻が公選法違反で逮捕されるに至った。

克行氏が実刑を免れる唯一の手段は公判で「事件の真相」を供述すること

前記記事】でも述べたように、検察側、弁護側の冒頭陳述を比較した限りでは、検察側有利であり、克行氏側の本件現金配布が「投票及び票のとりまとめ」を依頼するものではなく、党勢拡大・案里氏への支持拡大・地盤培養のための政治活動の寄附だったという弁解が認められる可能性は低い。弁護人冒陳での主張は、広島での選挙における一般論に過ぎず、それを裏付ける事実がない。そして、克行氏の起訴事実の大部分が有罪となれば、買収金額から言っても、実刑となる可能性が高い。

克行氏が、実刑を免れる唯一の方法は、案里氏の選挙に向けての活動の全貌について、事案の真相を供述し、議員・首長への現金供与は、党勢拡大・案里氏支持拡大の地盤培養のための政治資金だとする主張の背景、経緯を、安倍氏・菅氏の関与も含めて具体的に供述することだ。

それによって、上記の弁護側主張は、単なる一般論・抽象論ではなく具体的な裏付けを持つこととなる。広島選挙区での自民党の2人目候補擁立の経緯、案里氏立候補に至る経緯、そして、広島県連が案里氏を一切応援しない旨決議していたことなどからすれば、広島県政界の議員・首長等の有力者に対しては、克行氏自身が現金で配布するしかなかった事情も十分合理的に理解できることになる。

克行氏の無罪主張にとって最大の弱点は、業者に、パソコンデータを復元不可能な状況に消去するよう依頼し、供与対象者及び供与金額を記載したリストを含むフォルダ「あんり参議院議員選挙‘19」のデータを復元不可能な状態に消去したことだが、これについても、本件の現金供与が、安倍首相の了解を得た上で行われたものだとすれば、選挙買収に当たると認識していたから消去したのではなく、一国の総理も関与した「資金の提供」についての決定的証拠を、捜査機関の手に渡すことができないと考えたが故の行動だったという説明も可能となる。

それによって、議員・首長への現金配布という、起訴事実の3分の2以上を占める公選法違反事実が無罪になることも考えられる。また、仮に、有罪であっても、一般的な現金買収とは全く性格の異なるものだと認められ、しかも、被告人が公判廷で述べたことが、背景・経緯も含む「事件の真相」だと認められれば、情状面でも大幅に有利となり、執行猶予となる可能性も十分にあるだろう。

克行氏には、本稿で私が書いてきたことを十分に理解した上で、公判で何を供述するかを考えてもらいたい。それは、克行氏が、実刑判決を受けるのか、執行猶予判決を受けるのか、という本人にとって重大な利害に関わる問題である。克行氏の弁護人は、十分に説明して、被告人自身に、どのような供述をするのかを判断させるべきだ。弁護人が、もし、選任の経緯等から自民党側にも何らかの配慮をする立場にあり、克行氏に、その点について十分な説明をしないまま公判供述を行わせるなどということは、弁護士倫理上許されることではない。

そして、もし、克行氏が、公判で「事件の真相」について供述し、それによって、安倍氏・菅氏の関与等が具体的に明らかになった場合は、検察による聴取や河井夫妻公判での証人尋問が行われる可能性も十分にある。

河井夫妻公判が自民党総裁選、解散総選挙に与える影響

安倍首相の辞任を受けて、後継総裁を決める自民党総裁選挙は、明日(9月8日)告示される。一方で、東京地裁では、河井克行・案里氏の公選法違反事件の公判の証人尋問が始まり、二人の元自民党国会議員は身柄拘束のまま、審理に臨んでいる。

これまで述べてきたように、「克行氏の現金供与は党勢拡大・案里氏支持拡大の地盤培養のための政治資金」とする弁護人冒陳の主張を前提にすれば、そのような政治資金の提供は、安倍首相の了承の下で行われたものと考えざるを得ない。また、官房長官の菅氏も、そのような選挙に向けての活動を十分に認識した上で案里氏を全面的に支援していた可能性が十分にある。そして、克行氏の「大胆不敵」かつ「露骨」な現金配布は、菅氏を通して提供された「法的見解」が影響していた可能性もある。そして、その見解が、菅氏を中心とする官邸が、検事総長に就任させようと意図していた黒川氏から提供されていた可能性もある。

克行氏が、今後の公判で、事件の真相を自ら供述するかどうかはともかく、いずれにせよ、党勢拡大・案里氏支持拡大のための資金の提供は、候補者個人の問題ではなく、「自民党の選挙資金の提供の在り方」に関わる問題であり、総裁選挙で選出された新総裁は、自民党としての案里氏の選挙資金の拠出について調査を行い、党としての選挙資金の提供の在り方について検討し、是正する必要がある。河井夫妻事件を引き起こした従来のやり方のままでは、自民党として選挙に適切に対応できないことは言うまでもない。今、しきりに取り沙汰されている新総裁選出後、首班指名後の、「早期解散」など到底できないことは言うまでもない。

いずれにせよ、首相辞任を表明した安倍氏にとっても、「安倍政権継承」を明確に打ち出している菅氏にとっても、克行氏の公選法違反事件の公判は、重大なリスクだと言える。

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すてきナイス金商法違反事件、ゴーン事件と共通する「強引な刑事立件」「人質司法」の構図

9月4日午後2時から、横浜地裁で、すてきナイスグループ株式会社(現ナイス株式会社、東証1部)の金融商品取引法違反事件の第1回公判が開かれた。被告人の平田恒一郎元会長、元社長、被告人会社は、いずれも全面無罪を主張した。

昨年5月、横浜地検特別刑事部が、同社事務所の捜索を実施、7月25日に、平田氏らが逮捕された。平田氏は、一貫して容疑事実を否認したまま起訴された。慢性骨髄性白血病、内臓疾患等の持病を抱えていたが、検察の強硬な反対で保釈は許可されず、横浜拘置支所での接見禁止のまま勾留が続いていた。9月初めに主任弁護人を受任した私の最初の仕事は、平田氏を「人質司法」から救い出すことだった。

その後、平田氏の体調はさらに悪化、身体中に浮腫(むくみ)が生じ手足も瞼も腫れ目も開け難い状態となり、房内で24時間横臥が許可されるほど衰弱していった。そこで、保釈請求では、平田氏の供述内容・主張を整理して、罪証隠滅のおそれがないことを明らかにした上、健康状態の極度の悪化を理由に保釈の必要性を強く訴えた。検察官は、保釈に強く反対する意見を出したが、裁判所は保釈を許可、検察官の準抗告も棄却され、平田氏は、10月18日夜遅く、逮捕から86日ぶりに釈放された。都内の病院に運び込まれた平田氏は肺にも多量の胸水が貯留するという深刻な病状で極端に衰弱しており、そのまま緊急入院となった。

検察は、このような極端に体調が悪化した被告人でも、無罪主張の姿勢を変えない限り、保釈に強く反対し続ける。それは、日本の「人質司法」の恐ろしい現実である。

それ以上に問題なのは、このような残酷な「人質司法」での身柄拘束の根拠とされていた検察の起訴事実の内容だった。2015年3月期のすてきナイスの連結決算で「ザナック」という会社への不動産の売上が約30億円計上されていたが、横浜地検の強制捜査を受けて、同社は第三者委員会を設置し、「ザナックへの売上計上は会計上不適切」とする調査報告書を受け、対象売上を除外する過年度決算の訂正を行っていた。そういう意味で、その点の会計処理が不適切であったことは、同社も認めていた。また、平田氏も、当時、消費税増税の影響で住宅販売が落ち込み厳しい状況であったことから、ザナックへの不動産売却には「決算対策」を目的として行った取引が含まれていることは否定していない。ただ、それは、会計処理として問題ないことについて監査法人にも確認しているとの報告を受けた上で了承したものだった。

結果的に「不適切な会計処理」とされた取引があったからと言って、そのまま「粉飾決算の犯罪」とされるわけではない。2015年に発覚した東芝会計不正事件のように、歴代3社長が現場に圧力をかけるなどして、経営判断として不適切な会計処理が行われ、「経営トップらを含めた組織的な関与」による利益操作が1562億円にのぼるとされたのに、検察の消極意見で刑事事件とならなかった例もある。

すてきナイスの問題は、「粉飾決算」として刑事事件にすべきようなものでは全くない、単なる会社の「会計処理上の問題」に過ぎなかったのに、それが強引に刑事事件として立件されたものだった。

起訴状では、「架空売上の計上」によって有価証券報告書に虚偽の記載をしたとされていたが、ザナックへの売上が、なぜ「架空売上」になるのか、全く理解できなかった。昨年10月から、公判審理に向けて争点整理等を行うため、裁判所・検察・弁護三者間の打合せが行われ、弁護側から検察の主張の根拠を問い質した。ところが、検察は、ザナックへの売上は「取引の実態がない」「売買意思がない」との主張を繰り返すのみであった。ザナックという会社は、中古マンションを買い取ってリフォームして再販売する事業を営む会社であり、取引の実態もある。なぜ、そのザナックとの取引が「実態がない」ということになるのか、弁護側は、繰り返し検察に釈明を求め、打合せは11ヵ月にも及んだが、結局、検察は合理的な説明を行うことができず、初公判に至った。

初公判では、検察が「取引の実態がない」「売買意思がない」との主張について、冒頭陳述でどのような事実を主張するかに注目していた。ところが、検察官冒陳は、ザナックとの取引の経緯や、それをすてきナイスの売上として計上して有価証券報告書に記載した経緯など、ほとんど争いがない事実ばかりをダラダラと述べただけだった。「取引の実態がない」「売買意思がない」という言葉自体すら冒頭陳述には全くなかく、この点についての立証を放棄したのかとすら思える内容であった。

これに対して、弁護側からは、「そのような検察官の主張は論理破綻している」と主張した。平田氏の弁護側冒陳の、関連部分を引用しよう。

 

第2 有価証券報告書の虚偽性についての検察官の主張の論理破綻

 検察官は、被告会社とザナックとの間の対象取引が「架空取引」だとする根拠について、「売買意思がない」「取引の実態がない」などと主張している。

 しかし、本件対象取引については、売主の被告会社と買主のザナックとの間で、不動産の売買契約が行われ、所有権がザナックに移転し、その後、被告会社側の販売代理によって最終顧客に販売されているものである。被告会社とザナックとの売買取引が民事上有効であることは明らかであり、最終顧客側も、ザナックが売主であると認識して不動産を買い受けているものである。売主のザナックは、顧客に対して瑕疵担保責任など、売主としての民事上の責任を負担するものであることは言うまでもない。

 また、対象取引についてザナックから被告会社への売買代金支払について、被告会社の100%子会社のナイスコミュニティー株式会社(以下、「ナイスコミュニティー」)からザナックに対する融資が行われているが、同融資取引は、貸金業登録を行っているナイスコミュニティーからの融資として所定の手続を経た上で行われ、ザナックが購入した不動産を最終顧客に販売して得た売却代金によって融資金の返済が行われている。

 本件各取引がすべて架空で実態がないとする検察官の主張は、これらの民事上の法律関係を無視し、民事関係から切断した「刑事事件に関する独自の法律評価」を行おうとするものにほかならない。

 検察官は、平成27年3月期において、被告会社が計上したザナックへの売上をすべて「架空取引」と主張しているものであるが、本件各取引には、程度の差はあれ、被告会社の決算対策(合法的に決算上の利益を確保するための措置。以下「決算対策」はこの意味で用いる。)という側面もあったことは否定できないが、取引の経緯・目的は様々であり、また、被告会社グループ外の会社を共同売主とする取引もある。共同売主による一つの売買契約について売買意思が共同売主の一方にあって他方にはない、ということはあり得ないのであり、「売買意思がない」との検察官の主張が論理的に破綻していることは、この点からも明らかである。

 民事上有効であることは疑いの余地がない本件取引について、被告会社とザナックとの関係等から、被告会社の売上に計上することが会計処理として認められないと判断されることはあり得る。しかし、その場合、売上計上ができないことの会計基準上の根拠が示されなければならないのは当然である。

 ところが、検察官は、本件有価証券報告書虚偽記載の公訴事実に関して、本件公判前の打合せにおいて、再三にわたって、弁護人及び裁判所から、本件取引についての売上計上が認められないことの「会計基準上の根拠」を示すよう釈明を求めたにもかかわらず、その点について一切釈明せず、それが示せないのであれば公訴取消を行うべきとの指摘も無視し、「本件各取引の実態が存在しない、売買意思がないとの主張である」旨の説明を繰り返してきた(そのため、公判前の打合せは11ヵ月に及んだ)。

 検察官が、かかる主張に固執する理由は、本件各取引の売上計上が有価証券報告書の虚偽記載だとする根拠を、会計基準上の根拠に求めた場合、それを、会計の専門家ではない被告人らが認識していなかったことは明らかで、監査法人が適正意見を出している本件有価証券報告書の虚偽性についての被告人らの犯意、虚偽性認識を立証することが困難だからだと思われる。

 そこで、「取引の実態がない」「売買意思がない」などと取引の実態を根拠として主張することで、被告人らの犯意、認識を立証しようと考えたのかもしれない。しかし、そのような検察官の主張が、そもそも論理的に破綻しており、証拠上も、そのような取引の実態を認める余地は全くない。

 本件は、令和元年5月16日に、有価証券報告書虚偽記載の容疑で、横浜地方検察庁よる強制捜査が行われたことを発端とするものであるが、その時点において、被告会社代表取締役社長は「物件の売却は通常の取引で、粉飾決算にはあたらない」とコメントし、その後、第三者委員会を設置し、同委員会調査報告書において、「実現主義の原則(企業会計原則第二損益計算書三B)」に基づき、本件各取引について「被告会社の平成27年3月期の売上には計上できない」との判断が示されたことを受け、同年度について過年度決算訂正を行った。

 一方で、本件で法人として起訴された被告会社は、両被告人と同様に、本件各取引について、「取引の実態がない」「売買意思がない」とする検察官主張を争う姿勢である。

 会計基準を根拠とする第三者委員会調査報告書の指摘に基づいて、本件各取引の売上計上を除外する過年度決算訂正を行った被告会社にとっても、検察官の上記主張は、取引の実態に反し受け入れ難いものなのであり、かかる被告会社の対応は、検察官の主張が、凡そ実態とはかけ離れ、荒唐無稽であることの証左と言えよう。

 本件は、被告法人が設置した第三者委員会によって、監査法人の適正意見が付されていた被告会社の決算報告に、会計基準に照らして問題があるとの指摘が行われ、被告会社が行った「過年度決算訂正事案」を、刑事事件としての「粉飾決算事案」と誤認した検察官が、被告人らを強引に逮捕・起訴した上、各弁護人からの指摘にも耳を貸さず、上記のような荒唐無稽な事実主張を繰り返しているものである。

 本件が、被告人らが有価証券報告書虚偽記載の刑事責任を問われるような事案ではないことは明白であり、速やかに、無罪判決が言い渡されるべきである。

 

この事件には、日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏が、グレッグ・ケリー氏とともに東京地検特捜部に逮捕・起訴された事件と共通の構図がある。

ゴーン氏事件では、「退任後の役員報酬についての有価証券報告書の虚偽記載」という、従来の検察実務を逸脱した常識外れの事件を、強引に刑事事件に仕立て上げて、国際的経営者のゴーン氏らを逮捕した。このすてきナイス事件も、凡そ刑事事件とすべきものではないという点では同様だ。

そして、検察は、ゴーン氏の事件では、全面否認を続けるゴーン氏の再逮捕を繰り返し、保釈に強硬に反対して身柄拘束を長期化させるという「人質司法」で無罪主張を抑え込もうとした。起訴事実を全面否認する平田氏を、体調が極度に悪化しても保釈に強硬に反対し、「人質司法」による苦痛で無罪主張を抑え込もうとしたやり方も、ゴーン氏の事件と共通している。

大きく異なるのは、被告人会社側の対応である。ゴーン氏事件では、日産と検察とが結託して「ゴーン会長追放クーデーター」を敢行したと考えられ、日産側は、ゴーン氏、ケリー氏とともに起訴された刑事事件の公判では、すべて検察主張を全面的に認める姿勢だった。それによって、被告人会社が「自白事件」として、ゴーン氏・ケリー氏の公判と分離され、早期に有罪判決を確定させることができれば、ゴーン氏らに対して無罪判決が出しにくくなるというのが、検察の目論見だった。しかし、裁判所が、「会社も含め併合のまま審理する」との方針を示したことから、会社側も無罪主張のゴーン氏・ケリー氏の公判に付き合うことになり、検察の目論見は外れた(【令和の時代に向けて日本の刑事司法“激変”の予兆~「日産公判分離せず」が検察と日産に与えた“衝撃”】)。

すてきナイス事件では、会社側は、検察の強制捜査後に第三者委員会を設置して、不適切な会計処理を認め、過年度の売上を一部取り消す等の有価証券報告書を訂正し、課徴金納付命令を受け入れるなどしているが、検察の主張は受け入れずに無罪主張をしている。会社として行った不動産取引に「実態がなかった」などという主張は、さすがに会社としても受け入れることができないということであろう。刑事事件では、会社側も、無罪を主張しているのである。このことは、今後の公判の展開に大きく影響すると考えられる。

このすてきナイス事件での今後の検察の対応と公判の展開には、ゴーン氏とともに起訴され、レバノン不法出国によって一人日本に取り残されたグレッグ・ケリー氏のこれから始まる金商法違反事件公判とともに、検察が独自に立件する事件の捜査での「検察の在り方」を問うものとして、注目していくべきだろう。

 

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河井前法相初公判全解説~「安倍首相の体調」との関係は?

昨日(8月25日)、河井克行(前法相)衆院議員(以下、「克行氏」)と、妻の河井案里参院議員(以下、「案里氏」)の公職選挙法違反事件の第1回公判が東京地裁で開かれた。両氏は、検察の起訴事実の現金供与の外形的事実を概ね認めた上、「投票又は票の取りまとめ等の選挙運動を依頼する趣旨で渡したものではない」と述べて起訴事実を否認し、無罪を主張した。

この事件については、広島での検察捜査が克行氏に向けて本格化していることが明らかになった今年4月に【河井前法相“本格捜査”で、安倍政権「倒壊」か】で最初に取り上げ、河井夫妻が逮捕された時点では【検察は“ルビコン川”を渡った~河井夫妻と自民党本部は一蓮托生】、起訴された時点では【河井夫妻事件、“現金受領者「不処分」”は絶対にあり得ない】と、その都度、私の見解を交えて解説してきた。

今回、第一回公判で行われた両氏の罪状認否、検察の冒頭陳述、克行氏の弁護人冒頭陳述に基づき、今後の公判のポイントを、克行氏関係に焦点を当てて解説することとしたい。

検察冒頭陳述の内容

検察冒陳では、「第1」で克行氏、案里氏の両被告人の身上、経歴について述べた上、「第2」で、本件選挙(2019年参議院選挙)の選挙情勢、選挙状況、案里氏の立候補に至る経緯について、「第3」では、克行氏が案里氏の選挙活動を取り仕切り、選挙の総括主宰者の立場にあったことと、選挙の組織体制について述べている。

そして、「第4 犯行状況」では、「1」で、「県議会議員・市町議会議員・首長らへの現金供与」(44名に、合計62回、現金合計2140万円)、「2」で、「三矢会メンバーへの現金供与」(50名に対し、50回にわたり、現金合計385万円)、「3」で、「選挙事務所のスタッフへの現金供与」(6名に対し、前後16回にわたり、合計約377万円)について、個別の現金供与の状況と、それを受けて行われた「選挙運動」の状況について記述している。

このうち、「3」については、選挙運動に直接関わっていた者らへの現金供与であり、一般的な買収事案と大きな差異はなく、買収罪の成立にさしたる問題はない。また、「2」についても、克行氏との関係や、案里氏の選挙での支援を行っていることが概ね明らかで、「案里氏に当選を得させる目的」や、「選挙運動」を依頼して現金を供与したことの立証は比較的容易だと思われる。

最大の問題は、供与金額の3分の2以上を占める「1」の「県議会議員・市町議会議員・首長らへの現金供与」だ。

この点について検察冒陳では、

被告人克行は、広島県第三選挙区外の行政区域内選出の県議・市町議・首長らについては、そのうち以前から自身と付き合いがあった者や被告人案里がその県議時代に親交のあった者等に対し、さらには、それまで自身とほとんど接点のなかった者や近時疎遠になっていた者に対してもなりふり構わず、被告人案里への投票及び投票取りまとめなどの選挙運動を依頼するとともに、その報酬として現金を供与することとした。

と述べているが、個別の現金授受の状況についての記述は、大部分が

本件選挙における案里への支持を依頼した上で、本件選挙における投票及び票の取りまとめの報酬として現金~万円を供与した

というもので、現金授受の状況についての具体的な記述がない。そして、供与の時期も、多くが、7月4日の公示の1か月以上前で、3か月以上前のものもあり、参議院選挙での「投票」「票の取りまとめ」との関係が相当希薄であることは否定できない。

