第152話 窮地の来客
村長がフローラの失踪に気づいて騒ぎだす少し前。
フローラは誰に気づかれることもなく村を抜け出し、一人で街道を歩いていた。その足取りは非常に遅く、おぼつかない。
元より体調は最悪だったが、久々に立ち上がって動きだしたせいなのか、具合は一気に悪化し始めていた。
「っ……う……」
身体中が痛くて、熱い。一歩進むごとに声にならない呻きが漏れて、そのまま倒れそうになる。村を出た辺りから、意識もはっきりとしない。
だが、フローラはそれでも歩みを止めなかった。敵国の人質になるわけにはいかないから。なれば国に多大な迷惑をかけることになるから。
人質になるくらいなら、人知れず死んだ方がいい……のだろう。でも、死にたくはない。死ぬのは怖い。ベルトラム王国へ戻りたい。戻らなければならない。
そうして、ぐるぐると色んな考えや感情が頭の中で循環し、フローラの身体を突き動かしている。
とはいえ、気力よりも先に肉体と体力が限界を迎えることになる。身体が動かない。いや、動いているのだろうか。それすらもわからない状態になると――、
「う……」
フローラは足の力が抜けて、街道上でドサリと倒れてしまった。
(……あ、れ?)
平衡感覚が麻痺しているからか、思考が鈍っているからか、視界が変わり、頬に地べたの固い感触を覚えると、自分が転んだことにようやく気づいた。
(起き、ないと……。お姉、様に会いたい)
フローラは立ち上がろうと考えたが、立ち上がることはできなかった。姉のクリスティーナに会いたいが、凄まじい倦怠感で意識が霞んでいく。
どうすればいいのか、もう何もわからなくなってしまった。
◇ ◇ ◇
その頃、リオはルシウスの足取りを追ってパラディア王国の王都を出発し、王国の西部――、フローラが滞在している村の近くまで迫っていた。
(早ければ今日にでも遭遇できるかもしれない)
リオは確実にルシウスに近づいていることを確信していた。王城での調査により入手した情報により、ルシウスは第一王子のデュラン=パラディアと騎士の一個分隊を引きつれて、五日前に西部のとある森へ狩りに向かったとの情報を入手している。
その移動手段は馬。具体的な狩場は明らかにしないまま出発したようだが、パラディア王国の面積は狭い。向かった方角と一日の移動距離さえわかっていれば、聞き込み調査で行き先を特定して追いつくことも可能だろうと考え、追跡を開始した。
街道沿いに空を飛び、移動先に該当しそうな都市や村で地道な聞き込み調査を行い、手当たり次第に候補を潰していく。既に昨日までの調査で移動ルートをかなり詳細に絞り、それらしい一団の足取りを掴んでいた。
ゆえに、おそらくはもう目と鼻の先までルシウスの背後に接近している。リオはそう考えて小さく深呼吸をすると、今新たに訪れた村の住民へと歩み寄る。
田畑で作業をしていた住民の男は、腰に帯剣しているリオの存在に気づくと、窺うような視線を向けるが――、
「少しよろしいでしょうか? ここ数日の間、この村に騎士の一団がいらっしゃいませんでしたか?」
リオは臆することなく、慣れた口調で問いかける。
「……いや、えっと、どちら様で?」
住民の男はやや警戒した様子で、リオの素性を尋ねた。
「私は城に仕える者でして。彼らの足取りを追っているのです」
と、リオは人当たりの良い笑顔を浮かべて、偽りの自己紹介をする。その効果は抜群だ。
「あ、ああ、なるほど。お城の方でしたか。確かにいらっしゃいましたよ。ドレスを着た少女を捜しているとかで、この村の近くにある森の周辺の村々を一つずつ調べているみたいです」
住民の男はリオに訊かれるまでもなく、ぺらぺらと事情を語りだした。城の人間に失礼があってはいけないと考えてのことだろう。
「……なるほど。そうでしたか。ご協力、感謝します」
リオは一瞬、目を見開くと、人当たりの良い笑みを浮かべ直して礼を言った。
(ドレスを着た少女? 狩りに向かったんじゃないのか?)
