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帰国天皇一族の典型事例
過去に一度都はるみを検証したことがあったが、全く解明できずあきらめていた。
だが、「大奥」の伝統が判明した今、かなりの自信で解明に取り組んだ。結果は意外に早く表れた。
都はるみも例にもれず、天皇一族の海外帰国グループの一人だった。
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帰国天皇一族の典型事例
話は、ハプスブルグ家・オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートに始まる。皇后エリザベートはとにかく話題の多い人だ。
実は、このエリザベートの従弟(いとこの息子)に「狂王」と呼ばれるバイエルン王ルートヴィヒ2世がいた。
この二人の関係は複雑で、結局、ルートヴィヒ2世は、エリザベートの妹との婚約に応じず、独身のまま最後は「狂王」として廃位に追い込まれ、その翌日1886年6月13日医師とともに湖で水死体となって発見される。
この頃ハプスブルグ家の貴族たちは呪われたように不幸に襲われる。私は、これら一連の事件は、全て「日本の明治維新を引き立てる、さくら役のやらせ芝居」だったと考える。それで、その後の世界史は全て説明がつく。
このルートヴィヒ2世の母マリー・フォン・プロイセンこそ、都はるみの祖先の一人である可能性が高い。
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都はるみは、マリーの王太后就任100周年記念日にデビュー。
「大奥」の歴史は、実にややこしい。この女性王朝のトリックを見破らない限り、検証は行き詰まる。要するに、男女の関係が完全に逆転しているのだ。
1864年3月10日、バイエルン王マクシミリアン2世が死亡、長男のルートヴィヒ2世が国王に就任する。これは、バイエルン王国の不幸と希望が同時に起こったように見える。確かに、男性支配の観点で見るとそう見える。
だが、女性帝国の「大奥」の視点で見ると、マクシミリアン2世の王妃「マリー」が王妃から王太后に昇格した、決定的な「吉日」だったのだ。
この日、ただの王妃だったマリーは、王太后として、前国王の未亡人、現国王の実母という強大な権力をものにした。
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都はるみの誕生日は、フランス二月革命勃発100周年記念日。
当時のヨーロッパは、まだ国家の形成が確立されず、全体として政治・経済が流動的に動いていた。
フランス二月革命は欧州各国に飛び火、バイエルン国王のルートヴィヒ1世は退位し、長男マクシミリアン2世に譲位する。
結果として、王太子マリーは、王妃となる。この革命騒ぎは、「大奥」のマリーにとっては吉日だった。
だからこそ、この革命の勃発に都はるみの誕生日が語呂合わせされた。
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エリーザベト(オーストリア皇后) 画像
ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)
ハプスブルク家の栄光と暗雲 画像
バイエルン王妃マリー 画像
都はるみ『アンコ椿は恋の花』 画像
都はるみデビュー『困るのことョ』
都はるみ引退『紅白歌合戦』
エリザベス2世即位60年記念
午餐会(ごさんかい)
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