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番組公開ライブラリー
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あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「お年寄りの力を引き出したい ~介護職員~」
初回放送/2004年9月13日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
老人ホームなどでお年寄りのケアをする介護職員。特別養護老人ホームで働く関久美子(せきくみこ)さんの目標は、一人一人に合わせた介護をすること。お年寄りがその人らしくいきいきと暮らせるように、本人がもっている力を見極め、引き出そうと奮闘している。お年寄りと触れ合う関さんの姿を通して、介護の仕事の奥深さに迫る。
あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「顔が見える予算を作りたい ~経理マン~」
初回放送/2004年12月13日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
今回の舞台はビール製造工場。工場での1ヶ月の収支を計算し、予算より増えていないかをチェックするのが経理マン・周防亜紀子(すおうあきこ)さんの仕事である。彼女が今取り組んでいるのは来年の予算作り。本社から与えられたコスト削減の課題を意識しながら、予算作りに挑む姿を通して、経理の仕事の醍醐味を伝える。
あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「ケーキの向こうに笑顔が見たい ~パティシエ~」
初回放送/2005年5月9日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
パティシエの手から生み出される、甘いお菓子。しかし、現実の仕事は甘くない。1日中立ちっぱなし、重い材料を運ぶ重労働、やけどだらけの手。今回の主人公は、高松市内のケーキ店に就職して2年目の庄野絵里さん(23歳)。この春から、ケーキの生地を作る「仕込み」と呼ばれる作業を任されたばかりだ。「いつかはお客さんの喜ぶ笑顔をみたい」と朝から晩まで材料と格闘する庄野さんの仕事を通して、パティシエの仕事に迫る。
あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「誰でも使えるシステムを作れ ~プログラマー~」
初回放送/2004年10月18日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
男子高校生のなりたい職業第3位のプログラマー。プログラミング言語を駆使してコンピューターに指示を与える仕事である。現在航空券のネット予約システムの開発に取り組んでいる杉下高仁(すぎしたたかひと)さん。受注先からの要望は"誰もが簡単に使えるシステム"。利用者の立場に立ったプログラミングを目指す杉下さんの姿に迫る。
あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「みっくん先生ただいま奮闘中 ~保育士~」
初回放送/2008年8月2日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
かつては女性がほとんどだった保育士の世界に、男性も増えてきた。今回の主人公は、横浜市の私立保育園に勤める稲勝路人さん(23歳)。女性の先輩2人とともに、4歳児23人を受け持っている。パワフルで元気な通称"みっくん先生"は大人気。ケンカの仲裁でも、大人の理屈ではなく、子どもの心に寄り添おうとする。しかし、かえって泣き出す子どもも…。新米保育士・みっくん先生の奮闘を追う。
あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「みんな大好き ~幼稚園教諭~」
初回放送/2009年4月21日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
女子の「なりたい職業ランキング」で常に上位に入る幼稚園の先生。文部科学省が定めた幼稚園教育要領に基づいて、3歳から小学校就学前の幼児に社会生活の基本的態度や言葉使いなどを教える。川崎市の川崎愛さん(24歳)は、幼稚園教諭になって4年目。年長・ひかり組29人の卒園を控えている。やりたいことが山ほどある川崎さん。卒園式までの1週間をどう過ごし、何を伝えたのか? 幼稚園教諭の難しさと喜びを伝える。
あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑「みんなの元気をささえます ~スポーツインストラクター~」
初回放送/2005年4月25日(24分)