この場合、克行氏から現金の供与を受ける際にどのような「選挙運動」を依頼されたと認識したのかが問題となる。

検察冒陳では、

受供与者(現金受領者)の一部は、被告人克行から現金の供与を受けた前後の時期に、被告人案里の出陣式や街頭演説会で応援弁士として演説を行って被告人案里への投票を呼びかけたり、被告人案里による選挙カーでの遊説の際に別車両で先導して被告人案里への投票を呼びかけたりするなどの選挙運動を行った

としているが、このような「選挙運動」を行ったのは「現金受領者の一部」であり、それ以外の現金受領者については、「選挙運動」を実際に行った事実がないようだ。そうなると、公判での証人尋問で、現金供与を受けた際に、その趣旨についてどのように認識したかについての証言内容がカギとなる。

ここまでの、個別の現金授受の状況や、それを受けての「選挙運動」に関する記述だけだと、「1」については、検察官の主張は相当弱いという印象を受ける。

しかし、それ以降の記述で、「1」についての検察主張が、かなり強力に補強されている。

議員・首長への現金供与に関する検察の「3つの主張」

検察冒陳の第4の「1」の末尾の(4)(5)で、弁護側主張に対する反論として、(a)現金供与に関して、領収書のやり取りの話がなく、収支報告書等への記載がないこと、(b)現金供与の際のやり取りに、自民党党勢拡大など、案里氏の選挙での当選以外の目的を窺わせるものがないこと、という主張が行われており、さらに、「第5 本件犯行後の状況」では、(c)克行氏自身が、供与対象者及び供与金額を記載したリストを消去して隠蔽しようとしたこと、という弁護側主張への「強烈な反対主張」が述べられている。

合法的な「政治活動のための寄附」であれば、領収書のやり取りが行われ、関連団体の政治資金収支報告書に記載されているはずだ。(a)の主張は、それらが行われていないので、「政治活動のための寄附」であることは否定されるというものだ。

(b)は、克行氏が、現金供与の際に、「政治活動の支援を依頼したり、自民党の政策を広めるよう依頼したり、自民党員を集めるよう依頼したりすることはなく、被告人克行の政治活動の支援を依頼したり、被告人克行の政策を広めるよう依頼したり、被告人克行の支持基盤拡大を依頼したりすることもなかった。」と述べ、「党勢拡大・地盤培養のための寄附」との克行氏の主張に反論するものだ。

これら2点の検察の主張は、弁護側の「合法的な政治活動に関する寄附」だとする主張に対して、有効な反論となるものと言える。

そして、(c)は、克行氏が、2019年10月に、本件選挙における選挙違反(車上運動員買収)の報道があったことから、同年11月3日に、インターネット関連業者に、克行氏の議員会館事務所や自宅のパソコンデータを復元不可能な状況に消去するよう依頼したこと、供与対象者及び供与金額を記載したリストを含むフォルダー「あんり参議院議員選挙‘19」のデータを復元不可能な状態に消去したが、議員会館のパソコン内には、消去されたフォルダーとは別に、業者の消去作業により消去されなかった同名のフォルダーが保存されていたというものだ(これが、検察の強制捜査で押収され、本件現金供与が発覚したということだろう)。

克行氏が、案里氏の陣営の選挙違反の問題が表面化した後に、本件現金供与に関するリストを含むパソコンデータを、「消去不可能な状態」に消去しようとしていたことは、克行氏が、本件の現金供与を隠蔽しようとする強い意図を持っていたことを示すもので、現金供与が、合法的な「政治活動のための寄附」という主張に対する強烈な反対主張だと言える。

また、それ自体が「露骨な罪証隠滅行為」だと言える。克行氏が、何回保釈請求を行っても保釈が認められないことの最大の原因は、このような露骨なパソコンデータの消去を行っていることが、「罪証隠滅の恐れ」を強く示唆していると認められるからであろう。

克行氏弁護人冒陳の内容

弁護人冒陳では、まず、

検察官は、現金を供与した買収者として克行氏及び案里氏を起訴しながら、現金を受領した被買収者については、その地位、受供与金額、受供与回数に関わらず一人も起訴していない。このような処理は、これまでの同種事例の処理例に照らしても著しく均衡を欠くことは明らかであり、公正さを著しく害する偏頗な公訴提起である。

このような捜査手法は、従来から、違法なものとされ、検察実務においては厳に戒められてきたものであるところ、協議・合意制度が法定され、対象犯罪から公職選挙法違反の罪が除外された現在では、いわゆる「裏取引」として極めて違法性の高い捜査手法である。

と述べて、検察官の起訴手続が違法だとして、刑訴法338条4号の「公訴提起の手続がその規定に反したために無効であるとき」の規定による公訴棄却を求めている。

弁護人の主張は、【河井夫妻事件、“現金受領者「不処分」”は絶対にあり得ない】で指摘していることを法的な主張として構成したものであり、全くその通りである。しかし、実際に、それを裁判所が認めて、公訴棄却の決定が出て裁判が打ち切られる可能性は、ゼロに等しい。日本では、公訴権は検察官が独占し、訴追裁量権も持っており、検察官の捜査や起訴に違法があっても、それが犯罪に該当するような場合でなければ、公訴棄却すべきとはされないのが、従来からの判例である。

そのことを見越して、弁護人冒陳でも、

速やかに公訴棄却により審理を打ち切るべきであるが、仮に、その主張が認められないとしても、当公判廷において現金受領者などとして証言する者の供述については、違法な捜査手法の下で検察官の意に沿う供述をしたというにとどまらず、これまでの実例及び検察実務に照らせば明らかに起訴されるべきであるのに、それが不問にされるという利益が与えられ続けている限り、その影響が及んでいると評価すべきであり、裁判所におかれては、その信用性について慎重に吟味されることを切望する。

と述べて、公訴棄却の主張に関した事情を、現金受領者の証言の信用性の評価において考慮することを求めている。

続いて、弁護人冒陳では、案里氏の立候補の背景と経緯について、以下のように述べている。

(1) 自民党広島県連は、参議院広島地方区での複数候補者の擁立に消極的な態度を取り続けていたが、複数候補者擁立によって、停滞していた政党活動・後援会活動が活性化され、党勢が拡大し、支持基盤が拡張されるという相乗効果を期待することができる一方、単独候補による安穏とした選挙を続けていれば、自民党の支持層による政党活動・後援会活動が低調となり、自民党の勢力が下降線をたどることを、克行氏も危惧していた。

(2) 自民党本部執行部においては、本件選挙で、合区の影響などもあり自民党の議席の減少が予測されたことから、「議席を獲得できる選挙区では積極的に候補者を擁立すべきである」との声が高まり、広島選挙区においては、既に公認を得ていた溝手氏に加えて、平成31年3月13日、2人目の候補者として案里氏を公認した。

(3)広島県連は、案里氏が公認されても県連として一切応援しないとの決議により、応援しない方針をとった。

(4) 広島県連では、参議院議員選挙が近づくと、衆参国会議員から立候補予定者・候補者への秘書派遣による、党勢拡大活動地盤培養活動などの政治活動の支援、選挙運動期間中には選挙運動の応援等が行われ、県連の要請により、広島県連職員、各種支持団体の関係者なども派遣されて同様の活動を行うのが通常であったが、案里氏については、公認が大幅に遅れたため、周知のための政治活動期間・立候補のための準備期間が明らかに不足しているのに、広島県連からの人的支援が得られず、後援会の設立や組織作り、後援会員の加入勧誘、政党支部の事務所立上げなどの政治活動や選挙運動に従事することとなる人員確保など体制作り自体に苦労する状況にあり、県議、衆議院議員として長い政治家としてのキャリアを有する克行氏が、その人脈を頼って、それら案里氏のための活動を行わざるを得なかった。

(5)克行氏は、ベテラン国会議員である溝手氏のほかに、若手で女性の目線で政策を訴える保守政治家の案里氏の存在を広めることにより、県民の新たな関心を呼び起こし、支持層の発掘を県内全域で行っていく必要があると考えていた。

(6)平成31年3月以降、克行氏及び案里氏らが行ってきた諸活動は、選挙区に該当する支部を割り当てられ候補者として、党勢拡大・地盤培養等の政治活動を行うとともに、政党支部事務所を立ち上げて、後援会活動を行うなどして、その存在と人柄を周知し、自らの信条・政見を浸透させていくものであった。

そして、克行氏自身の地盤培養について、以下のように述べている。

(7)克行氏は、7期目の衆議院議員であり、その当選回数や県議時代からの政治家としてのキャリアからすれば、広島県連の会長に就任する可能性もあったが、案里氏の立候補で、広島県連との関係が悪化し、それが影響して、支持者の地元県議や市議らが被告人から距離を置いたり、後援会組織の切り崩しが行われるおそれが生じた。県連会長に就任するため、自身の支持地盤を盤石なものとし、県議らの支持・支援を広く取り付ける必要性をそれまで以上に感じ、支持・支援者、後援会幹部、政治信条が近く親しい付き合いをしてきた首長、県議らをつなぎ止め、距離を縮めておかなければならないと考えた。

弁護人冒陳の立論は、克行氏の現金供与が、(1)~(5)の背景の下で、(6)及び(7)の「党勢拡大・地盤培養」のための寄附として行われたもので、「投票及び票の取りまとめ」のための現金供与ではなかったと主張するものだ。

問題は、このような弁護人の主張が、どこまで合理性を持つ立証となるかどうかだ。検察冒陳の前記(b)で主張しているように、実際の現金供与の際のやり取りには、「党勢拡大・地盤培養」のような動機を窺わせるものはないということになると、現金供与の趣旨が、弁護人冒陳で述べているようなものだったことをどのように立証できるかが問題になる。

今後の公判の展開は

以上のような、検察、弁護双方の冒陳から、今後の公判の展開を予想してみたい。

検察が、現金受領者側について刑事立件すらしていないという、公選法違反の刑事実務からは考えられない対応を行っていることは、検察の主張・立証の重大な「弱点」である。弁護人の「裏取引」を理由とする公訴棄却までは認められないとしても、各現金受領者の証人尋問での証言の信用性の評価に影響を与えることは避けがたい。現金供与の時期が選挙からかなり離れている上、現金授受の際の文言からも「投票・票の取りまとめ」の依頼の趣旨が明確とは言えないので、現金受領者側の認識如何ということになるが、現金受領者の公判証言の信用性に疑義が生じると、無罪方向に傾く可能性もある。

しかし、検察側には、弁護側主張に対する(a)~(c)の「強力な反論」がある。特に、(c)は、「現金供与が合法」との弁護側主張にとっては、決定的に不利な事実だ。

検察の起訴状では、克行氏は案里氏陣営の「統括主宰者」とされている。弁護側は、「選挙運動全般に関して報告を受け、了承するといった立場にはなかった」と主張して、「統括主宰者」であったことを否定しているが、判決で該当すると判断されれば法定刑も「4年以下の懲役」と重くなる。克行氏の起訴事実のほとんどが有罪となった場合、買収金額から言っても、実刑となる可能性が高い。検察の求刑が最高刑の4年、判決は、3年か3年6月の実刑ということになる可能性が高い。

克行氏「形勢逆転」の可能性は?

現在の状況は、前法相の克行氏が、検察に追い詰められ、崖っぷちに立たされていると言える。

しかし、検察冒陳の「2」「3」については、現金受領者の「選挙運動」の実態も相当あると思えるので、有罪を免れることは困難だと思われるが(克行氏の弁護側も、この点を認識しているからこそ、全体の処罰を免れる主張として、「裏取引」による公訴棄却を求めているものと思われる)、起訴金額の3分の2以上を占める「1」の県議・市町議・首長らに対する供与については、状況的にも「投票及び票のとりまとめ」の依頼と言えるかは、かなり微妙であり、「裏取引」の影響もあるので、公判証言の信用性には相当程度疑義が生じる可能性がある。

今年12月には証人尋問がすべて終わり、克行氏、案里氏の被告人質問が行われることになるが、それが、本件公判の最大のイベントとなるだろう。そこで(a)~(c)の検察の主張に対して、克行氏自身が「合理的な説明」ができれば、「1」について「一気に形勢逆転」という可能性もないではない。「1」の多くが無罪となれば、買収金額は大幅に減り、執行猶予の可能性が高くなる。

では、「形勢逆転の一手」となる(a)~(c)の検察の主張に関する克行氏の「合理的な説明」として、どのようなものが考えられるか。

(a)については、「領収書のやり取りがない」「収支報告書等への不記載」との事実で、「違法性の全くない政治資金の寄附」との説明は困難となるが、そのことが、「投票及び票の取りまとめ」の依頼だったことに直結するものかと言えば、必ずしもそうではない。「政治資金の寄附」にも、何らかの目的を持って、その事実を秘匿する「ヤミ献金」もある。政治資金規正法の目的には反する行為だが、実際に過去に相当広範囲に行われてきた。「ヤミ献金」にせざるを得なかった事情について「納得できる合理的な説明」が行われれば、「投票及び票の取りまとめ」のための現金供与であったことを否定する余地もある。

(b)については、「自民党の党勢拡大に向けての政治活動」「克行氏自身の政治活動」というのは、克行氏が、そういう目的で現金供与を行ったという主観の問題であり、それが、現金供与の際に、受領者側に表示されていなくても、そういう目的であったことが、ただちに否定されるわけではない。克行氏の現金供与が、そのような目的で行われたとの克行氏に説明の「裏付け」があれば、案里氏の選挙での「投票及び票の取りまとめ」を依頼する目的が否定される可能性もある。

(c)については、まさに露骨な罪証隠滅行為であり、克行氏側の説明・反論は相当に苦しい。しかし、露骨なデータ消去を行ってまで現金供与の事実を隠蔽しようとしたことについて、その目的が、案里氏の選挙での「投票及び票の取りまとめ」を依頼する「選挙買収」を隠すことではなく、他の理由によるものだったことについて、克行氏に、「納得できる合理的な説明」を行うことができれば、情勢は大きく変わることになる。

では、(a)及び(c)についての「納得できる合理的な説明」、(b)についての「裏付け」として何が考えられるか。

そこで重要となるのが、検察冒陳でも弁護人冒陳でも殆ど触れられていない「多額の現金買収を行うことにした経緯とその資金」である。そこには、本件の核心と言える「重大な事実」が隠されているように思われる。

本件への安倍首相の関与

本件に関しては、検察捜査が本格化する前から、案里氏の参議院選挙の選挙資金として、同じ選挙区の自民党候補溝手顕正氏の10倍の1億5000万円が提供されていたことが明らかになり、その巨額選挙資金提供が、溝手氏に対する個人的な悪感情を持つ安倍首相自身の意向によるものではないかとの憶測を生んでいた。その点に関して、これまでの報道と、弁護人冒陳の内容を対比すると、重要なことが見えてくる。

まず、この点に関して、以下のような事実が報じられている。

(ア) 自民党が参院選の候補者として案里氏を公認した3月13日の前後の2月28日と3月20日、自民党本部が案里氏代表を務める政党支部に1500万円を振り込んだ2日後の4月17日、自民党本部が案里氏の政党支部に3000万円を振り込んだ3日後の5月23日に安倍首相と克行氏とが単独で面会しており、6月10日に案里氏政党支部に3000万円、克行氏政党支部に4500万円が振り込まれた10日後の20日に安倍首相と克行氏とが単独で面会し、その一週間後の同月27日に克行の政党支部に3000万円が振り込まれている(首相動静)。

(イ) 安倍首相の秘書5人が、案里氏の選挙運動の応援に、山口から広島に派遣されていた(「安倍総理大臣秘書」と表現するよう克行氏側からの指示が出ていた(毎日))。

(ウ) 克行前法相が広島県議側に現金を渡した後に、安倍首相の秘書が同県議を訪ねて案里氏への支援を求めていた(共同)

(エ) 案里氏の後援会長を務めた繁政秀子・前広島県府中町議は、昨年5月に克行氏に現金30万円を渡された際、克行氏から「安倍さんから」と言われたと証言した。

ここで、改めて、本件現金供与の背景についての弁護人冒陳の記述を見てみよう。

上記(2)の「2人目の候補者として案里氏公認」を行ったのは自民党本部執行部であり、そこには、その決定の中心となった人物がいるはずである。一方、(4)は、公認が遅れ、しかも、広島県連が一切応援しないという姿勢であった案里氏の選挙に向けての政治活動が、人的にも資金的にも厳しい状況にあったという広島側の実情であり、それが、克行氏から自民党本部側に伝えられたからこそ、1億5000万円もの巨額の選挙資金が自民党本部から河井夫妻側に提供されることになったことは明らかである。

そこで重要なことは、この(4)の記述は、弁護人冒陳で、「多額の現金供与の背景事実」として主張されているということだ。つまり、(4)のような実情を克行氏から知らされた自民党本部執行部側の人物が、そのような厳しい情勢を乗り越えるために、「相当な資金」が必要になると認識したからこそ、破格の選挙資金の提供が行われた。そして、人的な面の不足を補うために派遣されたのが安倍首相の秘書5人だったと考えられる。

このような状況であった2019年3月の案里氏公認から7月の参院選公示までの間に、上記(ア)のとおり、公認直後、選挙資金提供の前後という「極めて重要なタイミング」で、克行氏は安倍首相と、「単独で」面談しているのである。

そして、(ウ)のとおり、安倍首相の秘書は、克行氏が現金を供与した先に、それと相前後して訪問して案里氏への支持を呼び掛けていた。検察冒陳で「なりふり構わず」と表現されているような露骨な現金供与のことを安倍首相の秘書が認識しなかったとは考えにくいし、克行氏が、現金供与を、「安倍首相の名代」として行っているとの認識を持っていたからこそ、「安倍さんから」などという言葉を漏らしたということであろう。

これらの事実を総合すれば、安倍首相が、克行氏が、自民党本部から提供した1億5000万円の選挙資金を実質的原資として行った(直接の原資は、借入等かもしれないが、党本部からの資金提供があったからこそ、選挙資金の収支上現金供与を行うことが可能となった)現金供与とその目的を認識し、容認していたことについて、「合理的な疑いを容れる余地はない」と考えられる。

克行氏にとって「逆転の一手」

上記の推認のとおりだとすると、克行氏には、被告人質問での実刑判決を免れる「逆転の一手」がある。それは、安倍首相が、現金供与とその目的を認識し、容認していたこと、その実質的原資が、自民党本部からの選挙資金であることを、包み隠さず、真実を供述することである。

それによって、弁護側主張に対する「強烈な反論」であった上記(a)~(c)の検察主張に対しても合理的な反論が可能となる。

まず、(a)(c)については、本件の現金供与が、安倍首相と単独面会して秘密裏に話し、了解を得た上で行われたものだとすれば、それは「表に出さない、裏政治資金の寄附」であり、だからこそ、領収書のやり取りは考えていなかったということになる。そして、その現金供与のリストを含むパソコンデータを削除したのも、克行氏にとって、それが選挙買収に当たる犯罪と認識していたからではなく、一国の総理も関与した「裏の金の流れ」についての決定的証拠を、捜査機関の手に渡すことができないと「首相を補佐する立場」で考えたが故の行動だったという説明は、相応に「納得できる合理的な説明」だと言える。

そして、(b)については、安倍首相との間で、上記(4)の広島県内の選挙情勢と、公認の遅れや県連の非協力から、人的、資金的に厳しい状況の中で、それを打開し、党勢拡大・地盤培養を行う目的について認識を共有していたのであれば、克行氏が、現金供与の際に口にしなかったとしても、党勢拡大・地盤培養のための政治資金としての現金供与であったとの弁護人冒陳での主張に、相応の裏付けがあるということになる。

以上のとおり、克行氏が、「安倍首相が、現金供与とその目的を認識し、容認していたこと」を供述した場合、議員・首長への現金供与の「1」の大半は、党勢拡大・地盤培養のための政治資金としての現金供与ということになり、無罪となる可能性が高くなる。克行氏が、無罪になれば、安倍首相も、現金供与についての認識があったとしても、同様に、刑事責任は問われないということになる(もっとも、政治資金規正法上の問題は別途生じうるし、政治的、社会的には重大な責任があり、総理の座にとどまることができないことは言うまでもない)。

解き明かされる「謎」

上記の推認のとおりだとすると、これまで、本件について「謎」であったことのいくつかが解き明かされることになる。

一つは、河井克行氏という当選7回の国会議員が、なぜ、「自ら」直接多額の現金を配布して回るという「前近代的」とも言える露骨な行動に及んだのか、という「謎」である。

急遽、妻の案里氏を参院選の候補として公認したものの、極めて厳しい状況を打開するためには、現金を配布して党勢拡大・地盤培養を図るしかないとの認識を、安倍首相と共有し、敢えて現金配布を行ったのであれば、克行氏の行動も、理解できないわけではない。逆に言えば、そういう事情がなければ、さすがに、克行氏も、そのような行動は行わなかったと考えられる。

