叡智の塔1
ヴァニア卿に会いに行こう
さて、わたくしは今どこにいるでしょうか?
正解は、叡智の塔! 魔術師の塔とも呼ばれ、王宮魔術師たちが知識や研究の研鑽を積むために建てられた施設です。これも王宮の一角ですわ。
少し離れていますしちょっと古めかしく……正直おんぼろ感があります。ひび割れた粗削りな石壁の隙間に蔦が蔓延っていて、半分くらい緑に覆われています。
お庭もちょっと鬱蒼としていて、なんだか怖い雰囲気ですわ。
人を寄せ付けないと言いますか、打ち捨てられた廃墟感が漂っています。
都合をつけてくださったクリフトフ伯父様とジュリアスにもついてきてもらいました。アンナも護衛騎士たちも後ろに控えてくれていますし、万端ですわ。
なんでフォルトゥナ公爵まで来ているかは謎ですが。暇人なのかしら。
「随分と年季が入っていますわね。王宮の一部ですのに、補修や回収の工事はなさらないのかしら?」
「住んでいる者たちが建物の外観に拘るような連中じゃないからな。
そうじゃないのは貴族の腰ぎんちゃくはおべっかと社交に忙しくて、ほとんどこちらの棟にはこないからな。
実践的な魔法狂いたちは研究に夢中で、引きずり出さん限り余程の用事がない限り出てこないぞ」
「姫殿下の主治医でもあるヴァニア卿も、半分は結界魔法の貴重な保持者を観察するために往診しているようなものですからね」
ヴァニア卿は若い男性ですけど、怖くないのは女性として見られている感じが薄いからでしょう。凄く納得……
ヴァンのように露骨に色欲めいた劣情交じりの視線は怖いです。
「あの、でも先触れなしで来てしまってよろしかったでしょうか?」
「先触れなんて出したら、珍獣『結界魔法持ち(上級使用可能)の王家の瞳の保持者』としてあっという間にたかられますよ。
マニアどもの執着を甘く見ない方がいいかと」
すぐ隣にいるジュリアスがにこやかに釘を刺してきました。
その手には日光より視線を遮ることに特化してそうな大きく真ん丸なパラソル。簾のようなものがついており中にいると腰のあたりまで見えない。
アンナが持つには重すぎるのですが、護衛であっても近づかれ過ぎても怖い。結果、ジュリアスが持つ形になった。
わたくしの歩調に合わせながら隣にいるジュリアスは慣れたものだ。わたくしのペースをよくわかっている。
見慣れない場所にきょろきょろしながら時折足を止めてしまうのですが、長年従僕をやっていただけあって難なく合わせてくれる。
「重いでしょう? ごめんなさいね、公子に使用人のような真似をさせて」
「いえ、お気になさらず。それより今日は少し日差しが強いですから、余り傘の外には出ないようにお気を付け下さい」
空いているジュリアスの腕が腰を引き寄せてくる。力強さは感じるが、強引さは感じない絶妙な力加減だ。
ジュリアスが細く見えて割としっかりしているのは知っている。全力で押してもびくともしないのは既に経験済み。
しかし、こんな貴公子ムーブをどこでおぼえてきたのかしら? ジュリアスは子爵でもあるけれど、ラティッチェ邸でこんなエスコートをされたことないわ。
「メギル風邪は王宮魔術師にとっても不倶戴天だからな……いいか、今回は資料だけおいて帰るぞ。
恐らく読み漁って明後日の夕方あたりが一番弱っているはずだ。飲まず食わずで睡眠もぎりぎりまで削っているはずだから、かなり判断力も落ちている。その時を狙うぞ」
「姫殿下はお留守番ですからね。恐らく貫徹二日目でそれなりに理性も千々になっているでしょうから」
ぎゅっとさらに抱き寄せてくるジュリアスにこくりと頷く。満足そうに「よろしい」と言わんばかりに微笑を深めるジュリアス。なんだかご機嫌ね。
後ろでアンナがずっと殺意の波動に目覚めている気がするのです。冷え冷えな空気を感じます。
叡智の塔には当然ながら護衛に門番がいますが、フォルトゥナ公爵とクリフトフ伯父様は顔パス。
フォルトゥナ公爵家の当主と次期当主の来訪に、かなり驚いていた様子です。
