◇
どうしてここに。
そう考えた瞬間、ざっと音を立ててデミウルゴスが跪いた。
硬直しかけたアインズの心に、レイスとして過ごした日々のことがゆるゆると沁み出してくる。
(ここはデミウルゴスにとっても……)
深く首を垂れたデミウルゴスを見下ろして、ぎゅっと拳を握りしめた。
「デミウルゴス……、これは一体なんの騒ぎだ」
「どうかこの場での詮議はお許しください。──誰の耳目がないとも限りません。ことの仔細はナザリックにお戻りいただいてからお話しいたしますので、今はどうか……!」
「どういうことだ、と聞いている」
「アインズ様……」
狼狽えるように震えながら、デミウルゴスが顔をあげる。
アインズはこれ見よがしに
「アインズ様‼ お願いいたします、どうか──」
「先に話せ」
何も聞かないまま、ナザリックに戻るのはやはり避けたい。
「ならばどうか、どうかもう一度レイスに……!」
「──……」
血を吐くようなデミウルゴスの嘆願に、胸を突かれた。
まったく会話になっていないぞ、とアインズは思う。
デミウルゴスは、たぶん──誤解しているのだ。
あれは牢で意識を取り戻した直後だった。だからきっと「侵入者は私だ」と告げたことは流れてしまったのだろう、と。
「私はもう、あれには
「御身のお怒りは、重々理解しております‼」
「ほう──お前は何をわかっているというのだ? 言ってみるがいい」
「……ッ」
言葉を詰まらせるデミウルゴスを、冷ややかに見つめる。
こんな怒りは理不尽だとわかっているのに、何もわかっていないくせにという苛立ちが収まらない。力なくうなだれるデミウルゴスを哀れだと感じるのに、もう一度『答え』を告げてやるだけのことができなかった。
「私は……己の傲慢を今日ほど呪ったことはありません……ッ‼」
「──? 何を言っている」
「この手で守れる、と思いあがっておりました。ですが、私などの力ではどうにもできないのだと思い知りました。御身がお隠れになってしまわれれば、その慈悲深いお心に縋る以外に方法もないのかと…!」
(ああ、やっぱりな)
やはり、デミウルゴスはわかっていなかったのか、とアインズは思う。
──ショゴスの檻だ。
目の前で変わって見せたとはいえ、Change Avatar00での変身はアインズの気配を消してしまう。セバスは状況から理解したようだったがナーベラルだってあの時、咄嗟に自分を攻撃しようとしたではないか、と。
ソリュシャンが自分の体内に生物を閉じ込めておくことができるように、アインズにも同じようなことができるとか思っているんじゃないか、と考えていた。
デミウルゴスは、アインズがレイスの生死を握っていると思っているのだろう。
「ただ御身の慈悲を乞い、お戻りいただけることを願う以外に、何も……。お探しする間じゅう、この身を千にも引き裂かれ、肉塊と化してなお死ねずにいるよりも狂おしい責苦を味わいました……‼」
切々とした訴えを聞きながら、アインズは複雑な感情をおし殺していた。
デミウルゴスの反応を想像すれば恐ろしいし悲しい。しかしどのみち、いずれはわかってしまうことだ。おちつけ、俺。と覚悟を決める。
「……デミウルゴスよ、落ち着いて聞くのだ」
どうしてそんなことを、と聞かれたらどう誤魔化す?
「レイスは、私だったのだ。アイテムで姿と気配を変えた──……。だから、私がレイスをこの身に閉じこめているわけではない」
「……?」
どういうことか、と問うように見上げてくるデミウルゴスの視線が痛い。
この上まだ説明が必要なのか、とうめきそうになった。
「お前が愛した女は幻だ。だから……その、お前が呪いを肩代わりせずとも、レイスにそれが及ぶことも、ない」
「──‼ いいえ、アインズ様‼ 御身はすでに呪いを一度、受けてしまわれておいでのはずです‼」
「…………え」
上空で見た朝日がアインズの脳裏をよぎる。
デミウルゴスを探していたとき、最大魔力が欠けたことを確かに感じた。
だが、どうしてデミウルゴスがそれを知っている?
アインズの目の前で、デミウルゴスがはっと顔色を変えた。
「そうか……御身がご存じではないのも元はと言えば私が──御身はセバスからお聞きになったのですね。──申し訳ありません‼」
がばっ、と頭を下げるデミウルゴスに、アインズの思考はまだ追いつかない。
「御身がお使いだったあのアイテムに使用者の魔力を削る呪いがあることも、私は初めからわかっておりました。アインズ様に危険を及ぼすと知りながら、私はそれを黙って見過ごしていたのです!」
「なん……だって?」
最初から──⁉
最初から、ってなんだ、どこからだ⁉
「では、お前は、私がレイスだということを」
「はい。神殿でお会いした時からわかっておりました」
「──……」
足もとの大地が大きく裂けて、闇の中に落ちていくような気がした。
では、浮かれていたのは自分だけで、デミウルゴスは『シモベ』として主人の望みを叶え続けていただけだったのか?