もう一つは、検察が、現金受領者側をすべて刑事立件すらしていないという、従来の公選法違反事件の検察実務からは考えられない対応を行ったことも「謎」の一つであった。上記の推認のとおりであれば、「安倍首相関与」は、検察側も十分に認識しているはずだ。そうなると、もし、克行氏の側から「安倍首相関与」を主張し、供述した場合、「1」の議員・首長らに対する現金供与が無罪になる可能性が相当程度あることは、検察側も覚悟している可能性がある。検察に思い切り善意に解釈すれば、克行氏の公判の推移、判決を見る前に、現金受領者側の刑事処分を行うことができないということで、現金受領者側の刑事立件が行われていないということも、考え得る。

「安倍首相の体調悪化」の原因との関係

そして、現在の政局に関する重大な問題となっている「安倍首相の体調」が、8月頃から急に悪化していることと、この克行氏の刑事事件の公判との関係である。

上記の推認のとおりだとすると、安倍首相は、克行氏と同様に公選法違反の刑事責任を問われる可能性を認識していることになる。克行氏が、その点を一切明らかにしておらず、責任をすべて一人で抱え込んでいるというのは、安倍首相にとって、相当なストレスであり、河井夫妻の初公判が迫ってくれば、そこで、克行氏がどのように供述するのか、弁護人がどのように主張するのかが片時も頭から離れないことになる。それが、持病の潰瘍性大腸炎の悪化につながった可能性がある。

それでも、安倍首相には、少なくとも河井夫妻の公判で被告人質問も終わり結審するまでは、総理大臣を辞任することはできない。安倍首相がその地位にあるからこそ、これまで、克行氏も、首相の関与を含めて沈黙を通してきたし、検察捜査が自分には及ばなかった(憲法75条「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。」)。しかし、もし、「元総理」になってしまえば、その状況がどう変化するかわからない。

今日(8月28日)の夕刻、久々の安倍首相の記者会見が予定されているが、自ら総理大臣を「辞任」する可能性はほとんどないであろう。

今後も、河井夫妻事件の公判の展開からは目が離せない、特に、12月に行われるはずの克行氏の被告人質問は、政局にも絡む最大のイベントとなる。

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刑事事件の真相解明と民事訴訟 ~藤井浩人元美濃加茂市長の「冤罪との戦い」は続く

全国最年少市長だった藤井浩人氏が、2014年6月、市議会議員時代に浄水設備業者の社長のNから、2回にわたって現金合計30万円を受け取った受託収賄、事前収賄、斡旋利得罪の容疑で逮捕・起訴された「美濃加茂市長事件」。一貫して30万円の現金の授受を全面否定し、潔白を訴えた藤井氏は、公判での戦いを続けながら市長職を続け、名古屋地裁の一審では、贈賄供述の信用性を否定し、虚偽証言の動機を指摘する無罪判決を勝ち取ったが、二審の名古屋高裁では、まさかの「逆転有罪判決」。一審の贈賄証言を書面だけで「信用できる」とする不当判決に対して上告したものの、最高裁は、「適法な上告理由に当たらない」と三行半判決で棄却、刑事事件は有罪が確定した。

『青年市長は司法の闇と戦った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』

「三行半の例文」の上告棄却決定が届いたのを受け、藤井氏は、市長辞任の意向を表明したが、我々弁護団に対して、

市長は辞任しますが、私が現金を受け取った事実はないという真実を明らかにするため、今後も戦い続けます。とれる手段があるのならば、あらゆることをやっていきたい。

と述べて、自らの潔白、無実を明らかにするために戦い続けていくことを明確に宣言した。
その藤井氏は、冤罪を晴らすべく、贈賄供述者と、贈賄供述者に検察官が証言させたい一審証言が詳細に書かれた判決書を差し入れて控訴審での証人尋問を妨害した贈賄供述者の弁護人だった弁護士に対して損害賠償を請求する民事訴訟を、2018年3月に提起した(【美濃加茂市長事件の真相解明に向け、民事訴訟提訴】)。
このような裁判の経過や、各裁判所が示した判断を踏まえて、民事裁判で、主張立証が尽くされ、公正な審理が行われ、民事裁判官の判断が示されれば、贈賄証言が虚偽だという真実が明らかになる可能性は十分にあると考えて提訴したものだった。

「刑事裁判を受けた実感」すらない「闇打ち」による有罪

この事件のように、「控訴審逆転有罪判決」で被告人の有罪が確定した場合、その経過は、実質的に刑事裁判における「三審制」の原則が機能したとは言い難い不当なものとなる。
刑事裁判では、一審裁判所は、贈賄証言の信用性について、贈賄供述者の証人尋問や被告人質問を自ら直接行ったうえで、「贈賄証言は信用できない」として無罪を言い渡したが、控訴審裁判所は、証言や供述の書面上の記録だけで「贈賄供述は信用できる」と判断して一審判決を覆した。そして、上告審は、「上告理由に当たらない」として上告を棄却し、収賄の事実の有無についても、贈賄証言の信用性についても判断は示さなかった。

このように、「控訴審での逆転有罪」で被告人の有罪が確定した場合、その経過は、実質的に刑事裁判における「三審制」の原則が機能したとは凡そ言い難い不当なものとなる。
一審では、検察官と弁護人との間で攻撃防禦が行われ、裁判所が「アンパイア」として、争点の一つひとつについて判断し、そのうちの一つでも検察官の主張が認められない場合には、「犯罪の証明がない」として無罪となる。
それに対して、検察官が控訴した場合の審理の対象は「一審無罪判決」だ。控訴審は、一審判決を事後審査する裁判であり、控訴の理由について、検察官が控訴趣意書を提出するが、控訴審裁判所は、「検察官の主張を認めなかった一審判決」を独自に審理・判断する。検察官と弁護人の攻撃防禦という一審の構図とは異なる。控訴審裁判所は、検察官の主張に制約されず、思う通りに一審判決を審査し、自由自在にその判断を覆すことができる。争点や裁判所の問題意識が明確化されることもない。それは、被告人・弁護人の立場からすると、「不意打ち」を超えて「闇討ち」に近いものだ。
一審では、犯罪の成否について複数の争点がある場合、そのうちの一つでも検察官の主張が認められないと、無罪となる。控訴審では、一審判決が検察官の主張を否定した争点について審理し、もし、控訴審裁判所が、その争点について一審の判断を覆した場合、一審判決では判断されなかった他の争点についてどのように判断するかは、控訴審裁判所の自由になってしまう。他の争点について弁護人側に反論の機会が全く与えられることなく、一方的に有罪方向の判断が行われ、「逆転有罪」に至ったのだ。
このような、控訴審裁判所の、ほとんど「闇討ち」のような一方的な認定・判断で有罪判決を受け、その反論・反証の機会が与えられなかった藤井氏にとって、冤罪を晴らすために「とれる手段があるのならば、あらゆることをやる」として取り組んだ第一歩が民事訴訟の提起だった。

民事訴訟一審判決が持ち出した「再審制度による制約」

民事訴訟は、2年近くにわたる審理で、昨年10月から12月にかけて、被告贈賄供述者、被告弁護士、原告の本人尋問、贈賄供述者の妻・妹等3人の証人尋問が行われて弁論は終結、今年4月に言い渡される予定だった判決が、コロナ禍で延期され、8月5日に、判決が言い渡された。
判決は、「請求棄却」であった。
判決は、贈賄供述者の被告に対する請求に関して、以下のような一般論を述べた上で、「本件での贈賄供述者の証言(供述)が虚偽であることが明白であるといえない」として、贈賄供述者に対する損害賠償請求を棄却した。

刑事裁判手続において有罪判決を受け、それが確定した被告人が、刑訴法の用意する再審制度を離れて、事実は無罪であるとして、当該手続において証人等として関与した者に対する(不法行為等に基づく)損害賠償請求を行うことを無制限に認めると、同法が再審制度を設けている趣旨を実質的に没却するおそれがあるから、当該被告人が上記のような関与者に対して上記のような損害賠償請求を行うことができるのは、当該関与者の行為について偽証罪等の有罪判決が確定したり、(そのような判決がなくとも)その者が故意に虚偽の証言等をしたりしたことが明白であるなど、公序良俗に反するような不正行為の存在が明白に認められ、かつ、当該不正行為によって被告人が有罪とされたといえるような場合に限られると解するのが相当である。

要するに、刑事事件が有罪で確定した被告人が、無罪だとして、証人として関与した者に対する損害賠償請求することできるのは、刑訴法の再審制度が設けられている趣旨との関係で、「偽証で有罪判決が確定している場合」、「故意に虚偽の証言等をしたことが『明白な』場合」という、「再審事由」と同等の場合に限られるというのだ。
しかし、藤井氏が提起した訴訟は、刑事事件手続の中での贈賄供述者等の不法行為について民事上の損害賠償を請求しているものだ。原告の有罪が確定している刑事事件において贈賄供述者が証言した内容について当該刑事事件で刑事裁判所が行った判断と、民事事件で原告が主張・立証した内容について、民事法による不法行為と損害賠償責任の存否について行う民事裁判所の証拠評価、事実認定とは、別個のものである。
今回の民事一審判決が、それ自体が、独立した制度として位置づけられるべき民事訴訟を、刑事の再審制度との関係で制約されるなどという「理屈」を持ち出したのはなぜか。

民事一審での審理の経過からは、予想し難かった結論

被告の側の訴訟対応は混乱を極め、立証段階では、相当な時間を費やして現被告の本人尋問に加え、3人の証人尋問も行われた。それらの供述・証言は、原告の請求を裏付けるものだった。
贈賄供述の信用性について、一審判決は、2回目の現金授受を先に供述し、その後に初回の現金授受を供述していること、同席者の有無についての供述が変遷していること等から、「自らの経験した事実を語っているのか否か疑問と言わざるを得ない」としたのに対して、控訴審では、「必ずしも不合理とは言えない」とし、見解が分かれたのであったが、この点について、心理学的分析の結果「実際の体験記憶に基づく供述ではない可能性が高い」とする認知心理学者の供述鑑定書が提出されている。
刑事の控訴審判決は、被告人にとっては全く「不意打ち」と言える多くの誤った認定・判断をしていたが、上告は「憲法違反、判例違反の上告理由に当たらない」として棄却されたので、控訴審の判断の誤りは、刑事訴訟では判断されていかなかった。民事訴訟では、そのような控訴審の判断の誤りを、さらに肉付けして主張・立証した。
それに対して、被告の贈賄供述者側は、控訴審判決の認定・判断を繰り返す以外に、反論は全くできていない。
こうした審理の内容に加え、裁判所からの補充尋問で精神的損害の内容についての質問があり、請求が認められる方向ではないかと期待をしていた。
しかし、結局、民事一審判決は、原告の訴訟提起を受け、民事訴訟の審理は十分に行ったのに、判決を出す段階に至って、刑事事件の確定判決と異なる判断を行うことに抵抗を覚え、「刑訴法の再審制度が設けられている趣旨との関係による制約」というあり得ない理屈を持ち出して、原告の請求を棄却してしまったのである。
当然のことながら、藤井氏は、この一審判決に対して、控訴を行った。

果てしない「冤罪との戦い」

謂れのない冤罪で、有罪判決を受けて処罰された者にとって、冤罪との戦いは、生涯にわたり、果てしなく続く。
藤井氏は、今年12月に懲役1年6月執行猶予3年の有罪判決確定から3年を経過し、公民権停止も終わる。選挙にも立候補できるようになり、政治家として復帰する日も遠くない。
「収賄事件のことはもう忘れた方がいい」と助言してくれる支援者もいる。しかし、藤井氏は、「私は冤罪との闘いを続けます」と明言している。
彼にとって「冤罪で逮捕・起訴された全国最年少市長」であることが、政治家としての原点とも言える。それを覆い隠して、市長職をめざすことはできない。ましてや、冤罪の司法判断を受け入れ、事実に反して収賄の罪を認め、「うわべだけの反省の弁」を述べることなどできるわけもない。冤罪との戦いは、政治家としての彼のアイデンティティだと言える。
藤井氏は、刑事事件の上告棄却を受けて市長辞任の意向を表明した際、弁護団に対して、「市長は辞任しますが、私が現金を受け取った事実はないという真実を明らかにするため、今後も戦い続けます。とれる手段があるのならば、あらゆることをやっていきたい。」と述べて、自らの潔白、無実を明らかにするために戦い続けていくことを明確に宣言していた。
有罪判決確定後の冤罪との戦いの第一歩が、贈賄供述者等に対する民事訴訟提起だった。

刑事事件の冤罪は、刑事訴訟制度の中で解決すべきという意見もあるだろう。
しかし、「控訴審逆転有罪判決」による有罪確定は、先進各国の中でも特異な「無罪判決に対する検察官上訴」を許容する制度によるものであり、

何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

とする憲法39条の違反の疑いすらある。「三審制」の下での刑事裁判を受けたとは言い難い、最も理不尽な冤罪の構図によって有罪が確定したものだ。しかし、そのような経過であっても、一度、有罪が確定すれば、日本の刑事訴訟における再審のハードルは著しく高い。
そのような絶望的な状況の中で、民事訴訟という刑事訴訟とは独立した訴訟制度に救いを求めるのは、ある意味では、法的には最も正当なやり方と言えるだろう。その民事訴訟で、今回の民事一審判決は、刑事訴訟の再審事由と同等の要件が充たされなければ請求は認められないとして、その道を閉ざそうとしているのである。
藤井氏の冤罪との戦いは、東京高裁に舞台を移して、今後も、続く。引き続き、全力で彼をサポートしていきたい。

 

 

カテゴリー: 藤井浩人美濃加茂市長, 司法制度 | 1件のコメント

菅原前経産相不当不起訴の検察、告発状返戻で「検審外し」を画策か

6月30日の記事【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か】で詳述したように、検察が菅原一秀前経産大臣に対して行った不起訴処分は、公職選挙法違反事件の刑事処分として凡そあり得ないものであった。東京地検次席検事が行った異例の不起訴理由説明も、犯罪事実が認められるのに罰金刑すら科さない理由には全くならないものだった。

しかも、菅原氏の指示で選挙区内の有権者の葬儀・通夜に香典を持参していた当時の公設秘書のA・B両氏の話によると、彼らは、昨年11月頃から東京地検特捜部の取調べを多数回受けており、現場の検察官のレベルでは、起訴に向けての捜査が行われていたように思えた。それが、最終段階に来て、捜査を指揮する上司・上層部と菅原氏側と間で、何らかの話し合いが行われ、それを受けて不起訴の方針が決まったようにしか思えなかった。

菅原氏の不起訴処分の前提として認定された有権者への寄附の金額は約30万円とされているが、A・B両氏の供述によって認められる公選法違反の犯罪事実は、3年間で約300万円になることは明らかだった。2000年に、秘書と共に選挙区内で約1000円の線香セットを551人に配った公選法違反で罰金40万円と公民権停止3年の略式命令を受けた小野寺五典衆院議員の事例との比較からもあり得ない。罰金刑すら科さない「起訴猶予」は、交通違反で罰金も取らずに「お目こぼし」するに等しい。

菅原氏の不起訴処分を他社に先駆けた東京新聞の記事【「法軽視が顕著と言い難い」 菅原前経産相の起訴猶予で特捜部が異例の説明】で、

刑事告発した市民側は、本紙の取材に「公選法違反を認定しながら不起訴としたのは不当だ」として、検察審査会に審査を申し立てる方針を明らかにした。

とされていたこともあり、この時点で、私は

菅原氏に対する不起訴処分については、告発人が、検察審査会に審査を申し立てれば、検察も「証拠上起訴は可能」と認めている以上、「一般人の常識」から不起訴には納得できないとして、「起訴すべき」との議決が出る可能性が高い。それによって、菅原氏に対する「不正義」は、いずれ是正されるであろう。

と述べ、検察審査会で検察の不起訴処分が覆ることを確信していた。

 

検察による「検審外し」の画策

ところが、その後、実は、検察は、菅原氏の不起訴処分について、検察審査会での審査に持ち込まれないようにする「検審外し」の画策としか思えない、不可解極まりない動きをしていることが判明した。

菅原氏を告発していた「市民」のC氏本人に取材した記者から得た情報によれば、菅原氏に対する告発状は、昨年10月下旬に、東京地検に提出され、その告発を受けた形で、A・B両氏の取調べや他の関係者の取調べ等が行われていたが、不起訴処分が行われる直前に、その告発状が、告発状の不備を指摘する文書とともに告発人のC氏本人に返戻されていたというのだ。

告発事件について不起訴処分を行えば、告発人は、検察審査会に審査を申し立てることが可能だ。ところが、検察は、その告発状をC氏に返戻し、それと別個に、検察自らが菅原氏の公選法違反事件を独自に認知立件した形にして、その「認知事件」を不起訴にしたということのようだ。そうなると、検察は告発事件について不起訴処分をしたものではなく、検察審査会に審査を申し立てる余地はないということになる。検察が、検察審査会の審査を免れるために、敢えてそのような姑息な手段を用いたとしか思えなかった。

C氏は、新聞出版業を営む会社の代表取締役であり、「国滅ぶとも正義は行わるべし」をモットーに、特に、日本国の中枢に位置し、国政を運営する責にある者、社会的影響力を有する企業経営者に対して、国法の正しい運用を厳しく求めている人物だった。過去にも、新聞、週刊誌等で報じられた多くの事件について、法を厳正に適用して処罰を行うことを求める告発を行っていた。

私も、過去に、C氏が告発した、日産自動車株式会社代表取締役社長(当時)西川廣人氏に対する不起訴処分について、C氏からの委任を受け、申立代理人として、検察審査会への審査申立を行ったことがあった。

私は、C氏本人に連絡をとった。C氏は、菅原氏の不起訴処分には全く納得できないので、検察審査会への申立てを行う意向だった。しかし、告発状が返戻されているということは、検察庁では、菅原氏の事件を告発事件として扱っておらず、C氏に「不起訴通知」は届かない。通常、検察審査会への申立ては、不起訴通知を受けて、その事件番号を記載して申立書を提出するので、不起訴通知が届いていない以上、申立ては困難だと考えられた。

私がそのように説明したところ、C氏は、「先生、何とかなりませんか。こんなことがまかり通るのであれば、この国の正義は滅びてしまいます。」と憤慨していた。

 

「検審外し」を打破する審査申立の検討

私は、C氏から告発状と、検察庁がC氏に返戻した際に添えられていた「東京地検特捜部」名義の書面を送ってもらい、告発状とその書面を精査し、検察が不当に告発状を返戻した上で行った不起訴処分に対して、「検審外し」を打ち破って審査に持ち込む手段がないかを検討した。

そこで、検察審査会法の規定を改めて検討してみた。

検察審査会法2条2項は、

検察審査会は、告訴若しくは告発をした者、請求を待って受理すべき事件についての請求をした者又は犯罪により害を被った者の申立てがあるときは、前項第一号の審査を行わなければならない

としている。「前項第一号の審査」というのは、「検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査」のことだ。ここでは「告発をした者」が申立てできるとされているのであり、「検察官が告発を受理したこと」は要件にはなっていない。告発人が犯罪事実を特定し、正当に告発状を提出しているにもかかわらず、検察官が告発を受理しなかった場合も、「告発をした者」に該当し、その事件について不起訴処分が行われた場合は、審査の申立てが可能なはずだ。

検察審査会事務局にも問合せたところ、告発が行われ、その告発事件について不起訴処分行われたのであれば、審査申立ては可能であり、申立てが行われれば、不起訴事件の特定のため検番(検察における事件番号)については、検察審査会事務局から検察庁に照会するとのことだった。

そこで、検察がC氏に告発状を返戻した理由が正当なものか(C氏が提出した告発状に不備があり「有効な告発」とは言えないものか)、告発された事件について検察の不起訴処分が行われたと言えるか、という点について検討を行った。

 

検察が告発状を返戻した理由

告発状が返戻された際に同封された「東京地検特捜部」名義の書面では、以下の理由で、「本件告発状においては、犯罪構成要件に該当する具体的な事実が具体的な証拠に基づいて特定して記載されているとは認められない」としている。

(1)告発状記載の「法令の適用」には、その根拠条文として、公職選挙法199条及び同法248条(請負その他特別の利益を伴う契約の当事者である者による選挙に関する寄附の禁止規定及び罰則)並びに同法199条の2及び同法249条の2(公職の候補者等の寄附の禁止規定及び罰則)が列記されており、いずれの寄附禁止規制違反を問題とされるのか不明確であり、また、このうち同法249条の2の各項に罰則の定めがある寄附禁止規制違反については、選挙に関する寄附の禁止違反、通常一般の社交の程度を超える寄附の禁止違反及びこれら以外の寄附の禁止違反等の各種類型があるところ、上記「告発状」記載の「犯罪事実」及び「法令の適用」等からは、これらのいずれに該当する旨主張されているのかも不明である。

(2)「有権者買収行為」である旨の記載や「告発の趣旨」欄の「当選無効に該当する」旨の記載からすると、同法221条等所定の買収罪に該当する旨主張されているようにも拝察され、これらの点がいずれも判然としない。

(3)「犯罪の事実」の疎明資料としては、インターネット上に掲載された雑誌の記事概要をプリントアウトしたと思われるものだけが添付されており、犯罪構成要件該当事実の根拠・資料として十分ではない。

