への反論。 出版社から『男性権力の神話』ワレン・ファレルについて学術誌で批評が出たということで 送られてきたが、まず書き手がフェミニストまたは「男性学」の田中俊之という時点で 非常に嫌な予感がしたのだが全くあたった。 論文の全文はぜひ読めるので読んでほしい、レベルは低いが。学術でも実証でもなくポエムなので読んでも「は?」で終わってしまうと思うが。 武蔵大学の男性学が専門の田中俊之とは一度会ったことがある。当時自分が28で田中は38、9だったと思う。 こいつは当時曲がりなりにも「男性の息苦しい社会を変えよう」と言っていたので、 多少男性学の男性差別的イデオロギーを受けているとしても、まあ少しくらいは男性の人権や権利に 理解があるかもしれないと思い、わざわざ大学まで行って献本すると同時に話をしてきたのだ。 こいつが当時話していたのは、大学教授の職に就くまで貧困の生活をしていたことと、男性が 稼がなくてはならない社会はおかしい、という程度のことだった。俺は『男性学の新展開』を読む限り、 伊藤公男や上野千鶴子などの男性差別系のフェミニストと何が違うんだ?と思っていたが、 まあ「男性の生きづらさ」とやらを言う以上、伊藤公男レベルで男性の人権を考えないやからだとは 思わず、多少共感する能力はあるのではないかと思い、献本したのだ。 まあ、見事に裏切られた。男性学でも男性の生きづらさでもなく、 フェミニズムや女性の権利や人権のため、男性はフェミニズムに従えと本音を言えばいいのに。結論を言えば、こいつに男性差別をなくそうとする気はさらさらなく、男性の人権などこれっぽちも考えない まさにフェミニストの手下に過ぎない。 まあ、男性学という学会自体ができた経緯からして、そうなのだが。 ここではっきりしておきたいが、日本の男性学の重鎮といわれるメンバー 伊藤公男、伊田ヒロユキ、中村正などのメンバーは関西で、上野千鶴子などのラディカルフェミニズムメンバーに男も女のために何かしろ!と言われて作らされて男性学を作ったということを覚えておかなくてはならない。 ちなみに、伊藤公男と中村正は事実婚であるが、妻は大学の教壇に立つフェミニストであり、女性学会のメンバーである。そして事実婚であるがゆえ、子供の親権が圧倒的に弱いので、妻に逆らえば子供に会えなくなる立場にある。こんな状態で、フェミニズムに逆らう言論ができるわけない。つまり、伊藤公男や中村正、(立命館などの教授)は男性のことを思っているのではなく、あくまでフェミニストの妻とその仲間の顔色を窺って発言している。だから、こいつらを説得しようとしても無駄である。支配してコントロールしている本体のフェミニストの妻を倒さなければならない。 ちなみに伊藤公男が日本ジェンダー学会の会長をやっているのは、こいつが力があるわけではなく、 妻とその学生運動時代からの仲間のフェミニストに与えられた地位なのだ。戦略上男を上に立たせた方が 威嚇になるというだけの。だから伊藤を仮に改心させることができたとしても、フェミニズムに逆らったとたん伊藤は地位を追われるだけなので意味がないのだ。 伊田もフェミニストに地位を与えられている傀儡であるという点では一緒。 残りのフェミニストの犬の男性学のメンバーを挙げておくと 関西大学の多賀太、四国学院大学の ちなみに、多賀とこいつとは学生時代少し議論したことあるが、いきなり俺の本や論文を読むと発狂してきたことだけは覚えている。あげくのはてに、マイケル・キメルを読めとぬかしやがった。マイケル・キメルなど我々の男性権利団体やマスキュリズムが一番理論的に批判している奴なのに。 これらのメンバー 伊藤公男、中村正、伊田ヒロユキ、多賀太、あたりが上野たちの学派によって作れと言って作られた日本の男性学の初期メンバーである。当然連中は男性差別を感じて男性学を作ったわけではなく、男は加害者で女は被害者だ、男は男に生まれてきた以上反省しなければならない、女に従わなければならないという発想からきているので、男性の人権を考えることは100%ない。例えば、我々が当事者を抱える男性のDV被害者、性暴力被害者、子供に会えない父親を助けることは永遠にない。 マスキュリズムとは別ものなのだ。 さて、田中俊之に戻ろう。こいつは現在40近くで、伊藤たちとは20くらい違い、 一応自称、自分が男性として生きづらいから自発的に「男性学」に入ってきた研究者だ。 日本は男性学者は総勢20名もいないので(大学に職を持つ研究者は)、 珍しい上に、世代も新しいし少しは自分は期待していたわけだ。もしかしたら、味方の可能性が1%でもあるのではないかと。 そしてそれが見事に裏切られた。要は伊藤公男や上野千鶴子(というかイデオロギーフェミニズムの犬)にすぎない。 正直批評文は根拠とデータすらないので、「何言ってんだこいつ?ヘイトを垂れ流してんじゃねーよ」という感想しかない。ちなみに投稿されている論文誌は法政大学系の『大原社会問題研究所雑誌』で まあ名前を少しぼかしているが要は社会学系の雑誌である。つまりイデオロギーとしてはフェミニズムの 最も強い学部になる。当然、男性差別があると認めるわけにはいかないので、 「男性差別があるというデータを出されると、女性差別が助長される」という意味不明の論旨になっている。こんなもの、社会には女性差別しかなく、男性差別など存在しないというフェミニズムの 「パトリアキー理論」に乗っかったものでしかない。しかし、これがフェミニストの公式見解だということは男性人権派、日本の男性で男性の人権を学術の中で守ろうとしている人は理解しなくてはならない。 田中は話ている限り、すげーバカだとは思っていたが、論文もここまでカスだとは思いもしなかった。 科学性ゼロ。ファレルや俺やアメリカのマスキュリズムがデータと実証主義で男性差別は統計的にある、 DVの被害者も男性にいると出しても、これは「フェミニズム」の理論の裏付けがないからデータを挙げるのはよくないとぬかすのだ。 じゃあどうやって、女性差別と同じく、いや最悪それ以上に男性差別があることを立証するのだ? 男性差別がなく、女性差別しかないということをデータや現実の統計をとらずにどう反証するのだ? してはいけないのである。女性差別だけがあり、男性差別がないというのはデータからも見えない、実験や実証、統計からも見えない、宗教的なドグマ概念だからである。その代表的な言葉が超概念である 「パトリアキー」である。 頭にきてるのでまた反論するかもしれないが、とりあえずここまで書いておく。田中の中傷的批評(男性差別などない!男性のDV被害者や子供に会えない父親や、性被害者の男性、女よりも抑圧されているため自殺率が高い男性など存在しない!という男性に対する人権侵害)は全文記載しておく。 反論したい人は好きに反論してほしい。 載せてほしい人は俺にメールで送ってくれればいい。 こういう論文を徹底的に学術から追い出していくにがマスキュリズムの役目である。 日本の人口の半分の男性の人権を少しも考えない田中は大学にいる資格はないよ、出てけ。 武蔵大学からたたき出す必要がある。どうせ、背後で日本女性学会やジェンダー学会の権力のあるフェミニストとつながっているだろう。 |