カルミナ・ブラーナ ― 中世写本の詩歌集から

中世の詩歌集「カルミナ・ブラーナ」について調べたことのまとめと、カール・オルフ作曲のカルミナ・ブラーナで用いられた全詩を含む対訳および訳注です(配列は歌集順で、オルフでの曲順とは異なります)。

カルミナ・ブラーナの概要

1803年、ドイツ・ミュンヘン南郊のベネディクトボイエルン修道院ボイレンではないの図書室で、250編におよぶ詩を筆写した羊皮紙の冊子本が見つかりました。作品は11~13世紀に作られたもので、大半は中世ラテン語であるものの、中高ドイツ語、古フランス語などのものも含まれています。 作者のほとんどは学識のある世俗聖職者やゴリアルド(ゴリアール、遍歴学生)だと考えられ、教訓から酒、自然と愛、宗教劇といった分野の題材を、硬軟織り交ぜて表現した歌の集まりです。いくつかの詩には、ネウマと呼ばれる歌の抑揚を示す記号が付されています。

シュメラー版の第1頁

112葉からなる修道院写本(以下Br写本)はヴィッテルスバッハ宮廷図書館(現在のバイエルン州立図書館)に収蔵され、部分的な出版は行なわれたものの、全体の出版は文献学者にして同図書館手稿部門を管轄する立場にあったシュメラー(Johann Andreas Schmeller)によるカルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)[1]の刊行(1847年)を待たねばなりませんでした。シュメラーは作品に写本順の通し番号を付与した上で、"Seria"(真面目)と"Amatoria, Potatoria, Lusoria"(愛、酒、遊び)の2部に分けて配置し、前者はローマ数字、後者はアラビア数字としています。シュメラー自身が指摘するとおり、写本テキストには不正確と思われる箇所があり、また羊皮紙が冊子本にまとめられるときに順序が入れ替わったり欠落したりと、作品の姿を適切に再現するには十分とはいえない部分がありました。

その後メイヤー(Wilhelm Meyer)による追加断片7葉を含む研究書Fragmenta Buranaの出版(1901)を経て、1930年からヒルカ(Alfons Hilka)とシューマン(Otto Schumann)による批判校訂版の出版が始まります。これらの仕事は同じ詩の別写本との比較[2]によってBr写本の不備を補い、校訂版では作品配列の順序や構成も変更しました。現在CB番号として参照されるのは、通常この校訂版のものです。

以下で紹介するのは、シュメラーの初版から選んだいくつかの詩とその試訳および訳注です。各見出し冒頭の数字は「S.シュメラー版番号/CB.批判校訂版番号」を表し、他の箇所でも両版の番号は接頭辞S.およびCB.で区別します。また「恋、酒、遊び」の途中でSequuntur potatoria et lusoria(以下酒と遊び)という見出しがあるので、セクションを「恋の歌」と「酒、遊びの歌」に分けています。なお、訳注ではシュメラー版を[SC]、校訂版を[HS]、オルフのショット社版スコアを[SS]、オルフ自筆譜を[ORF]と略記します。スクリプトとスタイルシートが利用できる環境では、訳注は折りたたんでいます。

真面目編

シュメラーは、詩にBr写本冊子の順に番号を与えたうえで、格言詩、風刺詩など「真面目」なものをローマ数字で表して前半に置き、「恋、酒、遊び」をアラビア数字で表して後半に置きました。まずS.IS.XXX(CB.は概ね17~54)が真面目編の冒頭を飾ります。

S.I/CB.17. O Fortuna, velut luna

シュメラーの「カルミナ・ブラーナ」冒頭には、概要で示した図のようにBr写本のフォルトゥーナ挿画[3]のスケッチが掲げられており、その直後に置かれている詩です。校訂版に至る研究で冊子の順序が入れ替わっていた[4]ことが示されてS.LXVIがCB.1として先頭に置かれ、このS.IはCB.番号が示すように17番目になっています。

S.I/CB.17
O Fortuna,1おぉフォルトゥーナ
velut luna2あたかも月のような
statu variabilis,3ありさまは変わりやすく、
semper crescis4常に満ち行き
aut decrescis;5あるいは欠け行き
vita detestabilis6生きざまは忌まわしく
nunc obdurat7今は無情にする
et tunc curat8またこんどは癒やしている
ludo mentis aciem,9戯れに、精神のまなざしに対して、
egestatem,10貧困さえ、
potestatem11権力さえ
dissolvit ut glaciem.12溶かしてしまう、氷のようにして。
Sors immanis13運命、怖ろしい
et inanis,14そして虚しい、
rota tu volubilis,15車輪、おまえは回り、
status malus,16ありさまは邪悪で、
vana salus17空っぽの救いで
semper dissolubilis,18常に容易に溶け去り、
obumbrata19陰にかくれて
et velata20そしてベールに包まれて
michi quoque niteris;21私にもまたのしかかり;
nunc per ludum22今は戯れで
dorsum nudum23背中を裸で
fero tui sceleris.24差し出そう、おまえの悪行にあたり。
Sors salutis25運命、救いの
et virtutis26そして美徳の
michi nunc contraria27私に今や背を向ける
est affectus28高揚は
et defectus29そして失意は
semper in angaria.30常にそれに隷従させられる。
Hac in hora31ここで、この時に
sine mora32遅れることなしに
corde pulsum tangite;33弦を響かせて弾け;
quod per sortem34このことを、運命によって
sternit fortem,35打ち倒すことを、強者とて、
mecum omnes plangite.36私とともにすべてのものが嘆け。

3行連の1、2行目が脚韻を踏み、さらに偶数連と奇数連の末尾も韻を踏む構成(aabccbddeffe)になっています。

Br写本の1葉目表には、フォルトゥーナの挿画のすぐ下にS.IIの前半が書かれ、その下にこのS.Iがあります。オルフでは第1曲第25曲です。

シュメラー版の最初の方は、S.XVIIa(CB.40)あたりまでは《万人の救いに努めよ》とか《お前の心に帰れ》といった格言や教訓、警告の内容で、確かに「真面目」です。ペトルス・フォン・ブロワなど、作者が示されている作品もいくつかあります。S.V(CB.23)に少し《境界のお偉方の悪徳》という感じの風刺がみられますがS.XVIIIS.XXIa(CB.41~45)は聖職者への風刺が続きます。S.XXIIS.XXIX(CB.46~53)は十字軍やエジプト遠征などの歴史的という感じの主題。S.XXX(CB.54、55)は悪魔祓いの呪文です。

S.LXXVIa/CB.18. O Fortuna levis

S.31S.63は「恋、酒、遊び」に置かれたのでS.XXXの次はS.LXIVと飛んでいます(上に示したように批判校訂版では順序が改められ、別資料とS.LXVIから再構築した詩をCB.1とし、以降S.LXVIaがCB.2...となっています)。格言や風刺詩が中心で、S.LXVIIIa(CB.5)のように2行対の各単語がそれぞれ対応付けられているという凝ったものもあります。S.LXXV(CB.14)から運命=フォルトゥーナが出てきて、この詩に至ります。

S.LXXVIa/CB.18
O Fortuna levis, cuivis das omnia quevis,1おぉフォルトゥーナよ軽率な、全ての者に何でも与えて、
et cuivis quevis auferet hora brevis.2そして何でも取り去るだろう、わずかの時間において。
Passibus ambiguis Fortuna volubilis errat,3歩みがおぼつかないフォルトゥーナは回る、さまよいつつ、
et manet in nullo certa tenaxque loco;4そしてとどまることがない、確かなところに;
sed modo leta manet, modo vultus sumit acerbos,5あるときは楽しそうにするが、あるときは顔がけわしく、
et tantum constans in levitate manet.6そしてまったくいつも気まぐれでいる。
Dat Fortuna bonum, sed non durabile donum,7フォルトゥーナは良い物を与える、しかし長続きしない贈りものを、
extollens pronum facit et de rege colonum.8倒れたものを助け起こし、そして王にする、農民を。
Quos vult sors ditat, quos non vult, sub pede tritat.9運命を望む者を金持ちにし、望まない者を、足元に踏みつける。
Qui petit alta nimis, retro lapsus ponitur imis.10求めがあまりに高い者は、後ろ向きに転落させられ最低へ。

