目を覚ますとそこには………。
(知ってる天井だな……)
すっかり慣れた景色だ。ここは自宅にある二階の寝室だろう。モモンは体中が悲鳴を上げているのも無視して上半身を起き上がらせる。傍らではナーベがベッドの端に座りこちらをのぞき込んでいた。その手には水の入ったグラスが握られていた。
「モモンさん、大丈夫ですか?」
「あぁ。大丈夫だ……。それより私はどれくらい寝ていた?」
「半日…といったところです」
「そうか。またそんなに寝ていたか……」
ナーベから手渡されたグラスを受け取ろうと手を伸ばす。体中に痛みが走り力が入らなかった。両手を使い丁寧にモモンの右手にグラスを手渡す。モモンは痛みを感じる前に勢いよく飲み干した。それをナーベに返すとナーベが水を再び入れようとしてくれたので手で制す。
既に頭の中に何かが流れ込むような感覚は消失しており今回に関してはこれで終わったのだろうと考えた。軽く息を吐くとナーベに尋ねる。
「ナーベ、陛下たちは?」
「陛下は一階の客間で待たれております。今はそこでシズやハムスケと話しています」
半日も待っていてくれたのか。そう思うが口には出さない。モモン自身『英雄長』の名誉職を授与されている。それに対して陛下は他国のトップだ。陛下が絶対にそんな方ではないと断言できるが、それでも王国側が不利になる可能性のある言葉は出すべきではないだろう。そう瞬時に判断する。だがそんなことよりも早く無事な姿を見せたいと思った。
「陛下を待たせる訳にはいかない。今すぐ下に降りよう。すまないが肩を貸してくれないか?」
「はい。どうぞ」
モモンはナーベに肩を貸したまま一階に降りた。そこでモモンとナーベは客間に座るアインズ、その傍らで立ったまま会話しているシズとハムスケを見た。
◇◇◇◇
◇◇◇◇
◇◇◇◇
「【ヤルダバオト】はかなり危険な存在ですね」
「老練な声の持ち主の正体は【竜帝】か。しかしそれよりも【ヤルダバオト】の正体が【
「それがしはよく分からないでござるが……とにかくヤバい出来事だというのは分かるでござる。」
「…………」
モモンは話した。
(【ヤルダバオト】の正体が【破滅の竜王】。【六大神】に単騎で戦闘し圧倒し、封印された存在。でも何故封印されたはずの【ヤルダバオト】がどういうわけか元に戻り【八欲王】と【竜王】たちを争わせ、さらに【八欲王】すらも内部抗争を引き起こして全滅させた。この悪魔の目的は何?……【ヤルダバオト】は何を考えているの?それに封印からどうやって出てきたの?謎が多すぎる)
ナーベはそう考えていると先程まで沈黙していたシズが口を開く。
「……もし【ヤルダバオト】が奇襲をかけた場所が王都ではなくここエ・ランテルであればこうして私たちが生きて会えることもなかった……かも」
シズのその一言に場に沈黙が流れる。
「シズの言う通りだな。シズ、ヤルダバオトについて聞きたいんだが奴は何者なんだ?」
「……私もルプーも詳しくは知らない。でも知っているのは二つ。何故か仮面を常に被っていること。それと【七大罪】と呼ばれる存在たちを率いていること…だけ」
駄目もとで聞いてみたがやはり予測通りの答えが返ってきた。
「【七大罪】だと?」
「何か知っているのですか?陛下」
「あぁ。確か世界で最も大きな罪を指す言葉だったはずだ。【傲慢】【色欲】【強欲】【嫉妬】【暴食】【怠惰】…そして【憤怒】の七つを指す言葉だ」
「…陛下の言う通り…です。奴らは七人いるらしい。ヤルダバオトが何に当てはまるのかは知らない。そもそもそこに該当しているかすら知らない…です」
「最低でも七人を相手しないといけないのか……」
(あれだけの存在を七人いると考えた場合、とてもじゃないが私たち【漆黒】や他のアダマンタイト級冒険者【蒼の薔薇】で協力して戦ってもまず勝てないだろう。可能性があるとしたら……)