(4)代理人による告発は、刑事訴訟法に規定がなく、認められないと解するのが通説。

 

告発状を返戻する理由は全くない

しかし、(1)については、本件告発状が、「公職の候補者等」が選挙区内の有権者に対して、秘書が議員の代わりに香典を配る行為に適用される「寄附の禁止」の規定の適用を求めるものであることは、「公選法が禁ずる寄附の禁止を犯す犯罪行為」と明記していること、香典の贈与が公選法の「寄附の禁止」に違反するとの法律専門家の解説を含む週刊文春の記事を添付していることから疑いの余地がない。「法令の適用」に第199条及びその罰則を記載しているのは、公職選挙法について知識に自信がなかったことから「念のため」に付記したに過ぎない。

(2)については、告発人が、告発状に「有権者買収行為」と記載したのは、週刊文春で報じられた「カニ、メロン」の贈答など、長年にわたる有権者に対する買収行為の一環として行われたものとの認識を示したもので、また、「当選無効」と書いたのも、正確には、公民権停止に伴う「失職」であり、「当選無効」ではないが、週刊文春記事での専門家の解説で、寄附の禁止に違反した場合について、「最長5年間の公民権停止となり、当選も無効となります」とされていたことから「当選無効」と表現したもので、告発人が「買収罪」に該当すると主張しているものではない。

(3)は、告発状の添付資料では犯罪構成要件該当事実の根拠・資料として十分ではないというのであるが、添付された文春オンラインの記事だけでも、秘書に代理で通夜に出席させて香典を贈与した公選法199条の2第1項違反の事実は十分に特定されており、香典を差し出す写真も添付されているのであるから、告発の根拠としての証拠は十分だ。

しかも、東京地検特捜部は、本件告発後、同告発事実を含む公選法違反事件の捜査に着手し、被疑者の刑事処分のために必要な捜査を行い、「起訴猶予」処分とし、被疑者の公選法違反の犯罪事実を認定しており、結局、上記記事で指摘した被疑者の公選法違反の疑いは検察の捜査によって裏付けられている。

(4)については、本件告発は告発人自身の意思による告発人自身が自らの名前を記載して押印して告発しているのであり、本件告発状には告発人に加えて代理人名を付記しているにすぎない。告発状の返戻が、代理人に全く連絡なく、告発人本人に対して行われていることからも、東京地検が、本件告発を代理人によるものとして取り扱っていないことは明らかだ。

そもそも、(1)、(2)について、専門知識がなければ厳密に正確な記載はできないような点に因縁をつけ、他方で、法律の専門家である弁護士の代理人による告発が認められないなどと述べるのは矛盾している。

東京地検特捜部の書面に書かれている告発状返戻の理由とされた(1)~(4)は、いずれも、C氏の告発が不備で、有効な告発ではないことの理由にはならないものだった。

 

告発状を「預かり」のまま7カ月以上も捜査を継続

しかも、本件告発は、昨年10月25日付けで行われ、検察官は、告発状を受領したまま7ヵ月以上にわたって受理の判断を留保し、被疑者の公選法違反の捜査を継続していたが、不起訴処分を行う直前に、告発状を返戻したものだった。検察官が、本件告発状に、そのままでは受理できない問題点や不十分な点があるというのであれば、なぜ、受領後、早期に返戻して、是正・補充を求めなかったのか。

菅原氏は、今年1月20日の通常国会召集日に、久々に国会に出席した際、「告発状が提出されていること」を、国会議員として疑惑についての説明を拒絶する理由としていた。告発状が不備で受理すべきではないのであれば、検察官は、速やかに告発状を返戻して、菅原氏に、告発状の提出は説明拒否の理由にならないことを明らかにすべきだった。

検察官が、本件告発状について是正・補充を求めないまま7カ月以上も「預かり」にしたことからも、告発状の不備が問題にされていたのではないことは明らかだった。

A・B両氏の話からも、少なくとも、本年6月に入る頃までは、被疑者の公選法違反事件に対する捜査は積極的に行われていたことは明らかだ。検察官が告発状を返戻したのは、告発状の内容の問題ではなく、当初は、被疑者を起訴する方向で捜査を行っていたところ、その後、何らかの事情で不起訴の方針に変更されたことから、告発人に対する不起訴処分通知を行わないで済まし、検察審査会への審査の申立が行われないようにすることが目的だったのではないか。

 

不起訴処分は、告発された事件についてのもの

もう一つの問題は、「告発された事件について検察の不起訴処分が行われた」と言えるか、という点だった。告発事件について不起訴処分にしたという「不起訴処分通知」が告発人に出されていないので、この点について明確な根拠を示すことはできない。しかし、通常の事件の不起訴処分については、検察は、全く情報開示も説明もしないが、菅原氏の事件については不起訴処分当日の令和2年6月25日に、東京地検斎藤隆博次席検事が記者会見を開いて「異例の不起訴処分説明」を行っていたため、告発された事件との関係が明らかにだった。

告発状に記載された犯罪事実は、

被疑者は、平成29年10月22日投票の衆議院議員選挙の東京9区で当選した衆議院議員であるが、令和元年10月17日の夕刻、東京都練馬区所在の宝亀閣斎場において、同選挙区内に居住する地元町会の元会長の通夜に、自己の公設第一秘書A氏を自己の代理として参列させ、「衆議院議員菅原一秀」と明記した香典袋に二万円在中の香典を受付に手渡して贈与させ、もって、自らの選挙区内にある者に対して寄附を行ったものである。

という事実だった。

一方、斎藤次席検事の説明によると、本件不起訴処分の前提として認定された犯罪事実は、平成29年~令和元年の3年間に、選挙区内の有権者延べ27人の親族の葬儀に、枕花名目で生花18台(計17万5000円相当)を贈り、秘書らを参列させて自己名義の香典(計約12万5000円分)を渡したというものだった。

この不起訴処分で認定された被疑者による香典、枕花の贈与の事実は、昨年10月25日にC氏が提出した告発状の添付資料とされた文春オンラインの記事に書かれている内容であり、告発状提出直後の11月上旬頃に捜査が開始されたものだった。不起訴処分が、告発状に記載された事実を含む被疑者の公選法(有権者に対する寄附の禁止)違反の被疑事実に対するものであることも明白だった。

 

審査申立書を検察審査会に提出、受理通知が届く

そこで、私が、C氏から委任を受け、申立代理人として審査申立書を作成して、7月20日に東京の検察審査会事務局に提出した。申立書では、C氏の告発状は、公選法違反の「有権者に対する寄附」の犯罪事実について処罰を求めており、告発状が返戻される理由は全くないこと、不起訴処分はC氏の告発事件についてのものであることなどから、C氏は「告発をした者」に該当し、審査申立てができることを述べた上、菅原氏の不起訴処分が不当極まりないものであることを記載した。

検審事務局に、検察官が告発状を不当に返戻したので不起訴通知を受けていないこと、一方で、検察官は、同じ事件を独自に認知立件して不起訴にしたと解されることを説明したところ、「検察官の不起訴処分を確認した上で、受理の判断をする。受理した場合には、どの審査会が受理したかを通知する」とのことだった。

そして、4連休明けの7月27日、私の事務所宛てに、東京第4検察審査会から「令和2年(申立)8号事件として受理した」旨の通知が届いた。

こうして、菅原氏の公選法違反事件の刑事処分は、東京第4審査会の11人の審査員の判断に委ねられることになった。

菅原氏の事件は、「起訴猶予」にした検察官も、「起訴しようとすればできる」と認めているのである。しかも、その菅原氏を「起訴猶予」とする理由は、罰金すら科さない理由には全くならないものだ。検察が、7カ月以上も預かったままにしていた告発状を不起訴処分の直前に告発人のC氏に返戻することで「検審外し」を図ったと考えられることも、菅原氏の不起訴処分が検察審査会に持ち込まれたら覆る可能性が高いと検察も考えていたことを示すものと言える。

検察審査会の審査を受ける立場である検察に、このような手段で審査を免れることができるとすれば、「公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図る」(検察審査会法1条)という検察審査会制度の目的は没却されることになる。

本件におけるこのような審査申立に至る経緯についても、審査会で審議し、議決で触れるべきだ。

そして、我々市民にとって必要なことは、検察の不当な不起訴処分によって、菅原氏が今なお、衆議院議員としての地位にとどまっていることを忘れることなく、検察審査会の審査に注目し続けることだ。そういう意味で、たまたま菅原氏の事件の重要な関係者であるA・B両氏の代理人として話を聞ける立場であった私が、菅原氏の不起訴処分の不当性を論証した【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする】と題するブログ記事を出すことができた意味は大きい。少しでも多くの人に同記事を拡散し、現職国会議員の菅原氏の起訴猶予の不当性について声を上げ続けてほしい。それが、無作為に選ばれた「市民の代表」からなる検察審査会で「民意を反映した議決」が出されることにつながるはずだ。

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政治目的による「来年夏東京五輪開催維持」は、「桜を見る会」と同じ構図

2021年夏に開催予定されている東京オリンピック・パラリンピック(以下、「東京五輪」)の開会式1年前となった7月23日、新型コロナ感染判明者数が、全国で981人、開催都市東京都で366人といずれも過去最大になるなど、感染拡大が止まらない状況の下、国立競技場では「開催1年前記念イベント」が開かれ、競泳女子の池江璃花子選手が、世界へのメッセージの発信役に起用された。

白血病からの復帰をめざす競泳女子・池江璃花子選手が一人でフィールドの中央に立ち、自らの白血病の体験と、東京五輪をめざす選手達の立場を重ね合わせるかのように表現した上、「1年後の今日、この場所で、希望の炎が輝いていてほしいと思います。」と、来年夏の東京五輪の開催を願うメッセージを発した。

この池江選手の記念イベントでの起用の経緯について、毎日【東京開催の危機「池江一択」 組織委、世論の打開狙う オリンピック1年前メッセージ】は、

大会関係者によると人選は「池江一択」だったという。池江が白血病を公表した昨年2月、池江の呼び掛けに応じて日本骨髄バンクへのドナー登録が急増した。社会的な影響力の高さに加え、組織委内には闘病生活を乗り越えプールに戻ってきた池江の起用で、新型コロナウイルスで様変わりした環境に苦悩する世界中の仲間へ勇気を届ける思いも込めた。

と述べている。

しかし、白血病と闘い、克服しようとしている池江選手の姿勢には心を打たれ、共感しつつも、それを、「来年夏東京五輪開催」に結び付けようとしたことに違和感を覚えた人が、多かったようだ。

それは、ツイッターでの反応からもわかる。「池江璃花子」で検索すると、多くのツイートで、「違和感」「政治利用」などの言葉が出てくる。

白血病との闘病を乗り越え、2024年の五輪に向けて練習を再開したばかりの彼女が、「1年後東京五輪開催」に向けてのイベントに駆り出されること、それを拒絶できないことに、私は、痛々しさを覚えた。それは、多くの人に共通する感覚だったようだ。

多くの人がそのように感じるのは、来年夏の東京五輪が開催できる可能性は極めて低いこと、それにもかかわらず、日本政府や東京五輪組織委員会が、開催予定を維持しており、それは、もっぱら安倍政権側の政治的な事情によるものだと感じているからだ。

「コンプライアンス問題」としての“東京五輪協賛金追加拠出”】でも述べたように、日本では、足元で過去最高の新規感染者が判明している状況であり、しかも、経済の回復と両立させる方針で、4月のような緊急事態宣言を出そうとせず、「国民に感染対策を呼び掛ける」ということにとどまっているので、沈静化の見通しすら立たない。世界の感染状況は一層深刻だ。米国やブラジルなど中南米諸国では、感染者、死亡者が増加を続け、欧州各国の一部では、経済活動再開後に、感染者数が再び増加に転じている。

国内、海外の状況から、国民の多くは、感染者数が再び全国的に大幅に増加している状況下で、来年夏の東京五輪開催に向けて労力やコストをかけることに否定的であることは、7月中旬に行われた各種世論調査で、「開催すべき」が少数にとどまっていることにも表れている。

「開催すべき」との少数の意見の多くが、東京五輪の晴れの舞台をめざしてきた選手達の心情を慮るものであろうが、実際には、その選手達にとっても、客観的に見て開催される可能性が低いと思える来年夏の東京五輪に向けての練習に肉体と精神を集中させていくことは極めて困難で酷なことである。むしろ、開催の可能性が低いのであれば、少しでも早く開催中止を決定するのが、選手達のためでもある(有森裕子氏は、「来年の3月まで引っ張ったら選手(の心身)が持たない」と述べている:サンケイスポーツ)。

東京五輪が2022年ではなく2021年への延期となった最大の原因が、安倍首相自らの自民党総裁の任期内に開催することが目的であることは、組織委員会の森喜朗会長も認めている。しかも、自民党寄りの産経新聞ですら【首相、五輪来年開催に不退転の決意 解散戦略に影響も】で述べているように、安倍首相が五輪開催にこだわるのが、政権の花道(レガシー)にするためであり、東京五輪開催の有無は、内閣支持率が低迷する中、衆院解散・総選挙で政権を維持しようとする安倍政権の解散戦略にも影響を与えるという背景がある。まさに、東京五輪開催の問題は政権維持そのものにも関わる極めて政治的な問題であり、そのことは、国民の多くが感じていることである。

このような「来年夏五輪開催に不退転の決意」で臨む安倍首相の意向を受け、組織委員会や政府関係者が、来年夏開催が困難との認識、五輪開催に否定的な世論に抗って、それを変えていこうとしたのが「東京五輪1年前イベント」だ。

前記毎日記事】で

五輪開催を巡る世論は厳しさを増している。(中略)無観客や規模縮小でも開催に否定的な回答が肯定的な回答を上回っている。

支持を呼び掛ける大規模イベントが感染予防の観点から開催できない中、組織委は再び支持を高めることに腐心。池江の求心力に託し、苦境の打開を図った形だ。

と述べているように、新型コロナ感染再拡大で、五輪開催に否定的な世論を、積極的な方向に変えるために、病み上がりの池江選手をイベントに駆り出したのである。

このイベントでの池江選手のメッセージに、多くの人が、共感しつつも「違和感」を覚えたのは、当然の反応と言えよう。

池江選手は、10代の競泳選手として国際的な活躍を重ねた後に、不幸にして白血病に侵され、その闘病から見事に復活し、2024年の五輪出場をめざしている。まさに我々国民全体にとっての「希望の灯」である。大切に、大切に、その復活を支援していきたいと誰しも思っている。それを、新型コロナ対策で国民の期待を大きく裏切り瀕死の状況にある安倍政権の延命のために政治利用するは論外だ。

問題なのは、客観的には来年夏の東京五輪が開催できる可能性が低く、多くの国民が、コロナ感染拡大に不安感を持ち、開催に否定的であり、来年夏開催の是非を抜本的に再検討しようとするのが当然であるのに、政府・与党の側に、五輪開催の是非を見直す動きが全く出てこないことである。それどころか、組織委員会側は、来年夏東京五輪開催を何が何でも維持するために、開催に否定的な世論を、積極方向に誘導するため、「一年前イベント」に池江選手を登場させるという「禁じ手」とも言える方法まで使った。それに対しても、政府与党・組織委員会の内部から誰も異を唱えなかったいということである。

結局のところ、内閣支持率が下落しているとは言え、7年にわたる長期政権での「権力集中」に慣れ切ってしまった政府・与党内からは、いくら常識的にあり得ないこと、不当なことでも、「おかしい」と声を上げる動きが全く出てこないのである。

それは、「桜を見る会」問題に典型的に表れた公的行事の私物化の構図と共通している。「桜を見る会」運営の実務を行う内閣府や官邸の職員には、公金によって開催される会が、安倍後援会側の意向で「地元有権者歓待行事」と化していることに違和感を覚えても、異を唱えることなどできなかった。後援会の招待者が増え、地元の参加者に十分な飲食の提供など歓待をしようとする後援会側からの要求に抵抗できなかった結果、開催経費が予算を超えて膨張していったが、内閣府等の職員達は、各界の功労・功績者の慰労という本来の目的とはかけ離れた運営の実態にも、全く、見てみぬふりをしていた。

こういう「桜を見る会」の問題に対して、国会での厳しい追及が行われていたが、新型コロナ感染拡大が深刻化する中で、与党側から、「感染対策が喫緊の問題なのに、なぜ『桜を見る会』などというくだらないことを取り上げるのか。」というような声が大きくなるにつれ、国会での追及も自然消滅してしまった。

しかし、その後、安倍政権が行ってきた感染対策のデタラメ、経済対策の混乱・迷走などを見れば、このような国にとって危機的事態に直面しているからこそ、政治権力の集中の下で、政府・与党全体が、政権の意向を忖度する余り「思考停止」してしまう構図を放置することがいかに危険か、国民が信頼できない政権が維持されることが、いかに国民の利益を害するのか、多くの国民が「痛感」してきたはずだ。

新型コロナ感染拡大が始まるまで続いていた「桜を見る会」問題の追及が中途半端な形で終わり、安倍政権への権力集中の下での、与党や官僚機構の無機能が放置されてしまったことが、今、この国が危機的な状況に陥っている大きな原因と言わざるを得ない。

今や、日本の社会にとって一つの「厄災」になりつつある「来年夏東京五輪開催」を一日も早く断念し、危機的な状況にある日本社会が、コロナ感染と経済危機に立ち向かえる体制を構築していくことが不可欠である。

 

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「コンプライアンス問題」としての“東京五輪協賛金追加拠出”

2021年夏に延期された東京五輪の開会予定日まで、7月23日で、あと1年となった。

ちょうど、そのタイミングで、7月23日の新型コロナ感染判明者数は、全国で981人、開催都市東京都で366人と、いずれも過去最大となった。

7月中旬に行われたNHKの世論調査の結果では、来年7月からの東京五輪開催についての質問に対して、「さらに延期すべき」が35%、「中止すべき」が31%、「開催すべき」が26%という結果だったことが明らかとなった(【五輪・パラ 「さらに延期」「中止」が66% NHK世論調査】)。

国民の多くは、感染者数が再び全国的に大幅に増加している状況下で、来年夏の東京五輪開催に向けて労力やコストをかけることに否定的ということだ。

2024年五輪開催の可能性

この問題に関して、私は、【「東京五輪来年夏開催」と“安倍首相のレガシー” 今こそ、「大連立内閣」樹立を】などで、東京五輪開催問題が、新型コロナ対策に対する重大な支障になりかねないことを指摘し、都知事選挙公示直後の【都知事選の最大の争点「東京五輪開催をどうするのか」】では、最も現実的な選択肢は、フランス・パリ当局と協議して、「2024年東京・パリ共同開催」を模索することではないかなどと述べてきた。2024年への延期案は、都知事候補の小野泰輔氏も政策の一つとして掲げていたものであり、世論調査で最も賛成者が多い「再延期」には、2024年への延期模索を支持する人も多く含まれているはずだ。

もっとも、あるルートを通じて、フランス側関係者の意向を確かめてもらったところ、フランス側としては、日本が2021年夏東京五輪開催の方針を維持している限り、2024年開催について日本側と話をすることは困難だとのことだ。2024年の東京・パリ共同開催をめざすとしても、まずは、現実的な可能性が極めて低くなった「2021年東京五輪開催」を早期に断念することが大前提となる。

東京五輪開催をめぐるマスコミの論調の変化

東京五輪開催に関して消極的な話は全く伝えて来なかったマスコミの論調も、ここへ来て変わりつつある。

日経新聞は、北川和徳編集委員【東京五輪のイメージ変化 このまま進んでいいのか】

開催に向けて公金を追加して準備をしたあげく、中止に追い込まれる事態も考えられる。そのときは小池知事や1年延期を提案した安倍晋三首相が責任を取るのだろうか。少なくとも何の説明も受けていない都民や国民は責任の取りようがない。

と述べたのに続き、【東京五輪、しぼむ巨大な祭典 コロナ禍で収益見通せず】と題する連載記事で、五輪競技の国際団体や選手達にとって、来年夏東京五輪開催をめざして準備を進めることによる重い負担や様々な苦悩を伝えている。

国民の見方もマスコミの論調も変わりつつある。

安倍首相の「不退転の姿勢」

しかし、今年夏の開催を来年夏に延期した際に

人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして、国民とともに来年のオリンピック・パラリンピックを必ず成功させていきたい

と述べた安倍首相や、五輪組織委員会の側には、来年夏開催を断念しようとする姿勢は全く見受けられない。それどころか、来年夏開催が困難との認識、五輪開催に否定的な世論に抗って、それを変えていこうとしているようにも思われる。

安倍首相は、7月22日の新型コロナウイルス対策本部会合で

東京五輪・パラリンピックの開催に向け、アスリートや大会関係者の入国に向けた措置を検討していく

と説明し、これ以上の延期や中止を避け、確実に開催できるよう環境整備を進める考えを示したとのことだ【首相、五輪来年開催に不退転の決意 解散戦略に影響も】

安倍首相が、現在のような状況に至っても、なお、「五輪来年開催に不退転の決意」で臨もうとするのは、同記事にも書かれているように、東京五輪を花道(レガシー)にするためとしか考えられない。組織委員会の森喜朗会長も、

僕は2年ぐらいの延期もと思っていたんだけど、安倍首相は来年で任期が切れる。自民党総裁の任期だから特別に延ばすのも問題ないけど、そう思われたくないという気持ちがあった

と、安倍首相の任期が、2021年への延期となった最大の原因であることを明らかにしている(【東京五輪あと1年 二宮清純氏直撃に森喜朗会長激白(3)】22年開催は?「これ以上延ばすと…」

このような首相の東京五輪に向けての発言や「不退転の姿勢」を、「狂っている」と受け止めた人が相当数いることは、ツイッター等での反応からも窺われる。

「コロナ感染下での東京五輪開催」に向けてのムーブメントの作出?