Br写本第48葉裏の中ほどに置かれた詩です。オルフでは用いられていません。

S.LXXVII/CB.16. Fortune plango vulnera

続けて、フォルトゥーナの「運命の車輪」の詩です。校訂版ではこちらがS.IS.LXXVIaよりも前に置かれており、より印象が強いかもしれません。

S.LXXVII/CB.16
Fortune plango vulnera1フォルトゥーナからのを嘆く、傷を
stillantibus ocellis,2こぼれ出るもので、目から、
quod sua michi munera3なぜなら彼女から私への贈り物を
subtrahit rebellis.4持ち去るから、反逆者さながら。
Verum est, quod legitur5真実なのだ、読まれることは
fronte capillata,6正面には髪が生えている、
sed plerumque sequitur7しかし大部分の後に続くところは
Occasio calvata.8機会の神なのだ、禿げている。
In Fortune solio9フォルトゥーナの玉座に
sederam elatus,10座って誇らしげだった、
prosperitatis vario11繁栄の色とりどりに
flore coronatus;12花で冠と飾られていた;
quicquid enim florui13それほどまさに花咲いて
felix et beatus,14幸せで栄えていた、
nunc a summo corrui15今は最高から転落して
gloria privatus.16栄光は奪い取られた。
Fortune rota volvitur:17フォルトゥーナの車は回される:
descendo minoratus;18私は降りて小さくなって;
alter in altum tollitur19他の者が高みに持ち上げられる
nimis exaltatus20あまりにも高められて
rex sedet in vertice21王は座す、頂点に
caveat ruinam!22注意するがいい、破滅を!
nam sub axe legimus23なぜなら車輪の下に我らは読みとる
Hecubam reginam.24ヘカベ、あの王妃を。

2行連の1対が、それぞれの行で韻を踏んでいます(ababcdcd)。

S.LXXVIaと同じ第48葉裏の下部にある詩です。オルフでは第2曲です。

S.CLXXII/CB.191. Estuans interius

吟遊詩人の告白の詩。ケルンの詩人アルキポエタ作とされています([永野]は、アルキポエタ作の告白形式をまねた戯れ歌で、本歌中の屈指の傑作としています)。

S.CLXXII/CB.191 (s1-5)
Estuans interius1燃え上がって、内面が
ira vehementi2怒りから、強烈に
in amaritudine3苦痛の中で
loquor mee menti:4語りかける、おれの心に:
factus de materia,5作られたもの、物質から、
cinis elementi6灰のごときもの、元素をもとに
similis sum folio,7似たようなもの、そのおれは葉と、
de quo ludunt venti.8そいつと戯れるのだ、風に。
Cum sit enim proprium9当然のことだろう
viro sapienti10賢明な男に
supra petram ponere11岩の上に置くのが
sedem fundamenti,12土台を基礎に、
stultus ego comparor13馬鹿なおれは似ている
fluvio labenti,14流れる川に、
sub eodem tramite15同じ狭いところのもとには
nunquam permanenti.16決してとどまらずに。
Feror ego veluti17運ばれていく、おれはあたかも
sine nauta navis,18船乗りのいない船のように、
ut per vias aeris19まるで道を通って、大空の
vaga fertur avis,20さまよい運ばれる鳥のように、
non me tenent vincula,21おれを捕まえてはおけん、綱紐では、
non me tenet clavis,22おれを捕まえてはおけん、鍵なんぞに、
quero mihi similes,23探し求め、おれに似た者を、
et adiungor pravis.24そして仲間にされる、邪悪な連中に。
Mihi cordis gravitas25おれには心の厳しさは
res videtur gravis;26あれに見える、重荷に;
iocus est amabilis27冗談は魅力的で
dulciorque favis;28まけずに甘いぞ、蜂蜜に;
quicquid Venus imperat,29何だってビーナスが命じるなら、
labor est suavis,30労働だって甘美に、
que nunquam in cordibus31その女神は決してそんな心に
habitat ignavis.32住みつかないぞ、臆病なこころに。
Via lata gradior33広い道をおれは進む
more iuventutis,34ふるまいは若者のように、
inplicor et vitiis35絡め取られもし、悪徳に
immemor virtutis,36無頓着になり、美徳に、
voluptatis avidus37快楽に貪欲で
magis quam salutis,38救済はあとに、
mortuus in anima39死んでいる、魂において
curam gero cutis.40関心をおれは向ける、皮膚に。

1節中の偶数行で韻を踏んでいます(abcbdbeb)。

オルフでは第11曲です。ここまでは自己批判的な内容ですが、詩はこの先第30節まで続いていて、「わが念願は飲み屋で死ぬこと」とか「詩をつくるには美酒を飲む」などなど酒の礼賛がたくさん登場します(批判校訂版では「酒の歌」編です)。また写本が多数存在して細部だけでなく節の順序なども異なっており、批判校訂版は26~30節をCB.191aと別扱いしています。Br写本では第84葉表から始まっています。

16-17- 18-19+

S.CCIII/CB.16*. Primitus producatur Pilatus

これはベネディクトボイエルンの大受難劇[5]として知られるもので、Br写本冊子の第107葉表110葉表、印刷版で300行以上に及ぶ長い詩文です。校訂版のCB.16*は補遺[6]におさめられています。

福音書のいろいろな挿話を織り交ぜながらエルサレムに向かうイエスを描いた場面に続いて、マグダラのマリアが登場します。世界(現世)の楽しみを歌った後、市場に行って体を美しくするために小間物屋で香油を注文。次に今度は中高ドイツ語になって歌うのが:

S.CCIII/CB.16* (Maria Magdalena cantet)
Chramer, gip die varwe mir,1お店やさん、くださいな紅を私に、
die min wengel roete,2それで私のほほを赤く染めて、
damit ich die jungen man3それでもって私が、若い男たちによ
an ir dank der minnenliebe noete.4それを考え、愛恋のことよ、させて。
Seht mich an,5見て私をしっかりとよ、
jungen man!6若い男たちよ!
lat mich iu gevallen!7任せて私に、あなたたちを楽しませるわ!
Minnet, tugentliche man,8愛しなさいな、高潔な男たちよ、
minnecliche frouwen!9愛らしい女たちのこと!
minne tuot iu hoch gemout10愛はあなたたちを高めてくれるわ、心をね
unde lat iuch in hohen eren schouwen.11そしてあなたたちに高い栄誉を見せるってこと。
Seht mich an,12見て私をしっかりとよ、
jungen man!13若い男たちよ!
lat mich iu gevallen!14任せて私に、あなたたちを楽しませるわ!
Wol dir, werit, daz du bist15ようこそ、世の中、あなたは
also freudenriche!16こんなにも喜びがいっぱいで!
ich will dir sin undertan17私はあなたに従うわよ
durch din liebe immer sicherliche.18だってあなたの愛はいつも確かで。
Seht mich an,19見て私をしっかりとよ、
jungen man!20若い男たちよ!
lat mich iu gevallen!21任せて私に、あなたたちを楽しませるわ!

脚韻はabcb。オルフでは第8曲です。中世において、マグダラのマリアはルカ7:36~50の「罪のある女」と同一視されていたため(聖書にはそんなこと書いてないにもかかわらず)、このあとで悔い改めて、もういちど小間物屋で香油を買ってイエスに近づき、足元で泣く(そして香油を注ぐ)という話が続きます。そして、ピラトの裁判、イエスの受難と劇は進んで行きます。

Chramerの歌は、Br写本では第107葉裏の上部に書かれ、ネウマ[7]が付与されています。

恋の歌編

S.IS.XXXが真面目編に含められ、「恋、酒、遊び」はBr写本第18葉裏S.31(CB.56)からです。Incipiunt jubili(始まる、喜びの調べが)という言葉が冒頭に置かれています。

S.37/CB.62. Dum Diane vitrea

この詩は中世抒情詩の傑作とされるものです。第1節を試訳してみます。

S.37/CB.62 (s1)
Dum Diane vitrea1月の女神の水晶のような
sero lampas oritur,2ようやく灯があらわれるとき、
et a fratris rosea3そして兄弟神からのバラのような
luce dum succenditur,4光に燃えあがるとき、
dulcis aura zephyri,5甘いそよ風が、西風の、
spirans omnes ętheri,6吹き払う、すべて空にあるもの、
nubes tollit,7雲を取り払って、
sic emollit8そのように和らげて
vi chordarum pectora,9弦の力で胸の思い、
et inmutat10そして変える
cor, quod nutat11心を、それは揺れる
ad amoris pignora.12向かうは愛の誓い。

シュメラー版では続く4行も合わせて第1節としていますが、Br写本は次が赤の大文字になっていて校訂版でも節を分けているので、ここまでにしました。恋の動と眠りの静が対比されつつ喜びや悩み、また情景が描写されていきます。この詩については[ドロンケ, pp.304-311]が独自に校訂した上で詳しく検討しています。Br写本では第23葉表の中程から。オルフでは用いられていません。

S.43/CB.70. Estatis florigero tempore

恋の対話詩で、「夏、花開くとき」と始まる第1節で男が決意を独白し、第2節で女に熱い思いを語り、第3節で女が答え…と続きます。女は《貞節も大事、それに家族に叱られているし》とためらいますが、男はくだらない心配だと迫ります。そして第7節(批判校訂版は節の分け方がかなり違って第12節ab):

S.43/CB.70 (s7)
In trutina mentis dubia1天秤の中で、心の迷いの
fluctuant contraria2揺れ動く反対のもの
lascivus amor et pudicitia.3わがままな愛と貞節なるもの。
Sed eligo quod video,4しかし私は選ぶ目に見えるほう、
collum iugo prebeo;5首をくびきにあてがう;
ad iugum tamen suave transeo.6くびきへと、なお甘いものへ向かう。

