僕のなかで10本の指に入る名作マンガ「シャカリキ!」が実写ムービーになっていることを発見! 観てみた。
ちょっと怒っています!!
「シャカリキ!」の内容
小さな頃から自転車で坂を上ることに挑み続けてきた、超負けず嫌いの“自転車バカ”テル。かつては強豪自転車部があった亀ヶ丘高校に入学した彼は、廃部寸前の自転車部を立て直そうとするエースの鳩村や、ライバル校のユタに出会い、彼らに挑むべく自転車部に入部する。しかし、自分が速く走ることにしか興味のないテルに、個人の順位よりもチームの勝利に尽力する“チームロード”のルールなど理解できるはずもなく…。
はじめに
原作を超える映画を作るのは難しいと思います。原作の内容をすべて盛り込むと2時間の枠ではとても収まらないからです。原作と違えば違ったで文句はでるし、もし忠実に再現しても原作と同じ という評価しか得られないので制作者としては辛く、また、同時に腕の見せ所ではあると思う。
豪華キャストで映画を作れた手腕は賞賛に値すると思う。
が!もうちょい、なんとかなるだろー と怒りすら覚える作品です。
いわゆる部活ストーリー 王道パターンに
この映画に限らず部活動を題材に映画化するときのありがちなパターン
- 部員が足りなくなって廃部になる
- 教頭先生が妙に嫌なやつで、廃部を推奨する
- 美人マネージャーが新入部員を募る
- 助っ人新入部員(主人公)登場
- 美人マネージャーとのラブストーリー
- いろいろあってみんながやる気を出してがんばって勝利する
本映画のストーリーはずばりこのパターンです。
パターンは決して悪くはない
名作「スラムダンク」なども部分的にはこのパターンです。パターンは決して悪いわけではありません。王道だから、パターン化されるのですから…。ですが、個人的に嫌いなのは
それまでやる気がなかった部が、頑張ると勝利してしまう
というパターンは許せません。
単純に観ると、
やる気を出して勝利→やったー!
ですが、
はじめからやる気をもって練習していた他の部が負ける
という事実が隠れていることになります。そんなに世の中は甘くない と断言できます。
野球など個人の能力が勝利につながりやすい競技では例えば敏腕ピッチャーが入部すればある程度は強いチームになるかもしれませんが、自転車のロードレースなど持久力のスポーツは練習時間がそのまま実力になる傾向が高いと思います。
「シャカリキ!」原作では、別に部活動を怠慢にしている様は描かれていません。みんな必死に練習しているんです。「スラムダンク」もそうです。元々真摯に取り組んでいる部活に主人公が入部するわけです。
原作をすべて映画に盛り込むのは不可能なので諸々省略したりする必要はあるのですが、原作になく付け加えた描写であったのでそこに作意があるわけですが、意味がわかりません。
簡単に勝てないからこそ勝利が尊いのです。だから勝利者は褒め称えられ、そこに感動するのです。
この3人をまとめあげた大野監督は、本作を作ったきっかけを「スポーツをやる若者の姿、その必死さをカメラに収めたかった」とコメント。
カメラに収まってたかもしれませんが、僕の心には映りませんでした!! きっと監督自身がスポーツ というか競技を経験していないに違いない。
シャカリキ!が釈迦力だということの意味を考えてくれ〜!!
釈迦がこの世を救おうと脇目もふらずに頑張るから釈迦力だ! 原作の主人公は、まさに釈迦力。映画の主人公はただのバカじゃんかー!!
