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6月26日にTABIPPO代々木オフィスにて開催された旅大学。
登壇者は旅大学2回目の登場となる、ロバートハリスさんです。
前回は「人生の100のリスト」に学ぶ人生学、今回は同氏の50年に及ぶディープな旅の経験から学びます。
◎初めての方へ:そもそも、旅大学とは?
旅大学は、「旅を学ぶ、旅から学ぶ」をコンセプトに、広い世界と新しい自分の発見が出来る授業に参加できる新しい形の学び場です。学びのスタイルは様々、教室の場所も様々。講義形式の授業やワークショップ、コミュニケーションのある交流会など、いろんな形式でゲスト講師と一緒に学ぶことができるのが特徴です。
そして、新しい学びの場である「旅大学」は旅を愛するたくさんの皆さんと一緒に作っていきたいと思っています。新しい時代が始まる時はいつだって新しい形の学び舎が創られています。そんな学びの場所を、そんな新しいコミュニティを、旅好きなみなさんと一緒に作れたら最高です。
年間80回近く行われているので、是非沢山参加して下さい!皆さんにとって新しいコミュニティとなれば嬉しいです。1回1回の講座を大切に、参加者のみなさんで密にコミュニケーションを取っていければと思います!
今回の旅大学は・・
▼世界を50年間も放浪し続け学んだCOOLで自由な人生哲学?
世界を50年間も放浪し続けてきたロバート・ハリス氏。ハリスさんは、なぜ旅を始め、そして長期間に渡って旅を続けたのか?旅からどのような事を吸収して、何を学んだのか?そして、ハリスさんが語る、COOLで自由な人生哲学とは何なのか?今回の講座では、この「COOLで自由な人生哲学」について、考えていく時間にします。
▼自分が何をしたいのかを考える
作家、ラジオDJの夢を叶えて来たロバート・ハリス氏ですが、どのような事を考え、行動や決断をして来たのでしょうか。やってみたい事を考える事とそれを実行するために、必要な事について迫ります。
▼20代と30代の過ごし方を考えてみる。
旅大学の多くの受講生は、20代・30代なので、ロバート・ハリス氏の過去を振返りながら、20代、30代の過ごし方をフォーカスしてみます。そして、その時期の旅がどのような影響を与えているのでしょうか?
▼1人でも気軽に参加出来て、友達も出来る時間
1人で参加する方が8割近い旅大学ですが、イベント開始の冒頭で、近くにいる方との自己紹介を交えます。イベント後には、交流会もご用意しておりますので、気軽に参加出来るスタイルとなっております。普段と違うコミュニティに来たいという方は、是非お越し下さい!
◎講師紹介
ロバート・ハリス/Robert Harris 横浜生まれ。高校時代から国内、海外をヒッチハイクで旅する。大学卒業後、東南アジアを放浪。バリ島で1年を過ごしたのち、オーストラリアに渡り、88年まで16年滞在。シドニーで書店兼画廊「エグザイルス」を経営する。また、映画、TVなどの製作スタッフとしても活躍。帰国後、92年よりJ-WAVEのナビゲーターに。 現在、作家としても活躍。その独自の生き方や世界観が若者やアーティストから熱く支持されている。著書に『エグザイルス』『ワイルドサイドを歩け』『黒く塗れ!』『人生100のリスト』『アフォリズム』などがある。
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▼講義内容レポート
少年期に育まれた旅への憧れ
今でこそ日本で「作家DJ」としての地位を築いているハリスさんですが、どのような少年時代を過ごしてきたのでしょうか。
1948年横浜に生まれ、戦後日本の英語教育の第一人者であった父の存在もあり、中学高校をアメリカンスクールで過ごします。まさに学校は日本にあるアメリカ。放課後、友人とパーティーに出かけたり、人目はばからず女の子とキスをしたりと、アメリカドラマのような生活を10代で過ごしていたと言います。