そう思ってモモンはアインズに向かって視線を向ける。それに気付いたのアインズはモモンに対して口を開いた。
「モモン、一つ聞きたい」
「何でしょうか?陛下」
「この事実を知ったお前はこれからどうするつもりだ?」
「私はこの街が好きです。スレイン法国とは違い、活気あるこの街が好きです。この街で出会った者たちが好きです。だからこの街を守りたい!」
「守りたいか……。その気持ちだけ守れるなら誰も苦労しない」
「……それでも守って見せます!」
「ヤルダバオト一人と戦って気絶するお前がどうやって他の六人を相手にするつもりだ?勝算の無い戦いに挑むのは愚か者のすることだ」
「ではどうしろと言うのですか!?」
モモンの怒鳴り声が部屋中に響き渡る。
「………(モモンさん)」
アインズはモモンの怒鳴り声に対して少し口を閉ざすとやがて口を開いた。
「『誰かが困ってたら助けるのが当たり前』……お前はその言葉に少し、いやかなり縛られていないか?」
「……それは」
「もしその言葉がお前を縛っているせいで無謀な戦いに駆り立てるなら……その言葉をお前が語る資格は無い」
それは強い否定。今のモモンを象る全てを否定するほどの強烈な一撃であった。
「そもそもお前はこの言葉を語るには早すぎる。最低でもセバスと同等かそれ以上の実力を持たないと語るのは難しいだろう」
「……失礼ですが、陛下に何が分かるのですか?」
「と……殿…」
怯えた声でモモンを呼ぶその声に冷静さを失っていたことに気付く。
「すまない。ハムスケ」
「『誰かが困ってたら助けるのが当たり前』。これは『弱者救済』を願う言葉だと知っているか?彼は誰よりも強くなることで自分の守りたいものを全て守ると誓った。自分が最強になれば誰もを守れると信じ続けたからだ。そして実際彼は私とは比べ物にならない程の力を身に着けた」
「……」
「今のお前は心構え"だけ"は出来ているだろう。それは認めよう。確かにお前は『英雄』かもしれない。しかしだ、セバスと同等の実力すら持たないお前が彼に近い力を持っているのか?腕力でも、頭脳でも構わない。出来るのか?それとも志だけでそれを成し遂げられるだとでも?」
「それは……」
(認めたくはない。だが……)
「勘違いするな。お前は【英雄】かもしれないが【ミータッチ】ではない。彼の様になれると思うな」
モモンは拳を作り揺らしながらも頭を下げた。
「すみませんでした。今の私にはその言葉を語るだけの実力はありま……」
「そうか。分かったならこれ以上は言うまい。……私も【守護者】たちと【ヤルダバオト】に対して急ぎ話し合いたいことが出来た。また会おう」
そう言うとアインズはその場から消えた。
(………もっと強くならないといけない。でないと私は誰も守れない……)
そう決意したモモンであった。
シズもハムスケも既に一階で眠っている。モモンさんが目覚めたことで今までの疲れが一気に解放されたのだろう。今どはちらもぐっすりと眠っている。
それを確認したナーベは二階へと上がる。
ソッと寝室のドアを開く。
そこにはモモンがいなかった。ヤルダバオトとの激戦、更に【十戒】の行使による肉体や精神への極度の疲労の中でも剣の素振りにいったのだろう。そのために今は街の外にいるはずだ。
「モモンさん………」
(やはり【ヤルダバオト】【七大罪】【世界の敵】……これらの存在がいる限りエ・ランテルに本当の意味で平穏は訪れないだろう。そして何より王国の支配下にある限り、ヤルダバオトからの襲撃に耐えられる可能性は皆無。それは王都での被害を見たら誰でも分かる。もしここが襲撃されたら………間違いなくスレイン法国とは比べ物にならない地獄になる!)
