第155話 戦闘後の一幕
リオは空を見上げると、小さく息をついておもむろに背後を振り返った。そこにはパラディア王国の第一王子であるデュランが立っており、リオが撃退した騎士達が横たわり、激しい戦闘の爪痕が残っている。また、少し離れた場所には、ウィル、ドンナー、村長の三人が立っていた。
(……どうしたもんか)
と、リオはややバツが悪そうに思案した。このまま素知らぬ顔で立ち去るのがベストなのだろうが、すぐ傍にいるデュランがそれを許してくれるだろうか。そうして逡巡しながら、その場にいる面々に視線を走らせると――、
(……え?)
苦しそうに息をついて、地べたに倒れるフローラの顔が視界に入り、ギョッと目を見開く。フローラとは少し前に夜会で遭遇したことがあるし、つい最近まで姉のクリスティーナと行動していたこともあって、その人目を引く整った容貌には見覚えがあったのだ。しかし、そのあまりにもみすぼらしいその格好に――、
(いや、でもこんな場所に一人でいるはずがない……よな? 村の女の子……か? 何で倒れているんだ?)
と、半信半疑に、考え直す。だが、それでもそこに倒れている少女は、あまりにもリオが見知っている王族の少女――フローラ=ベルトラムと外見的な特徴が似ている、というより酷似しすぎていた。一応、本人かどうか確認するべく、リオがおもむろに歩きだそうとすると――、
「……貴公、名はリオといったな」
不意に、デュランがリオに語りかけた。
「……ええ」
リオはぴたりと足を止めると、やや警戒してデュランに応じる。すると――、
「……パラディアに、いや俺に仕える気はないか?」
デュランは突然、そんなことを言いだした。
「…………は?」
リオは思わず呆気に取られ、面食らう。
「俺に仕えないかと提案している。金か、地位か、女か? どれでも、俺に用意できる最高のものを与えてやるぞ?」
デュランはいたって真面目な面持ちで、リオをスカウトし始めるが――、
「いえ、お断りしますが」
リオはきっぱりと即答して断った。
「むっ、……まあ聞け。何を突然言い出すのかと思っているやもしれんが、俺はいたって真面目に提案している。貴公と敵対する意思もないことを宣言しよう」
デュランは堂々と語って、食い下がる。
「…………」
リオは反応に困っているのか、警戒しているのか、黙ってデュランを見据えている。すると――、
「なに、こう見えて目端は利く方でな。彼我の実力差、いや戦力差は理解している。突撃と玉砕の意味をはき違えるほど愚かではないし、奴に義理立てして貴公に襲い掛かるほど熱い男でもない。そもそも奴にそんな義理もないしな」
と、デュランは鷹揚に語ってみせた。
「……思惑が読めないのですが」
リオは小さく嘆息し、口を開く。
「俺と奴の関係は一国の王子と傭兵の関係にすぎんと言っているのだ。少なからず気が合うところもあったし、今後の取引関係の継続も予定としてありはしたが、人から恨みを買うような男であることは重々承知していたのでな。奴が殺されたのは、奴が弱かったからに他ならん」
デュランはリオの警戒を解くべく、最初にしっかりと自らの立ち位置を明らかにした。
(……この男、この国の王子なのか?)