社会へ出ることを考え始めた若者たちに、様々なジャンルの職業を紹介する"仕事ガイダンス番組"。登場するのはプロフェッショナルではなく普通の20代の若者たちで、彼らが仕事の中で何に悩み、何を喜び、障害をどう乗り越えようとしているかをリアルに伝える。尊敬する先輩なども紹介し、仕事のやりがいや奥深さも描く。
今、スポーツクラブに通うのは、スポーツが得意な人や若者ばかりではない。生活習慣病が不安な中高年などスポーツに慣れていない人たちに、いかにスポーツを楽しんでもらえるかが、インストラクターの仕事の決め手である。この仕事に就いて3年目の石井早弥香さん(26歳)は常に人から見られているので、食事や健康維持、技術の向上に気をつかい、日々勉強の毎日だと言う。高齢化社会の中で注目される、スポーツ・インストラクターの世界をのぞく。
ある人生「親父どん」
初回放送/1966年10月29日(29分)
名古屋に住む洋服店主・福留学さんは、東海地区の鹿児島県人会事務局長である。鹿児島から集団就職する少女たちの多くは紡績工場に勤める。福留さんは彼女たちに「親父どん」と呼ばれ、離職・転職相談や人生相談に乗り、県人会や集団見合いを開いてきた。鹿児島のためなら手弁当で奔走する福留さんの奮闘振りと、集団就職の若者たちの生活を描く。
ある人生「私とホー・ティ・キュー」
初回放送/1969年2月1日(29分)
激化するベトナム戦争──。そんな中、南ベトナムの13歳の戦争難民、ホー・ティー・キューが、福島県原町市に住む住職、石川周覚(しゅうかく)さん一家の里子となって来日した。お互いに言葉が分からない中、キューさんは石川さんの教えで日本語をゼロから習得していく。"家族"の一員としてうち解けるまでの4か月間を描いた記録である。
いじめなくしたい!プロジェクト(3)「決意・前編」
初回放送/2007年2月19日(29分)
東桜中学2年B組では、山本瑞恵率いるグループが内気な福岡未紗をいじめていた。杉山亜央依と廣瀬菜都美は見て見ぬふりをしていた。しかしエスカレートするいじめに、正義感の強い菜都美は我慢できなくなり、面と向かって瑞恵を非難する。この日を境に菜都美はいじめのターゲットになり、友人の多くが離れていった。その中で亜央依は、いじめへの恐怖と怒りの板挟みに苦しむ。果たして亜央依は親友を救う決意をするのだろうか。
いじめなくしたい!プロジェクト(4)「決意・後編」
初回放送/2007年2月26日(29分)
2年B組では、男子のいじめも進行していた。体も大きく粗暴な鈴木堂義のグループが、体が小さくおとなしい石原英秀をいじめている。丸田将平は自己防衛のために、このいじめに消極的に参加していた。ところが堂義は、将平に英秀をさらにいじめるよう迫ってきた。悩む将平に、担任の御器所先生は「いじめが嫌だという仲間を、クラスに作っていけばいい」とヒントを与える。将平はいじめ解決のために、ある行動を決意した。
ETV2001 竹内敏晴「からだ」をめぐる対話(2)「子どもの体を取り戻す 〜教師・鳥山敏子〜」
初回放送/2001年8月7日(44分)
演出家の竹内敏晴さんは、少年時代に重度の聴覚障害に苦しんだ体験をもとに、「からだ」と「ことば」を目覚めさせるための独自のレッスンを、30年にわたって続けている。ブタ1頭丸ごと食べる「いのちの授業」などで知られる小学校教師の鳥山敏子さんは、フリースクール「賢治の学校」を始めたばかりだ。ストレスに苦しむ子どもの身体を、いかにして生き生きとよみがえらせるか。竹内さんが「賢治の学校」に鳥山さんを訪ねて存分に語り合う。
ETV8「いま教育に何が欠けているか 2 これが開かれた学校だ!」
初回放送/1985年6月6日(45分)
愛知県の緒川小学校は、教室の壁を取り払い、広々とした環境で、児童それぞれが自分の興味に応じて学んでいくオープンスクールを実践している。また、埼玉県の新座総合技術高校では、「総合実習」の授業で、会社で働くのと同じ状況を体験する。このように、教室に座って受ける一般的な授業とは違い、児童・生徒の個性を伸ばすことに重点を置く学校を紹介しながら、「開かれた学校」の意味を考え、学校の新しいあり方を探る。
ETV8 シリーズ授業「地球科学者 猿橋勝子 −雨を考えてみよう−」
初回放送/1989年4月25日(45分)
さまざまな分野で活躍している人々が、母校の教壇に立って、長い人生で得た知識と体験を後輩に語る。
猿橋さんは港区白金の神応小学校の卒業。母校が開校した大正9年の生まれ。気象研究所に入って40年近い研究生活を送り、現在は地球化学研究協会で研究を続けている。その間、とくにビキニ水爆実験を機に、死の灰を研究。
海洋放射能の開拓者として国際的に知られ、女性としてはじめて日本学術会議の会員になった。番組では、雨はどうして降るのか、地球を放射能などからどのように守ったらいいかについて話す。
母校 港区立神応小学校
ETV8 シリーズ授業「版画家・作家 池田満寿夫 −上手なだけの絵はいらない−」
初回放送/1988年10月25日(45分)