男は《ビーナスの神秘をくびきと言うなんて》と驚きつつ、喜び、贈り物をします。そして最後の第9節(批判校訂版では第15節):

S.43/CB.70 (s9)
Dulcissime,1この上なく愛しい方、
totam tibi subdo me.2すっかりあなた捧げます、私を。

※オルフの曲ではtotam tibiの前に"ah"を置いています。

[永野]は「わたしのいとしい娘よ」と男の立場で訳しています。第7節を見ると3行ごとの韻のようですが、節ごとに異なる規則で全体としてどうなのかよく分かりません。Br写本では第27葉表の下部から。オルフでは第21曲第23曲です。

S.50/CB.77. Si linguis angelicis loquar et humanis

これも恋の対話の詩。「もし天使と人間のことばが話せても」で始まる第1節で恋に勝利したことが述べられ、その原因と結果を第3節から歌います。恋に悩んでいろいろ念じているときにふと振り返ると、なんとそこに彼女が。そこで近づいて丁寧に挨拶するのが第8節:

S.50/CB.77 (s8)
Ave formosissima,1ようこそ、この上なく美しいひと、
gemma pretiosa,2宝石、貴重なものよ、
ave decus virginum,3ようこそ、誇りよ、乙女たちの、
virgo gloriosa,4乙女、栄光のひとよ、
ave mundi luminar,5ようこそ、世界の光、
ave mundi rosa,6ようこそ、世界のバラよ、
Blanziflor et Helena,7ブランチフルールとヘレナ、
Venus generosa.8ビーナス、高貴な方よ。

偶数行で韻を踏んでいます(abcbdbeb)。オルフでは第24曲です。そして短いやりとりのあと、第12~23節を費やして長い告白が行なわれます。何でも希望を叶えてあげるという答えをもらい、そして第33節の「苦多ければ楽もまた多し」で結ばれます。Br写本では第31葉裏から始まっています。

S.60/CB.87. Amor tenet omnia

「愛神は支配する、すべてを」ではじまる恋愛詩です。「大胆で臆病」「誠実で無情」などいろいろ矛盾した形容の上で第4節:

S.60/CB.87 (s4)
Amor volat undique,1愛神が飛びます、いたるところで、
captus est libidine.2とらえられて、欲望に。
Juvenes, iuvencule3若い男たち、若い女たちは
coniunguntur merito.4結びつきます、当然ですが。
Siqua sine socio,5もし彼女にいなければ、相手が、
caret omni gaudio;6欠けている、全ての喜びが;
tenet noctis infima7捕まえる、夜の奥底をここに
sub intimo8一番内側にある
cordis in custodia:9心の護られたところに:
fit res amarissima.10なります、もっとも辛いことに。

Br写本の中でも特に問題(誤りの可能性)の多いテキストとされ、シュメラー版も校訂版もいろいろ手を入れています。オルフでは第15曲です。結論の第5節でも「すなおでずるい」「赤くて青い」として、最後に「夜の静寂の中で/愛神は罠にはまる」と結びます。Br写本では第36葉裏の下部から始まっています。

S.61/CB.88. Ludo cum Cecilia

「セシリアと遊ぶ」で始まるこの詩の第2節では、中世からルネサンス期に広く使われた「愛の五段階」(quinque lineae amoris)[ドロンケ, p.626]が出てきます。

S.61/CB.88 (s2)
Tantum volo ludere,1ひたすらしたい、遊ぶこと、
tantum contemplari,2ひたすら見つめて、
pręsens volo tangere,3すぐそばでしたい、触れること、
tandem osculari,4ついにはキスして、
quintum, quod est agere,55番目の、成し遂げること、
nolo suspicari.6それは考えないことにして。

Br写本第37葉表の後半にあります。校訂版はかなり違っていて、これは第9節に置かれ1~2行目もやや異なります。なぜか[永野]はシュメラー版に近い(けれども微妙に違う)ようです。この詩はオルフでは用いられていません。

愛の五段階はS.116b/CB.154にも登場して、「見つめる、語らう、触れる、唇を重ねる」と歌われています(シュメラー版はここまでですが、校訂版ではその後に第5段階についても)。5つの段階はこちらが一般的なようです。またウンベルト・エーコが『美の歴史』第Ⅵ章(邦訳p.158)で引用している、第4段階から先には簡単に進めずあの手この手でようやく成就という詩は、「ビーナスありがとう」で始まるS.45/CB.72(ブロワ作)の翻案です。

S.65/CB.92の長い論争詩に続く写本ページは、シュメラー版ではS.LXVIS.LXXVIIと「真面目編」に入れられていますが、S.Iでの写本順序の注でも示したように、校訂版では羊皮紙の順序が入れ替わっていたとしてこの範囲がCB.1~CB.16およびCB.18となっています。

S.81/CB.118. Doleo, quod nimium

「残念だ、とても/追放されるとは」で始まる恋の悲歌。フランスに留学させられて恋人と離れてしまい、戻ってきたら彼女は別人の腕に。という状況での第6節から(第8節をとばして)最後まで:

S.81/CB.118 (s6,7,9)
Dies, nox et omnia1昼、夜、そしてすべてが
michi sunt contraria,2私に背を向けているが、
virginum colloquia3乙女たちの会話が
me fay planszer,4私ヲ涙サセ、
oy suvenz suspirer,5マタシバシバタメ息ヲツカセ、
plu me fay temer.6サラニ私ヲ怯エサセ。
O sodales, ludite,7おぉ仲間よ、遊びを楽しんでくれ、
vos qui scitis dicite8きみたち訳知りは語ってくれ
michi mesto parcite,9私の嘆きには寛容でいてくれ、
grand ey dolur,10大キイノダ、苦シミッテ、
attamen consulite11けれども相談に乗ってくれ
per voster honur.12キミタチノ名誉ニカケテ。
Tua pulchra facies13あなたの美しい顔が
me fay planszer milies,14私ヲ涙サセ、千回もだが、
pectus habet glacies.15心はいっぱい、氷が。
a remender16治スノナラバ
statim vivus fierem17すぐ元気になるさ
per un baser.18一度ノ接吻ガアレバ。

フランス帰りゆえのフランス語混じりマカロニック(マカロニ体)が、いっそう悲哀を誘います。各節の頭3行の韻です。引用箇所はBr写本では第50葉表(校訂版ではオルフの引用は第5、6、2節となります。写本順序の注の続きを参照してください)。オルフでは第16曲です。

S.92/CB.130. Olim lacus colueram

この付近、鳥獣の歌(S.96/CB.132)、鳥や動物の名(S.97/CB.133、134)など鳥獣関連の詩が多いのですが、批判校訂版でも「恋の歌」に分類されています。これは鳥の歌というよりは、悲歌ですけれど。

S.92/CB.130 (s1,2,5)
Olim lacus colueram,1かつて湖に住んでいた、
olim pulcher extiteram2かつて美しく際立っていた
dum cignus ego fueram.3あのころ白鳥で私はあった。
Miser, miser!4みじめ、みじめに!
modo niger5今は真っ黒に
et ustus fortiter.6そして焼かれてしまった強烈に。
Girat, regirat garcifer;7回し、また回す、料理人が;
me rogus urit fortiter:8私を薪が焼く、強いのが:
propinat me nunc dapifer,9引き渡す、私をいま給仕人が、
Miser, miser!10みじめ、みじめに!
modo niger11今は真っ黒に
et ustus fortiter.12そして焼かれてしまった強烈に。
Nunc in scutella iaceo,13いまや小皿に横たわる、
et volitare nequeo,14そして飛び回ることもできずにいる、
dentes frendentes video:15歯がはぎしりしているのが見える:
Miser, miser!16みじめ、みじめに!
modo niger17今は真っ黒に
et ustus fortiter.18そして焼かれてしまった強烈に。

上で紹介しているのは第1、2、5節(オルフでの第12曲)で、第3節(薬味に浸るより/水や大空が/ずっと好き)、第4節(前は雪より白く/鳥より美しく/今じゃ黒鳥)を省略しています(校訂版では。Br写本ではGirat...がMe rogus...と少し違う形で第3節、「前は雪より」「薬味に」がそれぞれ第2節、第4節になっています)。

3行単位でaaabbbと韻を踏んでいます。Br写本では第53葉裏の下部から始まっています。

S.99/CB.136. Omnia sol temperat

S.98(CB.135)で《冬の厳しさが去り春が訪れて輝く》と歌い、続くこの詩は太陽と春の賛美で始まります。いずれも、恋の歌です。

S.99/CB.136
Omnia sol temperat1万物を、太陽が、やわらげる
purus et subtilis,2それは清澄な、そして精妙の、
nova mundo reserat3新しい世界に開いている
facies Aprilis;4姿が、4月の;
ad amorem properat5愛に向かって急いでいる
animus herilis,6心が、おとなの、
et iocundis imperat7そして楽しむ者を治める
deus puerilis.8神が、こどもの。
Rerum tanta novitas9ものごとの大いなる再生は
in sollemni vere10いつもの春のこと
et veris auctoritas11そして春の権威は
jubet nos gaudere,12命じる、我々に楽しむこと、
vias prebet solitas,13道を示す、馴染みのだそれは、
et in tuo vere14そしてあなたの春でのこと
fides est et probitas15誠実でありまた正直なのは
tuum retinere.16あなたのものを持ち続けること。
Ama me fideliter17愛しておくれ私を誠実に
fidem meam nota,18誠実を、私のを知って、
de corde totaliter19心から、全てに
et ex mente tota,20そして精神から、全て、
sum presentialiter21私はいるよ、この場に
absens in remota.22たとえ離れていたって。
quisquis amat taliter23誰でも愛を行なう者は、そんなふうに
volvitur in rota.24回されるのだよ、車輪につけられて。

