第151話 急転
ルシウスが蓮司と戦っていたその頃、フローラの容態は悪化の一途をたどっていた。
(……どうしよう)
と、慢性的な頭痛に蝕まれた脳で、フローラはぼんやりと考える。
日増しに体調が悪くなっているのが、自分でもよくわかっていた。しかも、日を追うごとに体調が悪くなるペースが明らかに速まっている。焦燥せずにはいられなかった。
そんな中――、
「フローラ様、食事をお持ちしましたよ」
扉越しに村長の息子であるウィルの声が聞こえた。だが、ぼうっとしているせいか、フローラがすぐに気づくことはない。
「……フローラ様? 寝ています?」
すぐには返事がなかったため、ウィルが少し強めにノックして、改めて呼びかけると――、
「……っ、は、はい」
フローラはハッとして返事をした。すると、扉がガチャリと開く。
「あ、起きていたんですね」
ウィルは明るい顔つきで姿を現した。
「すみません。少しぼーっとしていました」
「やっぱりまだ熱が下がりませんか……」
フローラが申し訳なさそうに謝罪すると、ウィルも表情を曇らせる。昨日、父親と口論して、あと数日は様子を見るという話になったばかりだというのに、熱がいっこうに下がる気配がないというのはだいぶ好ましくない。
(……親父との話、フローラ様に伝えるべきか? あと数日で体調が回復しないようなら、ここを治める貴族様を頼るって)
伝えればおそらくフローラは難色を示すだろう。それくらいの予想はウィルにもつく。だが、伝えなければフローラを騙すことにもなりかねない。
なので、どちらに転んでもフローラに納得してもらうことは難しいように思えた。どうするべきか、ウィルが逡巡していると――、
「……どうかしましたか?」
フローラがおずおずと尋ねる。少しでも体を動かすと身体が痛むのか、首を傾げるだけでもその動きはぎこちない。
「あ、ああ、いえ。……たくさん食べて、早く治してくださいね」
ウィルは本当のことを言いだすことができず、どこか後ろめたそうにかぶりを振った。しかし、食事が乗ったトレイを、ベッド脇の机に置こうとすると――、
(昨日、首筋にあった痣。……昨日より大きくなっていないか? いや、痣なのか、これ?)
フローラの首筋に黒い痕を発見して硬直する。昨日は正面から見ただけでは髪に隠れて痕が見えなかったが、今日は髪で隠し切れないくらいに痕が首の前方にも広がっているのがわかった。
「……あ、あの」
ウィルにじっと首筋を見つめられ、フローラはどこか気恥ずかしそうに胸元を隠す。まさかドレスを着て眠るわけにもいかず、今は少しサイズが大きい借り物のシャツを着ているので、上から覗き込まれると胸元の隙間が危ういのだ。
「あ、いえ、その、違うんです! そうじゃなくて!」
ウィルはフローラの仕草が意図する意味を理解すると、顔を赤くして身振り手振りで否定した。凝視していた箇所は首筋だが、フローラからすればそんなことはわからない。それにウィルとしても最後の方は胸元に視線が向いていなかったとも言い切れない。
「は、はい。わかっていますので」
フローラは胸元を隠して、首の痕は隠さないまま、頬を紅潮させて頷いた。その仕草は彼女が首の痕を自覚していないことを示唆するようにも思えて――、
(気づいていない、のか? 病気……なのか?)
