中国版「イソジン騒動」、対コロナ英雄の医師が推奨した薬に庶民狂奔

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万能薬、板藍根

中国の家庭で常備されている薬の1つに、「板藍根(ばんらんこん)」という「中薬(漢方薬)」がある。中国のオンライン百科事典「百度百科」で検索するとこういう説明がある。

――板藍根は「中薬(漢方薬)」の名称であり、アブラナ科の植物「菘藍(タイセイ:Isatis indigotica)」の根を乾燥したもの。清熱解毒(体内の熱を冷まし、体内に入った毒を除去する)、凉血(熱で出血しやすい状態の改善)、利咽(喉の調子を整える)などの功能を有する。主として、外気の温度変化による発熱、感染性熱病疾患の初期、のどの痛み、熱による発疹、流行性耳下腺炎、丹毒(溶連菌による皮膚の化膿性炎症)、できものを治療する。――

板菘藍

なお、「菘藍」の「藍」、「indigotica」の「indigo」から連想できるかもしれない。「菘藍」は日本で藍染に使う藍色の染料を取る原料として使われた歴史がある。

ところで、日本では風邪の初期には「葛根湯(かっこんとう)」が有効と言われるが、中国では風邪をひいたら「板藍根」が有効と言われている。

生薬の解説書をみると、葛根湯は発汗作用の促進に効果があるだけと言って良い代物で、服用時期が風邪の初期に限定されているのに対して、板藍根には服用時期の限定はなく、風邪をひいたら比較的長い期間の服用が可能とある。

言ってみれば、板藍根は風邪に類する病気の万能薬だというのが中国の庶民感覚であり、「非典型肺炎(重症急性呼吸器症候群:SARS)」や「感冒(インフルエンザ)」、「禽流感(鳥インフルエンザ)」と言った流行性の病気が蔓延する度に、人々は板藍根を求めて薬局に殺到するのだ。

筆者も北京市に駐在中は何かと言えば板藍根が良いと言われて、何度も服用したが、風邪の類いには確かに有効だった記憶がある。

それでは、中国・武漢市を発症の起源として、現在もなお世界中で感染を拡大している新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する板藍根の有効性はどうなのだろうか。

中国共産党政府はデマとして否定

中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」は2020年1月28日付のコラム欄「今日談」に『デマを科学の前に走らせるな』と題する次のような文章を掲載した。

タバコはウイルスの感染を防止できる。板藍根と黒酢を飲めば肺炎の予防が可能である。ビタミンCを食べれば免疫力を高めることができる。ここ数日、新型コロナウイルス感染による肺炎の蔓延に対して、一部の人々が科学的という旗印を掲げて上記と類似の偽科学情報を拡散しているが、それらは大衆を間違った方向へ導くだけでなく、肺炎の蔓延を打破するための公共秩序をかき乱すものなのである。

このコラムが掲載されるより7日前の1月21日に人民日報はSNSの「微博(マイクロブログ)」に『デマを打ち消す。この9個の新型コロナウイルス関連のデマを信じるな』と題する記事を掲載したが、そこには「信じてはいけない5番目のデマ」として以下の内容が書かれていたのだった。

【デマ:その5】板藍根や黒酢を飲めば、新型コロナウイルスを予防することは可能か。
《正解》板藍根は「風熱感冒(熱、口の渇き、のどの痛み、頭痛、咳などの症状が出る風邪の一種)」などの発熱を伴う疾患の治療に使用するもので、コロナウイルスに対して有効ではない。黒酢は含有される酢酸の濃度が極めて低く、消毒効果は無きに等しい。

SARSの最前線に立った医師

さて、中国で最も著名な医師は誰かと問えば、ほとんどの中国人が「鐘南山(しょうなんざん)」と答えるはずである。

1936年10月20日生まれで84歳の鍾南山の名前が広く知れ渡ったのは、2002年11月に広東省で患者の発生が報告されたのを皮切りに、翌2003年7月に終結宣言が出されるまでの9ヵ月間に感染が32の国・地域へ拡大して、8096人の患者(774人の死者を含む)を出した「重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)」(以下「SARS」)の時だった。