そんな疑問を抱いたが、目の前にいる村人に訊いたところで答えが出る質問ではない。あまりあれこれ尋ねれば却って不審がられる恐れもある。
「どうやら無事に追いつけそうです。急いでおりますので、これで」
リオは軽く頭を下げると、踵を返して村の外へと歩きだした。そのまま人気がない場所まで移動すると、空へと飛び発つ。
(この森の周りにある村か)
上空から俯瞰すると、結構広いことが窺える。森を囲うようにいくつもの村が点在しているようだ。とはいえ、空を飛んで調べていけば、小一時間もかからず一周できるだろう。
リオは早速、次の村に向けて飛び発った。
◇ ◇ ◇
そして、時は少しだけ進み――。
「捜せ、捜せ!」
村人達は総出で村中を駆け回り、失踪したフローラを捜していた。村の広場で村長がそわそわと村人達の報告を待っている。だが――、
「……駄目だ。やっぱり村の中にも農地にもいねえよ、親父」
と、ウィルや村に散っていた他の男達が息を切らして、報告に戻ってきた。
「となると、やはり外に出てしまったか……」
村長はそう呟いて、歯がゆそうに思案顔を覗かせる。
「どうしてそう思うんだ? 本当にフローラ様が自分から外に出て行ったのか? 相当具合が悪かったんだぞ?」
ウィルは切羽詰まった面持ちで尋ねた。
「……実は、書置きがあった。お世話になりました。ありがとうございます、とな」
村長はややバツが悪そうに顔を曇らせ、事実を口にする。本当は書置きと一緒にフローラが身に着けていたドレスと宝石類の一部が謝礼代わりに置いてあったのだが、その事実を口にすることはしなかった。
「何だと!? じゃあ、本当に出ていっちまったのかよ!? どうしてちゃんと見ていなかったんだ!?」
ウィルは訊きながら、村長に掴みかかる。
「そ、その可能性が高いというだけだ。外出できるような体調でなかったのだから、まさか外に出て行くとは思うまい。それに、肝心なのはどうして出ていったのかだ。無理を押して出ていったからには、何か理由があるはずだ。その心当たりはないのか?」
村長は上ずった声で弁明し、問い返す。
「そんなの知らねえよ! フローラ様が村から出て行ったっていうんなら、俺は街道を捜してくるぜ!」
ウィルはそう言って、早速行動を開始しようとするが――、
「落ち着け! 街道は村から南北と西に延びているんだぞ。どっちへ進んだかも確証はない。お前一人で捜す気か? どうして出ていったのかもわからんのに」
村長が慌ててウィルを呼び止める。
「それでも捜すしかねえだろうが!」
「少しは考えてから行動しろと言っているのだ! まだそう遠くへは行っていないはずだ」
などと、親子喧嘩を始めるウィルと村長。すると――、
「なあ、誰かが連れ出したという可能性はないのか?」
とある村人の男が言った。
「……それは村人の誰かが、ということか?」
「まあ、そういうことになる」
村長が水を向けると、意見を述べた男はぎこちなく頷く。あまり村人を疑いたくはないのだろう。
「……可能性は否定できんが、フローラ様の書置きがあったと言っただろう。そもそもどうして村人がフローラ様を村の外へ連れ出す必要がある? 誰かいなくなった者でもいるのか?」
「あー、そういう話は聞かないな」
意見を述べた男はかぶりを振って、頭を掻く。
「……とはいえ、何か手がかりを見逃している可能性もある。思い付きでも構わん。何か心当たりがある者がいれば、報告するように。フローラ様がいなくなったのはおそらく仕事が始まる前後の時間帯だ」
村長はそう言って、周囲に集まっている村人達を見回す。すると――、
「仕事が始まる前後の時間……。あっ、そういえば……!」
とある壮年男性が、ふと思い出したように口を開いた。
「なんだ?」
と、村長が壮年男性に水を向けると――、
「……ああ、いや、仕事が始まってみんなが農地へ出張っちまったくらいの時間帯に、ドンナーが農地から村へ戻っていったなと思って。何か異変はなかったのか?」
壮年男性はそう語って、近くで黙ってたたずんでいたドンナーを見やった。すると、ドンナーはビクリと身体を震わせる。また――、
「……ドンナーが?」
ウィルを始めとする若い男達が、訝しそうにドンナーを見やり始めた。