各節で2行対が韻を踏んでいます(abababab)。オルフでは第4曲です。

S.99a(CB.136a)としてドイツ語で「あの娘が私の思い通りになったら」という1節が続き、[永野]はこれを本詩の第4節としています。この付近の詩はいずれも最後の1節がドイツ語で[8]、シュメラー版、批判校訂版ではaを付加した枝番号、[永野]は一つの詩の最終節として扱っています。Br写本では3行抜きの大きな飾り文字で詩が始められ、節は赤の大文字で始められているのですが、枝番号に相当する詩は(内容としては独立していても)赤の大文字になっているだけなので、それをどう扱うかの違いによります。S.99第56葉裏の後半に書かれています。

S.101/CB.138. Veris leta facies

S.100(CB.137)では春の花と鳥が、S.100a(同137a)では輪舞を踊ろうと歌われています。そして幸せな春と恋の歌。

S.101/CB.138 (s1,2,4)
Veris leta facies1春の幸せな姿は
mundo propinatur,2世界に乾杯される、
hiemalis acies3冬の刃先は
victa iam fugatur.4打ち負かされ今や追放される。
in vestitu vario5衣服をまとって、色とりどりに
Phebus principatur,6フェブスが支配する、
nemorum dulcisono,7木立の甘い響きに、
qui cantu celebratur.8彼はその歌で讃えられる。
Flore fusus gremio9フローラに射し込み、その膝に
Phebus novo more10フェブスが新たな様子で
risum dat, hoc vario11笑い声を送る、そこで色とりどりに
iam stipatur flore.12いま囲まれる、花で。
Zephyrus nectareo13ゼフィルスは神酒の甘さに
spirans in odore;14吹いていて、香りの中で;
certatim pro bravio15競って、ご褒美のために
curramus in amore.16急いでいこう、愛の中で。
Cytharizat cantico17竪琴を奏でる、歌で
dulcis Philomena,18甘美なフィロメーナ、
flore rident vario19花で笑う、色とりどりに
prata iam serena,20草原はいま晴れやかな、
salit cetus avium21飛んでいる、集まりが鳥の
silve per amena,22森のなかをその朗らかな、
chorus promit virginum23輪舞がつくりだす、乙女たちの
iam gaudia millena.24いま喜びを、千もの数多な。

※オルフの曲では各節の末尾に"Ah"を置いています。

上で取り上げているのは第1、2、4節(オルフでの第3曲)で、省略した第3節は《乙女が教養人に語りかけ/動物みたいな俗物を呪い/ビーナスは分かる言葉でみなに語りかけ/熱い光で対話する》という少し不思議な内容です。また5月の魅力を歌うドイツ語の一節がS.101a(CB.138a)で続き、やはり[永野]はこれを本詩の第5節としています。

基本は偶数行の韻です。1、3行目も対になるababcbdbの形にもなりそうですが、第4節が当てはまりません。Br写本では第57葉表の後半に書かれています。

S.106/CB.143. Ecce gratum

S.102S.105(CB.139~142)はいずれも春が来て、冬の間閉じ込められていた恋人あるいは心を寄せる人に会える喜びを歌ったもの。この詩ではそろそろ夏が近づいているようです

S.106/CB.143
Ecce gratum1ごらん、すてきだ
et optatum2そして待ち望んだ
ver reducit gaudia:3春が連れ戻す、喜びを:
purpuratum4赤紫の装いだ
floret pratum,5花が咲く牧場だ、
sol serenat omnia.6太陽は輝かせる、万物を。
iam iam cedant tristia7すぐに去らせよう、悲しみどもを
estas redit,8夏が戻る、
nunc recedit9いま引っ込める
hyemis sevitia.10冬の厳しさを。
Iam liquescit11いまや溶ける
et decrescit12そして消し去る
grando, nix et cetera;13雹、雪などなどを;
bruma fugit,14冬至は逃げる、
et iam sugit15そしていまや吸っている
ver estatis ubera;16春は夏の乳房を;
illi mens est misera,17そいつの心は誘う、哀れみを、
qui nec vivit18こんな輩だ、生きもしない
nec lascivit19はしゃぎもしない
sub estatis dextera.20見上げているのに、夏の右手を。
Gloriantur21得意になる
et letantur22そして嬉しがる
in melle dulcedinis,23蜜の中で、甘い味わいの、
qui conantur,24そのかれらは試みる、
ut utantur25それを楽しもうとする
premio Cupidinis;26褒美を、キューピッドの;
simus jussu Cypridis27かくあれかし、命令で、キプロスの美神の
gloriantes28得意になって
et letantes29そして嬉しがって
pares esse Paridis.30同類であることを、パリスの。

※オルフの曲では各節の末尾に"Ah"を置いています。

韻はaabaabbccbとなっています。意味からしても3行+3行+4行でしょうか。オルフでは第5曲です。

S.106a(CB.143a)として、騎士に可愛がられた女性の歌がドイツ語で続き、やはり[永野]はこれを本詩の第4節としています。Br写本では第59葉表の後半に書かれています。ネウマ付きです。

S.108a/CB.145a. Were diu werlt alle min

S.107(CB.144)では「夏がいまやって来た」と新緑のもとでの恋を歌い、S.108(CB.145)では「ミューズが歌と来る」と小鳥たちが囀る草原を歌います。それに続くドイツ語の節です。

S.108a/CB.145a
Were diu werlt alle min1たとえ世界全部が私のものでもだ
von deme mere unze an den Rin,2海からライン川までもだ、
des wolt ih mih darben,3そのためなら、私は捨ててしまうぞ、
daz diu chünegin von Engellant,4それで王妃を英国から、
lege an minen armen.5抱けるなら、私の腕にだぞ。

※オルフの曲では末尾に"Hei!"を置いています。

オルフでは第10曲です。[永野]はこれをS.108/CB.145の第7節とし、校訂版に従って「イギリスの王様を」と女性の立場で訳しています(さらに「全世界が妾のもになるなら/あきらめてもいいわ/イギリスの~抱くのをね」と話が逆になっていますね…)。Br写本では第60葉表の先頭に書かれています([植田,p.94]はこれにTaugen minne diu ist gůt(秘められた恋は素晴らしい)と始まるS.136a/CB.175aを続けて一連の詩として扱い、騎士道的ミンネの讃美の例としています。ただし一連とする根拠ははっきりしません)。

S.112/CB.149. Floret silva

S.109S.109a(CB.146、146a)はフィロメーナ(ナイチンゲール)の歌声に寄せてあこがれの人を歌い、S.110S.111a(CB.147~148a)は季節よりもビーナスに比重をおいた恋の歌になっています。そして美しい森と乙女の嘆き:

S.112/CB.149
Floret silva nobilis1はなやぐ森、気品があって
floribus et foliis.2花で、そして葉でもって。
Ubi est antiquus3どこにいるの昔のひとは
meus amicus?4私の恋人は?
hinc equitavit!5ここから馬に乗ってしまったの!
eia, quis me amabit?6さぁ、だれが私を愛してくれるの?
Floret silva undique,7はなやぐ森、いたるところで、
nah mine gesellen ist mir .8求メルノガ、私ノ若者ヲ、私ニハ苦痛。
Gruonet der walt allenthalben,9青々トシテルノ森ハ、至ルトコロデ、
ist min geselle alse lange?10ドコニイルノ私ノ若者ハ、カクモ長ク?
der ist geriten hinnen,11彼ハ馬ニ乗ッテ行ッタ、ココカラ、
o , wer sol mich minnen?12オゥィ、ダレガ私ヲ愛シテクレルカシラ?