私はジュリアスと少し後ろにいましたが、門番たちが気づいた途端にびしっと固まって可哀想なほど震えながらしどろもどろになっていました。
ちょっとかわいそうな気がしました。
「ご苦労様。先触れもなく来たのはわたくし達なのだから、どうぞお構いなく」
簾越しに話しかけるとなぜか崩れ落ちました。
熱中症? わたくしが困ってしまうと、ジュリアスが見かねたのか耳打ちをしてきた。
「叡智の塔はあまり扱い良くないのです。元老会をはじめとした貴族主義が軽んじますからね。
王族に労われることなんて、滅多にないのですよ。ましてや門番ですから」
喜びに崩れ落ちたってこと? いや、ちょっとそれは自意識過剰ではないかと思うのですが。
取りあえず元気ならいいのです。そういうことにしましょう。
古びた扉を開けると、魔石のランプがぽつ、ぽつとあるだけで真っ暗です。籠った毒と似の匂いもします。
「現在、塔の中は研究対象の関係で一時的に明かりを下げているんです。普段はここまで暗くないのですが……」
「明かりをつけさせろ。そうでなければランタンを持ってこい」
王宮魔術師たちの魔窟はクリフトフ伯父様の一声で、薄暗いダンジョンのような姿から一転して明るくなりました。
窓は開け放たれただけで、随分と雰囲気が変わりますのね。開放的で、重苦しいような隠蔽性が無くなりました。
先ほどの閉鎖的で薄暗い雰囲気が消えうせ、無意識に緊張していた肩の力抜ける。ああ、そうでしたわ。わたくし閉所と暗所が苦手でしたわ……うう、でもちょっとカビ? 埃臭いですわ。
恐怖心が薄れると別のところが気になってくる。小姑の様かしら……
気もそぞろだったせいか、ちょっとした床の段差に足を取られそうになる。
「足元にお気を付け下さいね」
「ええ、ありがとう」
転んでもジュリアスがあっさり支えそうな気がします。
そのとき、ぴゅっと小さな黒い鼠が走って行って足を思わず滑らせる。
「きゃ?!」
「全く掃除がなっていませんね……失礼。姫殿下、念のために口元にハンカチを」
難なく支えたジュリアスが鼠の消えた方を冷たく睥睨し吐き捨てる。そして、わたくしには柔らかな声で心配そうに覗き込んでくる。支えられたまま、そっと立ちやすいように体勢を戻されて、ハンカチを受け取った。
「え、ええ……ごめんなさい、気を付けてはいたのですが」
「いえ、あのようなものが出ては殿下が驚くのも当然かと。気分が悪くなったら仰ってください。しっかり私につかまって」
なんかジュリアスが甘いでござる。
ですが寄生虫根性が染みついたポンコツは言われた通りに腕を取らせてもらう。
ジュリアスはにこにこしている。機嫌が良さそう。解せぬ。
ちょっとずつ違和感を覚えていましたが、ようやく気付きました。今のジュリアスは使用人ではなく貴族であり公爵令息としている。
堂々とわたくしをエスコートしても大丈夫ですし、わたくしもジュリアスも世間一般的には婚約者も伴侶もいないのでそっちの方面は気にせずにいいし。
今まではその役目をキシュタリアがやってくれていたのよね……
「おい、ジュリアス。近くない――」
クリフトフ伯父様が苦々し気に何か言いかけた時、廊下の奥から蝙蝠が飛んできました。
何故か一直線にわたくしに来て、思わず立ちすくんでいたところをジュリアスが片手で払い除ける。叩かれた蝙蝠はびっくりして狂ったようにべちべちと壁に当たりながら窓の外に出て行った。
ジュリアスは手袋を変えてから、わたくしのさして乱れていない髪を直します。
「ジュリアス、手は痛くない?」
「問題ありません。少し当たっただけですし、小型の蝙蝠でしたから。お怪我はありませんね?」
「ええ、ありがとう」
「どういたしまして。ところで、お義兄上。何か言いかけていたようですが?」
何だがクリフ伯父様のお顔が非常に複雑そうに歪んでいる。
ですが、ややあって感情を飲み下した伯父様は恨みがまし気な目でジュリアスをちょっとねめつけたもののそれ以上はしなかった。
「……姫殿下を頼んだぞ。次は何が来るか分からん」
「ええ、勿論」
2000万PVありがとうございます!