ドンナーは後ろめたそうに視線を泳がせると――、
「い、いや。俺は何も知らねえ。すぐに農地へ戻ったからな」
上ずった声でかぶりを振る。だが――、
「……おい、ドンナー。てめえ仕事に行くとか言って俺らと別れなかったか? それに、今朝は随分と息巻いていたくせに、今は随分と静かじゃねえか」
ウィルが疑わしそうに、ドンナーに語りかけた。
「べ、別に、そんなことはねえ。ちょっと農具の具合が悪かったから、替えに戻っただけだ」
ドンナーはどぎまぎと答えて、そっぽを向いてしまう。
「…………お前、まさかあのことをフローラ様に言ってねえだろうな? それでフローラ様が……」
「知らねえ! 俺は何も知らねえぞ!」
ウィルが訝しそうに問い詰めると、ドンナーは焦り顔でかぶりを振る。すると――、
「……どういうことだ、ウィル?」
傍からやりとりを眺めていた村長が、事情の説明を求めた。だが――、
「……ちっ、何でもねえよ。やっぱりこれ以上、呑気に話をしていても埒が明かねえ。フローラ様が街道へ行ったっていうんなら、俺はそっちを捜してくるぜ。親父が反対しようとな」
ウィルはバツが悪そうに言って、今度こそ踵を返そうとする。
「……別に捜索に反対しているわけではない。村の周りで死なれても困るからな。やむを得ん。手分けをして村から続く街道を調べるぞ。俺も行く」
村長は溜息をついてウィルを呼び止めると、自らも捜索に加わる意思を表明した。
◇ ◇ ◇
その後、村人達は総出で、村から伸びる街道の捜索を開始した。
村長、ウィル、ドンナーを含めた面々は南へ伸びる街道を進み、フローラの姿を捜す。そうして、村を出てからしばらくすると――、
「……おい! あそこに人が倒れていないか!? あ、おい、ドンナー!」
ウィルが人影らしき存在を発見して声を挙げると同時に、ドンナーが勢いよく駆け出した。ウィルも慌ててその後を追いかける。
「フローラ様!」
そこに倒れていたのは、やはりフローラだった。村人が着るような粗末な服の上から、外套代わりに上掛けの薄い布団を羽織って蹲っている。
「はぁ、はぁ……」
フローラの顔は赤く、額にはびっしょりと汗が
「フローラ様、大丈夫ですか!? 病気で動けないって、言ったじゃないですか!?」
まずはドンナーが駆けつけ、フローラに声をかける。すると――、
「っ、やっぱりテメエが……。どけ、ドンナー! フローラ様、意識はありますか!? 俺です、ウィルです!」
ウィルが割り込み、ドンナーを突き飛ばした。うつ伏せの状態から仰向けにしてやり、フローラに声をかける。
「あ、う……」
フローラはわずかに反応してみせた。だいぶ朦朧としているようだが、かろうじて意識はあるらしい。そこへ、さらに村長と他の村人達が遅れてやってきた。
「これは……」
村長は倒れたフローラを見下ろすと、あまりの状態の悪さに息を呑む。
「おい、親父! フローラ様、まだ意識があるみたいだ。村へ運ぶぞ」
ウィルは泡を食って村長に提案した。だが――、
「…………」
村長は黙って何も応えない。スッと目を細め、じっとフローラの首筋を凝視している。
「おい、親父! ちっ、おい、フローラ様を運ぶぞ、お前ら!」
ウィルは舌打ちをすると、周囲で息を呑んでいた男達に呼びかけた。男達はハッと我に返り、フローラに近づこうとする。すると――、
「待て、病気が移るかもしれん!」
村長が男達を呼び止めた。
「……そ、そんなことを言っている場合かよ!?」
ウィルは思わずカッと顔色を変えて怒鳴るが――、
「……その首筋の痣のような痕は何だ? そんな目立つ痕、最初に村へ来た時にあったか?」
村長は低く冷たい声で、フローラの首筋をスッと指差した。そこにはどす黒い痣のような痕がある。
「うっ……」
村人達はフローラの首筋にある痣に気づくと、顔を引きつらせて硬直した。
「こ、これは……!」
ウィルは思わず言葉に詰まる。
「ウィル。お前、知っていて黙っていたな?」
「違う! 今日にでも伝えようと思ったんだ! 最初は古傷かと思ったけど、痣の痕が大きくなっているから、おかしいなと思って!」
村長が責めるような視線を向けると、ウィルは泡を食って弁明した。