このように安倍首相から「不退転の姿勢」が示されていることもあって、このところの全国的な感染者急増にもかかわらず、日本政府や組織委員会側には、来年夏開催の是非を再検討しようとする動きは全くない。それどころか、開会式1年前となった7月23日、国立競技場で記念イベントが開かれ、各メディアは、「一年後の東京五輪開催を信じて」、「五輪開催とコロナ対策の両立」などという特集が組まれるなど、来年夏の東京五輪開催の方針が全く揺らいでいないことが強調され、「コロナ感染の下での東京五輪開催」を国民的ムーブメントとしていこうとしているように思える。

国立競技場での記念イベントでは、白血病からの復帰をめざす競泳女子・池江璃花子選手が一人でフィールドの中央に立ち、

大きな目標が目の前から突然消えてしまったことは、アスリートたちにとって言葉にできないほどの喪失感だったと思います。私も、白血病という大きな病気をしたからよく分かります。思っていた未来が、一夜にして、別世界のように変わる。それは、とてもきつい経験でした

と、自らの白血病の体験と、東京五輪をめざす選手達の立場を重ね合わせるかのように表現した上、

1年後の今日、この場所で、希望の炎が輝いていてほしいと思います

と、来年夏の東京五輪の開催を願うメッセージを発した。

池江選手のメッセージは、白血病と闘い、克服しようとしている一選手の言葉として、心を打たれるものだ。しかし、それを、「来年夏東京五輪開催」に結び付けることが、果たして、2024年のパリ五輪をめざしている彼女の真意なのだろうか。白血病との闘病の苦難を乗り越え、2024年の五輪に向けて始動し始めたばかりの彼女が、直接関係のない「1年後東京五輪開催」に向けてのイベントに駆り出されること、それを拒絶できないことに、痛々しさすら覚える。

スポンサー企業への協賛金追加拠出の要請

最大の問題は、来年夏東京五輪を開催するならば、そのための追加費用を、誰がどう負担するのか、という点だ。IOCは800億円程度しか負担しない方針を明らかにしており、日本側で少なくとも3000億円の追加費用が必要になると言われているが、開催都市の東京都は、小池都知事がコロナ対策での費用に財政調整金の大半を使い果たしており、とても東京五輪の追加費用を負担できる状況ではない。コロナ対策のために膨大な財政支出を行っている国も、東京五輪に多額の費用を負担する余裕はない。結局のところ、スポンサー企業の追加拠出が、大きな資金源にならざるを得ないだろう。

だからこそ、組織委員会や政府が、記念イベントなどを行うことで、来年夏東京五輪開催の方針が全く揺らいでおらず国民全体が東京五輪開催を願って努力しているかのような雰囲気を作ることで、スポンサー企業にとって、協賛金の追加拠出を行いやすい状況にしようとしているようにも見える。実際に、7月21日に、東京五輪組織委員会が、スポンサー企業に協賛金追加拠出の要請を始めたと報じられている(【東京五輪組織委、スポンサー企業に協賛金追加要請】)。

追加協賛金拠出をめぐるコンプライアンス問題

しかし、現在の状況下で、スポンサー企業が、東京五輪の協賛金追加拠出に応じることには、「組織が社会の要請に応えること」という意味のコンプライアンスにおいて重大な問題が生じることになる。

当初、東京五輪が2020年開催に向けて準備が進められていた段階で、国民の多くが期待する東京五輪開催に協力することは、日本企業にとって社会貢献であり、協賛金を拠出することによって相応の宣伝効果も見込めるので、経営者として協賛金拠出を判断することに特に問題はなかった。

しかし、東京五輪の開催が2021年夏に延期された現在の状況の下では、東京五輪に対して協賛金を拠出することには、様々な問題がある。

【オリンピック延期の追加負担 継続か撤退か 身構えるスポンサー】で指摘されているように、スポンサー企業は、1業種1社に限って五輪マークを使った独占的な宣伝活動が認められることで、企業にとって大きな宣伝効果があった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって積極的な宣伝活動が難しい上に、大会の簡素化によって期待した宣伝効果は見込めない可能性があることなどから、追加費用を拠出することのメリットは大幅に縮小しており、新型コロナの直撃を受けて業績が悪化しているスポンサー企業にとって、追加拠出を正当化する理由は見出し難い。

しかも、追加拠出に応じた場合、現時点でも大多数の国民が予想しているとおり、結局、東京五輪開催が「中止」になっても、拠出した費用は返ってこない。つまり、五輪開催自体による宣伝効果はなく、その分は、企業が損害を被ったことになり、株式会社であれば、それによって株主の利益が損なわれたことになる。

そのような結果が十分に予想できるのに、敢えて拠出を決定したとすれば、会社法上、拠出を決定した取締役が善管注意義務違反に問われ、株主からの代表訴訟で責任を問われる可能性もあるだろう。

そして、このようなコンプライアンス・リスクを承知の上で追加拠出に応じるということであれば、その「動機」も問題になる。

既に述べたように、客観的に見れば、来年夏の東京五輪開催は困難というのが常識的な見方だ。それでも、開催を断念しないのは、安倍首相個人の政治的レガシーを残すことや、開催断念による政権崩壊の危機を回避するという政治的動機によるものと考えられる。

そのような政治的動機による東京五輪開催維持のために、スポンサー企業が協賛金を追加拠出することは、実質的には、「安倍首相側への政治献金」のような性格を有することになる。

また、当該企業の事業に関して、Go toキャンペーン等の実施によって利益を受ける旅行業界などから、安倍政権側に便宜を図ってもらいたいという意図があり、その見返りに協賛金が拠出される場合には「賄賂」的な性格もあると言い得るし、会社の利益にはならないないことを承知で、単なる「経営者と安倍首相とのオトモダチ関係」維持のために会社資金を拠出するというようなことが仮にあった場合には、会社法の「特別背任罪」の問題も生じ得る。まさに、「重大なコンプライアンス問題」となる。

スポンサー企業としての判断のポイント

組織委員会から協賛金の追加拠出を要請された企業は、その是非を取締役会で審議することになるだろう。そこで、取締役としては、以下のような点を踏まえ、追加拠出の是非については、慎重に判断すべきである。

第1に、現在の状況で、2021年夏開催予定の東京五輪に協力することが、本当に、社会の要請に応えるものと言えるかどうかという点だ。

五輪開催が、「コロナ克服の希望の灯」であるとしても、なぜ、それが、現実的には極めて困難な「来年夏開催」でなければならないのか。なぜ、例えば、2024年という現実的に可能性が高い時期に開催をめざす可能性を否定するのか。来年夏東京五輪開催に向けて多大な労力・コストをかけることは、むしろ、日本社会にとっての「希望の灯」を危うくしてしまうのではないか。

しかも、オリンピックというイベント自体が商業化し、本来の「世界中のアスリートが競い合う平和の祭典」とは大きく異なったものになっていることは、かねてから指摘されているところだ。東京五輪招致をめぐっては、贈賄工作を行った疑いで、前JOC会長の竹田恒和氏が、フランスで予審にかけられている。また、選手等を重大なリスクにさらしてまで日本の猛暑の7月~8月に開催する理由が、米国のテレビ局の事情であることは、公知の事実だ。

企業としては、現状において、2021年東京五輪の開催に、株主の負担で協賛金を拠出してまで協力することが、真に社会の要請に応えることなのか、組織委員会等の「雰囲気づくり」に惑わされることなく、冷静に判断する必要がある。

第2に、来年夏に東京五輪を開催できる可能性がどれだけあるのかを、客観的に判断することだ。

新型コロナウイルスに対するワクチンが開発され、それが、全世界に供給される状況になること、画期的な治療薬が開発されて、新型コロナ感染症が抑え込まれること、このいずれかが実現されなければ、東京五輪に、世界中から観客を集めることはおろか、選手を集めることも困難だ。感染リスクの中で、東京五輪に出場をめざして準備し、実際に来日する選手がどれだけいるだろうか。

ワクチンについて最近、国際的に開発の動きが加速しているとは言え、接種の開始は早くても来年前半だとされており(【WHO専門家「新型コロナワクチン接種は来年前半になる」】)、来年夏の五輪開催に間に合うとは思えないし、治療薬も、現時点では「重症化の防止」を図ることが大部分であり、感染や発症そのものを抑えられるわけではない。

企業が協賛金を追加拠出した場合、結局、開催が中止になることで、拠出が丸ごと企業の損失になる可能性が相当高いと言わざるを得ない。

スポンサー企業の追加の協賛金拠出の是非に関して、スポンサー企業が、「社会の要請に応える」という意味のコンプライアンスという観点から適切な判断を行うことで、来年夏東京五輪開催をめぐる日本社会の混乱の収束につながることを期待したい。

カテゴリー: オリンピック, コンプライアンス問題, 安倍政権, 新型コロナウイルス, 企業不祥事 | 2件のコメント

交通事故被害者の主婦が突然“被疑者”に~不当捜査の訴えに裁判所が下す判断は?

高校生の娘を持つ母親の主婦のAさんは、ある日、自家用車を運転中に、高齢運転者の危険運転による一方的な過失による事故の被害に遭って、救急車で搬送された。事故からしばらくして警察から呼び出され、事故の処理かと思って警察署に行ったところ、突然「犯人隠避」の被疑者として扱われた。「私が運転していました」といくら訴えても、「身代わり」であることを認めるように強要される。「昭和の時代」でもあり得ないような事件が、4年前、島根県で起きた。

度重なる取調べが行われ、その恐怖に夜も眠れず、苦しみ続けていたAさんが、私の法律事務所に助けを求めるメールをしてきたのは、2017年5月下旬だった。

Aさんは、警察や検察からの犯人扱いが続き、耐え難い苦痛の毎日を過ごしていたが、交通事故の加害者の高齢男性が不起訴処分になったことで、二重の衝撃を受けた。「なぜ、交通事故の被害者の自分が警察や検察にこんな思いをさせられなければいけないのか、真実を知りたい」と切々と訴えていた。

私は、島根県と国に国家賠償請求訴訟を提起することを提案し、2018年2月に提訴。約2年の審理の末、今年3月に結審。コロナ感染症対策で判決が延期されていたが、明日(2020年7月 15日)、東京地裁で判決が言い渡される。

「交通事故被害者の主婦」が、いきなり「犯人隠避の被疑者」に

発端は、Aさんが、2016年8月、夫のBさん所有の自動車を運転し、優先道路を走行中、一時停止標識を無視して交差点に進入してきた84歳の高齢男性運転の自動車に衝突され、加療4週間を要する肋骨亀裂骨折等の傷害を負った交通事故だった。

事故から約3ヶ月経った11月中旬、Aさんは、警察の呼出しを受け、事故処理のための被害者聴取だと思って警察署に赴いた。すると、突然、「あなたには犯人隠避の疑いがある。被疑者として取調べを行う」と告げられ、ポリグラフ(ウソ発見器)検査を受けさせられた。事故時の運転者が夫であり、無免許や飲酒運転を隠蔽するために、Aさんが運転者であったかのように虚偽申告をした「犯人隠避」の疑いがあるということだった。

突然「被疑者扱い」され、「逮捕する可能性もある」と言われたAさんには、一体何が起きているのかさっぱりわからなかった。Aさんは夜も眠れない程精神的に追い詰められ、体調も崩した。その後も何回も取調べで呼び出され、事故車両と同型車両での実況見分まで行われた。夫のBさんも、警察の取調べを受けた。

しかし、Aさんが事故に遭った時には、勤務先の飲食店のタイムカードの記録で、Bさんにアリバイがあることが明らかになった。それによって、Aさんの犯人隠避の疑いは晴れたように思われた。

検察官が根拠もなく「浮気の可能性」に言及

ところが、Aさんは、取調べ担当の警察官から「犯人隠避の事件で検察庁に送致する」と言われた。それからしばらくして、松江地検の検察官から呼び出された。「交通事故の被害者としての聴取だけでなく、犯人隠避の被疑者としても取調べをする」と告げられ、「黙秘権」も告知された。

Aさんが、「アリバイがあるので夫が運転していなかったことは明らかだ」と言うと、検察官は、「想像は限りなく広がりますよね。俗っぽいことをいえば浮気してて、事故が表になっちゃうのは旦那さんにばれるし」などと言って、あたかも、事故当時、Aさんの浮気相手が運転していて、事故直後に現場から逃げ出した可能性もあるというようなことを言われた。

その検察官は、「目撃者がいるから犯人隠避の疑いがあるが、証拠が十分ではないので起訴しない。事故の相手方の事件(交通事故の加害者)も、被害者が一人か二人かわからないから起訴できない」などと説明した。

警察で突然「被疑者扱い」され、疑いが晴れたと思ったら、検察官にも「被疑者扱い」され、「浮気の可能性もある」などと言われ、一方で、優先道路に一時停止標識を無視して出てきて衝突して自分に怪我を負わせた加害者は不起訴になるというのだ。交通事故の被害者の自分が、なぜ、そのような目に逢わせられなければならないのか、どうしても納得できなかった。

しかし、このような警察や検察の問題を地元の弁護士に相談しても、取り合ってもらえず、Aさんは、地元紙の記事で島根県出身の弁護士として紹介されたことがあった「郷原弁護士」のことを思い出し、私の東京の事務所の公開アドレスにメールを送ってきたのであった。

島根県と国に対する国賠訴訟を提起

電話で、Aさんから詳しく話を聞いたところ、夫のBさんは、5年前に飲酒運転で逮捕されたことがあり、その際、警察とトラブルになり、担当警察官の対応について公安委員会への申立までしている事実があったということだった。警察が、Bさんに対する「意趣返し」から、Bさんの無免許運転を無理やり仕立て上げようとして、Aさんを被疑者扱いした可能性もあると思われた。

島根県警の行為は重大な人権侵害であり、絶対に許すことはできないし、それに加担した松江地検の検察官の対応も論外だった、Aさんには、国賠訴訟を起こすという方法があることを説明した。Aさんは、悩んだ末、夫のBさんとともに提訴することを決断し、2018年2月、東京地裁に、島根県警(被告島根県)と松江地検(被告国)に対する国家賠償請求訴訟を提起した。

国賠訴訟の被告となった島根県は、事故当時、事故車両を男性が運転していたのを目撃したとする「目撃者供述調書」らしき書面2通を、住所氏名を黒塗りにして証拠提出してきた。しかし、2名の「目撃者」のうち1名は、事故直後、Aさんが救急搬送された後の現場での実況見分に立ち会っている。その実況見分調書上は、事故車両の運転者はAさんとなっている。「調書」では、「実況見分の際も、運転者が男性だと言ったつもりだったが」などと述べている。もう一人の目撃者は、「運転席にいた男性に話しかけた」と供述しているが、事故直後の実況見分の車両の停止位置からは、調書で述べているような形で話しかけることは客観的に不可能だ。2名の「目撃者」の供述は全く信用できないもので、運転者が男性であったこと、Aさんが犯人隠避を行ったことを疑う根拠になるものとは到底言えなかった。

訴訟を起こしたAさんを「被疑者扱い」することによる「恫喝」

事故直後の実況見分ではAさんを運転者として扱っているのに、突然、犯人隠避の被疑者として取調べるに至ったのは、どのような経緯で、どのように判断したからなのか、さっぱりわからない。

そこで、訴訟の中で原告側から、

犯人隠避の「犯人」とは、誰についての、どのような犯罪の事実を想定したものなのか、また、「隠避」というのは、いつのどの行為を指すのか

との求釈明を行った。

驚愕したのは、それに対する被告島根県の準備書面での回答だった。

犯人隠避の被疑事件について、送致を行っていないが、公訴時効完成までは捜査は継続しており、現段階においては、従前主張していること以上の事実を明らかにすることはできない

というのである。

Aさんは、警察から呼び出しを受け、本件事故の被害者としての事情聴取だと思って出頭したところ、いきなり「犯人隠避の被疑者として取り調べを行う」と言われ、ポリグラフ検査を受検させられて以降、「被疑者として逮捕されるかもしれない」という不安と恐怖に苛まれ、耐え難い精神的苦痛を受けてきた。被害者なのに、なぜ警察に虚偽の申告をした犯人のように扱われたのか、いかなる理由によるものだったのかを知りたいという思いから、苦悩した末、被告島根県及び国に対する損害賠償請求の提訴に踏み切ったのだ。ところが、島根県は、そのAさんの当然の疑問に対して、真摯に答えようとしないどころか、「犯人隠避の被疑事件について、公訴時効完成までは捜査は継続している」などと述べて、Aさんを引き続き捜査の対象にするかのように「恫喝」してきたのである。

このような島根県の準備書面を見たAさんは、突然犯人隠避の被疑者として取調べを受けた際の恐怖を思い起こし、再び激しい不安に苛まれることになった。

原告側からは、被告島根県の準備書面でAさんが再び大きな精神的打撃を受けたことを訴える陳述書を提出し、島根県の対応を厳しく批判した。それを受け、裁判所から被告島根県に、可能な限り求釈明に応じるようにとの指示があったことを受け、被告島根県は、ようやく、夫のBさんの勤務先のタイムカードに関する捜査報告書を提出してきた。

それが、また驚愕の内容だった。

Aさんの「被疑者取調べ」の前に、夫Bさんのアリバイは判明していた

島根県警が、Bさんの勤務先からタイムカードの提出を受けて事故当時Bさんにアリバイがあることを確認したのは、Aさんの取調べを行う2週間も前だったのだ。Bさんが運転していた可能性が客観的に否定されているのに、Aさんを呼び出して犯人隠避の被疑者で取調べを行い、ポリグラフまで受けさせていたのである。

しかも、島根県側は、「タイムカードの打刻に第三者が介在していた可能性は否定できず、タイムカードの機器の時刻の設定を一時的に変更して打刻した可能性や機器の時刻設定自体に誤差があった可能性なども否定できない」などと主張した。しかし、タイムカードの記録を確認した時点で、タイムカード偽装工作を疑って捜査した形跡は全くない。「苦し紛れの言い訳」であることは明らかだ。

Bさんにアリバイがあり、Aさんに犯人隠避の犯罪の嫌疑がないことがわかっているのに、Aさんを被疑者扱いして、ポリグラフまで受けさせたということになると、その行為の方が「犯罪的」だ。県警側に全く弁解の余地はなく、被告島根県として、責任を認めるのが当然だと思えた。ところが、その後も、島根県は、反論を先延ばししたり、沈黙したり、凡そ公的機関の対応とは思えない不誠実な訴訟対応を続けた。

「高齢運転者の危険運転」を放置する島根県警、無罪放免にした松江地検

もう一つの重大な問題は、この事故は、84歳の高齢者が、一時停止標識を無視して優先道路に進入したために発生した、今まさに社会問題にもなっている「高齢者による危険運転」そのものによる事故なのに、「一時停止した」と言い張って過失を認めない加害者の言い分を許し、何ら追及せず、処罰もせず無罪放免にして放置したことだ。

そもそも優先道路に進入する際、安全を確認して進行車両の有無を確認しなければならないのが当然だ。一時停止をした上で、進入して衝突したとすれば、進入した側の重大な過失であり、むしろ、運転者の認知機能に問題があることになる。ところが、島根県は、「高齢運転者」の「自分は悪くない」という弁解を鵜呑みにして、ろくな追及も行っていない。Aさんに対して、嫌疑がなくなっているのに犯人隠避の被疑者で取り調べるという人権侵害を行う一方で、この高齢運転者の危険運転を処罰する方向での捜査はまともに行わず、検察庁も、この高齢運転者を不起訴(起訴猶予)にしてしまったのだ。この事故の後も、この高齢運転者は、平気で車を運転していたらしい。

調査したところ、この高齢男性は、自治会長や交通安全協会の要職も務めている人だった。島根県の田舎では、そういう人の力は絶大だということであり、まさに地域での「上級国民」に対して、警察の対応に「格別の配慮」があった可能性も否定できない。

裁判所は「重要な事件」と認識し出張尋問で真相解明へ

警察の使命は、市民の生活の平穏と安全を守ることである。

しかし、Aさん夫妻に対して島根県警が行った重大な人権侵害、危険な高齢者運転事故への杜撰な対応、それに対してAさんが国賠訴訟を提起したのに対して「捜査を継続中」などと主張してAさんにさらに精神的な打撃を与えたこと、すべて意図的に行ったとしか思えないものであり、全く弁解の余地のないものである。このようなことを平然と行い、何の反省も謝罪もしない島根県警には、組織の体質に根本的な問題があるとしか考えられない。