高校2年の時に訪れた北海道の摩周湖で、旅の魅力にハマるきっかけとなる事件が起こります。
それは友人とヒッチハイクで北海道を旅し、札幌から摩周湖まで行ったときのこと。車に乗せてくれたトラックの運転手から、「昔のアイヌの先住民たちは摩周湖の崖を下り、力水を汲んでから戦いや修行へ向かった」と言う話を聞き、「それならやってやろう」とハリスさんと友人はいきんで摩周湖へと足を運びます。
そこで崖から足を滑らせ、100メートル近く崖を転落し、落水寸前の状況に。幸いにも両手が木にかかり一命を取り留めますが、脚の骨を折る大けがを負います。翌日“横浜の青年崖から落ちる”と 地元新聞に掲載までされたそうです。
旅の帰路、飛行機から改めて北海道の美しい大地を眺め「旅って素晴らしいなぁ」と強く感じたと言います。
ハリスさんはこの旅で、日常では味わえない「自由感」や「浮遊感」に魅了されます。
「100のリスト」で人生のシナリオをつくる
高校卒業後は大学進学を半年遅らせ、ヨーロッパ・スウェーデンへ1人旅をします。
旅を始めたころは、「スウェーデンで働いて、北欧を見てソ連経由で帰ってこよう」と計画をしていました。しかしスウェーデンの休日を過ごしたカフェで、世界各国から集まるヒッピーたちに出会い、当初の考えが覆ります。
「あそこのハシシは最高だ」「あそこのアシュラムに素晴らしいグルがいる」
そんな彼らの話を聞いているうちに「俺はどこにだっけいける」と感じ、陸路でギリシャまで南下し、中東とインド巡る旅のルートへと大きく舵を切ります。
旅はまさに波乱万丈でした。イランではヒッチハイクで乗せてくれた男に関係を迫られたり、アフガニスタンのバーでポーカーをし1晩4,000ドルの大金を手にしたりと、文字通り興奮に満ち溢れていました。
旅の最終地点のカルカッタ。旅の終わりと日本でのこれからを考え気が滅入っていたところ、運命的な出会いを果たします。
それはゲストハウスに置かれていた一冊の雑誌。数十年かけて自分の「やりたいことリスト100」を実現させた冒険家の記事に「これだ!」と思ったハリスさんは、自分でも100のリストを作ります。
そこでハリスさんは「自分のシナリオを生きよう」と旅の終わりに決意します。
放浪人生への突入
大学ではアメリカ・カリフォルニアへの留学を経験します。時代はビート文化全盛期。戦後の保守的なアメリカの思想に反発する若者がヒッピーになり、自己発見から社会を変えていこうとする雰囲気が強くあったと言います。
ハリスさんはそんなアメリカの自由さや映画「イージーライダー」に触発され、自身もヒッピーになります。そして留学先で出会った1人目の奥さんになる女性と帰国後に結婚をし、日本で一緒に暮らし始めます。
ハリスさんは塾講、大学のミスコン優勝経験のある奥さんは持ち前の美貌を生かし、モデルやホステスの仕事をします。月に60万円ほど2人で稼ぎ、大学卒業後1年半で300万円ほどの貯金ができます。
同じ時期にハリスさんは、作家になりたいけれど思い通りに書けない焦りや、自身の破天荒なライフスタイルから精神的に急激に落ち込んでしまいます。現状を打破しようと、「2年間くらい」と1971年に世界放浪へと出かけます。
そして人との出会いからバリのウブドに1年間住み禅寺に籠ったり、少しの間働こうと訪れたオーストラリアに16年間住むこととなります。
その間にはさまざまな出来事が起こりました。
20代後半、人生の行き詰まりを感じ、藁にもすがる思いで当時かなり前衛的な精神療法であったプライマルセラピー(原初療法)を受けます。そこで何年間も悩まされていた鬱のもやが2週間で晴れ、若い頃のエネルギーが蘇ってきたと言います。セラピーに衝撃を受けたハリスさんは、2年間セラピストとして働きます。その後、精力的に活動をし、自身の夢であったブックショック経営までも実現させます。
