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視覚を閉ざしてじっとしていても、遠くから、近くから、シモベたちの声が聞こえる。アインズ様、と自分を必死に探し求める声が。
この場所に落ち着いてから、すぐそばを通りすぎる者の姿を何度も見た。
シャルティア、セバス、プレアデスたち。エクレアの指示を受けて四方に散っていく男性使用人たちの様子も。
それらの姿を見るたびに、彼らの創造主たちの面影が重なるかのようだった。
誰もがみな、
(もう何時間くらい経った……?)
アインズは胡坐をかいた格好で、地面から1メートルばかり浮いている。
心もとない姿勢のままぼんやりと見上げれば、濃紺の空には星がいくつかまたたき始めていた。その輝きをさえぎって、
帰らなければいけない、という焦りはそろそろピークに達している。
しかしまた、時間を費やしてしまったせいで迷いも深くなっていた。
デミウルゴスが、何をどう訴えかけてこうなっているのかわからないのも恐ろしい。だがレイスの逃亡に関して言えば、『新しく入手したアイテムの実験』で押し通すことは、アインズの中でほぼ決定事項だった。それ以外に思いつかないのだから仕方がない、と。
(…………)
シモベたちはほとんど一日じゅう、自分を探していたのだろう。
だが自分がナザリックへ戻りさえすれば、彼らは必ず許してくれる。きっと、心からほっとしたような顔で。あるいは安堵に泣きそうな笑みさえ浮かべて。そうして自分のことを『慈悲深き御方』と呼ぶのだ。
こんなふうに確信できる自分の精神を、少しだけ恐ろしいと感じた。
最後までナザリックに残られた、慈悲深き御方──
いまだに時おりそう言われることがある。
だがアインズがひとりでナザリックを守っていたのは、当時ただのNPCだったシモベたちのためではなかった。
それは自分さえ口にしなければ、永遠にバレないことだろう。それでも少しだけ後ろめたいような気持ちは残る。転移して間もないころには考えもしなかったことだが──。
最初に『おや?』と思ったのは誰だっただろうか。
褒美をやると言っても遠慮するばかりのシモベたちの中で、堂々と欲しいものを告げてきたソリュシャン。せっかく甘えてくれたのに、自分はちゃんと叶えてやれなかった。
たっちさんのようにか弱い者を助けたいと動いたセバス……。あいつはその後、ツアレの吸血鬼化を巡ってシャルティアと本気で喧嘩していたっけ。
あの時「好いた殿方の前で自分だけ老いていく女の気持ちがお前なんかにわかるか‼」というようなことを言ったシャルティアには俺もかなり驚いた。
聖王国のネイアが死んだとき、動作不良を起こしていたシズ。
アルベドは一度だけ、忠犬ともどもツアレのように不老化してはどうかとラナーに持ち掛けたことがあると言っていた。結局やる前に殺されてしまったが。
ナザリックのシモベたちも、少しずつ変わってきている。
それは自分がずっと望んできたことだ。だけど心のどこかで、『彼らの忠誠心は絶対だから』と甘えているような部分があったんじゃないか、とも思う。
もちろん、転移してきた当初から努力はしていた。
シモベたちの期待に応えようと、支配者ロールを崩さずにやってきている。
だがシモベたちが自分に向けてくれる好意や忠誠心が、『最後までナザリックに残ってくれたから』という気持ちに根差しているなら……。時を経て、心を獲得するごとにシモベとしての設定が絶対ではなくなってきているとしたら?
彼らにとっての
──口や態度に出さないだけで。
そんなわけないだろう、と思うけれど、その感覚に自信が持てなくなっていた。
(それでも、続けるしかないじゃないか)
ナザリックの支配者、魔道国の王として。
わななくように視界を閉ざせば、かつてのギルメンたちの顔が次々に浮かんでは消えた。
リィジー、アインザック、ラケシルは老いて逝った。関わりの深かった人間の死にも哀惜の情は浮かばなかったが、ほかにも何人か見送ってふと気づいたのだ。
この世界と、
魔道国の領土を拡げることに、意味を見出せなくなったのはその頃だ。
知名度、という点でならもう充分だろうと思った。
自分のように異形としてこちらに来ているなら、そしてまだ仲間として思ってくれているのなら、向こうから来てくれるはずだと。
ここまで、何もなかった。
これ以上あの人たちを探し続けて、本当にいいんだろうか? と。
今は、シモベたちが宝。
ギルメンたちが遺してくれたから、だけではないと思ったら、自然とデミウルゴスのことが浮かんだ。
デミウルゴスの勘違いから始まってしまった『世界征服』は、大変だったけど楽しくもあった。それを断念すると宣言した少し後からだ、あいつを意識し始めたのは。
ここに、とスーツの胸に手をあてて。
「心があって見えるものなら、いくらでもお見せしたいところです」と、言った。
デミウルゴスにとって、『世界を捧げる』というのは自分の忠誠心を見せるのにうってつけの目標だったのかもしれないけれど。──あの言葉が何故だか刺さった。
(心を見せる、か……)
ため息をつくような気持ちで見上げれば、頭上には『宝石箱』の輝きがある。
やっぱり遠くで光っているほうがいいかな、とアインズは思った。
シモベたちが支配者を望むなら、自分もそうあり続けよう、と思う。
かつてのギルメンたちが望んでくれた『ギルドマスター』であったように。
対等な絆を結べないことがなんだ。
自分に仕えることで示されるシモベたちの心に、彼らの主でいることで応える。それは契約のようなもので、ずっと昔からやってきたことだった。
ここを破りさえしなければ、彼らが離れていくことはない……と思う。
「私は、お前たちを愛している。お前たちは、私の宝だ」
かみしめるように呟けば、それは『アインズ』の心にしっくりとなじむのに。
取り残された鈴木悟が胸の深いところで寂しい、とこぼした。
お前は……、と悪魔に呼びかけている。
(もういいかげん、帰ってやらないとな)
未練を断ち切るように、アインズは
(帰ったら、何をどう話すか……)
そう考えながら、
広く円形に冷え切った溶岩の中心に足をつけて顔を上げた時──
「アインズ、様……」
クレーターの外側に、デミウルゴスが立っていた。