さまざまな分野で活躍している人々が、母校の教壇に立って、長い人生で得た知識と体験を後輩に語る。
版画家・作家・映画監督と多才な活動をしている池田さんが、母校の高校生に「表現とは何か」を、現代芸術の大きな流れに沿って語る。
母校・長野県立長野高等学校
ETV8 シリーズ授業「早稲田大学教授 言語学者 西江雅之 ~言葉の海を探ってみる〜」
初回放送/1988年11月30日(45分)
さまざまな分野で活躍している人々が、母校の教壇に立って、長い人生で得た知識と体験を後輩に語る。
人間を知りたいがため言語を研究するのだという西江さんの情熱は、世界何十か国に暮らし、50か国もの言語を研究してきた今も変わらない。言語が持っている音について、あるいは意味の多様さについて、言語の持つ独自の世界を、エピソードを交えながら母校の生徒に易しく語る。
ETV特集「アメリカ教育改革の挑戦 ~日本は何を学べるか~ 第1回 公教育の規制緩和 チャータースクール」
初回放送/1997年6月30日(44分)
1990年代、教育改革が行われたアメリカに「チャータースクール」が誕生した。一般の公立学校と違い、規制がないため、教師や生徒の希望に沿って学ぶことができるが、その分、結果責任(教育の成果)を伴う。ミネソタ州のチャータースクールでは、成績の向上や地域とのつながりが深まるなど、着実に成果を上げている。この学校でのびのびと学び、将来に夢を持つ生徒たちの姿を紹介し、日本の教育界に取り入れられるヒントを探す。
ETV特集「いいもんだよ、生きるって 夜回り先生 水谷修のメッセージ」
初回放送/2004年9月4日(90分)
薬物汚染から子どもたちを救うために、13年間、繁華街での深夜パトロールを続けて「夜回り先生」と呼ばれている水谷修さん(48歳)。高校教師をしながら、全国の中学、高校で年間300回以上も講演を行い、薬物で命を落とした教え子や苦しむ若者たちのことおありのままに伝え、体当たりで「生きようよ」と訴えてきた。帰宅すれば、若者たちからのSOSの電話や相談メールに応じている。水谷さんの日常活動を追ったドキュメンタリー。
ETV特集「いつでもおいで~スクールカウンセラーと中学生~」
初回放送/1998年11月19日放送(44分)
いじめ、不登校、更に少年犯罪など、子供たちをめぐる問題は後を絶たない。1995年、子供たちの視点に立って問題の解決を図ろうと新しい制度が出来た。スクールカウンセラー制度だ。兵庫県は阪神淡路大震災や神戸小学生殺害事件など未曾有の経験を生かして、県内の多くの学校にスクールカウンセラーを配置し、子どものケアに取り組んでいる。ひとりのスクールカウンセラーの活動を通じて、子どもたちの心の世界を見つめる。
ETV特集「霞ヶ浦はよみがえるか 第2回 対策報告 私たちに何ができるか」
初回放送/1995年10月24日(45分)
1995年10月、茨城県つくば市、土浦市で第6回の世界湖沼会議が開催された。テーマは、「人と湖沼の調和」−持続可能な湖沼と貯水池の利用を目指してーであり、75カ国1地域、8千人を超えるを越える参加者を集めた。
この会議を機会に、ETV特集では、2回シリーズで霞ヶ浦を中心に世界の湖沼の例などを紹介しながら美しい湖を取り戻す方策を探った。
第2回目では、霞ヶ浦ばかりでなく、茨城県やのさまざまの地方や地元の中学校の生徒の取り組み、またストックホルムなど世界の水質浄化への取り組みを見ながら、ゲストの2人が水質浄化への道を語り合う。
ETV特集「自分を語り、人とつながる 〜春・柴島高校1年2組〜」
初回放送/2009年6月21日(59分)
大阪府立柴島(くにじま)高校の新入生は、入学早々大きな試練に立たされる。徹底的に「自分を語る」ことが求められるのだ。すべての生徒が自分の考えや悩みを語り、お互いを認め合おうと、この高校が20年前から続けている取り組み。しかし、まわりを気にするイマドキの高校生たちは、まだ親しくもなく、互いを知り合ってもいないクラスメイトに対して、自分を語ることができるのか? さまざまな行事を通して変わっていく高校1年生を、2か月にわたって追った。
ETV特集「6歳の春~「障害児」と就学~」
初回放送/1995年2月27日(45分)
出演/玉井邦夫(山梨大学助教授)、大谷恭子(弁護士)、司会:松田輝雄、語り:上田早苗
内容/1979年、養護学校が義務化された。小学校入学前の就学時検診で、子どもたちは障害の有無や程度によって学校を振り分けられるようになった。障害児にとって、地域の子どもと一緒に学ぶ普通学校と、障害に応じた教育を受ける養護学校とでは、どちらが望ましいのか。全国の教育委員会を対象に行なったアンケート調査と障害児を持つ親たちの声をもとに、学校行政と親の意識のギャップや各地で起こっている問題点を考えていく。
ETV特集 シリーズ講演ドキュメント こどもと向き合う 第3回「こどもたちよ 生き続けよ ~作家・高史明~」
初回放送/1998年5月6日(44分)