「モモンさん……貴方はもう十分過ぎるくらい戦いました。だから……」
(後は私がやります……今から私がやることは『英雄』とは程遠い行いです。『誰かが困ってたら助けるのが当たり前』の信念のもとで行動する貴方の相棒には相応しくないことをします………本当にごめんなさい)
(モモンさんには……シズも……ハムスケもいる。大丈夫……)
ナーベは首からぶら下げているそれを外す。
月の光に照らされて綺麗に輝くそれは冒険者の証。
(今まで色々ありましたね……貴方と法国で出会い、襲撃を受け、建国前の陛下と出会った。冒険者たち……ハムスケ、シズ……色々な出会いがありました。貴方と過ごした日々は非日常で溢れていて……とても……)
机の上に置いてある手紙に大粒の水滴が零れ落ちた。ナーベの視界が歪む。
(あぁ……そうかやっぱり私は貴方のことを……)
ナーベは袖で涙を拭うと唇を噛んだ。涙を止める為だ。
(ごめんなさい……ごめんなさい……私は貴方に何にもしてあげられない……ごめんなさい……)
法国が襲撃された時、ホニョペニョコの時、そしてヤルダバオトの時……。その全部だ。
(悔しいです!……悔しいです!何にも出来ない自分が悔しい!!いつもあなたに無理をさせてばっかだ。私は貴方の相棒に相応しくない……)
(今までありがとうございました。モモンさん……私は貴方のことを……}
(お慕いしております)
(………)
「貴方はこの街を守りたいと仰いました。でも私はこんな街どうでもいい……貴方さえ助けられるなら!そのためなら……」
ナーベは家から出ていった。それに気付いた者はいなかった。
「……さよなら。モモンさん。お元気で」
そんなナーベを月だけが照らしていた。
モモンは剣の素振りから帰ると自宅へと戻っていた。
寝室へと向かう。だがドアを開ける前に奇妙な感覚に捕らわれる。
(?……)
「ナーベ、いないのか?」
そう思い部屋中に視線を向けるがナーベはいなかった。ふと視界の端に机が入った。その上に何やら白い何かが置かれていた。真っ暗の中それはとても存在感を放っていた。
「手紙…?出かける前は無かったはずだが……」
モモンはその手紙の封を開く。すると金属板が零れ落ち机の上に落下した。
「えっ………これ…冒険者プレート。何で?こんなものが手紙の中に?」
机の上に落ちたアダマンタイトのプレートを拾い上げる。そこには王国語で『ナーベ』と刻まれている。
(ナーベ!)
モモンは何かを察したように手紙を見た。
そこに書かれた内容は……。
モモンさんへ
この手紙を読んでいる頃には私は貴方の元から去っているでしょう。どうか私のことは探さないで下さい
私は今から【漆黒の英雄】と呼ばれる貴方の相棒に相応しくない行いをします
私が去った理由は全て私の弱さが原因です
冒険者のプレートは置いて行きます。どうか捨てるなり自由にして下さい
本当に申し訳ありません
貴方と過ごした日々は私のかけがえのない宝物です
さようなら。
ナーベ
「ナーべ!!」
手紙を握りしめるとドアを開けようと振り向く。そのまま駆けだそうとして……。
「!」
膝が崩れ床に崩れ落ちる。
「何で!こんな時に!」
ヤルダバオトとの激戦、武技【十戒】の酷使、それらの疲労やダメージが未だに残っていたのだろう。モモンは崩れ落ちたままドアに手を伸ばす。
「ナーベぇぇ!」
結局、モモンが倒れた音に気付き目を覚ましたシズとハムスケが来るまでモモンはその態勢のまま手をドアに向かって伸ばしていた。
モモンはハムスケの背中に乗って共にナーベを探した。シズの協力もあってエ・ランテルとその周辺を探索するもナーベは見つからなかった。
◇◇◇◇
◇◇◇◇
◇◇◇◇
「……ナーベ…どうして……」
家に帰るとやはりナーベはいなかった。その事実を再確認してモモンは膝から崩れ落ちた。
「…モモンさん!?」
「殿!?」
(意識が……)
シズ殿、これは一体!?殿に何があったでござる!?
呼吸が早くなってる!ハムスケ!ポーションを早く!
「ナーベ…」
英雄と呼ばれた男は残されたプレートを強く握りしめる。同時に胸が締め付けられた。痛い。苦しい。
(ナーベ……)
男は涙を流し視界が歪んでいく。目の前にいたシズとハムスケがぼやけていく。
「意識が!?ハムスケ!早く!」
その言葉を最後にモモンは意識を喪失した。
その日、『美姫』と呼ばれた冒険者がこの街を去った。
次章予告……。第6章『消えた美姫』