リオはデュランの素性に意表を突かれると――、
「正直、あの男と気が合うという時点で願い下げですね」
にべもなくかぶりを振った。
「はっ、俺もその男と同様に外道を歩む畜生とでも思っているか? 違うぞ。俺が歩まんとするのは覇道だ。欲しければ奪うし、力こそ正義という意味でルシウスとは価値観を共にするが、奴ほど趣味は悪くないし、悪食でもない。まあ、暴君気質であることは否定せんがな」
デュランはそう語って、にやりと笑みを刻む。
(どうも調子が狂うな)
と、リオは一先ず剣を腰の鞘に収めると――、
「畜生だったとはいえ、顔見知りを殺した見ず知らずの男を、よくもまあすぐに召し抱えようと思いますね?」
億劫そうに頭を掻いて、問いかけた。物好きな王子もいたものだと。
「たわけ、清濁併せ呑んでこその覇道であろう。それに、弱き者が嫌いというわけでもないが、俺は強き者が好きだ。欲してもいる」
「……どうして強い人材を求めるのですか?」
「戦争だ」
リオが興味本位で尋ねると、デュランは力強く即答した。
「戦争、ですか」
「ああ、我が国は小国だ。だからこそ他国に舐められないだけの力がいる。俺一人で雑兵千人以上の働きはできるが、他国にも腕に覚えのある者はいるだろうし、圧倒的な物量には勝てんからな」
デュランは首肯して力説する。
「然様ですか」
リオはそっけなく頷いた。だが――、
「その点、貴公は一人で戦場を覆しかねんだけの戦力を秘めていると俺は睨んでいる。仕えぬとも、我が覇道に手を貸す気はないか? 大国は格式や伝統にうるさいが、我が国のような小国は実力主義でいくらでも駆け上がれるぞ?」
と、デュランは特にリオの態度を気にした様子もなく、言葉を続ける。
「残念ながら、その覇道とやらに興味はないので」
リオの答えは変わらなかった。戦争などする気はないのだから。
「……貴公、それほどの力を手にしておいて、覇道も思いのままであろうに、あえて王道を進むと?」
デュランはもどかしそうに問いかける。
「覇道も王道も進む気はありません」
「なに、では世事に興味がないと? 世捨て人にでもなるつもりか?」
「どうでしょうね」
リオは苦笑すると、話は終わりだと言わんばかりに歩きだし、地面に倒れているフローラに歩み寄った。
「……ふむ。復讐を遂げて、憑き物が落ちた、といったところか」
デュランはスッと目を細め、リオの背中を見つめる。
「元よりこんな性格ですよ」
リオは苦笑して答えると、フローラの前で立ち止まった。すぐ傍にはウィルにドンナー、村長の三人が立っていて――、
「う……」
どこか怯えた様子で、リオを見つめた。
(やっぱり、フローラ王女……だよな?)
リオはウィル達の視線を受け流し、しゃがんでフローラの顔を凝視すると、倒れている少女がフローラ本人だと認識した。そして――、
「この子は? どうしてこの村に?」
と、すぐ傍にいるウィル達に問いかける。
「あ、いや、その……」
ウィル達は緊張して言葉に詰まった。すると――、
「貴公、その娘の素性を知っているのか?」
デュランがリオに声をかける。
(……なるほど。彼女がこの王子がここにいる理由か。何が起きたんだ?)
リオはデュランの質問から、その背景の一端を推測すると――、
「……見知らぬ顔、というわけではありませんね。困ったことに」
と、やや間を置いて、答えた。
「ほう……。そういえばルシウスはベルトラム王国の出身であったな。ということは、そなたもベルトラムに縁のある人物である可能性がありそうだ」
デュランはフローラを知るというリオの発言から、その出自に探りを入れる。
「さて、どうでしょう?」
リオはポーカーフェイスで応じると――、
(ひどい熱だな。首筋に痣がある。何だ、これは、病気か? いや……)
フローラの身体を抱えて、容体の確認を始めた。
「フローラ王女。意識はありますか?」
「はぁ、はぁ……」
吐息が荒く、返事はない。現時点で意識を保っているかは怪しいが――、
(さっきの戦闘は認識していたのか? 俺の名前を聞かれて気づかれた可能性もあるけど……)
と、リオは思案する。気づかれていたとすると少しばかり面倒だが、このまま放置して置き去りにするのも目覚めが悪い。すると――、
「森に棲む蜘蛛の毒にかかっているそうだ。貴公が殺したルシウスが解毒用の
デュランがどこか愉快そうに、フローラが苦しんでいる原因を告げた。
「解毒用の
リオは嘆息して答える。
「ほう、つくづく便利な奴。助けるというのか? それでどうする?」
デュランはいっそう、愉快そうな笑みを強めて尋ねた。
「……国まで連れていきます」
「ふむ、元より俺はその王女が目当てでこの場まで足を運んだわけだが……、まあ、よかろう。連れていくがいい。面白い見世物の礼だ。止めはせぬ」