※オルフの曲では各節の末尾およびリフレインの前に"Ah"を置いています。

この詩も後半がドイツ語ですが、Br写本では2回めのFloret(7行目)がRefl.とされて続いていることもあり、シュメラー版、批判校訂版ともに枝番号で分けずに一つの詩としています。第60葉裏の後半に書かれています。オルフでは第7曲です。

この先、夏の恋の傷を歌うS.122(CB.160)の次、第64葉裏には、鳥や動物たちのいる森を描いた絵が含まれています。

この向かいのページにあたる第65葉表に置かれたドイツ語詩S.123a(CB.161a)には、「あらゆる鳥のさえずり」「野はたくさんの花とクローバーで一杯」「緑の化粧だ美しい森は」といった表現が見られます。

S.129a/CB.167a. Swaz hie gat umbe

S.113S.123a(CB.150~161a。S.116bがCB.154に対応するので、番号が一つずれます)はまだ自然や季節とともに恋を歌う詩が多いですが、徐々に神話的なエピソードなどが盛り込まれるようになり、S.124S.128a(CB.162~166a)では恋の喜びや悩みそのものが主題になります。S.129(CB.167)は留学生が故郷の幼なじみを想う歌。その最終節にドイツ語の詩が続きます。

S.129a/CB.167a
Swaz hie gat umbe,1誰だってここで舞い回るのは、
daz sint allez megede,2それはみな乙女たちなのさ、
die wellent ân man3彼女たちは望む、男なしを
alle disen sumer gan.4すべてこの夏それで行くことを。

※オルフの曲では末尾に"Ah! Sla!"を置いています。

Br写本では第67葉裏の中ほどに書かれています。オルフでは第9曲です。

S.136/CB.174. Veni, veni, venias

S.130S.135a(CB.168~173a)は基本的に恋する人を想ったり讃えたりする歌ですが、S.134(CB.172)でサイコロ台の賭け事師(histrio tesseribus)といった表現が出てきたり、少し雰囲気が変わってきています。この詩もかなり陽気でふざけた要素が。

S.136/CB.174
Veni, veni, venias,1来て、来て、来ておくれ、
ne me mori facias,2私を死なせないでおくれ、
hyrca, hyrce, nazaza,3ヒルカ、ヒルケ、ナザザ
trillirivos!4トリリリボス!
Pulchra tibi facies,5美しい、あなたの顔が、
oculorum acies,6目のきらめきが、
capillorum series,7髪のウェーブが、
o quam clara species!8おぉなんとすらりとした姿が!
Rosa rubicundior,9バラよりも赤く、
lilio candidior,10ユリよりも白く、
omnibus formosior,11誰よりも美しく、
semper in te glorior!12いつもあなたを誇りと思しく!

オルフでは第20曲です。 S.136a(CB.174a)のChume, chumは上とほぼ同じ内容のドイツ語詩ですが、S.112/CB.149のときとは違って枝番号が与えられています。

S.136a/CB.174a
Chume, chum, geselle min,1おいでよ、おいで、若者よ私のね、
ih enbite harte din,2私は待ち待ち焦がれる、あなたをね、
ih enbite harte din,3私は待ち待ち焦がれる、あなたをね、
chume, chum, geselle min.4おいでよ、おいで、若者よ私のね、
Sůzer rosenvarwer munt,5甘いバラ色の口よ、
chum mache mich gesunt,6おいで、そして私を元気にしてよ、
Chum mache mich gesunt,7おいで、そして私を元気にしてよ、
sůzer rosenvarwer munt.8甘いバラ色の口よ。

[永野]ではS.136/CB.174の第4~5節としています。Br写本では第69葉裏の上部に書かれています。オルフでは第9曲中間部。

S.138/CB.177. Stetit puella

S.137(CB.175)は《愛神に弓で射られた》という歌、そのaはドイツ語詩ですが、bは格言詩で毛色が違っています(CB.は176)。そしてこの素敵な求愛詩になります。

S.138/CB.177 (s1,2)
Stetit puella1立っていた、少女が
rufa tunica;2赤いトゥニカで;
si quis eam tetigit,3ほら誰かがそれに触れた、
tunica crepuit.4トゥニカは衣擦れの音を立てた。
Eia.5エイァ
Stetit puella6立っていた、少女が
tamquam rosula;7まるで小さなバラが;
facie splenduit,8顔は輝いていた、
os eius floruit.9彼女の唇は花開いていた。
Eia.10エイァ

オルフでは第17曲です。このあと第3節はラテン語と中高ドイツ語が混在したマカロニックで書かれます。

S.138/CB.177 (s3)
Stetit puella bi einem bovme,1立っていた、少女が、1本ノ樹ノ下ニ
scripsit amorem an eime lovbe.2書いた、愛を、1枚ノ葉ニ。
dar chom Uenus also fram;3スルトヤッテ来タ、びーなすハ素早イ;
caritatem magnam,4愛情を、大きい、
hohe minne5高キ純愛ヲモッテ
bot si ir manne.6捧ゲタ、彼女ハ恋人ニアテ。

Br写本では第70葉表の上部に書かれています。

S.140/CB.179. Tempus est iocundum

S.139(CB.178)は《男らしく、女に媚びたりしない》と強気に始まるものの最後は《おれはお前の被告》になります。S.139a(CB.178a)はドイツ語で《夏を歓迎して踊ろう》と。そしてこの歌も踊りが感じられます。

S.140/CB.179 (s1,4,7,5,8)
Tempus est iocundum,1時だぞ、喜びの、
o virgines,2おぉ、乙女たちよ、
modo congaudete3今こそともに楽しめ
vos iuvenes.4きみたち若者よ。
Oh, oh, oh,5おぉ、おぉ、おぉ、
totus floreo,6すっかり私は花盛り、
Iam amore virginali7いまや愛で、乙女への
totus ardeo,8すっかり燃え上がり、
novus, novus amor est,9新しい、新しい愛だ、
quo pereo.10それで死んでしまったり。
Mea me confortat11私のそれが私を勇気づける
promissio,12その約束が、
mea me deportat13私のそれが私を落ち込ませる
negatio.14その拒絶が。
Oh, oh, oh,15おぉ、おぉ、おぉ、
totus floreo,16すっかり私は花盛り、
Iam amore virginali17いまや愛で、乙女への
totus ardeo,18すっかり燃え上がり、
novus, novus amor est,19新しい、新しい愛だ、
quo pereo.20それで死んでしまったり。
Tempore brumali21時なら、真冬の
vir patiens,22男は忍耐する、
animo vernali23躍動のもとでは、春の
lasciviens.24気ままにする。
Oh, oh, oh,25おぉ、おぉ、おぉ、
totus floreo,26すっかり私は花盛り、
Iam amore virginali27いまや愛で、乙女への
totus ardeo,28すっかり燃え上がり、
novus, novus amor est,29新しい、新しい愛だ、
quo pereo.30それで死んでしまったり。
Mea mecum ludit31私のそれが私と戯れる
virginitas,32その処女性が、
mea me detrudit33私のそれが私を制止する
simplicitas.34その純真さが。
Oh, oh, oh,35おぉ、おぉ、おぉ、
totus floreo,36すっかり私は花盛り、
Iam amore virginali37いまや愛で、乙女への
totus ardeo,38すっかり燃え上がり、
novus, novus amor est,39新しい、新しい愛だ、
quo pereo.40それで死んでしまったり。
Veni, domicella,41おいで、お嬢さん、
cum gaudio,42喜びも一緒になり、
veni, veni, pulchra,43おいで、おいで、美人さん、
iam pereo.44いまや、死んでしまったり。
Oh, oh, oh,45おぉ、おぉ、おぉ、
totus floreo,46すっかり私は花盛り、
Iam amore virginali47いまや愛で、乙女への
totus ardeo,48すっかり燃え上がり、
novus, novus amor est,49新しい、新しい愛だ、
quo pereo.50それで死んでしまったり。

上に示したのは、オルフが第22曲に選んだ第1、4、7、5、8節です(男声/女声に交互に歌わせるために節の順序を入れ替えています)。省略した第2、3、6節ではそれぞれフィロメーナ、バラの女王、フィロメーナを歌います。基本的には偶数行の韻です(第2節だけ乱れています)。Br写本では第70葉裏に書かれています。ネウマ付きです。

S.141/CB.180. O mi dilectissima!

S.140a(CB.179a)はドイツ語で《ある女性に手紙を書いた》というもの。それに続くという感じではないけれども、これも恋文の歌で、第1節でまず恋人に《手紙で書いたことを読んで》と語りかけます。第2~4節では白と赤に輝く、気品の高さ、甘く優しいなどの賛辞がおくられ、第5節から最後まで:

S.141/CB.180 (s5-7)
Circa mea pectora1あたりには、私の心の
multa sunt suspiria2たくさんある、ため息が
de tua pulchritudine,3あなたの美しさのゆえに、
que me ledunt misere.4それは私を傷つける、惨めに。
Manda liet, manda liet5喜ビ歌ゴコロ、喜ビ歌ゴコロ
min geselle chumet niet.6私ノ恋人ハ、来ルコトナカロ。
Tui lucent oculi7あなたの輝く目が
sicut solis radii,8あたかも太陽の光だ、
sicut splendor fulguris9あたかもきらめき稲妻のように
lucem donat tenebris.10光を与える、暗闇に。
Manda liet, manda liet11喜ビ歌ゴコロ、喜ビ歌ゴコロ
min geselle chumet niet.12私ノ恋人ハ、来ルコトナカロ。
Vellet deus, vellent dii13叶え給えば神が、叶え給えば神々が
quod mente proposui:14わたしが心に決めたことを:
ut eius virginea15つまり彼女の処女の
reserassem vincula.16鍵を開けるという、その鎖の。
Manda liet, manda liet17喜ビ歌ゴコロ、喜ビ歌ゴコロ
min geselle chumet niet.18私ノ恋人ハ、来ルコトナカロ。