作家・高史明さんの息子・真史君は12歳の夏、自宅近くの団地屋上から身を投げた。それから23年、高さんは息子の死と向き合い、生きることの意味を問い続けてきた。高さんは今の若い人たちに生きてほしいし、それを殺していく「近代化された大人社会」の方向を転換させるべきだと考えている。番組では、高さんが毎月4~5回は行うお寺での講話を紹介しながら、23年間の思いとこれからの希望を語る。
NHK教養セミナー 教育を考える「いま学力とは1 何が格差を生み出したか」
初回放送/1984年9月5日(45分)
出演/北尾倫彦、銀林浩
内容/1980年代、授業についていけない子どもの増加が問題となった。算数を例に、学力格差の原因を探る。教科書の内容は、文部省の学習指導要領に沿ってはいるものの、その教える内容が多すぎることが第一の原因として挙げられた。そしてカリキュラムの組み方や、教師の教え方にも問題があること、さらに「学力が低いと人間として劣る」という風潮が、事態をより深刻にしている。番組では、この問題の解決にあたっては、基礎の徹底を大前提としつつ、さまざまな価値観や個性を認めるような学校教育の重要性を訴える。
NHK教養セミナー 教育を考える「いま学力とは 学校は何をなすべきか」
初回放送/1984年9月26日(45分)
出演/木田宏、梶田叡一、銀林浩
内容/1980年代、日本の子どもの学力は世界トップレベルと言われた。しかし、算数を例にとると、計算問題は良くできるが文章問題は弱いなど、問題点も指摘されていた。授業に総合学習を取り入れたり、学年の枠を取り払ったオープンスクールを実践する小学校の取り組みを紹介しながら、学力とは何か、そして子どもの学力向上のために学校がなすべきことは何かを、三人の専門家が討論する。
NHKスペシャル イギリス「授業崩壊からの脱出 ~シャロン校長の学校改革~」
初回放送/2002年4月27日(49分)
かつてイギリスで最もレベルが低いといわれた公立カルバートン小学校。授業崩壊が起こり、教育に無関心な親が多かったこの学校に5年前、シャロン校長が赴任してきた。いまやこの小学校は、"最も改善された小学校"として表彰されるまでになった。シャロン校長は、教師・親・子どもの役割を明確にすることによって、教育環境を整えることに成功。子どもたちの授業態度は改善、学力も向上し、親の学校への協力度も増した。シャロン校長の活動を軸に、学校再生への取り組みを検証する。
NHKスペシャル「永遠の祈り ~ヒロシマ・語り継ぐ一族~」
初回放送/1997年8月5日(49分)
「夏の花」をはじめ、数々の原爆文学を記した被爆作家の原民喜。原一族は、広島への原子爆弾の投下とその後の後遺症により多くの家族を失った。残された家族には、自分だけが生き残ったという思いに苦しみながら、原爆の悲劇を書き記し、語り部の活動をする人もいる。原家の人々は、民喜が1951年に亡くなる直前に広島へ書き送った詩に、兄の守夫さんが曲をつけた鎮魂歌「永遠のみどり」を歌い継いでいる。この歌には、原子爆弾により一族にもたらされた悲劇を心に刻み、平和を願う想いが込められている。被爆体験の風化が指摘される49年目の広島。番組は、原一族の半世紀を追い、ヒロシマを語り継ぐことの意味を考える。
NHKスペシャル「家族画 ~少年鑑別所・心を描いた1万枚~」
初回放送/1998年1月30日(49分)
名古屋少年鑑別所では3年前から、入所する少年全員に「家族画」を描かせている。家族の絵を描かせることによって、更生や予防に役立てようという取り組みである。「家族画」は、言葉にできない彼らの深層を映し出す鏡だ。番組では1か月の間、名古屋少年鑑別所内にカメラを据え、少年・少女たちの「家族画」に込められたメッセージと、それを読み解こうと面接を重ねる専門官たちの姿を通して、現代日本の病める家族の姿を探る。
NHKスペシャル「きみたちの声が聞きたい 〜学年通信・教師と生徒の日々〜」
初回放送/1998年7月17日(49分)
名古屋市の天神山中学校は生徒数500人。10数年前は校内暴力で荒れた学校だった。今では学校のありのままの姿を生徒や保護者に知ってもらおうと、毎日、「学年通信」を発行している。中学生の暴力事件や「中学生らしさ」をめぐる校則の問題では、生徒から多数の投稿が寄せられる。中学校で教師と生徒はどのように向き合おうとしているのか。春から夏にかけて職員室と教室にカメラを据え、いまどきの中学校の現実をリアルに伝える。
NHKスペシャル「原爆の絵 ~市民が残すヒロシマの記録~」
初回放送/2002年8月6日(58分)
被爆から57年、被爆者の平均年齢は70歳を超え、被爆体験の風化が叫ばれるなか、広島市とNHK広島放送局では2002年、「原爆の絵」の募集を呼びかけた。これまでに寄せられた絵は725枚。広島では28年前にも「原爆の絵」の募集が行われ、2200枚あまりの絵が今も残されている。今回集められた絵をあわせ、3000枚に達する「原爆の絵」が、いつ、どこの場所を描いた光景なのかを確認し、データベース化する作業が着々と進められている。
※2003年度 バンフテレビ祭 ロッキー賞/同 NHK会長賞
※2003年度 地方の時代映像祭大賞