と、ウィルはふとそんなことを思った。だが、今は気まずすぎて、これ以上ここにいることは憚られる。なので――、
「は、はは。とりあえず、食事はここに置いておきますので。それじゃ!」
ウィルはそう言い残して、逃げるように退室した。
扉が閉まると、ホッと安堵の息をつくフローラ。正直、気まずかったというのもあるが、昨日ほどウィルの相手をしていられる体力的な余裕がないのだ。その一方で――、
(……病気だったら、不味いかもしれない)
ウィルは部屋の外で、小難しい顔を浮かべていた。基本的には能天気なウィルだが、明らかに何らかの症状を示唆するあの痕を見た後では、流石に不安がよぎったようだ。感染型の病気なら、最悪、村中に蔓延する危険もある。
(…………親父に報告するべきか? どうする? いや、しなきゃいけないんだよな。いけないんだけど……)
フローラの顔が脳裏によぎると、何故か悩んでしまう。そんなウィルが決断を下すのは、翌日のことである。
◇ ◇ ◇
そして、翌日の早朝。
村の農地にはこれから仕事を行おうと村人達が姿を見せており、その中にはウィルやドンナーを始めとする働き盛りの若い男達の姿もあった。
(……やっぱり親父に言うしかないか。フローラ様の調子だってずっと悪いままだし、貴族様に助けを求めるしかない、んだよな)
ウィルはフローラの容態で一晩中頭を悩ませ、ようやく考えをまとめていた。すると――、
「おい、ウィル。朝から随分と上の空じゃねえか。またフローラ様のことを考えているのか? いつも自分だけ良い思いをしやがってよ」
同年代の男達がぞろぞろと集まってきて、ウィルに話しかける。
「お前ら、人の苦労も知らないで。……いや、あー、実はな。フローラ様の体調があまり良くなくてよ」
ウィルは呆れ顔を浮かべて溜息を吐きかけたが、悩み疲れて弱気になっているのか、男達に相談を持ちかけた。
「何!?」
男達は揃って顔色を変える。そして――、
「どういうことだ!?」
「そんな具合が悪かったのか?」
「詳しく教えろよ」
などと、ウィルに詰め寄った。特にドンナーなどは血相を変えてウィルに掴みかかって肩を揺らしている。
「お、落ち着け! お前ら、ちゃんと説明するから! 特にドンナー、てめえは馬鹿力なんだから少しは加減しやがれ!」
ウィルが大声を出すと、男達の気勢が弱まった。そうして全員が落ち着いたタイミングで、ウィルは自分が抱えていた悩みを詳しく男達に説明する。男達は黙ってウィルの話に耳を傾けだした。
「それで悩んでいたんだ。親父に報告するかどうか。フローラ様はあまり領主様を頼りたくないみたいだからよ」
一通りの事情を説明し終えると、ウィルは小さく溜息をつく。すると――、
「あー、そもそもよ。どうしてフローラ様は領主様を頼りたくねえんだ?」
とある青年が不意に質問する。
「わかんねえ。藪蛇になりかねないから、あまり余計なことは詮索するなって親父に言われたんでな」
ウィルはまたしても嘆息してかぶりを振った。
「なるほどなぁ……」
男達は揃って思案顔を浮かべる。ややあって――、
「お貴族様の考えなんて俺らにはわからねえけどよ。もしかしたら悪い貴族に狙われているんじゃねえか? うちの領主様がそうかはわかんねえけどよ」
他の青年がそんなことを言った。
「……あー、やっぱりお前もそう思うか?」
ウィルは苦笑いを浮かべて同意を求める。お約束といえばお約束だが、だからこそ彼らでも思いつく展開なのかもしれない。
「だったら領主様を頼らねえ方がいいんじゃねえか」
ドンナーがぼそりと呟く。
「いや、そうと決まったわけじゃねえだろ。フローラ様には今更だと訊きにくいし、それにこのまま村にいても回復しそうにねえし、流行り病だったら不味いし……」
と、ウィルは頭を掻きながら、領主を頼らざるをえないような事情ばかりを挙げる。
「ふん、要するにびびってんのか。てめえ一人で責任を取れなくなったから、急に態度を変えやがって」
「はあ? びびってねえよ」
ドンナーが鼻で笑うと、ウィルは眉をひそめて言い返した。
「ならフローラ様に言えばいいじゃねえか。あと数日、体調が回復しないようなら領主様を頼るってよ。そのうえで何か困り事があるのか訊けばいい」
「妙な詮索はするなって話だろうが。それを訊けたら苦労はしねえよ。話がこじれたらどうする!?」
ウィルは半ば怒鳴るように反論する。だが、ドンナーも負けてはいない。
