今朝の記事でお知らせしたように、あれからまた動きがあったのです。
前々回…7月13日に報告記事をあげた時は、まだピンチが去っていませんでした。
硬膜下血腫がいきなり悪化し、緊急手術を受けたのです。
今月2度目のピンチでした。
この病気は再発の恐れがあると聞いたので、これからも注意しようと思います。
今朝からブログ活動を再開しましたが、無理はせず、養生しながらの活動になると思います。
まさか自分が慢性の硬膜下血腫を患っていたなんて、知りませんでした。
数か月前に階段から転げ落ちて、頭を打ったのです。
痛かった。
けれど、出血はなかったし、大丈夫だと思ってました。
事実、そのあと何ともなかった。
普通に生活できていました。
それで油断したのです。
当初、病院に担ぎ込まれた直接の理由は脱水症状です。
倒れていたところを発見され、救急車で病院に運ばれました。
脱水症状は、点滴だけで、すぐ回復しました。
でも、念のために…という事で精密検査を受けたら、頭部に血種があったことが分かったのです。
もし見逃していたら致命傷になるところでした。
なので不幸中の幸いと言うか、ラッキーな面もあったと思います。
ただ…、これで終わらなかったんです。
13日の報告記事で「脳内出血です」と書きました。
ほんとは硬膜下血腫だし、私もそのように書いたつもりでしたが、なんでだか脳内出血という文字が……。
すでに頭がおかしくなっていたのかも…。
助かったと思ったけど、助かっていなかった。
当初、お医者さんから薬物療法を勧められました。
内科治療ですね。
硬膜下血腫のオーソドックスな治療法は、頭蓋骨に穴をあけて、血や血種を取り除く手術(外科治療)らしいですが、なぜか内科治療を勧められたのです。
「血種が小さいので薬物療法で十分です」
という説明だったのですが…、
それが落とし穴でした。
でも、私はそのとき、その説明に納得してしまった…。
薬で治るなら、その方が良いと思ったのです。手術をせずに済むなら、絶対その方がいいと。
さっそく一回目の薬物療法を受けました。
一か月後に再びCTスキャナで検査し、薬物療法を続けるか、それとも手術に踏み切るかを判断する、という治療計画でした。
でもその間に、血種がどんどん大きくなっていたのです。
たった数日で病状が悪化しました。
一か月も待たされたら、とても間に合わない。致命的です。
たぶん、頑張り過ぎたのが原因かもしれません。
お医者さんから「寝てなさい」と言われてたし、姉からも「ゆっくりしててね」と忠告されてたのに、家事やお買い物で動き回ってしまった。
姉の制止するのも聞かず、激しく動いたので、出血がどんどん広がったみたいです。
姉がわたしの異変に気付きました。
まっすぐ歩くことが出来なくなってきた。よく転んでしまう。
喋り方もおかしい。
話す内容もおかしくなってる。
車をガレージに入れる時、ぶつけてしまう。
料理の味付けがおかしい。
ゴミの分別がメチャクチャ・・・。
脳が圧迫されて、運動能力、認識力、精神状態、全ておかしくなっていたんでしょう。
回復に向かっていると思い込んでいた。
一日も早くブログも再開したかった。
ただ、体力がなく、すぐ疲れるので、当分の間、フォロワー様のブログを訪問するのは無理…ということだけは自覚していました。
私の異変に気付いた姉が、セカンドオピニオンという事で、わたしを別の病院に連れてゆきました。
硬膜下血腫が悪化していることが判明しました。
脳が強く圧迫されていたのです。
緊急事態という事で、その場で入院。
翌日に手術。
間一髪でした。
脳神経外科の世界的権威の先生に執刀していただきたことも幸運中の幸運でした。
さいたま市・三愛病院の小原琢磨ドクターです。
ガンマーナイフの名手です。もし先生に執刀していただかなったら美雨ほんとうに死んでいたかもしれません・・・。
そもそも硬膜下血腫では外科治療が一般的なのに、最初の病院では内科治療を熱心に勧められた。
何故でしょう?
