◇
ギルドメンバーの
それらを意識から追い出して、アインズは玉座から続く階段の先を見下ろした。そこに片膝を立てて跪いているデミウルゴスは
「その、つまり──変身してお前の店に通っていたのは、ひとつの実験だったのだ」
「…………」
デミウルゴスは首を垂れたまま、何も言わない。
自分の言葉をどう思っているものか、アインズにはまったくわからなかった。
「
そもそものきっかけはパンドラズ・アクターで。
守護者たちにも見破られない変身が可能だと言ったのはあいつだった。
「…………」
だから何だ?
これじゃまるであいつに責任を押しつけようとしてるみたいじゃないか、とアインズは思った。シモベの沈黙が心に重くのしかかる。うつむいたままのデミウルゴスは、その下で今どんな表情をしているだろう。
「ただ、お前だけは少し疑っているように見えた」
引き倒されてから、低レベル装備を裂かれるまでの不自然な間。
きっとあの時、デミウルゴスはバグ──セバスは呪いだと言っていたが──に気づいた。
その後の尋問とストレートな誘い。レイスが自分だったと知ったデミウルゴスは、あの後ノコノコと店に現れた自分の行動をどう思っているだろうか。
「だから……少し期間を引き延ばして、それでもお前が気づかぬかどうか確かめるつもりだったのだ」
「…………」
嘘だ、と無言で責められている心地がする。
玉座の左手側──手前の旗に隠れて見えないはずのウルベルトの紋章。ひっそりと垂れている旗の列から、何故か息苦しくなるほどの圧を感じた。
「だが…いつもと違うお前の態度に、興が乗ってしまった」
嘘じゃない。
「その……私も戯れが過ぎたと反省している」
違う、嘘だ。
いや、バグを肩代わりさせてしまったことは本当に反省してるけど。
確かに期間限定のつもりではいたけれど。
「お前にはつらい思いをさせてしまったようだな。……済まなかった」
「──ないわ‼」
すれ違いかけた
じろじろといぶかしむ視線に気づいてアインズも我に返った。
バハルス帝国の繁華街──闘技場へ向かう街道には、オークと見まがうばかりの人間の姿もちらほら見える。
フードを目深に引っ張ってうつむきながら、アインズはそそくさとその場を離れた。
(……やっぱりないよな。そんな言い方じゃ、まるで俺があいつをもてあそんでたみたいじゃないか)
しかし結果的にはそうなんじゃないかと思い直す。
自分の膝に座れとにこにこしていたデミウルゴスの顔がちらついた。
夢の中でアインズに謝りながら、それでも自分をしっかり抱きしめていた。
(……あいつだって楽しんでたはずだ)
いつもの行為。無くてもいいんんじゃないかと言ったら、呪言をかけられた。
口をすべらせた直後に抱き上げられた時の表情が思い出されて、恥ずかしさにまたおかしな声が上がりかける。
(……っ、これじゃただの変態だ)
一瞬、通りを行く人間や森妖精たちが自分をいぶかしんでいるように感じた。
だがそれは単なる気のせいだろう。
バハルス帝国は魔道国の属国。昔だったらいざ知らず、明らかな意思を持って歩いているスケルトンを奇異に思うような住人はいない。
こちらが探るような視線を向けるから、相手もこちらに意識を向けてくるだけのことだ。
現在の皇帝が帝位に就いて以来、アインズは帝国を訪れていなかった。
そうでなくとも血肉を持った人間種に、骸骨の個体識別は難しい。粗末な格好をしたスケルトンがまさか宗主国の王だなどとは誰も思っていないだろう。
──とは言えど。
(考え事をするのに、こういうところは不向きだな……)
あたりに視線をさっと走らせ、アインズはひとけのない路地に入った。
ついさっきまで思い出していたことを誰に知られたわけでもないのに、無意味に咳払いのまねごとなどしてみる。妙に取り澄ました動きで背筋をただして。
「転移」
昼さがりの街道のおだやかな空気が、たちこめる濃霧にとって代わる。
足もとは茶色く枯れかけた雑草と、ごつごつした礫の散らばる湿った大地──
カッツェ平野に現れた瞬間、四方八方から自分と同じアンデッドの気配を感じた。
アンデッド反応を示す霧に包まれて、ここら一帯を闊歩しているアンデッドの気配は探知しにくい。エンカウント率があがるのは面倒だが、アインズのレベルであれば何かと遭遇しても問題はないし、相手のほうが逃げ出す確率のほうが圧倒的に高い。
(まあ、歩き回らなきゃもっといいんだろうけど)
じっとしているのも落ち着かなかった。
たちこめる霧の陰鬱な灰色を眺めながら、アインズはまた歩きだす。デミウルゴスは今ごろどうしているんだろうな、と考えかけてふと気づいた。
スケルトンやグールではない。
ちゃんと武装した何かの足音を聞いた気がしたのだ。それはやはり気のせいではなかったようで、濃い霧の向こうに視覚を凝らせば、小さく見える黒い影。
(ん? あれは……)
だんだんと近づいてくる影の輪郭が次第にはっきりした形になってくる。
その輪郭が見覚えのあるものだと気づくと同時に、恐ろしい声がした。
「おお、やはりアインズ様──こちらにお
霧を押しわけるように現れた者にみなまで言わせず、アインズは再び転移で姿を消した。
◇
(なんであいつがいるんだよ⁉)
息が止まるような衝撃がまだ尾を引いている。
霧の中から現れたのは
(いや……デミウルゴスが俺を探してるならあいつらが出てきても……?)