リオがやや億劫そうに答えると、デュランは存外あっさりとリオの決断に許可を与える。
「よろしいんですか?」
と、リオは意外そうに目を丸くした。パラディア王国とベルトラム王国の関係はリオもそれとなく承知している。そして、フローラが持つであろう利用価値も。だから、正直、少しは食い下がられるかもしれないと思っていたのだ。
「……ふん。仮に俺が貴公を止めようと思っても、実力でも権力でも止めることはできまい。手慰みに敵性国家の王女を飼うのも一興かと思ったが、興もさめた。誘いをかけたルシウスも死んだことだしな」
デュランは小さく鼻を鳴らすと、やや面白くなさそうに語った。
「……では、気が変わらぬうちに連れていくとしましょう。これを……」
リオは不思議と口許をほころばせると、フローラをいったんその場に残し、デュランに歩み寄った。そして、懐から木製の瓶を取り出す。
「何だ、これは?」
デュランはじっと木製の瓶を見据えた。
「傷口を塞ぐ治癒用の
リオはそう言って、地面に転がっている騎士達を見やる。
「……いらん。敗れた相手に塩を送られるなど、戦士の恥だ」
デュランは小さく鼻を鳴らして、かぶりを振った。だが――、
「そう仰らず。あの時は手加減できなかったので。幸い死人はいないようですが、放置すればどうなるかわかりません。できることなら命までは奪いたくないんです。それとも、無事な治癒魔法の使い手でもいるのですか?」
リオは苦笑し、木製の瓶をデュランに差し出す。
「……ふん、あたかも人が変わったようなことを言う。戦闘中の容赦のなさが嘘のようではないか。……いいだろう。なら受け取ってやる。だが、その代わり、もし再び
デュランはフッと笑うと、リオの手から瓶を掴み取った。
「……一席、ですか?」
リオは不思議そうに首を傾げる。
「その時は貴様を客人として迎え、もてなしてやると言っているのだ。気が変わっていれば、俺に仕えるなり手を貸すといい」
どうやらまだリオを勧誘するつもりでいるようだ。なかなかに抜け目ない。
「……考えておきましょう」
リオは苦笑すると、フローラを抱きかかえようとした。正直、あまり長居はしたくない。すると――、
「ま、待ってくれ! あ、いや、待ってください!」
ウィルが慌ててリオを呼び止める。
「何か?」
リオはフローラを抱きかかえるのを止めて、ウィルを見やった。
「あ、いや、その……。フ、フローラ様を……」
「こ、このまま別れたくねえ!」
ウィルが言葉に詰まっていると、ドンナーが便乗して叫ぶ。
「……失礼ですが、貴方達はこの子にどのような関係が?」
リオは落ち着いた声で問いかける。
「む、村で暮らしていたんです! 迷い込んできたのを、保護して!」
ウィルは意を決して事情を説明した。
「なるほど……。彼女の素性も知っていると」
リオがなんとなく事情を把握し、得心すると――、
「おい、俺の采配でその男の帰還を許したのだ。どうして貴様らが口を挟む? 挙句、保護しただと? 土壇場になって見捨てようとしたの間違いであろう?」
デュランが剣呑な声で、ウィルとドンナーに語りかけた。
「ひっ!」
ウィルとドンナーは怯えて顔を引きつらせる。体格的にデュランとドンナーは同じ程度だが、先の戦闘を見て腕っぷしで敵うなどとは死んでも思えなかった。
「彼女には帰るべき場所があります。俺にも時間はあまりない。残念ながら彼女が目を覚まして貴方達と別れを済ますまで待つことはできません」
リオはデュランの怒りを鎮めようと、すかさずウィル達に語りかける。
「うっ……」
ウィルとドンナーはすっかり委縮して押し黙ってしまった。表情からして何か言いたそうな雰囲気は伝わってきたが、それ以上、二人が口を開くことはなく――、
「お二人のことは私から彼女に伝えておきましょう。お名前を伺っても?」
と、リオが提案して尋ねた。
「……ウィルです」
「ドンナーです」
二人はおずおずと名を告げる。
「確かに、承りました。じゃあ…………これを」
リオはいったん立ち上がると、懐から小袋を取り出し、ウィルに手渡す。
「……これは?」
「彼女の代わりに謝礼を。金銭が入っています」
「べ、別に金が欲しくて助けたわけじゃっ!」
ウィルは泡を食って叫んだ。
「とはいえ、彼女が何かと迷惑をかけた謝礼は必要でしょう。お礼を渡しそびれたことで、後で気に病むかもしれません」
リオは整然とした口調で語る。
「うっ……」
ウィルは何も言い返せなかった。すると――、
「だ、だったら俺も連れていってくれ!」
と、ドンナーが訴えて――、
「な、何を言っているのだ、馬鹿者!?」
村長が唖然とし、血相を変えて叫んだ。
「くっ、くくく。くだらぬ三文芝居だが、なかなかどうして見どころがあるではないか」