NHKスペシャル「こども輝けいのち 第1集 父ちゃん母ちゃん、生きるんや ~大阪・西成 こどもの里~」
初回放送/2003年2月9日(59分)
大阪市西成区にある児童館「こどもの里」には、さまざまな事情から家族と暮らせない子どもたちが生活している。中学生の博君は、日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれた。3年前に父親を亡くし、母親はアルコール依存症で入院していたが、母親の退院を機に引き取り、アパート暮らしを始めた。3人の子どもたちの約1年に密着。家族の絆を取り戻したいと願い、強く生きる子どもたちの姿を西成の暮らしの中にみつめる。
NHKスペシャル「サダコ ~ヒロシマの少女と20世紀~」
初回放送/1999年8月6日(74分)
広島で被爆した佐々木禎子さんは、10年後に突然白血病を発症し、12歳で亡くなった。病気が治ることを願い、病床で千羽鶴を折り続けた禎子さん。彼女の死後、級友たちが追悼の意味を込めて原爆の子の像を建てた。それがきっかけで、禎子さんの死を知ったユダヤ人ジャーナリストが、原爆の悲劇として海外で紹介した。その後サダコと折鶴の物語は、何度も出版化され、世界各国で読まれるようになった。番組では、最期まで生きる希望を持ち続けたサダコの短い一生を振り返るともに戦争や核実験が絶えない現代、サダコの物語が希望の物語として世界的に共感を呼び、学校などで読み継がれている様子を描く。
NHKスペシャル「15歳・心の軌跡 ~水俣病と向き合った中学生~」
初回放送/2003年11月8日(49分)
アジア7カ国の子ども達が集まり、ともに旅をしながら自然や環境について考える国際教育イベント・「未来への航海」。2003年夏、参加した日本の中学生6人は、公害病の原点・水俣病をテーマに朗読劇を発表することになった。
中学生たちは水俣病を学ぶために、実際に水俣を訪れて患者や患者家族の話を聞き、チッソの工場を見学した。水俣の重い現実を知るにつれて、彼らは本当に自分たちが劇にすることが出来るのか、と不安を感じ始める。しかし彼らは、劇作家の平田オリザ氏の助言にも助けられながら、自分たちの考えや、水俣を訪れて感じた思いを、せりふに込めようとする。そして朗読劇が出来上がった。自分たちの思いは、水俣の人たちの心に届くのだろうか・・・。水俣病に向き合った中学生たちの、3ヶ月に及ぶ心の葛藤と成長を追うドキュメンタリー。
NHKスペシャル「ともに悩み ともに闘う 〜長野・いじめ対策チーム〜」
初回放送/2007年3月2日(49分)
いじめによる自殺でわが子を失った父親が、長野県の求めに応じて教育委員会に入り「いじめ対策チーム」を作った。前島章良さん、52歳。チームは相談者宅に直接出向いて、いじめられている子どもの声を聞き、学校での調査も行い、解決を目指す。さらに、かつていじめを受けた体験者を学校に派遣。体験を子どもたちに直接語ることでいじめの恐ろしさを訴えかける。チームの活動が学校や子どもの心をどう変えるのかを見つめていく。
NHKスペシャル「ドラマ 黄色い髪 第1回(三夜連続)」
初回放送/1989年10月5日(45分)
14歳の中学生・夏実は、学校で"いじめ"にあい、学校への疑問と失望から登校拒否になった。深く傷ついた夏実は髪を黄色く染めて、夜の都会をさまよい始める。母の史子は美容院をやりながら、「普通の子」でなくなっていく娘にとまどうが、自らを責めながらも夏実を正面から受け止めようとする。隣人や教師たちはそれぞれの立場から、この母娘を見守っていく。第1回はいじめられた夏実が登校拒否し、髪を黄色く染めるに至るまでを描く。
NHKスペシャル「ドラマ 黄色い髪 第2回(三夜連続)」
初回放送/1989年10月6日(45分)
14歳の中学生・夏実は、学校で"いじめ"にあい、学校への疑問と失望から登校拒否になった。深く傷ついた夏実は髪を黄色く染めて、夜の都会をさまよい始める。母の史子は美容院をやりながら、「普通の子」でなくなっていく娘にとまどうが、自らを責めながらも夏実を正面から受け止めようとする。第2回は、史子が登校拒否について新聞社の取材を受け、記事になったことによる学校やPTAの反応と、追いつめられる母子を描く。
NHKスペシャル「ドラマ 黄色い髪 第3回(三夜連続)」
初回放送/1989年10月7日(45分)
14歳の中学生・夏実は、学校で"いじめ"にあい、学校への疑問と失望から登校拒否になった。深く傷ついた夏実は髪を黄色く染めて、夜の都会をさまよい始める。母の史子は美容院をやりながら、「普通の子」でなくなっていく娘にとまどうが、悩みながらも夏実を正面から受け止めようとする。第3回は、追いつめられた母子が再び親子の絆をとり戻し、夏実が母に黄色い髪を切ってもらい、学校へ戻るまでを描く。
NHKスペシャル「長崎の子・映像の記録 ~原子雲の下に生きて~」
初回放送/2002年8月9日(58分)