※オルフの曲では各節の末尾に"Ah"を置いています。

オルフでは第18曲です。S.141a(CB.180a)はドイツ語で《ともに野に出よう》と歌って、ちょっと感じが違います。Br写本では第71葉表の上部に書かれています。ネウマ付きです。

S.144/CB.183. Si puer cum puellula

S.142(CB.181)は求愛の歌、同aはドイツ語、なぜかここで冬の厳しさを嘆きます。S.143(CB.182)は太陽の輝きで始める恋の歌、同aは明るい夏をドイツ語で。続くこの詩は恋の踊りの歌のようです。

S.144/CB.183
Si puer cum puellula1もし男の子が女の子と一緒に
moraretur in cellula,2逗まったら、小部屋に、
Felix coniunctio.3幸せな結びつきになるから。
Amore suscrescente,4愛が成長するので、
pariter e medio5お互いのその間から
avulso procul tedio,6取り払われる、退屈がそこから、
fit ludus ineffabilis7遊びがはじまる、言葉にならないで
membris, lacertis, labiis,8手足で、腕で、唇で、
(Refl.)9(リフレイン)

シュメラー版と校訂版で、単語やリフレインの扱いに違いが見られます。Br写本では第71葉裏の下部から始まっています。オルフでは第19曲です。

S.144aS.146(CB.183a~185)はドイツ語です。S.147(CB.186)においてラテン語でフローラが歌われ、この第72葉に次の挿画が置かれています。

続くS.148S.153は物語や叙事詩で、シュメラー版ではS.CXLVIIIS.CLIIIとして「真面目編」に置かれていますが、批判校訂版ではCB.97~102として「恋の歌編」に入っています。S.154S.169(CB.103~118)はシュメラーでも恋の歌です。

酒、遊びの歌編

S.CLXXに対応するCB.187からは、批判校訂版では酒の歌編となります。シュメラー版ではS.CLXXIIa(CB.192)までは「真面目編」ですが、S.173(CB.193)からがpotatoria et lusoria(酒と遊び)という小見出しを与えられています。

S.175/CB.196. In taberna quando sumus

S.173(CB.193)は《ワインvinumと水aquaの争い》、S.173a(CB.194)は《水の神Thetisと酒の神Lyeo》をめぐる格言詩、S.174(CB.195)は《博打にふける遊び人》の歌。そしてこの酒づくしの歌です。

S.175/CB.196
In taberna quando sumus,1酒場におれたちがいるときは、
non curamus quid sit humus,2気にしない、大地が何たるかは、
sed ad ludum properamus,3そうじゃなく博打にはしるわ、
cui semper insudamus.4それでいつも汗だくだわ。
Quid agatur in taberna,5何がどうなってんのか酒場で、
ubi nummus est pincerna,6そこではお金が酒注ぎ係で、
hoc est opus ut queratur,7こいつはしくみがどんなか知りたい、
sic quid loquar, audiatur.8だからおれが語ること、聞くがいい。
Quidam ludunt, quidam bibunt,9某奴らは打ってる、某奴らは飲んでる、
quidam indiscrete vivunt.10某奴らは思慮なく生きてる。
Sed in ludo qui morantur,11だけど博打にとらわれる奴らがいて、
ex his quidam denudantur,12そいつらの某奴らは裸にされて、
quidam ibi vestiuntur,13某奴らはそこで服を着せられて、
quidam saccis induuntur.14某奴らはずだ袋でくるまれて。
Ibi nullus timet mortem,15そこじゃだれも恐れんよ死を、
sed pro Baccho mittunt sortem:16そうじゃなくバッカスに投じるぞ運を:
Primo pro nummata vini,17最初は金払う奴のために、酒代のだ、
ex hac bibunt libertini;18それから飲む、自由民らがつぎだ;
semel bibunt pro captivis,19いちど飲む、囚人らのために、
post hec bibunt ter pro vivis,20そのあと飲む三たび、生者らのために、
quater pro Christianis cunctis,21第四はキリスト教徒全体のために、
quinquies pro fidelibus defunctis,22第五は信者で死んだ奴らのために、
sexies pro sororibus vanis,23第六は虚しいシスターらのために、
septies pro militibus silvanis.24第七は森の兵士らのために。
Octies pro fratribus perversis,25第八は邪悪なブラザーらのために、
nonies pro monachis dispersis,26第九は散らばった修道僧らのために、
decies pro navigantibus,27第十は船乗りらのためな、
undecies pro discordantibus,28第十一は喧嘩する奴らのためな、
duodecies pro penitentibus,29第十二は悔悛する奴らのためな、
tredecies pro iter agentibus.30第十三は旅をする奴らのためな。
Tam pro papa quam pro rege31教皇のためで、同じく王のためで
bibunt omnes sine lege.32飲むんだ皆が決まり事なんかなしで。
Bibit hera, bibit herus,33飲むぞ女将が、飲むぞ旦那が、
bibit miles, bibit clerus,34飲むぞ兵士が、飲むぞ坊主が、
bibit ille, bibit illa,35飲むぞ彼氏も、飲むぞ彼女も、
bibit servus cum ancilla,36飲むぞ下男が、一緒に女中も、
bibit velox, bibit piger,37飲むぞ早いの、飲むぞ遅いの、
bibit albus, bibit niger,38飲むぞ白いの、飲むぞ黒いの、
bibit constans, bibit vagus,39飲むぞ沈着なのが、飲むぞ酔狂なのが、
bibit rudis, bibit magnus.40飲むぞ粗野なのが、飲むぞ賢明なのが。
Bibit pauper et egrotus,41飲むぞ貧乏人が、そして病人が、
bibit exul et ignotus,42飲むぞ追放者が、そして他所者が、
bibit puer, bibit canus,43飲むぞ少年が、飲むぞ白髪頭が、
bibit presul et decanus,44飲むぞ司祭が、そして助祭が、
bibit soror, bibit frater,45飲むぞシスターも、飲むぞブラザーも、
bibit anus, bibit mater,46飲むぞ婆さんも、飲むぞ母さんも、
bibit ista, bibit ille,47飲むぞ此の女だ、飲むぞ彼の男だ、
bibunt centum, bibunt mille.48飲むぞ百人だ、飲むぞ千人だ。
Parum sexcente nummate49足りないぞ六百の金ていどで
durant, cum immoderate50支えるには、止めるものなしで
bibunt omnes sine meta,51飲む時は、みんなが終わりなく、
quamvis bibant mente leta;52どんなに飲もうと、心楽しく;
sic nos rodunt omnes gentes,53かくしておれたちを誹る、全ての連中がだ、
et sic erimus egentes.54そしてかくしておれたちは貧するのだ。
Qui nos rodunt confundantur55俺たちを誹る奴は呪われろよ
et cum iustis non scribantur.56そして義人と並んでは書かれるなよ。

※オルフの曲では末尾に"Io !"を置いています。

2行単位で韻を踏んでいます(aabbccdd)。オルフでは第14曲です。 Br写本では第87葉裏の中程から始まっています。ネウマはありませんが、歌が復元されています。

この先の酒神Baccheを歌うS.178a(CB.201)が含まれる第89葉裏には、酒を飲む人々の姿が描かれています。

またサイコロtesseraを歌うS.183(CB.207)のある第91葉裏にはカードゲームに興じる人々を描いた絵が含まれています。

S.196/CB.222. Ego sum abbas

サイコロ賭博神デキウスを祈る傑作なミサのパロディS.189(CB.215)を経て、修道院長の登場です。

S.196/CB.222
Ego sum abbas Cucaniensis,1わーれこそは、修道院長なるぞ、逆さま楽園のな、
et consilium meum est cum bibulis,2そーして我が集会は、飲み助どもとともにだ、
et in secta Decii voluntas mea est,3そーして聖サイコロ様へだ、我が願いは、
et qui mane me quesierit in taberna,4そーして朝に我を尋ねたものは、酒場で、
post vesperam nudus egredietur,5晩課の後、裸になって出て行くであろう、
et sic denudatus veste clamabit:6そーしてこのように服を剥がれて叫ぶことになる:
Wafna! Wafna!7ワフナ! ワフナ!
quid fecisti sors turpissima?8何をお前はしやがったんだ運命よ、最悪な?
Nostre vite gaudia9おれたちの生きる楽しみをな
abstulisti omnia!10奪いとっちまった、すべてをな!

