稲垣えみ子「マスクは大事、でも呼吸はもっと大事」
連載「アフロ画報」
元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【稲垣さんが久々の山登りで行った 温泉民宿の美しい木々はこちら】
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今さらと思われるかもしれないが、マスクについて思うところがあり、書く。
最近、マスクこそが世界を救う絶対的アイテムということを前提とした様々な言説が、ますます当然のごとく語られるようになった気がする。例えば米国大統領がマスクをしない事実を、彼が公共心が低く身勝手な人間であることの象徴として取り上げるなど。
私もどちらかといえば、彼は公共心が低く身勝手な人間だと思っている。でもマスクをしていないという事実をもってして、それ見たことかやっぱりという感じで言われてしまうと、誰であれマスクをしていない人間は当然そのような人間なのだという考え方を骨の髄まで強制されている気がして、非常にモヤつくのである。
そう私はマスク主義者ではない。正確に言えば、マスクの効能は理解し支持もするが、マスクの過剰使用には気をつけたほうがいいと思っている。元々は全くのマスク主義者だった。かつてこのコラムで、マスクはこれからの必須ファッションアイテムになるとも書いた。でも考えを少し変えたのだ。
きっかけは夏。恐らく多くの人と同様、マスクで外を歩くとクラクラした。こいつは蒸れる。苦しい。電車の中でも気分が悪くなり倒れそうになった。うまく呼吸できないのだ。コロナにかからないために倒れる。どう考えても変。それから人混みでない外を歩く時、自転車に乗っている時はマスクを外した。電車の中でも鼻呼吸をして黙っていればマスクをしているのと同じことだと思い、空いている電車では外した。
だがこれが実に難事業。だって皆マスク。久しぶりに行った山登りでもほぼ人がいないのにすれ違う半数以上がマスク。この「圧」に対抗するのも実に苦しく、なので半分くじけつつモヤついている。息を潜めて生きるのは数カ月ならアリとしても、数年となれば話は別だ。呼吸は人生の大事である。何事もバランスが肝心。マルバツの2分法でなく細やかに考える時と思うんだが。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2020年11月9日号
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行