裁判長からも、「重要な事件」との認識が示され、2019年11月に、松江地裁で異例の出張尋問が行われた。東京地裁から3人の裁判官が出張し、事件を担当した3人の警察官、被告島根県側が「目撃者」だとする2人の男性の証人尋問が行われた後、原告Aさんの本人尋問が行われた。

Aさんは、涙に声を詰まらせながら、自分の思いを率直に表現し、東京から島根県まで出張して尋問を行ってくれた裁判所に感謝の意を示した。

疑いをいきなりかけられ、突然のことで、警察から疑われて調べを受ける中で、本当に不安の毎日と戦って、この3年間、ずっと、本当に苦しい思いをしてきてるんです。本当に藁にもすがる思いで郷原先生を探してご相談させて頂いて、本当に隠しカメラがあるんじゃないか。なんかいつも見張られているじゃないかとか。娘がもし事故をしたら、また犯罪者扱い、子供たちまでさせるんじゃないかとか。そういう思いでずっと暮らしてきたので、こういう場があることをとても感謝しています。

警察や検察の権力に踏みつぶされそうになった一人の市民、子を持つ一人の母親が、勇気を振り絞って、県警と検察の不当捜査を訴えたこの訴訟で、裁判所が示す判断に期待したい。

 

 

 

 

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中国・三峡ダムを襲う豪雨、「ブラック・スワン」を無視してよいのか

九州各地で起きている豪雨は、過去に経験したことがないほど凄まじいものであり、多くの悲惨な災害をもたらしている。その猛烈な雨量をもたらしている「線状降水帯」の原因となっている梅雨前線は、遠く中国まで延び、中国では、長江流域に大水害を生じさせている。

この大水害は、既に、中国という国にとって、極めて重大かつ深刻な事態に発展しているように思える。そして、それが、日本の社会や経済にも重大な影響を与える可能性もないとは言えないように思える。

しかし、台湾系や反中国政府系のメディアではこの大水害について盛んに報じられてきたが、日本のメディアは全くと言っていいほど、報じてこなかった。

7月10日に至って、読売新聞が初めて、「上海=南部さやか」という以下の署名記事で報じた。

中国南部の長江流域を中心に続いている豪雨は、中国応急管理省の10日までの調べで、被災者が江西、安徽、湖北省など27省市・自治区で延べ約3400万人に上り、死者・行方不明者が140人を超えた。

国営新華社通信などによると、江西省上饒市では8日、堤防が約50メートルにわたって決壊し、農地が浸水するなどの被害が出た。土砂崩れも湖北省などの各地で起きている。応急管理省によると、これまでに延べ約200万人が緊急避難した。

中国気象局の予報では、長江中下流域では18日まで強い雨が続く見通し。長江にある世界最大級の「三峡ダム」は6月末から放水を始めたが、放水が増水に間に合っておらず、警戒水位を上回っている。

長江流域での水害は、毎年繰り返されており、それだけであれば、特に珍しいことではない。問題は、記事の最後に書かれている、世界最大の水力発言ダムの「三峡ダム」の水位が、警戒水位を上回った後、さらに高まっていることだ。

読売の記事の少し前、7月6日、Newsweekに、【中国・三峡ダムに「ブラックスワン」が迫る──決壊はあり得るのか】(作家・譚璐美氏)と題する記事が掲載された。

建設中から李鵬派官僚による「汚職の温床」と化し、手抜き工事も起こった。2008年に試験貯水が開始されると、がけ崩れ、地滑り、地盤の変形が生じ、ダムの堤体に約1万カ所の亀裂が見つかった。貯水池にためた膨大な水が蒸発して、濃霧、長雨、豪雨が頻発した。」などと建設時からダムの安全性に問題があった。

万が一決壊すれば、約30億立方メートルの濁流が下流域を襲い、4億人の被災者が出ると試算されている。安徽省、江西省、浙江省などの穀倉地帯は水浸しになり、上海市は都市機能が壊滅して、市民の飲み水すら枯渇してしまう。上海には外資系企業が2万2000社あり、経済的なダメージ次第では世界中が損害を被る。

「ブラックスワン」とは、「起こる可能性は確率的に非常に低いが、起これば極めて大きな衝撃を引き起こす事象」のことである。

同記事では、「29日には三峡ダムの貯水池の水位が最高警戒水位を2メートル超え、147メートルに上昇」、「三峡ダムの耐久性はほぼ臨界点に達していると言えるのではないか」としていたが、その後も、長江流域の豪雨は続き、7月10日には、ロイターが【中国長江流域の豪雨で氾濫警報、三峡ダムは警戒水位超える】と題する記事で、

流域にある巨大ダムの三峡ダムでは貯水量が増え、放水しても追いつかない状況。水利省によると、警戒水位を3.5メートル上回っているという。

と報じた。

三峡ダムの水位については、【長江水文】と題するサイトがあり、三峡ダムを含む、長江流域の水位の1時間ごとの最新情報が公開されている。それによると、三峡ダムの水位は、警戒水位の145メートルを大きく超え、13日午後2時の時点では、153.68メートルと、警戒水位を8メートル以上も上回っており、毎秒の入水が37000立方メートル、出水が19200立方メートルで、差し引き17800立方メートルであり、1日に換算すると、約15億4000立方メートルが貯水されつつあることになる(日本の最大の貯水量のダムは、岐阜県の徳山ダムで、総貯水容量6億6000万立方メートルである)。

福島香織氏【長江大洪水、流域住民が恐怖におののく三峡ダム決壊】(JBpress)によると、

湖北省宜昌市は6月11日に、三峡ダムの水位を145メートルの増水期制限水位まで下げたと発表した。例年より早めに洪水防止のための貯水調節を行い、6月8日に前倒しで221.5億立方メートルの水を下流域に排出して145メートル(正確には144.99メートル)にまでに下げたのだ。この調節放水の量は西湖(杭州にある世界遺産の湖)1550個分という膨大なものである。

三峡ダムの堤防の高さは185メートルで、蓄水期はおよそ175メートルまで水がためられている。これを長江の増水期前に145メートルまで水位をさげて、増水に備えるのだ。この30メートルの水位差が、長い中国の歴史で繰り返されてきた長江の大洪水を防止する役割を果たすといわれてきた。

とのことであり、145メートルという「警戒水位」を超えることで、ただちに氾濫や決壊の危険が生じるわけではない。

しかし、三峡ダムの下流域にある中国最大の淡水湖の鄱陽湖で、12日午前0時(日本時間同1時)に、星子水文観測所の水位が1998年の大洪水時の水位22.52メートルを超え、観測史上の過去最高水位を突破したと報じられており(AFP)、三峡ダムからの出水量を絞って、下流域の洪水の拡大を防止しなければならず、その分、三峡ダムの水位は、今後も、急速に上昇していく可能性が高い。

上記中国のサイトには、【長江流域の降雨予測】のサイトも併設されており、それによると、長江流域では、今後、7月18日頃にかけて、かなりの雨量が予想されている。

豪雨による大規模ながけ崩れ、地滑りが起きて津波が発生したり、近隣で地震が起きたりした場合、ダムの決壊とまではいかなくても、その機能が大きく損なわれ、下流域の洪水が極めて深刻な事態となる。長江下流には、武漢、杭州、上海等、多数の日本企業の拠点がある都市もあり、大洪水に見舞われた場合の被害は深刻なものとなりかねない。

台湾系、香港系メディアは、中国政府に対して批判的であり、右翼系のメディアなどは、中国国内の問題の深刻さを過大視、強調する傾向があることは確かである。当然のことながら、中国政府は、「三峡ダム」の決壊の危険性を真っ向から否定しており、情報の真偽や危険性の評価は慎重に行う必要がある。

しかし、海外メディアを中心とする報道の内容や、現在の水位、入出水量、下流の洪水の状況などからすると、三峡ダムをめぐる危険性は、「万が一」から「千が一」のレベルに高まっているように思える。

新型コロナウイルスに関しても、当初、中国で重要な情報が隠蔽された疑いが指摘されていす。三峡ダムが仮に危険な状態になっているとしても、中国当局が、人命を優先した速やかな情報公開を行うのかどうかは不明だ。

この問題を、日本でも、重大な問題として受け止め、入手し得る情報を基に、専門家による分析を行い、リスクレベルを検討することが必要な段階に来ているように思える。

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河井夫妻事件、現金受領者“不処分”の背後に「検察の策略」

東京地検特捜部に逮捕され、勾留が続いていた河井克行衆議院議員(前法務大臣)とその妻の河井案里参議院議員が、7月8日の勾留満期に、公職選挙法違反(買収)の事実で起訴された。

克行氏の逮捕容疑は、昨年7月の参議院選挙をめぐり、妻の案里議員が立候補を表明した去年3月下旬から8月上旬にかけて、「投票のとりまとめなどの選挙運動」を依頼した報酬として、地元議員や後援会幹部ら91人に合わせておよそ2400万円を供与した公選法違反の買収の疑い、案里議員は、克行氏と共謀し5人に対して170万円を供与した疑いであったが、起訴事実では、克行氏単独での供与の相手方が102人、供与額は2731万円に増えた。

問題は、河井夫妻から現金を受領した側の地元議員・後援会幹部等の刑事処分だ。勾留満期の2、3日前から、「検察は現職議員ら現金受領者側をすべて不問にする方針」と報じられていた。昨日の起訴に関する次席検事レクでは、この点に関して明確には答えていないが、そこでの説明は「少なくとも今起訴するという判断はしていない。起訴すべき者と考えた者を起訴している」というものだったようだ。結局、事前の報道のとおり、河井夫妻以外の者の起訴は、「現時点では予定していない」ということであり、現金受領者側の受供与罪は刑事立件すらせず、すべて不問にする方針ということのようだ。

このような検察の刑事処分は、従来の公選法の実務からは、あり得ないものだ。このようなやり方は、まさに「検察の独善」が端的に表れたものと言わざるを得ない。

検察は“ルビコン川”を渡った~河井夫妻と自民党本部は一蓮托生】等でも述べたように、そもそも、今回の事件での河井夫妻への買収罪の適用は極めて異例だった。従来は、公選法違反としての買収罪の適用は、「選挙運動期間中」やその「直近」に、有権者個人に、投票や家族知人等への投票を依頼する対価、或いは、選挙運動員等に法定外の報酬を払う行為など、投票や選挙運動を直接的に依頼する行為が中心であった。ところが、今回の逮捕容疑の多くは、昨年3月以降、つまり、選挙の公示よりかなり前の時期に、広島県内の議員や首長などの有力者に対して、参議院選挙での案里氏への支持を呼び掛けて多額の現金を渡していたというものだ。「案里氏の支持基盤の拡大」に協力することを求める趣旨のものが多かったと考えられる。従来は、選挙に向けての政治活動としての「地盤培養行為」には、買収罪の適用は難しいとされてきた。

このように河井夫妻に対する買収罪(供与罪)の適用が異例であったことと、現金受領者側に対して、買収罪(受供与罪)の刑事処分が行われないという極めて異例の対応が行われようとしていることとは、密接に関連している。

その理解のためには、そもそも公選法違反の「買収」というのが、どのような規定に基づくどのような犯罪なのかということを、改めて基本から説明する必要がある。

公選法違反の「買収罪」の処罰の理由と「3つの類型」

公選法221条1項では、買収罪について、「当選を得る、又は得させる目的」で、「選挙人又は選挙運動者」に対して「金銭等の供与」と規定している。

買収罪が処罰されるのは、「選挙人自身の投票」や「他人に投票を依頼したり働きかけたりする選挙運動」に関して「対価」「報酬」を受け取ってはいけない、という「投票・選挙運動の不可買収性」というのが理由である。

選挙の買収罪は、しばしば「贈収賄」と混同される。贈収賄が処罰されるのは、国や自治体から給与を得て職務を行う公務員が、その職務に関連して金品を受け取ることが、「職務を金で売ってはならない」という、「公務員の職務の不可買収性」に反するという理由だ。買収に関して言えば、「選挙人自身の投票」や、「選挙運動」は、自らの意思で、対価を受けずに行うべきなのに、それを、対価を受けて行うことが「不可買収性」に反するということであり、そういう意味で、買収と贈収賄とは構造が似ている。

買収罪も贈収賄も、金品の授受が行われる理由について、渡す側と受け取る側の両者の意思が合致した場合に、双方に犯罪が成立するものであり、「対向犯」と言われる(金品を渡そうとしたが受け取らなかった場合には「申込罪」だけが成立する)。

これまで、買収罪として摘発されてきた事案は、(ア)「投票買収」、(イ)「投票取りまとめ買収」、(ウ)「運動員買収」に大別される。

このうち、(ア)は、選挙人自身に特定の候補者への投票を依頼し、その報酬として金銭を渡すものだ。上記の条文で言えば、「選挙人」(投票権のある人)に対する「供与」であり、そのような「投票を金で売買する行為」を行ってはならないことは誰しも認識しており、違法性は明白だ。

(イ)の「票の取りまとめ買収」というのは、当該選挙人以外の選挙人に特定の候補に投票するように働きかけてもらうことである。「票の取りまとめ」は、「選挙運動」と言えるので、「票の取りまとめ」を依頼し、その対価として金銭を渡した場合は、「当選を得る、又は得させる目的」で「選挙運動者」に対して行う供与行為ということになる。

ただし、この「票の取りまとめ」の依頼については、投票するよう働きかけてもらいたい相手がある程度具体的に想定され、その認識が供与者と受供与者との間で一致している必要がある。典型的なのは、金銭を渡す相手の「家族」「親戚」「知人」などへの「働きかけ」を依頼する場合である。

(ウ)は、主として選挙期間中に、選挙に関連する「労務」を提供する「運動員」に対して報酬を支払う行為である。このような「労務」に対しては、法律で一定の範囲で報酬支払が認められており、その範囲外の報酬を支払うと買収罪が成立する。河井案里氏の政策秘書らが逮捕・起訴された「車上運動員(ウグイス嬢)買収」がその典型例だ。上記の条文で言えば、「選挙運動者」に対する供与であり、これも、「当選を得る、又は得させる目的」で行われることは明白だが、この場合は、雇用契約や委託契約に基づいて指示どおりに労務を提供しているだけの運動員の側には、法定の範囲外で違法であることの認識が希薄な場合も多い。そういう意味で、(ウ)の「運動員買収」は、「贈収賄」とは性格を異にしており、もっぱら違法な報酬を支給する側の問題であり、運動員側は処罰の対象とされないことが多い。

このように、(ウ)の「運動員買収」は例外だが、(ア)の投票買収、(イ)の投票取りまとめ買収は、贈収賄と同様に、供与者・受供与者側の双方が処罰されるのが原則である。

公選法違反の罰則適用は、各陣営に対して公平に行われる必要があり、検察庁では、買収罪について、求刑処理基準が定められている。私が現職の検察官だった頃の記憶によれば、犯罪が認められても敢えて処罰しないで済ます「起訴猶予」は「1万円未満」、「1万円~20万円」が「略式請求」(罰金刑)で、「20万円を超える場合」は「公判請求」(懲役刑)というようなものだった。

河井夫妻からの現金受領者の刑事処分は?

検察は、起訴状の詳細を公表しておらず、河井夫妻が誰にいくらの現金を供与したのかは公式には明らかになっていないが、逮捕容疑の内容は新聞等で報じられており、それによると、河井夫妻による現金供与は、 (a)現役の首長・議員、元首長、元議員などの有力者、(b)案里氏の後援会関係者に大別され、その金額は、 (a)のうち、市議は10~30万円、県議が30万円、現職首長が、20~150万円、県議会議長が200万円、(b)が概ね5~10万円とされている。

買収罪の処罰の実務からすると、河井夫妻による現金供与の買収罪が起訴され、検察は「供与罪が成立する」と認定しているのであるから、一方の、現金の供与を受けた側についても、「受供与罪」が成立し、求刑処理基準にしたがって起訴されるのが当然だ。

現金受領者側を処罰しない理由に関して、「非公式な検察幹部コメント」として、「克行被告が無理やり現金を渡そうとしたことを考慮した」「現金受領を認めた者だけが起訴され、否認した者が起訴されないのは不公平」などの理由が報じられている。

しかし、買収というのは、「投票」「投票取りまとめ」を金で買おうというものであり、相手方には、受領することに相当な心理的な抵抗があるのが当然であり、無理やり現金を置いていくというケースもあり得る。その場で突き返すか、すぐに返送しなければ、「受領した」ということなのであり、無理やり現金を渡されたことを理由に、受供与罪の処罰を免れることができるのであれば、買収罪の摘発は成り立たない。また、刑事事件では、自白がなければ立証できない事件で、事実を認めた者が起訴され、否認した者が起訴されないことは決して珍しいことではない。それが不公平だと言うのであれば、贈収賄事件の捜査などは成り立たない。このような凡そ理由にならない理由が「検察幹部のコメント」として報じられるのは、処罰しない理由の説明がつかないからである。

問題は、なぜ、上記のように、公選法違反の買収罪に関して、実務の常識からは考えられない「現金供与者側を起訴した事案について、現金受領者側の受供与罪は刑事立件すらせず、すべて不問にする」という対応が行われようとしているのか、である。

そこには、河井夫妻の買収罪の事件に関する「立証の困難さ」が影響していると考えられる。

「投票の取りまとめ」の趣旨の立証の困難性

上記(b)の後援会幹部に対する現金供与は、「案里氏の当選に向けての活動」に対する謝礼・報酬として渡した現金であることは明らかだが、その場合の「当選に向けての活動」が、後援会としての「政治活動」なのか、「選挙運動」なのかが問題になる。現金授受の時期、授受の際の文言などによるが、「投票の取りまとめ」の依頼の趣旨の立証が可能な現金供与が多いであろう。

問題は、上記(a)の首長・議員らに対する現金供与の方だ。現金のやり取りの状況について、マスコミが、受領者側の取材で報じているところによると、現金の授受の場面は5分程度の短時間で、「お世話になっているから」「案里をよろしく」という短い言葉だけだったとされており、このようなやり取りからは、これらの現金供与によって、河井夫妻側が期待したのは、「案里氏の支持基盤拡大のための政治活動への協力」と考えるのが合理的だ。「当選祝い」「陣中見舞い」と口にしているとしても、それは単なる名目であり、案里氏の当選を目的としていることは否定できない。しかし、そうだからと言って、「投票のとりまとめ」の依頼の趣旨だということではない。これは、一般的には「地盤培養行為」の一種と見られ、これまでは、「選挙運動」ではなく、政治活動の一種と位置付けられてきたものだ。

「地盤培養行為」にも、日常的に行われる党勢拡大や支持拡大のための政治活動もあれば、特定の選挙での特定の候補者の当選を目指して行われるものもある。後者は、「選挙運動」との境目が曖昧であり、そのための費用や報酬として金銭を供与することは、政治資金の寄附というより、買収に近いものとなるが、これまでは、実務上、公選法の買収罪の適用対象とされてこなかった。今回の河井夫妻の現金供与は、案里氏の立候補表明後に行われているもので、目的が、「案里氏の当選」であることは明らかだが、それが「票の取りまとめ」を依頼するものとは考えにくい。

こう考えると、河井夫妻による現金供与の多くは、「投票」や「投票の取りまとめ」の依頼とは言い難く、従来の公選法違反の買収摘発実務の常識からすると、河井夫妻の逮捕容疑の中で、実際に起訴される事実は、相当程度絞り込まれることになると思われた。

「投票の取りまとめ」の趣旨の公判証言を得るための検察の策略

ところが、検察は、河井夫妻の逮捕容疑に、さらに数名に対する買収の事実を加え、すべての事実で「票の取りまとめなどの選挙運動を依頼して現金を供与した」という、従来からの買収事件の起訴状の一般的な文言で起訴した。

現職の議員等に対して、公示日から離れた時期に現金を渡していること、その授受の場面について報じられている内容などからすると、「投票の取りまとめ」の依頼の趣旨であったことの立証は、特に、上記(a)については、相当困難だ。しかし、検察は、「投票の取りまとめ」の依頼の趣旨で起訴した。河井夫妻側は、「支持基盤の拡大」のためだったとして、「投票の取りまとめ」の依頼の趣旨を否定している。そのような事実で起訴した場合、現金受領者に「投票の取りまとめ」の依頼の趣旨と認識して現金を受領したことを公判でも証言させないといけない。そのために、検察が考えた策略が、現金受領者側に、「検察の意向に沿った証言をすれば、自らの処罰を免れることができる」との期待を持たせることだった。

現職の議員らにとっては、河井夫妻から現金を受領したことが公選法違反の買収罪に当たり、その受供与罪で起訴されると、公民権停止となり、首長・議員を失職することになるだけに、公選法違反で起訴を免れることができるかどうかは死活問題だ。そこで、検察は、「票の取りまとめの依頼と認識して現金を受領した」という内容の供述調書を録取し、河井夫妻の公判で、供述調書どおりの証言をすれば起訴を免れることができるとの期待を持たせ、公判証言で検察に協力させようと考えているのであろう。

