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復興へ 第2部 働く場所は今

(8)組合をつくった パートら団交、解雇撤回
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 「カネテツですね。みなさんパートですか」

 四月二十四日。カネテツデリカフーズ(本社・神戸市)のパートユニオンの九人が、雇用保険の受給手続きのため神戸公共職業安定所を訪れた。

 同ユニオンが団体交渉の結果、会社側と解雇処分の撤回で合意に達してから、ちょうど一カ月。会社から届いた離職票には、「離職」の部分に訂正の二本線が入り、「休業」と改められていた。

 委員長として総勢十八人のユニオンをまとめてきた笹艸(ささくさ)眞子さん(52)が、全員に声をかけた。

 「私らは失業と違うねんで。休業なんやで」

 電話で解雇通告を受けたのは二月末。ラジオで活動を知った「被災労働者ユニオン」に電話、連絡のついた七人がJR兵庫駅に集まり、労働組合を結成した。会社が交渉に応じず、夕方から早朝まで粘ったこともあった。県の地方労働委員会にも申し立てた。

 「きょうは一つの通過点。祝杯はもう一度職場に戻ってから」。手続きを終えた笹艸さんらは、職安近くのファミリーレストランでそう言い合った。

    ◆

 震災後、まず職場からはじき出されたのはパート、アルバイトや嘱託など雇用関係が不安定な「労働弱者」だ。

 女性や高齢者、外国人労働者が多いが、一定期間ごとに雇用契約を更新するため、会社の都合で打ち切られがち。賃金や昇給も正社員に比べて低く、不況の影響をもろに受けやすい。

 今回もまた、契約を打ち切った会社側の論理は明快だった。

 「パートは正社員の補助的な業務で、評価の要素も違う。被害は大きく、正社員、パート全員の雇用を維持することは体力的に不可能だ」と、そごう人事部。結婚式場の神戸ロイヤルパレス平安閣を経営する平安は「もともと仕事があれば来てもらい、なければ休んでもらっていた。今はないのだから仕方ない」と話した。

 「被災労働者ユニオン」は、二月から尼崎と神戸で労働相談を行っている。委員長の黒崎隆雄さん(42)は、震災前からパートの雇用問題に取り組んできた。

 期限付きの契約とはいえ、更新を重ねれば、雇用は継続する。仕事は社員にひけをとらない。「それを簡単に打ち切ることはできない。震災だからと認めてしまえば、今までの運動は何だったのか。まさに正念場だ」。震災後、カネテツを含め十一のユニオン分会を結成、会社と団体交渉を重ねてきた。

 六百三十人のパートに対し、再雇用先の店舗あっせんを条件に全員の退職を打ち出したダイエーもその一つ。結局、約三百人が職場を去った。

 「店舗をあっせんするといいながら、これまでの契約を尊重せずに、勤務時間を変更したり、時間給を削ったり、厳しい労働条件を突きつける。パートを退職やむなしの立場へ追い込んでいる」と黒崎さん。

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 笹艸さんらは、初めて赤いハチマキを巻いて団体交渉に臨んだ。戸惑いながらも、職を失うことへの強い危機感と互いの励ましで、なんとか雇用は確保された。「泣き寝入りはあかん」。笹艸さんら十八人の中で何かが変わった。

 職場に戻っても組合は続けようと考えている。「復職してただ震災前に戻るのでは納得できない。給料など言いたいことはまだまだいっぱいある」

1995/5/2
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