※オルフの曲では末尾に"Ha ha!"を置いています。

Br写本では第97葉裏の中ほどに書かれています。オルフでは第13曲です。

このあと《ものにはものを、言葉には言葉を返す》という格言詩S.196a(CB.223)を置いて、シュメラーは『カルミナ・ブラーナ』の詩を締めくくっています。批判校訂版ではさらに宗教劇が続きますが、シュメラー版では「真面目編」に収録されています。

補足

  1. カルミナ・ブラーナという名前 ^: carminaはラテン語で歌/詩を表す中性名詞carmenあるいはcarminumの複数形、Buranaはベネディクトボイエルン修道院の地の古名Buronのラテン名Bura(地名は多くの場合第1変化女性名詞になる)に形容詞化接尾辞を加えた中性複数主格で、「ブロン/ブーラの歌集」を意味します。

    修道院の歴史と名称

    写本冊子が発見されたのはベネディクトボイエルン修道院(Kloster Benediktbeuern)です。[Weber]などによれば、この地にはまず725年にStation Buron(ブロン宿場)が、山を越えて南に向かう街道の入口として築かれ、739年にボニファティウスによって修道院が建てられます。その後カール大帝から聖ベネディクトの聖腕が与えられ、ブロン修道院はラテン名でBenedictoburanumと呼ばれるようになりました。

    15~19世紀の欧州の古書に現れる地名・人名を収集した欧州研究図書館コンソーシアムのシソーラスを見ると、修道院名はBenediktbeuernのほかにMonasterium Buria/Bura/Buronense/Buranusなどと多様に綴られていたことが分かります。1700年ごろにKarl Meichelbeckが著した編年史Chronicon Benedictoburanumでも、当時の地名の書き方はBura、Buein、Bubinなどさまざまだったとして十数通りも例を挙げています。

    写本とシュメラーのタイトル

    出版にあたってシュメラーは、ラテン語で「ブロン/ブーラの歌集」を意味するCarmina Buranaというタイトルを与えました。また写本冊子そのものは、Codex Buranus(ブロン/ブーラの写本、すなわちBr写本)と呼ばれました。codexはラテン語で本(写本)を表す男性名詞、Buranusは形容詞の男性単数主格です。シュメラー本では、16ページごとに(折り単位で?)Codex Buran.という省略形がページ下部に記されています。

    Brostのドイツ語対訳版はサブタイトルを「漂泊詩人の歌」とした上で(第2版まではメインタイトルもCarmina Buranaを用いず)、後書きで《これらの詩の多くは他の写本にも見られるしベネディクトボイエルンで書かれたわけでもないので「ベネディクトボイエルンの歌」とは呼べない》としています[Brost]。なお英Wikipediaはこれを典拠にしながら、(独Wikipediaを誤読したのか)歌集がベネディクトボイエルン由来で“ない”という誤解を招くタイトルだと、話を逆転させてしまっています。

    地名の由来

    [永野]の巻末解説の注では、建物/住宅を表すBur(r)ren/Bur(i)nと聖ベネディクトとの合成でBenedictoburanum=Benediktbeuern=「聖ベネディクトの家」だとされ、[Weber]も《古ドイツ語の"buron"は農民の集落を表すので、Benedictoburanumは実のところ「聖ベネディクトの家/場所」という意味しかない。もっとも実際にはみな石造の建物だけれど》と述べています。独Wikipediaによれば地名の基根語(たとえば-bergなら山といったあれ)として-beuern、-beuren、-beuronなどが古高ドイツ語のbur(小さな家/鳥かごなど)由来だそうです。

    また[Fliz]によれば、Beuernという名前はタキトゥスの「ゲルマニア」に出てくるBurier(第45章とされているけれどおそらく第43章のBuri=ブリ族のことで、ドイツ語訳でBurierになっている)の居留地としていくつか見いだされるということです。Burierの語源は、ギリシャ語で牛の尾を表すβοός ουρά(boos oyra)から来たBura、Buriに繋がるのだろうとしています(ラテン語でburaは牛馬に引かせる犂を意味します)。

    “ボイレン”は別の場所

    Meichelbeckの編年史は、聖ベネディクトを冠した名前になったのはオットーボイレン(Ottobeuren/Ottobeyrn、やはり修道院で知られる)など数多くある"Beurn"系の地名と区別するためでもあった、としています。つまりこれは固有名詞として「ベネディクトボイエルン」(最近の地図や旅行ガイドでは「ベネディクトボイアーン」)なのであり、「ベネディクト会のボイエルン修道院」などの意味ではないのです。高田馬場を「高田の馬場」としたらむしろ混乱しますし、ケンブリッジ(Cambridge)を「カム川(Cam)の橋(Bridge)」と言ったりはしないでしょう?(さらに言えば、ここでのベネディクトは聖人の名であって、修道会派を指すものではありません。写本発見のきっかけとなった1803年の世俗化によりベネディクト会の修道院としてはいったん解散しており、1930年からはサレジオ会の施設となっています)

    実際に、ベネディクトを冠しないBeuern(ボイエルン/ボイアーン)という名の町もあり、GeoNamesで調べるとフランクフルト北部とミュンヘン西部に見つかります。近い方でもBenediktbeuernとは車で1時間ほど離れた別の町です。

    また、しばしば写本の故郷として誤って名前を挙げられるボイレン修道院はずっと北、車で5時間以上離れたところにあります(BeurenはGeoNamesでは30以上の場所が示されます)。さらにときおり見かけるボイロン(Beuron)修道院は西に3時間半ほどのところにあり、こちらはかなり有名です。いずれも実在の別の修道院ですから、あいまいな聞きかじりでカルミナ・ブラーナと結びつけないようにしましょう。

    ボイレンといえば、BenediktbeuernはBenediktbeurenと誤記されることもあります。1文字の入れ替わりはありがちな書き間違いで、しかも上記のように歴史的にはさまざまな表記があったので、そうした表記の揺れの範囲かもしれません。しかし現在の名称は前者であり、シュメラーが出版したカルミナ・ブラーナでも同じ(ただしBenedictbeuern)であることを踏まえれば、あえて後者を使う理由はありません。

    (-renにしても-ernにしても、eはごく軽く発音されるので、当地の人々にしてみれば音としては両者は同じようなものかも知れず、あまり目くじらを立てても仕方ないとも言えます。とはいえ上述の通り固有名詞の表記として使い分けられていることも事実であり、無用な混乱を避けるためにもベネディクトボイエルンとするのが望ましいでしょう)

  2. 関連写本 ^: 批判校訂版では比較参照した写本として、英国博物館Arundel 384(略号A)、ケンブリッジ大コーパス・クリスティ・カレッジMS 450(同C)、フランス国立図書館Fonds latin 11867(同P)、ケンブリッジ大図書館MS Ff.1.17.1(同Ca)、同ボドリアン図書館Digby 166(同D)、Digby 53(同Di)など18の資料が挙げられています。

    批判校訂版の写本(手稿)略号ではCodex Branus(C.B.)はBとされ、他の文献でもB.として参照されているので、本稿でもいったんB写本という記述を使ったのですが、ミンネザングの研究資料においては、C.B.は通常写本M(MS M)と呼ばれ、写本Bはワインガルテン写本と呼ばれるものを指すので、混乱を避けるためにBr写本に改めました([丑田74]ではC.B.を「所謂B写本」としていますが…)。ちなみにこの場合、写本A/写本Cは小/大ハイデルベルク歌謡写本(後者=マネッセ写本)のことだそうです。

  3. フォルトゥーナとその挿画 ^: フォルトゥーナはローマ神話に伝えられる運命の女神で、カルミナ・ブラーナでも何度も(固有名詞として9の詩、小文字も含めると16の詩に)登場します。Br写本の1葉目表には、運命の輪を回すフォルトゥーナの擬人像が描かれています(機会の神オッカシオと混同されて、前髪のみで後ろ髪がない姿で描かれることもあります)。

    上の図で輪の周りに描かれた4人には、左から時計回りに「私は統治するだろう/私は統治する/私は統治していた/私に統治権はない」と立場の推移が書き添えられています(批判校訂版ではCB.18aとして本文に採録。ここで用いられるregnoは国王などが統治/支配することで、フォルトゥーナが世界をimpero=支配/命令するのではないことに注意)。S.Iの「貧困をして/権力をして/溶かしてしまう」やS.LXXVIIの「幸せで栄えていた/今は最高から転落して」「私は降りて小さくなって/他の者が高みに持ち上げられる」、あるいはS.LXXV(CB.14)の「貴族を倒しみじめにし/貧者を富ませ貴族にする」などはみな、“運命の車輪が回転すると、底辺のものが上に登り、頂点にいたものが下に落ちる”ことを表現しています。

    人間は気紛れな運命に翻弄され逆らえないことを示すわけですが、これらの詩のテキストからは盛者必衰という考えが強く感じられ、抑圧され搾取されていた中世の民が、支配者の没落を運命に託すということでもあったでしょう。酒を飲みながら権力を揶揄し、お前たちいずれは運命によって振り落とされるんだぞ、という感じです。S.175に出てくる現実と逆転した楽園Cucaniensis(コケイン)とも通じるものがあるかもしれません。

    一方でたとえばS.174では「飲み干せ、サイコロ神を信じて/なぜなら酒は知っての通り/フォルトゥーナが旗印」と書かれ、最初はつきをもたらしてくれるけれども最後はそっぽを向いてしまうといった様も描かれており、庶民にとっては(気まぐれながらも)運の神であったことも伺えます。ちなみにここで登場するサイコロ神(Decio)は、S.175聖サイコロ様(secta Decii)と同じですね。