爆心地から700メートルにあった山里国民校では、1581人の児童のうちおよそ1300人が死亡した。生き残った児童の手記を下に、映画監督の樋口源一郎は、1950年に記録映画「長崎の子」を制作。さらに、NHKも1980年、37人の児童のその後を追跡調査し、ドキュメンタリー番組を制作した。また、長崎の原爆被害の様子は、終戦直後からアメリカの調査団によって、膨大なカラーの記録フィルムとして残された。こうした記録映像は、言葉以上に時代や世代を超えて体験を未来へ伝承するメディアである。番組では、長崎の子どもたちを記録した映像に、国際政治の駆け引きや放射能被害の研究など、原爆にまつわる冷徹な構図を交錯させて描き、人類が抱える課題を深層から浮き彫りにする。
※2003年度 児童福祉文化賞
NHKスペシャル 放送記念日特集「学校が好きですか ~「中学生日記」生徒からのSOS~」
初回放送/1999年3月22日(59分)
NHK名古屋局が制作している「中学生日記」は1999年放送時には38年目を迎えた長寿番組。放送記念日を契機に、中学生の直面する問題をタイムリーに描き、放送の果たすべき役割を担ってきた「中学生日記」にスポットを当てる。番組では、ジャーナリストの江川紹子さんが「中学生日記」の収録スタジオで、出演している子どもたちと、いくつかの番組を振り返りながら、不登校について本音で話し合う。
NHKスペシャル「焼け跡のホームランボール」
初回放送/2002年8月11日(74分)
昭和21年6月、山形県南部の小さな宿場町・小松。主人公の国民学校6年生・修吉たちの野球チームは、町の裕福な子どもたちのチームにどうしても勝てない。その原因は里芋の茎で作った手製のボールで練習しているからだと考え、何とか本物の軟式ボールを手に入れたいと思う。5人の少年たちは東京・向島の製造元を訪ねようと、夜行列車で上野に向かうが、さまざまなトラブルに巻き込まれる。果たして念願のボールを手に入れることができるのか…。
NHKスペシャル「よみがえる教室 ある校長と教師たちの挑戦」
初回放送/2004年2月28日(49分)
神奈川県茅ヶ崎市の浜之郷小学校は「詰め込みではなく、子どもの声に耳を傾けよう」をモットーに学校改革を行い、不登校も学級崩壊もなくなったことで知られている。公開授業は年間150日に及び、5年前の開校以来、全国から2万人の教師が見学に訪れた。学校改革の先頭に立つ校長の大瀬敏昭さんは末期の胃がんを宣告されたが、自分を教材に生きることのすばらしさを伝えようと「命の授業」を続ける。理想の学校作りに挑む校長と教師たちを追った。
NHKスペシャル 列島ドラマシリーズ(1)「魚のように」
初回放送/1993年3月28日(59分)
四万十川の美しい風景の中に、多感な女子高校生の心の葛藤と、愛し合い傷つけ合いながら生きる姿をみずみずしい感性で描いたドラマ。高知県中村市の高校に通う有朋には、一つ違いの姉・清文がいた。自尊心が強い少女・清文は心優しい親友・君子の友情を曲解し、君子のボーイフレンド・安田を誘惑する。そして感情の赴くままに、中年男・生島と駈け落ちをして町を出て行った。弟に一編の詩「魚のように」を残して・・・。 第18回放送文化基金賞奨励賞 受賞
NHKテレビ映画「山の分校の記録」
初回放送/1960年4月22日(48分)
栃木県栗山村の土呂部(どろぶ)という集落の分校に、今から40年前、テレビが初めてやってくることになった。ここで学ぶ31人の子どもたちは、テレビが映し出すそれまで見たこともない外の広い世界に瞳を輝かせる──。カメラは1年にわたりテレビが子どもたちの生活をどう変えるかを追うとともに、山村の暮らしを克明に記録する。 ※第12回 イタリア賞トリエステ市観光協会賞受賞
NHK特集「カメラマン サワダの戦争 ~5万カットのネガは何を語るか~」
初回放送/1982年2月26日(49分)
1965年2月、カメラマンの沢田教一さん(当時28歳)は、戦火の拡大するベトナムに向かい、戦争と兵士達、それに戦争に巻き込まれた民衆の姿を撮影した。青森県出身の寡黙な青年は、それから数年の間に優れた報道写真に贈られる賞を次々に受賞し、世界に名を知られる報道カメラマンになった。しかし1970年、沢田さんは取材に向かう車を襲撃され命を落とした。激しい戦闘の合間に見える人間の「極限の生」を捉えた彼の作品は、戦争とは何かを今も強く問いかける。
NHK特集「教科書はこうして作られる(前編)密室の編纂(さん)」
初回放送/1982年4月12日(49分)
教科書検定の実際のやりとりを録音したテープをNHKは入手した。延べ12時間に及ぶ文部省の調査官と執筆者・編集者との会話である。この録音テープを素材に検定制度の実態を明らかにする。検定の主な舞台は文部省4階の1室、教科書検定課連絡室。現場教師と文部省の求める教科書観のはざまでゆれる編集スタッフ、文部省との対立葛藤、書き直し方をめぐる編集部と執筆者の衝突等々、番組ではひとつの教科書の誕生の軌跡をたどりながら、検定の全プロセスを未公開の資料をもとに明らかにしていく。
NHK特集「教科書はこうして作られる(後編)合意への模索」
初回放送/1982年4月16日(49分)
