第148話 フローラの受難 その3
正午の昼休み。フローラが訪れている村の一角に、若い男達が集まっていた。その中にはフローラを案内したドンナーの姿もある。
「おい、本当か!? 村長の家にすげえめんこい子が来ているって!」
駆け足で新たに現れた男数名が、既に集まっている男達に血相を変えて語りかける。
「ああ、本当だ。ドンナーが家に案内したそうだ。貴族様らしいぜ。すげえめんこかった」
既に集まっていた男達を代表し、一人の若者が得意気に答えた。
「おおお、マジかよ! ドンナーもたまにはいい仕事するじゃねえか」
「まったくだ。あのドンナーが」
「しかしよく女と喋れたな。しかもめんこい子と」
などと、男達はいい歳をして子供っぽく盛り上がる。とはいえ、少しばかり馬鹿にされているドンナーはあまりいい顔をしていない。
「いいなあ、俺らも貴族の姫様を見に行きてえよ。村の女共とは比べ物にならないくらい可愛いんだろうなあ」
「当たり前だろ。俺らとは食ってるものも育ちもちげえって」
「実際やばかったぜ。同じ生き物とは思えないくらい顔の作りが整っていた」
「あー、ならよ。今から行ってみるか!?」
フローラを見に行ってみようかと、男達はその場の勢いで盛り上がった。だが――、
「止めとけ、止めとけ。さっき見に行ったら親父にどやされたからな」
先ほど得意気に答えた二十歳くらいの若者が、ひょいと肩をすくめてかぶりを振る。
「はあ? くそっ、見に行くなら俺らも呼べよな、ウィル」
と、フローラの容姿を覗き見できなかった男達は、不満そうに顔を曇らせた。
「まあそう言うなよ。また会う機会はあるはずだって」
ウィルと呼ばれた若者は軽い調子で男達を宥める。だが――、
「お前は家に帰れば会えるからだろ、ウィル」
「そうだ。俺らはこの機会を逃したら二度と貴族の姫様と会えねえかもしれねえんだ」
「ああ、くそ。俺も貴族の姫様とお近づきになりてえよ」
「いっそのこと夜這いでも仕掛けてみるか?」
「馬鹿! 貴族様だろ、手荒なことはできねえよ」
などと、村の男達は冗談半分に、口々に不満を並べていた。
「ははは、お前ら……」
ウィルと呼ばれた青年は呆れたように微苦笑する。
「あー、くそっ、ウィルは家に帰ったらあの貴族様と同じ席で飯を食えるのかよ」
「貴族様と良い仲になったりしてな」
「少し世間知らずな雰囲気があったからなあ。困っているところを助けたら案外俺らにもチャンスがあるかもしれないぜ」
「ウィル、抜け駆けはなしだ。後でちゃんと俺らに紹介しろよ」
村の男達はそう言って、ウィルに向かってぐいぐいと迫った。
「お、おう。わかった、わかった。なるべくお近づきになれるように頑張ってみるよ。……って、どうしたんだよ、ドンナー。そんなジッと睨みやがって」
引き気味に頷いたウィルだったが、ドンナーからじろりと見つめられていることに気づくと、訝しそうに眉を顰める。
「……別に。なんでもねえ。仕事に戻る」
ドンナーはそう答えると、鍬を握って一人で農地へ続く道を戻り始めた。「最初にあの子を助けたのは俺だ……」と、面白くなさそうに呟きながら。
◇ ◇ ◇
そして、夕方近く、フローラは村長に貸してもらった寝室のベッドでぼんやりと目を覚ました。
「んう……」
薄らと目を開けると、薄暗くて見慣れぬ木製の天井が視界に入る。
(そうか。私、村に迷い込んで、寝床を用意してもらって……、なんかぼーっとする?)
おぼろな思考回路でなんとか現状を認識すると、フローラは妙な息苦しさを覚えた。なんだか妙に熱っぽい。それでもとりあえずは起床を試みると――、
「痛たた……」
筋肉痛に似た痛みが身体の節々に走った。筋肉が強張っているのがよくわかる。
(風邪……なのかな?)