デュランは傍からウィル達のやり取りを眺め、愉快そうに笑っている。
「……連れていくことはできません」
リオは小さく溜息をつくと、きっぱりとかぶりを振った。だが――、
「ですが、ベルトラム王国はここより南西に存在する国です。今の彼女はロダン侯爵領の領都ロダニアという都市に本拠を構えていますから、俺もそこまで彼女を連れていくつもりです。旅する資金も必要ですし、遠く危険な旅になりますけどね」
と、言葉を続ける。それは暗に後から追いかけるのなら好きにすればいいと言っているようにも聞こえた。もっとも、追いかけてきたところで会える保障などないから、明言はしないが。それを踏まえて好きにしろ、ということだろう。それだけの想いがあるのなら。
ウィルとドンナーは呆けた顔を浮かべていた。
「息災でな」
デュランはフッと笑みを刻んで、リオの背中に声をかける。
「失礼します」
リオはそう言い残すと、今度こそフローラを抱きかかえ、街道に向かって軽やかに駆け出した。その動きは非常に緩やかだが、信じられないほどの速度が出ており、瞬く間に遠くへ消えていく。
デュランはそんなリオの後ろ姿を眺めると――、
「……ふん。奴の一撃を受けた反動でまだ両手が痺れておるわ」
と、鼻を鳴らして呟いた。
(結局、奴がベルトラム王国に所属しているのかはわからず終いであったな。あのような闘神がいる国とは好んで戦をしたくないものだが……)
あまたの戦を潜り抜けてきたデュランであるが、正直、戦場でリオと出くわしたくはなかった。まともに相対すれば命の保証はないだろうと思えるほどに。
(ちょうど落ち着いている頃合いだ。ルシウスが言っていたでかい戦がいつ始まるのかはわからぬが、今のうちに各地の大国の動向に探りを入れてみるのもよいかもしれんな。奴の所属も何か掴めるかもしれん)
デュランは鋭い目つきでそう考えると――、
「おい、貴様ら。すぐに村へ戻って男共を連れてこい。負傷した者達を運ばせる。宿舎の用意もしておけ」
と、傍にいた村長達に声をかけた。
「……へ?」
呆気に取られたウィルとドンナーとは対照的に――、
「は、はい! 直ちに! お前達、付いてこい!」
村長は真っ先に返事をして、村へと駆けだす。
「お、おい! 親父!」
ウィルとドンナーは戸惑いながらも、すぐに駆け出して村長の跡を追いかける。一人残ったデュランは、周囲に横たわる騎士達を見回すと――、
「不甲斐ない連中だ。少し鍛え直してやるとするか」
リオから受け取った木製の瓶を手にして、騎士達の治療を開始した。
◇ ◇ ◇
一方、戦闘直後にまで時間は遡り――。
リオ達が戦闘を繰り広げていた地点から、一キロほど離れた薄暗い森の奥には、レイスが一人でぽつりとたたずんでいた。その手にはルシウスが使用していた剣が握られていて――、
「肉体は一瞬で消滅してしまいましたか。この剣も後少し回収が遅れていたら、破壊されていたかもしれませんね。まったく、とんでもない威力だ」
と、レイスは珍しく顔を曇らせて呟く。
(困りますね。これは少しばかり困った事態になってしまった。彼にはこれからも色々と働いてもらうつもりだったというのに……)
レイスはそう考えて、じっと剣を見据えると――、
「しばらくは手持ちの駒でなんとかするとしますか」
嘆息して、握っていた剣を手放した。剣は重力に従いスッと落下していく。だが、そのまま切っ先が地面に突きささることはなく、レイスの足元に広がっていた底なし沼のような闇へ、どぷんと吸い込まれてしまった。
(それにしても黒髪の精霊術士、ですか。思い当たる人物が一人いますが……、髪の色は違いますし、精霊の気配もありませんでしたね)
遠めなので顔もよく見えませんでしたし、と、レイスは思案顔を浮かべたまま、その場に立ち尽くして――、
(しかし、あの黒髪の精霊術士が私の知る人物と同一だとしたら、厄介ですね。思った以上に厄介だ……)
しばし物思いにふける。
(しかし、かといってこのままだと、フローラ王女は無事なままレストラシオンへと帰還されてしまう。何のために
レイスはくつくつと、狂気を孕んだ愉悦の笑みをたたえた。
計算違いばかりだ。そう、計算違いな事態が立て続けに起きている。そして、その計算違いを直に引き起こしているのは、間違いなくあの黒髪の精霊術士だった。
(大人しく帰らせるわけにもいきませんし、少しは爪痕を残しておきたいところですが……)
生半可な戦闘要員を多く用意したところで、一方的な返り討ちに遭うのは目に見えている。だが、それでも、このまま大人しく引き下がるのはあまり上手くはなかった。
ゆえに、レイスはしばし思案すると――、
「……とりあえずは、捕らえた勇者と姫騎士の二人を動かしてみるとしますか」
次善策を思いつき、そのための駒を選定した。