このようなやり方は、刑訴法で制度化させている「日本版司法取引」とは似て非なるものだ。正式な司法取引であれば、他人の犯罪についての供述者が、自分の処罰の軽減を動機に供述したことが、「合意書」上明確にされ、それを前提に公判証言の信用性を裁判所が評価するというものだが、今回のやり方は、検察が公判証言の内容を見極めた上で、供述者の最終的な起訴不起訴を決めようとしているのではないか。

河井夫妻の現金供与の事件の捜査は、今年1月から継続されてきたものであり、既に終了しているはずだ。それなのに、検察側が、現金受領者側の起訴は「現時点では予定していない」というのは、供述者側に、「本来は起訴されるべき自らの犯罪について起訴が見送られている」という恩恵を与えることを意味する。その恩恵が継続し、最終的に、起訴されないで済ませてもらおうと思えば、供述者は、河井夫妻の公判で検察官調書どおりの証言をせざるを得ない。「ヤミ司法取引」以上に悪辣な方法と言うべきだろう。

公選法違反は「日本版司法取引」の対象犯罪に含まれないので、正式な司法取引はあり得ない。そこで、有利な公判証言を得るために、司法取引よりさらに巧妙な方法を考えたのではないか。それによって、現金受領者側の議員らは、河井夫妻の公判でも、「票の取りまとめを依頼された」との趣旨を認める証言をするというのが検察の目論見なのであろう。

しかし、果たして、現金受領者側が検察の意に沿う証言をするかどうかは、予断を許さない。現金受領者側は、このまま検察が受供与罪を立件しない場合でも、河井夫妻の供与罪での有罪が確定すると、それによって、現金受領者の受供与罪が成立することは否定できなくなる。それを受けて「告発」された場合、検察の行い得る不起訴処分は、犯罪事実が認められるが敢えて起訴しないという「起訴猶予」しかない。前に述べた求刑処理基準に照らしても、検察のいう理由からしても、それに全く理由がないことは明らかであり、不起訴処分に対して「検察審査会」への申立てが行われれば、起訴議決に至る可能性が高い。つまり、現金受領者側は、河井夫妻の公判で「投票の取りまとめ」の依頼の趣旨を認識して現金を受領したと証言することで、検察の起訴のリスクは免れても、検察審査会による起訴議決を免れることはできないのである。

「自民党本部からの1億5000万円の選挙資金提供」への影響

検察が、河井夫妻の逮捕容疑から絞り込むことなく、全体を起訴の対象とするのであれば、公選法の買収罪の適用のハードルを下げ、従来は「政治活動」とされてきた「支持基盤拡大のための地盤培養行為」も「選挙運動」に含まれると解釈することにならざるを得ない。その場合、起訴状の記載に、「票の取りまとめの依頼」だけではなく、「案里氏の支持基盤拡大のための活動への協力」なども記載して、「地盤培養行為」的な現金供与も買収罪に当たるとの主張を行うことになる。

 その場合も、公選法221条1号の条文の抽象的な文言だけからすると、裁判所に肯定される可能性が相当程度ある。しかし、「地盤培養行為的」な金銭供与が公選法違反の供与罪に当たるということになると、「地盤培養行為」に関して現金供与を行う資金を提供する行為についても幅広く「交付罪」が成立することになり、多くの影響が生じる。

従来、国政選挙の際に、国政政党から公認候補者に対して提供される選挙資金は、その金額によっては、選挙区内の政治家等に対して「地盤培養行為」の活動資金として渡されることを認識した上で提供されるものも相当程度あったものと思われるが、それらについても「交付罪」が成立する可能性が生じる。

河井夫妻の現金供与事件については、自民党本部から河井夫妻への政党支部に対して行われた1億5000万円の選挙資金の提供が、同じ自民党の公認候補の溝手顕正氏の10倍の金額であったことが問題とされているが、それも、「地盤培養行為」としての地元政界有力者に提供する資金を含むことを認識して行われた可能性もある。検察が、買収罪の適用のハードルを敢えて下げて、「地盤培養行為」的な現金供与も買収罪に当たると主張する場合には、そのような目的を認識して資金提供した自民党本部側にも「交付罪」成立の可能性が生じることとなる。つまり、検察は、選挙資金を提供した自民党本部に対する捜査を避けて通れないことになる。

また、それによって、「地盤培養行為」のための資金提供を、当然のごとく行ってきた選挙運動の在り方そのものが違法の疑いを受けることになり、その影響は、自民党などの保守政党のみならず、各種団体から組合支持候補への資金提供にも及ぶ。それによって、大きな政治的、社会的影響を生じることになる。

河井前法相“本格捜査”で、安倍政権「倒壊」か】でも述べたように、検察は、従来は買収罪の適用対象とはされてこなかった「地盤培養行為」に関する現金供与を多く含む容疑事実で現職国会議員夫妻を逮捕すべく、長期間にわたって、積極的な捜査を続けてきた。それは、自民党本部から河井夫妻への1億5000万円の選挙資金提供についても「買収罪の立証のハードルを大幅に下げる解釈」をとらざるを得ないというのが「当然の成り行き」だった。検察は、それを覚悟した上で、敢えて河井夫妻を逮捕したはずだった。その背景には、黒川検事長の違法定年延長問題や検察庁法改正問題で、安倍政権が、検察の幹部人事を支配下におこうとしたことがあり、そういう安倍政権に対する検察組織の側からの反発があったと考えられる。(【検察は、“ルビコン川”を渡った。~河井夫妻と自民党本部は一蓮托生】。

ところが、検察は、勾留満期に河井夫妻を起訴する一方、当然行うべき現金受領者側の刑事処分を見送る、という常識では考えられない対応を行っている。自民党本部から河井夫妻への1億5000万円の選挙資金の提供と買収との関係を解明しようとする姿勢も全く見られないどころか、そのような「当然の成り行き」を回避するために、検察は、河井夫妻について、すべてを「投票の取りまとめ」という「無理筋」の趣旨で起訴したのである。

菅原一秀衆議院議員の公選法違反事件で、凡そあり得ない「起訴猶予」の不起訴処分を行い(【菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か】)、河井夫妻の事件を「多額現金買収事件」に矮小化し、何とか有罪立証を行うことに汲々としている検察の姿勢は、1月に、この事件で強制捜査に着手した頃とは全く異なるものになっていることは間違いない。

黒川検事長が「賭け麻雀」で辞任し、後任に、検察の目論見通り林真琴検事長を据えることができたことで、組織としての目的は達成でき、今後は、安倍内閣が、林検事長の検事総長への就任を妨害しないように、事件を早期に沈静化しようとしているのかもしれない。

検事長定年延長や検察庁法改正で政権に押しつぶされようとしていた検察に対して、芸能人・文化人も含めて多くの人がネット上で声を上げ、大きな盛り上がりとなったとき、多くの人が期待したのは、今回の河井夫妻事件で見せたような検察の姿ではなかったはずだ。

今回の事件は、「検察の在り方」に対して、多くの課題を残すものと言えよう。

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菅原前経産相・不起訴処分を“丸裸”にする~河井夫妻事件捜査は大丈夫か

昨年10月、内閣改造で初入閣したばかりの二人の大臣が、いずれも週刊文春の記事で疑惑が指摘された直後に辞任した。一人が、法務大臣を辞任した河井克行衆議院議員、もう一人が、経済産業大臣を辞任した菅原一秀衆議院議員だった。

河井氏は、妻の河井案里参議院議員が当選した昨年7月の参議院選挙で、車上運動員に法律の制限を超える報酬を支払っていた問題、菅原氏は、選挙区内の有権者にカニやメロン等の贈答品を配っていたと報じられた後に、秘書が、通夜に菅原氏の名前が入った香典を持参していたことが報じられたものだった。

河井氏の方は、6月18日に、案里氏の公設秘書が公選法違反(買収)で逮捕・起訴され、河井氏と案里氏が、同じ参議院選で、広島県内の首長や県議会議員、市議会議員などの政界関係者に現金を配った買収容疑で逮捕され、現在も勾留中だ。

一方、公選法(寄附の禁止)違反容疑で告発されていた菅原氏は、6月24日、東京地検により、2017~19年、選挙区内の有権者延べ27人の親族の葬儀に、枕花名目で生花18台(計17万5000円相当)を贈り、秘書らを参列させて自己名義の香典(計約12万5000円分)を渡したとして、公選法違反の事実が認定されたが、不起訴(起訴猶予)処分となった。

公選法違反で処罰されれば、罰金であっても公民権停止となり、国会議員を失職することになることを考慮したのかもしれない。しかし、裁判所は、公選法で罰金刑に処した上で、公民権の不停止や期間短縮を言い渡すことができる(公選法252条4項)。公選法違反の事実が認められるのに、検察官の判断で、罰金刑すら科さない起訴猶予処分を行う理由には全くならない。

私は、昨年10月の週刊文春の記事が出た直後から、菅原氏の公設第一秘書のA氏と公設第二秘書のB氏の代理人として、文春側や菅原氏側への対応を行ってきた。検察は、不起訴処分になった事件について、証拠も記録も開示しないので、一般的には、不起訴処分の不当性を証拠に基づいて論じることはできない。しかし、今回の菅原氏の事件については、私は、A・B両氏から事実関係を詳しく聞いており、また、文春の記事が出て以降、両氏の代理人として対応する中で、菅原氏の態度、行動なども、相当程度把握しており、検察が起訴猶予の理由とした「反省」「謝罪」が真摯なものかを判断する根拠もある。これらから、菅原氏の不起訴(起訴猶予)処分を「丸裸」にし,それがいかに不当であるかを具体的に論証していくことにしたい。

秘書に「違反でっち上げ」の“濡れ衣”を着せた菅原氏

昨年10月に文春の記事が出た直後、私と面識があったA氏の知人を介してA氏の相談を受けた。A氏は、「文春側から、記事掲載前に一度『直撃取材』を受けたが、取材を拒否した。それ以外に文春側と全く接触したことはない」と話し、刑事事件で取調べを受けた場合の対応や、文春側への対応についての相談だった。

私は、A氏とほぼ同じ立場にあるB氏からも同じように委任を受け、週刊文春等のマスコミへの対応はすべて私が行うことにした。それに加えて、重要となったのが菅原氏側への対応だった。

菅原氏は、文春の記事が出た直後から、「自分は香典を持参するように指示はしていない。Aが文春と組んで、大臣の座から引きずり降ろした。」というような話を、支援者などに言いふらしており、A氏らは、事務所からも締め出され、秘書としての業務の指示も全くない状態だった。そのままでは、「A氏が週刊誌と組んで菅原氏の違法行為をでっち上げて、大臣辞任に追い込んだ」などという事実無根の話を広められたまま、公設秘書を解職されることになりそうだった。それは、A氏にとっては、政治家秘書としてだけではなく、社会的信用の失墜につながるものだった。

11月に入り、A氏とともに菅原氏の選挙区内の有権者宅への香典を届ける仕事をさせられていた公設第二秘書のB氏が、菅原氏の後援会幹部の車に乗らされ、4時間にわたって喫茶店、同幹部の自宅、カラオケ店などで〝軟禁〟され、途中で合流した菅原氏から、繰り返し、文春にリークしたことを白状するよう詰問されるという「事件」が起きた。

A,B両氏の代理人としての菅原氏側への「申し入れ」

私は、A、B両氏から委任を受け、菅原氏側に対して申入れをすることにした。菅原氏に連絡をとったところ、同氏の代理人弁護士から連絡があったので、以下のような申入れを行った。

「A氏が週刊文春と組んで菅原氏の違法行為をでっち上げて、大臣辞任に追い込んだ」などという事実無根の話を広めてA氏の名誉を棄損するのはやめてもらいたい。そのようなことを理由に、A氏やB氏の公設秘書を解職することは受け入れられない。正常に公設秘書として勤務をさせてもらいたい。

A氏が週刊文春の取材に応じた事実が全くないことは、私が週刊文春側に対応してきた経過からも断言できることについても、十分に説明した。

数日後に、同弁護士から連絡があり、「申入れの趣旨は了解した」とのことだった。A・B両氏は、練馬区の地元事務所には、他の秘書がいる時間に限って入室を許されるようになった。

しかし、秘書業務は、以前はすべて菅原氏の指示で行っていたのに、指示は全くなくなり、地元の後援会関係者へのあいさつ回りや地元での行事への参加のような仕事だけをこなす毎日が続いた。菅原氏は、経産大臣辞任後、「体調不良」を理由に国会を欠席していたが、実際には、選挙区内の後援会関係者や支援者を回って、辞任の経緯の説明を行い、違法行為を否定しているという話は、A氏らの耳にも入っていた。「Aが週刊文春と組んで菅原氏を大臣辞任に追い込んだ」という話は、その後も、選挙区内で広まっていた。

12月に入り、私は、A・B両氏の意向を受け、菅原氏の代理人弁護士に、「菅原氏が、A氏が週刊文春と組んで菅原氏を大臣辞任に追い込んだ事実はないことを明言してA氏の名誉を回復する措置をとること」を条件に、A、B両氏が公設秘書解職に応じて、菅原事務所を円満退所することを提案し、条件の提示を要請した。

菅原氏の国会復帰後、「秘書にハメられた」との話が拡散

年が明け、1月20日に通常国会が始まり、菅原氏も国会に出席するようになったが、菅原氏は、国会初日に、「ぶら下がり」で、記者に公選法違反の疑惑について質問されて、「告発を受けているので答えられない」と述べて、説明をしなかった。

代理人弁護士からの返答は全くなく、A氏らへの業務の指示も全くない状況が続いた。

1月30日、民放BS番組の打合せで田原総一朗氏と会った際、田原氏が、いきなり「菅原さんの件、あれは秘書にハメられたんだってね」と言ってきた。私は、秘書の代理人をやっていること、秘書が菅原氏をハメた事実は全くなく、文春の取材に応じたこともないことを強調しておいたが、田原氏は、政界関係者から聞いて、そう思い込んでいたようだった。通常国会が始まり、菅原氏が国会に復帰した後、そのような話が、政界関係者からマスコミの間にまで広まっていることがわかった。そのような話を誰が広めているのかは、明らかだった。

そして、その翌日の1月31日に、菅原氏の代理人弁護士から、久々の電話連絡があった。「Aさん、Bさんに、一か月分の給与を上乗せ支給するので、公設秘書の解職に応じ、菅原事務所を退所してほしい」という申し入れだった。私は、「A氏の名誉を回復する話はどうなったのか。菅原氏自身が、A氏らが文春と組んで菅原氏を大臣の座から引きずり降ろしたという話を否定してA氏らの名誉回復の措置を講じない限り、話に応じることはできない」と述べた。代理人弁護士は、「A氏らが文春にタレこんだに決まっているじゃないですか。菅原氏にそれを否定させることは無理だと思いますよ。一応、話をしてみますが」と言っていた。いつの間にか、その弁護士自身も、A氏らの文春へのタレこみを「公知の事実」であるかのように言うようになっていた。

一方的に公設秘書を解職されたA・B両氏の「決断」

その後、代理人弁護士からは全く連絡がなく、A氏らは、それまで通り、支援者回りをする状態が続いていた。そして、3月中旬に入り、政策秘書を通じて、3月末でA氏・B氏の公設秘書を解職するとの通告を受けた。

A・B両氏と私とで、対応を話し合った。A氏は、

このままでは、代議士を裏切って週刊誌と組んで、違法行為をでっち上げて、大臣の座から引きずり降ろした公設秘書が、それが露見して、クビになったという話が、政界関係者の間で本当のことのようにされてしまう。絶対に我慢できない。

と言っていた。B氏も同様だった。

A・B両氏は、昨年11月以降、多数回にわたって、菅原氏の公選法違反事件に関して検察官の取調べを受けていた。しかし、2月頃からは、河井克行氏・案里氏の公選法違反事件の方が本格化しているようで、菅原氏の事件についての動きはなく、検察官の取調べも中断していた。刑事事件で、菅原氏が起訴されるということになれば、週刊文春が記事で取り上げた「菅原氏の公選法違反」というのが、秘書と文春とが組んででっち上げたものではなく、真実であったことが明らかになるが、新型コロナ感染拡大もあって、菅原氏の刑事事件がどうなるのかは全く見通せない状況だった。このまま有耶無耶になってしまう可能性も否定できなかった。

そういう状況で、A・B両氏が、「文春と組んで代議士をハメた秘書」の汚名をすすごうと思えば、自ら、真実を公にしていくしかなかった。しかし、仮に、彼らが記者会見を開いたとしても、それが記事になり、多くの人に認識されるとは思えなかった。最も効果的な方法は、初めて週刊文春の取材に応じ、記事の中でそのことを公にしてもらうという方法だった。しかし、週刊文春の取材に応じるのであれば、もともとの取材依頼の質問事項である菅原事務所による違法・不正な行為の実態についての質問に答えざるを得ない。

私は、二人に、週刊文春の取材に応じることで、「文春と組んで代議士をハメた秘書」の汚名をすすぐ方法があること、そのメリット・デメリットを説明し、対応を考える時間を与えた。

数日後、二人が出した結論は「取材に応じる」ということだった。

二人が初めて週刊文春の取材を受ける

二人は、3月末で、公設秘書の職を解かれ、菅原事務所との関係が切れた翌日の4月1日、私の事務所で、初めて文春記者の取材を受けた。

二人は、選挙区内での通夜・葬儀に、菅原氏の指示を受けて香典を持参していたことに加え、選挙区内の支援者に、お歳暮や暑中見舞いなど、年間を通して贈答品を渡すことが常態化していたこと、他党のポスター剥がしを命じられていたこと、選挙区内での会合や葬儀の情報を入手できなかった場合には罰金を取られていたこと、公設秘書に国から支給される給与から上納をさせられていたことなども話した。

当初の記事掲載予定は4月中旬発売号だったが、ちょうど、緊急事態宣言が出た直後で、それに関する記事で誌面に余裕がなくなり、その後、河井夫妻の事件が本格化したことなどから、記事の掲載は延期されていた。

6月に入ってからは、検察官の取調べも本格化していた。A・B両氏も、それまでの取調べとは異なり、「公選法違反の被疑者」として黙秘権を告知された上での取調べが行われた。少なくとも、取調べの検察官は、菅原氏の起訴に向けて最大限の努力をしているように思えた。

菅原氏突然の「記者会見」、週刊文春報道、検察の不起訴

そうした中で、6月16日、菅原氏が、突然、自民党本部で「記者会見」を行い、

近所や後援会関係者らの葬儀が年間約90件あり、自身は8~9割出席しているが、私が海外にいた場合、公務で葬儀に参列できない場合に秘書に出てもらい、香典を渡してもらったことがある。枕花の提供もあった。

として公選法違反の事実を認め、「反省している」と述べた。会見と言っても直前に案内をして一方的に説明したもので、事件を取材している記者には質問の機会を与えないやり方だった。

その翌週の6月25日、A・B両氏への4月1日の取材や、それ以外の菅原事務所関係者の話などに基づき、菅原氏に関する問題を詳細に報じる週刊文春が発売された。すると、その当日の昼過ぎに、東京地検次席検事が「記者会見」を行い、菅原氏の不起訴(起訴猶予)処分を発表した。

不起訴の理由について、東京地検は、①香典の代理持参はあくまでも例外であり、大半は本人が弔問した際に渡していたこと、②大臣を辞職して、会見で事実を認めて謝罪したこと、などを挙げ、「法を軽視する姿勢が顕著とまでは言い難かった」と説明したとのことだ。

しかし、それらは、犯罪事実が認められるとしながら罰金刑すら科さない理由として全く理解し難いものだ。これまで述べてきたA・B両氏の証言(二人は同様の供述を検察官に対して行っている)、昨年10月の週刊文春の記事が出た後の経過からすれば、菅原氏の不起訴処分の不当性は一層明白だ。

不起訴処分の前提とされた「犯罪事実」に重大な疑問

まず、不起訴処分の前提とされている「公選法違反の犯罪事実」自体に重大な疑問がある。

検察の不起訴処分では、2017~19年の3年間に、選挙区内の有権者延べ27人の親族の葬儀に、枕花名目で生花18台(計17万5000円相当)を贈り、秘書らを参列させて自己名義の香典(計約12万5000円分)を渡したとの犯罪事実が認定されている。

一方で、A・B両氏の話では、香典と枕花の総額は年間概ね100万円程度であり、その点は、検察官にもLINE等の客観的資料に基づき詳しく供述している。

検察が不起訴処分で認定した犯罪事実が3年間で約30万円とされているのは、「葬儀が年間約90件あり、自身は8~9割出席しているが、行けない場合に秘書が香典を持参していた」との菅原氏の説明に基づき、通夜・葬儀に参列しない場合の代理持参だけを犯罪事実としてとらえているからだと考えられる。