フローラは以前に風邪を引いた際の症状と類似しているとあたりをつけた。それでも億劫な身体に鞭を打って立ち上がると、のろのろとした足取りで部屋から出る。
今フローラがいる場所は建物の二階だ。貸し与えられた寝室を出ると、すぐ目の前に一階へと続く階段がある。壁を支えにゆっくりと階下へ向かうと――、
「親父、貴族の姫様はまだ起きないのか?」
「俺が知るか。朝からずっと眠っている。だいぶお疲れだったみたいだからな」
「ちゃんと俺のことを姫様に紹介してくれよな。出来の良い息子だってよ」
「馬鹿野郎。お前なんか相手にされるもんか。くれぐれも粗相をするなよ。貴族様の機嫌を損ねれば最悪、村が滅びかねんからな」
などと、村長と息子のウィルが会話をしていた。
「あ、あの……」
フローラは所在なさげに声を出し、自らの存在をアピールする。すると、村長親子はハッと顔色を変えて佇まいを改めた。
「こ、これは貴族様! お見苦しいところを、大変失礼いたしました」
「俺はウィルといいます、貴族の姫様!」
村長とウィルはそれぞれ思い思いに語って頭を下げる。
「あ、はい。えっと、その……、そこまで畏まらずとも。フローラといいます」
フローラは二人の過敏な反応に面食らうと、ウィルに対して律儀に名乗った。
「フローラ様、なんと清楚で素敵なお名前だ……」
と、ウィルは感極まって目を瞑る。
「それにしても貴族様、なにやら朝より顔色が悪いようですが……」
村長は息子に呆れの視線を向けると、息子が粗相のボーダーラインを越えぬうちに話題を逸らした。
「はい。どうやら風邪をひいてしまったようで……」
フローラは自らの体調が芳しくないことを素直に告げる。
「なるほど、それは困りましたな……」
と、思案顔を浮かべる村長。その一方で――、
「なら体調が戻るまで家に泊まればいいですよ」
ウィルは気さくにそんな提案をした。
「お、おい、ウィル」
厄介事の種を抱えると思ったのか、村長は慌てて難色を示す。だが――、
「いいだろ、親父。確かに食い扶持は増えるが、どうせ部屋は余っているんだ。困っているフローラ様を放ってはおけないだろ」
と、ウィルは毅然と主張する。
「あの、すみません。お礼なら必ずしますので、体調が回復するまで泊めていただけないでしょうか?」
フローラも深くお辞儀をして、この家に泊めてもらえるよう頼んだ。貴族に真っ向からお願いされれば、流石の村長も首を横に振ることはできない。
「……承知しました。あいにくと村の生活は貧しく、大したおもてなしはできませんが、我が家でよろしければ滞在してください」
村長は小さな溜息混じりにフローラ滞在を許可した。すると、ウィルが「よし!」とガッツポーズを取る。
「あ、ありがとうございます。ウィル様も」
フローラはほっと安堵の息をついて、礼を言った。
「や、やだな。ウィル様だなんて……」
ウィルが照れくさそうに頭を掻く。
「家内に病人食を用意させましょう。部屋に運ばせますので、戻ってお休みください」
村長は小さく嘆息すると、部屋に戻って安静にするようフローラに言った。
「はい」
フローラは素直に頷き、部屋へと引き下がる。結局、その後も体調は優れないままだったが、その日の晩は特に何事もなく過ぎた。
◇ ◇ ◇
そして、翌日の正午。ウィルは昼休みの時間を利用して村の若い男達とにぎやかに会話を繰り広げていた。話題はもちろんフローラのことである。
「それで、どうだったんだ、ウィル? 貴族の姫様とはよ」
男達が身を乗り出してウィルに尋ねる。
「あー、フローラ様のことか」
と、ウィルはどこか嬉しそうにフローラの名を口にした。