「だからびびっているって言ってんだ。今まで俺らを蚊帳の外に置いておいてよ」
ドンナーは歯に衣着せずに嫌みを言うと、留飲を下げたように嘲笑した。
「……てめえ、喧嘩売ってんのか?」
ウィルの顔はあからさまに怒りで引きつる。周囲の男達は二人の口論に何を思っているのか、黙って話に耳を傾けていた。
「ふん、最初に俺らを突き放したのはお前だろ」
「それはお前らが押しかけたら迷惑になるからだろうが」
「都合の良い時だけ自分を特別扱いすんなって言ってんだ」
ドンナーはそう言って、ジロリとウィルを睨む。
「てめえ……、フローラ様のことに関しちゃ妙に饒舌じゃねえか。じゃあ、お前ならフローラ様を守ってやれるのかよ?」
ウィルは相当頭に来たのか、
「ふん、臆病で行動に移せないお前よりはできる」
「てめえ!」
ドンナーが冷ややかに答えると、ウィルがドンナーに殴りかかろうとする。すると――、
「おい、止めろ、止めろ!」
流石に周りの男達がウィルを止めにかかった。
「放せよ、お前ら!」
ウィルは制止を振り切ると、ドンナーに接近したが――、
「ぐっ」
どんと、思いきり突き飛ばされてしまった。体格で圧倒的に勝るドンナーに真っ向から力勝負で挑んでも、ウィルに勝ち目はない。
「ふん、口先だけで非力なお前が俺に勝てるわけがないだろ。フローラ様を守ることだってできねえ。そもそも最初にフローラ様を案内したのも俺だ」
ドンナーはそう言って、勝ち誇ったようにウィルを見下ろした。
「っ、じゃあ、お前がやってみろや! どうせお前も何もできやしねえんだ! 今のフローラ様の状態を知らないからそんなことが言えるだけなんだからな! 領主様を頼る以外にもう方法はねえんだよ!」
たとえそれがフローラの意向に
「…………ふん」
ドンナーはムッと顔をしかめ、ウィルを睨み返した。その顔つきは剣呑で、何を考えているのかは窺えしれないが、ウィルのことを好ましく思っていないことは確かだ。そうして、しばらくすると、ドンナーは不意に踵を返して、歩きだした。
「あ、おい。どこに行くんだよ、ドンナー!」
村の男が咄嗟に問いかけると――、
「……もう仕事が始まるぞ」
ドンナーはわずかに後ろを見返し、ぼそりと答え、そのまま立ち去ってしまう。ウィルを含めた他の男達は、そんなドンナーの背中をきまりが悪そうに見つめていた。
◇ ◇ ◇
それから、ドンナーはウィル達を背にして、あたかも仕事に向かったかのように装うと、農地から村の中心部へ向かって真っすぐと歩き始める。
途中、村人の壮年男性とすれ違うと――、
「あれ、ドンナーじゃないか。どうしたんだ?」
と、声をかけられた。ドンナーの家は村の中心部にはなく、村の外れに位置している。これから仕事が始まるというのに、村の中心部に向かう理由が思い当たらなかったのだろう。
「……ちょっと農具の調子が悪いんだ」
ドンナーはどこか後ろめたそうに視線を逸らし、手にしていた
「はーん。そうか。早く戻れよ」
壮年の男性は特に気にした様子もなく呼びかける。微妙に言葉足らずだし、愛想も感じられなかったが、ドンナーは村人からそういう人物だと認識されているので、特に不思議には思わなかったようだ。
「ああ……」
ドンナーは小さく息をついて頷くと、そのまま移動を再開する。すると――、
「そうだ、ドンナー!」
壮年の男性がふと思い出したようにドンナーを呼び止めた。
「……なんだ?」
ドンナーがビクリと身体を震わせて振り返ると――、
「若い女達が怖がるから、気をつけろよ」
壮年の男性はおかしそうに笑って語った。
「…………」
ドンナーは顔をしかめて舌打ちすると、そのまま黙って歩きだす。壮年の男性は笑いながら農地へと歩きだした。
(どいつもこいつも馬鹿にしやがって)
と、ドンナーは腹立たしそうに、力強く地面を踏んで歩を進める。村の中では誰もがドンナーのことを見下している。女達は不気味がって近寄らないくせに、裏では陰口をたたいている。そんな被害妄想がとめどなく溢れ出てきて止まらない。だが――、
(見てろ。俺だって……。俺が助ける。もうウィルの野郎には任せてられねえ。やってやるよ、ウィル)
見返してやる。いや、見返してやりたい。ウィルばかり特別なのは許せない。ただの調子がいい軽い男だというのに、村長の息子というだけで、村の女達からもちやほやされている。後からしゃしゃり出てきたくせに、自分だけフローラと親しくなっている。最初にフローラに話しかけられたのは自分なのに――。