読んでいただきありがとうございました
◇◆◇ビーズログ文庫から1〜4巻大好評発売中です。 ◇◆◇コミカライズ新シリーズ連載中!! ◇◆◇詳細へは下のリンクから飛べます。 私の前世の記憶が蘇ったの//
本が好きで、司書資格を取り、大学図書館への就職が決まっていたのに、大学卒業直後に死んでしまった麗乃。転生したのは、識字率が低くて本が少ない世界の兵士の娘。いく//
婚約破棄のショックで前世の記憶を思い出したアイリーン。 ここって前世の乙女ゲームの世界ですわよね? ならわたくしは、ヒロインと魔王の戦いに巻き込まれてナレ死予//
異母妹への嫉妬に狂い罪を犯した令嬢ヴィオレットは、牢の中でその罪を心から悔いていた。しかし気が付くと、自らが狂った日──妹と出会ったその日へと時が巻き戻っていた//
突然路上で通り魔に刺されて死んでしまった、37歳のナイスガイ。意識が戻って自分の身体を確かめたら、スライムになっていた! え?…え?何でスライムなんだよ!!!な//
「ひゃああああ!」奇声と共に、私は突然思い出した。この世界は、前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だって。 前世ではアラサー喪女だったから、「生まれ変わったら、//
公爵令嬢に転生したものの、記憶を取り戻した時には既にエンディングを迎えてしまっていた…。私は婚約を破棄され、設定通りであれば教会に幽閉コース。私の明るい未来はど//
前世の記憶を持ったまま生まれ変わった先は、乙女ゲームの世界の王女様。 え、ヒロインのライバル役?冗談じゃない。あんな残念過ぎる人達に恋するつもりは、毛頭無い!//
「リーシェ! 僕は貴様との婚約を破棄する!!!」 「はい、分かりました」 「えっ」 公爵令嬢リーシェは、夜会の場をさっさと後にした。 リーシェにとってこの婚//
※WEB版と書籍版では内容がかなり異なります(書籍版のほうは恋愛メインのお話になっています。登場人物の性格も変更しました) 過労死した社畜OLが転生した先は、国//
【☆書籍化☆ 角川ビーンズ文庫より1〜2巻発売中です。3巻も2021年1月1日に発売予定。コミカライズ企画進行中。ありがとうございます!】 お兄様、生まれる前//
【R2/5/15 アース・スターノベルよりノベル3巻発売。R2/9/12 アース・スターコミックスよりコミックス2巻発売。ありがとうございます&どうぞよろしくお//
【書籍版1巻重版!! ありがとうございます!! 双葉社Mノベルスにて凪かすみ様のイラストで発売中】 【双葉社のサイト・がうがうモンスターにて、コミカライズも連載//
8歳で前世の記憶を思い出して、乙女ゲームの世界だと気づくプライド第一王女。でも転生したプライドは、攻略対象者の悲劇の元凶で心に消えない傷をがっつり作る極悪非道最//
ななななんと!KADOKAWAブックスから書籍化決定です!! 一巻は令和元年九月十日に発売です。コミカライズも決定しました。これも応援してくださる皆様のおかげ//
エレイン・ラナ・ノリス公爵令嬢は、防衛大臣を務める父を持ち、隣国アルフォードの姫を母に持つ、この国の貴族令嬢の中でも頂点に立つ令嬢である。 しかし、そんな両//
アスカム子爵家長女、アデル・フォン・アスカムは、10歳になったある日、強烈な頭痛と共に全てを思い出した。 自分が以前、栗原海里(くりはらみさと)という名の18//
注意:web版と書籍版とコミック版とでは、設定やキャラクターの登場シーン、文言、口調、性格、展開など異なります。 書籍版は一巻と一章はそこまで差はないですが、書//
二十代のOL、小鳥遊 聖は【聖女召喚の儀】により異世界に召喚された。 だがしかし、彼女は【聖女】とは認識されなかった。 召喚された部屋に現れた第一王子は、聖と一//
※アリアンローズから書籍版 1~6巻、コミックス2巻が現在発売中。 ※オトモブックスで書籍付ドラマCDも発売中です! ユリア・フォン・ファンディッド。 ひっつ//
【KADOKAWA/エンターブレイン様から書籍版発売中】 【2019年9月からコミックウォーカー様にてコミカライズスタート&書籍発売中】 「気付いたら銀髪貴族//
薬草を取りに出かけたら、後宮の女官狩りに遭いました。 花街で薬師をやっていた猫猫は、そんなわけで雅なる場所で下女などやっている。現状に不満を抱きつつも、奉公が//
❖❖9月25日書籍9巻、本編コミック6巻、外伝4巻発売!❖❖ ◆オーバーラップノベルス様より書籍8巻まで発売中です。本編コミックは5巻まで、外伝コミック「スイの//
小学校お受験を控えたある日の事。私はここが前世に愛読していた少女マンガ『君は僕のdolce』の世界で、私はその中の登場人物になっている事に気が付いた。 私に割り//
【本編完結済】 生死の境をさまよった3歳の時、コーデリアは自分が前世でプレイしたゲームに出てくる高飛車な令嬢に転生している事に気付いてしまう。王子に恋する令嬢に//
「すまない、ダリヤ。婚約を破棄させてほしい」 結婚前日、目の前の婚約者はそう言った。 前世は会社の激務を我慢し、うつむいたままの過労死。 今世はおとなしくうつむ//
頭を石にぶつけた拍子に前世の記憶を取り戻した。私、カタリナ・クラエス公爵令嬢八歳。 高熱にうなされ、王子様の婚約者に決まり、ここが前世でやっていた乙女ゲームの世//
貧乏貴族のヴィオラに突然名門貴族のフィサリス公爵家から縁談が舞い込んだ。平凡令嬢と美形公爵。何もかもが釣り合わないと首をかしげていたのだが、そこには公爵様自身の//