  4. Br写本の順序 ^: メイヤーらの研究で、現存するBr写本羊皮紙では43葉目が最も古いもので、その前にあったはずの羊皮紙は紛失してしまったとされました。この羊皮紙の先頭にあるS.LXVIは、シュメラー版でもFragmentumとされていますが、校訂版では他の資料から詩全体を復元してCB.1とし、S.LXVIはその第6節になっています。

    校訂版との順序を照らし合わせると、羊皮紙の43~48葉目が本来は最初に置かれるはずのものだったということになります。[Parlett]は、フォルトゥーナの挿画の印象が非常に強いので、羊皮紙を綴じ合わせたときにそれを先頭に置いたのではないかと推定しています。

    また49葉裏から始まるS.81/CB.96は、第3節の途中で次のページに進むつながりがおかしく、シュメラーも...†としています。校訂版ではここに73葉表82葉裏が入るべきと判断して、49葉裏のCB.96は第3節までで打ち切り、50葉表(S.81の第4節以降)を82葉裏のS.169(断片)に続けてCB.118としました(さらにS.81の第9節Tua pulchra...を第2節に移動しています。結果としてS.81第4節=CB.118第3節。ただし[永野]は82葉裏を第1節としつつ、Tua pulchra...はそのまま最後に置いています)。

    この挿入の結果、S.CXLVIII(148)~S.CLIII(153)、S.154S.169がそれぞれCB.97~CB.102、CB.103~CB.118に対応します。シュメラー版では「真面目編」の前者はギリシャを舞台にした叙事詩や悲歌で、校訂版の並びではやや異質な感じになっています。

    写本の順序については、校訂版の補遺に関する注も参照してください。

  5. 大受難劇 ^: 中世においては、キリスト教会内の儀式から発展した復活祭劇が行なわれるようになり、さらにその前段としてエルサレム入城から裁判、十字架上の死も描かれる受難劇が生まれました。初期には教会内でラテン語で行なわれていた宗教劇も、受難劇の頃になると話が複雑化してドイツ語など土地の言葉が混じるようになり、登場人物にも僧侶だけでなく旅芸人を加え、教会前の広場などに舞台が移っていきます。

    カルミナ・ブラーナに収録されているベネディクトボイエルン受難劇(Benediktbeurer Passionsspiel)は、台本が残っている受難劇としては最古のものです。Br写本にはS.CCIII/CB.16*の他にもっと短いS.LXXIVa/CB.13*も含まれ、前者はGroßes、後者はKleines(小受難劇)と呼ばれています。中でもこの大受難劇におけるマグダラのマリアの場面は、ドイツ語の利用やマリアの扱いなど論点が少なくありません

    またドイツ南部からチロル地方にかけてはこの伝統を受け継いだ受難劇が現在も行なわれており、10年に1度開催されるオーバーアマガウの受難劇は特に有名です。

  6. 校訂版の補遺 ^: 批判校訂版では、メイヤーによる追加断片など他と比べて時代が新しいもの26編を「補遺」として別にまとめ、番号を1から振り直しました(区別のためにアスタリスクを付与してCB.1*などとされてます)。これらの内訳は次のとおりです。

    CB補遺S.番号Br写本内容
    1*-49葉表写本で削り取られたような状態になっている「聖エラスムスへの祈り」
    2*~4*94a, 95, XCVI54葉表~55葉表前後の羊皮紙に比べて新しい
    5*CC100葉裏余白に(あとで)書き込まれている
    6*CCI105葉表おそらく余っていた上半分に後から書き込まれた
    7*~15*--メイヤーが発見した断片の第1葉~第6葉。CB.8*はCB.111と同一(ただし対応するS.162と比べると、2倍ほどの長さ)
    16*~25* CCIII~CCVII 107葉~102葉 新しい羊皮紙が一緒にBr写本として綴じられていたもの。111葉表後半のCB.18*、112葉裏のCB.24*,25*はシュメラーは採録していない(112葉裏先頭のCB.23*はなぜかS.CCIIIの最後)
    26*--メイヤーが発見した断片の第7葉
  7. 歌の復元とネウマ ^: シュメラーの巻末付録では、accentibus sive notis musicis ornata(アクセントもしくは音符の装飾)を持っているものとして47の詩を列挙しています。カルミナ・ブラーナに付与されているネウマは、グレゴリオ聖歌などでよく見かける四角ネウマではなく、音の合図(身振り)を書きとめた図形によるもの(古ネウマ)で、音が高いヴィルガ()や低い(あるいは軽い)プンクトゥム()、高い→低いの2音となるクリヴィス()などで示されます。譜線がないため正確な音高をつかむことはできませんが、これらの音楽を最初に復元演奏したビンクリーによれば、13世紀パリ楽派(ノートル・ダム楽派)の写本に含まれる同じ曲の四角ネウマと校合することで、かなり正確に再現ができたということです[Binkley]。いくつか例を挙げてみます。

    S.CCIII/CB.16*. Primitus producatur PilatusのChramer...の部分

    大まかにネウマを写し取ってみると、次のような感じです。

    Chramer gip die varwe mier div min wenνgel roete

    ビンクリー+ミュンヘン古楽スタジオは、これを次のような旋律として歌っています。wengelのwenに付けられているのは、ポレクトゥスですね。

    S.106/CB.143. Ecce gratumの冒頭

    ネウマは次のようになるでしょう。

    Ecce gratum et optatum ver reducit gaudia

    たとえばビンクリー+ミュンヘン古楽スタジオの解釈は、これを次のような旋律として歌っています。reducitのreに付けられているのは、斜線の下に点がつくスカンディスクと読んでいるようですね。

    S.140/CB.179. Tempus est iocundumの冒頭

    ヴィルガの形が少し異なりますが、おおむね次のようなネウマになりそうです。

    Tempus est iocundum o virgines modo congaudete vos iuvenes

    ビンクリー+ミュンヘン古楽スタジオピケット+ニュー・ロンドン・コンソートも(音高は異なるものの)ほぼ同様で、次のように歌っています。

    conに付されたネウマが、Br写本ではヴィルガのようにも見えるのですが、プンクトゥムのように扱っています。

    S.141/CB.180. O mi dilectissimaのリフレイン

    おおむね次のようなネウマです。

    Manda liet manda liet min geselle chumet niet

    コーエン+ボストン・カメラータが、次のように歌っています。

    ネウマなし

    また、簡単なアクセントが示されているだけでネウマがあるとは言えないような詩についても、別の伝承などから旋律が復元されているものもあります。たとえばS.175/CB.196. In taberna quando sumusクレマンシック・コンソートが演奏している旋律は、ピケットやファクトゥム・アルテによる演奏でも同じものが使われています。

    [Clemencic]では、仏ボーヴェ由来の英国博物館所蔵写本Egerton 2615を資料として挙げています(残念ながら公開されている画像には該当ページが含まれていませんが、雰囲気は伝わります)。

  8. ドイツ語詩 ^: [丑田74][丑田74-2]はカルミナ・ブラーナに含まれる58のドイツ語詩を全て取り上げて紹介していますが、そのうち補遺に含まれる6点を除くと枝番号のない独立した扱いの詩は5点のみで、ほかはすべてS.99a(CB.136a)のような形で、別の詩とセットで筆写されています。またこのうち48点が恋の歌であることは、カルミナ・ブラーナ全体でも2/3がここに分類されるとはいえ、ドイツ中世文学のジャンルに関係すると考察されています。これらの多くは別の写本にも含まれて、作者もある程度知られているということです。

試訳について

原語との対応関係を重視し、語順は原則としてそのままの直訳としました。中世ラテン語詩は古典の長短格ではなく強弱格を取り、また脚韻を頻繁に用いるようになります[sebasta, 丑田74]。試訳では語尾をその脚韻に対応させるため、文法上の品詞とは違う訳語だったりつながりが悪くなったりしている場合があります。

テキストはカール・オルフ作曲の「カルミナ・ブラーナ」にも用いられているシュメラー版を基本としました(本稿はオルフの曲の歌詞とは選択/配列が異なりますが、該当する箇所の試訳にあたっては、この曲において歌うテキストであることを重視しました。なおオルフが加えたAhなどの間投詞は、原則として詩のテキストには含めていません。また感嘆符など基本的に写本にはない記号は、校訂版およびオルフによる歌詩も参考にしながら取捨選択しました)。

ラテン語と他の言語が混在している詩(S.81S.112S.138S.141)では、ラテン語でない部分の訳はカタカナで表記し、原文をイタリックにしています。全てラテン語以外で書かれた詩(S.CCIIIS.108aS.129a)は、ラテン語の曲と同じく普通に表記しました。リフレインは、シュメラー版では2回目以降は最初の1行のみで略記されていますが、原則として略さず記述しています。

参考文献

文中の参照先は各著者の姓で示していますが、共/編著の場合や略号を用いたものは、以下の各項目の先頭に[]で示しています。