と、そんなことをあれこれ考えている間に、ドンナーは村長宅にたどり着いた。すわった目つきで村長宅を見据えると――、
(今は朝の見回りに行っているはずだ。不審に思われる前に、俺も早く戻らねえと)
こっそりと、村長宅に近づいた。村長自身にも、その家族にも、それぞれ村の仕事が割り振られている。役職がら村長だけは日中でも自宅に滞在していることもあるが、外で仕事をしている時間も多い。特に午前中は外出することが多いと、ドンナーは知っていた。
とはいえ、今はフローラが滞在しているから、一人は常に留守番を残しているかもしれないと、玄関の戸をそっと開けて家の中の様子を窺う。
(よし、居間に人はいねえな。入るか)
居間に人がいないことを確認すると、ドンナーは素早く家の中に入った。家の中はしんと静まり返っている。
(確か二階に客室があったはずだ)
村長宅には何度も訪れたことがあるので、家の構造は把握している。ドンナーは勝手知ったる足取りで二階へ上がった。
そして、いくつかある客室の中で、唯一、扉が閉じられていた部屋の前に立つと、トントンと、扉をノックする。声を聞き漏らさないよう、耳を研ぎ澄ませると――、
「……はい。村長様、ですか?」
ややあって、少し苦しそうな少女の声が聞こえてきた。フローラだ。
ドンナーはガチャリと扉を開ける。すると――、
「……え?」
フローラは熱っぽい顔つきで、ビクリと身体を震わせた。
(おお……)
ドンナーは感極まって息を呑む。村の女達とは違う目で自分を見てくれた、可愛らしいフローラのことがずっと忘れられなかった。その彼女が今目の前にいるのだ。最初に会った時よりも少しやつれてみえたが、そんなことは気にならないくらい美しかった。村の女達とは全然違う。
「えっと、貴方は確か……ドンナーさん、ですか?」
フローラはドンナーのことを覚えていたのか、恐る恐るその名を呼ぶ。
「お、俺のことを覚えているんですか?」
ドンナーは嬉しさのあまり、グイっと前のめりになる。
「……は、はい。最初に案内してくださった方、ですよね? 何のご用でしょうか?」
そう尋ねるフローラの顔色は優れない。本当は今すぐにでも横になりたいぐらいに具合が悪かった。だが、まがりなりにも王女である彼女の育ちがなんとか踏み留まらせている。
「み、見舞いに来ました」
ドンナーは上ずった声で答えた。
「お見舞い……そうなのですね。ありがとうございます」
フローラはどこか嬉しそうに礼を言う。だが――、
「あ、いや、その、あと、実は話が」
ドンナーは見舞い以外にも用件があると打ち明ける。
「お話、ですか? ……なんでしょう?」
フローラは悩ましそうに尋ねた。頭がぼーっとしてあまり会話をする余裕はないのだが、人がいいせいか邪険にはできない。
「……フローラ様、このままだと領主様のところへ連れていかれます」
「え?」
ドンナーが意を決して話を切りだすと、フローラは面食らって硬直する。
「村長とウィルがそういう話をしているんです。でも、フローラ様はあまり領主様を頼りたくなさそうだから、何か事情があるんじゃないかって疑っていて」
「う……。そ、そういうわけでは、ないのですが……。その、疑っていらっしゃるのですか?」
フローラは顔色を悪くして、言葉に詰まると、おずおずと質問した。ただでさえ生来の人の良さもあって嘘をつくことに抵抗感があるというのに、今は病気で頭も回らない。口から出まかせで言い訳を口にすることはできなかった。
「……詳しいことは知らねえですが、普通なら領主様を頼るはずだって。村長は早ければ明日にでも領主様のところに使いを出すみたいです。そうなったら領主様が来るかもしれません。……どうします?」
ドンナーはそう言って、じっとフローラの顔色を窺う。
「ど、どうしましょう、か。体調が良くなれば、すぐにでも出ていくのですが……」
フローラは明らかに狼狽していた。すると――、
「で、出ていくって、どこへ行くんです!?」
ドンナーが泡を食って質問する。
「え? あの、祖国へです。周囲や家臣に迷惑をかけているでしょうから……」
フローラは鼻息の荒いドンナーに目を丸くして答えた。
「そ、祖国……。で、でも具合が悪くて、今は旅なんてできないんですよね?」
「……はい」
「で、領主様のところにも行きたくない?」
ドンナーはフローラが聞かれたくないであろうことをぐいぐいと尋ねる。とはいえ、支援国の敵国に所属する貴族に身柄を押さえられるリスクが迫っていると知ってしまった現状では、フローラとしても村長たちの動向に探りを入れておきたい。