そこには深刻な理由がありました。
いま日本全国の病院で、医療崩壊が起きています。
新型コロナウイルス患者への治療が「優先」されるので、他の患者が後回しされたり、治療法が変更されるケースが相次いでいるそうです。
この深刻な医療問題について、次回の記事で詳しく語りたいと思います。
少々お待ちください。
前々回…7月13日に報告記事をあげた時は、まだピンチが去っていませんでした。
硬膜下血腫がいきなり悪化し、緊急手術を受けたのです。
今月2度目のピンチでした。
この病気は再発の恐れがあると聞いたので、これからも注意しようと思います。
今朝からブログ活動を再開しましたが、無理はせず、養生しながらの活動になると思います。
まさか自分が慢性の硬膜下血腫を患っていたなんて、知りませんでした。
数か月前に階段から転げ落ちて、頭を打ったのです。
痛かった。
けれど、出血はなかったし、大丈夫だと思ってました。
事実、そのあと何ともなかった。
普通に生活できていました。
それで油断したのです。
当初、病院に担ぎ込まれた直接の理由は脱水症状です。
倒れていたところを発見され、救急車で病院に運ばれました。
脱水症状は、点滴だけで、すぐ回復しました。
でも、念のために…という事で精密検査を受けたら、頭部に血種があったことが分かったのです。
もし見逃していたら致命傷になるところでした。
なので不幸中の幸いと言うか、ラッキーな面もあったと思います。
ただ…、これで終わらなかったんです。
13日の報告記事で「脳内出血です」と書きました。
ほんとは硬膜下血腫だし、私もそのように書いたつもりでしたが、なんでだか脳内出血という文字が……。
すでに頭がおかしくなっていたのかも…。
助かったと思ったけど、助かっていなかった。
当初、お医者さんから薬物療法を勧められました。
内科治療ですね。
硬膜下血腫のオーソドックスな治療法は、頭蓋骨に穴をあけて、血や血種を取り除く手術(外科治療)らしいですが、なぜか内科治療を勧められたのです。
「血種が小さいので薬物療法で十分です」
という説明だったのですが…、
それが落とし穴でした。
でも、私はそのとき、その説明に納得してしまった…。
薬で治るなら、その方が良いと思ったのです。手術をせずに済むなら、絶対その方がいいと。
さっそく一回目の薬物療法を受けました。
一か月後に再びCTスキャナで検査し、薬物療法を続けるか、それとも手術に踏み切るかを判断する、という治療計画でした。
でもその間に、血種がどんどん大きくなっていたのです。
たった数日で病状が悪化しました。
一か月も待たされたら、とても間に合わない。致命的です。
たぶん、頑張り過ぎたのが原因かもしれません。
お医者さんから「寝てなさい」と言われてたし、姉からも「ゆっくりしててね」と忠告されてたのに、家事やお買い物で動き回ってしまった。
姉の制止するのも聞かず、激しく動いたので、出血がどんどん広がったみたいです。
姉がわたしの異変に気付きました。
まっすぐ歩くことが出来なくなってきた。よく転んでしまう。
喋り方もおかしい。
話す内容もおかしくなってる。
車をガレージに入れる時、ぶつけてしまう。
料理の味付けがおかしい。
ゴミの分別がメチャクチャ・・・。
脳が圧迫されて、運動能力、認識力、精神状態、全ておかしくなっていたんでしょう。
回復に向かっていると思い込んでいた。
一日も早くブログも再開したかった。
ただ、体力がなく、すぐ疲れるので、当分の間、フォロワー様のブログを訪問するのは無理…ということだけは自覚していました。
私の異変に気付いた姉が、セカンドオピニオンという事で、わたしを別の病院に連れてゆきました。
硬膜下血腫が悪化していることが判明しました。
脳が強く圧迫されていたのです。
緊急事態という事で、その場で入院。
翌日に手術。
間一髪でした。
脳神経外科の世界的権威の先生に執刀していただきたことも幸運中の幸運でした。
さいたま市・三愛病院の小原琢磨ドクターです。
ガンマーナイフの名手です。もし先生に執刀していただかなったら美雨ほんとうに死んでいたかもしれません・・・。
そもそも硬膜下血腫では外科治療が一般的なのに、最初の病院では内科治療を熱心に勧められた。
何故でしょう?
そこには深刻な理由がありました。
いま日本全国の病院で、医療崩壊が起きています。
新型コロナウイルス患者への治療が「優先」されるので、他の患者が後回しされたり、治療法が変更されるケースが相次いでいるそうです。
この深刻な医療問題について、次回の記事で詳しく語りたいと思います。
少々お待ちください。