「フローラ様ぁ? てめえ、名前を教えてもらったのかよ!?」
「そりゃ同じ家にいて会話をしたんだから、名前くらい訊くだろ、普通?」
血相を変えて詰め寄る男達に、ウィルが微苦笑して返す。
「くそっ、自分だけ良い思いしやがって」
「そうだ、そうだ」
などと、男達が悔しそうにしている中――、
「フローラ様はどうなったんだ? いつまで村にいる?」
ドンナーがぼそりと尋ねた。
「ん? ああ、なんか風邪を引いたみたいでよ。少なくとも回復するまでは家に滞在することになったんだ」
ウィルは少し得意気にフローラの現状を語ってみせる。
「なに、病気なのか!?」
「育ちが良い人はお身体も弱いんだろうなあ」
「大丈夫なのか!?」
男達はハッとして、フローラの身を案じた。
「大丈夫、大丈夫。ただの風邪だって」
ウィルは軽い調子でかぶりを振る。
「そんなことお前にわかるんか?」
「いや、わからねえけど……、なんか必死だな、お前ら」
と、憐れむように男達を見据えるウィル。
「何ぃ?」
「ま、まあまあ、気持ちはわかるからさ。それより聞いてくれよ。保守的な親父の奴、面倒事の臭いを感じたのか、フローラ様を遠回しに早く出ていかせようとしてよ。俺がびしっと言ってやったんだ。家に泊めてやればいいじゃねえかってよ。そしたらフローラ様、俺のことウィル様なんて呼んでくれたんだ」
ウィルは眉を染めた男達を宥めると、得意気に語って聞かせた。すると――、
「ちっ、だらしねえ顔しやがって……」
ドンナーが苛立ちを隠さずに呟く。他の男達も微妙に白けた眼差しをウィルに向け始める。そして――、
「おい、ウィル。抜け駆けはなしだぞ? わかってんだろうな?」
男の一人が念を押すように言った。
「抜け駆けって……、同じ家で暮らしてんだから、必要最小限の会話はするぜ? フローラ様の看護もしなきゃいけえしな」
と、ウィルが肩をすくめて言うと――、
「か、看護だと!? てめえ、何か変なことしてんじゃねえだろうな!?」
「フローラ様と二人きりなのか!?」
「フローラ様はどんな服を着てるんだ!?」
などと、男達が慌ててウィルに詰め寄る。娯楽など何もないこの村の男達にとって、いきなり現れた高貴な身分に属する可愛らしいフローラは注目の的なのだろう。
「ま、待て、待て! お前ら、落ち着け!」
ウィルは流石に看過できなかったのか、大きな声を出して男達を鎮めた。すると――、
「……見舞いに行く」
ドンナーがぼそりと呟く。
「……見舞い? はっ、どういう風の吹き回しだよ、ドンナー。お前、今まで村の女が病気で寝込んでも見舞いになんか行ったことねえじゃねえか」
ウィルは目を丸くしてドンナーを見やると、しかる後、にやりと笑みを浮かべた。
「う、うるせえ! 行くったら、行くんだ! 見舞いだ」
「そ、そうだ、見舞いだ、見舞い! 見舞いに行かせろよ!」
ドンナーが上ずった声で怒鳴り散らすと、村の男達もドンナーに賛同しだす。
「ちっ、駄目だ、駄目だ。お前らの汚え菌が移ってフローラ様がさらに具合を悪くしたらどうする? フローラ様の看病は俺がする」
ウィルは舌打ちし、にべもなく男達を一蹴する。しかし――、
「横暴だぞ! 自慢するだけしやがって」
「そうだ、お前だけずりいぞ! 一人で良い思いしやがって」
「俺がフローラ様を最初に助けたんだ!」
「俺らに紹介するって言ったろ!?」
ドンナーを含む男達は不満そうに食い下がった。
「う、うるせえ! 今のフローラ様は外出禁止なんだ。お前らを合わせるわけにもいかねえし、親父も認めねえよ!」
ウィルは村長である父の名を持ち出して、男達の訴えを棄却する。結局、その後もウィルが男達に対して首を縦に振ることはなかった。