「はい……。その、行きたくないというか、政治的な理由で、もしかしたらだいぶ迷惑をかけてしまうかもしれないので」
フローラは弱々しく首肯した。すると――、
「だ、だったら、病気が良くなるまで俺の家に匿いましょうか? 見つかったら不味いんで、物置になるかもしれないですけど」
ドンナーがそんな提案をする。
「え? いや、あの、でも……」
フローラは突然の提案に呆気に取られ、目をみはる。いったい何が狙いのなのか、どうしてドンナーがそんな提案をするのか、想像がつかなかった。
「どうです?」
ドンナーは妙案だろうと言わんばかりに回答を迫る。
「ですが、ドンナーさんにご迷惑をおかけしてしまうので……」
フローラは悩ましそうにかぶりを振った。果たして上手くいくのか、上手くいっても迷惑をかけるのではないか、そんな懸念を抱いたのだ。だが――、
「迷惑じゃねえです!」
と、ドンナーは力強く訴えた。
「あ、あの、家の方が来てしまいますよ?」
「あっ、いや、今は誰もいないはずですから。ですが、早くしないと村長が帰ってきちまいます。そうなったらもう抜け出すチャンスはないかもしれないですよ? なんで、行くなら早いうちに」
「……駄目です。私は病気で動けませんから」
フローラは申し訳なさそうにかぶりを振る。
「い、いいんですか? 領主様のところへ連れていかれても?」
ドンナーは歯がゆそうに問いかけた。
「……はい。やむを得ません」
フローラは静かに頷く。すると、ドンナーは焦燥した面持ちを浮かべて――、
「
フローラに迫り、袖の上から腕を掴んだ。フローラは痛みで顔を歪ませ、ドンナーの突然の行動に疑問の眼差しを向ける。
「…………」
ドンナーは思いつめた顔でフローラを見下ろしていた。すると――、
「あ、あの……放してください。痛いですから」
フローラはどこか怯えを孕んだ眼差しでドンナーに呼びかける。
「あっ、いや、その……行きましょう!」
ドンナーは慌てて手を放すが、なおもフローラに行こうと語りかけた。だが――、
「…………ごめんなさい。行けません」
フローラは申し訳なさそうに、どこか突き放すように、ゆっくりとかぶりを振る。
「そんな……」
ドンナーはまるでこの世の終わりのような顔になり、しばしその場に立ち尽くした。
「……情報を教えてくれたことには感謝しています。ですが、どうかもうお帰りください」
と、フローラは気まずそうにドンナーに語りかける。
「っ……でも、俺は!」
ドンナーはびくりと身体を震わせると、とっさに食い下がろうとした。しかし――、
「……ごめんなさい。気分が優れないんです。本当にお帰りいただけないでしょうか?」
フローラは辛そうに顔を歪め、ドンナーに語りかける。
ドンナーは小さく身体を震わせていたが、フローラの意思が固いと感じ取ったのか、駆け出すように踵を返して、そのまま部屋から出ていってしまった。部屋の中に再び静寂が戻る。
「……ごめんなさい、ドンナーさん。でも、ありがとうございました。どうして貴方がこのことを私に教えてくれたのかはわからないけれど……」
フローラはいなくなったドンナーに対し、申し訳なさそうに謝罪と感謝の言葉を告げた。ややあって――、
「
布団をめくり、ベッドから降りようと試みる。だが、ひどい筋肉痛や関節痛に似た痛みが身体に走り、辛そうに顔を歪めた。
(何とか、何とかしないと……。何か方法は……)
フローラは平時の半分も回転していない思考回路で、どうするべきかを考えていた。
◇ ◇ ◇
そして、小一時間も経過した頃。
村の農地ではウィルやドンナー達が黙々と農作業に取り組んでいた。
終始不機嫌そうなウィルに対し、ドンナーはすっかり気が抜けた様子で、漫然と肉体を動かしている。他の男達は二人の間に漂う何とも微妙な温度差と空気を感じ取り、窺うような視線を向けていた。すると――、
「あん、村長じゃねえか。随分と慌てているみたいだが……」
とある青年が血相を変えて近づいていてくる村長を発見する。
「おい、ウィル!」
村長は息を切らして駆けつけるなり、ウィルの名を呼んだ。
「何だよ、親父。そんなに焦って」
ウィルは怪訝な面持ちで問いかける。すると――、
「……フローラ様がいなくなった。お前、どこにいるか知っているか?」
村長はすっかり青ざめた顔で、そんなことを言った。