日本における検定制度の実態を明らかにした前編につづいて教科書問題が大きな社会的論議の対象となっているアメリカと西ドイツの状況を紹介する。アメリカ各地で、教科書や教育上好ましくないとされる書物が焼き捨てられる事件が起きている。アメリカでは州によって教科書制度が異なり、社会の動きが敏感に教科書に反映される仕組みになっている。西ドイツでの教科書をめぐる対立と合意を求める試みを紹介し、わが国の警鐘とする。
NHK特集「警告!子どものからだは蝕まれている」
初回放送/1978年10月9日(49分)
20年にわたり子どものからだの変化を記録してきた日体大体育研究所とNHKが協力して、全国1000の小・中・高校に45項目にわたるアンケート調査を実施した。ここ数年、背筋力低下や異常骨折の増加など、子どものからだの異常現象が目立ってきたからである。883校から寄せられた回答には、「つまづいた時、とっさに手が出ない」「目の瞬きが鈍い」「朝礼中に倒れる子が多い」といった現状が報告された。その実態と背景を探る。
NHK特集「こどもたちの食卓 ~なぜひとりで食べるの~」
初回放送/1982年12月6日(49分)
出演/足立己幸、森崇
内容/最近、子供たちをめぐる家庭の食環境に大きな変化が起きつつある。小学生高学年を対象にしたNHKの調査によると、四割に近い子供たちが一人で朝食をとり、一割の子供が一日中、親とともに食事をすることがなく、三割以上の子供が食事が楽しくないと考えている、という結果が出た。番組では、一人ぼっちで食事をとる子どもたちの家庭を全国に訪ね、彼らの胸のうちをきく。
NHK特集「これがヒロシマだ 原爆の絵アメリカを行く」
初回放送/1982年6月7日(49分)
昭和50年、自ら体験した2200枚の被爆体験の絵がNHK広島放送局に集まった。体験したものにしか描けない迫力に満ちたこれらの絵は、1982年、12歳の時に被爆した松原美代子さんと共にアメリカに渡った。松原さんは、アメリカ各地で絵の展示をし、被爆体験を語った。生々しい絵を見、松原さんの体験談を聞いたアメリカの人々のなかには、原爆の恐ろしさを認識する人もいる一方で、原爆は必要だと言う人もおり、問題の複雑さを浮き彫りにした。番組は50日間にわたったこのアメリカ横断の模様を記録したドキュメンタリーである。
NHK特集「少女たちの産婦人科診察室 〜10代の性のカルテ〜」
初回放送/1986年4月6日(45分)
3人の女性医師が勤務する広島のT病院産婦人科には、毎日、中学・高校生を中心とした少女たちが相談に訪れる。妊娠の不安や中絶の相談、そして中絶手術のために駆け込んでくるのである。その数は4年間でおよそ1000人。性体験のある少女たちの78%が避妊をしていないという。河野美代子産婦人科部長(38歳)はこうした現状を憂い、性教育にも取り組むようになった。1000枚のカルテから10代の性をとり巻く状況に迫る。
NHK特集「中学生激論ドラマ・いじめ」
初回放送/1986年7月20日(45分)
ドラマの舞台は名古屋にある公立中学校。3年3組担任の川波先生は、いじめについてクラス討論をしようと提案する。「このクラスにはいじめはない」と思っている生徒たちは、気軽に話し合いを始めた。ところが討論が進むうちに、このクラスにもいじめがあり、いじめている子もいじめられている子も苦しんでいて、自殺まで思いつめた生徒もいること・・・などが次第に明らかになっていく。
※第13回放送文化基金賞奨励賞受賞
NHK特集「東京大空襲」
初回放送/1978年3月9日(49分)
昭和20年3月10日、東京を襲った大空襲。300機の米軍機は、下町を中心に約二時間爆撃を続け、被害は焼失家屋27万戸、死者およそ10万人に及んだ。
それまで軍事施設や工場を中心に爆撃を行ってきた米軍がなぜ、この日から一般市民が居住する地域を低空から爆撃する作戦に切り替えたのか。
番組では、それまで極秘となっていた米軍の爆撃命令書や大空襲の中を生き延びた人々の証言を元に、東京大空襲の実態を検証していく。
NHK特集「トンボになりたかった少年」
初回放送/1984年12月9日(49分)
出演/東昭
内容/トンボの飛行に素朴な興味と憧れを持ち続けてきた少年が、航空力学の世界的な権威となったいまも、少年の日の疑問と驚きを解き明そうと取り組んでいる。東京大学工学部・東教授の研究を追う。 第11回放送文化基金賞「番組部門」奨励賞受賞
NHK特集「のぞみ5歳 ~手さぐりの子育て日記~」
初回放送/1986年5月18日(45分)
金沢市に住む全盲の夫婦が手探りで子育てをする姿を追ったドキュメンタリー。NHK金沢放送局のディレクターが、夫婦の長女のぞみちゃんを1歳から5歳までの5年間、地道に取材を続けた。子育てを通して家族とは何かを考える。
NHK特集「明治教科書疑獄事件 -国定化への道-」
初回放送/1982年5月10日(49分)