当時、広州医学院(現:広州医科大学)附属第一医院に属する広州呼吸疾病研究所(現:広州呼吸健康研究院)の教授で副所長を務めていた鍾南山は、同研究所にSARS患者を積極的に受け入れ、先頭に立ってSARS撲滅に尽力したことで、中国全土にその名を知られることになった。

彼はSARS撲滅の功績により2004年には「2003年中国を感動させた10人」の1人に選出されたが、その流れで2005年には中華医学会第23期会長(任期:2005年4月~2010年3月)に選出されて、名実ともに中国医学会の頂点に立った。

鍾南山は2013年7月から2020年の現在に至るまで広州呼吸疾病研究所長の任にあり、自他ともに認める中国の呼吸疾病の第一人者である。その彼が改めて中国国民からの注目を集めたのは2020年1月だった。

新型コロナ陣頭指揮で中国最高の栄誉

2019年12月末に湖北省武漢市で発生が確認された原因不明の肺炎が、年を越して武漢市全体で流行の兆しを見せた。

2020年1月9日には、中国政府「国家衛生健康委員会」が、原因不明の肺炎の原因は、SARSに類似した新型コロナウイルス(後にSARS-CoV2と命名された)によって感染したものであると発表したが、そこで同委員会がSARSの専門家として白羽の矢を立てたのが鍾南山であった。

1月20日、国家衛生健康委員会は鍾南山をハイレベル専門家グループのグループ長に任命すると、同グループに対して速やかに武漢市へ出向いて実地調査を行うように命じたのだった。

武漢市の調査で鍾南山は、新型コロナウイルス(SARS-CoV2)がヒトからヒトへと感染すること、さらにその感染の拡大によって新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が武漢市内で蔓延している事実を確認した。

この結果を受けて、1月22日に武漢市政府は市民に対して公共場所でのマスク着用を義務付け、翌23日には武漢市全体の都市封鎖を発動したのだった。その後も鍾南山は当時83歳の高齢にもかかわらずCOVID-19の蔓延を抑制するために自ら先頭に立って陣頭指揮を執ったのだった。

COVID-19の蔓延が未だ終息していない状況下の9月8日午前10時から開催された中国政府「国務院」弁公庁主催の「新型コロナウイルスの蔓延撲滅表彰大会」では、当日式典に参加していた国家主席の習近平から4人の功労者に対する表彰が行われた。

表彰されたのは、呼吸病学専門家の鍾南山、人民解放軍少将で生物テロ防御専門家の陳微、漢方医薬専門家の張伯礼、そして武漢市金銀潭医院院長の張定宇の4人であり、鍾南山には「共和国勲章」が、他3人には『国民英雄』という国家栄誉称号がそれぞれ贈られた。

なお、共和国勲章は現行の中国では最高級の勲章であり、鍾南山は中国で史上9人目の受賞者である。ちなみに、史上8人目の受賞者は2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した医学者で医薬品化学者の屠呦呦(とゆうゆう;現在89歳)であり、彼女の受賞は2019年であった。

「コロナ抑制効果薬」騒ぎ続く

さて、人民日報のマイクロブログは2020年1月31日付で夜間に、中国科学院上海薬物研究所と武漢ウイルス研究所が共同で行った初歩的研究で、漢方薬の市販薬である「双黄蓮内服薬」が新型コロナウイルスを抑制することを発見したと報じた。

そこには、「双黄連内服液は金銀花、黄芩、連翹の3種類の漢方薬で構成されており、広域抗ウイルス、制菌、免疫機能向上の作用を持つとあり、目下のところ有効な広域抗ウイルス薬の1つである」との記載があった。