特等席だ、と両腕をひろげてにこにこしていたあの時も。
「私の行なったことは許されるものではありませんでした」
自分を抱きあげた時に見せた、「
「あまつさえセバスと交戦に至り、御身を悲しませ──挙句にこのような事態を招いてしまいました」
「それは……お前の罪ではない。お前のことだ、おおかた私が興じているところに水を差すまいと考えて黙っていてくれたのだろう」
戯れだと、デミウルゴスは思っていたんだろう。
アインズ自身、はじめの頃は自分にもそう言い聞かせているようなところがあった。
(だけど……)
ただそれだけのために、戯れにつきあうためだけにデメリットを引き受けていたのか、こいつは。
自分はこれ以上ない幸せ者だ、と。明日滅んでも悔いはないと言っていたのは……
「アインズ様、時がありません。恐れ多くも御身をたばかり、尊き御身に呪いを及ぼした罪は必ずやこの命をもって償います。ですが今はどうか──」
シモベとして、奉仕できることが幸せだ、ということか。
自分のほうはといえば、単純に胸をときめかせ、アイテムのデメリットすら抑止にならないほどあの時間に溺れていたのに。
レイスに向けられた感情が、自分の求めていたものだと信じきって、自分自身におかしな嫉妬までこじらせていたというのに──あまりにもイタすぎる。
「次に来る呪いをこの身に受ける栄誉を、もう一度授けていただきたく!」
「……アイテムを使ったのは私だ。ならばその報いも、私が受けるべきだろう」
「アインズ様‼」
「なんという声を出すのだ」
泣きたいのはこっちのほうだ、と思いながら。
骨の両手でデミウルゴスの頬を挟んだ。忠実なシモベは戸惑いを浮かべながらもなされるがままだ。
「アインズ、様……」
「安心するがいい、私はお前に失望などしていないぞ? だが──」
「……っ!」
袖を捕まえようとしていたデミウルゴスの手を軽く払う。
身を引いて立ち上がったアインズは、デミウルゴスから視線をそらせた。
「シモベであるお前に、そこまでさせることは私の願いではない」
これ以上、主としての自分まで堕としたくはない。
「その……、済まなかった」
これは本心からの気持ちだ。
こんな言い方しかできないのかと情けなくなるけれど、主人としての立場でこれ以上、何を言えばいいのかもわからなかった。
すいと踵を返せば、「お待ちください!」と必死な声がまだ追ってくる。
「心配するな、このままナザリックへ帰還する。少し騒がせすぎてしまったからな。そういえばこの後の始末はどうするつもりだ? これだけ派手に騒いだのだから、私の不在は斥候どもにも知れているかもしれないし──」
「アインズ様、それよりもどうか、私に呪いを……‼」
懇願する声に、かっと怒りが吹き上がった。
「できるわけがないだろうが‼」
好きなのに。
「お前をそれ以上、弱らせるわけにいかないだろう……」
最初から自分で受けるつもりでいたデメリットだ。
それぐらいさせろと視線に乗せれば、デミウルゴスは諦めたように肩を落とした。
わかってくれたかとほっとしたのも束の間──デミウルゴスはおもむろに手をあげた。
黒革の手袋をつき破り、鋼鉄をも切り裂く爪が長く伸びる。
己が喉元にそれを押し当て、言葉を失うアインズをひたりと見据えた。
「──‼」
「お聞き入れいただけないのであれば……こうするしかありません。もとより、自害する覚悟でここへ来ました」
「──っ‼ ま、まて、デミウルゴス‼」
焦ったアインズが止めにかかる。
デミウルゴスの凄惨な微笑みが、『蘇生も拒む』と告げているように見えた。
◇
「……⁉」
手首をつかもうとしたところで、逆に手を取られる。
ふりほどこうとする前に、もう片方の手が腰骨の辺りに回され引き寄せられた。
「お前……っ‼」
騙したな、と言いかけてアインズは言葉を飲み込む。
間近にあるのはデミウルゴスの緊張した表情。視線が一瞬絡みあって、アインズは顔をそらした。身を離そうとするが、腰に回った腕がほどけない。
「どうか──私に呪いを。どうしても嫌だとおっしゃるのなら、今、この場で私を殺してください」
わずかにかすれたデミウルゴスの声が、アインズの心をざわつかせた。
そんなはずはない、と思いながらつとめて冷静に応じてみせる。
「……私がこのまま、転移で逃げたらどうするつもりだ?」
「ここで自害します」
「…………」
どうしてそこまで、なんていうのは愚問なのだろう。
ナザリックのシモベたちにとって、
ため息をつくように、アインズは視覚を閉ざした。
「アインズ様!」
「私を脅すか……いい度胸だな」
視覚を開いてねめつければ、「申し訳ありません」と耳を垂らして力なく笑う。
それでも自分を放そうとはしないのが憎らしかった。
悔しいが、勝てないと思う。
「放せ、デミウルゴス。……アイテムの呪い、お前が代わりに受けることを許す」
「……っ! ありがとうございます‼」
(本当にこれでいいのか……?)
歓喜にうち震えるデミウルゴスを、アインズは不安な思いで見上げていた。