しかし、公選法上許容される香典の範囲からすると、犯罪事実の金額が30万円にとどまることは考えられない。

公選法の規定では、「当該公職の候補者等が葬式に自ら出席しその場においてする香典の供与」又は「当該公職の候補者等が葬式の日までの間に自ら弔問しその場においてする香典の供与」は、罰則の対象から除外されている(249条の2第3項)。つまり、国会議員が、選挙区内の有権者に香典を供与することが許されるのは、葬式・通夜等に「自ら出席・弔問し」「その場においてする供与」に限られるのである。公職の候補者等による香典供与が、葬式・通夜等に「自ら出席・弔問し」「その場においてする供与」に限って許容されるのは、香典を名目に選挙区内の有権者に金銭を供与することは違法だが、「本人が出席しその場で渡す香典」であれば、親戚や個人的な友人など、ごく親しい関係者の場合であり、そのような場合は、公職の候補者の立場とは関係が薄いと考えられるからである。

前記の週刊文春の記事にも書かれているように、A氏ら秘書は、常に「菅原一秀」という文字が印字された香典袋を持ち歩き、選挙区内の有権者の逝去の情報を秘書が入手すると、「香典はいくらですか?」と菅原氏にLINEで尋ね、指示された金額を香典袋に包んで、秘書が代理持参していた。つまり、選挙区内の有権者への香典は、すべて代理持参し、その後に、菅原氏自身が、可能な場合にのみ、弔問・参列をしていたのである。

A氏らがLINE等の客観証拠に基づいて証言するところによれば、菅原氏の選挙区内の有権者の通夜・葬儀で供与していた香典は、原則として「代理持参」なのであるから、それが行われた時点で犯罪が成立し、その後、菅原氏本人が弔問・参列したかどうかは犯罪の成否に影響しない。したがって、秘書の供述によって認められる公選法違反の犯罪事実は、3年間で約300万円のはずなのである。

菅原氏の不起訴処分については、過去に、同様の「寄附行為の禁止」の公選法違反の事例として、2000年に公選法違反で罰金40万円と公民権停止3年の略式命令を受けた小野寺五典衆院議員の事例との比較が問題となる。小野寺氏の事例は秘書と共に選挙区内で約1000円の線香セットを551人に配った事案であった。

菅原氏の犯罪事実を正しく認定すれば、寄附行為の総額は約300万円となり、小野寺氏を大きく上回ることになる。公選法違反の犯罪事実が、実際には約300万円なのに、それを約30万円にとどめることは、小野寺氏の事例との関係で重大な意味があるのである。

菅原氏の場合は、秘書に選挙区内の有権者に関する逝去の情報を収集させ(しかも、その情報を入手し損ねると、「取りこぼし」とされて秘書は罰金をとられる)、報告を受けて秘書に金額を指示して香典を持参させていたものであり、通夜・葬儀を名目にして、選挙区内に金銭をバラまいていただけである。

そもそも「年間90件もの葬儀」が公職の候補者としての選挙と関係ない「個人的なもの」ではないことは明らかだ。供与していたのが現金であることと、金額を考慮すれば、小野寺氏の場合と比較しても遥かに悪質である。しかも、6月25日発売の週刊文春の記事でも書かれているように、菅原氏については、中元・歳暮等の贈答が恒常化していたこと、新年会などに参加した際には、本来決められた会費以上の金額を町会などに手渡していたことなど、香典・枕花以外にも、「有権者への寄附」に該当する行為は多数指摘されている。菅原氏が「法を軽視する姿勢が顕著」でないということなどあり得ない。

「大臣辞職」「謝罪」は真摯なものとは到底言えない

②の「大臣を辞職して、会見で事実を認めて謝罪したこと」についても、情状酌量の事由、不起訴の理由に全くならないことは、既に述べた文春記事後の菅原氏の態度や行動から明らかだ。

昨年10月下旬の文春の記事について、菅原氏は、「A秘書が週刊文春と組んで違法行為をでっち上げて、大臣辞任に追い込んだ」などと、秘書に「濡れ衣」を着せて、自らの公選法違反行為を否定していた。経産大臣辞任後、「体調不良」を理由に国会を欠席していた間も、地元の後援者・支援者などに、通常国会開会後、国会に出席するようになってからは、政界関係者などに、そのような話を広めるなど、一貫して自らの公選法違反を否定していた菅原氏は、6月16日、突然「記者会見」を開き、一部ではあるが、秘書に香典を持参させていたことを認めて「謝罪」したのであるが、それまでの言動から考えて、それが真摯に反省して事実を認めたものとは到底考えられない。「会見を開いて違法行為を認めて謝罪すれば起訴猶予にする」という見通しがついていたからこそ、そのような「茶番」を行ったものとしか考えられない。経産大臣を辞任したのも、菅原氏は、「秘書にハメられて大臣を引きずり降ろされた」と言っているのであり、公選法違反の犯罪を反省して辞任したというのではない。何ら、情状酌量する理由にはならない。

以上のとおり、菅原前経産大臣の公選法違反事件についての検察の不起訴処分は、全くあり得ない、不当極まりないものである。しかも、取調べの経過や菅原氏の突然の「記者会見」から考えると、現場の検察官のレベルでは起訴に向けての捜査が行われていたのに、最終段階に来て、捜査を指揮する上司・上層部と菅原氏側と間で、何らかの話し合いが行われ、不起訴の方針が決まったようにしか思えない。

「菅原氏の不当不起訴」、河井夫妻事件捜査は大丈夫か

菅原氏に対する不起訴処分については、告発人が、検察審査会に審査を申し立てれば、検察も「証拠上起訴は可能」と認めている以上、「一般人の常識」から不起訴には納得できないとして、「起訴すべき」との議決が出る可能性が高い。それによって、菅原氏に対する「不正義」は、いずれ是正されるであろう。

問題は、今回の菅原氏に対する不当な不起訴処分を行った検察の方である。

河井前法相と菅原前経産相は、ほぼ同じ時期に、同じ週刊文春の報道によって大臣辞任に追い込まれた後、公選法違反事件で検察捜査の対象とされたという点で同様の展開をたどっている。一方の菅原氏に対して行われた全く理解し難い不起訴処分は、公選法違反に対する検察の刑事処分に対して、著しい疑念を生じさせることになった。菅原氏と同様に東京地検特捜部が行っている河井克行氏に対する捜査や刑事処分は、果たして大丈夫なのだろうか。

【検察は“ルビコン川”を渡った~河井夫妻と自民党本部は一蓮托生】で述べたように、河井克行氏の事件では、広島県の政界関係者に対して多額の現金が渡ったのと同時期に、自民党本部から河井夫妻に1億5000万円の選挙資金が提供されたことについて、公選法違反の「買収資金交付罪」の適用の可能性もあり、党本部への強制捜査を含めた徹底した捜査が期待されている。

しかし、一方で、検察は、河井夫妻から現金を受領した側の現職の自治体の首長・県議会議員・市議会議員等に対する刑事処分をどうするか、という大変悩ましい問題に直面している。現職の首長・議員は、公選法違反で罰金以上の刑に処せられると失職となる可能性が高いことから、それらの刑事処分をめぐって、様々な思惑や駆け引きが行われるであろうことは想像に難くない。

検察は、これまで自民党本部側が前提としてきた「公選法適用の常識」を覆し、公選法の趣旨に沿った買収罪の適用を行って河井夫妻を逮捕した。そうである以上、現職の首長・議員に対しても、公選法の規定を、その趣旨に沿って淡々と着実に適用し、起訴不起訴の判断を行うしかない。間違っても、菅原氏の公選法違反事件の不起訴処分で見せたような姿勢で臨んではならない。

検事長定年延長、検察庁法改正等で検察に対する政治権力による介入が現実化する一方、検察の政権の中枢に斬り込む捜査も現実化するという、まさに、検察の歴史にも関わる重大な局面にある。

ここで、敢えて言いたい。

しっかりしろ、検察!

 

 

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河井夫妻と自民党本部は一蓮托生~資金提供に「交付罪」適用の可能性

河井克行衆議院議員(前法務大臣)とその妻の河井案里参議院議員が、公職選挙法違反の容疑で、東京地検特捜部に逮捕された。逮捕容疑は、克行議員は去年7月の参議院選挙をめぐり、妻の案里議員が立候補を表明した去年3月下旬から8月上旬にかけて票のとりまとめを依頼した報酬として、地元議員や後援会幹部ら91人に合わせておよそ2400万円を配った公選法違反の買収の疑い、案里議員は、克行氏と共謀し5人に対して170万円を配った疑いだ。

公選法違反での現職国会議員の逮捕は、前例が殆どない。自民党の有力議員だった克行氏が、なぜ自ら多額の現金を県政界の有力者に配布して回る行為に及んだのか。そこには、案里氏の参議院選挙への出馬の経緯、自民党本部との関係が深く関係しているものと考えられる。

従来の公選法の罰則適用の常識を覆す異例の逮捕

今回の逮捕容疑の多くは、昨年4月頃、つまり、選挙の3か月前頃に、広島県内の議員や首長などの有力者に、参議院選挙での案里氏への支持を呼び掛けて多額の現金を渡していたというものだ。

従来は、公選法違反としての買収罪の適用は、選挙運動期間中やその直近に、直接的に投票や選挙運動の対価として金銭等を供与する行為が中心であった。

「●●候補に投票してください。」という依頼や、具体的に、●●候補のための「選挙運動」、例えば、ウグイス嬢の仕事や、ポスター貼り、ビラ配りなどを依頼して、法律で許された範囲を超えた報酬を払う、というのが典型的な選挙違反だ。

今回の河井夫妻の行為のような、選挙の公示・告示から離れた時期の金銭の供与というのは、それとはかなり性格が異なり、「選挙に向けて●●候補の支持拡大に協力してほしい」という依頼である場合が多い。

従来は、このような「選挙期間から離れた時期の支持拡大に向けての活動」というのは、選挙運動というより、政治活動の性格が強く、それに関して金銭が授受されても、政治資金収支報告書に記載されていれば、それによって「政治資金の寄附」として法律上扱われることになり、記載されていなければ「ウラ献金」として政治資金規正法違反にはなっても、公選法の罰則は摘要しないという取扱いが一般的であった。

要するに、「政治資金の寄附との性格があり、投票や選挙運動の対価・報酬の性格が希薄」との理由で、公選法違反の摘発の対象とされることはほとんどなかった。

そういう意味で、今回の河井夫妻の逮捕は、従来の公選法の罰則適用の常識からすると異例と言える。

しかし、今回、このような行為に対して、敢えて検察が公選法違反の罰則を適用したのは、公選法の解釈に関して、それなりの自信があるからだろう。

公選法221条1項では、買収罪について、「当選を得る、又は得させる目的」で、選挙人又は選挙運動者に対して「金銭の供与」と規定しているだけであり、「特定候補を当選させる目的」と「供与」の要件さえ充たせば、買収罪の犯罪が成立する。

ここでの「供与」というのは、「自由に使ってよいお金として差し上げること」だ。現金を受領したとされる相手が、「案里氏を当選させる目的で渡された金であること」と「自由に使ってよい金であること」の認識を持って受領したことが立証できれば、買収罪の立証は可能なのだ。

私が、克行氏の行為は、従来は公選法の買収罪による摘発とされては来なかったが、検察が敢えて、買収罪で起訴すれば無罪にはならないだろうと述べてきたのは(【河井前法相“本格捜査”で、安倍政権「倒壊」か】)、そのような理由からなのである。

実態に即した供述を証拠化することの重要性

重要なことは、検察の捜査で、今回の事件の、従来の選挙違反との違いを十分に認識し、的確な取調べを行い、実態に即した供述を証拠化することだ。

克行氏は、弁護人によれば「不正な行為はない」と述べているとのことであり、河井夫妻は公判で、現金の授受を認めた上、趣旨を全面的に争う可能性が高い。この場合、有罪が立証できるかどうかは、結局のところ、金銭授受の事実とその趣旨についての供述が信用できるかどうかによる。

河井夫妻の現金配布の相手方は、過去の参議院選挙では同じ自民党の溝手顕正候補を支持し、選挙の度に応援してきた人達だと考えられる。そのような組織的支援が、長年にわたって、定数2の参議院選挙広島地方区で当選を重ね、自民党の議席を守ってきた溝手氏の「強み」だったのであろう。

昨年7月の参議院選挙も、河井夫妻らの現金配布が行われなければ、それまでの選挙と基本的に変わらなかったはずだ。

そのような状況だったところに、(溝手氏に対して強い反感を持っている安倍首相の「強い意向」によるともいわれているが)、案里氏が、自民党の2人目の候補として立候補することになった。案里氏が当選をめざすとすれば、(1)野党候補から票を奪う、(2)同じ自民党候補の溝手氏の票を奪う、のいずれかしかない。(1)の野党候補の支持者を自民党候補に投票してもらうことが容易ではないことは自明であろう。

そうなると、方法は(2)しかない。そのための最も効果的な方法は、溝手氏が長年築いてきた広島県の保守政治家の組織的支援を「切り崩して」案里氏支持に向けることである。

それが、有力者に現金を「撃ち込む」という方法だった。

現金授受の実態に即して考える

早くから現地広島での取材を重ねてきた今西憲之氏が、河井夫妻逮捕直後に出した記事【河井夫妻をついに逮捕!現ナマをもらった地元の県議が明かす素早い“手口”】で述べていることが、事件の実態に近いと思われる。同記事では、現金供与の実態について、以下のように述べている。

河井夫妻から現金30万円をもらった地元の県議Aさんはこう語る。

「いきなり電話してきて、ちょっと行くからという。選挙戦なので来られてもと思うたが、安倍首相の側近でもある克行氏が来るならと会うことにした。すると『選挙頑張って』と言いながら、白い封筒を取り出して、私のポケットに入れようとする。『先生、これは』というと『お世話になっていますから』とポケットにねじ込んで帰った。話したのはたぶん5分くらい。とんでもないものをねじ込むなと思ったよ」

Aさんはすぐ返そうと思ったが、会う機会もないし、電話を入れても「当選祝いだ」と克行氏は言うばかり。ズルズルと手元に置いていたという。

このようなエピソードを広島の地方議員らから、いくつも聞かされた。

別の地方議員、Bさんもこう証言する。

「先生、お茶代だからと白い封筒を置いて帰った。お茶代だ、陣中見舞いだというが、案里氏の参院選がある。そのままにしていたが、まずいと思い、政治資金収支報告書に掲載することにした。それは検察の取り調べでも説明した」

また案里氏から白い封筒を渡されそうになった地方議員Cさんもこう証言する。

「4月だったか、案里氏に食事に誘われた。会計の時に払おうとしたら、すでに済ませていたので『こっちも出す』と言うと『今日は大丈夫です』といい、案里氏が白い封筒を差し出した。参院選に出るんだから、直感的にカネだと思った。それは受け取れんと押し問答が続き、なんとか引き下がってもらった。検察に事情聴取され『案里からもらっただろう』とかなりしつこくきかれましたよ。貰わずに助かった」

克行氏が、Aさんに現金30万円を渡した目的は、「参議院選挙までの期間や選挙期間に、それまでの選挙のように溝手陣営で動かないようにしてほしい」「できれば、案里氏を支援する活動にも協力してほしい」ということだと考えられる。

マスコミでは、「現金の提供が票の取りまとめを依頼する趣旨だったかどうか」が今後の捜査の焦点になるとされているが、それは、「買収罪」を「投票又は選挙運動の対価を支払う行為」と固定的にとらえているからであろう。

しかし、公示の3か月も前であれば、選挙との具体的な関係はかなり希薄であり、「案里氏のための票の取りまとめ」という供述は、おそらく、現金を受け取った側の認識とは異なるだろう。「案里氏のための票の取りまとめ」というのは、それまでの選挙では溝手氏のための選挙運動を行ってきた人に、案里氏に「鞍替え」して、他の有権者に「案里氏に投票してほしい」と依頼することだが、そのようなことを露骨に行えば、溝手氏支持者から不信感を持たれることは必至だ。

そこまでしてもらわなくても、「溝手氏の当選のための活動を何もしないか、しているふりだけにする」ということをしてくれれば、上記(2)の溝手氏の票を減らす効果があり、それに加えて、案里氏の選挙までの集会に顔を出すなどして協力してくれれば、河井夫妻にとっては十分である。それは、「票の取りまとめ」とはかなり異なるものだ。

有罪率99%超の日本でも、公選法違反事件は相対的に無罪率が高い事件である。検察としては、現金受領者ごとに、その立場も異なり、認識も異なるだろう。その言い分を一人ひとり丁寧に聞き出し証拠化していくことが重要だ。

政治資金収支報告書への記載の有無は犯罪の成否に無関係

現金の授受について、「案里氏を当選させる目的で渡された金であること」と「自由に使ってよい金であること」が立証できれば、公選法違反の買収で有罪立証は十分に可能である。

したがって、上記記事に出てくるBさんのように、その現金を、「政治資金の寄附」として政治資金収支報告書に記載したとしても、上記の2点が否定されない限り、買収罪は成立する。しかも、昨年の政治資金の収支報告書の提出時期は今年3月であり、広島地検の捜査が開始された後であるため、事後的なつじつま合わせも可能である。

また、上記記事のCさんのように、河井夫妻側から現金を差しだされたが受領しなかった場合も、上記2点の趣旨が立証できれば、河井夫妻側に「供与の申込み」の犯罪が成立する。

自民党本部からの資金提供についての「交付罪」の成否

今回の事件のもう一つの焦点は、河井陣営には、自民党本部から、一般的に提供される選挙費用の10倍の1億5000万円もの多額の資金が選挙資金として提供され、それが現金供与の資金になっている可能性があることだ。多額の選挙資金の提供を決定した側が、「選挙人」等に供与する資金に充てられると認識した上で提供したのであれば、「交付罪」(供与させる目的を持った金銭の交付)に該当することになる。

交付罪が実際に適用された公選法違反というのは極めて少ないが、私は検察官時代の30年余り前、当時唯一の衆院一人区だった奄美大島群島区での選挙違反事件で「交付罪」の事件を担当したことがある。

「交付罪」の場合は、「選挙人又は選挙運動者への供与の資金」との認識を持って資金提供すれば、それだけで犯罪が成立する。資金提供の際に、誰にいくら現金を渡すかを認識している必要はない。(もし、その具体的な認識資金を提供した場合であれば、「供与罪の共謀」である。)

今回の事件についても、資金を提供した自民党本部側が、「誰にいくらの現金を供与するのか」という点を認識していなくても、「案里氏を当選させる目的で」「自由に使ってよい金」として供与する資金であることの認識があって資金提供をすれば、「交付罪」が成立することになる。

二階俊博自民党幹事長は、党本部が陣営に振り込んだ1億5000万円は買収の資金には使われていないと述べ、

支部の立上げに伴う党勢拡大のための広報紙の配布費用にあてたと報告を受けている。

公認会計士が厳重な基準に照らし、各支部の支出をチェックしている。

と説明しているようだ。

しかし、案里氏の参院選出馬で急遽設置された政党支部の「広報誌」に、果たして1億3500万円もの費用がかかるのだろうか。その点は、検察が金の流れを追えば、すぐにわかることだ。河井夫妻が、現金授受を認めて犯罪の成否を争う場合、授受を認めることに伴って、その原資について事実をありのままに述べなければ不利になる。買収資金の原資が解明される可能性は相当高い。

自民党本部から提供された1億5000万円は、河井夫妻の政党支部宛てに提供されたことで、「買収」に充てられる認識が否定できると思っているのかもしれないが、政治資金規正法上の寄附として処理されていても、上記の「案里氏を当選させる目的で」「自由に使ってよい金」の2点を充たす現金授受の資金に充てられることの認識があれば、公選法違反の「交付罪」が成立することに変わりはない。

今回の逮捕で驚いたのは、自民党の有力政治家であった克行氏が、広島県の多数の政界関係者に多額の現金を配布して回るという露骨な行為に及んだことだ。その点に関して、合理的に推測されるのは、党本部からも、そのような使途について了解を得た上で、資金が河井夫妻の政党支部に提供されたことによって、「抵抗感」がなかったのではないかということだ。

検察捜査の結果、1億5000万円が河井夫妻の現金供与の原資となっている事実が認められれば、資金提供を決定した人物とその実質的理由を解明することは不可欠であり、過去に前例がない自民党本部への捜索が行われる可能性も十分にある。

従来、検察は、公職選挙の実態を考慮して、公選法の罰則適用を抑制的に行ってきた。買収罪の適用は、選挙運動期間中やその直近に、直接的に投票や選挙運動の対価として金銭等を供与する行為に概ね限定しており、河井夫妻の現金配布のような行為が「買収罪」とされることは、ほとんどなかったのである。

ところが今回は、これまで自民党本部側が前提としてきた「公選法適用の常識」を覆し、敢えて買収罪を適用して前法相の国会議員を逮捕した。

それを予想していなかったことについては、河井夫妻も自民党も同様であろう。その意味で、本件に関しては、「供与罪」と、資金提供の「交付罪」とは「一蓮托生」と見ることもできる。

検察の本件への「買収罪」の適用は、「公職選挙をめぐる資金の透明性」を高めるという法の趣旨に沿うものであり、法運用として決して方向性は誤っていない。

検察は「“ルビコン川”を渡った」と言える。まだまだ、多くの困難はあるだろうが、実態に即した供述の証拠化と、公選法の趣旨に沿う法適用で、ローマに向け、着実に進撃することを期待したい。

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