このニュースが報じられるや否や、夜間にもかかわらず、ネットユーザーがショッピングサイトの薬局に殺到して双黄蓮内服薬を購入したので、双黄蓮内服薬は瞬時に売り切れた。また、夜間も営業している街中の薬局では双黄蓮内服薬を求めて多くの客が列を作り、こちらも瞬く間に売り切れた。

ただし、上記ニュースはあくまで初歩的研究の段階に過ぎず、双黄蓮内服薬がどの程度新型コロナウイルス(SARS-CoV2)の抑制に有効かは不明である。本稿を執筆している10月下旬の時点でも、双黄蓮内服薬の有効性に関する最終結果の報道は何もない。

それから4カ月後の5月22日、鍾南山が所長を務める広州呼吸健康研究院は、市販されている「連花清瘟胶囊(れんかせいおんカプセル)」などの漢方薬が、新型コロナウイルス(SARS-CoV2)に感染することで引き起こされる細胞病変に対して抑制作用を持ち、新型コロナウイルスの活性を抑制し、ウイルス量を減少させる作用を持ちことを実証したと発表した。

鍾南山の意向は、この報告を基に全国で新型コロナウイルスに対する臨床試験を行って、新型コロナウイルスに対する有効性を検証するというものだったが、その意に反して人々はまたしても連花清瘟胶囊を求めて薬局に殺到し、連花清瘟は数時間後には売り切れとなったのだった。

なお、日本の漢方関連資料によれば、連花清瘟胶囊は日本では販売されていない漢方薬だが、中国では漢方の抗ウイルス剤として知られ、臨床現場では呼吸器のウイルス感染症に対する治療薬として広く使用されているのだという。

日本では8月4日に大阪府の吉村知事が記者会見で、「イソジンなどのポピドンヨードを含むうがい薬が新型コロナ感染症(COVID-19)の重症化リスクを低減する」という旨の研究結果を発表し、ポピドンヨードを含むうがい薬によるうがいを奨励した。

このニュースが報じられると、多くの日本国民がイソジンうがい薬の購入に狂奔し、イソジンうがい薬は市中の薬局ならびにネットショップの薬局で売り切れたし、イソジンうがい薬を販売するシオノギヘルスケアの親会社である塩野義製薬の株価が上昇した。

吉村知事の発言はその科学性を批判されたことで尻すぼみとなり、イソジンうがい薬を巡る狂騒曲はわずか数日で収束したのだったが、吉村知事にはイソジンうがい薬を製造・販売する特定企業を利する積りは全くなかった。

鍾南山が新たな火種

一方、中国では、9月8日に中国で最高級の「共和国勲章」を史上9人目に受章したばかりの鍾南山が新たな火種を作った。

それは10月13日のことで、当日に広東省広州市で開催された「広東・マカオ気道病原体新薬連合研究センター」第4回理事会の席上で行われた公開シンポジウムにおいて、鍾南山は「広州白雲山医薬集団股份有限公司が製造する白雲山板藍根はウイルスの侵入抑制と炎症の鎮静化の薬理作用を有する」と発言したのだった。

鍾南山は広州白雲山医薬集団股份有限公司(以下「白雲山医薬」)が属する「広州医薬集団」傘下の製薬会社10社が製造する16種類の体外薬について新型コロナウイルスに対する薬効を比較対照した結果、白雲山医薬製「複合板藍根顆粒」に新型コロナウイルスを体外から抑制する効果が確認されたと述べたのだった。

中国語のネット用語で「滞貨」とは、消費者の購買行動に影響を与えることを指すが、鍾南山は、公開シンポジウムの席上で白雲山医薬製「複合板藍根顆粒」の新型コロナウイルスに対する薬効を誉め称えたことで、「滞貨」を行う形になったのだった。

当該シンポジウムを取材していたメディアの記者は、すかさず共和国勲章の受章者で呼吸疾病専門家である鍾南山が白雲山医薬製「複合板藍根顆粒」には新型コロナウイルスに対する抑制効果があると言明したという旨の報道を行った。