おかしくはない、のだろうか?
ないはずの心臓がまだばくばくと暴れているような心地がするのは、本当に驚いたからだった。カルネ村で記憶を奪った
7人の魔将を従えて立つデミウルゴスの姿が脳裏によぎり、なんとなく背筋がぞわりとした。カッツェ平野の特性を考えれば、アインズが気配をまぎれさせて隠れるにはうってつけだ。アインズにそんなつもりはなかったが、デミウルゴスはそう考えたのかもしれない。
薄く雲の出始めた上空で、アインズはきょろきょろと辺りを見回した。
まだナザリックに帰るつもりはない。……というか帰れる気がしない。
ろくに気持ちの整理もついていないのに、シモベに引っ張られてデミウルゴスの前に連れていかれるなど絶対に避けたかった。
連絡を入れてやるべきじゃないのか
頭の片隅でそう思うが、わけもなく不安に駆られて打ち消した。
デミウルゴスが怒っているかもしれないと感じるのは、自分が謁見のシミュレーションをしていたからだけではない、ような気がする。
不穏な予感をふりはらい、アインズははるか下にある街並みを見下ろした。
旧スレイン法国領。
(この辺りはあまり好きじゃないんだがなぁ)
しかしデミウルゴスが自分の行き先を予想して先回りしようとしているなら、逆にこの辺りは盲点かもしれないと思い直した。
このまま上空にいるよりはと
(どのへんに降りようか)
そう考えて視覚を凝らしたアインズは、路地を駆けるおぞましい流れに気がついた。
ひっ、と思わず声が洩れる。
同時に眼下からも、通行人たちの悲鳴があがった。
粒々とした黒い流れが駆け抜けるのに、人々は飛び上がってそれを避け、あるものは腰を抜かして茫然とし、女性は甲高い声をあげて半狂乱に逃げ惑う。
まるでひとつの細長い生き物であるかのように、一糸乱れず街中を駆け抜けていくのはゴキブリの大群だった。
またおそろしいことに、アインズの感覚はそれらがひっきりなしに自分の名を呼んでいるのだと理解してしまう。
体中の骨を、ゴキブリが這い回るような錯覚に襲われた。
(こっちにも手が回ってるのか‼)
ぞっとする幻覚をふりきるように、アインズは急速上昇する。
危ないところだった、とどきどきしていた。
まだまとまって動いてくれていたから発見できたようなものだ。
生理的嫌悪感をもよおす見た目を無視しても怖い、と思った。あれがばらばらに動き出したら、こっちが気づかないうちに居場所を掴まれてしまう可能性が高い、と。
アインズは無意識にぶるりと身震いした。
(一体どれだけ放ったんだ……?)
恐怖公の能力と外見を思う。
無限に召喚され続ける斥候が街を覆いつくすさまを想像して、アインズはもっと恐ろしいことに気がついた。
(──ちょっと待て)
なんで恐怖公が動いたのか。
それはデミウルゴスが協力を要請したからにほかならないだろう。
と、いうことは……
(いや、まさかレイスのことまで話したりしてないよな?)
アインズを探したいからだと、ひとこと言えばそれで済むはずだ。
たとえ事情を聞かれたとしてもデミウルゴスがすべてを話したりするはずはない、と。つとめて理性的にそう考え、アインズはショックから立ち直った。
(と、とにかくどこか、ひとりになれる場所を──)
わずかに動揺を引きずりながら四方を見渡す。
視線のはるか先、稜線の谷間に白っぽい砂漠が垣間見えた。さすがに砂漠にゴキブリはいないだろうとそちらへ向かって飛びかける。
蜃気楼のゆらめきが視認できるほどに近づいて、アインズは立ち止まるように
人間で言えば肩にあたる枝の根元にちょこんと座っているマーレの姿が、実際に見えていなくとも見えるような気がした。
あのあたり一帯もマズい。
ぐるりと頭を巡らせたアインズの視界に、なだらかな丘陵。
(なら、あっちに──)
と焦る頭で考えかけて、慌てて思考を引き戻した。
今いる位置を考えれば、あっちはアベリオン丘陵じゃないかと。羊皮紙を生産するための牧場はデミウルゴスの管轄下。隠れる場所として絶対に却下だった。
(魔将たちはともかくとしても……)
心を折られるような想像が胸に迫ってくる。
まだ、恐怖公とマーレが出てきたらしいというだけだ。だが──守護者のみならず、ナザリック中のシモベが動いているんじゃないかという気がして仕方がない。
そしてシモベの誰しもが、レイスとして自分がやってきたことをも知っているのだとしたら? あり得ないと思いたかったが、確かめたいとも思えなかった。
(デミウルゴス……! お前あいつらに何を話した⁉)
沈静化の波はめまぐるし過ぎて、もはやアインズ自身にもそれが起きているといちいち認識できないほどだ。