”黒い貴族”

post by 2016年04月05日 火曜日 in 日記

フェニキア

こんな記事がありましたので掲載させていただきます。<金貸しは国家を相手に金を貸す>より

近代に至る金貸しの起源は、ベネツィアの黒い貴族にあり、さらに歴史をさかのぼると、B.C1300年頃に地中海に登場した「海の民」=フェニキア人にその起源があるようです。
西欧支配層は、フェニキア発→ヴェネツィアの黒い貴族(セム交易部族)と青い目のゲルマン王族が婚姻を通じて合体したもの。

黒い貴族の下にユダヤと海賊がいる。

黒い貴族はヴェルフ家→ドイツ貴族ヘッセン家と連なる。
ロスチャイルドは、ゲットー生まれのヘッセン家の下僕にすぎない。

ヴェネツィアは9世紀頃より浅瀬に阻まれ攻撃されにくいラグーンに建設され、ドブロクニクなどの海賊との交易で友好関係を築くことで制海権を獲得し、エーゲ海を経て、アラブ・イスラム文明と通商を行うに至った。
その過程でアラビア数字、手形、商業簿記などを取り入れて、暗黒の中世ヨーロッパで最初の商業文明を形作ってきた。
金融家たち、デル・バンコは、彼らの多くが地中海イスラム世界のユダヤ教徒を祖先としており、ロンバルディア人より多少色黒であったために、「黒い貴族」とも呼ばれた。
ジェノア、フィレンツェなど北イタリアに勢力を拡大し、ルネサンス運動のパトロンとなる。
15世紀イベリア半島の北端山岳地方(ガリシアなど)から、600年を経て「レコンキスタ」がイスラムを駆逐する。
彼らはゲルマン部族の後裔を名乗るキリスト教徒だが、言語はラテン系のスペイン語であった。
アラブ、ユダヤの知識と技術を活用して、新大陸を侵略する。この「侵略」が如何にもゲルマンの民族性らしいのだが、それはさておき、同時に厳しい異端狩りを開始する。

追い詰められたイスラムは北アフリカに逃げ、ユダヤ教徒は広範なネットワークにより北アフリカ、中東、ポルトガル領ブラジルそして、スペイン領となったネーデルラントに逃れた。

ネーデルラントのユダヤ人はこの交通の要路(港湾と河川)を活かして、西欧・北欧の商業覇者となる。
ユダヤ人はネーデルラントのスペインからの自立に重要な力を示したので、ここだけはユダヤ人追放のない国土となった。

17世紀。イギリスはクロムウェルの清教徒革命が成功し、イギリスはユダヤ人を受け入れることとなる。オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)がイギリス国王となり完成される。(現在ビルダーバーグ会議の主宰はこのオラニエ公の子孫である)次いで18世紀フランス大革命により、ユダヤ人は概ね西ヨーロッパの全域で商業活動とりわけ両替・金融業を保証されることとなる。

この間、デル・バンコの一族はネーデルラント、フランクフルト、イングランド、フランスのユダヤ金融業と血縁を結び、国家財施を預かる宮廷ユダヤ人となり、さらに西欧王族とも血縁を深めてゆく。
これが「黒い貴族」と「青い血」の合流である。

こうして、国際金融はロンドン(ロンバード街)、チューリッヒを中心に、オランダ、フランクフルト、そして隠れた本流はロンバルディアという配置が出来上がった。
この配置は今も健在なようである。
一方、ブラジルのユダヤ人はオランダが開発したニューアムステルダムに多くが移住し、後にニューヨークとなっても、成長する新大陸を牛耳ることとなる。
しかし、アメリカFRBの資本構成はヨーロッパ優位のようである。

18.19世紀。彼らの蓄えた資産は「金利」、「与信機能」と「無記名有価証券」により、産業資本に投資される。「金利」によって産業資本は「成長」を強制されることとなる。産業革命とその爆発的成長である。金融資本による産業への投資も一種の「搾取」である。

いわゆる「資本主義」は帝国主義へと向かい、アングロサクソン的武力とユダヤ的金融資本の合流はほぼ世界を征服するに至る。この過程で東欧系ユダヤ人(アシュケナージ)は多くの社会主義者を輩出し、ロシア革命を勝利する。結果的に国際金融資本の支援もあったが、国際金融資本がロシア革命を引き起こしたと考えるのは「贔屓の引き倒し」であろう。

これが、今に至る国際金融資本の大元達。金融の「世界支配層」の歴史である。

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