その結果、深圳証券取引所に上場している白雲山医薬(株式コード:600332)の株価は10月17日時点で大幅に値上がりし、中国の国内投資家向けのA株は大引けにストップ高となり、香港取引所に上場しているH株は13%値上がりし、市場価格の合計は約50億元(約800億円)に暴騰したのだった。

一方、10月17日午後の時点では、ネットショップの「京東(JD.com)」と「天猫(tmall.com)」内にある白雲山医薬の専売店では「複合板藍根顆粒」が品切れとなっていたし、ショッピングサイト「淘宝網(Taobao)」内の薬局「阿里健康薬房」でも同様に「複合板藍根顆粒」は欠品状態に陥っていた。

政府が消火しても鍾南山は薪を投下する

「板藍根」という漢方薬については、上述したように「人民日報」が2020年1月21日と1月28日に「板藍根が新型コロナウイルスおよび新型コロナウイルス感染症の予防に有効というのはデマである」と明言しているのである。人民日報が中国共産党中央委員会機関紙であるということは、すなわち、それが一党独裁で中国を支配する中国共産党の最終結論となるはずだった。

ところが、それにもかかわらず、鍾南山は5月に発表した「連花清瘟胶囊」だけに止まらず、またしても「複合板藍根顆粒」が新型コロナウイルスに有効であると述べた上で、その生産企業が白雲山医薬だと社名にまで言及して当該製品の販売促進に協力する『滞貨』を行ったのだった。

この事態を受けて、白雲山医薬は「複合板藍根複合顆粒」の新型コロロウイルスに対する有効性は依然として実験研究の途上であり、さらなる研究を経なければその有効性は不確実である」と対外的に公表すると同時に、白雲山医薬にとって板藍根関連製品は決して主力商品ではない旨を強調したのだった。

9月に中国最高の「共和国勲章」を受賞した鍾南山が、どうして白雲山医薬の「複合板藍根複合顆粒」が新型コロナウイルスに有効だという不確実な発言を行ったのだろうか。その理由は不明だが、あるネットユーザーは次のように鍾南山を批判した。即ち、

――鍾南山が「複合板藍根顆粒は新型コロナウイルスの抑制に有効だ」と言えば、すぐに当該商品は在庫がなくなり、白雲山医薬の株価が上がる。もしも、彼が牛糞で新型コロナウイルスを治療できると言えば、牛は宝物になり、牛糞は取り合いの対象となるだろう。鍾南山は地位も名誉もあるというのに、効果が不確かな段階でどうして「滞貨」する必要があるのか意味が分からない。――

2020年2月27日に、広州医科大学で開催された、感染予防とコントロールに関するブリーフィングに参加した、国家衛生健康委員会ハイレベル専門家グループのグループ長である鍾南山は、「新型コロナウイルスによる感染が最初に発生したのは中国であるかもしれないが、ウイルスの発生源が中国とは限らない」と言明したことで世界中から顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、この政府方針に沿った中国擁護の発言を行ったことが「共和国勲章」の受章に大きく影響したものと思える。

それが鍾南山の本心だったかどうかは分からないが、そうした発想の鍾南山が研究段階であるにもかかわらず、その研究対象が新型コロナウイルスの抑制に有効であると発言する度に、「連花清瘟胶囊」や白雲山医薬製「複合板藍根顆粒」を必死に買い求める庶民の姿は哀れと言うしかない。

日本の「イソジンうがい薬」、中国の「双黄蓮内服薬」、「連花清瘟胶囊」、そして白雲山医薬製「複合板藍根顆粒」は、いずれも庶民にとっては「溺れる者は藁をもつかむ」という意味の護身符であり、有効だと信じることで精神的な効力を発揮するのではないだろうか。

この意識は日本と中国だけに止まるものでなく、全世界の庶民に共通なものと言えよう。