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澤館 志美子さんのメッセージ

2011年3月11日(金)14時46分。東日本大震災発生。私の身の回りは、あの時からすべて変わった。
一瞬のうちに人、家が流され失われるのを目の前にする事は「テレビ」の中でしかないと思っていた。まさか、まさか、自分が避難所の生活を体験するなどとは!しかし、現実にはマスコミでご存知の有様。しばらくは頭も、心も身体もバラバラな状態であった。
着の身、着のまま逃げた、私達には何もなかった。
全国、全世界から支援物資が届けられた。ありがたかった。その中にカバーのついた小さなSONYのラジオがあった。「大変だろうけど前向きにね。」というメッセージが添えられていた。しばらくの間はなかなか「前向き」にはなれない空白の状態が続いた。
「盛岡の○○さんが大槌の△△さんを捜しております。連絡下さい。」「大槌の△△です。元気で臼澤の伝承館におります。」など安否情報が盛んに流された。
「ああ〜母に伝え聞いた終戦後の尋ね人のラジオ放送と似ているなぁ。」などとふと思ったりした。
そのうちに電池がなくなり、カバーを取り交換部分を見た。 小さな白い紙が貼ってあった。「からだに気をつけて!」と日頃は何気ない一言なのだがこの極限状態では「心」も弱っていたらしい。優しい心使いに「涙があふれ出た」。今も毎日使っている。私の宝物である。
今ではだいぶ変わったが大槌町は他の地から嫁いで来る人のことを何十年経ても「旅の人」と言う土地柄である。私の近所の人は暖かく若い嫁を見守り育ててくれた。
震災前は小さな「タバコ屋」を営んでおり毎日店に来るお客さんと会話を楽しんでいた。その日常が突然消えた。なにかをしなければと思いつつ部屋に閉じこもる日々であった。
その頃、目にしたのが「傾聴ボランティア養成講座」のチラシ。友人三人で受講した。
人の心と相対するので繊細で神経を使う。とても私には難しく「出来るのかな?」と不安の方が先立った。しかし「前向きに!」の言葉が私を押してくれた。
何もしなければ始まらない。一歩を踏み出そう!
今迄私を暖かく見守ってくれた人への「恩」を自分が誰かに お返しして、又その人が次の人へ「お返し」をする「恩贈り」の思いがあれば、もっと楽しい住み良い町になって行くのではないか?と始めたのが傾聴ボランティア「ひまわり」に加入したきっかけである。
ほんの小さな「志」であり、どこまでやれるか、わからないが「一人は皆んなの為に」「皆んなは一人の為に」ともうすぐ震災から四年目を迎える、城山の高台に立ち、復興途中の大槌町を眺めながら決意したのである。