もちろんいいことばかりでありませんでした。愛する弟の死、1人目の奥さんとの離婚なども経験します。悲しみに寄り添い、困難を乗り越えながら、オーストラリアで2人目の奥さんと出会い結婚。シドニーに家を買い1人の息子をもうけ、家族を持ちます。
日本で見つけた人生のライフワーク
それまでは自分の夢を優先させ、時にはギャンブルで生計を立てたりと、安定から程遠い生活送っていたハリスさんですが、家族を持ったことで映画翻訳の仕事に就きます。当時、マッドマックスの監督であるジョージ・ミラー氏と一緒に働いていた繋がりで、日米合作映画の仕事の依頼を受けます。
3ヶ月間の香港撮影の後、日本で半年ほど編集作業をする予定の間に、2人目の奥さんとも離婚してしまいます。
1989年、当時の日本はバブルでした。こんな生活も悪くないと毎日を過ごしていたところ、シドニーで経験のあったラジオDJの話が舞い込んできます。
「若い頃と話してることは変わらないのに、面白いもので歳をとったことでみんなが耳を傾けてくれるようになった」
当時任されたのは深夜番組。ハリスさんが身を持って経験した旅とドラッグ、そして女性の話は多くの若者を惹きつけ共感を呼びました。たくさんのファンレターが届き、目を通す中で「もしかしたら俺はこの役割を果たすために日本に帰ってきたのかもしれない」と感じたと言います。
その後ラジオDJの経験が買われ、出版社から書籍出版のオファーがきます。そして自身の子供時代からブックショップ閉店までの半生を描いた自伝を書き上げます。
若い世代へ/自分の生き方は自分で決めるもの
本を書くときは人生のハイライトを思い出しながら書いたと言います。その作業がハリスさんは好きだと言います。しかし辛かった時期を思い出すと筆が止まり、半年間は書けない時期もあったそうです。
自身の過去を振り返り、「人生は自分がどのくらいで生きるか自分で決めるもの。大きなハッピーを得たいのなら、大きなダウンを経験することも覚悟しなくちゃならない。ただ、感受性が豊かな人はいくつになっても悲しいときは涙で吐き出せるから大丈夫」とハリスさんは言います。
今でも周りの人を笑わせることを忘れずにしているというハリスさんですが、感情をうまく吐き出せないときもあるそうです。そんなときは夜に1人映画を見て、感情を吐き出すようにしているそうです。
ハリスさんは50年間さまざまな国を見てきて、日本ほど素晴らしい国はないと言います。
「日本人女性が一番好きです(笑)。悪く言えば管理されている体制も、海外から見ると平和に思える。客観的に見られるようになるためにも、若いうちに1回は海外に行った方がいい」
「現在の日本は男が自分の女性性、女は自分の男性性に気づき、互いをフォローしあえる優しい雰囲気があると思う。ただ自主規制をしてしまいがち。もっとクレイジーになった方がいい。僕がやってこられたんだから大丈夫!」と最後にエールをくれました。
ハリスさんの生き様は、今まさに私たちが欠如している熱い感情を教えてくれているように思います。
向こう見ず、無鉄砲であれば、叩かれ傷つくこともある。自分の感情に正直に生きていくことはとても孤独で難しいことかもしれません。しかし、他人の目が気にならないほど夢中になれるものを見つけることが、今という瞬間を謳歌することに繋がるのではないでしょうか。
現在67歳ながら生き生きとしたロバートハリスさんを見ていると、自分の年齢も自分で決めていいんだと感じられるから不思議です。
今回の記事を書いたのは・・
20歳の時に東南アジアをバックパック1つで周り、旅の魅力を知りました。 大学卒業後、約4年間の旅行会社勤務を経て、現在はライターやイベント制作に挑戦しています!
http://kindkid-1026.hatenablog.com
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