ただでさえ、時間が足りないのに
廃部になる
という原作にないストーリーをなぜ付け足したのかが理解に苦しみます。
映画「シャカリキ!」でそのほかの気になる点
ついでにもうひとつ言うならば
マネージャーとの恋愛ストーリーが中途半端
意味不明な描かれ方です。
「俺が勝ったらつきあって欲しい」(彼 ポッポ)
「はい」(マネージャー)
とかいうシーンがありつつも、山岳ポイントでは、その彼(ポッポ)を応援せずに、主人公(テル)を応援しています。結論も描かれないし、中途半端な描写です。そんな上映時間があるのだったら、主人公の性格をもっと描写して欲しい。
主人公がただの自己中バカに成り下がった
思い出したように言うならば原作では、「上り坂を上ることに命を駆ける坂バカ」が主人公なんですが、映画では「バカが坂登っている」になっています。原作でも主人公は上り坂に熱中してしまう愛すべきバカなのですが、それを読者が自然に理解できるように様々なサイドストーリーが盛り込まれています。サポートしている友人やらおっちゃんやらのサブキャラがたくさん出てきます。そんな演出や説明もなしに、いきなり無口な主人公が出てきては、観た人が思うことはただの自己中バカ。
映画には主人公の心理描写がそんな描写が全くない(上手くない)から、ただのバカが坂に登る になってしまっているんだと思います。
主人公を演じた遠藤雄弥さんの記事にもこのことは現れている。
では“素”の遠藤雄弥とテルは全く違う性格なのだろうか?
「負けず嫌いなところはそっくりですね。勝負となったら自分が勝つことしか考えてないというか…。でも、僕は周囲に気を遣ってしまうタイプなので、あのとことん“KY”な部分は似てないです。そこがうらやましくもありますね。だからこそ、この役を演じる上で、ものすごく空気を読めないんだけど、ひたむきで爽快感があって、どこか許せてしまうという部分を出したかったんです」。
おい! 勘違いしてません!! 原作の主人公は、自分が勝つこと(=自分に勝つこと)しか考えていませんが、周囲のことを考えてないわけじゃないでしょ? 原作1巻にでてくる主人公の台詞
「おおきに」
が出てくる、前後のシーンを百万回読み直して下さい。
作中、部のひとり(教授)が円周率を暗記しようとしている所で
「おまえ円周率覚えてんの〜? 人生で円周率使うときないよー」
と、あるデブが言います。教授のキャラ設定のためなのか、アンチテーゼだと信じたいですが、監督や役者が部活動とか自転車というものを、人生のおまけ みたいにとらえている感が気になります。円周率が、必要不可欠な人生だってあるんです。
由田監督(父)とロケットユタ(子)の確執とかも、省略しすぎじゃないでしょうか?レース後のユタの笑顔ですべて現している つもりなのかもしれませんが、不明な点が多すぎます。
要するに脚本が悪い!由田父子をはじめ、それぞれの人間関係の描写が希薄なので不明な点が多々でてくるんです。でいて、あれこれ詰め込んでぎちぎちかと言うとそうでもない。省略可能なシーンが結構ある。
自転車のロードレースというわかりにくい世界観をも2時間の中で表現しなければならないのは、ある程度成功している。
エースのためにアシストが献身するチームワークはすごくよく描けていたと思う。
空気抵抗に関しての映像手法は、わかりやすかったと思う。
けどなー。タイトルが「シャカリキ!」でなく、設定もなにもかも新たに作っていれば、我慢もできるのだけどシャカリキ! というタイトルを冠しているんだけに、なんというか根本はずらさないで欲しかった。
どうでもよいマニアックな批判
- ロードレーサーは乗る人の体格に合わせるモノです。人から渡されてホイホイ乗り換えられるものではありません! 監督だったら、自転車を譲るなんて…。せめてシート高は調整しようよ
- トラックとロードレースは、陸上で言えば100mとマラソンの違いがあります。わかりにくいというか作った人が誤解しているとしか思えないシーンが…。
- 亀高のジャージは、以前マンガ原作のデザインがパールイズミから発売されていたのになんで使わないの??
- 国内の市民レースで集団の中で他の選手にあからさまに体当たりしたら危険走行で失格です。
- ロードレーサーとBMXでは、そもそもスピードでは勝負になりません!
- 平地でそんなに簡単に70km/hはロードレーサーでも出せません
- みんなの乗っているチャリがパナソニック!せめて鳩村だけで、テルのビアンキ、特にユタのLOOKは、親の自転車にかける情熱とかが現れていてよかったのになー
- 鳩村 が「ポッポ」って途中まで鳩村ってわからなかったぞ!
原作でも
- 追いつかないような状況から追いついてくる
- 高校生なのに超すごい
- 実在するツールド沖縄は決して日本一決定戦ではない
とかの諸々はエンターテインメントなので突っ込まなくてもよい点で納得できる。
映画の出来には納得できんのじゃー
コメントする