「高熱に全身の関節や筋肉の痛み。これだけならただの風邪とも言えるが、黒い痣があるとなれば話は別だ。思いつく症例にいくつか心当たりがある」
そう言って、村長が思案顔を浮かべると――、
「し、知っているのか!? フローラ様がかかっている病気のこと!?」
ウィルが救いを求めるように訊いた。
「……そのうちの一つに、不治の流行り病として大量の死者を出したものがあると聞いたことがある。俺も行商人から伝え聞いたことがあるだけだから、詳しいことは知らんがな」
「なっ……」
村長が微妙に間を置いて答えると、ウィルと村人達は顔を引きつらせて言葉を失う。
(森の中に類似の症例を引き起こす毒蜘蛛がいたはずだが、あの蜘蛛は夜行性だ。村にまで姿を現すことはまずないが……、仮に毒蜘蛛の仕業だとしても、解毒剤もない。他の知らない病気の可能性もある。どっちにしろ、これではもう助かるまい。うちの村で貴族を死なせるわけにはいかんし、感染症にかかった疑いがある人間をまた村へ持ち帰るわけにもいかん)
と、村長は村の立場を第一に考えると――、
「……帰るぞ」
周囲に村人に、村への帰還を促した。
「なっ、フ、フローラ様はどうするんだよ!?」
「……村に致死性の感染症にかかった疑いのある人間を連れていくわけにはいくまい。ここへ置いていけ……、と言いたいところだが、村の近くの街道に放置するわけにもいかんか。森の入り口まで運ぶぞ」
動転するウィルに、村長は冷徹に判断を下す。
「お、おい!」
ウィルは気がつけば村長に掴みかかっていた。だが――、
「ウィル! 理解しろ! これが村のためなのだ。お前はこの貴族様のために、最悪、うちの村人が死んでも構わないというのか?」
「っ……」
村長に強く一喝されると、ウィルは押し黙ってしまう。
「……お前達、早く済ませるぞ。ドンナー、お前が一番力があるのだ。運べ」
と、村長は近くで呆然と佇んでいたドンナーに水を向けるが――、
「お、俺、嫌だ。運びたくない」
ドンナーは臆したようにかぶりを振った。
「ちっ、
村長は面倒くさそうに舌打ちすると、他の男達に命令する。
村の男達はおっかなびっくりとフローラを抱きかかえると、病気を恐れているのか、汚いものを扱うように、街道の外れにある森の入り口まで運んだ。
「……可哀想に。こんなにめんこい女の子が……」
とある村人の青年が、苦しむフローラの顔を見て、ごくりと唾を飲むが――、
「止めろ、止めろ。病気にかかってんだ。ここでいいだろ。早く済ませちまおうぜ」
他の青年が怯えた様子で処理を促した。ややあって、男達はフローラの身体を乱雑に森の入り口に向けて放り投げる。
「うっ……」
フローラの小さな悲鳴が口から漏れたが、早く立ち去りたがっていた村人達の耳に届くことはなかった。
(誰か、たす、けて……)
◇ ◇ ◇
それから、村人達はすぐに村へと向かう。道中、村長がフローラのことは忘れろ、最初からあんな貴族は村に来ていなかったことにすると、念を押して注意を行う。村人達の顔色は終始、後ろ暗そうだった。
そうして、村人達が村の農地にまで戻ってくると、とある村人と一緒に、パラディア王国の騎士服を着て、馬に乗った第一王子デュランの一行が待ち構えていて――、
「あ、あの男が村長です!」
騎士達と一緒にいた村人が、怯えた様子で村長を指差した。すると、騎士達の中から壮年の男性、ルシウスが抜け出してきて――、
「ようよう、あんたが村長か。村が騒がしいところに押しかけてすまんな。先に出会った村人に色々と尋ねたんだが、どうも怖がられていてな。話にならなくて困っていたところだ」
と、妙に親しげに声をかけてきた。
「……こ、これは騎士様。うちの村人が失礼いたしました。こんな辺境の村にどのような御用でしょうか? お話でしたら我が家へご案内いたしましょう」
村長はごくりと唾を飲むと、焦り顔を浮かべてルシウスに対しへりくだる。ルシウスはそんな村長や村人達を馬上から見下ろし、人を食ったような嘲笑を浮かべると――、
「ああ、実は人を捜していてな。ドレスを着た少女がこの村に来なかったか? 名前はフローラ。いや、もしかすると偽名を使っている可能性もあるんだが……」
と、村を訪れた用向きを明らかにした。