明治35年、列車の網棚に忘れられた一冊のメモ帳から教科書売り込みをめぐる一大疑獄事件が発覚した。当時、教科書は一府県一教科につき一種類という広域採択制で、一度採用されれば膨大な利益を生むため、教科書採択の決定権を持つ人々にわいろ攻撃がかけられたのだ。当時の教科書審査会を再現、教科書国定化の引き金になった疑獄事件の全容を明かす。
NHK特集 日本の条件「教育・何が荒廃しているのか(1)偏差値が日本の未来を支配する」
初回放送/1983年2月14日(79分)
1980年代は受験競争が過熱し、偏差値による成績判断を重視する傾向が強まっていた。受験生は予備校に通い、学校では業者テストが頻繁に行われた。このテスト結果は偏差値で表され、学校はこれを各生徒の進路指導に活用した。その結果、受験生たちは偏差値に一喜一憂し、ついには偏差値が個人を判断する基準となる危険性すらはらむこととなった。番組では、偏差値重視の日本とは対照的なアメリカのハーバード大学での入学志願者選抜方法を紹介することによって、偏差値の有効性や問題点について考える。
※1983年日本ジャーナリスト会議賞奨励賞受賞(3部作)
NHK特集 日本の戦後 第6回「くにのあゆみ」 -戦後教育の幕あき-
初回放送/1977年10月27日(59分)
原作/脚本:盛善吉、出演/中井啓輔、園田祐久、佐々木考丸、制作/音楽:池辺晋一郎
内容/軍国主義教育の廃止と教職追放がGHQによる戦後教育の幕明けだった。新しい歴史教科書くにのあゆみを編さんした大久保利謙、家永三郎、岡田章雄氏らの証言をまじえ民主教育のはじまりをドラマ構成で描く。
NHK特集 ドラマ「教員室」
初回放送/1984年9月24日(60分)
原作/山田太一、出演/小林桂樹、佐野浅夫、林隆三、制作/音楽:間宮芳生
内容/中学校の職員室を舞台にして展開する教師たちのディスカッションドラマ。
ある日の放課後、つっぱりグループによって職員室が襲われるかも知れないという緊迫した事態が発生する。招集された教師たちは生徒たちへの対応をめぐって激論をかわす。先生各人の意見・立場・個人的な事情までもがいやおうなく明らかになっていく。 ドラマの形式を借りて、今日的な教育問題へ鋭く迫る試み豊かなNHK特集。
NHK特派員報告「日本人学校の半世紀」
初回放送/2002年1月27日(90分)
1976年4月、シンガポールに日本人学校の新校舎が落成した。古くから日本人が進出したこの地には、第2次世界大戦をはさみ、苦難の時代をくぐり抜けてきた人々や、戦後、新たにやって来たビジネスマンなど、大勢の日本人が暮らしている。1918年に、24人の生徒で第1回修業式が行われてから半世紀の、日本人学校の移り変わりを描いたドキュメンタリー。
大村はま「教える」
初回放送/1976年4月2日(45分)
70歳になっても公立中学で教鞭をとっている大村はまさんは、48年間に5000人以上の子どもたちに国語を教えてきた。子どもたちを「豊かなことばの使い手」にすることが、考える力や自ら学びとる力を育てることにつながると考え、常に新しい教材を発掘し、授業前の準備に没頭する。漫画「クリちゃん」を使った大村先生の授業を紹介しながら、教師とはいかにあるべきかをスタジオに集まった教師や母親たちと語り合う。
沖縄スペシャル「戦さ世の光景」
初回放送/1985年2月1日(30分)
アメリカ公文書館には、米従軍カメラマンが撮影した沖縄戦のフィルムが保管されている。1983年からこのフィルムを1フィートずつ買い取る運動が、沖縄市民の間で始まった。「自分たち戦争体験者は、戦争を知らない世代に戦争の悲惨さを伝える義務がある」という思いからである。
番組は、運動開始1年後、約15時間分のフィルムが集まった時点に作られた。
アメリカ軍の攻撃、逃げまどう沖縄住民、折り重なる死体、収容所での様子などが、その戦火をくぐった住民たちの生々しい証言とともに映し出されている。
おはようジャーナル特集「戦争を知っていますか? 〜子どもたちへのメッセージ〜 (3)満州逃避行の果てに・・・」
初回放送/1985年8月7日(50分)
戦争を体験した女性たちが、子どもたちに戦争の実態を語り継ぐシリーズ。原嶋ハマノさんは昭和14年、9歳のとき、家族と旧満州に渡った。埼玉県荒川村(当時は中川村)からは村ぐるみで124家族、600人が開拓団を作っていた。終戦直後、匪賊に襲われた開拓団は、引き揚げを決意する。それは想像を絶する苦難の逃避行だった。原嶋さんは姉とその子ども二人、幼い妹と一緒に逃げたが、小さな子どもたちは次々と死んでいった。
おはようジャーナル シリーズ学校現場(3)「問われる校則 ~私たちに何ができるか~」
初回放送/1987年11月18日(47分)
全国の中学校で校内暴力やいじめ問題が深刻になった1980年代、生徒の服装や行動を細かく規制する校則が厳しくなっていった。それに疑問を持った生徒や父母、教師たちが様々な取り組みを始めたのもこの時期だ。東京の江戸川区では、前髪を切った教師に抗議して女子生徒が私服通学に踏み切った。男子は全員丸刈りという愛知県岡崎市では、父母が反対運動に立ち上がる。鹿児島では、生徒と教師が一体となって校則を減らす活動を始めた。各地の声を聞く。